奥様に言ってはならない「NGワード」

 
転載記事▲http://shop.kagome.co.jp/lp2

巷では、後を絶たない
不倫の話題で賑わっていますが、

ここ最近増え続けているのが、
同居期間20年以上の夫婦による離婚、

その名も「熟年離婚』。

この熟年離婚を切り出すのは
圧倒的に奥様の方が多いとのこと。

長年夫婦生活を続けていられる方なら一度くらいは、
「我慢の限界!いっそのこと別れた方が楽!」と

「離婚」というフレーズが
頭をよぎったこともあるかもしれません。

それは、いつも

「一緒にいるのが当たり前」の夫婦だからこそ、
互いの気持ちや考え方をないがしろに
してしまうことが発端であるケースが多いようです。

ブタロー注) ホントは当たり前じゃないのにねぇ(苦笑)

-------------------

ちょっとしたひと言で大惨事
言ってはならない夫婦間のNGワード


「こちらが話しかけているのに、
聞いてないふりをする。」(50代女性)

「どんなことにもいちいち、
不平不満を言う。」(60代男性)


ブタロー注)
コレ、あるある!(#^.^#)

やはり、お互いを受け容れる寛容な心が
乏しくなっていることに原因がありそうです。

同じ日常の繰り返しの中で、
互いの愛情が風化してしまい

目の前の小さな幸せに
気づかなくなってしまっているのでは。

大切なのは、パートナーをもう一度
客観的に見直すこと、

それには第三者の存在に
活路を見出すのがおすすめです。

例えばペットを飼うことはいかがですか?


夫婦の共同作業が増え、
お互いの存在を再認識できるので

夫婦間の仲が劇的に改善されたという声も
数多く聞かれます。

次に、そんなペットの存在すらも通用しない、
「熟年離婚にまっしぐら!」の

夫から妻へ決しては言ってはならない
炎上必至のNGワードをご紹介します。

その1:
「誰が稼いでいると思っているんだ」


こう言われたら、誰が子育てしたり、
家を守ってきたと思ってるんだ!って
言い返すしかありません。

とても同じ屋根の下で
暮らしてきた人の発言とは思えません。

その2:
「疲れているから後にしてくれ」


疲れているのはお互い様、
こっちだってあなたに言いたくて
言ってるんじゃないのよ!

疲れが倍増してしまいそうなフレーズです。

その3:
「また文句か!」


奥様の口から出る言葉を
すべて文句に分類してしまう。
端的な言葉だけに問題の根深さが伺えます。

その4:
「もっと俺に感謝できないのか?」

男尊女卑が根底に息づく、
時代遅れのフレーズと言えます。

すべてに共通することは
「働いている俺様が偉い!、
毎日頑張っているのは大黒柱の俺だ!」と
言わんばかりの上から目線であることです。

もちろん、

住宅ローンのプレッシャーと戦いながら
家計を必死で支え続けるご主人のご苦労も
賞賛されるべきものです。

ただ、奥様は奥様で、結婚されてからというもの
家事に子育て、ご近所付き合いから家計の管理、
ひとり何役もこなしてきたのですから、

一方的に

「頑張ってきたのは俺だ!」的な
ご主人の上から目線が気に入らないのも当然です。

「頑張っているはお互い様!」ですから、
まずは心の余裕を取り戻すべく
心身ともにリセットすることが何よりも必要です。

たとえば、休日に
奥様の買い物に付き合うのはいかがでしょうか?

昔はそれを「デート」と呼んでいたのですから、
それをまた行うだけのこと。

大切なのは同じ空間で
同じ時間を共有することです。

それが自ずと連帯感を強め
お互いを思いやる気持ちを
再燃させることに繋がります。

いきなり二人きりでの
ショッピングが難しい場合は、
近所のスーパーでもいいのです。



夫婦仲良く過ごすのに、
気の利いたアイデアはいりません


大切なのは

同じ目線の高さで
コミュニケーションをはかること。


それが出来れば熟年離婚とは無縁の
円満な夫婦生活が送れるはずです。

まずは、いつも当たり前だと思っている
日常のルーティンワークから
見直してみてはいかがでしょうか。

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雑記つれづれ | コメント(1) | トラックバック(0) | 2016/08/20 03:05

