「イチからわかる仏教講座」より『鬼神』三話



本日のブログ記事は、菊谷隆太さんの無料メルマガ
「イチからわかる仏教講座」よりの転載です。

私の家は浄土真宗です。

鎌倉時代初期の僧である親鸞さんが、
師である法然によって明らかにされた

浄土往生を説く真実の教えを継承し
開いたとされています。

宇宙や人生の法則には大いに興味がある私ですが、
実は宗教にはあまり興味がありません。

それは自分の中に「絶対の内神様」が
いてくれると確信しているからです。

けれども、菊谷隆太さんが毎日送ってくれる
無料メルマガ「イチからわかる仏教講座」を読んでいると、
仏教って奥深いなあと感じ入ったりしました。

本日のブログは、菊谷隆太さんのメルマガから
三話分をまとめて(勝手に無断で)転載します。

興味のあるかたは、この無料メルマガを登録して
ご自身で続きを読んでみてください。

○無料メール講座
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■『鬼神』第一話
「No.1479:日本人に根を張る思想宗教とは」より。

無宗教を自認する人が日本人には多いですが、
日本に生まれ育っていれば、すでに大きな影響を
受けている宗教に「日本神道」があります。

日本神道の信仰は、
日本人の心に深く根を張っています。

悲惨な死に方をした人が、
生きている人を祟って不幸にするという話を
いろいろな形で日本人は聞いて育ちます。

死んだ人に祟られて不幸になる、
その供養をしたら不幸が収まり、

幸福なことがおきたという話も
聞いて育ちます。

恨みを持って死んだ人は
幽霊になって呪うという信仰も、
日本神道独特の信仰です。

キリスト教圏でも、イスラム教圏でも、
運命は神が決めることであり、

驚くべき運命に遭遇すると、
キリスト教徒は「オーマイガッ」だし、

イスラム教徒は、運も不運も
「イッシュ・アッラー(神の思し召し)」が口癖です。

先祖が祟るとか、死んだ人の呪いで
不幸になると考える人は
日本と比べると圧倒的に少ないです。

日本神道の信仰の本質は、
「死んだ人間や動物が生きている人間の
禍福を決める力がある」というものです。

特に生前、高貴な血統の人、
影響力のあった人、
非業な死を遂げた人などが死ぬと、

強い霊力があるとされ、恐れられ、
その供養に社を建て、そこへ行って祈ると、
運気が上がるとされ、皆、参拝にいくのです。

こういう信仰は、世界の他民族にも幾つも見られ、
仏教ではこれらの信仰を「鬼神信仰」と呼ばれます。

何か悪いことが重なると、

「霊が碍りになっているのではないか」
「お祓いしてもらおうか」

「家の向きが先祖を悲しませているのではないか」
「守護霊が弱いのではないか」などと

もしあなたがふと思うことがあるとしたら、
それが日本神道の信仰です。

無宗教といえども、生まれ育った処の宗教思想は、
根深い信仰として厳に私たちの中にあるといえましょう。



■『鬼神』第二話

私が中学生の時、友人に勧められ、
霊について書かれている本を読んだことがあります。

そこには、守護霊だの、
地縛霊だのいろいろあって、

先祖が守護霊になっていて、
その霊に力があれば、幸運に恵まれ、

守護霊に力がないと、
不運に見舞われると書かれてあり、

しかも守護霊は人生の中でも、
変わることもあるとありました。

私は中学2年から3年にかけて、
嫌なことが続いていたので、

「これはオレの守護霊が最近
変わったんじゃないの」と読みながら
ふと思ったものです。

そのままいつの間にか守護霊のことも忘れ、
大学生となり、仏法を聞くご縁に恵まれ、

先祖の霊が幸運や不運をもたらすという信仰を
仏教では鬼神信仰といわれ、
迷信と釈迦が断定されていることを知りました。

私が中学の時、そんな本を読んでものめり込まず、
守護霊がそんなに気にならなかったのは、
そこそこ私の人生が順風満帆だったからだと思います。

もし不幸な運命が次々とやってきて、
「なんでオレばかりこんな目に」と苦しんでいたなら、

真剣に「地縛霊かも」と恐れたり、
守護霊と仲良くする呪文をひそかに
つぶやいていたかも知れません。

「溺れる者はワラをもすがる」

不幸な運命に翻弄され、苦しいと、
何の根拠もない、つまらぬ迷信にも
すがってしまう弱い存在が人間だから、
迷信の犠牲者も後を絶たないのです。

またそんな弱い心をつけこむように、

「あなたの運が悪いのは、
実はかくかくしかじかで・・」

とまことしやかにすり寄って、
悪霊退散の祈祷だとかなんとかと、

金を取っていく輩がいるので、
気を付けなければなりません。

仏教では一切の運命は、
己の業(行為)によって生じると

一貫して説かれており、
これを「因果の道理」といいます。

「まかぬタネは生えぬ
まいたタネは必ず生える

刈り取らねばならぬ一切は
自分のまいたものばかり」ということ。

そこに、私たちの迷った考えが
一切入る余地がなく、

自業自得を徹底して
明らかにされていることに驚きます。

幸福な運命が来たときには、
仏教をうなづけるものです。

成功したのは、
日ごろ頑張っているからだと思い、

「まいたタネは生えるなぁ」と
因果の道理を納得し、自分の腕を誇ります。

ところが不幸な運命がやってきたときに、
とたんに仏教をはねつけます。

失敗したときに、己の日ごろの行為を
反省できる人はなかなかいないものです。

「上司のせいだ」「部下のせいだ」「親のせいだ」
