私達の脳は心配性


気持ちが乱れていたり、不安だったり、怖かったり…。
人の脳は、黙っている時でもずっと物事を考え続けています。

「問題はないか?
自分の身は安全か?
イヤなことが起きる前兆はないか?

そうやって脳は、自分を守る為にいつも考え続けています。



小さなことが気になってしょうがない
「心配性」のメカニズム


心配性」とは、「~になったらどうしよう」などと、未来を過剰に心配する性質のことです。

心配性」とは、「予期恐怖」とも言われます。

心理学的に言うと、心配とは、「否定的な情緒を伴った制御の難しい思考やイメージ」。

・子供の頃は、忘れ物がないかが心配で、

・母が時間通りに迎えに来てくれるかが心配で、

・両親が急に死んでしまわないかが心配だった。

・鍵かけ忘れちゃったかも…。

・泥棒に入られたらどうしよう・・・。

・私のあの一言で、あの人が気分を害してないかしら…。

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世界的にみても、日本人は心配性が多いというデータが出ています。

どのような人が心配性になりやすいのでしょうか?

小さなことにも気づき、些細なことでも気になり、活発な行動よりも、いろいろ考えをめぐらす人が心配性になりやすい。

第一に内向的で自己内省的、第二に小心、敏感、心配性、小さな事にくよくよしやすい、第三に完全主義、理想主義、負けず嫌いなどの特徴があります。

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前述したように、脳は、自分を守る為にいつも考え続けています。

そんな脳の働きが過剰になると、心配や不安で眠れなかったり、イヤな気分に陥ってしまいます。

そんな時は「大したことない、大丈夫!

そう口に出すことで、心配し過ぎている脳にストップをかける「おまじない」をかけてあげましょう。

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今日は、仕事(あるいは人間関係)が上手く行かなかったなぁ

そんなこともあります。そんな時は、最後に

まぁいいか!次に頑張ろう!

という前向きの言葉で締めくくるようにしましょう。

自分に起こるほとんどは、「なんとかなること」です。必要以上に考え込んで、落ち込む必要はありません。

心は、事前に何を考えたかによって、感じ方も変わってくるようにできています。

大丈夫!大丈夫!

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「ありがたいなぁ!」3分間の効用
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不安や心配というのは、シグナルですから、その最善策を考えて、適切な処置をしておくのは重要なことです。

しかし、それでも不安や心配で気持ちが塞ぐ時には、3分間ぐらい「ありがたいなぁ」と、感謝の念を込めて言い続けましょう。

すると、脳は混乱します。脳は矛盾したことが大嫌いだからです。

別に何も"ありがたい"ことなんかないよ!」という不快感が湧き出てきても、構わずに続けるのです。

ありがたいなぁ!
ありがたいなぁ!
ありがたいなぁ!

時々、こんな質問もします。

どうしてありがたいの?

そして、さらに続けます。

ありがたいなぁ!
ありがたいなぁ!
ありがたいなぁ!
ありがたいなぁ!

ただただ無心に、心をこめて「ありがたいなぁ!」と感謝してみて下さい。

そうすると、脳はどんな反応をするか?そう、「ありがたい理由」を探し始めるのです。

脳は、矛盾したことが大嫌いだから、「なぜ、ありがたいのか」の根拠を見い出して自らを納得させようするのです。

このように「ありがたいなぁ」とつぶやくことが習慣になってくると、いつもありがたい理由が勝手に思い浮かぶようになってきます。

すると、不安はどこかに消えてなくなります。不安は感謝には勝てないようです。

不安になったら、感謝の言葉を唱えると良いようです。

お試しあれ♪

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私が人とのかかわりに疲れた時、読んでいるブログを紹介します。

「おかしな幸福論」というブログです。

定年退職後は、雇われている訳じゃなし、上司もいないことから、「さぞや気ままに生きられるだろう」と期待していました。

けれども、「気まま」って自分軸がしっかりしていないと、周りの人の言動で心がけっこうスイングしたりして、あまり楽しくはありませんね。

そんな思いの時に読んで、なるほどなと参考になった記事を(いつもの無断)転載にてご紹介します。



他人軸と自分軸とは?


他人軸、自分軸・・・という言葉があります。

他人軸で生きるとは・・・他人に対して自分がどうなのか・・・ということが基準になっているようなことを指します。

この生き方は、人と競って、比べて生きる生き方でもあるのかも知れません。

自分軸で生きるとは・・・自分がどうありたいか・・・ということを基準にする生き方です。

この生き方は人にどう思われるか、人に勝つこと負けること、人からの評価・・・のようなものは、どちらかというとあまり関係なくて、自分がどう思うか・・・ということを大切にしてゆく生き方だと思うんです。

■勝とうとします。

他人軸では、他人に対して勝とうとします。

自分軸では、自分に対して勝とうとします。

■挑戦します。

他人軸では、誰かに対する挑戦です。

自分軸では、自分に対しての挑戦です。

■自分を磨きます。

他人軸では、誰かよりも輝くために自分を磨きます。

自分軸では、自分が成長することに喜びを感じるから自分を磨きます。

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他人軸と自分軸・・・どちらか極端に傾いて生きている方は少ないかも知れません。