進言



見方を変えれば、
「神様はナゼ?」と考えれば、
気づきを深めれば、
どんどん幸せになれます!
どんどん有難くなります。

それしかありませんよ。


幸せの思考法 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2016/08/05 03:10

いろんな見方があって面白い



小さな会社を起業して、
社長といってもスタッフは三名ですから、
自社製品の良さを売り込みに奔走する毎日です。

毎日、いろんな会社の担当者と話をします。
実にいろんなタイプの方がいます。

同じ話題でも、
そんな見方をする人がいるのかと
ビックリさせられることがあります。

本日のブログでは、私が聴き入って感動した動画に
意外な感想コメントがあったので、
そうした参考事例として掲載します。

結論としては、自分がなるほどと思ったことでも、
そうではない人もいて、決して絶対ではない!
ということになるかと思います。


▲https://www.youtube.com/watch?v=Z19EUIU8gzc

動画の文字原稿(概要)

人と人、心と心が通い合っている時というのは、
私たちはこの上もない幸せを感じるものです。

そのために私は「感謝の心」とそして常に
自己を省みるこの「反省の心」、

そして相手を思いやる「敬意の心」、
この三つがとても大切だと思います。

何故、私がこういう考え方に到ったかというと、
昔、大峯千日回峰行という
修行を通じて得た世界観だと思います。

千日行とは1日48kmの山道を1000日間歩き続け、
その行が終わると今度は9日間に及び
飲まない、食べない、寝ない、横にならないという
修行を続けます。

私は幼い頃この修行をある日テレビで知りました。

とても純粋な気持ちでこの修業に
「挑戦したい」と思いました。

なぜ 10代の子供がこのような修行に
挑戦したいと思ったのかはわかりませんが、
小さい頃からみんなが仲良くするためには
どうしたらいいのだろう。

そして、どうして人と人とは争うのだろう。

それを解決するには、一体どうしたら良いのだろう
ということにとても興味を持っていたからかもしれません。

私が挑んだこの千日回峰行をお話しする前に、
少しだけ日本人が持つ宗教観について
お話ししたいと思います。

この日本という国には昔から日本人が信じてきた
「神道」という民族の宗教がありました。

そこに538年大陸から「仏教」が伝わって、
この二つは共に排他性と独善性が少ないため
日本において結びつきました。

大自然に対しての共存や感謝の気持ちを大切にする
「神道」と人間がよりよく生きていく為の生き方を
提示してくれる「仏教」が

この日本という国において
深く融合しやがて「和」の精神を
大切にするようになりました。

そして、

大自然に「生かされている」という
世界でも珍しい考え方をするようになったのです。

たとえば、 2011年3月11日この東北という
地域に大きな地震と津波が襲いました。

私達は大きな苦しみと多くの困難を抱えました。

深い悲しみの中でも人々は互いに助け合い、
そして食料を分け合い「和」の精神を大切にして
精一杯生きておりました。

その姿が世界中に発信され
「日本人は素晴らしい」と多くの賞賛を得たと
聞いております。

震災からしばらくするとある海外のメディアが
「この日本という国の人たちは

大自然に生かされているという考え方を持っていて、
いつまでも自然を恨んではいないこれには驚きです」と
コメントしたことがとても印象的でした。

そういう信仰観のあるこの日本ならではの修行である、

まさに大自然と向き合う大峰千日回峰行に挑戦するため、
私は奈良の吉野山・金峯山寺に向かいました。

この行に入ると一日48kmの山道を
16時間かけて毎日歩き続けなければなりません。

そして5月の3日から9月の3日までの4ヶ月間を
行の期間と定めその期間は雨が降ろうが
嵐が来ようがどんなに体調が悪かろうが

途中で辞めることができません。

もし万が一、途中でやめなければならないと
自分で判断したならば、

短刀でもって腹を切って
その場で行を終えるという厳しい掟があります。

なぜそこまで厳しいかというと、
たった1日でも48kmは大変なこと。

これを千回も続けるということは
死ぬくらいの覚悟がなければ、

