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2018
07.23

熱中症対策のカギ「深部体温」とは?

Category: 雑記つれづれ


スマホで配信されてくる記事の中に
熱中症対策として興味深いネタがあり、
備忘録としてブログに書きます。

すでにご存知の方も多いと思いますが、
テーマは「深部体温」についてです。

配信されてきた記事から抜粋します。

★熱中症による「めまい」の原因

まずは、熱中症の初期症状である
「めまい」がなぜ起きるのかの
おさらいからです。

暑さで体温が上昇すると、
体にこもった熱を外に逃がして

体温を下げようと、
皮ふの血管が広がります。

すると、

全身を流れる血液の量が減り、
血圧が下がり、脳への血流が減少します。

炎天下や暑い室内での長時間労働や
スポーツなどにより体内に熱がこもり、

脳への血流が減ることと、
脳そのものの温度が上昇することで

めまいや立ちくらみ、
一時的な失神といった
熱失神の症状へとつながります。

呼吸の回数も増え、脈は速く弱くなり、
唇のしびれなども見受けられます。

★「深部体温」とは?

では、本日のテーマ「深部体温」について。

「深部体温」は、なじみのない言葉ですが、
「臓器の温度」のことを意味します。

臓器の温度は、皮膚温度よりも
普段から1度ほど高い状態にあるそうです。

★猛暑で体内に熱がこもる要因

普段は運動したり気温の影響で
体温が上昇しても、

かいた汗が蒸発することで
表面の温度を下げ、

熱を放出することで
深部体温も併せて低下していきます。

しかし、今は気温が
体温よりも高い状態にあることが多く、
外の熱が体内に入ってきてしまうそうです。

汗の蒸発が不十分な状態になり、
熱が体内にこもることによって

深部体温が下がらない状態が
続いてしまいます。

熱中症のような、
嘔吐や頭痛などの症状が出てきた時は、
深部体温も上がっている可能性があります。

深部体温が…

①40度で全身けいれん
②42度で多臓器不全
③44度で脳障害の可能性あり

場合によっては、
死に至るケースもあるそうです。

★深部体温を効果的に下げるコツ

首や脇の下など、大きな血管の近くを
氷などで冷やすのが、体温を下げるのには
効果的と考えがちですが、

その方法では、急速に冷えることによって
脳が「体温が下がりすぎた!」と感知し、

それ以上体温を下げないようにする
機能が働いてしまうそうです。

★「脳から遠い部分を冷やす」べし!

上記したように、身体を急激に冷やすと
脳が防御反応をしてしまうので、
脳から遠い部分を冷やすこと。

手や足などの末端は、
冷えるまでに時間がかかるので、

循環器系の血管の熱を
脳が勘違いしないように
ゆっくりと冷ますのが有効。

具体的には、

手のひら、足裏、頬を
(氷水ではなく)10~15℃の水に
5~10分ほど浸すのが良いそうです。

<参照サイト>

TV「直撃LIVE グッディ!」7月19日放送分より
https://www.fnn.jp/posts/00339310HDK


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2018
07.17

話させ上手になろう!

