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2015
07.26

愛と感謝の実践者 その6)

Category: 気付き


あなたが「自分の本質は魂」であり、

愛と感謝の実践を「楽しむ」ために
今生を選んで来た存在であることを
受け入れようとする私の同志であるならば、
もうひとつ、受け入れて欲しいことがあります。

あなたが笑顔をかわす隣の人も、
あなたが顔をそむける向かいの人も、
あなたが気になるあの人も、

あなたと同じように、
自分の魂の未熟な部分を磨くために
今生に生まれてきたクラスメイトであるのです。



あなたの親も、あなたの夫(妻)も、あなたの子供も、
あなたのご近所さんも、あなたの趣味仲間も、
あなたの職場の人たちも、みんな同じです。

自分の魂の未熟な部分を磨くために
今生に生まれてきています。



研磨とは
ある固体の表面を、別の固体の角や表面と
断続的に磨り合わせることによって表面の突起を削り、
平滑にしていく作業のこと。

-----------------------------------

魂の研磨とは
あなたの魂の表面の我欲を、相手の魂の表面の我欲と
断続的に磨り合わせることによって表面の突起を削り、
魂の光が増すように学んでゆく体験のこと。



無愛想な人は、それを思い知る体験をし、
それをクリアするための気づきを得ます。

傲慢で思いやりのない人は、それを思い知る体験をし、
それをクリアするための気づきを得ます。

卑屈で愚痴っぽい人は、それを思い知る体験をし、
それをクリアするための気づきを得ます。

誰もがみんな、あなたのクラスメイト。
だから、どこか未熟なのです。



「あの人は、本当に自己チューだ!」
「あの人は、感謝が足りない!」
「あの人は、すぐに感情的になる!」

それくらい未熟な者同士が
あなたの周りで学び合っているのです。

「ちゃんとやれ!」と怒鳴ったところで
本人がそのことを思い知り、気づかなければ、
「ちゃんと」はできないのです。



だから、腹が立ったり、イライラしたり、
悩んだり、傷ついたりするのは、
あなただけが未熟だからではないのです。

みんなが未熟なのです。
だから、お互いさまなのです。

あなたが上手くできないことがあるように、
相手にも上手くできないことがあるのです。

そのことで落ち込んで、
自分の人生を悲観してはイケないのです。
自分をいじめてはイケないのです。



----------------------------------------
自分や相手を「許す」ということ
----------------------------------------

お釈迦様もイエス・キリスト様も、
「許せば心が救われる」みたいことを言われていますが、

私は、どうもそのことが理解できませんでした。
「なぜ、自分だけがガマンしなくちゃいけないの?」

私は、「許すこと」=「ガマンすること」と解釈していました。

しかし、そうではなかったのです。
「許すこと」=「受け入れること」だったのです。

その前提となるのが、
「おたがいに未熟なのだ」と知ることだったのです。
自分も相手も、未熟だからちゃんと出来ないのです。

そのことさえ分かってしまえば、見方が変わります。
大抵のことは「許容」できるようになります。
自分の未熟さも相手の未熟さも「許容」できるようになります。

だからと言って、
相手を傷つけてはいけないし、傷つけられてもいけません、



人間関係というのは、信号機のない道路を、
運転技術が未熟な者同士が、
それぞれの判断で走っているようなものです。

自分はちゃんと走っているのに、
傲慢な相手のクラクションにカチンとくることもあるし、
衝突することもあれば、巻き込み事故にあうこともあります。

しかし、その事故自体が魂の体験なのです。
その体験の中から、何かを思い知り、何かを気づいて学ぶのです。



その接触事故は、相手の不注意が原因だったかも知れないし、
避けてくれるだろうという相手への甘えが原因だったかも知れません。

そうした体験を通して、
「次から、もっとこんな点を注意しよう!」とか
「次から、もっとこんな風にしてみよう!」とかいう
教訓を得たり、工夫をしてゆきます。

それが魂の成長と言われるものです。




---------------------------
【デジタル辞典】
大目に見る
人の過失や悪いところなどを厳しくとがめず寛大に扱う。

大目に見るの目は、篩(ふるい)の目です。
あの小麦粉や砂をふるい落とす網目状のものです。
網の目が大きいと、「ふるい」を通過する
(パスする=合格する)
ものが多くなるということです。
-------------------------------