この行には入ってはいけませんという
強い戒めのための掟であり、
命を軽んじている考え方ではありません。

行に入ると毎日23時30分に起床します。

そして滝に入り装束を整え
おにぎり2つと500mlの水を持って
午前0時半、目指す山頂が24km先にある
1719mの大峯山山頂を目指します。

途中、急な斜面や断崖絶壁のような悪路もあり、
まさに一瞬一瞬が命がけです。

山頂到着が朝の8時30分、
そこでおにぎりと水を補給し

また来た道をたどって帰ってくると夕方の3時半、
そこから掃除、洗濯次の日の用意をして
また4時間半ほどの睡眠でこの4ヶ月を通します。

一日のほとんどがおにぎりと水で生活しますので、
一か月ほどで栄養失調でぼろぼろと爪が割れてきます。

三か月目になると40度以上を超える
気温の中歩きますので血尿が出てしまいます。

山では熊、猪、マムシが
いつ襲ってくるかわかりません。

そういった中を日々精一杯前を向いて
歯を食いしばって修行をいたします。

行の中で私は心に思ったことを
日記に書きつづっていました。
それを拝読してみたいと思います。

17日目 “行者なんて次の一歩が分からないんだ。
行くか行かないかじゃあない。
行くだけなんだ。理屈なんか通りやあしない。

もし行かなけりゃあ、短刀で腹を切るしかない。
そう 次の一歩が分からないんだ

行に入ると肉体的・精神的には
非常に日々極限状態に追い込まれます。

しかし、心の中はいつも潤っていました。

それは何故かというと、
自分がこの行を通して精一杯努力をして

何か世界の人たちのために
何かお役にたてるような人間になりたいと

いつも心の中で強く夢や希望に
満ち溢れていたからかもしれません。

しかし、1300年の中で、

まだ一人しか達成していないという
この修行は困難を極めました。

最低3回は生きるか死ぬかの
試練があると言われております。

まず1回目は大きながけ崩れに
巻き込まれそうになったこと、

2回目は熊に襲われかけたこと、

そして3回目は
488日目から10日で11kgも
痩せてしまうという体調不良でした。

489日

「腹いたい」
「たまらん」
「体中のふしぶしが痛くたまらん」

道端に倒れ、木に寄りかかり、
涙と汗と鼻水を垂れ流しでも

人前では毅然と
俺は人に希望を与えさせて頂く仕事、

人の同情を買うようでは
行者失格だと言い聞かせ
やっと蔵王堂に帰ってきた。

なんで48km歩けたんだろう、

さっき近所のおばちゃんが
「軽い足取りやねえ 元気そうやねえ」と

俺は「はい ありがとうございます」と答えたが
本当は違うんだよ。

俺の舞台裏は 誰も知る人はいないだろう、
いや知ってくれなくていい。

誰に見られることを意識しない
野に咲く一輪の花のごとく、

「御仏に対しただ清く正しくありたい」

何日も高熱が出て何も食べることができず、
そして、私は495日目とうとう山の中で
力尽き闇の中に倒れてしまいました。

その時の心境はというと
「辛い」とか「苦しい」とかという感覚は
全くありませんでした。

そして

何かにくるまれているような
そういう感覚でした。

そして朝を迎えたら
自分がここで死を迎えると
自分で感じておりました。

すると、幼い頃からの記憶が蘇り
いろんな人にお世話になった事を思い出し、

こんなところで倒れてはいけないと
強く前に進んだから今の自分がここにあります。

人間が生死を彷徨うような体験をすると
人生観が変わると言いますけれども、
その後書きつづった日誌を読んでみましょう。

563日“人間は皆平等であると思います。

この地球に生まれ、空気も、水も、
光も平等に与えられていることを
感謝しなければならないと思います。

夜空の星の数は人間が
一生かかっても数えきれないといいます。

それを考えたならば、もっと心豊かに
生きていかなければならないと思いました。

自分の胸に手をやれば心臓が動いています。

しかし、永遠に動いていることはないと思えば
人生という与えられし限られた時間を
大切に生きれるはずです。

自分を大切にするように

他人をも尊重するということも
忘れてはいけないと思います。

思いやりの心が私たちに幸せをもたらす道です。

朝起きる、歩く、食べる、寝る、
人間生活の原点にかえりたった
一人お山にいるとこんな事を考えてしまいます”

