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ナガサキブタロー

Author:ナガサキブタロー
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「夫婦会議」のススメ♪

   


昨年末に、高校の同級生たちと45年ぶりに集い、酒を酌み交わしました。

63歳になる男連中の大半は、定年退職後は自宅で楽隠居を決め込んでいました。

「ああ、隠居人生は毎日やることが多くて楽しかばい♪」

地元言葉でそんな話を聞くのを楽しみに参加したのに、家庭内で「邪険に扱われる」とか「肩身が狭い」とかの愚痴ばかり。



「いくさをしない武士」の生き方

これは、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」の名文句で有名な『葉隠』のテーマです。

現役時代に馬車馬のように働いて、やっと解放されて「年金生活」が始まったと思いきや、嫁さんから蛇蝎(だかつ)の如く嫌われるのでは報われない。
※「蛇蝎(だかつ)」とは、ヘビやサソリ。人が非常に忌み嫌うものの例え。

定年退職を機に、「計画」も「覚悟」もなく家に引きこもった我が同級生たちの多くは、奥さんや家族から疎(うと)ましがれているようです。

男の世界は「タテ社会」ですが、家庭の中は「ヨコ社会」です。

特に、奥さんとの夫婦関係には、職場みたいな上下関係もないし、競争もありません。

ただ「共存共栄」を目指す関係です。

そうした職場ではあり得ない関係に、定年後の自分が身を置いていることに気付けないダンナさんは、家庭の中で「異分子」扱いされるのは当然です。

かくいう私も、それに気づくのに定年退職から2年もかかりました。

今回は、そんな思いをしているシニア世代のダンナさんが、家庭内の人間関係を改善してゆくためのコツについて私見を書いてみたいと思います。

テーマは、「『夫婦会議』のススメ」です。



ついイラっときてしまう。

その理由をご存知ですか?

それは、「自分の思い通りにならないから」です。

自分なら、こんな挨拶をするのに、

自分なら、こんなお礼を言うのに、

自分なら、こんな配慮をするのに、

自分なら、こんな対応をするのに、

自分なら、こんな努力をするのに、

自分なら、こんな準備をするのに、

自分なら、こんな反省をするのに、

相手が自分の思うような反応をしない時にイラっと来ているのです。

もっと具体的に言うと、自分のそんな「マイルール」を相手が守ってくれないから、イラっと来るのです。

だから、夫婦関係において、相手にイラっとくる理由は、実に身勝手なものなのです。

相手には、相手なりの見方やルールがある。

だけど、イラっと来ている時の自分は、そのことを忘れています。

相手には、相手なりの見方やルールがある。

イラッと来た時は、そのことを思い出すように心がけてゆきましょう。


エゴをいかに枯らして生きてゆけるか?

「エゴ」は、持って生まれたものです。

「エゴ」を否定しては、苦しむばかりです。

心理学関連の本やサイトなどを見ると、「エゴをいかに手放すかが幸せのカギ」なんてさらりと書いてありますが、

「エゴ」は、人間のDNAの中に書き込まれた「本能」だから、生きている限り、手放すことは簡単ではないのです。

むしろ、「エゴ」とどう付き合ってゆくかが重要なのです。

「エゴ」を自我=欲と解釈すれば、好奇心や向上心の原動力としてこれからのシニア人生にとっては必要なものでもあります。

要は、自分を苦しめる「悪性のエゴ」に転化させないことです。

自分を苦しめる「エゴ」は、時間をかけて枯らしてゆきましょう。

「エゴ」の奴隷になっては苦痛な人生になります。

「エゴ」の支配者にならねばなりません。

スピリチュアルな視点から言えば、シニア人生の魂の課題は、いかに「エゴを枯らして過ごせるか?」にあります。

ここで言う「エゴ」とは、利己的な自我・我欲・ネガティブな思考グセなどです。

だから、エゴが強い人ほど、キツい出来事や状況、人間関係などを体験をさせられます。

裏返せば、エゴを上手に「手なづけ」られた人ほど、訪れる現実は穏やかで快適なものになってゆくと言えるのです。

歳をとるほどに、パートナーから愛される「相棒」を目指しましょう♪


独りよがりで傷つかないで!



「思い通りに生きる人の引き寄せの法則」

この本には、エゴの支配から自分を解放するための七つの心得えが書かれているので、それをご紹介します。

相手が、奥さんとか家族であることを想定して読むと、反省できることがあるかもしれません。

1)「バカにされた!」と傷つくのはやめましょう。

※相手は決してそんなつもりじゃありませんから。

2)「否定された!」と被害者になるのはやめましょう。

※相手は決してそんなつもりじゃありませんから。

3)「勝たねばならない」という思いは捨てましょう。

4)「人より上でなかればならない」という思いから解放されましょう。

5)「もっと欲しい」という思いから解放されましょう。

6)「過去の業績」で自分を判断しないこと。

7)周りの人からの視線や評判から解放されましょう。

この7つの心得えは、私達がいつも機嫌よく過ごすための心得えでもあります。


夫婦会議のすすめ♪

夫婦関係がうまく行っていないのなら、避けたりしないで「関係の再構築」をさっさとやるべし。

「再構築」とは、それまでの関係性をチャラにしてお互いが快適な状態に築き直すこと。

夫婦の関係がうまく行っていないのなら、夫婦の運営会議の開催をお勧めしたいです。

これからのお互いの「役割分担」について、見直しや調整をするのが一番大事なことです。



家庭という組織では、奥さんが「女帝」で、ダンナさんは「関白」。

奥さんの方が断然上で偉いのですぞ!