大目に見る」という言葉があります。

相手の未熟さも、少々「大目に見て」受け入れれば、
相手への理解も深まってゆくものです。

「嫌いだ!」「苦手だ!」と全面拒否するのではなく、
なんだ、相手も未熟なんだ!」と気づくことで、

萎えていたあなたの気力が満ちてきて、
冷静さを保ちながら、その人と接することができるようになります。

未熟な相手に過剰期待をしていた自分に気づきましょう。
相手の不完全さや未熟さを認識することから始めましょう。

それは、「未熟者めが!」と相手を見下すことではありません。
ただただ、そのことを許容することです。

その上で、自分が出来るだけ傷つかないように
適度の距離感を保ちながら、淡々と接してゆけば良いだけです。

相手の良い面を中心に見るようにして、
相手の悪い面は、反面教師として見て、
自分が他の人に同じことをしていないかの反省材料として
活用してゆけば良いのだと思います。

「~であらねばならない」という色眼鏡で見ると、
自分自身や人間関係を窮屈なものにしてしまいます。

「良い」「悪い」「正しい」「間違っている」
そんな「評価」をすることなく、相手をありのまま受け入れること。

「自分とは違う」ことを受け入れる、
そのままの相手を受け止めるところから
まずは始めてみたらどうかと思います。



太陽の方を向いて咲くひまわり。

人間関係をより良く保ち、向上させてゆくためには、
相手の未熟さを受け入れることが大事なんだと思うのです。

私もあなたも、ひまわりになりましょう。
お互いに未熟者同士、相手の良い面ばかり見てゆきましょう。

ひまわりは、明るい太陽の方を向いて咲く花。
私達も、できるだけ相手の良いところを見るようにしましょう。


相手の言うことをまずよく聞く。
すぐに自分の意見を言ったり反論したりバカにしたりしない。

できれば、相手の感情も受け入れる。
相手の気持ちを思いやる。

たとえそれが、間違った考えと感じても、
今そう考えてしまうという現実を受け入れる。
相手には相手なりの理由や事情があることを察する

相手の弱さや未熟さを受け入れる。
急に強くも立派にもなれない。

お互いに、今はそこから始めるしかないのです。
相手の考えも知る努力をする。
それが大切なのだと思います。

このようなことができれば、
きっと良い関係を築くことができると思います。

相手を受け入れようとするあなたの姿勢が伝われば、
きっと相手の心も近づいてくると思うのです。






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2015
07.25

愛と感謝の実践者 その5)

Category: 気付き


-----------------------------------------
自分や相手の『良いとこ探し』を習慣にしよう!
----------------------------------------
あなたの身近な集まりや職場の中で、
一番嫌いな人、一番苦手な人の『良いところ』を3つ挙げて下さい!

そう、私があなたにお願いしたとします。

そしたら、あなたは不愉快そうな顔で、
きっと私に、こう聞き返すことでしょう。

『ふん、一体何のためにだい?』

そしたら、私は満面の笑顔でこう答えましょう。

『あなたの機嫌が良くなるためにです!』



<解説>

あなたは、その一番嫌いな人、その一番苦手な人と向かい合う時に
きっと不快な感情に襲われているはずです。

その人と、また向き合わねばならないと分かった時点から
あなたはきっと、憂鬱だったはずです。

その時の心理状態を一言でいえば、
「気が重い」状態だったのです。

私はいつも、あなたにこう言います。
「いつも、"気楽に"機嫌よく過ごしましょう!」

あなたが、一番嫌いな人、一番苦手な人と向かいあう時間も
あなたの人生の大切なひと場面です。

そんな場面こそ、「気楽に」機嫌よく過ごすべきなのです。



最近のあなたの時間の中で、
あなたを最も不快にさせる、その場面の中にこそ、
あなたの魂からの「テスト」が出題されているのです。

あいつとさえ会わなければ、私はずっと気分よくいられるのに!
…でしょう?となれば、その時間さえ気分よく過ごせれば、
あなたは「天下太平」、いつでもご機嫌でいられる訳です。