Category: 雑記つれづれ


会話にリズム感を持たせるように相づちを打てば、相手は心地良く喋ることができます。

話し上手は、場を楽しませることができて人気者になれますが、その話術を身につけるのは難しいですよね。

でも、聞き上手には小難しいテクニックは必要ありません。

相手が気持ちよく話ができるよう、心配りをするだけ。

人間には、話をしたいという基本的な欲求があるので、聞き上手のニーズは高いです。

「誰かに求められたい」と思うなら、まずは聞き下手ポイントを直し、話させ上手を目指してみましょう。

<引用サイト>
https://allabout.co.jp/gm/gc/221687/3/



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2018
07.01

人柄の良さについて

Category: 雑記つれづれ


幸せとは、「幸せだなぁ」という気分。
つまり、その時の「幸せ感」のことだと思います。

こうして言葉にすれば、
地味で大したことないようだけど、

私達の「幸せ・不幸」って、
お金や地位や名誉などよりも、

人間関係から大きな影響を
受けることが多いそうです。

逆を言えば、

人間関係さえ上手くいっていれば
楽しい良好な関係さえ出来ていれば、

その他の面で多少問題があっても、
幸せな感情を感じやすいということなのでしょうね。

良好な人間関係を築くのに
必要不可欠なのが、「人柄の良さ」です。

そこで、人柄の良い人の特徴を
ネット検索して調べてみました。

下図のタイトル画像には、引用したサイトの
URLを貼り付けていますので、
本サイトも是非、ごらんくださいませ。



特徴1)誠実である

人柄が良い人は、自分にも他人にも誠実であり、
普段からこういった言動を取ることができます。

①真面目である
②「ありがとう」「ごめんなさい」が言える
③誰にでも平等に接する
④相手の話をきちんと聞く
⑤悪口や噂話を言わない
⑥嘘をつかない
⑥裏表がない
⑦他人を利用しない
⑧責任感が強い
⑨ルールやマナーを守る
⑩約束を守る
⑪無理なことは引き受けない
⑫自分の非を認めることができる
⑬相手のために間違いを指摘できる
⑭言葉より行動で示す
⑮家族や友人を大切にする
⑯身の回りの物を大切にする

どれも人として当たり前のことではありますが、
当たり前のことを当たり前にできる人は意外と少ないもの。

しかし人柄が良い人は、これらをごく自然にやっています。

もちろん他人からの評価を気にしているわけではありません。

もともとの性格や両親の教え、
さらに経験から学んできた部分などが合わさり、
誠実な人格が出来上がったということです。


しかし人柄が良い人は、これらをごく自然にやっています。
もちろん他人からの評価を気にしているわけではありません。

もともとの性格や両親の教え、
さらに経験から学んできた部分などが合わさり、

誠実な人格が出来上がったということです。

特徴2)思いやりがある

人柄が良い人はとても思いやりがあり、
相手や状況によらず
思いやりのある言動が取れます。

①相手の立場に立って考える努力をする
②人の心の痛みに寄り添おうとする
③困っている人に手を差し伸べる
④助ける際には相手が求める範囲を超えない
⑤自然な笑顔で接する
⑥自分の発言や行動に注意する
⑦人を大切にしながら自分も大切にする
⑧相手との距離感を大切にする

人は自分以外の人間の気持ちを
正確に理解することはできません。

しかし思いやりのある人は、
自身の苦労経験等を踏まえながら、
できる限り寄り添おうとします。

人が何か助けを求めているのであれば、
多少負担がかかっても手を差し伸べる。

具体的な助けを求めていないようであれば、
余計なことはせずに笑顔で見守るだけに留める。

また、普段から自分の発言や行動が
相手をどんな気持ちにさせるかもよく考えている。

人柄が良い人は、
このように相手の気持ち、立場をよく考え、

それに応じた対応ができる
思いやりの心を持っています。

特徴3)感謝の気持ちを大切にしている

人柄が良い人は感謝の気持ちも大切にしていて、
それを言葉や行動に表すことも大切にしています。

①人に何かをしてもらったら「ありがとう」を言う
②年齢や立場の上下は関係なく感謝できる
③日常の些細な事にも感謝できる
④今の自分が持っている当たり前の有難さに気付ける

人に何かをしてもらったら「ありがとう」を言う。
これは私達が小さな頃に教えてもらったことですが、

社会に出ると意外とできていない人が
多いことに気付きます。

できていない理由としては、

感謝していても
・「ありがとう」を言う習慣がない、
・「ありがとう」を言うのが恥ずかしい、
・「この人には言う必要がない」と判断している、
・そもそも感謝していない、

