ガビーン!
今日、職場でうっかりミスをしてしまい、
今チョー凹んでいます。

単なる不注意による凡ミスだっただけに
悔やんでも悔やみきれません。

はぁ…。

本日のブログのテーマは、
自分を励ますのために「くよくよしない」を
テーマに選びました。

凹んでいる自分を元気づける情報を得て、
ごきげんちゃんな自分を取り戻そうと思います。




▲ http://d.hatena.ne.jp

明日に怯えるムダ!
過去を悔やむムダ!


明日起きることなど
誰にもわからない。

終わったことを悔やんでも
何も変わりはしない。

そんなことより、
今やれることをやれ!



▲ http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

失敗を悔やむのは
時間とエネルギーの無駄だ。

過去は変えられない。
だが、未来は変えられる。

過去を悔やんでるヒマがあったら、
未来を変える努力をしろ。

全ては自分次第だ。
だけど、今は思う存分泣くんだ。

一度ものすごく辛いことを
経験して泣いたとしても、
これからの人生もう泣くことはないだろう。

なぜなら、それ以上に
辛いことを経験しているから
耐性ができているんだ。

こんなのあのときに比べれば・・・と。

人間は失敗の数だけ
強くなれるってことさ。

この失敗でお前はまた強くなった。
それだけの話だ。


▲ https://happylifestyle.com

人生では、後になって
過去の行為を悔やむことがあります。

後悔です。

後悔はない方が
良いに決まっています。

人生で1つも後悔がなければ、
どれほど素晴らしいことでしょう。

しかし、後悔をしないように気をつけても、
生きていれば、どこかで後悔してしまうものです。

物事の善悪や成否は、
その瞬間は分からないものです。

しばらくしてから「こうしておくべきだった」と、
後悔することが多いものです。

完璧な人間はいません。

誰でも、1つは、後悔があります。
後悔は、否定しません。

大切なことは、出来事そのものではなく、
どう受け止めるかです。

無駄のように思える後悔ですが、
これからへの活かし方次第です。

後悔を悔やむばかりでなく、
その後の人生に活かせばいいのです。

今後のより良い人生の役に立てられれば、
後悔も無駄にはなりません。

役立つように生かすことが、
ポジティブ思考です。

「こうしておくべきだった」と
後悔したことがあれば、
次から気をつけましょう。

後悔を活かすことができれば、
人生に無駄はなくなるのです。


▲ http://affikatsu.com

諺に「後悔先に立たず」
というのがありますよね?

これは、済んでしまったことを
悔やんでも取り返しがつかない
という意味なんだけど、

僕はこれを、

「後悔したってことは、
済んでしまったそのこと以外に、

もっと良い方法があるということを学べた」
ということだと捉えています。

当たり前のことなのですが、
要は、後悔をしたっていうことは、

それだけ自分が更に成長する
「のりしろ」がまだまだあるということなんだ、
と捉えています。

だから、後悔をしなくなった時点で、
その人の成長は止まってしまうのでは
ないでしょうか?

もちろん、気持ちの中では
後悔なんて絶対しない、
っていつも思っていますけどね!!


▲http://www.counselingservice.jp

私達が何かの問題にぶつかるとき、
その裏側には過去の失敗感が
影響している場合が少なくありません。

仕事でも、男女関係でも、対人関係でも、
過去に「これやって失敗してしまった」
という経験は私達に二の足を踏ませます。

彼に喜んでもらおうと思って
プレゼントしたネクタイを

「ふん。これ、俺の好みじゃねーよ」と
あっさり言われたら、

おそらく違う人と付き合ったとしても、
ネクタイはプレゼント出来なくなるかもしれません。

また、一生懸命頑張って勉強したのに
試験に合格しなかったとしたら、
頑張った自分や自分自身の能力をも
否定するようになり、

何かに夢中になれなくなったり、
一生懸命頑張ってる人を
嘲笑してしまうようになるかもしれません。

特に失敗感は惨めさや屈辱感、恥ずかしさなど、
とても感じたくない感情を伴うことが多いですから、

私達にとっては見たくない
過去の痛みとして封印されることも多いでしょう。

でも、幼い子どもが立って歩こうとするとき、
自転車に初めて乗るとき、
失敗しても失敗しても何度でも立ち上がろうとします。

そして、失敗を繰り返しつつも、
やがては上手に歩き、
自転車に乗れるようになっていきますね。

何度も何度もチャレンジし、失敗するたびに、
何か新しいことを学び、成長することで
手にしたものとも言えるんです。

誰でも大人になれば大きな失敗の
一つや二つは持っているものかと思いますし、

中には

「失敗の連続でやんなっちゃう・・・」と
溜め息混じりにお話される方も
いらっしゃるものですが、

改めてこの痛みを見つめていくことで、
新たに得るもの、今の自分にとって
糧になるものが見つかることが
少なくないと思います。

失敗とは?

失敗感は私達を
絶望の淵に落とすものです。

頭をハンマーで殴られたよう
なショックを受け、茫然自失に
なってしまうこともあるでしょう。

そして、強い後悔の念を呼び寄せ、
酷く自分自身を責めるようになります。

そして、その自分を責める度合いが
強ければ強いほどトラウマとなって、
あなたを押さえ込む負のエネルギーに
なっていきます。

そのうちあなたは
どんどん自信を失っていき、
やがては諦めの境地へと至るかもしれません。

「もう期待しない、もう欲しがらない」
という気持ちになったとき、

あなたはどれくらいの痛みを背負い、
失敗を重ねてきたのでしょう?