「同じことを同じように繰り返して
情熱を持って毎日を過ごしていると悟る可能性がある」と

今から2500年前釈尊が言われました。

ここに行の意味があります。

日々、汗し涙しそして歯を食いしばり歩いていると
「人間として大切なものは何か」ということに
自分が気がつき始めます。

その極限の世界で感じたことが
「感謝の心」であり「反省の心」であり

相手を思いやる「敬意の心」。

しかし、こういうことは、
とても日常当たり前のことであって
小さい頃家庭で教わるようなことです。

けれども、自分自身が
本当に生きるか死ぬかの瀬戸際になったときに

「こういうことが大事だったんだ」ということが
心の奥底で実感できるようになるのであります。

大切なのはあらゆる存在との調和だと思います。
我々一人一人は かけがえのない存在であります。

誰でも自分が可愛くて自分が大切です。

だからこそ自分を大切にするように
人を尊重するという事を第一に考えなければなりません。

心から相手を思いやるその思いやりの心や言葉や行動が、
人と人とをつなぎ合わせその功徳が回り回って

自分の心を潤し、そして我々が光ある人生へと
導かれていくことでしょう。

争い対立からは心の喜びは生まれません。

今、与えられたこの環境を真摯に受け入れて
向き合ってみることも大切です。

向き合うことによって初めて何かが生まれます。
そして絆が深まります。

もちろん向き合うことによって
様々な問題を抱えてしまったり
困難を抱えてしまうかもしれません。

しかし、互いに尊重し合い敬意を払い
話し合うことによって、
そこで新しい方向性が見えてくる場合もあります。

私たちこの東北人も大きな困難と向き合い
そして絆を深めてきたからこそ
今ここまで復興してまいりました。

日本人はよくあいまいだと言われますけれども
決してそんなことはありません。

多岐にわたる選択肢の中から
人と人とをつなげて、
そして良き方向へと考えられる民族です。

この「和」の精神を日本の東北から
発信していかなければならないと私は思います。

世界中の人と人そして国と国、
宗教や文化が互いに敬意の心をもって

お互いを尊重しそしてすばらしい世界が
この世の中に実現することを心から深く願います。

世界の平和や我々一人一人の人生に
「幸あれ!」とみんなで祈りましょう。

そして、今日も世界のどこかで
食料が無く大変な思いをしている人たち、

こういう人たちのために
何かできる範囲内で私たちが
行動をおこなさなければならない時期だと思います。

心を広く持ってみましょう。

この大自然は 微妙でかつ素晴らしい
バランスでもって包み込まれております。

人間がどのような技術を持ってしても
作られない素晴らしい世界に包まれています。

ここにいることだけでも感謝だと思います。

そして、
人と人、心と心が通い合った時、

私たちはこの上もない
幸せを感じるものだと思います。

そのために、私たちはこの地球に
生まれてきたんだと思います。

皆さんの人生に幸あれと心から願います。
ありがとうございました。

--------




これはこれで凄まじい人間の
努力の結果だと思いました。

しかし、残念なことに
私にはそれ以上に感銘を受けることが
できませんでした。

インドのヨガ行者にも
極限的な難行苦行の果てに、

肉体も脳もボロボロになり
心身障害者になっただけの人を
多く知っていますが、

この方は今回の行を通し、今後、
どのような悟りを世の灯火、

人の光としていただけるかだけに
大きな関心があります。



悟りですか?

千日回峰行ですか?

自慢話ですねぇ。

貴方の苦行より 
日々命掛けで戦っている人は多いのです。

生活を賭けないで、
回峰行三昧 好いですねぇ

うらやましい!

生活を賭け、屈辱に耐え、
ひもじい思いをしている人に比べたら、

気楽なものだ。

千日回峰行なんて自慢話で楽しいでしょう、

もし 貴方が
人を思いやる気持ちが有るのなら
自慢話は止める事だ。



1300年で一人
・・・だからどうしたんですか?

確かに中々できないことを
やり遂げたことには敬意を表しますが、

それによってこの方は
何を悟られたのでしょうか?

ありきたりの道徳的なことだけですか?