あなたが一番嫌いな人、一番苦手な人の名前を、
便宜上、「Aさん」と呼ぶことにします。

あなたが、Aさんと過ごすひと時は決まって
あなたは不快な感情に襲われるのですよね。

人によりケースバイケースで一概にはいえませんが、
その時のあなたは、Aさんのイヤな点や嫌いなところを
たくさん見せつけられている訳です。

ここまでは、問題ないですよね?
問題があるのは、ここからなのです。

実は、その時のあなたは、
Aさんのイヤな点や悪いところばかり、
一生懸命に「アラ探し」しているのです。



「こいつは、実にイヤな奴だ!」
「今日も、そのイヤな点を探してやるぞ!」

よぉ、ひさしぶり!」と片手でも挙げようものなら、
普通、久しぶりなら、お辞儀が基本だろう!」と
悪く悪く受け止めてゆきます。

人を見下すような目つき、
世界一の性格の悪さをモロ出しの皮肉笑い、
人を小バカにしたような高飛車な物言い、

すべてがあなたの神経を逆なでしてゆきます。



実は、その時のあなたは内心で、
Aさんの「アラ探し」を楽しんでいるのです。

その過程で、「ほーら、やっぱり今日もイヤな奴だっただろう!」と
自分の人を見る目の確かさに、大満足しているのです。


その結果、あなたが「気分良く上機嫌」でいられるのなら、
私は、何もいうことがありません。

しかし、その結果、あなたが不機嫌になっているのなら、
それは、あなたのためになりませんよ」と御節介を焼きたいのです。



あなたは今、行きつけの八百屋さんにいます。
なじみの女将さんが、大きなリンゴを手にしてこう言います。

1)「このリンゴは、蜜が多くて美味しいけど、高いのよ。」
2)「このリンゴは、高いけど、蜜が多くて美味しいのよ。」


あなたは、1)と2)のどちらのセリフに好感を持ちますか?
どちらのセリフを言われた方が、買う気になりますか?



言うまでもなく、2)のセリフを言われた時の方が買う気になります。
そんなに美味しいのなら、一個だけでも買ってみようかしら!

このセリフの中には、とても重要なことが含まれています。

このリンゴは高いのよ!」と、欠点を最初に言っているのです。
「でも、そんなことよりも、蜜が多くて美味しいのよ!」と
良い点を最後に言っているのです。

もっと具体的に説明すれば、
このリンゴは高い」という欠点を大目に見ているのです。
つまり、欠点に重きを置いていないのです。

さらには、良い点を最後にいうことで、
そのリンゴに高い好評価を与えているのです。

美味しいけど、高い!
高いけど、美味しい!


お分かりになるでしょう。
最後に言ったことがあなたの評価になるのです。



もし、あなたがAさんの「アラ探し」ではなく、「良いところ探し」をして
Aさんの意外な長所に気づけたら、こんな言い方ができます。

『Aさんは、口が悪いけど、責任感が強いのよ!』
『Aさんは、愛想が悪いけど、面倒見がいいのよ!』


どうでしょうか?
一番嫌いで苦手だったはずのAさんの評価が、とても高くなっています。

そう、「アラ探し」だけで終わるから、その欠点があなたを不快にするのです。
「アラ探し」をするなとは言いません。私もついやってしまいます。

だから、「アラ探し」と同時に「良いとこ探し」もやれば良いのです。
そして、「アラ(欠点)」を最初に、「良いとこ(長所)」を最後に置くのです。


『Aさんは、テキトーな性格だけど、人は裏切らない人よ!』
『Aさんは、時間にルーズだけど、仕上げがキレイなのよ!』


私は、あなたが一番嫌いで苦手な「Aさん」のことなんかどうでも良いのです。
私はあなたに、Aさんと過ごす時間でさえ、機嫌よくいて欲しいのです。

あなたが「気が重い」のなら、「気を軽く」して差し上げたいのです。
気が「軽く」なれば、気が「ラク」になります。
気が「ラク」になれば、機嫌が「良く」なります。

そのためには、

一番嫌いな人や苦手な人の欠点を「アラ探し」するだけで終わらず、
その人の良い点や優れた点など、「良いとこ探し」も同時にすることで、
あなたにとっての、その人の評価を無理やりにでも高くすれば良いのです。

それは、Aさんのためにする努力ではありません。
あなたが、あなたを気分よくするための工夫です。



美味しいけど、高い!
高いけど、美味しい!


欠点と長所を同じ「天秤」にかけて、
長所がすこしでも重くなるような見方を心がけてみて下さい。

そうした心がけ次第で、あなたにとっての
「一番嫌いで、一番苦手で、一番憂鬱だった」時間を、
「それほどでもない」時間に塗り替えることができるかもしれません。

あなたにも欠点はあるはずです。
相手の欠点は少々大目にみて、良い点に注目しましょう。

ふっと、気が「楽」に、機嫌が「良く」なるかもしれません。
是非、実践してみて下さい。

これも、真に受けずに「受け流す」ための工夫です。


※「良いとこ探し」は、自分に対してもやって下さいね。
※自己肯定感が高まりますよ。


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2015
07.24

愛と感謝の実践者 その4)

Category: 気付き

※揺るぎない「自己肯定感」がなければ、
 上手く受け流せず、まともに受けてダメージを食らう。!