でも、実は何を
どんな風に失敗したかよりも、

あなたがどう自分を責めたかの方が
心の痛みは大きくなります。

「失敗」というのは
あなた自身がそう感じたときに生まれます。

だから、多くの偉人が
「失敗というものはない」と断言するのは、
それを決めるのが自分自身だからなのです。

あなたが諦めたときに、
その出来事は失敗となります。

逆にいえば、周りが
「それは失敗だろう」と思っていても、

自分が諦めなければ
あなたの内面では失敗にはなりません。

逆に、成功になってしまうことも
あるでしょう。

有名なエジソンの逸話。

彼は電灯のフィラメントに相応しい
素材を探すため6000種類もの材料を
試したそうです。

逆に言えば、

それだけ適した素材が
見つからなかったわけで、

そんなエジソンにある記者が
「これだけ失敗してもまだ探すのですか?」と
インタビューしました。

その時彼は
「私は今まで失敗したことはありません。

フィラメントに相応しくない素材を
見つけたのです」と答えたそうです。

私達は失敗したと思えばそこで終わり、
もう諦めるしかないように感じてしまいます。

でも、本当に大切なことは、
その失敗と感じる出来事から何を学び、
何を今後に生かしていくかの
教訓を得る事だと思うのです。

もちろん、時には
謙虚に失敗を受け入れる姿勢も必要です。

強がってばかりでは
周りの人はあなたの元を
去っていくかもしれません。

でも、私達は失敗するのが怖い故に、
早めに結果を出そうとして焦り、
失敗感に付きまとわれることも
少なくありません。

あなたが「これは失敗した」と
思うことをもう一度見つめてみることで、
新しい学びや気付きがきっと出てくるはずです。

失敗を繰り返すのは何故?

特に何かで失敗した経験が
クセになってしまうことが少なくありません。

「いつもこれで失敗する」というパターン、
皆さんの中にはないでしょうか?

実は「失敗」という経験は、
あなたへのメッセージであり、
学びがたくさんあるものです。

従って、あなたが何かで失敗したとき、
そこから何かを学ばない限り
同じ失敗を繰り返すようになってしまいます。

それは仕事での些細なミスから、
恋愛での失態、夫婦関係のこじれなど
様々な場面で出てきます。

ですから、あなたが
何かに失敗したように感じたとしたら、
そこから何かを学ぼうとする姿勢が大切です。

その失敗があなたに何を与えてくれたのかを
謙虚に受け取るのです。

そこで何を受け取るかはあなた次第。

何が答えかも
あなた自身に決める権利があります。

学ぼうと思えば、
その一つの失敗から多くのことが吸収できます。

それが人生において
最大の悲劇と言える出来事からだとしても。

そして、何を学ぶか?で
今後のあなたの方向性や流れが決まっていきます。

この態度は、とても勇気が要りますから、
失敗した自分を責めるよりも
遥かに偉大なことなのです。

失敗感を見つめる
エクササイズ


ちょっと勇気が要りますが、
あなたのした失敗を見つめなおす
機会を作ってみましょう。

今の自分をより高めるために、
より魅力的になるために
とても役立つアプローチになるはずです。

まずはあなたが思いつく失敗談を
いくつか書き出してみます。

詳しく書かなくても、あなたがその出来事を
想起させられる範囲で構いません。

思い出すのも嫌な記憶も
いくつかあるかもしれませんし、
忘れてしまっているものもあるかもしれません。

すぐに思いつくもので十分です。

その失敗談を書いてみて、
どのような気持ちがするのかを
じっと感じて見ます。

恥ずかしくなったり、痛かったり、
嫌悪感が出てきたり、怒りや憎しみが
出てくるかもしれません。

その気持ちをただ感じてみましょう。

そして、その感情の波が収まって
心が静かになったら、

その経験があなたに
何を教えてくれたのかを見つめてみましょう。

どんなメッセージやどんな学びが得られたのか?
また、今のあなたがその経験から
学ぶことはないかも一緒に考えてみましょう。

もし感情が沸き続けるのであれば、
今もまだそこは痛みが強く残っている証拠です。

そこから学ぶには
まだまだ準備に時間がかかるものかもしれません。

誰かに支えてもらったりしながら
痛みを癒していきましょう。

失敗感を乗り越える秘訣

「学ぶ」という態度は
体力と気力を要するものですよね。

もし、今のあなたにそれだけの要素がなかったら、
無理に頑張ろうとしてしまって、

「失敗から学ぶ事を失敗してしまう」ことに
なりかねません。

だから、まずは自分の状態を
きちんとチェックしてみる事が大事です。

疲れていたり、失敗感や自己嫌悪、
無力感などがあまりに大きくて
自信を失っている状態ならば、

まずはじっくりと自分の心に意識を傾け、
心を解放してあげることが大切。

頭は「先に進まなきゃ、学ばなきゃ」と
あなたを焦らせるかもしれませんが、

その声に惑わされることなく、
ある意味“堂々と”休みを取ったり、

自分の心を自由にしてあげたり、
誰かに頼ったりしてみましょう。

そうして心に余裕が生まれてきたら、
本格的に次のステップに進みます。

最近のことよりも
過去の出来事の方が学びやすいし、
向き合いやすいと思います。

だから、もし学ぼうと思っても
心が付いてこなかったら

「まだ学ぶには体力が足りない」か
「一人では難しい」かのどちらかだと
思っていいかもしれません。

※ついついここで
自分を責めてしまいがちなのでご注意を!