どちらに寄って生きているか・・・ということになるとは思うんです。

例えば人と比べたり、競ったりすることは僕は悪いことではないように思うんです。

時には人と切磋琢磨すること、負けてたまるかという強い思いが自分だけではたどり着けないところへと導いてくれることもあって。

だけど、人と比べることや競うこと、そして、その中に自分の価値みたいなものを見出そうとすることにもし疲れてしまったとしたら、もう1つの生き方に思い切ってシフトしてみてもいいのかも知れません。

自分軸の生き方に寄ってゆくと・・・人と比べる必要が少なくなってゆきます。

誰かに勝って喜ぶこともなくなりますが、誰かと比べて劣っていると落ち込むこともなくなります。

そう思うと、自分軸で生きてみる・・・というのは1つの劣等感を乗り越える方法でもあるのかも知れません。



自分の在り方を大事に生きる


自分の在り方を大事にする人はブレない人・・・以前、そんな風に書かせていただいたことがありました。

人の悩みってその殆どが人間関係によるものなのかも知れません。

人にかけられた心無い言葉に傷ついてしまう・・・そんなこともあるかも知れません。

相手に送った自分の思いが全く返ってこないこともあるかも知れません。

だけど、人は人なんだと。
そして、その人はきっと変わらない。

大事なのは、他人をどうするかより、自分がどうあろうとするか、自分がどんな人間であろうとするか、自分が人とどう向き合おうとするか・・・そういう自分の在り方・・・

例えばそんな風に考えてみた時に、人のことで悩んでいたのが嘘のように、まるで霧が晴れたかのように目の前がすう~っと明るくなることがあります。

人をどうするか・・・より、自分がどうするか・・・と考えることもまた、自分軸で生きる1つの形なのかも知れません。



自分軸で生きれば他人との違いを認められる


自分軸で生きる・・・なんていうと自己中心的であったり、他人には興味を持たない生き方のように聞えてしまうかも知れません・・。

本当の意味で、自分軸で生きるということは、自分の思いや自分が自分でいることを大事にする生き方だと思うんです。

人は不思議と自分が自分に対してしていることを無意識のうちに人にもしようとする・・・そんな特徴があるようです。

だとしたら、自分の在り方を大事にしようとする人は、無意識のうちに相手の人が相手の人でいることも、同じように大事にしようとする、尊重しようとする人でもあるように思います。

自分のままでいい・・・そう思えない限り、きっと相手にも同じようには思えないのかも知れません。

自分のままでいい・・・そう思えた時、相手も相手のままでいいんだと思えて、相手と自分の違いを認められるのかも知れません。

最後まで記事をお読みいただいて、本当にありがとうございます。感謝です。



いかがでしたか?とても良いことが書いてあるでしょう。

とても良いブログですからどうぞ、下記URLをクリックしてご自身でお読み下さい。

おかしな幸福論

http://www.mori-life.com/index.htm



昨日のことですが、いつもお世話になっている取引先の佐藤さんが元気がありません。

「どうしたんですか?なんか心配ごとでも?」と声をかけました。

佐藤さんは今年63歳で、3年前に一度定年退職をしたあと、嘱託社員として居残り勤務をなさっています。

その同じ部門にいる年下のスタッフが心ない一言で彼を傷つけたようなのです。

佐藤さん、最近すこしボケ入ってますよねぇ(笑)

その若手は、私も知っている優秀なエンジニアですが、仕事ができることを鼻にかけた少し生意気な奴です。

私もちょっと頭に来て、そいつを呼び出しました。



なんで、佐藤さんにあんなひどいことを言ったの?

ええっ?あれは、悪気のない軽いツッコミですよ!」

「佐藤さんも、”
なんでやねん!”と切りかえてくれなくちゃ!

う~む、なんと愚かな奴でしょう!

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誰にでも、気にしていることがあります。外見的には、ハゲ・チビ・デブ・ブス…。

その他には、バツイチや不妊症なども人から触れられたくないことです。

私たち嘱託社員は、いったん定年退職した60歳代ですから、「ロートル(年寄り、老人)」という言葉で傷つきます。



「デリカシー」とは、気配り、心配りなどの繊細さのことです。

無神経な人は、相手のこうした「立入禁止ゾーン」に平気で踏み込んできます。

しかし、やっかいなことに、こうした無神経な人は、別に悪気があって、相手の神経を逆なでするようなことに触れている訳ではないのです。

彼らは、自分のそうした発言が、相手をどのように傷つけるかというイマジネーション能力が決定的に欠落しているのです。

単純に、人として未熟なのです。厳しく言えば、「欠陥人間」です。

あなたは、相手が気にしていそうなことを平気でズバズバ言えますか?

可哀そうで、とても言えないでしょう?

それを言える時点で、そいつは、不良品なのです。どんなに仕事が出来ても、人間のクズです。

どんなにお金持ちでも、どんなに立場が上でも、どんなに優秀でも、相手の「立入禁止ゾーン」が見えない奴は、人間として、可哀そうな不良品です。

不良品に好かれる必要はありません。不良品は、自分が正しいと思っています。

不良品の言葉に、愛はありません。軽く受け流すに限ります。真に受けないことです。

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私は、佐藤さんを傷つけた若手にこう言いました。

君は確かに仕事は出来るけれど、人の気持ちが分からないから、いつまでも主任になれないんだよ。わかるかい?

