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ナガサキブタロー

Author:ナガサキブタロー
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ハッピーエンドの魔法使い

   


ある人が何か「しくじり」をして、相手にキツい一言を言われて塞ぎ込んでいるとします。

『あなたって、マジで不器用ねぇ!』

『キミに期待した俺がバカだったよ!』

『あなたって、なんでそう頼りにならないの?』

『あなたって、案外冷たい人ね!』


ハァ (´Д`;)…。

この文字を入力しているだけでせつなくなります。

実は私が、昔の職場や奥さんから、よく浴びせかけられたセリフだからです
(´^`*)・゚・。

(続けます)

けれども、本当は、

その人を落ち込ませたり、傷つけたりしているのは、そんなことを言った相手ではありません。

「その通りだ!」と思った自分自身なのです。

誰かから、批判されたり、バカにされても、

「そんなことない!」と自分で跳ね返せたら、自分を責めたりせずに済むのです。

例えば、すぐお隣の●●という国のマスコミから、「日本人は、残忍で恥知らずな国民だ!」と騒がれても、「そうじゃないだろう!」と自分で却下できるから、落ち込んだり、傷ついたりしないのと同じことなのです。



相手から、責められたりバカにされたりした時に、

「その通りだ!」と考えるから、自分をネチネチと責めて自己嫌悪に陥るのです。

自分自身が自分を傷つけ、落ち込ませているのです。

しかし、客観的に観れば、

仕事の仕上がりが遅れたのは、その人がグズだからではありません。

単に、その人の仕事の段取りが悪かったためです。

約束を忘れてしまったのは、その人が冷たいからではありません。

単に、メモをとり予定管理をする習慣がなかったからです

こんな風に、原因を具体的に突き詰めないから、自分を簡単に責めてしまいます。

「こんな自分が許せない!」

「あんなことを言ったアイツも許せない!」


許せないから苦しみます。



「許す」とは、

我慢することではありません

なかったことにすることでもありません。

上述した思考クセの間違いに気づくことです。

「なんであんなしくじりをしてしまったのか?」を考えないで、

「ああ、なんて自分はダメな人間なのだろう!」とすぐに自分を責める方向に向かってしまう、その思考クセが自分を落ち込ませ、傷つけているのです。

こんな間違った思考クセが、その人の機嫌を悪くしているのです。

いつも「ごきげんちゃん」でいれば、良いことがいっぱい起こるのに、なんて勿体無いことでしょう?

自分でしでかしたことは、どうにもなりません。

自分でしでかしたことは、いったん観念するしかないのです。

でも、ひとつだけ打つ手があります。

魔法です。



しくじりをハッピーエンドに変えられる魔法があるのです。

その魔法の呪文は、「それでどうする?」です。

しくじりをしくじりのまま終わらせてはいけません。

「続き」を足すのです!

それでしくじりをハッピーエンドの途中プロセスに変えられます。

終わり良ければすべてよし。

そう言うではありませんか

誰でもしくじりはあります。

大事なことは、それをどう巻き返すかです。

そのままにしないことです。

自分でしでかしたことを「解決すべき問題」としてとらえ直してみましょう。

問題を解決するためには、原因を知らなければいけません。

自分の何がいけなかったのか、その原因が解れば改善ができます。

次からは、同じしくじりを回避できます。

簡単なことでしょう!

自分を責めたり、傷つけたする必要はなくなります。

「許す」も「許さない」もなくなります。

「しくじり」をした時点が、解決のスタートラインです。

落ち込んだり、傷付いたりするだけでは、自分がしでかしたしくじりを挽回できません。

以前に更新した「マイルールを見直そう!」と言う記事の中でこんなことを書きました。

『ポジティブな人は、問題にフォーカスするのではなく、問題解決にフォーカスする』

落ち込みやすい人や傷つきやすい人は、自分がしでかした”しくじり”という「問題」の方にばかり意識を向けているのです。

それは、答えのない「自虐のフォーカス」であることを解って欲しいです。




誰かに、なにかを責められバカにされても、

「その通りだ!」なんて自分で思ってはいけません!



「そんなことない!」と(言葉に出さなくても)

即「却下!」
して下さい。

議長である自分の「選択拒否・却下!」で、自分の心を傷から守って下さい。

反省することは大切です。

開き直りや逆ギレはイケマセン!

自分の配慮の足りなさから、相手を怒らせてしまったのなら、グズグズしないですぐに謝りましょう!

でもそこで、「自虐のスパイラル」にハマってはなりません。

これまで何度も繰り返してきた、その間違った思考パターンに気づくことが、魂の学びとなります。



ネット上には、「落ち込みやすい性格」を改善するためのコツがたくさん紹介されています。

・ポジティブ思考をする。

・人と比較しない。

・自分を客観視する。

・自分をホメる。

・感謝をする。

などです。

けれども、ここには一番大事なことが抜け落ちています。

それは、

「落ち込むことは悪くない!」

という前提です。

「落ち込むなんて、弱い人間がやることだ!」

「強い子になりなさい!」

「クヨクヨなんてしてはいけない!」

私たちは、親からそういわれて育って来ました。

だけど、親が落ち込む姿もたくさん見て来ました。

親が「落ち込むな」「クヨクヨするな」と教えたのは、そうなると「苦しい」ことを身にしみて知っていたからです。

「こんな辛い思いは、我が子にはさせたくない!」

実は、親心だっのです。

「落ち込んだら苦しいから、強くなるんだよ!」

できれば、そんな言い方をしてくれたら良かったのですけどね…。



だから本当は、落ち込んだり、クヨクヨしても良いのです。

親だって、そうやって、乗り越えて来たのです。

問題なのは、

落ち込み「過ぎる」ことです。

クヨクヨ「し過ぎる」ことです。


反省は良いけれど、悔やみ過ぎると脳に「毒」が回っておかしくなります。

気力が萎え、自分への自信が持てなくなります。

ポジティブな人たちだって、しくじったりします。

しくじれば、誰でも落ち込むのです。

それが、普通なのです。

ただ、ポジティブな人たちは、立ち直りが早いのも特徴です。

いつまでも塞ぎ込んではいないのです。

だから、落ち込み「過ぎない」ことが大切です。

今日からは、

ほどほどに、落ち込んでください。

適当に、クヨクヨしてください
٩( ‘ω’ )و

このブログの過去記事の中に、すぐに落ち込んでしまう人に読んで欲しい記事があります。

3年前の9月に更新した記事ですが、自分で読み返して勇気を貰いました。

「ごきげんな続き」というタイトルでしたが、「ハッピーエンドの魔法使い」と改題して転記します。



ある不快な事態があなたに起こる。

あなたはそれで気が滅入る。

「で、どうするの?」

私は、その続きをあなたに聞きたい。

「続き?」

「そう、その続きです!」

まさかあなたは、

奥さんとの記念日を忘れて失望させたままで、

娘さんとの口論の余計なひと言で傷つけたままで、

自分のうっかりミスで仲間に迷惑をかけたままで、

相性の悪いご近所さんと気まずくなったままで、

その事態を終わらせるおつもりですか?

