人間関係は、魂の修行


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皆さんは、最近何か失敗したこと、悲しいこと、
苦しかったこと、つらかったことはありましたか。

現在大変な苦労を感じている人もいると思います。

しかし私達は今、こうして生きています。
神様は、自分にしょいきれない荷物は与えません。

その時は一瞬闇の世界に入ったような、
谷底に落ちてしまったような気持ちになりますが、

私達には自分の力で
はい上がる知恵と行動力が与わっています。

八方ふさがりと思っていても、
どこかに抜け道を与えてくださっています。

何故なら、苦しみ、悲しみ、さびしさは、
自分の魂をきたえてくれる修行として
神様が与えてくださっているものだからです。

「身から出たさび」ということわざがあります。

後で自分が困るようなことを
自分自身でしてしまうことです。

悪い種をまいたら
自分で刈り取らなければならないように、
世の中の仕組はなっています。

だから、「悪の栄えた例はない」
ということわざがあるのです。

しかし、中には
自分は何も悪いことをしていないのに、

どうしてこんなにつらいことが起きるのだろうか、
と思う人もいるでしょう。

そのつらいことが
神様から与えられる試練、修行なのです。

自分に与えられた試練だから、
自分が乗り切れない苦労はないのです。

投げやりにならない限り、
必ず乗り切ることができるのです。

そして一つの苦難の山を乗り切ることができた時、
自分の魂は一段階成長していくのです。

多くの苦難を乗り越えた人は、
多少の苦労や問題事が起きても、動揺しません。

黙々と乗り越えていきます。

強い精神力がきたえられているので、
つらいなーと思うことがあっても、

それを一つ乗り越えてしまうと、
同じようなつらいことが再び起った時、
今度はさほどつらく感じなくなってくるのです。

それが魂の成長です。

私達はそうしたことは頭の中で分かっています。
しかし、現実に又新たな試練に出会うと、
迷い、苦しんでしまいます。

まだまだ魂の修行が足りないのです。

忘れてならないのは、
私達がこの世に生きているのは、
魂の修行のために生かされているということです。

この世は修行の場所なんだから、
人生毎日が勉強と修行の繰り返し、

そしてこの世での修行が終わると、
魂の容である、肉体と別れて霊界に戻っていく。

そう思えばいいのです。

そして魂はいつしか、
再び更なる成長を求めてこの世に戻って来る。

だから、この世には十人十色で
色々な魂を持った人がいるのです。

その違いは、魂の成長段階の違いです。

十の修行を得てこの世に戻って来た魂は、
十の成長を得て生まれています。

五の修行しか前世で得ていない魂は、
五の成長の魂としてこの世に生まれてきます。

魂の成長によって、
この世での苦しみの感じ方も違ってくるのです。

現在とても苦しい苦しいと思って生活している人は、
魂の修行がまだまだ足りない人なのです。

成長した魂として再びこの世に生まれてくるために、
今つらい修行を乗り越えましょう。

少しでも魂の成長がなければ、
何のためにこの世に生まれてきたかの意味が
なくなってしまいます。

最初にお話ししましたように、

自分にしょいきれない苦労の荷物は、
神様は与えていないのです。

自分だからこそ乗り切れる苦労を
神様は与えてくださっていると思って、

魂の成長のために、
今、この世で頑張りましょう。

苦しみ、悲しみは必ず乗り切れます。

動物も植物も魚も鳥も森羅万象
この世のすべての物は神から与えられた物です。

私達が再びこの世に生まれ変わってくる時、
与えられる魂の容は、人間とは限りません。

動物であったり、ヘビであったりするかも知れません。
犬畜生におとる生活をしていると、

再び生まれ変わった時は
犬畜生におとるものであるかも知れません。

将来のこと、ましてや
来世のことなど私達には分りません。

しかし、はっきりしていることは、
今、私達は人間として生きていることです。

人間として、この世に生を受けたことに感謝し、
魂の成長のために、苦労に感謝して、
苦難に立ち向かいましょう。

きっと新しい光があなたの心に差し込んでくるでしょう。



皆さんには自分が生きていく中に、
人生の支えとなる言葉や
戒めとなる言葉がそれぞれあるでしょう。

「座右の銘」とか「好きな言葉」などと
言われています。

お坊さんで、南無の会・会長の松原泰道さんは、
人生は「旅」であるから、

旅に大事な杖になる言葉ということで、
「杖言葉」と言っています。

私の杖言葉についてお話しします。

私が大学を卒業し札幌八幡宮の神主として
務めて間もないころ、神道大教の長老で女性の神主さん、

今は亡き大橋咲先生に初めてお会いしたとき、
「人間はね、初対面が大事。最初に相手に飲み込まれると、
一生頭が上がらないから」と、お話しくださいました。

初対面で苦手意識を持ってしまったり、
相手の勢いに飲み込まれてしまったら、

何故かいつまでたってもその人と対等になれないような、
引け目を感じてしまうことがあります。

だからといって、初対面のとき、殊更に自分を誇示したり、
威張ったり、相手を見下ろすような態度を取っては、
逆に自分の人格が疑われてしまいます。

初対面の人には、心に緊張をもって接することです。

そうしなければ相手にだまされたり、
自分の魂を奪われてしまうことにもなりかねません。

例えば、悪い新興宗教に引きずり込まれたり、
異性に心を奪われて人生を狂わせてしまうこともあるでしょう。

最初の出会いによる心のスキが
大きな間違いを生み出すことにもなりかねないのです。

初対面は勝負の立ち会いと同じです。
立ち会いで引けを取れば負けてしまいます。

心を惑わされないように、魂を奪われないように、
自分の心をしっかりと持ちつづける緊張が必要です。

そして、緊張を人に見せず、気負わず、
自然な対応ができれば素晴らしい
対人関係を展開していけるのではないでしょうか。

私は、「初対面が大事」を杖言葉として、
初対面の時ばかりではなく、まだ気心の知れていない人と
付き合う時にも気をつけるようにしています。

人間、人がいいばかりでは駄目なのです。
しっかりとした一念を持つことも大切なのです。

そんな意味で、私は初対面のときに
相手に飲み込まれないように心掛けています。

次の話は、私が中学生のときです。

神様にお供えされた「おつまみ」の大袋を
一人で全部食べてしまい、

次の日おなかを痛くして苦しんでいると、
朝のお参りをしていた母に神様がお下がりになって、
私にお告げをくださいました。

私の母は、神様や亡くなられた人と
交信ができる不思議な霊感をもっていました。

四十年も前のことで定かではありませんが、
内容は「何事も腹八分目にせよ」とのお言葉であったかと思います。

神様が私にくださったお言葉はこの時だけです。

たった一度の短いお言葉ですが、
私の人生における欠点を見透かしたお言葉であると思います。

腹八分目が身についていれば、今のように、
体重も百キロ近くまでにはならなかったでしょう。

またお酒を飲み過ぎて失敗をすることもなかったでしょう。
腹八分目を心掛けて体を大切にしていきたいと思っています。

また、「何事も腹八分目」のお言葉は、
単に食欲だけのことではなく、
心や精神的なことにも当てはまると思います。

何事も腹八分目で自分の心を押さえることができるならば、
短気な心も爆発させずにすむでしょう。

心配性の心も、余裕がもてるようになるでしょう。

人を叱っても叱り過ぎて、
逆に反感を持たれてしまうこともなくなるでしょう。

くよくよ悩んでも、心の切り返しによって
開き直りの心になれるでしょう。

愚痴る心にも、物事の真理を見極め、
反省の心を持つことができるでしょう。

恨む心もあきらめの心へと変わっていくでしょう。

神様のお言葉には奥深い諭しがあります。
「何事も腹八分目」は私の生涯の課題となる杖言葉です。

先人の知恵や体験が我々を良き方向へと導いてくれます。

皆さんも、自分の人生の支えとなる「杖言葉」を持ってください。
そして、その時々に応じて杖言葉をじっくりと考えましょう。



私はいつもお話の中で、神様にお願い事をしたら
必ず御礼のお参りをしてください。

そうしないと神様に借りを作ってしまいますよ。
と言っています。

しかし、御礼のお参りをしたからといって、
神様に恩返しができるのでしょうか。

私達は神様に、いくら御礼の真心をささげ感謝をしても、
神様のご恩に完全に報いることはできないのです。

それは、私達が今現在生きていること自体が、
神様のお蔭だからです。

太陽からいただく熱も光も、そして毎日口にする
すべての食べ物も、息をはずます呼吸も、
すべて大自然の摂理の中で私達は生かされています。

私達が努力し、工夫をこらし、色々なことを発明し、
発見しても、宇宙の存在に比べたら
ほんのささやかなことなのです。

宇宙の摂理という大きな力、
神様のお力によって私達は今生かされています。

今、自分がこうして生きている。
家族と共に生きている。

これは当たり前のことではなく、
大変な恵みであり、ありがたいことなのです。

思い返してください。

もしかしてあの時に大変な事故となって、
自分は死んでいたかも知れない、
と思い当たることもあるでしょう。

もしあの時に、あの人との出会いがなければ、
今の自分はなかった。

奥様とあるいは御主人と、
あの時の出会いがなければ、
今の家庭を築くこともできなかったはずです。

私達は過ぎ去った多くのことを、
当たり前のこととして、感謝の心を忘れてしまっています。

日本人の平均寿命は八十才位だから、
自分はまだまだ大丈夫と安易に考えてはいませんか。

自分にはまだまだ寿命が残されていると
思い込んでいませんか。

朝刊に掲載されているおくやみ欄を見ますと、
八十才前後の方が多くを占めています。

しかし、必ず若くして亡くなられた方が
何人も載っています。

自分はまだまだ若いと思っていても、
決して他人事ではありません。

いつ災難や重い病気が自分のこととなるか
分からないのです。先のことは誰にもわかりません。

誰にもわからないことを
私達は安易に自分は大丈夫と思い込んでいます。

そう思えるからこそ、恐怖心を持たず、
明日が必ずやって来ると信じて、
今を楽しく過ごすことができるのかも知れません。

先が分からないからこそ、息を引き取る間際まで
一所懸命生きていけるのかも知れません。

しかし、もし突然死の宣告を受けたとしたら、
あなたは、今の人生に満足できますか。

まだまだやりたいことがある。
私にはまだ違った人生があるはずだ。と、
取り乱したりしませんか。

人生を悟り「そうか、私の人生はこれで終わりか。
思い残すことは何もない。

自分なりに一所懸命やってきた人生だった」と、
満足した気持ちになれますか。

難しいとは思いますが、
そのために今から準備することは可能だと思います。

誰でもいつかは死んでしまいます。
死亡率は百パーセントです。例外はありません。

そう考えると、いつか死に直面する日のために
準備を心掛けることはできるのです。

そうした心掛けがあればこそ、
いざという時に悟の心境になれるのではないかと思います。

今のあなたは、あまりにも忙し過ぎる。
目の前の問題に取りくむだけで精一杯。
感謝の心をもつ余裕なんてない。
これが現状ではありませんか。

自分を取り巻く環境に振り回されてしまっては、
自分の心をしっかりとつかんでいくことができません。

何かに踊らされている人生となり、
自分の人生の満足感は得られません。

それではどのような準備を心掛けていけばいいのでしょうか。

それは、自分の現状や環境を
神様から与えられた試練として、
すべてを前向きに受け止めていくことです。