その若手が一番気にしていることでした。彼は、唇を噛んでプイッと横を向きました。

人の痛みには無神経で、自分の痛みには神経質。そんな未熟モンは、人の上に立ってはいけません。

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実はこの言葉は、私が30年前に、尊敬する先輩から言われた言葉そのままなのです。

私は今でも未熟のかたまりですが、やっと、人が嫌がることには察しがつくようになりました。

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自分が相手の悪口や憎まれ口を言わないように気をつけるようになると、相手の無神経な一言がとても気になるようになります。

だから、以前よりよけいにカチン!ときます。だけど、佐藤さんを傷つけた若者を傷つけたのは私でした。



善人面して俺はなにをしているのか!と凹んでしまいました。要らぬお節介をしたものだと己の未熟さを反省しています。

いっちょまえに歳だけは取りましたが、人間としてはまだ白帯のままです。

それが情けないです。グッスン(涙)

本日は、このへんで失礼します。


 

「マイナス感情を
 ボヤのまま鎮火させるコツ」


私は以前このブログのどこかでこんなテーマで記事を掲載しました。

自分で調べて書いたぐらいですから、十分に理解しているつもりでした。



しかしながら、いまだに自分に対して、相手に対してイラっときたり、凹んだりする毎日。

いくら勉強をしても、実践の現場で自分の感情をコントロールできなければ学んだ意味がないとブルーな気分に陥っていました。

けれども、それは私の間違いでした。マイナス感情の発信源は「エゴ=自我」なのです。

「エゴ」は私たち人間のDNAに刻まれている根本的なものなので、消滅させようとしてもムリなのです。

どんなに精進しようとエゴによるマイナス感情は衝動的に湧き上がって来るのです。

そのマイナス感情をうまく受け流して心を支配させないようにするのが、実践の現場での心がけなのでした。

「エゴ」は不滅です。

「エゴ」とは死ぬまでの付き合いです。

ポジティブ思考の人というのは、「エゴ」によるマイナス感情を、その都度、上手く受け流す習慣が出来ているのだと思うのです。

本日のブログでは、もう一度「エゴ」と上手く付き合う術を学び直しておきたいと思います。

そのマイナスの感情が衝動的に湧き上がった時が実践のタイミングです。

「エゴとの上手な付き合い方」の記事を読んで、なるほどと思ったぐらいでマイナス感情がなくなるほどエゴはやわな存在ではありません。

特に自分の体調が悪いとき、何か悩み事があるときなどは、一日に、いや時には一時間の間に何度も何度も湧き上がってきます。

そのときに、「こんな感情は要らない!」と、「こんな気分は必要ない!」と、ふっと口から吹き出してしまう。

それを習慣にしてゆけばよいのだと思います。

要は、その感情に支配されるか拒否するかの問題です。

すぐにはうまくいかないでしょうが、何度も何度も飲み込まれながら少しずつかわせるようになれば良い。

それくらい気楽なつもりで精進してゆきたいと思っています。


▲ http://cli-max.net/blog/2175

最近の僕は、かなり弱気になっちゃってて、ハタから見たら「なんでそんなことにびびってんの?」ってことに弱気になってんですよ。

で、自分でも変だなぁって思ってたんだけど、結局、そこにあるのは僕のエゴなんですよ。

僕が握りしめてるエゴが不安や畏れを僕にもたらして、びびらせてるんですよ。

どんなに過去に頑張ってきても、気力をあげても、一つのエゴでヘナヘナになるんですよ。

エゴ恐るべしですよ

僕はエゴがあっても平気な自分になろうと思ってたんだけど、はっきり言ってこれはもうムリですね。

エゴと同化しちゃったらおしまい

「そのことに気づいてるだけましだよ」
「普通の人はそっから振り回されるから」って言ってくれる人はいるけどさ。

尊敬するその人もやっぱりエゴと同化しちゃうと同じようになるんだってさ。

エゴすごい、ホントにすごい

で、今思うのはエゴに関して自分にできることは、日頃からエゴと同化しないようにすることと、エゴに振り回されないようにすることぐらいなんだよね。

僕は何か勘違いしていた気がする。

気力をあげたり、いろんな面で強くなれば、エゴが平気になるんじゃないかって思ってたし、そのための行だと思ってたけど違うんだね。

今更だよね、こんな気付きだけど、よくよく考えると本にはそんなこと書いてあるし、マトリックスでもそういうこと描かれてるよね。

だけどね、この数日の記事にも書いたけど、しんどいときの方が学びが多いのも事実だから、このしんどさは生きてるって証拠で、僕らがエゴを持つのは、そのエゴから何かを得るためなんだろうと思う。