苦労話が大半ですね。
自慢話の類にしか聞こえません。

この修行をやり切ることが
目的だったとしか思えませんね。

修行の厳しさに自慢話より
悟った内容が肝心だと思いますがね。

その部分に対する確信と熱意は
ほとんど感じられません。

大変無駄なことに
時間と労力を費やされたみたいですね。

釈迦も難行苦行は否定しています。

あなたのお話で目の前の病苦・
経済苦・人間関係に悩む人を救えますか??

それがすべてです。

自慢話は聞いていても何の役にも立ちません。

雑記つれづれ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/08/01 05:36

感謝のエネルギー



私の日々の活動のエネルギーは、
「感謝のエネルギー」です。

特に相手あってのことは、
思うように進まないこともありますが、

それでも、こんな自主的な人生を
生かさせて頂いているそのこと自体に
感謝いっぱいだからです。

無理やりに前向きになろうとしているのではありません。
神様の支援がなければ、今の人生はありえないからです。

本日のブログでは、感謝のエネルギーの素晴らしさを
あなたにも知って頂けたらと思います。

詳しいサイト記事を転載いたしますね。


▲http://ameblo.jp

今日は引き寄せの法則でよく取り挙げられる、
感謝というもののエネルギー作用について。

引き寄せと感謝のエネルギーは、
切っても切れない関係にあります。

何かが起こるから感謝が湧くのではなく、
感謝は先に気づくもの、です。

人は見たいものを見て生きています。

なので、AさんとBさんが仮に同じ景色を見ていても、
感じていること、考えることは全然違うのです。

そして脳内では、優位に認識していることが
臨場感を持っていくので

内から外へ発せられたものにより、
創られる現実が変わっていくということになります。

全く同じことの繰り返しのように感じる日常にも。

ひょっとしたら、
とってもありがたいことがたくさんあるかもしれない。

ひょっとしたら、
とっても楽しいことがたくさんあるかもしれない。

ひょっとしたら、
これは当たり前ではないかもしれない。

ひょっとしたら、
私は周囲の人に思っている以上に
支えられているかもしれない。

このひょっとして、が
「気づき」に繋がっていきます。
 気づくと、今度は「感謝」が生まれます。

自分がさっきまで見ていた景色の
見え方がガラリと変わるのです。

どんな物事も別の見方をしたら、
みんな意味を持っています。

そうです、AさんとBさんと、見方が違うだけ。

気づきを得ていくには、
慣れすぎた脳のパターンを変える作業が必要なので、

だから、ひょっとしたら?という問いかけ
を使ってみるといいのです。

違う見方のバリエーションが増えるほど、
人生は豊かでありがたいものに溢れていきます。

幸せを引き寄せるんだ、という思考から
解放されるようになっていきます。

今私は持ってない、と思わなくなるから。

感謝を見つけるということは
それくらいパワーがあります。

私の愛読書から一つ名言です。

「自分がほめるものは何でも増える、
 という心の法則がある。
 創造のすべては、
 賛美と感謝に対する反応である。」
              
チャールズ・フィルモア

そう、褒めたらナンボでも増えるんですよ!