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自己肯定感を高めよう!
----------------------------------
自分に起こった事態を、合気道の達人のように
サラリサラリと上手に受け流してゆくためには、
高い「自己肯定感」が必要です。

けれども、実際には

自分なら上手くやれる。いつでも大丈夫!』という
自分自身への確固たる信頼や自信がなければ、
上手く受け流すことはできないものです。

何かが起こるたびに、マイナスの感情を受け流せず、
オロオロ、ビクビク、ソワソワ、アタフタ…、
深刻な事態に発展するかもという「妄想」から
息苦しい程のストレスに押し潰されそうになります。 



※そうした弱気の"周波数"を発することが続くと、
  「ブーメランの法則」により同様な事態をさらに
  引き寄せてしまうという「負のスパイラル」に陥ります。



話を進める前に、「自己肯定感とは何か?」について、
さらっとおさらいしておきましょう。




自己肯定感」とは、自分自身の存在を長所だけではなく、
短所も含めて肯定する感覚のことです。


「ありのままの自分で良い!」
「自分はかけがえのない存在だ!」
というポジティブな自己認識。




一応、ここまで書いてから、
「自己肯定感を高めるためにはどうすれば良いか?」と
実に、2時間もキーワード検索をしながら、
いろんな関連サイトやブログを見て回りました。

しかし、自分にとって「これだ!」という答えを
見い出すことは出来ませんでした。



予期せぬ事態が起きた時、合気道の達人のごとく、
果たして自分が、サラリサラリと「受け流す」ことができるものか?

私がこれまでの自分の人生を振り返り、
起こった事態への戦績が10戦8勝2敗位であれば、
かかってきんしゃい!」と胸を張れますが、

自己評価として、「まあ、10戦5勝2敗3引き分け」だなという、
実に心細い戦績であることを考えたら、とても、
どんな事態でも遠慮はいらぬ!存分に参られよ!」とは
怖くて胸を張れないというのが正直なところです。トホホ…。



「自己肯定力」=「自分への自信」とすれば、
「土壇場で自分の実力を頼りに出来るか否か?」ってことになります。

これまでの人生で、横綱クラスの戦績ならば問題はないですが、
私のように、関取以前の「力士養成員」クラスの戦績では、
「自分の実力だけを信じて」という訳には行きません。












このような考え方自体が間違いなのです!

自分いじめで「自己否定」を高め、
自分肯定」を萎えさせるだけです。



『強さ』


「強さ」とは、
主張を通すことでもなく、
競争することでもなく、
傷つかぬように身を守ることでなく、
馬鹿にされ、罵られても、
辱められても、笑われても、
笑顔で底から立ちがってくること。


             小林正観 





■「受け流すゲーム」を楽しめば良いだけ!

これからの人生に起こるいろんな出来事、人とのかかわりを想定し、
「どんな事態が起きても、サラリサラリと受け流せるかな」と
不安がよぎってしまうのは、

今生の目的は、"楽しむ"こと」という魂的な課題を
私自身が、腹の底から理解できていないからです。

これから起こる事態は、楽しむためにやってくる
折に触れて何度も何度も、そう自分に言い聞かせようと思います。

「一歩前進して楽しむんだ!」という姿勢を忘れてしまったら、
「受け流す」どころか、真に受けてしまって感情の奴隷になるだけです。


実際に、「出来事を楽しむ」という基準で過去の人生を振り返れば、
上手く対処できなかったと悔やまれる過去の出来事も
60点はなまる主義」的には、ほとんどが合格点です。



「こんなイヤな上司はいない!」と飛び出した会社のあのクソ課長も、
"理不尽"をウリにしたお笑い芸人」なのだと気づいていれば、
もっと「受け流す」ゲームを楽しめたのかもしれません。

あの失恋も、あの失業も、あのトラブルも、
今考えれば、いろんなことを私に学ばせてくれました。

ただ、当時の私が未熟すぎて楽しめなかっただけなのです。

感謝しています。有難いです。

--------------------------------

今生の目的は、「成功する」ことではなく「楽しむ」こと。

その基準で評価しなおせば、私のこれまでの人生は、
それぞれに面白い体感ゲームでした。

未熟さゆえにゲーム自体は楽しめませんでしたが、
いろんなキャラの人物が登場して、ドラマ的にも楽しかったのです。
そういう意味では、私の戦績は10戦8勝2敗でした。