「夫のせいだ」「妻のせいだ」「子供のせいだ」
「社会のせいだ」「政治のせいだ」と恨んでいます。

誰が悪くて、こんな運命が自分に来たのか、
よく分からないときは、犯人捜しをはじめます。

それでも犯人らしきものが見つからないと、
「なんでオレだけがこんな目に。

おかしい、おかしい」と思い、
そんな時に「霊のたたりだ」
「先祖が泣いているからだ」と聞くと、

「そうだったのか」と
飛びつくように信じ込んでしまう。

悪い運命が来たときに、
どうしても自分の行為を反省できず、

己の姿を見つめられず、
自分以外の誰かに苦しめられている!
としか思えない、

その心が迷信の温床だと、
お釈迦様は説かれています。



■『鬼神』第三話

「先祖を供養しないから不幸になる」
「先祖を敬い、先祖が喜ぶことをすると幸福になれる」

と信じている人が多くあります。

亡くなった先祖には、私たちに福をもたらし、
禍をなす力があるという信仰で、

これを仏教では「鬼神信仰」といい、
釈迦は迷信だと教えられています。

先祖を敬うこと自体、
悪いと説かれているのではありません。

それは仏教では勧められこそすれ、
決して否定されるものではありません。

しかし先祖を敬うのは、
先祖が人格的に優れていて、

尊敬せずにおれない
徳を備えているからではありません。

ましてや、先祖を敬わなければ、
不幸がやってくるからでもありません。

私たちにとって最も近い先祖は「親」であり、
その次は、親の親である「祖父母」です。

親の親のそのまた親と、
ずっと先祖は広がっていきますが、
6代さかのぼれば32人、時代は幕末ですね。

私の先祖は幕末に32人いたということになります。

32人の先祖の中には、
今の私と面影が似ている人はあったろうか、
などと想像を巡らすのもおもしろいですが、

ここで言いたいのは、顔ではなくて、人格です。

32人もいれば、人格者だと言われる人も
あったかもしれませんが、
嫌われ者、犯罪者もいたかも知れません。

今の私が接してみて、
尊敬できる人もあったでしょうが、

どうにも尊敬できない、
嫌な人もあったと思います。

ただ先祖だからとやみくもに
尊敬の対象とするのはおかしいのは、
こういうことからも分かります。

では仏教で「先祖を敬いなさい」と
教えられるのはどうしてか、

それは、その32人の誰か一人でも、
親になる前に死んでいたら、

その下には子どもがいないわけだから、
私は生まれることができなかったからです。

現代に生きる私は、
先祖から連綿と命をつないできた結果です。

32人が、誰も欠けることなく、
子供を生んで、愛情を注いで、

苦労して育ててくれて、
命のバトンをつないでもらって、
今の私になっている。

このことを思えば、
感謝の心があふれますし、

先祖は大切にしなければならない
存在だと分かります。



仏教の教えを聞いて、
「人間に生まれたのはこの幸せになるためだったのか」と

人間に生まれてきた尊さが知らされたときに、
同時に親の恩、先祖のご恩に感泣するのです。








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ブレイクスルー思考 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2016/09/20 02:05

大丈夫!なんとかなる。


今日のブログは、自分への応援歌のつもりです。



▲深呼吸日和より

■悪い方に意識をフォーカスするクセを止めるべし!

私たちはついつい悲観したり、物事を悪いほうに考えてしまいます。

「失敗したらどうしよう」
「上手くいかなかったらどうしよう」

まだ起こってもいないことを考え、落ち込んでしまいます。

さらに勝手につくり上げた悪いイメージで自分自身を苦しめます。

もう未来を悲観するのはやめにしましょう。
これからどうなるかはまだ決まっていないのです。

「大丈夫、なんとかなるさ」と、言葉にしてみましょう。

■起こっていないことで苦しまない

どうして私たちはうまくいかない未来を想像するのでしょうか?

初めから上手くいかないと思っている分、
失敗したときに傷つかなくていいようにでしょうか?

悪いイメージというのは実際の結果にまで影響を及ぼします。

失敗するかもと考えていると本当に失敗してしまうものです。

これを成功させないと、次に失敗するとと
気負いすぎてもなかなか良い結果になりません。

肩に力が入りガチガチになり、
視野も狭く柔軟な思考ができなくなります。

あまり深く考えずに
「なんとかなるさ」とリラックスしてみましょう。

今の置かれている状況や、
将来に対して不安になってしまう気持ちはわかります。

でもね、そんなに心配しなくても
悪いことばかり起きたりはしません。

多少の失敗ぐらい誰にでもあります。

未来を決めつけて悲観していても仕方がない。
少し気楽に考えるぐらいの方が生きることが楽しくなります。

人生は減点方式ではないのですから。

■なんとかなるさ

あまり不安がっていても良いことはありません。

間違いや失敗を恐れる必要はありません。
大抵のことは取るに足らない小さなことです。

「大丈夫、何とかなるさ」

そう、口にすることで心が前向きになります。

このことは脳科学でも実証されているそうです。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もあります。