エゴがなかったから何も行動が起こらないし、そして、悟ろうが何しようが、人間として生きている以上、エゴは無くならないからね。

この気付きは僕には衝撃的で、その衝撃度合いは伝わらないかも知れないけど、やっぱりどこまでも「いまここ」なんだなぁって思った。

今回の気付きでいろんなことがわかったというか、パラダイムシフトが起こった行に取り組む目的というか、理由というか、その視点も大きく変わった。

なので、心機一転、また新しい気持ちで呼吸法でエゴをうまく手なずける実践を心がけてゆきたいと思います。


▲http://www.6rou.net/envi_syumi07.html

ここでは、エゴに取りつかれた人が
一体どういう風に振舞うのか、
私なりに書いていきます。

ここでいうエゴとは、
「偽の自分」
「自分自身に対する(誤った)思い込み」
こんな感じです。

要するに、自分自身の中にある
「性質の悪い思い込み」のことです。

今の日本では、以下のパターンに
当てはまる人が殆どでしょうし、

かくいう私も、下記のパターン通りの
生き方をしていて非常に苦しみました。

それではいってみましょう。

外の条件が大好き

外見、お金、モノ、肩書き、思考、感情…
エゴに取りつかれた人間は、
自分の外にある条件が大好きです。

何はともあれ、まずは外の条件で判断を下し
「良い悪い」のレッテルを貼ってしまいます。

美人は良くてブスは害悪、
金持ちは良くて貧乏は害悪、

良い気分でいることは良いことで、
マイナスの感情は害悪…

一事が万事この調子です。

外にあるものが好きでも良いじゃないかと
思われるかもしれませんが、

モノに限らず、肉体やお金、思考など
外にあるものは全て移り変わる「無常」なものです。

無常なものに対して一々レッテルを貼っていると、
心が全く落ち着きません。

私の場合、いちいちレッテルを貼って
良し悪しの判断をする度に、

ハイになったりローになったりして、
全く落ち着きませんでした。

同一化が大好き

さらに問題なのは、
エゴに取りつかれた人間は

外の条件を「本当の自分」だと
思い込んでしまうことです。

例えば、大金を手に入ると
「俺は偉大な人間だ」と思い、
一文無しになると「俺はクズだ」となります。

「本当の自分=お金の量」と
思い込んでいるので、

お金のあるなしに比例して、
自分の価値も決まると 思い込んでいるのです。

要するに、お金と自分自身とを「同一化」させ、
「オイラのアイデンティティはお金」と
思っているわけです。

また、自分の外見を保とうと
整形手術を繰り返す人間、

会社に依存し過労死するまで
働き続ける人間など、

エゴによって
同一化させる対象は様々です。

移り変わるものに対して
自分自身を同一化させていると、

必ず終わりがくるので、
大きな挫折を生むことは確実です。

その挫折からまた立ち上がれれば良いのですが、

同一化の対象が
肉体だったり家族だったり
お金だったりすると

挫折の度合いが大きく、
酷い場合は自殺してしまいます。

だからといって、
「よし、俺はもう外面的なことと
自分を同一化しないぞ!」

「 俺はスピリチュアルに生きるんだ!」 と決心しても、
「スピリチュアルに生きること」と自分とを
同一化させてしまうので、

ただ同一化の対象が変わっただけ、
実際は何も変わらずということになります。

この同一化こそが、現代の日本人を
生き辛くさせている最大の理由ではないでしょうか。

過去と未来が大好き

自分と外の条件とを同一化させ、
外の条件に振り回されて生きていると、
一日のうち少なくない時間を

「あれが起きていれば…」
「これが起きなかったら…」
「あれが起きろ」
「これは起きるな」 などと、

過去や未来のことについて
考えて過ごすことになります。

要するに「今ここで」「今この瞬間」に
意識を向けることを嫌い、

過ぎ去った過去、不安な未来、
根拠の無い期待にについて
ず~~っと考えているわけです。

「家が貧乏だったからこんな目に遭っている」
「親に虐待されたからこんな目に遭っている」

「この仕事が終われば明日は休みだ」
「ああ~明日からまた仕事が始まる」

「理想の人と結婚すれば幸せになれるだろう」

「子供が五体満足で生まれれば幸せになれるだろう」
「子供が希望通りの学校に入学できれば幸せになれるだろう」

「子供が独り立ちすれば幸せになれるだろう」

「ローンを払い終えたら…」
「定年退職すれば…」

こんな風に、過去や未来に意識を向けて、
気付いた時にはもう老い先短い老人になっています。

で、
「俺の人生何だったんだ!」
「政治が悪い社会が悪いアイツが…」 と
周囲のせいにして一生を終えるのです。

傍から見たら
自作自演のコメディそのものですが、
本人からしたら立派なトラジディ(悲劇)です。

思考が大好き

エゴに取りつかれた人は
「思考こそが私そのものである」 と考えています。

所謂「我思う、ゆえに我在り」が
真実だと思い込んでいます。

そのため、頭を鍛えに鍛え上げ、
思考を洗練させれば 「真理」に近づき、
幸せになれると思っています。

しかし、思考は思考でしかありません。
思考に依存すればするほど、
頭の中の雑音は激しさを増します。

ある時は自分を厳しく罰し、
あるときは自分を誘惑し、
思考を自分自身と考えていると、
思考のお喋りに振り回される ことに
なってしまいます。

振り回された結果、
ストレスで身体を損ねたり

他人や状況といさかいを生じさせたりと、
様々な問題が起こります。

以上、エゴに取りつかれた人々の特徴は
こんな感じです。

エゴに取りつかれて生きると大変ですね。
他にも「自分と他との分離」なんていう
特徴もあるのですが、

現時点では言葉で表現するのが難しいので、
省きました。 それはまた次の機会に。

<追記in2015>

最後の「分離」については、
エゴにとらわれていると、
「大いなる力」の力が使えないということ。


▲http://love-skill.net/tomori

地球上に存在する生き物で
人間だけが想念を具現化する能力を
持っているって知ってた?

でね。

もっと言うと、ある意味、
自分が生き、存在している
この世界・現実というのは、

自分の想念が顕現させている
ものだったりするわけ。

その想念を生み出す源・力。
それが《想像力》なわけ。

つまりは想像力いかんで
自分の生きている世界・現実は
変わってくるということなのだ。

と、まずは、一応、この前提話を
含んでもらった上で、、、

ここまで話してきた人間関係における
アンフェア感問題に話を戻すよ。

『相手の立場になって考えましょう♪』
というヤツ。

コレにも《想像力》って必要でしょ?