といったものが考えられるでしょうか。

一方で人柄が良い人は、
些細な事にも感謝することができて、

ごく自然に誰に対しても
「ありがとう」を言うことができる。

ほとんどの人は「ありがとう」と言われると
気分が良くなるものですし、

それは「ありがとう」を言った本人も同じです。

人柄が良い人はそれについてもよく分かっているので、

まるでお手本になるかのように
「ありがとう」を言っています。

特徴4)謙虚である

人柄が良い人は謙虚です。

謙虚な姿勢は相手を尊重する意味を持ち、
また安心感を与えるため
よい人間関係を築けること、

そして自分が成長できることを知っているから。

①誰に対しても丁寧に接する
②地位が高くても傲慢にならない
③プライベートでも必要に応じて敬語を使う
④自己主張をしすぎない
⑤人のせいにしない
⑥見返りを求めない
⑦地位が高くても努力を惜しまない
⑧人の意見に耳を傾けることができる
⑨自分の非を認めることができる
⑩自分に非があれば躊躇なく頭を下げる

一番の特徴は、
誰に対しても丁寧に接するということ。

相手が年下であろうと、
会社での立場が下であろうと、
店員さんであろうと、
関係なく丁寧に接します。

そこには
相手を敬う気持ちが込められていて、
必要に応じてプライベートでも敬語が使える。

また、自分の考えに固執することなく
人の異なる意見に耳を傾けることができ、
よいと思ったものは素直に取り入れる。

自分に間違いがあれば
素直に頭を下げて訂正する。

こういった姿勢でいるので、
はからずも人の尊敬を集めますし、
本人としてもどんどん成長していきます。

特徴5)雰囲気が良い

人柄が良い人は、その内面の良さが
雰囲気に出ているもの。

しばしば30歳を過ぎると、
その人の生き方が顔に出ると言われる通り、

内面の良さが表情や雰囲気に
にじみ出ているのです。

①優しい顔つきをしている
②表情が柔らかい
③口角が自然に上がっている
④人に癒しを与える
⑤温かい感じがする

10代・20代といった若い時期には、
生まれ持った見た目の美しさが前面に出ていたり、

経験値としてそこまで大きな差がないという理由から、
内面がそれほど顔や雰囲気に出ていない場合があります。

しかし30代以降になってくると、
どうしても内面が表に出てくるようになる。

もちろん全員が全員というわけではありませんが、

先にお話しした人柄が良いと評判の上司からは
ものすごく温かい雰囲気が溢れていて安心できました。

この人と一緒に仕事ができてよかった、
この人と出会えてよかったと思える人でした。

上辺を取り繕った雰囲気の良さではなく、
自然に魅力が溢れ出している感じなのですよね。

一方で人の悪口や
噂話ばかりしている人も同じように、

内面の醜さが表に出て
般若のような顔をしているので、

私も反面教師にしていきたいと思います。



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2018
04.28

自分の教科書

Category: 雑記つれづれ


失敗を重ねながら
やっと気づいたり
身につけたりすることがある。

ものぐさな私は
こんな苦労をしないで

その通りにやれば
仕事でも人間関係でもすんなりうまくゆく
便利な教科書があればよいのにと
思ってしまいます。

でも考えてみれば、
そんな教科書なんて存在する筈がない。

だって、考え方や解釈の仕方も
まさに十人十色だから、
万人に役立つ教科書がかける訳がない。

だから結局は、
手探り祭ながら試行錯誤で

自分の人生の教科書は
自分で作ってゆくしかないと
最近気がつきました。


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2017
08.14

お坊さんにお経を読んでもらう意味

Category: 雑記つれづれ


先日、私の叔父さんが95歳で亡くなりました。

お通夜の時に、お坊さんが20分~30分お経をあげていましたが、生前、家に仏壇がなくお経をあげたことがない人の旅立ちにお経をあげても、本人に理解できるのだろうかと言う不謹慎なギモンがよぎりました。