また、「時間がない」というのも
あなたを焦らそうとする失敗感の罠の一つです。

その上で、そこから何を学ぶのか?
これが何よりも大切なことなのです。

失敗したとき、私達は自分を責めます。
周りの人の何倍、何十倍も自分を責め、
辱めてしまいます。

そして、時にはその力に打ちのめされ、
まるで再起不能のようになってしまう
ことだってありますね。

「結婚に失敗して離婚した」と
思っている方の中には

「もう二度と結婚はゴメンだ」と
思っていらっしゃる方も少なくありません。

でも、そこで自分を見つめなおし、
そして学ぶべきものをきちんと学び
成長できたとき、

きっともう一度
チャレンジしてみたくなるでしょう。

そして、一度失敗し、
そこと向き合い乗り越えた分だけ、

きっと同じ失敗は
繰り返さずに済むようになります。

そうすれば二度目の結婚で
最高の幸せを手に入れられるでしょう。

もし、あなたが
その器の広さを受け入れたとき、

他人に対してもますます
寛容になって行くことができるでしょう。

そして、その失敗談は
“笑える”出来事に変わって行きます。

失敗感を乗り越えたとき、
それは芸人風に言えば「ネタ」になります。

多くの芸人が自分の失敗談を
ネタにしているのはご存知ですよね?