でね、そもそも、本質的に
相手の立場になって考えるというのは

人が生きていく上で、皆がほぼ
半強制的に課せられる
“自身の想像力を磨くトレーニング”
だと思うのだ。

で、つまりは《相手の立場になって考える》
というのは、相手のためというより、

他ならぬ自分自身のためなんじゃないのか
という具合に捉えてみたいわけ。

—–

STEP1:
自身の想像力がUPする

STEP2:
自身が生み出す
想念の自由度が上がる


STEP3:
自身の生きる世界や
現実の居心地がよくなる


—–

という流れ・メカニズムになっている と。

まぁ、コレはちょっと極端な
言い方かもしれないけれど

《相手の立場になって考える》

というのは

自分にとって都合のいい、
自身が居心地良く感じる世界・現実を
自分自身のために創りだす

ためにやっているコトなのだ。

でね。

こういう視点を取り入れてみると

なんであんなクソ野郎の
立場になって考えなきゃいけねぇんだ!

と、反応・反発して暴れていたエゴ君も

ん?そういうことなら、まぁいいぜ

( ̄ー ̄)ニヤリ

と、邪魔をしなくなる?!
かもしれないし。。。

002

《相手の立場になって考える》

半強制的に課せられたこのトレーニング

どうせなら、積極的に取り組んで
自分自身の想像力にどんどん磨きをかけ

自分自身が生きやすくて、居心地がいい
世界・現実を自由に創造していこう。


▲http://blog.livedoor.jp

私達人間誰もが持っている
能力のひとつである「選択するという事」、

そしてその中でも、
「思考を選択するという事」について
本日はお伝えしたいと思います。

あるひとつの物事には、
幾つもの側面があるのですが、

たいていの場合、
私達は見慣れた方向からしか見ていません。

物事をいろいろな側面から見ることが出来て、
さらにその中でも良い側面を見られる人は、
とても幸せだと思います。

しかし一方で、
どうしても物事の悪い側面を見てしまう人もいます。

これには生まれ育った環境も関係していますし、
似たような事で傷ついた経験があると、

また同じ事で傷つきたくないと構えてしまって、
わかっていてもついつい良い面よりも、
悪い面を探してしまいます。

最初良い面を見ていて、良い感じだったのに、
結局悪い面を探して、やっぱり悪い面がある~と、
さらにそこをクローズアップしてしまいます。

落ち込みやすいと感じる人は、
おそらく、物事の良い面より悪い面を探す
→そこをクローズアップする
→自分が想像したネガティブな世界に浸る
という事を繰り返していると思われます。

私も以前は、
どれだけ想像力が豊かなんだろう!と思うほど、

悪い面をクローズアップしては、
私自身が想像したネガティブな世界に
浸るのが得意でした

もしこのクローズアップが良い面に働けば、
楽しい想像になると思われませんか?

ワクワクする楽しい想像とは、
引き寄せの法則でいう【創造する】事と
同じだと思います。

【創造する】事が出来ると、
望んでいる現実に近付く事が出来ます。

※正確には、理想の現実が
自分に引き寄せられて来ます。

 
今までネガティブな想像をしていた時間を
楽しい想像に変える事は、自分で選択出来ます。

ネガティブな思考に陥っているとき、
エゴや思い込みから、そう思い込んでいるだけ!
という可能性は非常に高いです。

自分が考えている思考以外に
選べる思考はあるという事に
気付いて欲しいと思います。

自分がネガティブな方向に向かっているとき、
また陥っているときは、その度に

『あっ、今またネガティブな方向に向かってる、
私の癖なんだなぁ、気付いて良かった、良かった』

という感じで、決してネガティブな方向に
向かっていた事を責めずに、そこからゆっくり
軌道修正していってください。

これを繰り返していると、
ネガティブ方向に向かう事が少なくなってきます。

いつでもどこでも、
どんなに自分が不幸だと思えるときでも、
軌道修正出来ます

ただ、あくまでもネガティブ思考を
完全に消す事を目指しているのではなく、

自分がネガティブ思考に向かってる事に
気付く事の方が大切です。

完全なポジティブ思考になる事は不可能ですし、
自然な状態ではないと私は思います。

ネガティブな思いは、私達に
気付きや自分の思い込みを教えてくれるサイン
ですし、

ネガティブな状況があるからこそ、
私達は目標や希望を持つのだと思います。

私も今でも時々やってしまいますが、
どうかネガティブな思いや状況を
悪者扱いしないで下さいね~

自分がネガティブな思考に陥っている事に
気付けるようになると、


思考や環境が
勝手に自分を襲うのではなく、

自分が思考や環境を
コントロール出来るという力強さを
感じられると思います。

「思考は選択出来る」というのは
こういう事なのです。

私たちは皆、
この能力を持っています

思考はとめどなく
溢れてくる


溢れ出てきたあるひとつの思考が
気に入らなければ、

「信じない」という選択が私達には出来る
信じなかった思考は、そのうち必ず消えていく

瞑想などで意識的に
思考を止めようとしない限り、
私達の頭には常に思考が溢れて来ます。

明るいもの、暗いもの、
軽いもの、重いもの、
様々な種類の思考がありますが、

私達がついつい気を留めてしまう思考は
「~しなければならない」ではないでしょうか?