本日はお盆ということで、「お坊さんにお経を読んでもらう意味」について検索しました。

たくさんの記事を掲載していますので、普段はあまりなじみのない(お坊さんが読む)お経に関して、なるほど!と合点する箇所があれば幸いです。

記事のタイトル画像に本サイトのURLを貼っていますので、興味のある方は本サイトもご覧下さい。

「へえっ!」という記事がたくさん掲載されていますので、面白いですよ♪


▲福岡の霊能者・佳蔵院

お経が霊に与える影響

人が亡くなったあと、お迎えがない、また「死」が理解できない魂を包むものは、深い暗闇です。

意識(魂)がいくら叫んでも、誰も応答してくれません。

なにがどうなったのか分からないまま、暗闇の中をさ迷い続けます。

そんなとき、ある振動に気付く時があります。それまで、暗闇以外に何もなかった中で、ある振動に気付くときがあります。

恐らく亡くなったあと、お迎えがなかったり、また死を悟ることができなかった意識(魂)が初めて気付くものは、お経の振動や悲しみのような感情(振動)だと思います。

悲しみのような感情(振動)とは、亡くなった方へ向けられた、家族や友人等の悲しい気持ちのことです。

振動と書いていますけど、音が空気中を伝わるときの振動と同じように考え下さいね。前回のブログでも書いていますけど、この世と霊的世界は表裏一体の関係であって、例えば、空気中を伝わる声の振動と表裏一体にあたる振動が霊的世界でも流れると思って下さい。

暗闇の中で、お経や悲しい感情のような振動に意識(魂)が気付いたとき、「死」を理解し始めることでしょう。

もしかして、自分は死んでしまったのではないかと思うようになってきます。

お経や悲しい感情のような振動が意識(魂)の中を流れ続けるなか、「死」を悟り、また死を受け入れたとき、お迎えや神仏の光等が現れ、導かれていきます。

このようなことを考えると、お葬式等で上げられるお経に意味が生じてきます。

お経に書かれている内容を理解できなくても、「お経」がきっかけとして、「死」を理解できるようになっとです(¯―¯٥)

実はお経だけでなく、他宗教の儀式でも同じことが言えます。

例えば、神道の神葬祭やキリスト教の葬儀において行われる祭詞や賛美歌等の声の振動が、表裏一体の振動として霊的世界でも流れます。

葬儀に集まった方の深い悲しみ・・・
 
例えば、「泣く」「偲(しの)ぶ」等の声の振動も、表裏一体としてその振動が霊的世界でも流れます。

大勢の方の悲しみが、また家族の深い悲しみが霊的世界を流れる一つの振動(信号)として、流れます。

魂(意識)には耳はありませんから、普段私達が耳で音を聞くのと同じといわけではありません。

しかし、意識=魂=記憶=情報には、生前に聞いた記憶が残っているとです。

生前に聞いた覚えのあるお経や賛美歌等が魂の中にあるとです。

「亡くなった方に向け」て、この世で発せられたお経や悲しみの振動が霊的世界においても、似たような振動(信号)として流れ、その振動に生前の記憶(魂の記憶)が同調したとき、「お経」や「哀悼(あいとう)」を認識できるとです。

お経に書かれていることが分からなくても、お経が意味するものを悟るとですたい。つまり、自分の「死」を理解できるとです。

お経に書かれている内容が生きている人へのアドバイスであったとしても、お経は葬式等で上げられているので、お経から「死」を理解できるとです。

自分が死んだから、お経が上げられているということ、また悲しまれていることが分かるんですね。

(中略)

お坊さんによるお経が特別というわけではなく、私達がお経を上げる目的や感情等が大切になってきます。

お坊さんにお経を読んでもらうことに意味はあるのか?


▲Yahoo!Japan 知恵袋

仏教でお坊さんにお経を読んでもらう事に意味はあるのでしょうか?

葬式や法事(三回忌・七回忌・13回忌など)で、お坊さんに多額のお金を払ってお経を読んでもらう事に疑問を感じています。

おそらく、「お坊さんのお経がありがたいから」というのが理由でしょうが、本当にお坊さんのお経はありがたいものなのでしょうか?