自分にできるだけのことやったのなら、
あとはどんな結果も受け入れる。

人生なるようにしかなりません。
どれだけ考えても未来のことは誰にも分かりません。

自分の中でつくり出した妄想で苦しまなくていい。
明日は明日の風が吹くのです。

まあ、だいたい大丈夫、何とかなるものです。

幸せの思考法 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2016/09/15 11:58



生きていれば、

思い通りに行かないことがいっぱいあります。

そんなとき、

「今の人生は、魂磨きの人生だ」と思い起こすために

私が時折読み返す、良質のサイトをご紹介します。

管理人さんは、転載厳禁だということですが、

どうしてもご紹介したいので、1ページ分だけ、

紹介を兼ねてこっそり、転載させてもらいます。



人間が死後に思う10の内容

人間が「死後」に、アノ世でどんなことを思っているのかを、

私の記憶と、多くの魂を観て来た経験から書いて置きます。

 ↓ ↓





死んでみて、誰も悪く無かったことが真から分かった。

すべてが自分の「ため」であり、自分が原因だっただけなんだ。

お父さん、お母さん、本当にごめんなさい。

もう1度、生まれ出たい。




人生で、あんなことで

くよくよ悩まなければよかったなあ。


人間は、何も悩むことは一切無かったんだ。


生まれ出るだけでも、生きているだけでも、

もの凄いプレゼントだったんだ。


コノ世に生まれさえすれば、

後は何にでも感謝して楽しめば良かったんだ。





他人が自分のことをどう思うかなんて、

気にしなければよかった。


他人が思うことばかりを気にして、

自分が思うことは気にしていなかった。


自分の思う内容を大切にしていなかった。


他人は、自分自身のことで一杯であり、

私のことなど気にもしていないのが本当さ。


私は、もっと自分のことを

考えて上げるべきだったんだ。


今生の自分よ、本当にごめんよ。





もっと他人に親切にして、

励ますだけでもすれば良かった。


他人に優しい言葉を話し、

親にはもっと感謝するべきだったんだ。


死後の世界が、これほど厳格に

反射の法則だけで出現しているなんて、

誰も教えてくれなかったし、知らなかった。


もし、もう1度だけ

生まれることが許されるならば、

他人を助けることを誓うよ。


だって、自分自身を真から救うには、

それしか無いのが真実だからさ。





生きている時に、あんなに心配しなければよかった。

必ず死ぬのに、何を守ろうと自分はしていたのか。


どんな懸念があっても、なるように成れ。


で本当に良かったんだ。


嫌な事、苦しいことほど、

今では良い思い出に変わっているし、

その時の自分を褒めてあげたい気分に

成れることが分かったんだ。


死後にも、こんな世界が在るならば、

心配せずにもっとゆっくり楽しめば良かった。


次は、貧乏でも笑い飛ばせる自分を試したいなあ。

神様、お願いします!