「夫婦会議」がダサければ、会議名はなんでもOK!

・ハッピーミーティング

・スマイルミーティング

楽しい会議名をつければ良い。

夫婦の運営会議に、「議長」は要らない。

夫婦の運営会議は、すべて「合意制」です。

どちらか一方の強硬採決があった場合は、「別件でそれなりの譲歩をしてもらって元はとるぞ!」とソロバンをはじくべし。

夫婦という組織の運営会議は、人格も性格も価値観も全く異なる二人の定例会議。

「夫婦」という大切な組織を、より居心地の良い状態に保つために、定期的に行うべし。

その場で「議論白熱」となるほど良い。

その議題に関して、お互いに合意できる「主張」と「妥協」の最終決定を導けばよい。

だたし、一度二人採決したことは、違反者にはそれなりのペナルティを設けておくことを忘れずに。



大抵の場合、「関白」さんが守らないから(笑)



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魂が震えたタイの感動CM

   


本日ご紹介するのは、名作揃いのタイ(王国)のCM動画です。

見返りを求めず、相手をひたすら愛するという行為の素晴らしさが描かれています。

魂が震え、「うぐっ!」と胸が熱くなりました。

私の駄文より何十倍も説得力があります。

下記の動画をクリックして、是非ご覧下さい。

見終わった後、なんだか清清しい気持ちになること請け合いです♪

スピーカーON、もしくはイヤーフォンでご視聴下さいませネ。



大きな画面でご覧になりたい方は、下記のYouTubeのリンクをクリックしてください。

https://www.youtube.com/watch?v=sh0ZRN-FYDI


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人生の3学期を有難く生きるコツ

   


朝の通勤の運転中に、雨天のフロントガラスに張り付いた雨粒を見ていて、「●▲×■浮かぶうたかたは…」と言うフレーズが突然浮かびました。

あとで調べたら、それは「方丈記」の書き出しの一節でした。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて久しくとどまりたるためしなし。

せっかく守護霊さんが的確なメッセージをくれても、無学な私はそれを頭の中で正確にすぐ再生できないのが恥ずかしいです(苦笑)

『方丈記』は、『歎異抄』『徒然草』とならぶ、日本を代表する三大古典と評されています。

上記の一節はどんな意味だろうと、ネット検索して調べてみました。

ちなみに「うたかた」とは、水面に浮かぶ泡のことです。


流れてゆく川の流れは絶えることがなく、しかも、流れる水はもとの水ではない。

よどみに浮かぶ泡は、一方では消え、また一方では現れて、長い間とどまっていたためしはない。


まさに、人の人生も同じではないでしょうか?

川の流れのように、幸せも悲しみも、時と共に過ぎてゆきます。

これまでの人生を振り返れば、水面の泡のように、「ラッキーな状況」も「ツイてない状況」も、「若さ」も「人との縁」も、現れてははかなく消えてゆきました。

その点、あなたの人生では如何でしたか?

本日のテーマは、「人生の3学期を有難く生きるコツ」です。


人生の3学期とは?

昔の職場で可愛がって頂き、その後も個人的なお付き合いをしていたBさん(71)が、昨年末から介護施設のお世話になり始めました。

「要介護2」のレベルなので、施設に訪ねても会話は普通にできますが、「これまで何気なく出来ていたことが、次第にできなくなっていっている」と不安がっていました。

人生の3学期

学生時代を経て、大人として現役時代を過ごした人生を「1学期」とするなら、定年後のシニア人生は「セカンドライフ」という表現があるように「2学期」と言えます。

そして、身体機能が衰えて、人のお世話になりながら生きてゆくステージは、"この世の卒業式"を控えた最後の「3学期」と言えます。


「当たり前の有難さ」を知る
▲2018年11月の更新記事

当たり前の有難さ

私たちは、普段、当たり前と思っていることには感謝なんてしないで生きています。

けれども、それが不足したり、無くなったりした時に初めて、その有難さを思い知らされます。

・体調を壊した時に初めて、健康の有難さを痛感します。

・ストーブが壊れた時に初めて、ストーブの有難さが骨身にしみます。

・ペットが死んた時に初めて、その「癒し」の有難さにむせび泣きます。

親・夫婦・子供・昔お世話になった人、職場の上司や同僚…。

その関係が無くなって初めて、その関わりの有難さを思い知ります。



まさに、今の当たり前は「うたかた(泡)」なのです。

特に、私たちシニア世代の人間は、数年後には今何気なく出来ていることが次第に出来なくなります。

今何気なく付き合っている人がいなくなったりもします。

人生の3学期を、悔いなく幸せに生きてゆくためには、今当たり前と思っている状態・状況・関係の中に「有難さ」を一つでも多く、見い出してゆくことが大切なのではないかと思います。


脳は同時にひとつのことしか考えられない
▲2018年1月の更新記事

あなたは、怒っている時に同時に喜ぶことができますか?