人生の課題を与えられていると思うことです。
自分なら乗り切れる課題だから、
神様が与えてくださっていると思うことです。

そうすると、自分の人生を恨むことも、
妬むこともなく、絶望感を感じることもなくなります。

自分の現状や課題を
この世で背負わなければならない荷物として
受け止めるのです。前向きの考えに変わったとき、
体にみなぎるエネルギーがわき出てきます。

知恵も勇気も出てきます。
人間の体はそのようにできているのです。

そして、苦難を乗り越えたとき、
感謝の心と喜びの心がわき出てくるのです。
 
前向きの人生には、迷いも、恐怖心も、
おごりも、倦怠もありません。

神様のみ心に生かされているという「ありがたさ」だけです。

不平不満を思わず、すべてを神様のみ心と受け止め、
試練として自分の人生を前向きにとらえていくことが、

素晴らしい人生の終結を迎えるための
準備となっていくことと思います。


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 質問 

私の母は、1年前から体調が悪くなり、
ほとんど1日、寝たきりの状態です。

子育てと病人の介護で、
私は肉体的にも精神的にも疲れてしまいました。



 アドバイス 

大きな目で見たなら、
一生のうちに家族に病人を持たない人は
ほとんどいないかもしれません。

病気、事故、不慮の災難、
そして、それにもとずく死。

人生の折々に見受けられるものです。

それは、人々を
深い悲しみの淵に立たせることになります。

現実に病人をかかえ、看病に明け暮れている家族は、
とても暗くなっています。

ただ、その暗い面だけを
あまり強くとらえすぎてはいけないと思います。

人間は、本体である魂が
肉体に宿って修行をしている存在です。

たとえ、その体が病に冒されて苦しんだとしても、
魂そのものは、地上を去って、あの世に還ったときには、
元のとおりの完全な姿になります。

病に苦しんでいる姿は、あくまでも、
この地上で修行をしていく途中に現れてくるものであって、
永続的なものではありません。

たとえ、その目には、どんなに
地獄の苦しみのように見えたとしても、

肉体というものから逃れ去り、
魂そのものとなったときに、
人は、自由自在の境地に入ることができるのです。

そうである以上、たとえ病気で苦しみ、
やがて、その病に倒れて帰らぬ人となったとしても、

死んでからのちのことのほうが、
はるかに大事であるわけです。

この世は、あくまでも、
「あの世に還るための準備期間」 であり、
「あの世に還るための予習」 なのです。

どのような問題が降りかかってきたとしても、
その事件を、その事柄を自分の魂にとって、
プラスに役立てる方向に考えていくことが大事です。

それが、看病する側にも、看病される病人の側にも、
望まれることなのです


◇苦しみや、悲しみは魂を光らせるための砥石

看病して疲れている人に対して、
あえて酷なことを言うつもりは、決してありません。

しかし、その人にとっては、
「家族に病人が出た」という厳しい環境の中で、

いかに朗らかに、いかに明るく、
いかに希望に燃えて生きられるかが
本人の魂を光らせるための試練になっているのです。

あらゆる苦しみや、悲しみを、
魂を光らせるための砥石だと思ったときには、
どんな苦しみや悲しみにも耐えていけます。

むしろ、そうした悲しみのときこそ、
宗教的な飛躍というものが訪れることがあります。

そういうときにこそ、人間は、救いを求め、
魂の領域において、一段と飛躍することができるのですね。

病人が出たからといって、
それを自分の不幸の言い訳にすることなく、

それによって自分が
魂の修行の機会を与えられたことに感謝し、

その中で自分の心を
磨いていこうと思うことが大切です。

病気は、ほんとうの愛を知るチャンスでもあります

家庭に病人が出たときには、
「与える愛、尽くす愛、奉仕とは何か」
ということを考えさせられます。

これは、まさに、他人に対する献身の心を
学ぶ機会ではないかと思います。

愛というものは、その基礎に、
「忍耐と寛容」 をともなっているものなのです。

調子のよいときだけ、相手を愛すること、
たとえば、夫の調子がよいときだけ夫を愛したり、
妻が美しいときにだけ妻を愛したりするのは簡単です。

しかし、夫が仕事で失敗したり、
妻の美貌が衰えてきたりしたときに、

なおも愛するということは、
なかなか難しいことでしょう。

それでも愛していこうとする、
その忍耐と寛容の心が、やはり愛というものを
裏打ちするものだと思うのです。

病人に対しても同じです。

家族として仲良くやってきた者のなかに
不幸が起きたなら、それを辛抱強く
見守ることが大事なのです。

また、病人の側も、自分の運命を恨むことなく、
自分がこのように人の愛を受けて
生きていかねばならない立場になったことを深く考え、

少しでも周りの人たちが楽になるように、
周りの人たちを喜ばせることができるようにと願い、
「心の安らぎを、いち早く得よう」と思っていただきたいのです。

そして、恨み心から離れ、安らかな心を持って、
その病の療養に全力を尽くすことです。

もし、運命が開けず、他界することになったとしても、
そういう殊勝な心がけで闘病を続けたならば、

肉体を離れたときに、必ずや、光輝く天国の世界へ
還れることでしょう。

すべての運命を恨むことなく、
すべてを自分の魂の糧(かて)として選び取っていくなかに、
真なる幸福というものは光ってくるのです。


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斉藤一人さん「人生が楽しくなる因果の法則」

 


▲http://ryuseizan.tsuvasa.com/ingano-hosoku

では、始めます。(会場拍手・歓声)

え~、旗見てて涙出ちゃって、目は赤くなるし鼻水は出るし、ひどいことになってます。

今日は、ここんとのあのー、『白光の浄霊』やってるんですけど、なんか……うちのお弟子さんたちから追い詰められて、だんだんだんだん……やるような話になっちゃって。

今日は、『因果の話』をします。(会場拍手)

私の『因果の話』はね、怖くないです。

知ると、人生が楽しくなります。

この中で、何か宗教やってる人がいると思うんだけど、全然やっててください。
もう、全然やっててかまいませんから。

そこの宗教と私の言ってること、少し違います。

気にしないで下さい。
あなたのやってることが正しいですから。
それと、今日、ここで聞いたことで人と争いごと起こしちゃダメだよ。

今まで、私がこの話をしなかったのは、この話を言うと同時に……
世界中の宗教とおそらく対立するか怒られるかなんだよね。

だから他所でいうと怒られるよ。

ただ、あたまの中で考えてもらいたいのね。
いいですか?

この前歯医者さん行ったらね「斎藤さんね、成功の法則教えてくださいよ」
って……こっちは口あいてっから喋れない(笑)

口あいてっから喋れないよって話して、そいで一旦終わってからね、「次に患者さんくるのいつだい?」ったら。

「いや、まだ15分くらいありますから」って。

じゃ15分間話してあげるから……ただ成功の話しじゃないの。
成功より、基礎があるんだよね。

でこの基礎が、わからないの。
わからないんじゃないんだよ、言ってもわからないの。
言ってもこの話は信じられないの。
ただ、ここにいる人は、例外的に8割信じられる。

それで、基本的な話ってなんですか、って言ったとき。
これが一番、突破口なんだよね。
一番最初にみんなに信じてもらわないといけない話なんだけど、信じられなかった人は、こんな話もあるんだな程度でかまわないから聞いててね。

人間の中に、たましい、霊魂というのがある。
これが、死なないんだよ。
……死ねないの。
わかるかな?

人間ってね、何回でも生まれてくるの。
ホントですか、って、ほんとなの。
だから、ずーっと前世があるの。
今もあんだけど、ずーっと来世もあんの。

でどのぐらいあるかっつーと、永遠にあんの。
もの凄い長いの。

「で、先生そのことわかるかい?」って。

人間てなんでこんなに生まれ変わるの?何回も何回も生まれ変わる必要ないじゃない。

この物質界っていうのは……古くなるんだよ。

その先生もさ、ゴムの手袋しながらやってたんだけどさ。
ところで、その手袋しばらく使ってっと古くなるよね?
で新しいのに変えるじゃない?

人間の身体もしばらくすると古くなるんだよ。
すると、新しいのをくれるんだよ。
わかるかな?

で、何のために何回も何回も生まれてくるんですかっていうと……
やり残したことがあるの。

で、やり残したことってなんですかっていうと……魂の成長なの。
魂が成長しきってないんだよ、ってことなの。

だから、因果っていうとなんかオドロオドロしく感じるけど、オドロしいもんじゃないの。
オドロオドロしいこと言わないと、商売にならないやつがいたの。

いやホントだよ?
だって、人間おどかさないと、金出さないんだもん。
だから、一番恐ろしい話から始めるんだけど(笑)
あんなの ないんだよ。

もともと因果ってさ……オレンジ絞るとオレンジジュース出来るじゃん。
ね?ぶどう絞るとグレープフルーツだよな?

要するに、絞ったものでジュースが違うよ、ってことを言ってるだけなんだよな。
だから、前世でいいことしてると、いいことが起きるんだよ。

ホントですか?……って。
ホントなんだよ。

ほいで悪いことしてっと、悪いことが起きるんだよ。
で、ここまでは、どこの宗教に言っても許されるんだよ。
ある程度な。

こっから先なんだよ……許してもらえないのは(笑)

あのね。「親の因果が子に報い」とかって聞いたことある?

あるよね?

問題は……
親の因果は親に出るの。
親の因果は子供に出ないの。

子供に出たやつは、その子供がやったことなの。前世で。
前世にやったことが、その子供へ出るの。
で、自分でやったことなの。
わかるかな?

で、ほとんどの宗教ってのはさ、日本の場合は先祖供養ってことになってんだよ。
先祖で成仏してない人がいるから、あなたが具合悪いんだよとか。
それから、先祖の人がいいことしたから、あなたにいい事が起きるんだよっていうよね?
聞いたことあんでしょ?

そうじゃないんだよ。

ね?
簡単にいうと、先祖が悪いことしてるか、先祖が浮かばれてないからあなたに悪いことが起きるんだよ、っていうと。

あなたは楽だよね?
だって、あんたのせいじゃないんだもんな。
先祖のせいにしてんだよな?

ところでさ。あなたが太ったのはあなたがメシ食ったからだよな?(笑)
違う?

まさか、俺が食ったものであなた太ったんじゃないよね。
もし、ダイエットして痩せたとしたら、あなたの代わりに誰かダイエットしたんじゃないよね。あなたが頑張ったんだよね?

そうするとね。
自分が悪いのに、あたかもご先祖様のせいみたくして、朝から晩までおがんでる人いるけど、ずっと何時間も人のせいにしてんだよね(笑)

あれ、仏壇にいるの仏さまだからね。
仏さまって……ホトケなんだよ。

お経あげてますって、あれ仏の教えなんだよ。
仏の教えを仏に説いてるんだよな?
ずっとね。

誰かがひとりさんの教え、ずっと3時間づつ俺に言ってるやつがいたら……(笑)
おかしいよね。

で、この前ね、「仏壇にお経あげてていいですか」って、「いいよ」っつったの。
あげてなっつの。
ただ、おかしいことしてるかなって、たまに考えたほうがいいよ。

人間ってね、神様はやったことは絶対許さないんだよ。
…悪い事するとだよ?
悪い事の因果として出てくる。
で、良い事してると、良い事が起きるの。

で、今日はいつもよりワンランク上げて話するからね。(会場拍手)

よくね、思ってなくてもいいから言いなっつんだよ。
それって、できない人に言ってんだよ。

ホントは思ったほうがいいんだよ?
いや、ホントだよ?