それでは、あなたが「嫌われ者」の烙印を押されます。

それでは、あなたが「イヤな奴」と勘違いされます。

それでは、あなたの居心地が悪い場所になります。

それであなたは、本当に平気ですか?

その事態をバッドエンド(悪い結末)のまま、終わらせてはなりません。

あなたに起こった事態はすべて、「めでたし、めでたし!」

ハッピーエンドに仕上がるまで、終わらせてはなりません。

諦めてはイケマセン!

ピンチの時こそ、底力を発揮するのです!

その不快な事態は、まだ「途中経過」であり、「結末」なんかじゃありません。

あなたがその事態改善の努力をやめない限り、その不快な事態には、「ごきげんな続き」を生み出すことができます。

いくらでも、事態を巻き返すことができます。

誰にだって、ついうっかりの失敗や失言はあります。

思わぬ事態に巻き込まれることだってあります。

だけどその時に、「ああ、またか…」と不快なままでその事態を確定させてしまうから、バッドエンドになるのです。

強引にでも、自分や相手にとってハッピーエンドに仕立てるまで、物語を終わらせてはイケマセン。

その事態はまだ、「不幸」でも「不運」でも「不都合」なことではありません。



確定してはイケマセン。

その事態は、単なる物語の序章であり、「途中経過」に過ぎません。

あなたが、わが身に起こった不快な事態を「必ずハッピーエンドに仕立てて見せる!」と誠意と真心で勇気をもって臨めば、どんな事態でもハッピーエンドに持ち込めます。

続きを生み出すことです!



どんなに「天国言葉」を唱えていても、あらゆることに感謝しているつもりでも、相も変わらず、いろんな事態が起きます。

それは生きている限り、変わりません。

だから、「イヤなことが起きませんように!」と、神様に自分勝手なお願いをするのではなくて、

「どんなことが起きても、ハッピーエンドにしてみせます!」と、神様に決意表明をすることです。

そしたら神様が、あなたの闘志に温かな声援を送ってくれると思います♪

ファイト (^.^)/~~~


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いつでも「平気でいられる」自分を培う。

   


いつでも「ごきげんちゃん」でいるためには、

どんな状況に置かれても、イライラ・ハラハラ・ビクビク・オドオドしない「平気でいられる自分」を培ってゆくことが大切です。

前々回の記事「あなたの魂は、あなたの体験を通して学んでいる。」の中でも書きましたが、

その人に起こる出来事や状況は、その人の魂さんが自らの「陰り=エゴ(自我)」を取るために引き寄せています。

だから、私やあなたが、いくら「いつでも”ごきげんちゃん”でいよう!」と心がけても、

イライラ・ハラハラ・ビクビク・オドオドするような出来事や状況は、お構いなしにやってきます。

人生は、こんな仕組みになっていることを理解しておかないと、

不満だらけ、グチだらけ、不安だらけ、ため息だらけの暗い毎日を過ごすことになります。

なぜなら人間は、その日一日を振り返った時に、良かったことより、気分が悪くなった場面にフォーカスしてしまう習性があるからです。

■毎日を「ごきげんちゃん」ゲームとして考える。

私やあなたが、「そうか、毎日、”ごきげんちゃん”でいれば、良いことを招き寄せるのか!」とその気になったとします。

実はそれは、自分の魂さんに「私はいつでも”ごきげんちゃん”でいます!」と宣言しているのと同じなのです。

魂さんは、その宣言に「そうか、やっと決心してくれたか!」と大喜びします。

そこで、「どの程度”ごきげん”を保てるだろうか?」と言う”愛のお試し”がスタートするのです。

「これでもあなたは、”ごきげんちゃん”でいられますか?」

「これはどう?あれはどう?」と言う風に、次々と「お試し」がやって来ることになります。

クリアするほどに、難易度も上がってきます。

魂さんは、私やあなたが本気なのかを知りたいのです。

だから、辛い出来事は、魂さんの「愛」なのです。



これは見方を変えれば、その人が魂さんと一緒にプレイしている「ごきげんちゃん」ゲームなのです。



このゲームの各ステージをクリアするたびに、その褒美として「嬉しいこと」が起こります。

それは、魂さんからの「よく頑張りましたね!」と言う慰労の気持ちなのです。

このゲームを乗り切るために不可欠なアイテムが、前々回の記事の最後に書いた「なんでも来い!と受けて立つ覚悟」なのです。



「イラっと来た!」なんていう表現があります。

「不愉快!」と言う火が起きた状態です。

とは言え、同じ出来事に対して、「イラっ」と来る人もいれば、来ない人もいます。

イライラ・ハラハラ・ビクビク・オドオド…

その人に起こる出来事や状況自体が、その人をイライラ・ハラハラ・ビクビク・オドオド…させている訳ではありません。



それらの出来事や状況に対して、その人が一人で勝手に、イライラ・ハラハラ・ビクビク・オドオド…という反応をしているだけなのです。

人間関係で、「アイツのせいで傷ついた!頭に来た!」と言う場面があります。



けれども、「相手から不愉快な想いをさせられた」と考えるのは、実は間違いなのです。

どんな状況であれ、自分の感情は自分の中からしか湧いて来ないからです。

その人に起こる出来事や状況は、その人が何らかの意味づけをしなければ、単なる普通の出来事や状況に過ぎません。

可愛い初孫から、「ジィージ」と呼ばれたら、溶ける様な笑顔で「ハーイ」と答えるのに、

通りすがりの街の若いアンちゃんから、「爺さん」と呼ばれたら、殴りたくなるのと同じです(笑)。

マイナスな意味づけで、心に火を付けているのは、その人自身なのです。

その人のネガティブな思考グセによる「マイナスの意味づけ」が、それらの出来事や状況を「薪(マキ)」にして火起こしをしているだけなのです。

「怒り」だけではありません。

・憎しみ

・嘆き

・悲しみ

・恨み

・後悔

・恥

・罪悪感

どれもこれも、その人のネガティブな思考グセによる「マイナスの意味づけ」が、それらの出来事や状況を「薪(マキ)」にして火起こしをしているのです。

「ごきげんちゃん」ゲームをクリアしてゆくためには、まずこのことをしっかりと認識しておく必要があります。

その人が不幸なのではありません。

その人が、一人で勝手に「自分が不幸になる」ような意味づけをしているだけなのです。



どうして私たちは、自分に起こった出来事や状況、人との関わりなどに、ついつい「マイナスの意味づけ」をしてしまうのでしょうか?