脳は同時に一つのことしか考えられないのです。

つまり、怒っている間というのは、そのことだけを考え続けているのです。



自分が、ムカムカ・イライラする感情のボタンを選択して押し続けているのです。

気分転換が上手にできる人は、最初にムカッと来てもイラッとしても、自分を不愉快にさせるボタンから指を離す訓練が出来ている人です。

相手がイライラさせるのではありません。

相手の発言や振る舞いを受けて、自分が勝手にイライラしているのです。

なぜなら、あなたの「頭にくるボタン」はあなたしか押せないからです。

同様に、淋しいとき、むなしいとき、つらいとき、

その感情は、自分が選択しているのだと気づきましょう。

それが、自分を「幸福体質」に変えるための最初の一歩になります。


今生の後の世界を知っておく

死んだあとの世界への理解を深めることで、「人生の3学期」の一日一日を有意義に生きることができます。

私は、20数年「精神世界」への興味からいろんな関連情報を読んできましたが、下記に転載してご紹介する内容はとても合点がいく情報です。

「死んだら終わり」という考えを否定する気はありませんが、「死んでも次に行く世界がある」と考えた方が、「死」への恐怖が薄らぎます。

私が最近よく読んでいる「スピリチュアル・ライフ」の記事です。

興味のある方は、読み進めてくださいませ。



霊界ってどんな所?
▲スピリチュアル・ライフ

こんにちは☆NORIです (*´ω`*)ノ 

今⽇は「霊界と魂」のお話をしたいと思います。

今⽇のお話は、わたしが今まで沢⼭の⽅から学んできたスピリチュアルな法則を含めて、「霊界とはこうなっているんだよ!」というお話を「図解」を交えつつ書いていきたいと思います。

ただ、今⽇のお話は、解りやすくするために「霊界=あの世全体」という前提でお話していきますね♪

というのも、後ほど詳しくお話しますが、霊界は何段階もの階層に分かれているのです。

⼤きく分けると、幽界、霊界、神界・・・なんて階層がありますが、更に細かく分けると、霊界には11次元の段階的な階層があるようなのです。

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霊界での暮らしとは?

霊界というのは、この世と違って思考が瞬時に現実化する世界です。

そして、⼈間界で⽣きていた時の記憶も、そのまんま反映されます。

霊界には、ふつーに家も⾞もありますし、服だって⽣前に好きだったファッションをしていますし、普通にまわりに⼈もいるのですよ♪

ただ、霊界がこの世と違うところは、

・時間の概念が違う

・思考が瞬時に現実化する

・テレパシーで話す

・寝る必要がない

・⾷べる必要もない

・お⾦は存在しない

・何故か性欲は残るらしい

と⾔ったところでしょうか・・・

霊界には、国家や政治もありませんし、政治家もいません。

もちろん宗教もありません。

とは⾔っても、⼈間界で正しい考え⽅によってスピリチュアルな教えを⼈々に広めていたような偉⼈たちは、霊界に⾏っても、その使命を継続する場合が多いようです。

たとえば、釈迦やキリストのような歴史的な偉⼈たちは、霊界の上層部で、今も尚、⼈間界の⼈々の魂レベルを上げるための活動を精⼒的に⾏っております。

時代に⼤きな変⾰をもたらしてきた歴史的な発明家や指導者たちも、霊界でもそういった活動を継続して⾏うようです。

霊界には、お⾦がありませんし、⾷べるために仕事をする必要はないのですが、お互いの魂がより⾼次に進化するための勉強や研究はとても熱⼼に⾏われています。

そのため霊界には、学校のようなものや、図書館のような場所は存在する様です。

⼈間界のすべての歴史的書物や、霊界で学びを⾏うための⾊んな書物も、霊界にはあるようですね♪

そして、さきほど、霊界に⾏っても「性欲」は残ると書きましたが、実は、天国に近い階層の霊界の魂は、性欲は完全に消え去ります。

逆に、地獄界に近い階層に⾏く魂ほど、性欲が顕著に残り、地獄界で性欲にまみれた歪んだ⽣活を送ることになる様です。

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→眠っているとき魂はあの世に帰っている。睡眠は重要です!

⼈間の想像を絶する「霊界」の美しさ

皆さんも、幽体離脱をしたり臨死体験をした⽅の話は、何度か聞いた事があるかとは思います。

そして、臨死体験をして霊界の⾵景を垣間⾒た⼈が語る「霊界の景⾊」には、共通点があることに気づくと思います。

たとえば・・・

⽇本では、⼈は死ぬと「三途の川」を渡るとはよく⾔われていますね。

三途の川の向こうには、既に亡くなった親族や知⼈がいて、「おいでおいで〜」している場合もあれば、逆に「ここに来るのはまだ早いから帰りなさい!」と諭されたりしたなんて話は、よく聞きますよね。

ただ、三途の川は、⽇本だけでなく海外の臨死体験者も⾒ていたりするんですね。

この様に「川を越えると霊界」という概念は、仏教圏だけの話ではなく、意外と万国共通だったりします。

そして、全ての臨死体験による霊界体験や、霊能者の間で⾔われている霊界の共通点として⾔えるのが、「霊界は、この世では表現することが出来ないほどの美しい世界だった」と⾔うのです。