「感謝してます」だって、口だけでもいいから言ってみなって、両方いっぺんだとできないから、入りやすいとこから入ってんの。
あの、心から入るって難しいんだよ。

だけどホントは心から思ったほうがいいんだよ?

でも、感謝してますって思ってなくても言ってごらんって言うけど、要は感謝してますって言った時、なぜか感謝するんだよ。
だって感謝っていう言葉が入ってんだから。
だから事実上は言うことは良いことだよ、っていう話なんだよね。

だから、釈迦がね、二千五百年前からずーっとね、因果の法則を説いて言ってるんだよ。
そいで因果ってなんですかっつった時、あなたがやったもの…あなたが撒いた種を、あなたが刈り取るんだよ。

わかるかな?

で、ここで知らない人は、悪い事すると悪い事が起きて、良い事すると良い事が起きるの。
そうすると…
残酷な話だけどさ、誰かが誰かの手切り落としちゃったとすっと、自分が手がなくなっちゃうとかな。

わかるかな?

そうやって考えると、神が罰を与えてるように思うんだよ。
で、神というのは罰を与えないんだよ。

あのーこれも全然信じなくてもいいよ?
うちは信じてくださいから始まんないんだから。
信じなくていいよから始まるんだから。

あのね、信じるか信じないかって、お願いするようなもんじゃないんだよ。
だって信じられる人は聞きゃあすぐわかんだもん。
わかんない人がわかる必要なんかないんだよ?

神様ってね…みんなが思ってる神様は神様じゃないんだよ?

神様ってのは、天の中心…中心に一人しかいないんだよ。
一人っていうより人間の形してないの。

これをね、天之御中主っつうの。
で、日本的な言い方なの。

外国行くとヤハウェって人なの。
それからアラーと呼ぶ人もいるの。
それからもう一つ言うと、仏教的に言うと大日如来……盧遮那仏っつうやつなの。
盧遮那と呼ぶ時もあるの。

だけど天の中心に一個の絶対なる神がいる。
で、それのお使いがいるの。
お役に立ってる人がいるんだけど、それと接してるから、それを神と呼んでんだよ。
わかるかな?

あのー、ありがたいじゃん。
フランス料理食べに行ったり…まぁ日本料理食べに行くとさ、お料理が美味しいと嬉しいじゃん。
おもわず仲居さんにチップあげるじゃん。
「ありがとうね」って。

でも仲居さんが作ったんじゃないよな、これ。
わかるよな?
いや感謝しちゃいけないんじゃないよ?

お料理はコックさんが作ったんだよな…わかるかい?
運んできた人が作ったんじゃないよな。
簡単な話な。

で、その天の中心の天之御中主って方は、愛と光なの。
愛と光でできるの。

だから、はっきり言って、みんなね?今でも未熟なの。
今でも未熟な俺たちが、千年ぐらい前はどのぐらい未熟か考えると、えらいことなんだよな。

で、今日…さっきね、大信田洋子ちゃんにさ、今日から因果の話しようと思うから…
大信田ちゃんなんで痩せられないか…知ってるかい?つったら、
食べ過ぎちゃうからですかねっつーから、うーん、それもあるんだよ。

ところでうちのダイエット食品飲んでると、どんどん痩せちゃう人と痩せない人っているよね。

で、大信田ちゃんには大信田ちゃんの因果あるんだよ。
で、今日因果聞きたいかって、聞きたいっていうの。

で、大信田ちゃんてさ、綺麗な顔してるんだよな。
顔ちっちゃいんだよ、体がでかいんだよ。
いや、アンバランスなんだよ。

で、大信田ちゃんさ。
前世にね、自分が綺麗だった時、自分が痩せてた時に太ってる人見て嘲笑ったんだよ。

そういうことすると、自分が太って生まれちゃうんだよ。
人を嘲笑うってすっごい、いけないんだよ。

あの簡単に言うとね、美とは才能なんだよ。
才能…例えばイチローが野球やってるだろ?あれ天才だろ?
バイオリンの天才っているだろ?
あれ十代も二十代もやってるんだよ。

わかる?
その子が三つからやって…天才になってる。
三つから天才なんだよ。
要するに生まれた時から天才なんだよ。
で、うちの子も三つからやらしたら…って、ダメ。ダメ(笑)

そういう天才の子ってのは遥か昔はね、葦の笛とかああいうのピーピー吹いてんだよ。
だんだんだんだんそれをやりながら磨いてくるの。

あの、美とはね、才能なんだよ。
だから足なんか太くて短くてもマッサージなんかしてると、来世ね、カッコの良い足になってきちゃうんだよ。(会場どよめき)

だから、今こうやって美に関心持ってこうやってやってると、来世もっと綺麗になっちゃうの。

で、才能というのは努力で伸びるから…
例えば自分がね、何かやって才能があんまりないなと思ったら、
やめるというのも一つの手なんだよね、別にいいんだよ。

だけど来世も再来世もあと何世代かやれば、うまくなると思ってれば間違いないの。

で、天才を見て羨ましがって「なんであいつ運が良くて、俺運わりぃな」って言うけど、等しく努力してるの。
神は正当なる努力を求めるの。

ただ、一代ではできないの。
なんでかっていうと、才能も磨かなきゃなんないけど因果も消さなきゃなんないの。
わかるかな?

でね、因果ってどうやって消すのかっつと、いろんな嫌なこと起きるの。
例えば、なんてのかな…
俺たちって魂を成長させるために生まれてきたから、
自分の魂が一番成長する親を選んでくるんだよ。

あの親じゃないとダメなんだよ。
あの兄弟が必要なんだよ。
あの親戚がいるんだよ。

それから更にあの旦那、あの奥さんじゃないと成長しないんだよ。
だから元々が魂の成長のために結婚するんだよ。
わかるかな?

だからちょうど修行になる人と結婚するし、そういうとこへ生まれるようになってんの。
で、一つの無駄もないの。
会社も、一番自分の魂が成長する会社に呼ばれるの。
自分で選んでるように思うけど、こうやって呼ばれるの。

そこに修行になる部長とか課長が待ってるわけ。
わかるかな?

それでね、「なんであいつあんな俺ばっかり怒鳴るんだ」っていう、怒るやつ…
自分が前世でやったの。

やってないことは起きないの。
だからやられてもしょうがないんだって話をしてるんじゃないんだよ、俺。

これは魂の成長のために…だから人の足踏んでっ時は、そんな痛くないんだよ。…痛くないんだよ。

地面に足置くより、人の足に乗っけてたほうが、柔らかくて気持ちいいからね。
でもやられてるやつは、たまんないんだよな。

そんなのって今度自分が足踏まれることで、初めて分かるんだよね。

すと、踏まれて、「なんであいつ俺は踏んでないのに、あいつばっかり俺の足踏むんだ」って言うけど、今世踏んでないんだよ。

わかるかい?
前世にやってんだよ。
それが…前世って一個前じゃないよ?
なんでかっていうと、魂は…
ある方がものすごい、こう…体悪くなっちゃったとか、ものすごい状態が出てくると、千年ぐらい前に人が動けないほど酷いことしちゃったとか…
次に出ないんだよ。

次の次の次…とか千年ぐらい経ってからじゃないと出ないんだよ。
なんで出ないんですかって、理由は一個なの。
…耐えられないから。
魂が成長して耐えられるようになると出るんだよ。

だから、人生って全部決まってんじゃないの。
大きく…旦那になるような人とか、大きい事件がボコボコっと起きるんだよ。
わかるかな?

例えば、5つぐらい持ってくるんだよ。
その時に、自分に越えられそうな問題しか持ってこないんだよ。

「おまえ、過去にこんな酷いことしたんだよ」

いや、ちょっと勘弁して下さい……これはちょっと無理だから、もうちょっとちっちゃいやつから……

だから魂は必ず乗り越えられるんだよ。
なぜかっつと、乗り越えられるものしか持ってきてないんだよ。

だからもう耐えられないって死んじゃうやついるだろ?
もうちょっと知らんぷりしてると、解決しちゃうの。
だから死ぬほどの問題ではないの。
わかるかな?

で、俺がね「安心しな、安心しな」っていうのは、俺たち死ぬと、あの世に生まれるの。
あの世で何してるかっつと、成長するの。
わかる?

成長するには勉強するしかないの。
わかるかな?

戻ってくっと、勉強するの。
俺、勉強嫌いだから嫌だっつってんだけど、そんなこと知ったこっちゃなく、
魂ってのはね、勉強するっつより成長するの。
で、それをね、繰り返すの。

向こうで魂が成長するでしょ?
と、今度は「大丈夫です、任してください」。
この前自殺した人も「今度は大丈夫ですから、任してください」って出てくるんだけど…

もうそろそろ魂の時代で、魂の時代って…21世紀って魂の夜明けっつんだよな。

で、魂の夜明けってなんですかっつと、自分の心の中にいる魂ってのは…あの、天の神様の一番おっきいやつが大霊と言うんだよ。
俺たちはそっから分け御霊というのを貰ってるんだよ。
…別に信じなくてもいいんだよ、この話はね。
あのー変わった話だなと思ってればいいからね。

で、針の先ほどの分け御霊というのが、ここに入ってる。心臓のところにね。
で、それ死なないんだよ。

最近になってきてそんな嘘っぱちって思ってたら…昔は信じてたんだよ?
だんだんだんだん人間が擦れてきたら、信じなくなってきたんだよ。

ところが…なんでかっていうと、科学的じゃなかったから信じなかったんだよ。

そしたら今度は退行催眠やったり、いろんな過去を覚えてる子供とか生まれてきちゃったんだよ。

それを追っかけ調査すると、「僕三つの時に死にました」って、「なんとか村の、なんとかちゃんです」とかって言うんだよね。
そこへ追っかけ調査すると、そいついたんだよね。
「ここのおじさんは、なんて人です」とかって、おじさんの名前まで言ったりするんだよね。

で、それが世界中に出てきちゃって…退行催眠っつと、喋りだしちゃうんだよ。
特にあのーアメリカ…キリスト教の国ってのは、輪廻を認めないんだよ。

ところが、最近アメリカでもそういう映画やなんか作り出してきちゃったんだよね。
生まれ変わりの映画とか、昔のことを知ってる…

で、だんだんだんだん…キリスト教やってる人はごめんね、やっててよ。
別にホントに、あの、いい教えだと思って…俺も幼稚園の時、キリスト教の幼稚園…お世話になったからね。

ただね、一生懸命人を救おうと思ってやってんだけど、段階があるの。
魂って段階があるんだよ。
21世紀になってくると、ホントの話の方が受け入れやすいんだよ。

あのね、『キリストはあなた達の罪を背負って死んだ』ってんだよね。
で、それはありがたいの。
わりぃなとかって思うんだよ?