「俺さー、こんなアホなことしてしまってさー」と
笑いを取るわけです。

失敗感に打ちのめされているとき、
私達は深刻にはなれど、決して笑えません。

でも、それを乗り越えたとき、
「俺、こんなことしててん(^^)」って
笑えるようになります。

「エゴ(自我)は笑わない」という
格言があります。

笑えるというのは、その失敗が癒され、
必要な学びをあなたが受け取り、
そして、成長した証拠でもあるんです。

あなたの失敗を笑い飛ばせるように、
そのエッセンスを全て学び取ってしまいましょう。



「後悔」と「反省」は違います。

後悔は、終わってしまったことをウジウジと悔やむ
「後ろ向き」の自己否定のスタンスです。

反省は、その失敗の原因から
対策を立てて次回に活かそうとする
「前向き」の自己肯定のスタンスです。

自分に起こる出来事には
偶然はありません。

うっかりミスでさえも、
自分への「要注意」の警告としての必然です。

後悔は先に立たず。

もちろん、失敗しようとして
失敗する人はいません。

けれども、失敗は失敗。

その程度の失敗で
すんで良かったのです。

極端な事例として、
車の運転で一旦停止忘れが発覚して
罰金を科せられたとします。

その時はツイていないと
嘆きたくなりますが、

もしかしたら、そのぼんやり運転で
衝突事故か人身事故に発展していたかも
しれないのです。

その程度で済んで良かったのです。

だから、せっかく失敗したのだから
そのミスから前向きな反省をして
次回への教訓やマイルールの修正を
しなければ、勿体ないのです。

「凹み損」「悔み損」になるのです。

ああ、そのことに気付けて
本当に良かったです。

私は今回、自分がしでかした
うっかりミスに感謝します。

自己否定の視点を手放すだけで
同じ失敗から素直に教訓が得られます。

このテーマで記事を書いて良かった。
記事を書きながら気づくことがあるのですねぇ。

神様とハイヤーセルフ(内神)様、
そして読んで下さるあなたにも
感謝申し上げます ♪

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『縁』という言葉があります。

和語では「ゆかり」とも読み、

私達も様々な場面で使います。

「ご縁があった」

「縁結びの神社」

「縁日が開かれる」

「縁談がすすむ」

「縁故関係を洗え」

ところが、改めて、「縁」って、どんな意味?と聞かれると、きちんと説明できないものです。

じつはこの『縁』という言葉は、仏教から来た言葉であり、仏教を理解する上で極めて大事な意味を持ちます。

仏教では、「万物事象は、因と縁が結びついておきる」と説かれています。

この図をご覧ください。



『因』とは「原因の(因)」
『果』とは「結果の(果)」


「始まり」がなければ「終わり」がないように、「原因」がなければ「結果」はありえない。

「原因」があれば、必ず「結果」が生じる。格言で言えば、『自分でまいた種』とも言いますが、仏教ではこれを『因果の道理』、正確には「因縁果の道理」と言います。

「原因の『因』」に『縁』が加わると、『果』が生じるのです。

お米を例に考えてみましょう。



お米は「モミ種」から作られますから、お米の「因」はモミ種です。

しかし、いくらモミ種があっても、畳の上にまいていては何十年待っても、お米という「結果」は得られません。

土や温度、水や空気など、いろいろな条件がそろって初めて、お米が獲れます。

仏教では、これらのことを『縁』といいます。すべてのことは、「因」と「縁」が和合して、初めて「結果」が現れます。

これを「因縁果の道理」といい、「因果の道理」は『縁』を『因』に含んだ言い方をします。

『因』だけでは絶対『結果』は起きませんし、『縁』だけでも絶対『結果』は生じません。

『因』と『縁』が和合して『結果』が現われる

こうした関係を徹底的に、精密無比に説かれているのが仏教です。学ぶほどに、釈尊が精緻極めてこの道理を明らかにされていることに感嘆するばかりです。



すべては『因』『縁』和合して生じた『結果』

お釈迦さまは、 一切法は因縁生なりといわれ、すべての物事は、因だけでは結果は生じない。

因と縁とが結びついて初めて結果になるのだと教えていかれました。

因は同じでも、縁が違えば、結果は異なります。

たとえば、同じ品種のモミダネを使っていても、土壌の良し悪し、 田んぼの手入れの良し悪しといった環境の違いによって、 出来るお米の味は変わってきます。

縁が変われば結果も変わるのです。

ですから、お釈迦さまは、より良い縁を選びなさいと教えて行かれました。

なぜなら、私たちの心は弱く、ちょっとした縁でコロコロと変わるからです。

「 朱に交われば赤くなる」と言われるように、周りにいる人や環境などの縁に大きく影響を受けてしまうからです。

どんな人に交わるか、どんな環境に身を置くかで、これからの人生も変わってきますから、周りにいる人や環境という縁はとても大事です。

縁の大切さを教えた「孟母三遷の教え」

孟母三遷の教えということわざは、縁がいかに大切かをよく物語っています。

今から二千四百年前にいた中国の有名な思想家・孟子は、少年時代、墓場の近くに住んでいました。

学業はそっちのけで、葬式ごっこをして遊んでばかりだったので、母親は見るに見かねて商店街に引っ越しました。

すると、「今日はいくら損した得した」という商人の会話を聞いて育ちました。

孟子に家事を頼むと、「時給いくら?」と言ってきたり、損得勘定で動くようになってきました。

子供の頃から損得だけで動く人間になってはいけないと心配した母親は、ついに学校の側に引っ越しました。

すると、周りには勉強熱心な友達も多く、学校の先生も近くに住んでいたので、孟子は一生懸命に勉強するようになったという話です。

孟子という人は、今日でも教科書に出てくるような人ですから、 元々とても優秀な人だったと思いますが、もし学校のそばに引越さなければ、 歴史に名を残す思想家にはなっていなかったと思います。

私たちはどんな人に出会うかで人生がガラリと変わります。

自分に自信がなくても、自分を理解して励ましてくれる人に出会えば、 人生は好転します。

逆に、才能や能力に恵まれていても、努力を軽視する環境にいれば、 せっかくの才能を生かせないまま、一生を送ってしまいます。

あなたの能力や才能を生かし、よい結果を手に入れるためには、 今いる環境が自分にとってよいかどうかを考えてみましょう。

どんな環境であっても、まいたタネに応じた結果があらわれる

どんな素晴らしい先生に出会っても、自分が勉強しなければ、自分の成績はあがりません。

どんな素晴らしい人を上司にもっても、自分が努力しなければ力はつきません。

逆に環境に恵まれなくても、自分が努力したことは全部自分に返ってきます。

いい縁を選ぶことは大事ですが、もっと大事なことは、どんな環境でも、より良いタネまきをすることです。

環境は選べるものもありますが、選べないものもあります。

今、ここで、自分がどんなタネまきをするかは、自分で選ぶことができます。


 