更に、臨死体験をした⽅の多くは、「霊界は、とにかく光り輝いていて、眩しくて⽬を開けることも困難だった」とも⾔います。

簡単に⾔うと、霊界とは「光に溢れた世界」なのです。

わたしたち⼈間が持つ様々な感覚は、この三次元物質世界に合わせて、かなり機能が縮⼩されていると⾔えます。

たとえば「光」は、光⼦という粒⼦が振動することによる出来る波であることが解っています。

そして、わたしたち⼈間は、この「光」のごく⼀部の周波数の部分しか感知することはできません。

専⾨的に⾔うと「可視光線」ということになりますが、実際、光には、⾚⾊の光よりも波⻑が⻑い、⽬に⾒えない⾚外線があります。

もっと波⻑が⻑くなると遠⾚外線になり、さらに⻑くなると電波になります。

逆に⻘⾊の光よりも波⻑が短くなると紫外線になり、もっと短くなるとX線、放射線と呼び⽅が変わるのです。

こういった可視光線から外れた周波数の光は、わたしたち⼈間には⾒ることが出来ませんが、実際は存在しています。

よく、⼈間以外の⽝や猫なんかの動物は、モノクロ映像しか⾒ることが出来ないと⾔われております。

では、モノクロでしか景⾊を認識することが出来ない動物に、「世の中は、本当はカラーなんだよ」ということを、どのように説明すればよいのでしょうか?

実は、これと同じ様に、霊界の美しい⾊彩は、この世で⾁体を持って暮らす感覚を制限されたわたしたち⼈間には、理解することも出来ないのですね。

本当は、霊界も含めたこの宇宙は、もっと鮮やかな⾊彩の世界が存在します。

そして、霊界には、⼈間界には存在しないような素晴らしい⾳楽(⾳)だってあるのです。

つまり、わたしたちの暮らすこの三次元物質世界は、宇宙のごく⼀部の「感覚を制限された世界」でしかないのですね。

そのため、わたしたち⼈間は、全宇宙の3%しかその仕組を解明できていませんし、本当は存在するはずの、様々な物質を科学的に検知することが出来ないのです。

その理由は、わたしたちの⽂明そのものが、霊界などのこの世とは別の次元の存在を、完全に否定してしまっているからなのですね。

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霊界と魂の関係を図解してみた

わたしたちの暮らす「この世」は、簡単に⾔うと、四次元(時間)を認知できる「三次元物質空間」です。

霊界というのは⾔ってみれば、四次元以上の世界なのです。

図にするとこんな感じです・・・



まず中⼼にあるのが、三次元世界で「この世」です。

その周りを包む様に四次元世界である霊界が存在します。

更に詳しく⾔うと、現在、霊界には11段階の階層があると⾔われております。

この辺は、スピリチュアリストによって若⼲間解釈が違いますが、とりあえず霊界は複数階層になっているということらしいです。

ちなみに、以前の記事では、あの世の階層を・・・

「この世」→「幽限界」→「幽界」→「霊界」→「神界」と説明させていただきました。

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ただ、今の時点でのわたしの最新知識によりますと・・・


・この世→三次元物質世界

・幽限界→三次元(この世)と四次元世界(幽界)の狭間

・幽界→四次元世界

・霊界と神界→五次元世界から11次元世界の階層に分かれている

と、こんな感じに解釈しております。

そして、これらの世界の全ての空間は、「魂」という霊的エネルギーで満たされていると考えてください。

更に⾔うと、魂とは、すなわち「神そのもの」なのです。

そのため、わたしたちの魂というのは、本当は「神」と同じであり「ひとつ」なのですね。

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→宇宙⼈と神のお話。宇宙⼈・魂・輪廻転⽣・宗教の関係とは?

→神様は⾃分の中にいる

魂は、四次元界(幽界)では、それぞれの我を持っており、個別に存在しています。

更に下の「三次元物質界(⼈間界)」では、魂は、⾁体という⼊れ物に⼊ることにより、他の魂との繋がりを忘れてしまうような構造になっています。

そのため、この世では、わたしたちは前世の記憶を忘れてしまいますし、テレパシーなども使えないのです。

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ちなみに、先⽇コメントを頂いた読者の⽅からは、魂という海の中にバケツとコップを⼊れて⽔を満たし、その時に、「バケツが⾁体」であり、「脳がコップ」であるという、解りやすい例えをしてくれました。

そして、わたしたち⼈間が、この世以外の世界、つまりあの世の世界を認知する事も⾃由に⾏き来する事も出来ないのと同じ様に、どうやら、四次元世界に住む魂も、さらに上の階層である五次元以上の世界には、⾃由に⾏き来することが出来ない様なのです。

なぜかというと、上の次元に⾏くに連れて、空間を構成する波動の周波数が⾼くなるために、そういった周波数が⾼い世界で⽣存するためには、⾃分⾃⾝の魂の波動の周波数域も⾼くないと、その世界に存在することが出来なくなるためです。

そのため、スピリチュアルでよく⾔われているのは、「アセンションによって次元上昇が起きると、波動の周波数が低い⼈は⽣き残れないのではないか?」なんて⾔われているのです。

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霊界の魂たちにとっても、神の明確な定義は解らない!?