ただ、人の罪は背負えないの。ホントに。
純ちゃんのやった罪は、純ちゃんに背負ってもらうしかないんだよ。

誰かがやってくれるとかって、そんなんだったら、忠夫ちゃんの代わりに誰か断食してくれたら、忠夫ちゃん痩せるんですか?って(笑)

だから魂が耐えられないの。
日本でもそうなの。
20世紀までは…要は先祖のせいにするとか、誰かが自分のを救ってくれるとか。
自分を救えるのは自分しかいないの。
わかるかな?

俺あ毎日ぐらい本の校正してんだよ。
お弟子さんが本出してくるとさ、見るんだよね。
で、校正するの。

初めて読むのを、こう…見るんだよね。
で、こう…直してくわけ。

で、何を直すかっていうと、この本のテーマは何?って聞くんだよな。
テーマからブレてるものを修正するんだよ。

と、みんなは一冊の、自分の人生を本だと思って?
これからいろんな事が起きてくるんだよね。

だけど、俺たちは魂の成長のために生まれたんだとすると、神の分け御霊だから起きた問題を愛と光…要するに光って明るさだよ。

要するに上機嫌で愛のある解決の仕方ってなんだろ…
気に入らないやつが出てきた時は「こいつは前世で俺がやったんだからさ」って。

なんか愛があって明るい解決の仕方しよっていうのと、みんなで夜、待ち伏せして殴っちゃお、ってのがあんだよな。

それは解決の仕方はな、いろいろあるんだけど、神様が丸くれる解決の仕方っつのは、愛と光がありますか?

だから自分の人生、起きること起きること、愛と光…
とても愛じゃ解決できない、光じゃ解決できないような問題もあるんだよ。

だけど急にそんな問題が起きるわけがないんだよ。
だから前世でやってるの。

あの、才能とかは別だよ?
才能って面白いんだけど、こう…野球の選手やってるとさ、来世もやりたいんだよ、再来世もやりたいんだよ。
だけど俺たちって魂はダイヤモンドと同じで何面もあるんだよ。
すと、そこばっかし磨かれても困っちゃうんだよ。

そうするとなんにも悪いことしてないのに、ある日名ピッチャーとかって言われたのが、高校時代ちょっと肩痛めんだよな。

と、痛めると肩動かなくなってきて、普通治るんだよそういうのって。
ところがなぜか神の配慮で治らないんだよ。

そうすると、そういう人は営業かなんかにまわったりすっと、営業で部長に怒鳴られたり、怒られたりしてんだよね。
なぜかっつと、野球は上手いけど、人間関係が下手だったりするんだよ。

そうすると、あんまりスポーツばっかしやってると、「はい、こっち」
ピアノでも、ピアノも到達しちゃうと、来世もやろうとすると、なぜか手が利かなくなっちゃったりとか、できなくなっちゃうんだよ。

ね?だってダイヤモンドだってあんまり一面ばっか…あんまり削ったらなくなっちゃうんだよ?
一個一個磨く場所が違うように、こう…磨いていかないとダメなんだよ。
わかるかな?

で、そういう目で見て、そういう解決の仕方してくと、ものすごく楽に解決できるの。
だからなんかあった時、これが俺がやったんだから、愛と上機嫌の解決の仕方はなんだろうと思っただけでマルなんだ。
わかるかな?

そいで、未熟なりにでもそういうことすると、いくらかマシになるんだよ。
ね?いくらかマシな考えになってくるんだよ。
そうすっと、それが少しずつ少しずつ少しずつ良くなってくる。

今日ね、忠夫ちゃんね、交通ルールってあるだろう?って。
で、スピード出すと捕まって罰金取られるよね?
だからやらないじゃん。

あのね、神の罰は行動で起きるんじゃないんだよ。
だから例えばさ、ノブちゃんが首切り役人って、昔首斬る人がいたんだ、エイって。
これ仕事なんだよな。

すと、仕事でこうやってこう相手の首斬るとするじゃない。
今だって絞死刑つったって、あれ誰かボタン押すんだよ?
もしあれが自動ボタンだとするじゃん。
ってことは自動装置を誰か入れたんだよな。

普通そういうことだよね?
だから未だにさ、電気椅子ったって誰かスイッチ入れるんだよ?
わかるかい?

で、その人が相手を憎んでたり、当然だとかっていう…人を憎んだ気持ちでこう、ボタン押すじゃん。

それと、早く生まれ変わって、次はちゃんとした人生送ってくださいよとかっつって、手を合わせている人には起きないんだよ。

だから人を嘲笑うのがものすごく罪なのと同じように、逆に言えば電気椅子のこうやってボタンを押す人も、ちゃんとその人の冥福を祈ってやってると起きないんだよ。

だから罰ではないんだよ。
人を殺したから人殺しになるっつー話ではないんだよ。

だからいろんな事が起きるけど、起きたものを愛と光で解決する方法…前世の因縁って言うけど、忠夫ちゃんが太ったのは今世の因縁なんだよ?
自分で食ったんだから。前世の因縁で太ってるわけじゃないんだよ。

ここんとこは痩せてきてるよ?
これも自分の問題なんだよ?
なんでも昔のせいにしちゃダメだよっつって言いたいの。

でも大体は昔が多いんだよな。
昔からやってる事がすごく多いの。

だから俺たちは交通ルールを犯すと捕まるじゃん。
だからやらないとするじゃん。

よくね、悪い事すると悪い因果が起きるよ。人のこと見て嘲笑ったり、バカにしたりすると、歩けなくなったり、目の見えない人が出たりするんだよ。
だから俺たちそういうことしちゃってんだよ。
わかるかい?

だって今はそういうこと聞いたらやらなくなるよな。
わかるかい?
やらなくなったら、この話を聞いて悟ったようなつもりになっちゃダメだよ。

いいかい?
やっと0点になったんだよ。マイナスだったんだよ。
怒られるからやらないというのは、魂的に良いも悪いもない、0点なんだよそれ。

だから交通ルールでもなんでも俺がすっ飛ばしたりするとみんなが迷惑するし、
事故起こしたら、例えば俺の家族も困るし相手の家族も困るから、
そういうことはしない方がいいんだ、って。
わかるかい?

それでもまぁ車乗ってっとさ、自分なんかもよくあんだけど…
60キロだなと思ってスーッと走ってるうちに、80ぐらい出ちゃうこともおるんだよ。
目がなれるって不思議なもんでな。

そういう時捕まったけど、「なんで捕まっちゃった」っていうのもあるけど、
良かったんだよ。
そこで捕まらないとすごく用心すっと、次から大っきい事故起きないですむんだよ。
わかるかい?

だから捕まるからやらないんじゃないの。
やっちゃいけないから、やらないの。

弱い者いじめもそうだよ。
学校でイジメて…そのうちイジメって逮捕されるようになるからね。
今、逮捕されないのがおかしいんだよ?

だって前ストーカーが…ストーカーってよかったんだよ?
何もしなかったら付いて歩いたって良かったんだよ?
警察にいくら言ったって、お巡りさんは何も被害がないでしょ?っつんだよね。

だけど付け回されること自体が被害なんだよな。
だから今はそういうのは、いけなくなったじゃん。
わかる?

学校でイジメやなんかにあうとね、その子学校に行けなくなっちゃう。
社会的にね、俺みたいに中学校行けば充分とかっつって、こういう人少ないからね。
みんな高校も行きたいし、大学も行きたいしな。

でもあんまりイジメられると行けなくなっちゃうんだよ。
人の定めを変えるほど意地悪しといて、罪にならないっておかしいんだよな。

だって俺が急に女の手握って、女が訴えたら俺、逮捕されちゃうんだよ。
手なんか洗えばいいじゃんと思うじゃん(笑)

それが罪になるのに、学校で雑巾の水飲ましてたりしてても平気なんだよな。

で、ところでさ、因果的にいうとそのやられてる子って、自分が強い立場の時にやったんだよ。
だからよくイジメられる子って、逆の立場になるとやるんだよ。
子供であの、親が虐待する…いるじゃない。

ああいう子って、前世に自分がやってっからやる性格なんだよ。
だから不思議なんだけど、その人がお母さんになるとやるんだよ。
やられて泣いてた子がやる立場になるんだよ。

で、ホントはね、この辺でね、みんなで、俺たちところで何のために何回も生まれてくるの?って。

あの、おどろおどろしい因果じゃなくて…だって因果を先祖のせいにしたり、他のせいにしたり、やりようがないんだよ?

あなたのこうなってるのは、あなたの先祖が苦しんてるってやりようがないんだよ。
人のせいにするのもいい加減にしなって。

地獄に落ちてる人がいるんだよ。
落としときゃいいんだよ。

神様が百年ったら、百年いりゃあいいの。
そこで反省して…って、イジメてんじゃないんだよ。
魂の反省なんだよ。

あの、純ちゃんが怒りん坊だったり、えばりん坊だったりすっから、この前倒れたんだよ。
で、知らない人はね、怒ってばっかしいるからバチ当たったっつんだよ。
そうじゃないんだよ。
これ以上ほっとくと、もっと罪を犯すから神の愛なんだよ。

神の愛で、怒るともう一回ひっくりがえっからやめよ、って。
だからこれ以上罪を犯させたくないんだよ。
わかるかい?

で、いろんな事、いろいろあるよ。
だって俺たち未熟だから。
純ちゃんのことだけ言ってんじゃないよ?
みんな未熟なんだよ。

あの、この間出てきて立派なこと言ってっけど、俺たち全部やり直し組だから。
敗者復活戦だからね。

で、21世紀そうそうね、こういう話ができる俺も幸せ。
ただ過去の指導者やなんかは、魂に合わして指導してただけなの。

あんたらのせいなんだよっていうのが、いきなり受け入れられるだけの魂の成長をしてなかったんだよ。
でも、もうわかるよ。
俺の言ってることがおかしいかどうか、よく自分の頭で考えなよ?

そいで魂って不滅なんだよ。
不滅だからしょうがないんだよ。

だから俺、津波も何も怖くない、地震も強くないんだよ。
で、今ここで地震がくるとするじゃん。
俺死なないんだよ。

もし死んだら寿命なんだよ。
人は寿命が来るまで死なないんだよ。
死ぬとどうなるんですかって、死なないんだよ、魂が。
向こう行くだけなんだよ。
向こうでまた修行して、また戻ってくるんだよ。

そいでね、地球ってね、宇宙はビックバンってのがあってボーンつってボー、未だにでかくなってるの。
どんどんどんどん。ね?

これが限界まで大きくなると、だんだん小さくなるの。
で、一個になっちゃうの。
固まっちゃうんだよ。

で、また爆発するんだよ。
これを神の息というんだよ。
天之御中主様、息してるんだよ。
大きい息するんだよ。

どういうことですかって時、あとどのぐらいかはわからないけど、
この宇宙はなくなっちゃうの。
そん時、俺たち全員死ぬよな?
わかる?

その時、魂はある場所へ避難するだけなんだよ。
わかる?