現在の日本の僧侶は、世襲で、世俗的な生活をし、私たち世俗の人間と全く変わりません。

タイなどの厳格な仏教国の僧侶のお経なら、ありがたく感じるのでしょうが。

私の知っているお寺の住職は、三回忌・七回忌など30分の法要でお経を読んでもらう費用が、暗黙的に5万円以上らしく、3万円のお包みだと、露骨に玄関に受け取りにも来ません。

私は、多くの日本人が儀式的に、また世間体から法事を行って多額のお金を払っている事に疑問を感じます。

仏教徒なら、自分たちでお経を読んで供養すれば、それで良いのではないですか?

このままだと、日本人の仏教離れが進んで、いずれお寺は無くなってしまうと思います。




世襲制だけの問題でなく、仏教自体に関心はないのに法要など儀式などの際だけ寺院を利用しようという一般的な民衆の考え方の問題も大きいでしょう。

葬式仏教化というのは、寺院側だけが悪いのではなく、法事や葬儀での収入でしか寺院経営が成り立たない状況に陥らせた檀家の責任でもあるのです。

タイの仏教を例にあげておられますが、現地の民衆と日本の民衆とでは寺院や仏教に対する基本的意識がまるで違います。

本来、寺院は僧団(仏教徒の仲間)が集まり、仏法を学ぶ、教えを聞くための道場です。

道場を敬い、道場を守るために、また自分の修行のために、件の国の民衆には喜捨・布施の精神が基本的にあります。

多くの日本人には教えそのものを学ぶ意識は薄く、自分たちの寺院を守るという意識は皆無に等しいでしょう。当然、喜捨・布施の精神などありません。

布施と言えば法要のお礼、或いはお経代、喜捨といってもそれによって何らかの功徳を得ようとする邪心を持ってすることも少なくないでしょう。

願望成就や災厄除去、先祖崇拝や魔除けなど本来仏教と関係のない民間信仰や欲望の拠り所として仏教を見て、利用している場合がほとんどです。

少しでも本気で仏教を学べば、今の日本仏教の在り方、仏教徒(「家の宗教が〇〇宗」、程度の)の在り方の中に本来の仏教がないことは明らかです。

お経はいくら読もうが、僧侶が読もうがあなたが読もうが意味が変わる筈もなく、また読んだだけでは何の功徳もありません。

お経は、生きている者が生きているうちに背負うあらゆる苦悩を生きているうちに解決するためにお釈迦様が説かれた教えを、様々な表現でまとめ上げたものです。

よって、先祖供養だの願望成就だのといった現世利益や来世利益とは全く関係ありません。教えは実践して初めて意味があるのです。

お経だけ読めば何かの利益があるだろうというのは、意味を理解しなくてもただ教科書の文字面さえ追って読んでおけば、或いは誰かに読んでもらえば成績があがるだろうと考えるのと同じです。愚かと言わざるを得ません。

教え自体に興味がないなら、檀家などやめて仏教徒もどきなどやめてしまえば良いのです。

法要や葬儀という寺院の行う仏教ビジネスを利用するのであれば、そう割り切って利用すれば良いでしょう。

同じ儀式ビジネスを利用しながら、結婚式では高額でも文句を言わない人が、葬儀・法要では不平を並べる人が多いのは困ったものですよね。



お寺の財産はお坊さんのものじゃなくて、檀家全体のものです。お布施がなきゃ、寺院の維持管理ができません。

もともと、多くの神社仏閣は、寄進された田畑が経営基盤でした。

しかし、戦後のGHQによる農地解放令で、そのほとんどを失くしてしまいました。

一律に農地解放を進めたGHQの政策、無茶だったんですよ。

で、寺域すら失くしてしまった寺院が頼れるのは檀家制度だけになってしまった・・・。

檀家30軒余りの寺院、食っていけるわけがない。住職のなり手すらなく、荒廃、寺宝散逸・・・。

天皇家や摂関家の勅願寺、檀家すらないよ。

格式が高いから、寺宝類を大量に所有、で、観光寺院化するしかなくなっちゃった。

国や自治体の文化財保護行政は貧困で、義務負担分すら支払われず、文化財が売りに出されて海外流出の危機にある、で、新興宗教に頼んで買い取ってもらい、国指定の文化財にしてるんです。