純粋倫理という生活法則の
エッセンスを凝縮して、

わかりやすい標語にまとめたのが
「万人幸福の栞17カ条」です。

倫理運動の創始者・丸山敏雄が、
膨大な執筆活動、講演、個人指導の中から
抽出した17カ条は、

人生の難問を明快に解決する
集大成でもあります。

標語の中には古来から
言われていたこともあれば、

一見常識からはずれたような
こともあります。

どれも実際の生活に活かせることであり、
無条件にそのまま実行するところに
この言葉の値打ちがあります。

以下にそのすべてを列挙し、
それぞれの要点とともに紹介しましょう。

1)今日は最良の一日、今は無二の好機【日々好日】

寒い日、暑い日、雨の日といろいろあるけれど、
どの日がよくて、どの日が悪いということはない。

今日がいちばんよい日である。

その今日は、今この一秒の集積なのだから、
「今がいちばんよいときだ」と、
気づいたことを直ちに行なって、テキパキと処理していこう。

2)苦難は幸福の門【苦難福門】

病気や災難、貧苦、家庭不和といった苦難が人生には多くあるが、
これらは生活の不自然さ、心のゆがみを自分に教えてくれている。

したがって、苦難に直面したときは、
嫌がったり逃げたりせずに、堂々と喜んでこれを迎えよう。

苦難の原因を取り除くべく自分を改めれば、
そこに幸福の世界が開けていく。

3)運命は自らまねき、境遇は自ら造る【運命自招】

人の一生や日々の生活は運命という
不可抗力で左右されるものではない。

自分の力で切り開くことが出来る。

境遇も、自分の心の通りに変わっていくものだから、
喜び勇んでことにあたってゆけばよい。

4)人は鏡、万象はわが師【万象我師】

人は人、自分は自分だと考えるところに不幸が生じる。
人はみな見えない次元でつながっていて、

他人は自分の心やふるまいを反映する鏡なのだ。
人を変えようとする前にまず自分を変えよう。

身の回りに起きてくることは、自分を教え導く師匠でもある。

心を空にしてその教えを聞き、心のゆがみや偏りを正したとき、
周囲もおのずと変わってくる。

5)夫婦は一対の反射鏡【夫婦対鏡】

夫婦とは一組の合わせ鏡のようなもの。
互いに照らしあい、お互いを映し合っている。

ならば相手を直そうとするよりも、
まず自分をよくしていこう。

そうして夫婦がぴったりと合一すると、
一家の健康・発展はもとよりすべての幸福が生み出される。

6)子は親の心を実演する名優である【子女名優】

子は親の顔形から立ち居ふるまい、
クセにいたるまでよく似ている。

のみならず、

親の心や行為をそのまま映し出し、
身代わりに実演する。

子供が悪くて困るというとき、子供を責めずに、

原因は親にあると自覚し、
親自身が改めることが先決であろう。

7)肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号【疾病信号】

肉体は心の容れ物であり、心のあらわれ。

また、病気は
一般に知られている原因の奥に真の原因がある。

それは心の不自然なゆがみや偏りが、
自分の肉体に赤信号としてあらわれたものだ。

朗らかな豊かなうるおいのある心は、
病気を治癒するほどの力をもつ。

8)明朗は健康の父、愛和は幸福の母【明朗愛和】


ひとりの人が朗らかだと、そのまわりまで明るくなる。
明朗な心は、肉体の健康、家庭の健康、事業の健康のもと。

また、愛によって和がなりたち、すべてが成就する。

明朗と愛和の精神こそ、日常生活でもっとも心がけるべきことである。

9)約束を違えれば、己の幸を捨て他人の福を奪う【破約失福】

大自然の決まりや人間同士で決めた約束を破ると、
破った人が不幸となる。破られた相手の方も不幸になる。

約束はどんなことでも守り抜こう。
まずは時間を守ることから始めよう。

10)働きは最上の喜び【勤労歓喜】

人はただ生きているだけでは何の意味もない。
働いてはじめて生きがいがある。

人は真心で働くときに、
必ず「喜び」という報酬が得られ、

肉体の健康も、物質の恵みも、
地位も、名誉もついてくる。
喜んで進んで自分の仕事に邁進しよう。

11)物はこれを生かす人に集まる【万物生々】

物は死んでいるのではなく、
人と同じように生きている。

だから

大切に使うと持ち主のために喜んで働き、
粗末に扱えば反抗したり、
ときには喰ってかかる。

とりわけ物を象徴し、すべての財を具象した金銭は、
もっとも敏感な生き物である。

金銭はその人の努力に比例し、
欲心に反比例して集まってくる。

12)得るは捨つるにあり 【捨我得全】

物事がいつも順調に運ぶとはかぎらない。

どうにもならない絶体絶命のときは、
思い切って欲心を捨ててしまおう。

ときには命すら投げ出す覚悟を決める。
そうすると、思いもよらぬ好結果が生じる。

私情雑念をさっぱりと捨てて、
明朗な心に達したとき、必ず危難から逃れられる。

13)本を忘れず、末を乱さず【反始慎終】

枝葉のことには気をつけるが、
何事につけても本を忘れがちだ。

初心を忘れ、受けた恩を忘れるから、
いつしか怠け、過ちをおかす。

常に本を忘れず、
また後始末をきちんとすること。

とりわけ

わが命の本である両親の恩を思い、
祖先を敬う心を培おう。

14)希望は心の太陽である【心即太陽】

都合がよいから希望をもつのではない。

一度しかない人生、二度と出くわすことのない仕事だから、
前途に燃えるような希望をもつのだ。
希望はいくら灯しても尽きることのない永遠の光である。

15)信ずれば成り、憂えれば崩れる【信成万事】

自信のないことは失敗する。

憂え心を抱いて弱気になると、物事はうまくいかない。

きっとできるという信念が、
そのことを成就させる。

信は力である。

16)己を尊び人に及ぼす【尊己及人】