▲http://www.ne.jp

日本語の中で、「ありがとう!」という言葉ほど、
多くの人に好まれ、愛されて使われている言葉はありません。

「ありがとう」は、言葉のやさしさ、ひぴき、
そこに込められた感謝の気持ち、
それはなんと言っても最高の言葉です。

なぜなら、「ありがとう」という感謝の気持ちは、
心の深い部分、ハートから来るものだからです。

人は自分が認められたとき、
人のために何かをして、人から感謝されたとき、
大きな喜びと充実感を味わうことができます。

生きていることの喜びを感じる言葉、
それが「ありがとう」です。

すべてに感謝しましょう。

水を飲むときは、「ありがとう」と
感謝の思いを伝えましょう。

あなたの感謝の言葉に反応して、
水は美しい結晶を作るでしょう。

食事をするときは、
私たちに命を分け与えてくれる食べ物に、
感謝の思いを伝えましょう。
「ありがとう、愛してます!」と。

そうすれば、あなたに
最高のエネルギーを分け与えてくれます。

おとうさんにありがとう、
おかあさんにありがとう、
友達・友人にありがとう。

太陽にありがとう、
地球にありがとう、
すべての動物に、植物にありがとう。

目に見える友、見えない友に、
生きとし生けるものすべてに、
「ありがとう、感謝」。

「愛と感謝」、言葉で言うと
「ありがとう、愛してます」。

それは最高のエネルギーです。

「ありがとう!」と感謝を表すとき、その瞬間に、
私たちの体を取り巻く「オーラ」も光り輝きます。

心から感謝を表すとき、ハートが開き、
オーラも浄化され、波動も上がってきます。

体の中の感謝の響きはハートに共鳴し、
感謝のおかげで多くのものを
受け取ることができます。

感謝しているとき、笑顔しているとき、
最高にいい波動(エネルギー)が出ます。

そして、人から感謝されたときは、
その「最高のエネルギー」を受け取るのです。

ありがとうと感謝すると、自分だけではなく、
相手のエネルギーも高まるのです。

人から感謝されると、
「 何となく…気持ちよくなる」のは、
そこからくるのでしょう。

「ありがとう」という言葉には、
そのような「すばらしいパワー」が含まれています。

感謝、幸せのエネルギー

感謝は、より高い精妙な波動を引き起こし、
望むものを自分に引き寄せます。

感謝の思いは、大きな波動を引き起こし、
まるで磁石のように多くのものを自分に引き寄せます。

もし望むものがあれば、それに感謝する。
それが既に自分の手の中にあると確信して、
心から感謝してください。

あなたが「ありがとう」と言うとき、
体の中の感謝の響きは、自分の波動も高めていきます。

さらに声を出して言うと、いっそう強力です。
そして多くのものを引き寄せます。

体の悪い箇所があれば、例えば、
「私の肝臓さん、ありがとう」と感謝しましょう。

心の苦しみであれば、
「私のハートさん、ありがとう」と言葉をかけましょう。

「体の細胞を正常にしていただいて、ありがとう」と、
毎日毎日、「ありがとう」と続けるようにしてください。

その思いは一つひとつの細胞に伝わって、
細胞はエネルギーを高めます。

日常生活では、いつも意識的に多めに、
「ありがとう」を使うようにしてください。

気分がどんどん良くなり、いいことを引き寄せます。

どんな些細なことに対してでも、
「ありがとう」という言葉を惜しみなく使いましょう。

明るいエネルギーをどんどん出していったら、
身の回りのことが自然と良くなってきます。

また、落ち込んだとき、
悩みを抱えているときこそ、

これを実行したら、きっと状況がいい方向に
変わってくることでしょう。

そして、気持ちが穏やかになれば、
心の中に「ゆとり」も生まれます。

そのような「ゆとり」が持てるようになったとき、
他人にも思いやりの気持ちで接するすること ができると思う。

ちょっとした親切、良い行い

あなたが友人にやさしくしてあげると、
今度はその友人が誰かにやさしくしてあげます。

そして今度は、
その誰かが”別の誰か”に手を差し伸べます。

それが「ドミノ倒し」のように続いていきます。

そして、最後には振り出しに戻って、
「最初のあなた」に戻ってきます。

あなたが何かに困ったとき、
誰かが手を差し伸べてくれます。

それは見知らぬ人かもしれませんが、
最初のあなたに戻ってきたのです。

誰かのちょっとした行いで、
みんなが幸せになっていく。

そんなふうにして感謝の輪が広がり、
人がつながっていって、

そしてみんなが幸せになっていけたらいいと思います。

日常生活での感謝の活用!