わかろうが、わかるまいが、そうなんだよ。
だから何を言いたいのかっつーと…
よく最近ね、マヤ暦がなんとかかんとかで、二千何年かになると宇宙がどうなってこうなって…どうなっても、俺たちは死なないんだよ。

もうじきアトランティスが浮上して…って、アトランティスが浮上しようが、ひっくりがえろうが俺たちは死なないんだよ。
地球がなくなったって、死なないんだよ。

生まれてくる前に、あの世からこっちへ帰って来るまでの間、しばらく人の魂っつのは、いろんな星に預けられるんだよ。
だから土星に預けられたやつは、土星の影響を引くんだよ。

だから星回りに自分が関係あるって、ご厄介になってた場所があるんだよ。
そういう性格だから、そういうとこ行くんだよ?
そこでまた修行して、こっちがしで出てくるんだよ。

だから星占いもあんまりデタラメでもないんだよ。
だからって、すぐうちの人は凝り性だからなんでも凝っちゃダメなんだよ。
そんなことよりも…

あのね、今地震でも何でもね、俺滅多にテレビ見ないんだけど…5日くらい前にテレビちょっとつけたの。
したら、すごいよ?

東海を…関東から東海沖まで地震来て、それが沖縄にまで繋がってるっつんだよ。
それが一度に、あの地震を起こすと、30mの津波が3分以内に来るっつんだよ。
揺れてる間に逃げなきゃ…

あのね、この人達ね…おかしい(笑)

ほいでね、すごい学者みたいなこと言ってるけど、この前の東北の地震すら当てられなかったんだよ?
ホントに。

来たから急にいろんな事言ってるけど、来る前は…
それよりさ、東海沖地震って30年ぐらい前から言ってんだよ。
ずーっと言ってるんだよ、もう来る来るって。

言ってるとこに来ないんだよ。
…ハズレすぎだよ。ホントに。

そいでね、どこの宗教行こうが、どこの神様信じてもいいけど、人を脅かすとこは偽物だよ。
神はね、愛と光だから人を脅かさないんだよ。
人に安心しなって言うもんなんだよ。
わかるかい?

悪魔は、神の名を名乗ってる悪魔っていっぱいいるんだよ。
だけど見分ける方法は、人を脅かすことを言うんだよ。
不安がらせるんだよ。

だから悪魔の使いになっちゃダメだよ。
ここにいる人たちも、メールやなんかで、どこどこで何月何日に地震がくるとかいったら、それ回しちゃダメだよ。
切っちゃいなよ。
あんなもん回したら、悪魔の使いだよ。

必ずね、地震がきた後に「当たった!」ってやつが出てくんだよ。
当たるよ、毎回やってんだから、アレ。

それがハズレると、また何時何時になるんだよ。
来月になんだよ、また。
競馬だって、2-4ずーっと買ってってみな、当たんだから。

あのね、地震国は地震がくるの。
世界の2割は、日本にくんだよ。
だからって俺たちは寿命がこない人は死なないんだよ。
わかる?

全員が死んでも俺たち生きてんの。

この地球という星は、一個しかないんだよ。
人間が住める星って一個しかないんだよ。
望遠鏡がいくら発達しても、めっからないんだよ。

なぜめっからないかっていうと、神が創ったんだよ。
偶然出来たなら、もっといっぱいあんだよ。
百万個に一個ならもっとあるんだよ。
ね?わかるかい?

一応ここに何個ってあるんだよ。
一応ここに一個だったら、二応ここにもう一個あんだよな。
「偶然だ偶然だ」ってんだったら、いくらでもあるんだよ。
この星は、神が、人間が肉体を持って生きられるように、作ってあるんだよ。

だから霊魂だけになって抜けちゃえば、どこでも住めんだよ、俺たち。
火星だろうが金星だろうが、いくら暑くたって知ったこっちゃないんだから。
肉体があるから問題があるんだよ。

で、人はね、生まれた時に痛くも苦しくもなかったよね?
死ぬ時もないんだよ。
なぜかっつと、生まれると死はセットなんだよ。

神は苦しみを与えないんだよ。
だから交通事故でバーンと当たって、ここでウワァってやって…いるじゃん。
そういうの助かっちゃうとするんだよね。

で、「お前あん時すげぇ苦しんでたけど、痛くなかったか?」っつと、「…全然」
何も覚えてないの。

で、「いやー痛くて覚えてますよ」ってやつは死なないの。
死ぬ時は痛くないんだよ。
そいで、向こうに行くだけなの。

向こう行くと、先にね、恵美子だったらお母さんとかな。
先に死んだ人が待ってるの。

「恵美子やっときたなぁ」とかっつって、待ってんの。
嘘みたいだけど、そうなの。

で、俺は小さい時に、神様に見せてもらったの。
俺なんか見なかったら絶対信じないもん。
ホントにね、あの理屈家ってそうなんだよ。
でも理屈じゃ解決できないんだよ。

で、逆にいうと俺の今言った信じられない話を信じてみな。
そうすると、親と子は魂が違うんだよ。
兄弟も違うんだよ。
だから兄弟ですら似てないんだよ。
わかるかい?

性格がみんな違うんだよ。
魂は、ここにいる人は…
俺ね、神さまの話しだしたら、全国から俺んとこへ来るんだよ。
俺、ずーっと前からやってんだよ。

だから俺が神の話をしだしたと同時に、全国から俺の元へ、馳せ参じる人がいっぱいいるんだよ。
ここにいる人は昔も聞いてたんだよ。

だからこういうのはね、あばら屋でこうやって喋っててもね、庭にでも集まっちゃうの。

で、それで魂的な話するんだけど、俺たちは未熟なところから上がってくるからさ、ツイてるって言ったほうがいいよ。
思ってなくても言ったほうがいいよ。
でもホントは思いながら言ったほうがいいんだよな。

だけどいっぺんに難しいじゃん?
今世俺は今までと違うことに挑戦してんの。
それは自分で仕事をしながら、みんなから、誰からもお金をいただかずに、税金払いながら、こういうことをしようと決めてるんだよ(会場拍手)

でね、神様って綺麗なの好きなんだよ。
だから女の人、綺麗になんな。
で、心も綺麗な方が好きなの。

だから自分の顔がいくら美しくなっても、「なに、あの人は」っていう、人のこと言い出しだら、心汚いよな。

心も綺麗な方がいいんだよ。
愛があった方がいいんだよ。
で、そんなこと知らない未熟な時に、いろんな事しちゃったんだよ。
それを俺たちは嫌なことが起きても、「昔やったことだ」って。
笑顔で刈り取って、良い事するんだよな、一生懸命。

たいしたことじゃなくて、いいんだよ。
人が明るくなるような天国言葉喋るとか、笑顔でいるとかね。
特別なことってしなくていいんだよ。

「あ、来世のために今世良いことしなきゃ」
今世やってる良いことって、来世のためなの。
じゃ、来世のために一生懸命やろうっていうけど、今世が大事なんだよ?
いいかい?

今月食えなくなるほど貯金しちゃダメなんだよ?
わかるよね。
それから友達が金借りに来たからって、自分が食えないほど貸しちゃダメなんだよ?
わかるかい?

今世、自分がしっかり生きて、来月のために500円でも貯金しよう、1000円でも貯金しよう…その心が大切なんだよ。

だから良い事するのは良いけど、自分の生活がおかしくなるほど、良い事しちゃダメなんだよ?

あの、この前うちのツイてる神社に来てる方で、手話やってる方がいて、その人、一生懸命手話やってるんだけど…

例えば一時間で千円くれるとするじゃない。
で、往復代が貰えないから、そこで二時間やると、一日二時間だったら二千円しか貰えなくなっちゃう。わかるかい?

で、「なんとかこの手話が盛り上がる方法はありませんかね?」ってけど、「盛り上がんないよ」っつったの。

盛り上がんないんだよ。盛り上がんないものって、盛り上げるもんと、盛り上がんないことあるよね。

「私はどうしたらいいんでしょう」

あのね、自分を助けることのが先なの。
だからなぜかね、手話をやってみんなのためになってるっつと、素晴らしいけど、パートに働きに行くとか、自分を助けた時、初めて日曜日にボランティア行こうとか…もっと言えば、自分が食えれば、その二千円だっていただかなくて、「いりませんよ」だってできるんだよね。

あのね、これもね、なんつのかな…
親の因果が子に報いも嘘だよっていうの。
あんたの因果なんだっていう…いうこと言ってんだよね。

それからもう一個ね、これ違うよっつのあるの。

神は犠牲を嫌うんだよ。

だって俺が死んだらね…
「このみんなが助かるとしたら、俺は犠牲になって喜んで死ぬ」っつーけど、
ここ1500人ぐらいいるんだよ。

1500人助かるんだったら、俺も助けてよ(笑)

そうだよね?
なんで…みんなでさ、あと一人助かること考えないの?
わかる?

あのね、みんなが一口づつ食いもんくれたって、何したって助かるんだよ。
だからね、神は犠牲を求めないの。

なぜかっつーと、恵美子さんがね、死んだらみんな助かるって、恵美子さんも神の子なんだよ?
あんただけ死になさいとか言わないんだよ?
そんな人、神じゃないよ。

だって神は犠牲なんか求めないんだもん。
それより、神的にいうとね…
日本もこの前戦争して、朝鮮に攻めてったり、中国に攻めてって、ご迷惑かけたんだよね。

で、あれなんかもね、満州の満鉄を取られたら、日本はダメになっちゃうからって、ものすごい勢いで戦争したんだよ。
日本がこのままいくとダメになっちゃうって、恐怖だよな。
俺、恐怖を先頭にして話始める人ってね、おかしいんだよ、こいつ悪魔の使いじゃないか、って。

そいで特攻隊まで出して、日本人死に物狂いでやって、ものすごい人間いんだよ。
向こうの人も死んだんだよ。
で、負けて取られたんだよ。
で、取られた今のほうが栄えてるって、どうしたの、これ。

満鉄取られたら日本はダメになっちゃうはずじゃなかったの?
今、北方領土もないんだよ。それなのにこんだけ栄えてんだよね。
わかるかい?

何々になったらこうなっちゃうって…

あのね、俺たちの若い頃ね、あと30年したら21世紀のはじめには、日本は石油が枯渇するつってたの。…日本じゃない世界が。

ところが今、車ブーブー走ってるよね。
21世紀のはじめには、日本人の半分餓死するっつったんだよ?
それでクロレラ開発したり、いろんなの開発してったんだよ?
宇宙食だとか。
今、全部デブだよな、コレ。どうすんの?(笑)

あのね、誰かが何かを恐怖で話しだすと…
必ず「このままいくと、このままいくと」っつんだよ。

俺この前ね、一番驚いたのが…
あのね、人間の原始人の頃って、こう…体が丸かったんだって。
前のめりだったんだって。
それがだんだんだんだん、まっすぐになってきてるんだって。
で、このままいくと、後何万年には倒れちゃうんだって、後ろへ。

…このままいかねぇだろ。

あのね、石油が枯渇すりゃあ、代替エネルギー考えたり、太陽エネルギー考えたり…人って知恵出すんだよ?いろいろやるんだよ。
このままいくとって、このままいかないんだよ。

でね、恐怖を煽って何かをやろうってやつは、絶対ね、悪魔の手先だよ。

あのね、「安心しな」なの。

だから俺ね、地震でも何でもね、日本って地震国だから安心しな。
それと、心配すると余計災難が大きくなるの。

この前、知り合いの人があの…
ものすごい喜んで電話してきたんだよ、その前に。
なぜかっていうと、かわいい娘さんができて、その人が…スチュワーデスになったの。
で、娘もなりたい…全員なってバンザイなんだよ。
わかる?