世の中にたった一つしかない宝というべき
自分の個性をできるだけ伸ばして、
人のために働き、身をささげよう。

それが自分を尊ぶことになる。

己を尊ぶ極みはささげること。
ささげつくして己がなくなったとき、

一切が己となる。

17)人生は神の演劇、
その主役は己自身である【人生神劇】


人生は、人間だけの小さな知恵や力などを超えた、
もっと大きなものによって動かされ、つくられてゆく。

これは神の演劇というべきである。

私たちはその演劇の主人公であるから、
演出の作法である純粋倫理に則して、
力いっぱい生き抜いていこう。



発顕還元の原理

人のご縁もチャンスも
「吐けば入る」
呼吸と同じで
「出す=与える」が先

・出せば、入る。
・捨てれば、得る。
・捧げれば、戴く。
・与えれば、返る。
・むさぼれば、失う。
・かき寄せれば、散ってしまう。


発顕還元の原理

二宮尊徳の「たらいの水」の話があります。

「欲を起こして水を自分の方にかきよせると、向こうに逃げる。

人のためにと向こうに押しやれば、わが方にかえる。

人の幸せも、物質も、お金も みんな同じである。」

ということです。


幸福を得たければ、責任を背負う覚悟が必要

https://happylifestyle.com/12633

人生の幸福は、道の選び方に左右されます。
決断であり、選択です。

他人に道を決めてもらうと、
責任も小さくて済みます。

万が一のことがあれば
「私が決めたわけではない。あなたのせいだ」と、
責任転嫁できます。

楽です。
 
ただし、幸福も半減します。

他人に決めてもらって進み始めると、
その道の半分は、他人のものです。

自分らしくない道になるため、幸福も小さくなります。

外見はうまくいっているように見えても、
本人の充実感が物足りないのです。

責任と幸福は、つながりがあります。

幸福を得たければ、責任を背負うのが一番です。
自分の道は、自分が決めるのです。

他人が決めた道と、
自分が決めた道とでは、
幸福感が違います。

自分が決めて行動すると、
100パーセント、自分の責任になります。

責任は大きいですが、
100パーセント、自分の道です。

自分らしい人生を歩んでいる実感が強くなるため、
幸福感も大きくなるのです。

責任を背負う覚悟があるから、
大きな幸福が得られるのです。

「覚悟する」とは「向き合う」ということ

覚悟を決めることは、その現実を受け入れ、
その現実と向き合って、

何をするのかを決め、
それに対して受けて立つ(逃げない)ということ。

「そんなこと出来ない…」

「出来ない」と言うよりも、

「まだ、そこまで考えていない」
「なんとなくで生きられるじゃん」
という気持ちが強いのかもしれません。

自分の現実と真剣に向き合うことから
「自分の生きたい人生を生きる覚悟を決める」
ことをしてみてはいかがでしょうか。

あなたの現実は、あなたが思うように
創ることができるのかもしれません。

生きづらい人生に悩むあなたへ
『覚悟の決め方』

http://brain-soul.com/corner47/kokochiyoi/pg385.html

あなたは今、
何かに踏み出せずにいますか?

決めなければならない。

やろうと思っているけど、
どうしてもいつも迷ってしまう。

なかなか覚悟が決まらない。

そんなお悩みをお持ちですか?

いったいなぜ、
そうなってしまうのでしょう?

それは、
最初に決めなければならない、

『ある覚悟』

が決まっていないからなのです。

だから、
他のことについても
覚悟が決まらないのです。

その「ある覚悟」とは、
いったい何でしょうか?

それは、

「目標を達成する覚悟」

です。

この覚悟が決まらないと、
どんな覚悟も決められない。
何も始められません。

そして、

生きづらい人生という迷路から
うまく抜け出すことが出来ないのです。

だって、
どこに向かって歩けばいいのかすら、
分からないのですから。

何も決められないし、
何も始められない。

この、
『目標を達成する覚悟』が
決まっていない方には、

一つの大きな特徴があります。

それは、

「とんでもなく真面目だ」

ということ。

そして、そのことにご自身が
気づいていないのです。

「いえいえ、私は、
 そんなに真面目ではありません!」

と、あなたは
おっしゃるかもしれません。

でも、

あなたが、
真面目な人ではないのなら、

覚悟なんて決めずに、
どんどんものごとを
進めていってしまうはずです。

こんなブログなんか
読んでいるはずがありません。

覚悟できる自分になるために、
人生の目標を決めるワークを行います。

言い換えれば、それは、
覚悟できる自分になるための
『覚悟』を決めるわけです。


でもここで、
二通りのタイプに分かれます。

一方の人は、
とりあえずの「目標」を決める。

そして、もう一人のひとは、
目標を決めることを
「先延ばし」にしてしまう。

とにかく真面目に考えすぎて、
決められずに、

「だんだんと考えてゆきます」
「徐々に考えてゆきます」

とおっしゃって
先延ばしになさる訳です。


でもこれは、
仕方のないことですよね。

なぜなら、真面目な方ほど
いきないしっかりとした

「正解」

を出そうとしてしまうからです。

でも、「目標」を決めることを
先延ばしにするのは、

覚悟できる自分になる「覚悟」を
先延ばしにしてしまっているということ。

覚悟できる自分になる第一歩を
先延ばしにしてしまっているということです。

これでは、残念ながら、
そのほかの覚悟は何も決められません。

いつまでも「生きづらい人生」という
迷路から抜け出すことが出来ないのです。

では、どうしたらよいのでしょうか?