わたしたち⼈間が、「あの世ってどんな世界なんだろう?」「神様の存在ってなんなんだろう?」と考えるのと同じ様に、四次元世界に住む魂たちにとっても、「噂に聞く五次元世界ってどんなとこなんだろう?」「神様ってどんな存在なんだろう?」と、正確には解らない様なのです。

もちろん、四次元世界の住⼈は、さらに上の五次元世界、六次元世界が存在するということは、皆んな知っているのですが、ただ、そこへ⾃由に⾏き来することは出来ないのです。

そのため、「神様の存在」や「宇宙の中⼼となる万物の創造主の存在」については、わたしたちがこの世でスピリチュアルを学ぶのと同じ様に、霊界に住む⾼次な世界の魂たちも、神については、常に研究と勉強をしているのです。

そういえば、聖書にも、⼈間には「第⼆の死」があるとされ、幽界で死んだ魂が、更に上の霊界に⾏くとされていました♪

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ただ、上の図からも解る様に、次元が⾼くなるといっても、下の次元の世界は内包しているのです。

そのため、四次元世界の魂は、⾃由に三次元物質世界に介⼊できますし、更に上の五次元世界の魂は、それ以下の四次元世界、三次元物質世界に介⼊できると⾔えます。

つまり、わたしたちが普段から認識しているのこの物質世界(⼈間界)は、宇宙の中のごくごく⼀部の限られた世界でしか無いのです。

そのため、わたしは「この世は仮想現実である」という表現を使っているのです。

実際、この世よりも、霊界のほうがはるかにリアリティーがあり、実体感がある世界なのです。

四次元以上の⾼次な霊界の魂からすれば、三次元物質世界は、酷く窮屈で制限された世界です。

まるで、わたしたちがコンピュータゲームで、競争⼼や殺戮のストーリーに溢れた出来の悪いRPGを楽しむようなものなのですね。

そのため、霊界の魂からしたら、⼈間界に⼲渉することはとても過酷な事であり、本当はやりたくないことなのです。

これは、宇宙⼈などの⾼次に魂が進化した存在からしても、同じことです。

そして、地球外の星から、そんな過酷な任務にも⾃ら志願して、この三次元物質世界に合わせた⾁体という防護服を着て、⼈助けのためにわざわざ地球に転⽣してくるのが、「ライトワーカー」と呼ばれる魂です。

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→ライトワーカーの特徴とは? ⼈⽣が⾟い⼈はライトワーカーかも!?

霊界などの四次元以上の⾼次な世界には、時間の概念がありません。

と⾔うよりも、霊界は、時間の概念が⼈間界とは違っていて、過去・現在・未来が、同じ時空に重なるように無数に存在していて、そこのどの部分に意識を向けているか?といえます。

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そのため霊界では、頭で思っただけで思考は現実化しますし、⾔葉も必要なく、会話はテレパシーを使うことになります。

更にそれだけではなく、霊界の中の幽界という所には、「天国や地獄」と呼ばれる世界もあります。

とは⾔っても、これは他の記事でも書きましたが、明確に「天国」「地獄」とふたつの世界があるのではなく、⼈間界で⽣きていたときの魂のレベルが、そのまま霊界でも反映されるだけです。

そのため、この世で天国のような⼈⽣を⽣きてきた⼈は、同じ様な天国の様な世界へ、この世で地獄のような⼈⽣を⽣きてきた⼈は、地獄の様な世界へ⾏く。

というのが正しい解釈かと思います。

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→地獄に⾏く⼈と天国に⾏ける⼈の、特徴や違いとは? こんな⼈は地獄⾏きです!

霊界の事を知らなければ、⼈⽣を⽣きているとは⾔えない!?

わたしたちのこの世での⾏いは、死んでからもそのまま霊界に影響を与えるために、霊界の住⼈からすると、⼈間界に住むなるべく沢⼭の⼈達に、天国に⾏って欲しいのです。

何でかって⾔うと、そうでないと、地獄界がどんどん⼤きくなってしまうからです。

しかし残念なことに、最近は霊や神を信じない⼈が増えたせいで、現在、地獄界は満員状態で、霊界の中でどんどんと地獄が拡⼤してきてしまっているのです。

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だから、霊界からすれば、これを⾷い⽌めたいという⼀⼼で、いろんな⽅法で⼈間界にアクセスし、なるべく多くの⼈が地獄へ⾏かないような⽣き⽅ができるように、様々な⼿法を試みているのです。

しかし、そんな霊界の気持ちもつゆ知らず、現在の⼈間界は、相も変わらず「憎しみ」や「憎悪」に溢れた世界となってしまっているのですね。

このように、霊界を含めた宇宙の構造は、本当はものすごく広くて、多種多様に満ち溢れた世界であると⾔えます。

そのため、今回は上の様に無理やり図解化してみましたが、実際は、霊界を図解化することは不可能なのです。

三次元物質世界、四次元幽界(天国〜地獄)、霊界(五次元〜11次元)、神界・・・

この宇宙は想像を絶するほど多様性に溢れた世界であり、その中の極々⼀部の世界が、わたしたちが暮らす三次元物質世界である⼈間界です。

わたしたちの魂は、霊界の事を知らなければ、本当の意味での「⼈⽣を⽣きていない」とも⾔えます。

霊界を信じないという事は、「仮想現実でしかない、ネットのSNSや掲⽰板が全てだ」と考えている引きこもりと同じ様なものなのです。

最後に

今⽇も前回に引き続き霊界や魂について書いてみました。

スピリチュアルが好きな⽅に、少しでも霊界の真相が伝われば幸いです☆

読んでいただき、ありがとうございました!