言葉の大切さを知ったなら、
ここは大いに活用しましょう。

例えば、自分にとって必要な言葉を紙に書き、
それを部屋中にいっぱいに貼っておけば、

部屋はその言葉の持つエネルギーで
満たされることになります。

また、その言葉を目にするたびに、
それは「脳の細胞」にインプットされます。

目に飛び込むような「大きい文字」で、
パソコンでシールを作るのもいいです。

「愛・感謝」のようなシールをいっぱい作って、
部屋中にいっぱい貼りましょう。

コップ、ドアの入り口、机の前、
鏡の前、冷蔵庫など・・・手書きでもいいです。

そして、文字にするときは、
必ずプラスの言葉で書いてください。

言葉に出して言うときは、
「ありがとう、愛してます!」と。

大切なことは‥プラスの言葉を
紙に書いて貼ると同時に、
心の中から「不調和な思い」を取り去ること。


「奇跡の水」で有名なフランスの「ルルドの泉」。
その水を飲むと奇跡のように病気が癒えると言われる。

その水は、きっと愛と感謝に満ち、
「生命の源」と完全に調和した水なのでしょう。

だからこそ、その水を飲む人は
病気が癒えたりするのでしょう。

なんとなく、分かるような気がします。

また、今から100年以上も前、ヒマヤラの奥地に
不思議な廟(びょう)があったと言われる。

その廟は、建立以来これまで、数千年間の間、
ただ「生命・愛・平和」という言葉のみが口にされ、

それ以外の不調和な言葉は一切、
口にされなかったという。

それが強烈な波動・エネルギーとなって蓄積されて、
その廟全体を包み、体に病を抱える人は、
そこに来るだけでたちどころに病気が癒されたという。
(『ヒマラヤ聖者の生活探求-①』)

心の中に「不調和な思い」があれば、
愛と感謝のエネルギーがうまく流れないでしょう。

それは、エネルギーを受け取るための
「心の準備」です。

心の中を観察し、ネガティブな思いがあれば、
早めに取り除きましょう。


▲http://newstyle.link

感謝のエネルギーと交換して

富がやってくるということ

について、解説していきます。


富を得るには、

徳のエネルギーが

必要になります。


徳のエネルギーが

金運のエネルギーに変わり、

金運のエネルギーが

お金となって

現実化するからです。


そして、感謝すると

徳が積まれます。


したがいまして、

富を得たいのなら、

たくさん感謝して、

徳のエネルギーを

蓄積すると良いのです。


すなわち、

感謝のエネルギーと

交換して富がやってくる

とお考えください。


他者に感謝してください。

この世界に感謝してください。

神様に感謝してください。

生きていることに感謝してください。

あらゆる生命に感謝してください。

全ての存在に感謝してください。


感謝するとは、

具体的に言いますと、

「ありがとうございます」と

心の中で思ったり、

口に出して言うことです。


そして、感謝すると

相手と自分に

徳が積まれますから、

豊かさや成功、富を

手に入れやすくなるのです。


ぜひ、感謝のエネルギーと

交換して富がやってくる

ということを

覚えておいてください。


頭の中に富をイメージし

続けるだけではなくて、

全ての存在に感謝し続けることも

あわせて実行しますと

より早く富を手に入れることが

できるようになるのです。

幸せの思考法 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/07/30 12:43

怒りを浄化する最も簡単な方法


▲http://plaza.rakuten.co.jp


どんな人も、「怒り」を抑圧しています。

というのも、日本では

「怒りは良くない。怒る人は未熟な者がやることだ。」

という考えが浸透しているため、
怒りを表現できないようになっているからです。

この「怒り」を抑圧すると、
その正反対の感情である「愛」も抑圧されるんです。

なぜなら、1つの感情は、
表と裏が一体となって存在しているからなんです。

怒りは、「愛」と一体となって存在しているんです。

それはちょうど、コインのようなものなんです。

今日の話の中味は濃いんです(笑)


わははははは…っ!


怒りが表面に出ている時は、
愛は裏に引っ込んでいて、

愛が表面に出ている時は、
怒りが裏に引っ込んでいるんです。

恋人や夫婦が、愛し合っているにもかかわらず、
よく腹を立て合っているのは、そのためなんです。

インドの導師・和尚(OSHO)曰く、

「怒りを抑圧する人は、愛もまた抑圧せざるをえない。
人は1つのことだけを抑圧することはできない」

「あなたがたの内なるものの中では、
あらゆるもの全てが関連し合っているからだ」

わはははははは…っ!

「泣く」ことを抑圧すると、
その正反対の感情である「笑い」を
抑圧することになるんです。

また、「笑い」を抑圧すると、
「涙」もまた抑圧されるんです。

笑う人は、泣くことも出来、
泣く人は笑うことも出来るんです。

反対に、心から泣けない人は、
心から笑うことは出来ないんです。

また、心から笑えない人は、
心から泣くことも出来ないんです。

和尚(OSHO)曰く、

「泣きたくないとしたら、あなたの目は輝きを失う。

目には涙が必要だからだ。

男性は、もはや生き生きとした目をしていない。

それは彼らが、男は泣くものではないという
間違った信念を持っているからだ。

目は涙を流し、泣くことを必要としている。」

がはははははは…っ!