「なぜ、私たち人間は、こんな愚かなことをしてしまうのですか?」と守護霊さんに質問したら、インスピレーションで答えが返って着ました。

煩悩(ぼんのう)

これが、私たちの不快感や不安感を募らせている原因でした。

煩悩とは、心身を悩ませ、苦しめ、煩わせ、汚す心の作用のことです。

仏教では、「煩悩が人間の苦の原因になる」とされています。

煩悩について、分かりやすい解説をしているサイト記事がありましたので、ご紹介します。

下図にURLを貼っていますので、本サイトもご覧下さい。楽しいですよ♪


▲KOfyの「倍行く」人生

「貪欲(どんよく)」

「瞋恚(しんに)」

「愚痴(ぐち)の心」


目先の利害得失に追われ、じっくりと「真実・真心」を遂行する心が企業や個人で弱くなってきたように思う。

テレビで三毒、

「貪(むさぼり)」

「瞋(いかり)」

「痴(おろかさ)」


という言葉に興味を持ち調べた。

ある方の講演記録より抜粋させていただきました。

煩悩とは、私たちを煩わせ、悩ませるもの。



人は煩悩を108も持っているから、「108の煩悩」といわれる。

除夜の鐘を108回鳴らすのも、「108の煩悩」からきている。

今年一年、おさえようと思ってもおさえられない煩悩によって、いろいろと悩み苦しんできた

「来年こそは、少しでもこの煩悩が静まり、平穏な生活ができますように!」と言う願いを込めて除夜の鐘を108回鳴らすのである。

108つある煩悩の中でも、特に大きなものが3つある。

これを「三毒の煩悩」という。

私たちを苦しめる「猛毒」を含んでいるから、3つの「毒」と呼ぶ訳である。

その3つとは、「貪欲(どんよく)」「瞋恚(しんに)」「愚痴(ぐち)」の心である。

■貪欲(どんよく)

貪欲とは、一口で言えば「欲」の心のこと。

この欲の心に5つあるので、「五欲」と教えられている。

五欲とは、「食欲」「財欲」「色欲」「名誉欲」「睡眠欲」の5つである。

1)食欲

少しでもおいしいものを食べたい、飲みたいという欲である。

そして、それが叶わない時に苦しむ。

2)財欲

なければないで、お金が欲しい。

あればあるで、もっとお金が欲しい。

使い切れないほどお金があっても、まだ欲しい。

死んでいく時、何一つ持っていけないのに、「まだまだ欲しい!」と悩む。

3)色欲

男女の欲のこと。

男ならどこかに素敵な女性はいないかと思い、そのためにいろいろと悩む。

女性も同じである。

求めても求めても好きな人と一緒になれず苦しむ。

例え、なれたとしてもその満足は続かない。

4)名誉欲

自分をよく見てもらいたいという欲。

ほめられたい。

カッコイイと言われたい。

悪口言われたくない。

悪く見られたくないという心。

5)睡眠欲

とにかく少しでも寝ていたいという欲。

以上みてきたように、欲の心には際限がない。

底無しである。

「もっともっと」と広がっていく。

だからこれで満足ということもない。

人間は死ぬまで、「よく思われたい」という名誉欲で動かされている。

「よく見てもらいたい」という心しかない。

■瞋恚(しんに)

これは、欲の心が邪魔されたときに出てくる心。

腹が立つ心である。

自分の思った通りにならない時に腹が立つ。

自分の欲を邪魔した者に腹が立つ。

たとえば、

・大勢の人の前で恥をかかされたり、

・プライドを妨げられたり、

などは、「名誉欲」が邪魔されたわけである。

好きな女性を奪われて腹を立てるのは、「色欲」が邪魔されたからである。

眠たい時に起こされると腹が立つのは、「睡眠欲」が邪魔されたからである。

私たちが生きていくということは、欲を満たそうとするか、それを邪魔されるかのどちらかなので、「欲」と「怒り」は交互にやってくるといわれるのである。

■愚痴(ぐち)

これは、勝るを妬む心。

憎む心。

恨む心。

人の不幸を見るとおもしろく思う心。

だから、醜い心。

自分よりもきれいな人を見ると、心おだやかではなくなる心。

自分よりも優れた人がいると面白くない心。

常に自分が一番でありたいと思っている心。

幸せな人を見ると、口では「幸せですねー。よかったねー」と笑顔で言うが、腹底ではけ落としている。

反対に不幸な人を見ると、口では「お気の毒にー。大変ですねー」と困った顔で言うが、腹底には何かほのぼのとしたものがないだろうか?

これを仏教では「心口各異」という。

つまり、心で思っていることと、口で言っていることが、それぞれ異なっているのである。

如何でしたか?

プラス思考をするための本やサイト情報を読んだぐらいでは、なかなか上手くいかない理由がご理解頂けたかと思います。

このブログでは、「エゴ」という表現をしていますが、私たちの魂さんが、いろんな体験を通して浄化しようとしている「陰り」とは、この「煩悩」のことなのです。

その為に、魂さんは何千回、何万回と生まれ変わっているのですね。



さて、「ごきげんちゃん」ゲームの話に戻します。

ゲームには、勝つためのやり方があります。

「攻略法」です。

そのゲームの各ステージをクリアしてゆく上で、「攻略法」を知っているのと知らないのとでは、雲泥の差があります。

「ごきげんちゃん」ゲームも同じです。

「攻略法」があります。

私はそれを、自分のブログで以前に更新していたのに、すっかり忘れていました。

我ながらバカな奴です!呆れます(笑)

では、転記しますので、お読み下さい。



「ど、どうしよう?

マジ、チョーやばい!