で、なんかね、最近、全日空だっけ?会社がなくなっちゃって…
だから…JALがなくなっちゃったんだっけ?…まぁよくわかんないんだけど。
だからスチュワーデスさんも雇わなくなっちゃったらしくて…

で、まぁ受かったからバンザイの話なの。
そしたら電話がかかってきたの。
で、今度は怯えてんの。
「どうしたの?」ったら、なんか最近飛行機の事故がすごく多くて…
ったら、娘が死んじゃうんじゃないかって。
わかるかな?

俺その人にさ、「あんた、地獄行くよ」っつったの(笑)

で、ここにいる八割の人が地獄行くからね、覚えといてよ。
で、みんなまた向こうで仲良くなれるから(笑)

でね、地獄ってのはね、寒くて暗いの。で、臭いとこなの。
最悪じゃねぇかって、最悪なんだよ。
だから全然行きたくないんだよ、俺なんか。

そいでね、なんで行くんですかっつとね。
……心配症なの。

簡単に言うと、心配症って病気だからね。
そういう人が天国に行くと、「いつまでここにいれるかしら」って。
「明日追い出されたらどうしよう」とかね。

あのね、心配症の人がそばにいる、って考えられないでしょ?
天国ってのは心配症の人がいないの。

特に「娘が心配で…」とか、下から変な波動出してると、飛行機落ちるぞ。
で、人は寿命が来るまで死なないの。

そいで、心配症で娘を心配するのは親の務めだと思ってるの。

…信じるの。
その子の魂を信じるの。
で、神と決めてきたいろんな困難を越えられる子だと信じるの。

で、人は死なないの。

心配症のなにがいけないか…
娘を信じてない。
自分を信じてない。
神を信じてない。

だから心配してんだよね?

娘を信じて、自分を信じて、神を信じてたら…
あのね、神を信じてると、信じてようが信じてまいが、死なないんだよ。
だから基本的にそこが違うんだよ。
わかった?

あのね、織田信長が死ねば終わりだっつんだよね。
神も仏もないったって、死なないんだよ。
何言ってたって死なないんだよ。

で、ひとりさんの話は死んでみりゃわかるんだよ。
「何だ言われたとおりじゃねぇか」って思うだけなの。

だから今うちは、浄霊やったりなんかするんだよな。
いろんなとこで、いろんな奇跡がどんどん起きるんだよ。
それは浄霊するためじゃないんだよ。

浄霊…あの、バックブリッジしたり、男の言葉で女性が喋る…
いろんなのでてくるんだよ。

いいかい?
霊が出てきたんだよね?
……ってことは死んでないんだよな。
わかるかい?

そいで、みんながこうやって浄霊して、
そういうのを目の当たりに見た時、霊魂は不滅なんだ。

それから成仏さしてあげたい。
ところでその次に思うのは、人はなんで生まれてくるんだろう。
なぜ何回も生まれるんだろうって思った時、
ひとりさんが言ってるようなこと覚えて、魂不滅なんだよ。

自分でやったことの責任をとって、刈るんだよ。
ご先祖でもなんでもないんだよ。
ご先祖が悪い事したのは、ご先祖に出るんだよ。
だってその人がやったんだもん。

で、いけないんじゃないんだよ。
その人がやったこと、その人は良いこともしてんだよ、いろいろやってんだよ。
でもその人がやった良いこと…
よく「先祖が良い事したからあんたに出てんだよ」って、それは先祖に出るの。

あなたがやった…良いこと起きてるんだったら、あなたが前世にやったの。
人のせいにできないんだよ、因果って。
わかる?

そのかわり、自分のことだからどうにでもなっちゃうんだよ。

で、そういう教えを教えるために、白光の浄霊があり、奇跡があって、いろんな人が治るんだよ。

治ってよかったね、じゃないんだよ。
はっきりと、因果の法則を知って、魂の成長のために起きるんだ。
だから俺は神がいるということの証明のために、ほんとに奇跡を起こし続けるんだよ。
たった5人しかいないとこで、納税一番…やり続けるんだよ。

うちは日本漢方研究所……って研究員がいねぇんだよ。
俺も研究してないんだよ。

それなのに、百個に一個に当たればいいという時代に、当たるものをずーっと出し続けてるんだよ。

だから、神は俺を日本一にするなんて、わけないんだよ。
わかるかい?

水晶持って始めたばっかしの人に、奇跡を起こさせるって、できるんだよ。
この宇宙を作っちゃうような人なんだよ。
だからできるんだよ。

そろそろみんなも、誰かのせいにするのよそう。
自分のやったことを自分で刈り取るのは当然のことなの。
それと、そろそろ変な因果作って、来世に残してくのやめよう。
一生懸命刈って、一生懸命良い種蒔けばいいんだよな。

特別なことなんかしなくていいんだよ。
人に対して傷つくようなこと言わなきゃいいんだよ。

それをなぜできないんですかって……我だよ。

俺が笑顔にしてなって、笑顔のがいいに決まってんだよ。
それなのにブスッと、聞いてもブスッとしてるって、おかしいんだよ。

地獄言葉より、天国言葉のが良いなんか、子供でだってわかんだよ。
それをいい大人がやらねぇのは、我が強いんだよ。
わかるかい?

我をなくせばいいんだよ。

それで、俺たちは元々、真我という分け御霊なんだよ。
だから真我は綺麗なんだよ。
わかるかな?

だから俺たちさ…
ともかく早く0点まで持ってって、今んとこはな、
「え、人を嘲笑うといけないんだ、じゃあやめよ」でいいよ。
やっと0点になったんだから。
マイナスより良いよ。
そのうち、「そうだよな」って。

自分がいくら字が上手くたって、下手なやつがいた時、教えてやるかなんかすればいいんだよ。笑うために俺たち修行したんじゃないよな。
で、そんなこと良くないから、よそう、だよな。
そうなった時、神様から100点だって100万点だって貰えるよね。
わかるかな?

俺も未熟かわかんないんだよ。
だけど未熟な俺だって、一生懸命やればやることあるんだよ。

この世の素敵なことはね、上には上がいるけど、下には下がいるんだよ。
それがこの世の良いとこなんだよ。だからここで話し聞いて、そうだと思った人は、一生懸命その人に教えてあげればいいんだよ。

ところでさ…って。
あんたに起きてる悪いことって、あんたがやったんだよ、って。
人のものは出てこないんだよ。
わかるかい?

オシッコだって、ウンコだって、あんたが食ったもんが出てくるんだよ。
人のものが出てくるのはないんだよ。
いや、ホントにそうなんだよ。

そいでさ、こんな簡単なことがさ、やっとこれから始まるんだよな。
魂ってやっとこの段階まで来たの。21世紀は魂の時代だって。
魂の時代ってなんですかって、ホントの因果がわかる。
ホントに自分がやるべきことが、わかる人が目覚めてくるの。

で、俺は良い時代だし、そのことを…俺は世界中行ったことないんだけどね。
あの、先駆けてこうやってできたりね、みんなも、とても俺一人じゃできないの。
だからここにいる人が、協力してくれて、みんなでテープ聞いたりなんかして。
…納得した人ね?

未だに自分はそこまで成長してないから、「俺に悪いことが起きるのはご先祖様のせいだ」と思いたい人は思ってていいよ。
だけど、「これどう考えても俺だよ」って。

俺、高校しか行ってないからね、会社でバカにされるんですってけど、俺中学しか行ってないけど、一回もバカにされた事ないよ?

バカにされるって…自分がね、学歴がある時、人をバカにしたんだよ。
平安朝の時代かなんかに、すごい勉強しててさ、できないやつバカにしたんだよ。
だからそういうことが起きるんだよな。
わかる?

で、それをね、学校行ってないってバカにされるからって子供に一生懸命言うけど、バカにされるのは、親のやつがやったんだよ。
だから、「俺、やめるよ」って、「人のことバカにするのやめるよ」って。
俺どっか悪いとこあったんだよっていったら、魂って成長するよな。

で、結局、魂が成長すればいいんだよ。

だからみんなで魂が成長して、成長するお手伝い。
神様が一番喜ぶのは、神様のお手伝いする人なんだよ。
あの、いろんな宗教で神の降臨を待ってる宗教がいっぱいあんだよ。

神は俺たちのお手伝いをしてくれる…要するに神のお手伝いをしてくれる人を探して待ってんだよ。両方で待ってんだから、話になんない。
だから、俺たちは手伝えばいいんだよ。

あのね、天之御中主様ってね、デカすぎて祀るところがないんだよ。
海なんっつーもんじゃないんだよ。
ここに降りてきてくれって、降りてこれるような存在じゃないんだよ。

デカすぎるんだよ。
で、これないんだ。今まで来ないんだから、これないの、これからも。
それより俺たちが愛と光でね…
今も俺、愛と光で一生懸命喋ってんだよ。

未熟な俺でも、みんなも未熟だけど、やれることってあるんだよ。
だから浄霊してね、奇跡が起きて、みんな喜ばれてるけど、浄霊は…いいかい?
奇跡とは教えのためにあるんだよ。

教えの先端…要するにいきなり教えからだと、信じない人がいるんだよ。
そのために神が奇跡を起こしてくれるんで、正しい教えというのは因果を作らないことなんだよ。因果を解消する、因果を作らない。

で、その因果は自分のことなんだよ。あんたがやったことなんだよって。
わかるかい?

そのために、いろんな奇跡がこれからも起きる。
だから奇跡を起こして喜んでちゃダメだよ?

一本の俺がテープでもなんでもいいから、ちょっとこれ聞いてごらん?っつってね、聞いた時、救われる人がいっぱいいるの。

で、俺は絶対にね、宗教にならないんだよ。
だって俺もあなたも同じに分け御霊があるっつってんだよ。
全員なんだよ。

俺だけ神だといえば、宗教になっちゃうんだよ。
同じなんだよ。
わかるかい?

あなたのやったことが、あなたに起きるんだよ。
それをあなたが刈るんだよ。
わかるかい?

ってことは、自分を救うのは自分なんだよ。
わかるかい?

恵美子さんを救うのは、恵美子さんなんだよ。
恵美子さんの因果を消せるのは、恵美子さんなんだよ。

だから宗教にはならないんだよ、なりようがないんだよ。
だって自分のを自分が消すんだから。

ひとりさんって凄いですねって、俺が凄いんじゃないんだよ。
恵美子さんが、すごい。

で、奇跡を起こしてくれてるみんながすごいの。
で、天之御中主様がすごいの。
これはこっちの言い方だよ?
外国だとアラーと呼ぶ人もいるし、いろんな呼び方があるけど…

因果があるということは宇宙には正義があるんだよ。
考えてみな、いいかい?

変なことするとバチが当たって、弱い者いじめするとバチが当たるっていうことは、
宇宙は無ではないんだよ。
だってバチが当たるってことは、やっちゃいけないんだよっつーことを、代々覚えてくるんだよ。
良い事すると、良いご褒美貰えるんだよ。

ね?ってことは、天之御中主様というのの、この、宇宙的正義があるんだよ。
で、何を基準にしてるかっていうと、愛と光。
愛があって上機嫌。

みんな死ぬとね、二つしか質問されないからね。
一つは、人生を楽しみましたか?
もう一つは、人に親切にしましたか?
この二つしか聞かれない。
だけどこの二つは同じなんだよ。

人生を楽しみましたか?って、人に喜ばれることが一番楽しいんだよ。
このパーティーも別に一銭にもなんないんだよ。
いや、ホントだよ?