他人の言葉よりも、

もっと自分の思いを信じればよかったなあ。


他人の言葉を信じて決めれば、

必ず後で後悔することが分かった。


自分の思いを信じて決めれば、

どんな結果でも人生を楽しめるのが分かった。


だって、どんな選択も、

せっかく神様が自分のために

用意してくれていたものだったことが

死後に分かったんだ。


神様、

次は自分で決めることを誓います。

ごめんなさい。





ああ、一瞬一瞬を

もっと大切に生きればよかったなあ。


生きている時は、人生は絶望するほど長かったけど、

死んでみればほんの一瞬だったことがよく分かった。


こんなに直ぐに終わる人生ならば、

もっと全力で走りながら楽しめば良かったなあ。


何も恐れるものなど無いのが真実だったんだ。


自分は何を恐れて、人生に絶望したんだろうか。


もう紙芝居にはダマされずに、

ただ感謝して生きることに挑戦したいな。





他人と言い争いなどしなければよかったなあ。


他人に文句を言わずに、

ただ見守ってやれば良かったんだ。


他人とケンカせずに、

違う他人と自分で楽しめば良いだけだったんだ。


他人との別れは突然に来るから、

他人には良い言葉だけを話す人生を次は送りたいな。


どんな他人でも今生で出会うということは、

これほど深い縁のガンジガラメだとは想像していなかった。


自分の方が、今回は謝ればちょうど良かったんだ。


その前の過去生の時の他人よ、アノ時はごめんね。


今回も怒ってしまったけど、

自分が引けばお互いにイーブンだったんだよね。





もっと他人のために何でも尽くせばよかった。


他の人のために行うことは、

それは自分自身を救っていたんだな。


今生は、他人から取ることばかりを考えていたから、

死後の自分には何も残されていなかったよ。


死後には、これが他の魂から一目で分かるから、

今のみすぼらしい自分が本当に恥ずかしいよ。


そして、もっと幸福に感謝して生きればよかったな。


幸福は、やって来るものでは無くて、

自分で創造するものだったことが死後によく分かった。


自分の感謝の気持ちで創られるものであることを、

生前に知りたかったなあ。





もっと自分自身を大切に扱えばよかったな。


自分をイジメてばかりいた。


クヨクヨ悩み、自分に絶望し、他人を非難し、

食べる物も配慮せずに、

心身ともに自分で自分をイジメていたことに気付いた。


これにより、多くのチャンスを

自分で潰していただけだったんだ。


でも、死んだ今では遅いんだ。


神様、

今回は健康な体に生み出してくれて

有り難うございました。


それなのに、大事にしなくてごめんなさい。

もう1度だけ、挑戦したいな。





以上の内容を信じる必要はありません。

私から言えますことは、「これが答えです」。


ただ、すべての言葉に共通する内容に

気付いて頂ければ幸いです。


生きている間に、自分の人生経験を通じて、

自分に共通する内容に気付いて頂ければ

幸いであり十分です。


人間は、自分が経験したことは深くよく理解します。

生かして頂いて ありがとう御座位ます。




無断転載 申し訳ございません。

ブレイクスルー思考 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/09/12 22:27

「聖人」マザー・テレサの名言集 再び



インドの貧民街で救済事業に生涯を捧げたマザー・テレサさんが、

キリスト教カトリック教会における

最高位の崇拝対象である「聖人」に列せられました。

テレサは1979年にノーベル平和賞を受賞。

その後も精力的に活動を続けながらも、1997年に死去。