それは、

「とりあえず、今、決める」

のです。

まずは「目標」を、
とりあえずで良いので、
今、決めることです。

何をすれば良いのかという
手がかりが見えてきます。

進むべき道が見えてきます。

つまり、基準が見えてくる。

すると、

他の覚悟も
決められるようになってくるのです。

つまり、

いきなり「正解」を
出そうとするのではなく、

とりあえず答を出してから
あとで答え合わせをしていくということ。

それは、

「だんだんと考えてゆきます」
「徐々に考えてゆきます」

ということとは、まったく違います。

まずは、
「目標」をいったん決めて動く。

そして、
「目標」を修正する。

そうしたら、また、
「目標」をいったん決めて動く。

そして、
「目標」を修正する・

この繰り返しで、初めて
覚悟が決められる自分になってゆく。

そして、

「生きづらい人生」という迷路を
抜け出すことができる。

これが『覚悟の決め方』です。

誰でも、
いきなり完璧な「目標」を
設定することなんて
できるはずがありません。

最初は誰でも
「とりあえず」決めているのです。

そして
答え合わせをしていきながら
一段ずつ階段を登ってゆくのです。

とても大切なことなので
繰り返します。

間違っていても良いから、
目標をとりあえず、今、決める。

そして答え合わせをしてゆく。

それによって、
覚悟できる自分に成長してゆく。

心地よい人生が拓けてくるのです。

■人生をガラリと変える方法は、
覚悟を決めること

http://kntym.com/archives/3037.html

「覚悟を決める方法」

そんなキーワードで検索しているようでは、
一生覚悟を決めることはできないだろう。

なぜなら、覚悟っていうのは、

「誰かが決めてくれるモノ」なんかではなく、
「自分で決めるモノ」に他ならないからだ。

いい?

今のつまらない人生を
ガラリと変える方法があるとすれば、
「覚悟を決めること」が超重要なんだ。

だからこの記事を見て、さっさと覚悟を決めてほしい。

天才のバカなのだ

まず覚悟が決められない人っていうのは、
「失敗を恐れすぎている」っていうのがある。

失敗して、金がなくなったらどうしよう。
失敗して、誰かに何か言われたらどうしよう。
失敗して、今持っているものを失ったらどうしよう。

とかね。

でも、安心してほしい。

目標に向かって前に進んでいる限り、失敗なんてない。


こう言うとあなたは、
「いやいや、エジソンかよ」ってツッコミたくなるかもしれない。

でもね、
覚悟を決めた人間ってある意味バカなんだ。

バカだから強いし、
バカだから前に進んでいけるんだよ。

だから、エジソンだってある意味バカなわけ。


天才バカボンだってそうだろ?

彼は、天才のバカなのだ。


だいたいにして、
「リスク0で成功する」なんてあり得ると思ってんの?

あり得ないから。


たとえばギャンブル。

ギャンブルだったら、
金を掛けないと勝負すらできないわけ。


わかる?


勝負すらできないってことは、
勝つことすらできないし、負けることすらできない。

「ただの傍観者」にしかなりえないんだ。


これって人生も一緒。


「覚悟を決める」のはある意味リスクかもしれない。

でも、リスクを背負わないかぎり、
成功することもなければ、失敗することもできない。

他人が頑張っているのを、ただただ眺めている傍観者。


もちろん、
あなたが死ぬまで傍観者で居たいなら何も文句は無い。


でも、違うでしょ。

傍観者に飽き飽きしたから、
この記事を読んでるんでしょ。


親戚の集まりなんてどうでもいい

そしてここで朗報がある。

こんな事を言うと怒るかもしれないけど、
今、あなたが持っているものっていうのはしょうもない。


たとえば学歴。

学歴が生きるのは就活と親戚の集まりくらい。


俺は起業してるわけだけど、
起業家の集まりではハッキリ言ってどうでもいい。

むしろ、学歴がない人の方が、
リーダーシップがあったり、創造力があったりするもの。


あとは容姿とか?

容姿が生きるのは就活と合コンくらい。


その人が成功するかどうかは気持ち次第、
覚悟を決めてるかどうか次第なわけ。

覚悟を決めてる人間の方が顔にだってハリがあるもんだ。


だいたい、覚悟を決めてない人間が、
覚悟を決めてる人間に勝てるわけないんだよ。

同じ土俵にすら立ててないんだもん。


もしかしたらこんなこと言ってると、
「うわぁ暑苦しい。
 やっぱり覚悟を決めるのは大変そうだ」
って思うかもしれない。

そんなあなたは・・・


バグってしまえ

「覚悟を決めるのはやっぱり大変そう」

そんなあなたへの特効薬は、
“環境を変える事”に他ならない。


どういう環境かっていうと、
「覚悟を決めた人たちがいる環境」だ。


外見を大きく変えた・・・とか
いきなり引っ越した・・・とか
自分でビジネスしてる・・・とかね。

覚悟が決まらない同士で毎日の愚痴をこぼしてるより、
もうすでに動いている人との時間を増やしてみよう。


まぁ、もしかしたら最初は
居心地の悪さを感じるかもしれない。

でも、その人たちといると、
感覚がどんどんバグってくから安心してくれ。
(もちろん良い意味でだ)


「覚悟を決める」っていうと大変そうに見えるけど、
実は一度決めてしまえば大したことがないんだ。

それを体感するために、
既に覚悟を決めた人と時間を共にしよう。


一度、覚悟を決めてしまえば
あとは加速度的に人生は前に進んでいくもの。
(参照:完璧主義をやめると行動力が加速度に上がる)

特に、
現状に満足していない人や辛さを感じている人。

あなたは、さっさと動き出した方がいい。

最後に

いかがだっただろうか?