だって俺講演会やるよったら、もっと来るんだもん。
一人5000円くださいって、くれるんだよ?
これみんな、ごはん代出してんだからね?
俺にくれてるわけじゃないんだよ?

だけど、みんなが喜ぶと人は嬉しいんだよ。
人間何が嬉しいって、ゴルフでポンと穴に入っても嬉しいけど、
「あんたがいてくれて幸せだよ」とかね、「あなたと同じ時期に生まれて幸せだ」って言われたら、一番幸せなんだよ。

幸せって追求したらね、人からどんなに思われてもいいんだって言うけど、人から嫌われたら幸せじゃないよ。
だからね、みんなでこれから奇跡がいっぱい起きるけど、神は目的があって奇跡を起こしてるの。
それは、教えを広めたいの。

で、教えって難しいことじゃないの。
あんたが撒いたものをあんたが刈ってください。
あんたが良い事したは、良いことが起きる。

ね?
親が良いことすりゃ、子供に良いことが……

起きないの。

子供は子供でやるの。
わかるかい?

良い親のもとに生まれりゃ、良い親をこうやって見ながら自分は良い事するんだよ。
嫌な親のとこへ生まれたら、こうやって見ながら、ああいうことはやめようと思うんだよ。
それで魂を成長させるの。

で、この因果のことがわからないと、何しに出てきたかわかんないから、おかしくなっちゃうんだよ。

だから俺たちの教えで何が必要かっつと、俺たちはなんの為に生まれてきたんだろう、この人生をどういう意図で構成するんだろう…
だから起きた問題、起きた問題を、みんな解決はするんだよ。

その時に、愛と光…要するに『愛情があって上機嫌な方法はなんだろう』っていうふうにして、この問題、この問題…って、問題は全員違うんだよ。
起きることは全部違うんだよ。

ただ、愛と光でこの問題を解決するんだって、ジーっと考えたら、もうその場で100点なんだよ。

だって愛と光の人だもん。

今日は、ここに、1500人以上の、愛と光の人が集まりました。

どうもありがとうございます。

(了)