国立博物館は特殊法人化され、独立採算制だから、かつてのように文化財を購入することもままならん。

義務負担分を出すのが嫌だからと、都道府県じゃ文化財指定をやめたところまであるのよね。

で、無指定の文化財がいきなり国の重要文化財に指定されたりしてる、寺院が全額負担して、修理したら指定を受けてる状態なんですよ。

つまり、檀家制度を止めちまったら、あっという間に寺院会計が破綻して、寺域は荒廃し、寺宝類は散逸して海外に流出してしまう・・・。

実際に、滋賀県にある鎌倉時代の十二天画像、これ、もの凄く珍しいんだけど、ボロボロになってて、どんどんと剥離が進んでるのを見たことがある。

修理代、最低でも一本300万、状態が悪きゃ7~800万はかかってしまう、そいつが12本セットで残ってるのね。

日本でおそらく3番目くらいに古いもので、国宝クラスなのよ。だけど、国どころか県も市も文化財に指定しようとせん。

檀家50件余り、それでどうやって5000万近い修理費が負担できます?

良心的なお坊さん、いっぱいおられるよ。で、寺院経営に頭を痛めていらっしゃる。

檀家であるってことは、その寺院を維持管理する義務があるんです。

GHQが寺院財産の田畑を取り上げちまった以上、檀家が何とかする以外に残された道はないんです。

法事のお布施を払うのが惜しいのであれば、檀家を離脱して無宗教になればよい。それだけのことですわ。

お経を唱えていただく意味はあるのか・・・。

仏教徒である以上は、仏教の勉強をせにゃいかん、そこで仏弟子であるお坊さんが、お経を読み聞かせるわけです。

生きてるうちにやればいいことを、死んでから立派な戒名くれだの仏弟子にしろだの浄土に連れて行けだのというから、お金がかかる、何の意味があるのよってことになる。

生きてるうちに戒名をいただいて仏弟子となり、仏教学の勉強をすればよい、ただし、そっちの方がずっとお金も時間もかかるよ。

ですから、輪廻なんか信じてない、死んだら終わりであとは知らん、戒名も法要も要らないと仰るのなら、あえて檀家である必要などないですよ。



世襲制以上に、一般の方々の関心の無さが一番の問題でしょうね。

お坊さんが幾ら一生懸命にお経をあげても決して人は救われません。

シナ(現在の中国)ではお経そのものに力があり、お経を読むとで人は救われると考えられていました。

ですから、良いご利益が連ねられているお経が喜ばれた訳です。

代表的なものが天台智顗(ちぎ)の五時八教ですが、日本の仏教はその考えをそのまま輸入して現在に至ります。

日本の仏教が葬儀のときに教をあげるのはそういった背景があります。

でも、明治になり日本の僧侶がイギリス(明治時代のインドはイギリスの植民地)に留学できるようになると、法華経を初めとして全ての大乗仏教は仏陀が入滅して500年以上してから創られた創作物だい言う事が解ってきました。