こうした「絶体絶命のピンチ!」という焦燥感や、緊迫した強迫観念と言うものは、自分が知らない間に心の中に描いた「だまし絵」に過ぎないのかもしれません。



心の中の恐怖のだまし絵

実際に落ちてみたら、「落ちたら終わり!」と思い込んでいたその断崖絶壁の谷底までの落差はわずか3センチもなく、「あれっ?」と、呆気にとられるのかもしれません。

もっと視野を広げて見たり、今の立ち位置を少しズラして見たら、その深刻な事態は「大したことのない出来事」になるのかもしれません

■状況は変えられなくても、見方は変えられる!



池の水を飲むために、鼻を長くすれば良いことに気付いた象。

鼻を長くするより、ゴムホースで飲んだ方が早いことに気付いた人類。

池の水をゴムホースで飲むより、水道を整備したほうが楽だと気付いた現代人。

状況を変えるより、見方を変える方が簡単だと気づくべし!

それに「気づく」か「気づかない」かの差は、とてつもなく大きいです。

ごきげん♪な見方

あなたの機嫌を悪くしているのは、あなたの今の見方です。

自分の機嫌がよくなる「ごきげん♪な見方」を探しましょう。

見方を変えるだけで、打つ手が見えてきます。

もっと柔軟にものごとを見直すクセをつけましょう。

見方を変えるのに、お金はかかりません。

時間もかからないし、貯金も減りません。

見方を変えることで、あなたが失うものは、何一つありません。

ごきげん♪な見方

それは、あなたの中にあります。



お金持ちではないと言うだけであなたは不幸ですか?

億万長者なら、寝たきりでも幸せですか?

奥さんが片付け下手と言うだけで、あなたは不満ですか?

妻に先立たれて、侘しく一人で晩御飯を食べている人がいるというのに。

寝たきりになったというだけで、あなたは情けないですか?

朝から晩まで好きな本が読め、人とゆっくりとおしゃべりする時間が出来たと言うのに。

あなたに何か不満があるのなら、その不満の見方を変えてみることです。



久し振りに面白い本を読みました。

『ものの見方検定』
~「最低」は0.1秒で「最高」にできる~
・ひすいこたろう著
・2014年11月 祥伝社


物事が起きたら、落ち込むのも、プラスに考えるのものその人の解釈次第。

予想外のことが起きたら、

「もう、お手上げだ!」

「どうしようもない!」

などと、パニくってしまいます。



そんな時ほど、深呼吸!

目を凝らしてよく見れば、「なんてことないこと」だったりします。

どんな解釈も自分の勝手。

どうせなら、自分に都合よく解釈をして、どんな事態もひょいとまたいでゆきましょう。



■この本で私がメモしたこと


「もう無理!」「できない」「打つ手なし」と自分が極限に追い込まれたとき、

自分に問うべきは、「もし、できるとしたら何をすればいいか?」

できる前提で考え直してみる。

そして、今すぐできる小さなことをかたっぱしからやってみる。

できる前提で考え、無理なくできる小さな一歩を踏み出し続ける。

そうすれば、新しい自分に出会えます。


「ごきげんなご都合主義」という自分の考えを後押ししてくれた本です。

この本のプロローグを転記します。

少し長くなりますが、お読みください。



「ものの見方」次第で、人生に革命が起きます。

たとえ、大ピンチに追い込まれたとしても、

たとえ、犬のウンチを踏んだとしても、

たとえ、絶望の底に陥ったとしても、

たとえ、妻が悪妻でも、夫がどうしようもない男でも、

ものの見方次第で、それを面白がれて、その結果として、行動を変えて状況を変えることだってできるのです。

人生を退屈にするか、面白くするかは、「現実」が決めるのではありません。

「考え方」が決めます。

人の心の流れは、このように流れて現実に影響を与えます。



①「出来事」や「状況」は、

→②「意味づけ」や「解釈」の選択

→③「感情」

→④「反応」

と言う流れで、その人に影響を与えます。

つまり、③「感情」を変えたいと思ったら、②「意味づけ」や「解釈」を変えれば良い訳です。

今、自分に起きている「出来事」や「状況」は、変えることはできません。

しかし、自分がそれをどう捉え、どんな「意味づけ」や「解釈」をするのかは選べるのです。

起きた出来事や状況をどう捉え、どう考えるかという「思考」を変えると、「感情」に変化が起き、「反応」に違いがあらわれて、目の前の現実が変わってゆきます。

思考を変えれば、「最悪だった事態」をも「普通の何気ないこと」に変えられるのです。

いかがですか?

「なるほどなぁ」と言うことが書いてあるでしょう?

私のブログも、捨てたもんじゃないでしょう(笑)

この記事のことを、忘れていたことはさておいて…。



その日一日を振り返った時、すごく嬉しいことやすごく幸せなことは、そうそうあるものじゃありません。

けれども、「なんとなく嬉しかったこと」なら、いくらでも味わうことができます。

例えば、ルンルンルン♪と好きなメロディーを口づさむだけで、なんだか心がほんわかしてきます。

なんとなく幸せ♪



最近の私は人と話をする時、目元を緩ませるように心がけています。

そしたら、相手の表情も自然と柔らかくなってゆきます。

自分の人生は、自分が幸せになるために存在しているのです。

だから私たちは、この人生の中で、少しでも幸せになる工夫をした方が良いのです。

なぜかって?

自分がトクするからです。

神様はこの人生を、私たちが幸せになるために与えてえて下さったのに、どうして私たちは、不幸な方、つらい方、不愉快な方に意識を向けてしまうのでしょうか?

モノごとをどう捉えるのか、その「意味づけ」の選択はその人の自由なのに、どうして、自分が損する「意味づけ」ばかりを選んでしまうのでしょうか?

実に勿体ないことです。

私はこれから、自分がトクする「意味づけ」を選択をしてゆくクセをつけてゆくつもりです。

トランプゲームならば、「ババ」を引いたら負けとなりますが、

自分に起こった出来事や状況に対する「意味づけ」ならば、何度でも選び直すことができます。

「ババ」を引いたら、また選び直せば良いだけです。

日々、大小いろんなことが起こりますが、

それらの状況のなかで、どれだけ楽しい気分で過ごせるか?

それを「幸せの修行」と捉えて、共にチャレンジしてみませんか?

それは無理やりのプラス思考ではありません。

不快な気分に心を支配させないという修行です。

「ああ、またネガティブな感情が湧いてきたなぁ…」

「また自分は、マイナスの意味づけをしているなぁ…」

「この状況にどんな意味づけをしたら、気分が良くなるだろうか?」

「そうだ!こんな意味づけはどうかなぁ…」

そんな風に、「意味づけ」の選び直しを、クセになるまで続けてゆきましょう!