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惜しみなく与える。

   


スピリチュアルな視点から言えば、私たちがこの世に生まれてきた目的は、いろんな体験を通して魂を磨くためです。

そして、魂磨きの大半は、人間関係を通して行われます。

その魂磨きの「道場」は、現役時代は「職場の人間関係」が中心でしたが、定年退職後のシニア人生では、当然「家庭内での人間関係」が中心になります。

・夫婦仲がギクシャクしている…。

・家族との折り合いが悪い…。


他人には優しくできるのに、連れ合いや家族が相手だと、甘えや自我(エゴ)が出てしまい、優しくできない、または冷たくされてしまう。

私なんか、そんな体験をしょっちゅうしていますが、



こんなブログを日々更新しているおかげで、「自分の人生は、いつか終わりが来る」と言うことを強く意識するようになり、夫婦や家族との関係も、自分の向き合い方を工夫することで、より良い方向に改善してみようという気になっています。

…なんて、カッコ良いことを書いていますが、実は自分が死んだ時に「良いダンナだったのに…」「良いお父さんだったのに…」と、惜しまれながらあの世に旅立ちたいという下心満々の企みだったりします(笑)

本日のテーマは、「惜しみなく与える」です。



惜しみなく与える

最近、ネット検索の途中で「惜しみなく与える」というキーワードを目にしました。

「惜しみなく」というレベルでは、私なんかまだまだですが、

私のように、家庭や身近な人間関係に苦戦しておられる方の参考になればと、今回のテーマにしました。



投げかけたものが返ってくる

宇宙の法則は、至ってシンプルです。

自分が出したエネルギーは、必ず自分の元に返ってきます。

愛のエネルギーを循環させるほど、神様は喜ぶのです。

与えることが先。

お金でも、

習得した知識や技術でも、

体力でも、

手間でも、

あなたが授かっているものは、人のために循環させて下さい。

周りに投げかけた愛は、いつか形を変えてあなたの元へ返ってくる仕組みになっています。

あまり難しく考えないで、「自分も気分が良くなるから、人に親切にしているだけ」と言うつもりで始まれば良いのです。

※参照サイト:スピリチュアル・ライフ


その気があれば、今からでも家族の絆は結び直せる
▲2015年11月の更新記事から

夫婦や家族との関係に苦戦しているあなたの中にも、素晴らしい資源が眠っています。

・相手のことを思いやれる優しい気持ち

・相手の未熟さを赦せる許容力

・相手のことを否定しない謙虚さ

それは、神様からの授かり物です。

その授かり物を惜しまずに使いこなして、家族の絆を日々慈しんでゆきましょう。


想いは言葉にしないと伝わらない

相手への愛とか感謝とか、そんな目に見えないものは、言葉や行為など形に表さないと相手には届きません。

「今更そんなこと、いちいち言わなくても分かるだろう!」

ダンナさん、それはあなたの単なるごう慢であり、甘えであり依存心ですよ。

愛や感謝は、形に表してこそ相手に届きます。

もっと家族に気を使って下さいませ。

「ありがとう!」って、その都度相手を見ながら笑顔で言って下さいませ。

たまには、部屋やお風呂の掃除なんかをして奥さんを喜ばせて下さいませ。

最初は相手にされなくても、神様にお供えしているつもりで、ただ黙々と続けて下さいませ。

ドンドン与えて下さいませ。

出し惜しみせずに与えて下さいませ。

与えれば与えるほど、相手から喜ばれるんです。

相手が喜んでくれると、心が豊かになっていくんです。

心が豊かになっていくと、良いコトがいっぱいやってくるんです。

ですが、見返りは期待しないようにしてくださいませね。

与える時は出し惜しみせず、与えることに専念するコトです ♪

…と、私は自分にそう言い聞かせています(苦笑)


私の善行の難関

さて、私が「神様へのお供え」として心がけている中でも、難易度の高い善行は、

「相手の存在を否定しないこと」

です。

この善行は、なかなかやりがいのある善行です。

誰でも、相手から否定されたら気分が悪くなります。

自分の方が正しい場合でも、相手の気分を傷つけぬようやんわりと気づいてもらう配慮が工夫のしどころです。

それ以上に手こずるのは、

自分が置かれた状況に「不平・不満・愚痴」を言わないこと。

これは、自分に対する善行です。

ため息をついたら、口から「幸運」が逃げてゆきます。

その状況をゲームだと思って楽しむようにしています。

このような善行を、1ヶ月、2ヶ月と、神様へのお供え物だと思って続けていると、なんとなく気づきます。

「運が良くなり始めたなぁ…」

幸運とは、待つものではなく、こうして呼び込むものです。



▲漢字/漢和/語源辞典より

上図の『福』と言う字を見て下さい。

左の部分の「ネ」(示)は、神をまつる祭壇の形を表しています。

右の部分は、品物が沢山入っている倉の形(酒樽に酒をたっぷり満たしたさま)を表しています。

「福」という文字は、神様にお酒をお供えして幸せを祈るさまから成り立っているのです。



神様が喜ぶことをするということは、神様にお供え物をすることになります。

別の言い方をすれば、「徳を積む」ということになります。

「徳を積む」って何かと言えば、「人の得になること」をさせて頂くことです。

それが、神様にお供え物をすることになるのです。


▲2015年9月の当ブログ更新記事

私が普段から心がけている徳積み

・誰にでも笑顔で、腰を低くして接すること。

・家族から頼まれた仕事は、手を抜かないこと。

・一日10回以上、「有難う」と感謝をすること。

・自分が疲れた時ほど、相手の疲れを気づかうこと。

上記のようなことを普段から心がけています。

それでも相手によっては、

・挨拶を返さない。

・お礼を言わない人。

など、こちらの配慮を気づかない・気にしない人も確かにいます。

だけど、そんなことを気にしてはイケマセン!