「~しなければならない」 または
「~してはいけない)」という思考は

とても真実味があり、
たいてい信じてしまいます。

その理由は、私達が生まれて物心ついてから
一番最初に接するであろう親から
言われる言葉にとても近いからです。

ですので私達は
「~しなければいけない(~してはいけない)」
という思考が出てきた途端、その思考に飛び付き、

自分がそうしたいかどうかはそっちのけで、
その思考に従ってしまいがちです。

仮にその思考に従わなかったとしても
「従わなかった自分はダメだ」とか
「従わなかったから、良くない方向に行くのでは」という
自己否定や罪悪感に引っ張られてしまう事が多いです。

しかし、ある思考が自分にとって
心地よいものでないならば、
「信じない」という選択が出来ます。

そして、それに伴い心地よくない思考が
生み出す苦しい感情が出てくる事も
格段に減りますので、

心に新たなスペースが出来て、
快適さを感じられる瞬間が増えてくることでしょう

一般にポジティブ思考だと言われている方にも、
ネガティブ思考の方と同じように
不安も押し寄せて来ますが、

ただその不安に基づく思考を
信じない選択をしているのです。

そしてその不安が去り、
新たな別の思考が出てきたとき、

その思考が自分にとって
心地よい思考なら信じ、
そうでないなら「信じない」選択をしているのです。

思考は抵抗しなければ、
波のように引いていき、

そしてまた
次の思考が波のようにやってくる
その繰り返しです

是非一度自分の思考を
観察してみて下さい。

次々出てくる思考に
感情が支配されなくなったとき、

私達の周りに出現する世界は
自分主導でコントロール出来るのだ
という事がはっきりお分かり頂けると思います

心踊るワクワク思考を選んでいきませんか?




ガビーン!
今日、職場でうっかりミスをしてしまい、
今チョー凹んでいます。

単なる不注意による凡ミスだっただけに
悔やんでも悔やみきれません。

はぁ…。

本日のブログのテーマは、
自分を励ますのために「くよくよしない」を
テーマに選びました。

凹んでいる自分を元気づける情報を得て、
ごきげんちゃんな自分を取り戻そうと思います。




▲ http://d.hatena.ne.jp

明日に怯えるムダ!
過去を悔やむムダ!


明日起きることなど
誰にもわからない。

終わったことを悔やんでも
何も変わりはしない。

そんなことより、
今やれることをやれ!



▲ http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

失敗を悔やむのは
時間とエネルギーの無駄だ。

過去は変えられない。
だが、未来は変えられる。

過去を悔やんでるヒマがあったら、
未来を変える努力をしろ。

全ては自分次第だ。
だけど、今は思う存分泣くんだ。

一度ものすごく辛いことを
経験して泣いたとしても、
これからの人生もう泣くことはないだろう。

なぜなら、それ以上に
辛いことを経験しているから
耐性ができているんだ。

こんなのあのときに比べれば・・・と。

人間は失敗の数だけ
強くなれるってことさ。

この失敗でお前はまた強くなった。
それだけの話だ。


▲ https://happylifestyle.com

人生では、後になって
過去の行為を悔やむことがあります。

後悔です。

後悔はない方が
良いに決まっています。

人生で1つも後悔がなければ、
どれほど素晴らしいことでしょう。

しかし、後悔をしないように気をつけても、
生きていれば、どこかで後悔してしまうものです。

物事の善悪や成否は、
その瞬間は分からないものです。

しばらくしてから「こうしておくべきだった」と、
後悔することが多いものです。

完璧な人間はいません。

誰でも、1つは、後悔があります。
後悔は、否定しません。

大切なことは、出来事そのものではなく、
どう受け止めるかです。

無駄のように思える後悔ですが、
これからへの活かし方次第です。

後悔を悔やむばかりでなく、
その後の人生に活かせばいいのです。

今後のより良い人生の役に立てられれば、
後悔も無駄にはなりません。

役立つように生かすことが、
ポジティブ思考です。

「こうしておくべきだった」と
後悔したことがあれば、
次から気をつけましょう。

後悔を活かすことができれば、
人生に無駄はなくなるのです。


▲ http://affikatsu.com

諺に「後悔先に立たず」
というのがありますよね?

これは、済んでしまったことを
悔やんでも取り返しがつかない
という意味なんだけど、

僕はこれを、

「後悔したってことは、
済んでしまったそのこと以外に、

もっと良い方法があるということを学べた」
ということだと捉えています。

当たり前のことなのですが、
要は、後悔をしたっていうことは、

それだけ自分が更に成長する
「のりしろ」がまだまだあるということなんだ、
と捉えています。

だから、後悔をしなくなった時点で、
その人の成長は止まってしまうのでは
ないでしょうか?

もちろん、気持ちの中では
後悔なんて絶対しない、
っていつも思っていますけどね!!