「こんなイヤな感情なんか出て行け!」と、口からふーと吐き出しても、「意味づけ」を変えない限り、何度でもその感情は湧きあがってきます。

■ネガティブな感情は、あなたへのメッセージ。

ネガティブな感情は、「あなたの中に自分を不愉快や不安にさせるマイナスの思考グセがある」ことを教えてくれているメッセージなのです。

「こんなイヤな感情なんか出て行け!」と、悪者扱い・邪魔者扱いするのではなく、

「うんうん、教えてくれて有難うね。」

「もう、大丈夫だからね。」


と労いの言葉をかけて、癒してあげることも大切です。

要するに、不愉快な感情や不安な感情は、増幅させないことがコツなのです。

感情は、自分が選択した「意味づけ」の中から生まれます。

「大したことない」と解釈すれば、「大したこと」ではなくなります。

「大丈夫!なんとか対処できるから!」という「意味づけ」をすれば、「困った」ことにはなりません。

私は、どんな状況に置かれても、イライラ・ハラハラ・ビクビク・オドオドしない「平気でいられる自分」を培ってゆくつもりです。

それが「幸せになれる」生き方と信じているからです。

日常の暮らしの中での実践あるのみです。

そんな訓練を続けています。



守護霊さんの助けを借りながら。

最後に、このブログ記事全体のコンセプトである「自灯明」についての動画をご覧下さい。



では、また。

「ご機嫌好う」です。

※この記事を書かせてくれた、私の守護霊さんに感謝致します。

合掌!

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これからのシニア人生の魂の課題

   


魂の学びは、人生が終わるまで続く。

今回のブログでは、前回の記事「あなたの魂は、あなたの体験を通して学んでいる」の続編として、「これからのシニア人生の魂の課題」をテーマに書いてみようと思います。

前回の記事の中でも書きましたが、その人が現在80歳間近のシニアさんであろうと、人生が続く限り、その人に宿る魂さんは体験から学び続けます。

魂さんが引き寄せる出来事や状況を体験するのは、もちろんその人です。

身体がさらに衰えて「介護ベッドの住人」となっても、それは変わらないのです。



ベッドの上で、家族や施設のスタッフの方の力を借りながら生きる毎日の中で、

①自分の機嫌を上手く取りながら、周りに笑顔と感謝を咲かせて徳を積めるのか?

②不自由な我が身の歯がゆさに、周りにネガティブな言動を撒き散らすのか?

それが試される人生の最終ステージが始まるのです。

人に自分の下の世話をさせといて、お愛想のひとつも言えないようじゃ、尽くし甲斐のある「可愛い年寄り」にはなれませんよ(笑)

それは、私もあなたも同じです。



寝たきりでなく、介護のショートステイのお世話になるだけでも、新たな人間関係が始まります。

知り合いのじいさん(81歳)は、「あんな身勝手なジジイと会うくらいなら死んだ方がマシだ!」とゴネて、介護施設のショートステイの曜日を変更させました。

「自分のワガママを棚に上げて、呆れたもんだ!」と家族はボヤいていました。

その人は、昔、私が可愛がってもらった会社の専務でした。



このように、身体が衰えたら衰えたなりの新たな体験をどんどんさせられます。

まさに「線路は続くよ、どこまでも♪」の世界なのです。

身体が不自由となり、自分がお世話になるのもキツい体験ですが、連れ合い(奥さんもしくはダンナさん)のお世話はもっとキツいのです。

身近にいっぱい見てきました。

ワガママ・悪態・過剰な依存…。

「ボケているなら許せるけれど…」と、元取引先の所長だったじいさん(74歳)も、寝たきりの奥さんの介護の辛さを嘆いていました。

今は元気な私たちシニア世代は、数年から十数年先に、そんな人生体験がもれなく待っています。

ハズレなしのくじ引きみたいなものです(*´Д`)=3ハァ・・

ワガママや悪態は、言う方も言われる方も、キツい体験になります。

だから、今のうちに心を整えておかねばならないのです。

魂さんは、自意識である私たちが手放せずにいるエゴ(利己的な自我・我欲・ネガティブな思考グセなど)を取ることを学びの主題に置いています。

だから、エゴが強い人ほど、キツい出来事や状況、人間関係などを体験をさせられます。

裏返せば、エゴを上手に「手なづけ」られた人ほど、訪れる現実は穏やかで快適なものになってゆくと言えるのです。

歳をとるほどに、周りから愛される年寄りになる。

私は別に、建前的な道徳を説いている訳ではありませんよ。

その方が大事にしてもらえるからです。

「身体が衰えてゆくばかりの自分の幸せのために良いタネを蒔いてゆきましょう!」という話をしているのですよ。

そこ、大事なトコですから、テストに出ます (^-^)/。

「エゴってなに?」

最近更新した「あなたは一人じゃないから大丈夫!」と言う記事の中で、

『エゴ』とは、執着や欲望のことで「自我」と言い換えてもいいものです。

と書きました。

私たちシニア世代は、現役時代にそれなりに苦労を重ねて、頑張ってもきました。

でも、60歳の定年をきっかけに、心の張りも少し緩んで来始めました。

個人的にも、今更、高級車を乗り回したり、ご馳走を食べたり、流行を追ったりする興味や気力も薄れ、「日々穏やかに暮らせれば、それで良い」という心境になりつつあります。

人と争ったり、競い合ったりすることも卒業です。

それだけ「角が取れて丸くなった」のでしょうか?