原因→縁→原因


▲http://hasunoha.jp/pickups/55


「ご縁」とは「因果=原因と結果」の
外的要因である


「縁」は仏教用語です。

「因果」とは「因=原因」と「果=結果」と
思っていただいていいでしょう。

よく「因果」は、「種」と「花」にたとえられます。
この花の種をまいたからこの花が咲く。

しかし、現実にはそう単純ではありません。
種をまいても花が咲かないこともある。

花が咲くには、「種をまく」という因は不可欠ですが、

そのほかに、気温だとか、土だとか、水だとか
様々な条件がそろってこそ「花が咲く」
という結果になります。

この「気温・土・水」に当たるものが縁です。

ですから「因果」といっても、
「因」の他にたくさんの「縁」によって
「果」が成り立つのです。

「因縁」とありますが、元は「因縁生起」なのでしょう。
「縁起」も「因縁生起」の「縁」と「起」を結んだもの。

「因」と「縁」が整ってこそ「果」があるのです。


▲http://www.saikoji.net/houwa/houwa0801.html

「縁」は選択できる

「因果」つまり原因と結果の間にあるのが「縁」です。

原因は縁によって結果となるという、
因果の道理についてはこれまで幾度も述べてきましたが、

今回はこの「縁」について、
『「縁」は選べる』という持論を紹介したいと思います。

まず縁とはどのようなものでしょうか。
一言で言えば、万物の潤滑油のようなものです。

諸行無常といって万物は一瞬一瞬変化していますが
その「変化」の動向や実態はその「縁」によるのです。

変化は全て「縁」次第という、
いわば「変化」の潤滑油に当たるのが
"縁"といったらよいでしょう。

そのことを念頭において
まずその「変化」について考えてみます。

「変化」とは何か。

「変化」はどのようにして起こるのかを考えてみます。

変化とは万物の一つ一つに具わった
エネルギーの移動によるものです。

以前「もの」には全てそのものに具わった
エネルギーがあるということを述べましたが、

「ある」というより、その「もの」自体が
エネルギーと言った方がよいかもしれません。

つまり存在=エネルギーということです。

例えば、変化として分かり易いのが「老化」です。

人は時間と共に老化しますが、
老化という「変化」を考えた時に、
それは新陳代謝によるエネルギーの損失による変化です。

そしてやがて全てのエネルギーが尽きた時に
その「存在」も無くなります。

存在=エネルギーですから。
それがすなわち「死」です。

なるほど、人や生物の場合は
それでなんとなくわかりますが、
では無生物の場合の変化はどうでしょう。

一つの岩を例に考えてみましょう。
岩は無生物ですから当然新陳代謝をしてはいません。

しかし、存在=エネルギーという理論(持論)からすると
当然岩にもエネルギーがあることになりますが。

そうです。

その岩もれっきとしたエネルギーの塊(かたまり)なのです。
岩がエネルギーの塊だって?一体なんのことでしょうか。

「風化」ということを我々は知っています。

風化はれっきとした「変化」ですが、
この場合の変化は岩が外から受ける
エネルギーによるものだと考えるのが常識です。

でも持論から言いますと、
それは岩それ自体の退化エネルギーによるものなのです。

つまり、「生育」も「老化」も「退化」も「風化」も
みんなそれ自体のエネルギーによる「変化」なのです。

すなわちエネルギーの移動により存在が形を変えるのです。

これが「変化」です。

生物、無生物を問わず、
存在する「もの」にはすべてエネルギーがあり、

そのエネルギーの移動が変化となって、
その流れは永遠に止むことはないのです。

これがすなわち諸行無常の姿です。

何年、何十年経っても変化していないように見える岩でも
百年経てば目に見える変化が現れてきます。

百年経って変化しているということは、
一年一年で変化しているということです。

一年一年で変化しているということは、
一日一日で変化しているということです。

一日一日で変化しているということは、
一分一分で変化しているということです。

一分一分で変化しているということは、
一秒一秒で変化しているということです。

つまり、刹那ごとに変化しているのです。

生物、無生物を問わず、
万物はそれ自体瞬間瞬間に変化し続けているのです。

では次に
その「変化」のメカニズムについて考えてみましょう。

「変化」にはルールがあるのです。
すべての「変化」はそのルールに則っているのです。

そのルールこそ「因果の法則」であり、
その素因が"縁"という潤滑油なのです。

では「縁」とはどんなものでしょう。

一つの「もの」が時間の流れに
流されている状態を水の流れに例えてみます。

水は万有引力の法則に従って
ただただ低い方へ低い方へと流れていきます。

その流れは一定ではありません。

速度を変え、速くなったり遅くなったり、
急カーブしたりしながら流れて行きます。

それは流れの中にさまざまな障害があるからです。

流れにとって自分の都合で
流れの速さや方向を変えることはできません。

都合の良い石もあれば悪い石もあるでしょう。

イヤな石にぶつかったり岩に乗り上げたり、
土を削ったり、澄んだり濁ったりしながら流れていくのです。

その流れの中にある障害のすべては環境である以上必然のものです。
必然ですからそれは"縁"であり受け止めるしかないのです。

つまり"縁"とは"必然"であり
避けられないものだということがわかります。

これと同じで、

万物の一つ一つにはそれぞれの流れがあって
その環境のすべてが"縁"であるのです。

人の人生もこれとまったく同じだと考えられます。
人それぞれにはそれぞれの環境という必然があるのです。

その環境のすべてが「縁」であると考えたときに、
その縁といかに向き合っていくかが人生にとって大切なのです。

今私は、縁は必然であり、その縁と
如何に向き合っていくかが問題だということを申しましたが、

実は人の場合「縁は選択できる」のです。
これこそ人に与えられた「特権」なのです。

出会う「縁」は必然であり、
仕方のないものとしましょう。

しかし、「縁」が選択できるというのなら
それをしっかり認識してそれを人生に活かすべきなのです。

人の出会いの縁からその「選択」について考えてみましょう。

友人を選ぶということは一つの選択ですが、
良い友人を持つのと悪い友人を持つのとでは人
生にとってその影響は実に大きいものがあります。

さらにそれ以上に人生にとって
重大な縁と言えば結婚でしょう。

結婚は出会いの中でも最大級の「選択」であり、
その決断は人生を左右するものと言っても過言ではありません。

そこで、極最近ある若い女性から
直接聞いた話をご紹介します。

数年前のこと、縁あってある男性と
約一年間の交際を経て結婚することになったそうです。

お相手は家柄も良く社会的経済的にも
まったく申し分のない青年だったそうです。

結納も済み、式場を決めようとしていた
矢先のことだったそうです。

その彼からなぜか突然彼の家の
お墓参りに誘われたそうです。

ご先祖様へのご報告として
当然のことだと思いながら、
そのお墓に案内されたそうです。

ところがそこには彼女にとって
大変な"結果"が待っていたのです。

そのお墓に行って唖然としたというのです。

そこにはなんと卒塔婆でもない板切れが
数本立っているだけでそれ以外何も無かったというのです。

「ええ・・・! これがお墓?」
「墓石も何も無いのに何を拝むの?」

「この家の人達は一体先祖やお墓のことを
どう考えているのだろう?」

「こんなお墓に連れてきた
彼のその神経が理解できない・・・・・」

しばし呆然。

この瞬間から、彼との結婚への想いは
急激に冷めてしまったそうです。

結局破談となり当然その理由を聞かれたそうですが、
お相手方にその本当の理由はすぐには言えなかったそうです。

「突然決まったあのお墓参り・・・
あれはきっと私のご先祖様、特にお爺ちゃんの

示唆によるものではなかったかと今にして思われます。」と
彼女はいみじくも語っていました。

出会いという「縁」から結婚という「選択」があるわけですが、
彼女の場合実にドラスティックな"選択"があったわけです。

それはまさにご先祖さまからの
"ご神託"であったとも捉えることもできますが、

私には何よりも彼女にご先祖様に対しての
報恩感謝と畏敬の「感性」があったからこその
結果だったと思えるのです。

私は彼女のそんな感性に感動を受けましたが、
その感性こそご先祖様から受け継がれた
「因縁」によるものなのです。

優れた感性が正しい縁の選択をするのです。
今の時代に最も求められているのは
そんな「感性」ではないでしょうか。

「縁は選択できる」ということの一例を述べましたが、
これは特段に考えることではありません。

誰でも毎日の当り前の生活の中に有る
ちょっとした「選択」をちょっとだけ
真剣に考えてくれればよいのです。

例えば、朝早く起きるか、遅く起きるかということで
検証してみましょう。

例えば早く起きることを選択すれば、余裕ができます。

余裕ができればしっかりした食事がとれます。

家族の会話ができます。
学校や会社に遅れる心配もありません。
ストレスもたまりません。

他方、ぎりぎりまで寝ていることを選択すれば、
あわてて起きなければなりません。

結果、満足に食事もとれません。
家族の会話もできません。

あわてて事故にぶつかる可能性も高くなります。
すべてに余裕がなくなればストレスも重なります。

双方の結果は歴然です。

朝起きなければならないという事態は
必然の「縁」ですが、起き方の選択の違いで
その結果は大きく違ってきます。

これが習慣となれば
やがて大きな結果となって現れてくるでしょう。

このように、われわれの毎日は選択の連続なのです。

良い選択は幸福に向かいます。
悪い選択は不幸に向かいます。

犯罪を犯す人は間違いなく
「選択」を誤ってしまうのです。

これこそ因果の法則です。

毎日の生活は縁の選択の連続だとしたら、
人生は縁の選択で決まってしまいます。

だとしたら選択の判断を
間違えない方法があったら良いですね。

実はあるのです。

次はその方法について考えてみましょう。

「縁」は心で決まる

「縁」は必然であり、その縁と如何に
向き合っていくかが問題だということを述べました。

さらに縁を選択できるということは
人に与えられた「特権」だとも述べました。

果たしてほんとうにそうでしょうか。
その点についてもう少し考えてみたいと思います。

まず「必然の縁」とは
"与えられた縁"であるということです。

川の流れの中でぶつかる岩は必然の出会いです。
生まれてきた親の下も必然の縁です。

「必然」の縁だから子供にとって親は選べません。

一方の「選択できる縁」とは、
必然の後の「対応の縁」を意味します。

対応の縁とはこれから"どう向き合うかという縁"のことです。

例えば、ある会社員が転勤命令を受けました。
その場合転勤命令は受け止めなければならない必然の縁です。

しかし、その「命令」に対して人は
どうするか選択できます。これが「対応の縁」です。

つまり、人が受け止める縁は必然ですが、
対応で縁を選択できるのです。

人生は縁の選択の連続だとすると、
良い人生も、悪い人生もそれぞれの選択の
積み重ねの結果だということがわかります。

ですから

"縁に流されて"しまうのではなく、
しっかり向き合うべきなのです。

そして、普通「縁」というと
何か特別の出会いや出来事を思い浮かべる人も
多いかと思いますが、実は毎日の生活のすべてが
縁だということを認識して欲しいのです。

今食べていることも、話していることも、
歩いていることも、車に乗っていることも、

働いていることも、

即ち朝起きてから寝るまでの
一挙手一投足の行動の全てが
「縁」との「対応」と「結果」なのです。

結果が次の必然であり、その必然との対応が
次の結果をもたらすという、人生は縁の展開なのです。

そこで考えなければならないことは、
必然の縁には当然好ましい縁もあれば
好ましくない縁もあります。

しかし、好ましい縁であっても
扱いによっては悪い結果となりますし、
悪い縁であっても扱いによっては良い結果をもたらすことを
自覚すべきです。

また、良い縁だけが与えられる人生なんて絶対にありませんし、
また悪い縁だけが与えられるということも絶対にありません。

どんな人の人生もさまざまな縁のぶつかり合いなのです。

ですから、人はどんな縁に対しても
"選択"で勝負をしなければなりません。

しかしその勝負にいつも勝てるとは限りません。

なぜでしょう。

それは人の人たるゆえんです。
そのゆえんとは「こころ」です。

人の行動のすべては、意識的にしろ無意識的にしろ、
「心」によるものだからです。

ですから、どんな縁でもそれを好転させるかどうかは
その人の心に掛かっているのです。

ということは、人生を決めるのは縁ではなく、
その縁をコントロールする「心」だということになりますね。

つまり「こころ」こそ縁の「よるべ」なのです。

ですから、仏教は
「心」を第一番の問題と捉えているのです。

仏教は「仏陀の教え」ですが、
一言で言えば心のあり方の教えです。

お釈迦さまは真理を悟られて、
人にとって心こそ最大の問題だと認識されました。

つまり、人は心を豊かにすれば幸せになれるし、
心を貧しくすれば不幸に陥るという
極めて単純明快な教えなのです。

しかし、お釈迦さまの教理はお悟りから生まれた
深遠で妙たるものなので人々には大変難しかったのです。

悟りの世界のことは悟りを体験せずには
理解はできなかったからです。

どんな体験でもそうですが、
その内容を言葉だけで100パーセント人に
理解させることは無理です。

それと同じことで、
悟りの智慧は悟ってこそ初めて理解できるのです。

だからこそ、お釈迦さま以来あまたの修行者が
命がけで修行をしてきたのです。

悟りの智慧とはそれほど価値のある凄いものなのです。

その仏教も初めは「学問」だったと考えられるのです。
科学、物理学、医学などと同じような「哲学」でした。

普通「~学」という学問であれば
案外簡単に証明ができますから
誰にでも容易に理解できます。

科学も物理学も医学もみんな
"証明"や"立証"ができる「学問」なのです。

では仏教はなぜ宗教に
なってしまったのでしょうか。

その理由を持論で述べてみたいと思います。

特にインド文化においては
哲学を教える先生などは
仙人のような扱いを受けたそうです。

先生の教えを頂くときにはまず
お線香を立てて礼をしてからという
習慣があったそうです。

仏教が"宗教"になってしまった要因には
そうした環境も考えられますが、

私は一番の理由は一言で言えば
仏教の持つ「凄さ」だったと思うのです。

仏教は小乗から大乗に至りました。
その大乗の中でさらに顕教から密教に進化しました。

特に密教は理論で理解できない世界です。
理論で理解出来ないことを「不思議」といいます。

不思議とは「思議すること不可能」ということであり、
人の考えや思いの及びのつかない世界のことを言います。

先に、

仏教は悟りの智慧から出た教えであり、
その体験無くして真に理解できない
ということを述べましたが、

それは即ち証明や立証のできない世界だ
ということになります。

証明、立証ができないものは
「学問」の範疇ではなくなります。

証明や検証ができないものは「不思議」なものであり、
その「不思議」な感覚、感情を与えるものを
カリスマと言います。

そのカリスマに人は惹かれ興味や憧れを持つのです。
その畏敬の心が「宗教心」になるのです。

お釈迦さまにはその凄いカリスマがあったのです。
私の言う仏教の「凄さ」とはそういうことです。

不思議な人、不思議な世界に人は惹きつけらます。
そこは理屈無しに信じられる世界になるのです。

理屈を超えて信じる世界、それが「宗教」です。

ただし、いつも言うように
宗教にはいろいろあるので
気をつけなければなりません。

宗教といわれるものはみな一様に
「幸せになる」ための教えを謳っていますが、

盲信は絶対ダメです。

実体を見極めないと
「邪教」や「外道」に陥る結果にもなりかねません。

おかしな宗教によって不幸になったり
人生を狂わせられたりしたケースはいくらでも有りますし、

これから将来も人類が続く限りそういったことが
無くなることは絶対にありません。

それは人間とは宗教的生き物だからです。
気をつけましょう。

以上、仏教と宗教との関係について述べてみましたが、
要するに、仏教とはただただ「心の教え」だということです。

どうやって悩みを無くすか。どうやって苦しみを無くすか。
どうやって完成された人格をつくるか。

つまり、どうやって
「心」を豊かにするかについての教えが仏教なのです。

我々は、見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、
体で感じたり、考えたり、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、
楽しんだり、嫉妬したり、憎んだり、愛したりしますが、

これらはすべて「心」の働きによるものです。

心の働きと言いましたが、
これほど科学や医学が進歩した現代においても
心の実体が解明されたわけではないのです。

いくらレントゲンをかけてもMRIで解析しても
体のどこにも「心」の実体が確認できません。

その形も場所もわかっていないのが現実なのです。

辞書には「人間の精神作用のもとになるもの。
またその作用。知識、感情、意志の総体。」
などと定義されていますがきわめて抽象的です。

では、仏教はその「心」をどう捉えているのでしょうか。

御開山道元禅師は
「よろずの存在がそのまま心である。
三界はただ心である。」

「正法眼蔵(心不可得)」と示されています。

この意味は、「存在のそれ自体が心である」ということです。

さらに、「心とは、一心一切法、一切法一心である。」
「正法眼蔵(即心是仏)」と示されています。

この意味は、「心が即ち一切の存在であり、
一切の存在が即ち心である」という意味です。

【斎藤一人】試練をよける方法、軽くかわせる方法

 


いやなことが起きたとき、
この動画で一人さんが言っていることを
思い出せば、ふっと気持ちが軽くなります。


心が萎えた時に、私が読むホームページ



私が心が萎えたとき、開くホームページがあります。
それが本日ご紹介する「幸せのホームページ」です。

あなた様が、今の人生ステージの中で、
心が萎えそうなときに、読まれることをおススメします。

その中の一行が、あなた様の苦しみを
ふっと軽くしてくれるかもしれません。


http://www.din.or.jp/~honda/
▲『幸せのホームページ』

あなたは自分を強くしようとしてる?


自分を甘やかしていない?
ラクをしようとばかりしていない?
大変なことから逃げてばかりいない?

自分の身体と心を強くするように心がけよう。

強くなればラクに自分を守れるんだよ。
もっと自分がやりたいことが出来るようになるんだよ。

苦しいことやたいへんなことは
自分を鍛えてくれるんだよ。

ラクばかりしていると弱い人になっちゃうんだ。
苦しいことから逃げてばかりいては、
いつになってもその苦しいことに追いかけられちゃうんだ。

苦しい時に一生懸命に頑張ると強くなれるんだよ。
強くなればそれは苦しいことじゃなくなるんだ。

でも、どうしても我慢できないくらいに苦しいときには
「助けて」って言おうね。

本当に苦しいときに「助けて」っていうのは、
勇気のある強い人だよ。

あなたは強い人になりたくない?

強い人になれば、
小さなことで苦しまなくてよくなるんだよ。

自分に優しくすることと厳しくすることは反対のこと?

苦しいときに自分を助けることは、自分に優しくすること。
苦しいときに頑張るのは、自分を鍛えること。

どちらも大切なことなんだ。

どっちが良いかはその時によるんだよ。
苦しい時には自分でよく考えてごらん。

我慢するのが本当に辛いときには、
自分を助けよう。

我慢すれば自分が強くなれると思えたら、
頑張ってみよう!

自分で自分をいじめてるだけなら、
そんなことはすぐにやめよう。

やめることが自分を甘やかすことだと思えたら、
自分に厳しくしよう。

でも、それを決めるのは難しいことなんだ。
よく考えて決めたんなら、それでいいんだよ。

どっちでもいいんだよ。

自分を強くすれば自分にもっと優しくできるんだよ。
強い人は他の人にもやさしい人なんだ。

強くて優しい人になろうね。

強い人ってどんな人だと思う?

小さなことで苦しまない人、自分にやさしい人、
自分に負けない人、少しくらい苦しくてもがんばれる人、

人に優しい人、人の気持ちを考えられる人、
人を助けたいと思える人、
勇気のある人、素直で正直な人

あなたはどんな強い人になりたい?

「自分は何かができない」、
「自分には何かがたりない」、
「自分はダメだ」なんて自分を責めるのは、

自分に優しくないし、自分を弱くしてしまうんだよ。

「今はできなくてもいいんだ。
今にできるようになるよ」みたいに、
自分に優しくするのが良いんだよ。

自分ができたことは「よくやった。えらい」って、
自分をホメてあげよう。

自分をホメることが
自分を強くすることになるんだよ。


プロフィール

ナガサキブタロー

Author:ナガサキブタロー
シニア初心者の
悩める求道ブログです。
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転載フリーです。
相互リンクも大歓迎♪

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