没後19年の早さで聖人に認定されるのは異例なそうな。


▲マザーテレサの心が温まる名言集

今回はマザーテレサが残された心が温かくなる言葉、

優しい気持ちになれる言葉、気づきを与えてくれる言葉、

そして、一歩踏み出す勇気が湧いてくる言葉を

ご紹介させていただきたいと思います。



どれだけ人に与えたかは重要じゃない、

その与えようとしたものに

どれだけの思いや気持ちを込めたかが大切です。



傲慢で、ぶっきらぼうになるのはたやすいこと。

でも、わたしたちはもっと偉大なことのために生まれてきたのです。

わたしたちは、愛し合うために生まれてきたのです。



愛されるために自分と違ったものになる必要はないのですよ。

ありのままで愛されるためには、ただ心を開くだけでいいのです。

あなたは、愛されて生まれてきた大切な人。



誰かに対して笑顔を見せることは、

その人にプレゼントを贈っているのと同じことですよ。



誰かと出会うときには、いつもほほ笑みを浮かべなさい。

愛は、ほほ笑みから始まります。



すぐに決めつけてはいけません。

相手が何をしているかはわかっても、

なぜしているかはわからないからです。



相手の悪いところではなくて、よいところを見なさい。



人を愛したいなら、ゆるすことを学びましょう。



ありのままの自分を受け入れることができれば、

どんな悪口もあなたを傷つけることはできないし、

どんな称賛もあなたを思い上がらせることができません。



もしあなたが人を評価しようとするなら、

その人を愛することはできないでしょう。



心の飢えを満たしてくれるのは、ただ愛だけです。



自分が弱いということを知っている限り、

あなたたちは安全です。



仕事の意欲を失ったら、「何のために」と考えるのをやめ、

「誰のために」しているのかを思い出しなさい。



落胆は、傲慢のしるし。

あなたはまだ、自分の力に頼っているのです。



憎しみは、心の癌(ガン)と言われています。



不幸せなように見える人は、何かを手放せていない人。



自分自身と和解することから、相手との和解が始まります。



小さなことで十分です。小さなことだからこそ、いいのです。



十分に愛されて来なかった人は、人と仲良くしたり、

誰かをサポートしたりすることができません。

それどころか、周りの人達を危険な競争相手だと思い込みます。



そのとき目の前にいる人が、

わたしたちにとってすべてです。



人生はチャンスです。

そのチャンスを自分からつかもうとしなさい。



ほめられようとけなされようと私たちは気にしません。



昨日は過ぎ去りました。

明日はまだ来ていません。

わたしたちにあるのは、今日だけです。

さぁ、いま始めましょう。





雑記つれづれ | コメント(1) | トラックバック(0) | 2016/09/12 21:37

奥様に言ってはならない「NGワード」

 
転載記事▲http://shop.kagome.co.jp/lp2

巷では、後を絶たない
不倫の話題で賑わっていますが、

ここ最近増え続けているのが、
同居期間20年以上の夫婦による離婚、

その名も「熟年離婚』。

この熟年離婚を切り出すのは
圧倒的に奥様の方が多いとのこと。

長年夫婦生活を続けていられる方なら一度くらいは、
「我慢の限界!いっそのこと別れた方が楽!」と

「離婚」というフレーズが
頭をよぎったこともあるかもしれません。

それは、いつも

「一緒にいるのが当たり前」の夫婦だからこそ、
互いの気持ちや考え方をないがしろに
してしまうことが発端であるケースが多いようです。

ブタロー注) ホントは当たり前じゃないのにねぇ(苦笑)