人を喜ばすためにやる善行に見返りを求めてイケマセン!

それでは「取引」になります。



感謝されなければ止める好意など「善行」ではありません。

誰からも感謝されなくても構いません。

その好意を、神様にお供え物をするつもりでやれば良いのです。



さあ、ここからが重要なところです!

神様へのお供え物である「福」のお下がりは、誰が頂けると思いますか?

そう、お供えした人が頂けるのです。

しかもそれは、神様の波動をたっぷり浴びた「幸運のお下がり」です。

「福」とは、神様へのお供え物のお下がり。

神様から授かった揺るぎない「しあわせ」。

その「福」を、神様から沢山もらえる人は「至福の人」です。

ああ、ありがたや♪ ありがたや♪


善行は続けることに価値がある

その善行を続けること自体に価値があります。

その動機は不純でも、その善行の尊さは同じです。

・この寒空の下で、自分のパンツを干してくれる奥さんに感謝する。

・バス停で並んでいる時に足元に落ちているゴミをさっと拾って後でゴミ箱に捨てる。

・通りがかりの駐輪場で、子供の自転車が倒れていたら、ひょいと起こしてあげる。

・集まりがあれば、自分の方が年上でも真っ先に挨拶をする。

・向きあった相手には、いつもにこやかな笑顔を心掛ける。

・スーパーのレジに行列が出来ている時にこそ、係の女性に「いつもありがとうね」と声をかける。

善行とは呼べないほどの、何気ない心遣いでも意識して続けることに意味があり、価値が生まれます。

情けは人のためならず

「情けは人のためになるだけでなく、巡り巡って自分への報いとしてかえってくる。だから、惜しまず親切にしましょう。」

というのが本来の意味。

動機が不純であっても、いつもニコニコ出来て、人に優しく出来るのなら、神様は大目に見てくれるに違いありません。

いつも、自分や他人に対して温かく柔らかくありましょう。

それで、自分自身がいつも機嫌良くいれたら何よりです。



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人生のその後の世界

   


前回の更新記事の最後に「死ぬことを前提に生きる」というサイト記事を紹介しました。

「自分の人生は、いつか終わりが来る」と言うことを強く意識して、その日その日を満喫しようという提案です。

今回のテーマは「人生のその後の世界」です。



昨年暮れに、ガン治療で入院している先輩Aさんを見舞いました。

Aさんは、私の手を強く握りながら「俺、死ぬのが怖いんだよぉ」と泣きそうな声で言いました。

私は、死ぬのが全く怖くありません。

死んだ後の世界があることを知っているからです。

以前、友人の一人が「幽霊が見えるって不自由なモンだよ」と嘆くのを聞いた時に、私は死後の世界の存在を確信したのです。



小学六年生は、3月に控えた卒業式を怖がったりしません。

4月からは、中学生と言う新たなステージが始まることを知っているからです。

上述したAさんも、「人生のその後の世界」を知っていれば、「死」を恐れる必要はなくなります。

勿論、死を目前にした人が、死後の世界の存在を急に受け入れられるかどうかは、とてもデリケートな問題です。

しかし、太古の昔より、もう何万回も転生を繰り返している、あなたや私の魂さんにとっては、この人生における「死」も、"いつもの研修期間の終了"ぐらいの感覚でしかないようです。