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私達が何かの問題にぶつかるとき、
その裏側には過去の失敗感が
影響している場合が少なくありません。

仕事でも、男女関係でも、対人関係でも、
過去に「これやって失敗してしまった」
という経験は私達に二の足を踏ませます。

彼に喜んでもらおうと思って
プレゼントしたネクタイを

「ふん。これ、俺の好みじゃねーよ」と
あっさり言われたら、

おそらく違う人と付き合ったとしても、
ネクタイはプレゼント出来なくなるかもしれません。

また、一生懸命頑張って勉強したのに
試験に合格しなかったとしたら、
頑張った自分や自分自身の能力をも
否定するようになり、

何かに夢中になれなくなったり、
一生懸命頑張ってる人を
嘲笑してしまうようになるかもしれません。

特に失敗感は惨めさや屈辱感、恥ずかしさなど、
とても感じたくない感情を伴うことが多いですから、

私達にとっては見たくない
過去の痛みとして封印されることも多いでしょう。

でも、幼い子どもが立って歩こうとするとき、
自転車に初めて乗るとき、
失敗しても失敗しても何度でも立ち上がろうとします。

そして、失敗を繰り返しつつも、
やがては上手に歩き、
自転車に乗れるようになっていきますね。

何度も何度もチャレンジし、失敗するたびに、
何か新しいことを学び、成長することで
手にしたものとも言えるんです。

誰でも大人になれば大きな失敗の
一つや二つは持っているものかと思いますし、

中には

「失敗の連続でやんなっちゃう・・・」と
溜め息混じりにお話される方も
いらっしゃるものですが、

改めてこの痛みを見つめていくことで、
新たに得るもの、今の自分にとって
糧になるものが見つかることが
少なくないと思います。

失敗とは?

失敗感は私達を
絶望の淵に落とすものです。

頭をハンマーで殴られたよう
なショックを受け、茫然自失に
なってしまうこともあるでしょう。

そして、強い後悔の念を呼び寄せ、
酷く自分自身を責めるようになります。

そして、その自分を責める度合いが
強ければ強いほどトラウマとなって、
あなたを押さえ込む負のエネルギーに
なっていきます。

そのうちあなたは
どんどん自信を失っていき、
やがては諦めの境地へと至るかもしれません。

「もう期待しない、もう欲しがらない」
という気持ちになったとき、

あなたはどれくらいの痛みを背負い、
失敗を重ねてきたのでしょう?

でも、実は何を
どんな風に失敗したかよりも、

あなたがどう自分を責めたかの方が
心の痛みは大きくなります。

「失敗」というのは
あなた自身がそう感じたときに生まれます。

だから、多くの偉人が
「失敗というものはない」と断言するのは、
それを決めるのが自分自身だからなのです。

あなたが諦めたときに、
その出来事は失敗となります。

逆にいえば、周りが
「それは失敗だろう」と思っていても、

自分が諦めなければ
あなたの内面では失敗にはなりません。

逆に、成功になってしまうことも
あるでしょう。

有名なエジソンの逸話。

彼は電灯のフィラメントに相応しい
素材を探すため6000種類もの材料を
試したそうです。

逆に言えば、

それだけ適した素材が
見つからなかったわけで、

そんなエジソンにある記者が
「これだけ失敗してもまだ探すのですか?」と
インタビューしました。

その時彼は
「私は今まで失敗したことはありません。

フィラメントに相応しくない素材を
見つけたのです」と答えたそうです。

私達は失敗したと思えばそこで終わり、
もう諦めるしかないように感じてしまいます。

でも、本当に大切なことは、
その失敗と感じる出来事から何を学び、
何を今後に生かしていくかの
教訓を得る事だと思うのです。

もちろん、時には
謙虚に失敗を受け入れる姿勢も必要です。

強がってばかりでは
周りの人はあなたの元を
去っていくかもしれません。

でも、私達は失敗するのが怖い故に、
早めに結果を出そうとして焦り、
失敗感に付きまとわれることも
少なくありません。

あなたが「これは失敗した」と
思うことをもう一度見つめてみることで、
新しい学びや気付きがきっと出てくるはずです。

失敗を繰り返すのは何故?

特に何かで失敗した経験が
クセになってしまうことが少なくありません。

「いつもこれで失敗する」というパターン、
皆さんの中にはないでしょうか?