…実は、そんなことはありません。

むしろ、現役をリタイヤして上下関係に縛られなくなった分、『エゴ』は暴れやすくなっているのです。

このブログの重要なテーマとして、「これからのシニア人生の魂の課題」に触れておきたかったのは、そのためなのです。




▲YAHOO! JAPAN 知恵袋より 

「Yahoo!知恵袋」というQ&Aサイトで、『歳をとると、角が取れて人間は丸くなるって本当ですか?』と言う質問に対して、いろんな意見が掲載されています。

こればかりは人それぞれだと思います。

協調性のある人は、歳をとるともっと丸くなる人が多いように思いますが、

元々自我が強い人は、更にそれが強調されて、歳をとってわがままになるケースも少なくありません。

「私が私が」にプラスして、自分が法律だと勘違いしているのではないかと思うほどです。。。

色々な事に口は出すわ、

「こうしなさい、ああしなさい」と何かあるたびに聞いてもいないのに言って来ますし、

その通りにならないと、「それでは駄目だ」と完全否定。

人の都合も何もあったものではありません。

自分の自慢話ばかりで、人の話は一切聞きませんし、全て自分の良いように解釈します。

「丸く、穏やかになる」・・・傍から見て、そう見えるだけ。

歳を重ねて65歳をすぎる位から、体力や気力が急激に落ちてきます。

若者に対しても 「まあ、君は君らしくやればよい」と静観できる。

ちょっと あきらめムードになってきて そのたたずまいが、「丸くおだやかになる」と見えるのだと思います。

とは言っても、基本的にもって生まれた性格やクセ、性分は死ぬまで変わりません。

「あんなに知性的でステキだったあの人が」というほど、わがままいっぱいの老人になることも多々ありますね。

「ああ、メッキがはがれたな」とせつなくなります。

この間、朝の開館前の図書館で、並べ・並んでいると喧嘩してたのは70歳過ぎのお爺さんたち。

電車で携帯が、うるさいと喧嘩してたのは60歳すぎの男性。

赤信号に変わった横断歩道を、気づかないふりして渡るのは70歳後半のおばあさん。

まだ枯れてないというか、

正義感があるというのか、

性格が変わらないの言うのか、

まだまだ血気盛んな方が沢山おられますよ。

丸くなってるかぁ?

むしろ、頑固になって図々しくなってる気がします。

病気でもないのに病院でダベって、ぐったりした病人に席も譲らないのはお年寄りの方です。

高齢で危ないからと注意されても「もみじマークなんて嫌だ」とごねたり、

運転技術だけじゃなくて、老化で運動神経が衰えたり、

持病の発作などの可能性が・・と説明しても「老人差別だ」とごねまくり。

気に入らなけりゃ「昔はああだった、こうだった。最近の若いもんは」と言いながら、若いもんの世話になってたり、

「文句言うなら、自分でやれ」と言われると逆切れしたり、

丸くなる人もいる・・・いや、そういう人は若い頃から丸かった・・。

やれやれ、シニア世代はあんまり評判がよくなさそうですねぇ。

自分もこんなエゴ丸出しの爺さんになったら、さぞや、魂さんからキツい学びの体験をさせられそうだと思うと、ゾッとします(笑)

我欲

・自分一人の利益・満足だけを求める気持ち。

・利己的で自己本位であるような欲のこと。

角がとれる

・世慣れて性格が円満になる。人柄が丸くなる。

「角」を「我欲」と置き換えると、これからのシニア人生の魂の課題は、「我欲を手放してゆくこと」だといえそうです。

「手放す」とは、「ガマンする」ことではありません。

「枯らしてゆく」ことです。

エゴとどう付き合ってゆくかが、シニア人生の課題

「エゴ」は、持って生まれたものです。

「エゴ」を否定しては、苦しむばかりです。


心理学関連の本やサイトなどを見ると、「エゴをいかに手放すかが幸せのカギ」なんてさらりと書いてありますが、

「エゴ」は、人間のDNAの中に書き込まれた「本能」だから、生きている限り、手放すことは簡単ではないのです。

むしろ、「エゴ」とどう付き合ってゆくかが重要なのです。

「エゴ」を自我=欲と解釈すれば、好奇心や向上心の原動力として、これからのシニア人生にとっては必要なものでもあります。

要は、自分を苦しめる「悪性のエゴ」に転化させないことです。

手なずけてゆくことです。

「エゴ」の奴隷になっては苦痛な人生になります。

「エゴ」の支配者にならねばなりません。

そのあたりのことを、これからのブログで定期的に考えてゆきたいと思います。

■参考記事


http://dejimablog.blog39.fc2.com/blog-entry-360.html

3年前の12月に更新した記事ですが、何かの参考になれば幸いです。



「行」とは実践であり、繰り返し身につけるという意味の修行のことです。

私もこの記事を定期的に読み返して、「エゴ」の衝動をかわす「行」を積み、「愛される爺さん」を目指してゆくつもりです (*^ ^* )V。


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あなたの魂は、あなたの体験を通して学んでいる。

   


今回のブログのテーマは、「魂の学び」です。

今回の記事は、私の守護霊さんからの「インスピレーション」を素にして書きました。

私たちの人生は、どうして「山あり谷あり」の展開となるのか?

その答えに辿り着けたような気がしています。

では、さっそくお読み下さい。

人生は、どうして「山あり谷あり」なのか?



私たちは、「自意識」を「自分である」と認識して生きています。

だとしたら、この人生は、自分が「主役」であるはずなのに、どうしてこの自意識の思い通りに展開しないのでしょうか?

B級ドラマだって、最後は主人公が幸せになるのが「お決まり」なのに、不運な現実に耐え切れずに自殺する人までいます。

・ある人は、希望校の受験に失敗し、

・ある人は、誰もが羨む一流企業を数年で退職したりしています。

・ある人は、結婚して子供が出来ないと悩み、

・ある人は、二人の子供を連れて、離婚したりしています。

・ある人は、病弱で若くして入退院を繰り返したりしています。

人生、波乱万丈!

「人生は、変化が激しく劇的である」と言う意味です。

どうして私たちのこの人生は、かくも波乱含みなのでしょうか?