-------------------

ちょっとしたひと言で大惨事
言ってはならない夫婦間のNGワード


「こちらが話しかけているのに、
聞いてないふりをする。」(50代女性)

「どんなことにもいちいち、
不平不満を言う。」(60代男性)


ブタロー注)
コレ、あるある!(#^.^#)

やはり、お互いを受け容れる寛容な心が
乏しくなっていることに原因がありそうです。

同じ日常の繰り返しの中で、
互いの愛情が風化してしまい

目の前の小さな幸せに
気づかなくなってしまっているのでは。

大切なのは、パートナーをもう一度
客観的に見直すこと、

それには第三者の存在に
活路を見出すのがおすすめです。

例えばペットを飼うことはいかがですか?


夫婦の共同作業が増え、
お互いの存在を再認識できるので

夫婦間の仲が劇的に改善されたという声も
数多く聞かれます。

次に、そんなペットの存在すらも通用しない、
「熟年離婚にまっしぐら!」の

夫から妻へ決しては言ってはならない
炎上必至のNGワードをご紹介します。

その1:
「誰が稼いでいると思っているんだ」


こう言われたら、誰が子育てしたり、
家を守ってきたと思ってるんだ!って
言い返すしかありません。

とても同じ屋根の下で
暮らしてきた人の発言とは思えません。

その2:
「疲れているから後にしてくれ」


疲れているのはお互い様、
こっちだってあなたに言いたくて
言ってるんじゃないのよ!

疲れが倍増してしまいそうなフレーズです。

その3:
「また文句か!」


奥様の口から出る言葉を
すべて文句に分類してしまう。
端的な言葉だけに問題の根深さが伺えます。

その4:
「もっと俺に感謝できないのか?」

男尊女卑が根底に息づく、
時代遅れのフレーズと言えます。

すべてに共通することは
「働いている俺様が偉い!、
毎日頑張っているのは大黒柱の俺だ!」と
言わんばかりの上から目線であることです。

もちろん、

住宅ローンのプレッシャーと戦いながら
家計を必死で支え続けるご主人のご苦労も
賞賛されるべきものです。

ただ、奥様は奥様で、結婚されてからというもの
家事に子育て、ご近所付き合いから家計の管理、
ひとり何役もこなしてきたのですから、

一方的に

「頑張ってきたのは俺だ!」的な
ご主人の上から目線が気に入らないのも当然です。

「頑張っているはお互い様!」ですから、
まずは心の余裕を取り戻すべく
心身ともにリセットすることが何よりも必要です。

たとえば、休日に
奥様の買い物に付き合うのはいかがでしょうか?

昔はそれを「デート」と呼んでいたのですから、
それをまた行うだけのこと。

大切なのは同じ空間で
同じ時間を共有することです。

それが自ずと連帯感を強め
お互いを思いやる気持ちを
再燃させることに繋がります。

いきなり二人きりでの
ショッピングが難しい場合は、
近所のスーパーでもいいのです。



夫婦仲良く過ごすのに、
気の利いたアイデアはいりません


大切なのは

同じ目線の高さで
コミュニケーションをはかること。


それが出来れば熟年離婚とは無縁の
円満な夫婦生活が送れるはずです。

まずは、いつも当たり前だと思っている
日常のルーティンワークから
見直してみてはいかがでしょうか。

雑記つれづれ | コメント(1) | トラックバック(0) | 2016/08/20 03:05
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