こういう話をすると、

怒りを抑圧すると
「愛」も抑圧されるのなら、

怒りを他人にぶつければいいのですか?
と、よく尋ねられるんです。

怒りを他人にぶつけると、人間関係に亀裂が生じ、
苦しみの原因にもなります。

ですから、

怒りを他人にぶつけろ、という話ではありません!
人間関係を良好に保つためには、「抑圧」も必要です。

必要だからこそ、感情を「抑圧」する能力が
人間には与えられているんです。

では、どうすればいいのでしょう?

和尚(OSHO)曰く、

「怒りそのものは悪くない。それをもち歩くこと、
それを蓄積することが危険なのだ」

わははははは…っ!

怒りを抑圧することが悪いのではないんです。

抑圧した怒りを浄化しないで、
そのまま蓄積することが危険なだけなんです。

なぜなら、

蓄積された怒りは、必ず、爆発するからです。

しかも、蓄積された怒りが爆発した時は、
もはや、自分ではコントロール不能な状態です。

そういう怒りが、人を殺めたりするんです。

小刻みに、怒りを浄化していれば、
コントロール不能な怒りが表出することはないんです。

それは、地震と同じなんです。

地震も、小刻みに、
小さい地震が起きている場所は、大地震は起きないんです。

何十年も全く地震がなく
エネルギーが蓄積された場所は、大地震になるんです。

ですから、抑圧した怒りを小刻みに
「浄化」することが大切なんです。

そこで、小刻みに、蓄積している「怒り」を
浄化する方法を紹介します。

これは、一気に怒りが浄化されることはありませんが、
小刻みに浄化されます。

しかも、いつどこでも出来るので、
機会あるごとにやってみてください。

その方法とは、こうです。

「肩の力を抜き、両手を振る」(約1分)

両手をぶらぶら振ることで、
蓄積された怒りは消えていきます。

和尚(OSHO)曰く、

「知っておくといい。
エネルギーは常に指から放たれる。

エネルギーは、決して丸い形状のものからは放たれない。

頭はエネルギーを放出できない。

頭はエネルギーを保っている。

エネルギーは、指やつま先や手を通して放出される。」


太陽や地球や星が丸いのは、
エネルギーを保つためなんです。

また、坐禅や瞑想の時に、
手を円状に組んで坐るのは、
エネルギーを放出させないためなんです。

逆に、尖ったもの、手やつま先、
指からはエネルギーが放出されるんです。

ですから、両手をぶらぶら振る運動は、
蓄積された怒りのエネルギーを放出する

最も簡単で手軽な方法なんです。

スポーツがストレス解消になるのは、
手やつま先、指の運動を通して、
エネルギーが放出するからです。

不良少年が、ボクシングや空手をやって
更生することが多いのも、手や足を通して、
エネルギーが放出し、浄化されるからです。

合気道の開祖・植芝盛平先生が、
「合気道は浄化の武道である」と言ってたのも、
合気道が指や手を多く使うからなのでしょう。

また、普段、おとなしい性格の人が、
車を運転すると、やたらにスピードを出すのも、

怒りを抑圧しているがために、
無意識に足のつま先に力が入ってしまい、
アクセルを踏むからなんです。

アクセル苦闘(悪戦苦闘)!

多くの人の中で生きている以上、
怒りを抑圧しなければならない時はあります。

それは別に構わないのです。

ただし、その怒りをそのままにしないで、
両手ぶらぶら運動で、小刻みに、
怒りのエネルギーを浄化してください。

そうすれば、
怒りに支配されることはありません。

そして、怒りを浄化していると、
その反対の「愛」が表出してきます。

「愛」が表出すれば、
みんなに優しく接することが容易に出来ます。

つまり、怒りを浄化することは、
自分のためだけではなく、みんなのためなのです。

ぜひ、活用してみてください!
幸せの思考法 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/07/29 15:02
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