実は、私はその答えを知っています。

守護霊さんに教えてもらったからです。



魂は、転生を繰り返しながら学んでいる。

実は、「人生に起こる数々の出来事は、その人の魂さんが引き寄せている」からだそうです。

魂は、「エゴ(自我・我欲)」と言う名の『陰り』をまとっています。

その「陰り」を取り去るために、私たちの魂は何度も転生を繰り返しており、その回数は何千回、何万回は普通だそうです。

「ゲッ、マジ!本当?」と聞いたら、「魂は死なん」と言うインスピレーションが返ってきました。

時には、最初から一ヶ月や一年で霊界に戻ることを決めて来る魂もあり、

・「不自由な肉体という感覚を少しだけ体験してみたい。」

・「事故とか病気の体験を通して、人との深い関係の感覚を味わいたい。」


そんな短期の体験学習を望むケースもあるそうです。

逆に、10万回近くも転生を繰り返している修行熱心な魂もいるとのことです。

あなたの魂は、いつも学びたがっている。

私が守護霊さんからのインスピレーションで得た情報を続けます。

魂は、エゴという名の「陰り」が取れるほどに軽くなり、周波数が上がります。

魂は、神様の領域とされる崇高なレベルの周波数に少しでも近づけるように、生まれ変わりながら、魂磨きを続けているとのことです。

魂は、あなたに体験させて学ぶしかない。

私たちの魂は、前世でクリアできなかったことを「今生の課題」として転生してきます。



その結果、「私」と言う一人の赤ちゃんが誕生します。

だから、同じ子供として生まれ、

同じ親、同じ生活環境で育てられた兄弟姉妹なのに、

個性や好み、才能や歩む道のりが違うのは、

それぞれに宿る魂の個性や思考クセ、クリアしたい人生の課題などが異なるためです。

魂自体は「意識体」であり、肉体を持たないために、

人間の肉体に宿って、その人にいろんな人生体験をさせながら、いろんなことを学ぶのです。

そう言う意味から見れば、私たち人間は「これが自分だ」と認識している『自意識』と、別に内在している『魂』との「二重構造」になっているのです。

それゆえに、

『自分が主役である人生なのに、この自意識の思い通りに展開しないのは何故か?』

その問いに対する答えは、「自分が人生で体験する様々な出来事は、その人の自意識とは違う、内に宿る魂が、自らが体験したいことを選らんで引き寄せているから」と言うことなのです。



魂は、自らが成長するために、その人に必要な試練を体験させて前世でクリア出来なかった課題を達成させようとします。

だから、自意識である私たち自身にその気があろうがなかろうが、そんなことはお構いなく、勝手に体験したいことを引き寄せてくるのです。



神様は「お試し」なんかしません。

神様は、試す以前にあなたのことは全てお見通しだからです。

「お試し」をしているのは、あなたの魂なのです。

神様は「厳しい試練」なんか与えません。

神様は、いつでも温かくあなたを見守っているだけです。

「試練」を与えているのは、あなたの魂なのです。

勿論、私たち自身が手に負えないことは引き寄せません。

あくまで、私たち自身が考え方を変えて対処すればクリアできる範囲の課題に限られます。

「”私”という自意識」と「魂」との間にこんな関係性があっただなんて、

親や学校や世間から、私たちは少しも教わって来なかったために、

「ああ、自分はなんて不幸なのだろうか」とか、

「ああ、自分はどうしてイヤな目にばかりあうのだろう」と

その原因が分からないままに、今日まで辛い思いをしてきたのです。


だからと言って、私たちの魂さんは容赦はしません。

魂が、何かをクリアさせようと引き寄せた体験に、自意識である自分がキチンと向き合わないで逃げたりすると、

向き合って学び、気づきを得るまで、何度でも何回でも似たようなことを引き寄せ続けます。



『あと何年生きるか分からんのに、そんなこと、若い奴らに言っとくれ!』

そんな風に年寄りぶるシニア世代の方がいないことを祈ります。

それは、とんでもない間違いだからです。

確かにその人は、60歳で現役をリタイアしたかも知れません。

しかし、「人間をリタイアした訳ではない」ことを忘れています。

その人の中にも、学びたがり屋の魂さんが当然宿っています。

そんな他人事みたいなことを言ってると、どんな気づきの体験をさせられるか、知りませんよぉ~(笑)



くわばらくわばら…。

そんな不心得なこと言う人に限って、長生きするのですから(笑)



仕事や家事には、2つの「やり方」があります。

「上手くゆく」やり方と、「上手くいかない」やり方です。

同じように、人生にも、2つの「生き方」があります。

「幸せになれる」生き方と、「幸せになれない」生き方です。

この2つの違いは、「コツを押さえているかどうか?」にあります。

「コツを押さえる」ためには、そのことの仕組みやルールを知ることが基本となります。

本日の記事は、「自分の魂が、自分に起こる出来事を選んで引き寄せている」と言う内容でした。

自分に起こる出来事や状況は、自分では選べないようになっているのです。

その記事を通して、私がお伝えしたかったことは、「だから、ジタバタしても始まらない!」ということです。

あなたが、自分に起こる出来事や状況に対して、

・「ああ、つらいなぁ」と嘆いたり、

・「いつも私はツイていない」と投げやりになったり、

・「もう、やってられない」とヤケバチになったり、


そんな反応をしている限り、「同じような出来事が、繰り返し起こるだけだから損ですよ!」ということです。

そんな反応をする人は、「幸せになれない」生き方をしています。

何故なら、そんな出来事や状況を選んで引き寄せているのは、その人の魂さんだからです。



魂さんに、あなたに起こる出来事や状況を選択する権利がある以上、「なんでも来い!」と覚悟するしかないのです。

自分に起こる出来事や状況に正面から向き合うこと。

それが「幸せになれる」生き方です。

例えば、「最近、イライラすることが多い」という人がいるとします。

その人に、そんな出来事や状況を体験させている魂さんは、その人にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか?

『イライラする出来事や状況なんて存在しません。』

『単なる出来事や状況にすぎないことに、あなたが勝手にイライラしているだけなのですよ。』

『思い通りに行かないと、すぐにイライラしてしまう、そんなネガティブな「解釈の仕方」を改めなさい!』

と言うことだと思います。

「幸せになれる」生き方

それは、「これが自分」だと認識している『自意識』と『魂』とが、同じ方向を向くことです。

魂さんは、「立派な解答」なんか求めていません。

例えば、不快なだけの人間関係の中で、「ああ、自分にも落ち度があったんだなぁ…」と気づくだけで合格なのです。

「気づき」が「幸せのタネ」になるのです。

これからも、あなたの人生で起こる出来事の半分近くは『招かれざる客』だと思います。

そんな『客』に対して、覚悟を決めて「いらっしゃいませ」と笑顔で向き合って欲しくて、今回の記事を書きました。

この思いがあなたに届くことを願っています。

ではまた。

「ご機嫌好う」です。

合掌!