実は「失敗」という経験は、
あなたへのメッセージであり、
学びがたくさんあるものです。

従って、あなたが何かで失敗したとき、
そこから何かを学ばない限り
同じ失敗を繰り返すようになってしまいます。

それは仕事での些細なミスから、
恋愛での失態、夫婦関係のこじれなど
様々な場面で出てきます。

ですから、あなたが
何かに失敗したように感じたとしたら、
そこから何かを学ぼうとする姿勢が大切です。

その失敗があなたに何を与えてくれたのかを
謙虚に受け取るのです。

そこで何を受け取るかはあなた次第。

何が答えかも
あなた自身に決める権利があります。

学ぼうと思えば、
その一つの失敗から多くのことが吸収できます。

それが人生において
最大の悲劇と言える出来事からだとしても。

そして、何を学ぶか?で
今後のあなたの方向性や流れが決まっていきます。

この態度は、とても勇気が要りますから、
失敗した自分を責めるよりも
遥かに偉大なことなのです。

失敗感を見つめる
エクササイズ


ちょっと勇気が要りますが、
あなたのした失敗を見つめなおす
機会を作ってみましょう。

今の自分をより高めるために、
より魅力的になるために
とても役立つアプローチになるはずです。

まずはあなたが思いつく失敗談を
いくつか書き出してみます。

詳しく書かなくても、あなたがその出来事を
想起させられる範囲で構いません。

思い出すのも嫌な記憶も
いくつかあるかもしれませんし、
忘れてしまっているものもあるかもしれません。

すぐに思いつくもので十分です。

その失敗談を書いてみて、
どのような気持ちがするのかを
じっと感じて見ます。

恥ずかしくなったり、痛かったり、
嫌悪感が出てきたり、怒りや憎しみが
出てくるかもしれません。

その気持ちをただ感じてみましょう。

そして、その感情の波が収まって
心が静かになったら、

その経験があなたに
何を教えてくれたのかを見つめてみましょう。

どんなメッセージやどんな学びが得られたのか?
また、今のあなたがその経験から
学ぶことはないかも一緒に考えてみましょう。

もし感情が沸き続けるのであれば、
今もまだそこは痛みが強く残っている証拠です。

そこから学ぶには
まだまだ準備に時間がかかるものかもしれません。

誰かに支えてもらったりしながら
痛みを癒していきましょう。

失敗感を乗り越える秘訣

「学ぶ」という態度は
体力と気力を要するものですよね。

もし、今のあなたにそれだけの要素がなかったら、
無理に頑張ろうとしてしまって、

「失敗から学ぶ事を失敗してしまう」ことに
なりかねません。

だから、まずは自分の状態を
きちんとチェックしてみる事が大事です。

疲れていたり、失敗感や自己嫌悪、
無力感などがあまりに大きくて
自信を失っている状態ならば、

まずはじっくりと自分の心に意識を傾け、
心を解放してあげることが大切。

頭は「先に進まなきゃ、学ばなきゃ」と
あなたを焦らせるかもしれませんが、

その声に惑わされることなく、
ある意味“堂々と”休みを取ったり、

自分の心を自由にしてあげたり、
誰かに頼ったりしてみましょう。

そうして心に余裕が生まれてきたら、
本格的に次のステップに進みます。

最近のことよりも
過去の出来事の方が学びやすいし、
向き合いやすいと思います。

だから、もし学ぼうと思っても
心が付いてこなかったら

「まだ学ぶには体力が足りない」か
「一人では難しい」かのどちらかだと
思っていいかもしれません。

※ついついここで
自分を責めてしまいがちなのでご注意を!

また、「時間がない」というのも
あなたを焦らそうとする失敗感の罠の一つです。

その上で、そこから何を学ぶのか?
これが何よりも大切なことなのです。

失敗したとき、私達は自分を責めます。
周りの人の何倍、何十倍も自分を責め、
辱めてしまいます。

そして、時にはその力に打ちのめされ、
まるで再起不能のようになってしまう
ことだってありますね。

「結婚に失敗して離婚した」と
思っている方の中には

「もう二度と結婚はゴメンだ」と
思っていらっしゃる方も少なくありません。

でも、そこで自分を見つめなおし、
そして学ぶべきものをきちんと学び
成長できたとき、

きっともう一度
チャレンジしてみたくなるでしょう。

そして、一度失敗し、
そこと向き合い乗り越えた分だけ、

きっと同じ失敗は
繰り返さずに済むようになります。

そうすれば二度目の結婚で
最高の幸せを手に入れられるでしょう。

もし、あなたが
その器の広さを受け入れたとき、

他人に対してもますます
寛容になって行くことができるでしょう。

そして、その失敗談は
“笑える”出来事に変わって行きます。

失敗感を乗り越えたとき、
それは芸人風に言えば「ネタ」になります。

多くの芸人が自分の失敗談を
ネタにしているのはご存知ですよね?

「俺さー、こんなアホなことしてしまってさー」と
笑いを取るわけです。

失敗感に打ちのめされているとき、
私達は深刻にはなれど、決して笑えません。

でも、それを乗り越えたとき、
「俺、こんなことしててん(^^)」って
笑えるようになります。

「エゴ(自我)は笑わない」という
格言があります。

笑えるというのは、その失敗が癒され、
必要な学びをあなたが受け取り、
そして、成長した証拠でもあるんです。

あなたの失敗を笑い飛ばせるように、
そのエッセンスを全て学び取ってしまいましょう。



「後悔」と「反省」は違います。

後悔は、終わってしまったことをウジウジと悔やむ
「後ろ向き」の自己否定のスタンスです。

反省は、その失敗の原因から
対策を立てて次回に活かそうとする
「前向き」の自己肯定のスタンスです。

自分に起こる出来事には
偶然はありません。

うっかりミスでさえも、
自分への「要注意」の警告としての必然です。

後悔は先に立たず。

もちろん、失敗しようとして
失敗する人はいません。

けれども、失敗は失敗。

その程度の失敗で
すんで良かったのです。

極端な事例として、
車の運転で一旦停止忘れが発覚して
罰金を科せられたとします。

その時はツイていないと
嘆きたくなりますが、

もしかしたら、そのぼんやり運転で
衝突事故か人身事故に発展していたかも
しれないのです。

その程度で済んで良かったのです。

だから、せっかく失敗したのだから
そのミスから前向きな反省をして
次回への教訓やマイルールの修正を
しなければ、勿体ないのです。

「凹み損」「悔み損」になるのです。

ああ、そのことに気付けて
本当に良かったです。

私は今回、自分がしでかした
うっかりミスに感謝します。

自己否定の視点を手放すだけで
同じ失敗から素直に教訓が得られます。

このテーマで記事を書いて良かった。
記事を書きながら気づくことがあるのですねぇ。

神様とハイヤーセルフ(内神)様、
そして読んで下さるあなたにも
感謝申し上げます ♪

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