専修大学で使われている歴史教科書にもそのように載っています。

また一方で、仏陀釈尊は経典を創りませんでしたが、仏陀の直弟子により創られたのが阿含経のみだということも解りました。

阿含経典は、ご利益は一切載っていません。

殆んどが修行法と修行に対する心構えに関する文献です。

例えば、自動車の教科書をいくら声高らかに音読しても、自動車の運転は上手くなりませんよね?。

仏陀の残された経典である阿含経をいくら読んでも、人は成仏しませんし死者が救われる事はありません。

現在のお坊さんはこの事を専修大学で確り学んで来ていますが、だからといって直ぐに千年以上の因習が切れるわけではありません。

結局の所、私たち自身がお坊さんに丸投げしている限り解決しない問題です。

失礼とは思いますが、貴方の親が亡くなったとしてお坊さんに、

「葬式は挙げません。」「経典を読まなくても結構です。」と言えますか?。

恐らく無理でしょう?。

親類や、周りの地域住民の感情がありますからね。

結局は、世間一般(自分自身を含めて)の無関心の常識がある限り、世襲制であっても無くても変わらないと思います。



葬式にしても法事にしても亡くなった人には無意味です。

建前は故人のためですが、それらは生き残った人のためになされるものです。

それが必要なことなのか、大事なことなのか、考えるべきことだと思います。

御経料が高いか安いかですが、これも5万円が相場のようになっているようなら3万円は安いと思われるは人情でしょう。

しかし、お布施というのは出せる者はできるだけ多く出し、受け取る方はその多寡を気にするようなことがあってはならないと思うのですが・・・。



お経は生きている私たちへのお釈迦様の説法です

お釈迦様は亡くなった方への説法はしておられません。


ですから亡くなった方に聞いて頂くお経は一つもありません

お布施は、その教えが孫子の代までずっと続くようにお寺を維持するためのものです

仏教は涅槃の話ですが、お寺を維持するのは娑婆の話しですからお金は必要です。

檀家(メンバーシップ)で維持しているわけです。

私たち自己流で仏教を伝えていくことは難しいものです。

自分が仏教徒でお寺の檀家になっていると思っていても既に間違った仏教感があります。

自分が仏教徒であり仏教を伝えていく、という思いがなければお布施の額を問題にするようになります。

そういう方達は普段僧侶とコミュニケーションがないと思います。

どんどん話をして納得できなければ一度お寺から離れればいいと思います。それでなんの支障もありません。



私も僧侶ですが、結論は貴方が記されてるように、自分たちでお経を読んで供養すれば良いと思います。この結論に関しては異論はありません。

では、質問に記されてる内容を個々に疑問を記します。

「日本の僧侶は世襲で、世俗的…タイの厳格な仏教国の僧侶…」

日本の僧侶は大昔から、理想とされる僧侶も、世俗以上に世俗的な僧侶がいてます。今も昔も同じです。

タイでも最近大きなニュースになっていましたが自家用飛行機等を有し、女性をはべらしてる僧侶がいてます。

人間ですから、日本もタイも同じです。少し違うのは、タイでは出家と還俗が簡単に繰り返される事です。

簡単に言えば、女遊びをしたければ還俗し、また出家する。それを繰り返し行う事ができます。

「私の知ってる住職…」先に記しましたように、そのような僧侶もいてるでしょう。

ただ、法事のお布施が5万なら別段多いとは思いませんし、3万でも少ないとは思いませんね。

私も、法事のお経は30分程度です。短いと感じる人もいてるし、ちょうど良い、それでも長いと感じる人、それぞれですね。

本当にその差が露骨に態度に表れる僧侶なら、よく言えば正直、悪く言えば気が小さいかな。

「儀式的に…」宗教・信仰は儀式に対してお金を出してる部分は大きいと思いますよ。

例えば、安産祈願、生まれてお宮参り、お祓い、七五三、交通安全、合格祈願、結婚式、葬式…等無数に近いほど、神官・僧侶・牧師等が、宗教儀式を行い、それに対してお金を使っているのではありませんか?

法事もその内の一つでしょう。どれもこれも、どうしても行わなくてはいけない宗教儀式ではありません。

宗教に限らず、儀式とはそんなものです。そして、それぞれに気持ちを表す意味があるのです。

それらが全て「もったいない」いらないと思うなら、やらなければ良いですし、自分たちで行っても良いでしょう。

ただ儀式は人間が行う文化でもあり、動物の中でほぼ人間が他動物との区別できる部分でしょう。

「いずれ寺はなくなる」かも知れませんが、私はそう思いませんね。

政府や法律はころころ変わってますが、日本のお寺は千年以上、仏教は2500年以上、形は変わっても続いています。

*もちろん消失したり、廃寺になってる寺も多くありますが、それは近年に限らず大昔からの事です。

文献にあっても場所さえわからない寺はいくらでもありますからね。

単純に、昔から無宗教、無信仰者はいてますし、現代のように物質が全て、生きる死生観から、死が欠落して生観ばかりの人が多いのも事実ですが、逆に宗教を重んじる人も多いですから、寺は無くならないとおもいます。


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