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「感謝力」 それは「当たり前の有難さ」に気づく力

   


上図のタイトル画像は、「yumekanau2」さんが『Instagram』で仕事や家族、人生などをテーマに発信し続けている、心に刺さる言葉集の一つです。

★「yumekanau2」さんの言葉集・閲覧URL



さて、最近、私が更新した記事「あなたは、今のつらい現実を変えられる」の中で、自分の意識の周波数を上げるコツとして、

①ポジティブ思考

②徳を積む

③感謝をする


の3つを挙げました。

本日のテーマは、3つ目の「感謝をする」です。

「感謝をすると、どうして幸せになれるのか?」について書いてみたいと思います。

幸せになるための自己資源

私のパソコンのマイドキュメントの中に、このブログ記事の「下書き」ファイルがあります。

その中に「幸せになるための自己資源」と言うタイトルの文章を見つけました。

「どんな内容だっけ?」と思い出せなかったので、開いて読んでみました。

もう、いつ書いたのか、どこかの転載文だったのか、ひらめて自分で書いた文だったのか、それがよく思い出せないほど昔の記事ですが、転記しますのでお読み下さい。



<前文省略>

私は、心の表面を覆いつくす自我や我欲が「目くらまし」となって、「幸せになるための自己資源」に気づかないで生きていたのです。


・人を思いやる優しさも、

・不安に立ち向かう勇気も、

・苦境を乗り越える知恵や気力も、

・将来を切り拓く希望も、

・自分をいとおしむ愛も、

すべて洩れなく、私の心の奥底に備わっていたのです。

勿論、あなただってそうです。

あなたが持っていないものなど何もありません。

あなたにも、幸せになるための自己資源が潤沢に備わっているのです。

但し、その存在を疑い、前向きに活用しようとしなければ、「持っていない」のと同じことになります。

「幸せ」とは、自分が既に持っている資源を活用することで得られるのです。

あなたも私も、すでに幸福になるために必要なものを全て持っています。

自分自身も人生も、変える必要など何もありません。

必要なことは、自分の心の奥底に眠っている「幸せになるための自己資源」の存在に目を向けることだけなのです。




殿、読み返してみれば、なかなかに良きことが書いてありまするなぁ!むふふ…。

「幸せ」とは、自分が既にもっている資源を活用することで得られる。

特に、この一行は心に刺さります。

但し、原油と同じで、資源は活用しないと価値を生みません。

自分や相手の役に立ったり、喜ぶような加工(活用)をする必要があります。

それから実は、この原稿を書いた当時には、まだ気づいていなかった、もう一つの大切な自己資源があったのです。

それは、「当たり前の有難さに気づく力」です。

なんで感謝しなきゃいけないの?

「感謝しながら生きましょう!」なんて書くと、

なんで感謝しなきゃいけないの?

そんな反発をする人が必ずいます。

40代までの私は、まさにそんな人間のひとりでした。

感謝を「義務」や「お返し」みたいに捉えていたのです。

良くしてもらったから、お礼を言う。

助けてもらったから、有難がって見せる。

当時の私にとって、感謝するということは、「○○してもらったこと」への条件反射みたいな認識でした。

自分にとってプラスになった時にだけ感謝すれば良いんだ。

当時の私は、あなたが呆れるほど、本当にごう慢な奴だったのです。

ものごとが上手く進んでいる時は、「俺の実力はこんなもんだ!」と高慢ちきとなり、

ものごとが上手く進まない時は、「俺はツイていない」とこぼしたり凹んだり、

その繰り返しでした。

思い返せば、その頃は、それなりの給料をもらって不自由のない豊かな暮らしが出来ていたハズなのに、

いつも心はブレにブレれて定まることを知らず、「満ち足りた人生だ!」なんて、ちっとも感じたことはありませんでした。

「こんなことじゃイケナイぞ!」と思い立ち、書店で手にした本が『生きがいの創造』でした。



その本には、最前線の医療の現場では、「死後の世界」の存在は、もはや既成事実になりつつあることが、いくつもの事例を交えて書かれてありました。

退行催眠

前世の記憶

死後の世界

輪廻転生

生まれ変わり

魂の学び

神様…

それまでなじみのなかった言葉が、次から次に目の中に飛び込んできました。

私は、1ページに何箇所も黄色のマーカーを引きながら、貪(むさぼ)るように読み進めました。

心が打ち震えました。

「そうか、今のこの辛い状況は、自分の魂が何かを学ぶ為に引き寄せているのだな」と思ったら、なんだかとても納得できました。

魂は辛い状況の中で学ぶ。

私たちは、ものごとが順調に進んでいる時には、その原因を考えたり、反省したりはあまりしませんね。

ものごとが上手く行かなくなって初めて、その原因を考えたり、反省したりして、何かに気づいたり、学んだりしているのです。

だから、ものごとが上手く運ばない時にこそ、「自分の魂がその状況の中で何かを学んでいるんだなぁ」と考えて、正面からその状況と向き合った方が良いと思います。

「当たり前の有難さ」を知る

それからの私は、仏教、禅宗、キリスト教などの教え、心理学の原理など、いろんな書籍や情報サイトを読み漁りました。

目の前の辛い状況を乗り越えるために、気弱な自分を後押ししたかったからです。

それらの中に、「当たり前の有難さを知る」という教えがありました。

当たり前の有難さ

私たちは、普段、当たり前と思っていることには感謝なんてしないで生きています。

けれども、それが不足したり、無くなったりした時に初めて、その有難さを思い知らされます。

・体調を壊した時に初めて、健康の有難さを痛感します。

・ストーブが壊れた時に初めて、ストーブの有難さが骨身にしみます。

・ペットが死んた時に初めて、ペットの癒しの有難さに涙します。


親・夫婦・子供・昔お世話になった人、職場の上司や同僚…。

その関係が無くなって初めて、その関わりの有難さを思い知ります。

だから、幸せに生きてゆくためには、今当たり前と思っている状態・状況・関係の中に「有難さ」を一つでも多く、見い出してゆくことが大切なのではないかと思います。

感謝するほど、意識の周波数が上がる。

だから、「なんで感謝しなきゃいけないの?」という問いに対する答えは、「自分が幸せになるため」だと思います。

「投げかけたものが自分に返ってくる」という宇宙の法則から見ても、

感謝すればするほど、意識の周波数が上がり、「もっと感謝したくなる」現実世界と共振し、それを体験することになります。

感謝できる力も「幸せになるための自己資源」のひとつ。

「当たり前の有難さ」に、もっともっと気づける力を磨きましょう。

それは、生まれた時に神様から授かった「幸せになるための自己資源」のひとつです。

幸運体質

日頃から、「ポジティブ思考」と「徳を積むこと」、さらに「感謝をすること」の3つを心がけてゆけば、いずれ私たちも「幸運体質」に変わってゆけるのだと思います。


さてさて、今回もまた長い文章になりました。

毎度毎度、ご迷惑をおかけいたします m(_ _)mスマン。

最後まで読んで下さり、

感謝!

感謝!

感謝!

致します。



「よし、3回も感謝できたぞ!これでいいのだ!」

むふふ、冗談はこれくらいにして、

あなたがこれからますます精進して「幸運体質」になってゆくことを強く願っています。

では、またお会いしませう。

「御機嫌好う」です。

合掌!



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