俺が言いたいのは、
「迷っている暇があったら動いてみろ」ってことなんだ。


そこで、
「お金が勿体ない」とか
「失敗したらどうしよう」とか言ってるようじゃ
残念ながら何も変わらないだろう。

っていうか、そんな人は変わる気ないでしょ。


だからこそ本当に変わる気があるけど、
自分で覚悟を決めるのが難しい人は
「環境の力」を借りてみよう。

そうすると感覚がおかしくなって、
「なんで、こんな小さいことで悩んでたんだろ」ってなるから。


そうなってから、人生は始まるんでよろしく。





お金をたくさん持っているとか貧乏だとか、
これからの人生をそんな物質的な尺度で
生きてゆくのはつまらないと思います。

心の世界に生きる

その道のりを照らす「ともし火」が欲しいと願っていた折に、
本日ご紹介するメルマガに出会いました。

その一部をサンプル的に「無断」で転載致します。
無料メルマガですので、是非アドレスをご登録して
読まれてみて下さい。

とても有難いことが書いてあります。

仏教の教えがベースとなっていますが、
人間の人生のガイドですから、
クリスチャンの方でも参考になることは
多いと思います。

よろしければ、読まれてください。



生きている時、ガチッと一念で摂め取られ

何があっても捨てられない幸福、

崩れない幸せであることを先回お話ししました。

この「何があっても」の中には

「死ぬときも」というのも入ります。

以前講座に来られた学生で

「どうせ死んだら終わりじゃん」

と投げやりに私に食ってかかってきた大学生がいましたが

なかなかよく考えています。

「どうせ死んだら」の言葉を前に対抗しうる人生論、幸福論は

なかなか見当たらないからです。

どんなに上手く世の中を渡り、

人より多くの富や名声、家族などの幸せをつかんだとしても

どんな人も死を免れることはできません。

死ぬときには今まで人と争ってまで手に入れてきたすべてのものを置いて

一人ぼっちで死んでいかねばならないのです。

-------------------

いよいよ死んでいく時の実相を蓮如上人はこう説かれてます。

『まことに死せんときは、かねて頼みおきつる

 妻子も財宝も、我が身には一つも

 相添うことあるべからず。

 されば死出の山路の末、三途の大河をば、

 ただ一人こそ行きなんずれ。』

 (蓮如上人)

-----------------

温泉旅館に泊まりますと、

きれいな掛け軸やインテリア、

風光明媚な庭や清潔な布団などあって気持ちいいですが、

どんなに「これいいな」と思っても

その日一日だけしか自分が自由にはできないものです。

旅館を出るときに「気に入ったから」といって

部屋から持っていったら、

窃盗罪で逮捕されます。

その日一日だけの、しばらくの所有物です。


考えてみれば、私たちが手にしている財産も地位も名誉も

この世にいる間だけ、

しばらく自分のものになっているもの。

死んでいくときには

全部置いて

丸裸でこの世を去らなければなりません。

一人ぼっちでどこへ行くんでしょうか。


人と駆け抜け争い、手に入れて、

「おれのものだ」と誇っていても

しばらくの間、

夢幻のように消えていく

はかない一生の間だけのことです。

大金を手中にしたとっても

権勢をほしいままにしたといっても

歴史絵巻をクルクルと早送りボタンを押してみれば

温泉旅館の客の出入りさながらです。



朝、客が部屋を出ていけば、

昼過ぎにやってくる次の客が使う部屋となる

その客も翌朝には出て行って

また次の客の入ってくる準備が始まる

どんな権力者とて、一夜の温泉宿の

一介の客にすぎません。

死んでどこへ旅立つのかも知らず。。



それなのに私たちはなぜ生きているのでしょうか。

【必ず死ぬのになぜ生きる】

これこそシッダルタ太子(後のお釈迦さま)が

城を出られた動機であり、

親鸞聖人が出家された目的でもあります。



こればかりはどうしようもない、

考えないようにするしかない、

考えてしまうとむなしくて不安になるだけだから、

という人があります。

答えがないならそうするしかないのですが、

その不安の解決の道は2600年前、

ブッダによって明らかにされているのです。



その昔、なんとかシッダルタ太子(のちのブッダ)の出家を

やめさせたい一心から

「お前の望みは何でもかなえてやるから」

と提案する父・浄飯王への

シッダルタの三つの願いは

「老いない身にしてください。

 病で苦しまない身にしてください。

 死なない身にしてください」

というものでした。



その三つの願いを聞かれた浄飯王は

「無茶なことをいうものではない」

とあきれ返ったとあります。



こればかりはどうしようもない

どうせ死ぬんだから、考えたって仕方ない

と死をごまかし続ける人類は

死を克服したいと挑戦する者に

むちゃだ、とあきれるだけなのです。



「死」が怖いと敏感に感じ、

「死」こそ大問題ではないかと直感的に気づく、

純粋な少年や少女も

「そんなこと考えても仕方ない」

「それよりも将来のために勉強しなさい」

と大人の物わかりのいい意見にいつしか、

飲み込まれてしまいます。



その中、ただお一人敢然と死に立ち向かい、

ついに死を超えた幸福の厳存を万人に示したのが

ブッダ、お釈迦様その人です。



だから仏教で説かれている「本当の幸せ」とは

いつ死んでも人生に一点の後悔なし、

生きてきてよかった、と

死の巌頭に立ってなお大満足の境地です。

それが『摂取不捨の利益』です。

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