今回のテーマは「人生のその後の世界」です。

「死んだあとの世界」への理解を深めることで、私たちシニアも「この人生の最後の3学期」を有意義に過ごす新たなる意味を見出せるのではないかと思います。



ネット検索をすると、死後の世界に関する情報には、恐怖をあおるだけの下劣な記事がたくさんあります。

さらには、自分たちの宗教への勧誘目的の都合のよい記事が多いのも事実です。

けれども、これから転載する「死んだ後の世界」に関する記事には違和感を感じません。

20数年間、いろんな精神世界の本をずっと読んできた私でも「フムフム、なるほど!」と思った記事です。

読む人によっては、「全くのデタラメだ!」と拒否反応を示す人もいるかも知れませんが、個人的は、納得のゆく内容だったので紹介することにします。

出来るだけ距離を置いて、面白いフィクションとして読んで下さい。

真に受けないで下さい。

しかし、そんなこともあるのかもと思えば、今の環境や状況に合点がいくことも個人的には少なくありません。

では、早速、転載します。


臨死体験者の共通した体験

ネット上で書き込まれていた「臨死体験談」を掲載します。

信じる信じないは、あなた次第です。

1)医師が「ご臨終です」などと家族に言っている「自分の死の宣告」を聞いている。 

2)自分自身の身体を少し高いところから見下ろしている。周囲の人の動きも見え、話し声も聞こえている。 

3)突如、暗闇の中に突入する。トンネルのような暗闇である。 



4)暗闇のトンネルを抜けると急に明るくなり、楽園のような世界に降り立つ。 

5)そこで、すでに亡くなっている家族や友人たちと出会う。 

6)光の精ともいうべき、何か輝く存在が現れ、生か死か選択を迫られる。 

7)一生の出来事が次々思い出され、生涯を振り返る。 

8)このまま死の世界へ行くか、現世に戻るかを決定する。

※中には、生前親しかった人から「帰れ」「来てはいけない」などと言われて戻る決意をする人もいる。


●引用サイト:NAVER


▲2015年11月の更新記事より

例えば、あなたが今、ある一冊の面白い小説を読んでいるとします。

ハラハラ・ドキドキ・ワクワクの連続で、

心ときめいたその物語も終盤にさしかかり、あと数ページで終わろうとしているとします。

なんだか、とても寂しい気分になります。

しかしあなたには、他に読みたくて仕方ない、いろんな小説があと1万冊以上もあると思い出せたら、その残り数ページしかない寂しさは薄らぎます。

「死」とは、怖いものではありません。

「死」とは、生きるステージが変わるだけのことです。

「死んだあとも終わらない」と知ることで、残された一日一日を安心して暮らせます。



縁あって家族となった者同士。

「そうか、私が自分の未熟さに気づくための悪役を演じてくれていたのか!」と気づくことで、

お互いに肩肘張って不仲になった関係も、自分の方から歩み寄って、

「絆を結び直そう!」

そんな気になれるかも知れません。

正月三が日に10時間以上も費やして、いろんなサイト記事から優良な情報を厳選しました。

「人は死んだらどうなるのか?」

それは終わりではないことを、あなたに知って欲しくて今回のテーマに取り上げました。

是非、読んでおいて下さい。


▲引用先:ガジェット通信

末期患者と接するなかで、彼らが口にする後悔の言葉をまとめた『死ぬ時に後悔する5つのこと』

ある看護師が書いたこの本に掲載されたリストが、webメディア「Collective Evolution」で紹介されていました。

人が死を前にして本気で後悔することとは?

そこには、生きる上でのヒントが隠されています。

1)期待に応えるよりも自分らしく生きればよかった

これは、最もよく聞く後悔の言葉。

人は、人生が終わりに近づいていることを悟った時、「もっと自分らしく生きていたかった」と考えるようです。

叶わずに過ぎ去っていった幾つもの夢があれど、ほとんどの人は、そのうちの半分にも全力を尽くせずに時間を費やしてしまいます。

そして、それが自分の決断次第だったということに気づくようです。

健康は人を盲目にします。

それがもう長く続かないとわかるその時まで、自由を見えづらくしてしまうのです。

2)あんなにがむしゃらに働かなくてもよかった

これは、男性のほとんどが語っていたこと。

彼らの多くは、自分の子どもたちの幼い頃や、パートナーとの関係を懐かしみます。

もちろん女性も同じようなことを語りますが、その多くは男性でした。

昔は、男性が家計を支えるのが当たり前だった時代だったせいもあるでしょう。

とくに高齢の男性たちは、馬車馬のように働き続けて人生の時間を無駄にしたことに深く後悔していました。

3)言いたいことを我慢せず、はっきりと口に出せばよかった

多くの人が周囲との人間関係を円満に保つために、言いたいことを我慢しています。

その結果、どうでもいいような関係を続け、本音のやりとりがないまま時間が刻々と過ぎていく…。

いろんな思いに腹を立てて、溜め込んで、泣いて、怒って、その結果として病気になってしまう人がどんなに多かったことか。

4)もっと友達と連絡をとればよかった

付き合いの長い友達の大切さに死ぬ直前まで気づかない人はたくさんいます。

関係を続けることよりも、自分の生活で手一杯になって、年々大切な友達と疎遠になってしまうこともあるでしょう。

なぜもっと、友達関係に時間と努力を費やさなかったのか、みんな死の間際になってはじめて後悔するのです。

5)もっと自分の幸せを追求すればよかった

これも驚くほどよく聞く意見。

死ぬ寸前まで、幸福が選択肢であることに気づけないのです。

古いパターンや習慣にとらわれて、慣れ親しんだ快適さや身体的な条件の前に情熱を忘れてしまう。

あるいは、変化に臆病になって、他人の真似やいつも通りの自分のままで生きてしまう。

そして、いつの間にか自然に笑って生きることができなくなっている…。

笑ってしまうような無邪気な人生を取り戻したいと、最期になって心から後悔するのです。


▲幸せを呼ぶ青い鳥たち


上記の「末期患者たちが死を前にして本気で後悔する5つのこと」を読んで、あなたはどんな感想をお持ちですか?

私もきっと、5つの中のいくつかを死ぬときに後悔するだろうなぁと思いました。

この本に登場する末期患者たちは、「もし、やり直す時間があれば…」と悔やみながら死んで逝ったのです。

Today is the first day of the rest of your life.

(今日という日は、残りの人生の最初の一日。)

しかし、私たちには、やり直す時間が沢山あります。

死ぬときに後悔しそうなことを思い浮かべて、少しでもそれを減らせるように心がけてゆきたいものです。


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