■三日月という欠けた月は存在しない。


お月さまは、いつもまんまるの球体です。
地球から見て月の横方向から太陽が照らしているために、
影がさして一部だけが輝いて見えるのです。

三日月という欠けた月は存在しません。

「ああ、最悪!なんてこと!」
「ゲッ!やっばー!」
「またかよ!俺っていつもこう!」


このように、「俺jはダメだ!」「私にはやっぱり無理!」と
「自己否定感」を高めてゆく行為は、
自分の「自己肯定感」という月に影を重ねるようなものです。

こう思ってしまうのは、あなたがその事態を
受け流さずに、正面から「真に受けて」いるからです。

この事態は、合気道の達人のように、
いかに「気軽に受け流せるかのゲームなんだ」と解釈すれば、
「受け流す」ことを「楽しむ」ことができます。



合気道は、この写真のように、正面から受けてはダメなのです。
さらりとまるく交わすことがコツなのです。

これまでのあなたの「自己肯定感」は、
事態を正面から真ともに受けていたから、
「やっぱり俺はダメな奴だ!」と低い評価だったのです。

それは、あなたの実力が未熟ということではなく、
事態への向きあい方が違っていただけなのです。

人生は、「戦う」のではなく「楽しむ」のです。
「楽しむ」ためには、自我で真に受けてはイケマセン。

さらりと余裕で受け流すゲームだと解釈することで
ああ、面白い!」と楽しめるのです。




自己肯定感」とは、自分自身の存在を長所だけではなく、
短所も含めて肯定する感覚のことです。

「ありのままの自分で良いんだよ!
「自分はかけがいのない存在だ!」という
ポジティブな自己認識のことです。






付  録


■「自己否定感」を癒(いや)すことが先決




あなたが、自分のセルフイメージを
プラスに書き変えたいのならば、まず初めに、

私って、なにをやっても結局ダメなのよ…」という
心の奥底でイジケている「自己否定感」を、
まず、優しく癒してあげる必要があるのです

この過程を怠ると、あなたのセルフイメージを
プラスに書き換えることは難しいのです。

「現状の自分ではダメだ」という否定から、
それを埋めるために理想の自分になろうと、
セルフイメージを書き換えようとしてもうまくいきません。



■長所も短所も、ありのままの自分を受け入れましょう!

「ダメな自分」をまずは受け入れてください。
「今の状態でもいいや」と思ってみてください。

ダメな部分や未熟な部分も、
自分の一部であることを受け入れて下さい。

強欲にも、自分の未熟な部分ばかりを否定し、
上手く出来た部分をホメもしないで、もっともっとと、
いつも自分にダメ出しを続けて完璧さを求めるから、
「自己否定感」が強まるのです。


60点はなまる主義」で良いのです。
私は不完璧主義者だ。文句あっか?」と開き直りましょう。

あなたを本当に癒し励ませる人は、あなたの他にいないというのに、
なぜ、あなたはそんなに自分をいじめ続けるのですか?


自分の短所や長所まで全部含めて、
ありのままの自分を受け入れましょう。
それが「自己肯定」の基本です。




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2015
07.23

愛と感謝の実践者 その3-2)

Category: 気付き

前日のブログにコメントを頂きました。
我欲を枯らし、執着を解き放つ、…いずれも難しいですね。



コメントに感謝しつつも、
ああ、まだ俺の文章は浅いのだなぁ」と反省しました。

私は昔から、簡単なことを難しく考えるクセがあります。
「バカの利口ぶり」って奴です(苦笑)

私は「立て前」は書きたくありません。
あくまで実践に役立つ手引書を書きたい。
それが私の願いです。

私がこれから、快適なシニア生活を送ってゆくために、
心が疲れ、やる気が萎えてきた時に読み返せば、
ふっと気が軽くなるような、
そうだった!と、自分の思い違いに気付けるような、
そんな実用的な手引書を書き綴ってゆきたい。


自分の実体験やサイト検索を通して察した
自分なりのニュアンスを文章にするのは難しいです。
それも、できるだけ簡易に分かりやすくです。



本日のブログは、同じテーマで書き直します。

だから内容も、
我欲を枯らし執着を解き放つ」という抽象的なものではなく、
もっと具体的に、「気楽に機嫌よく生きるために」へと修正します。

なぜ、書き直すのか分かりますか?

そう、私が手段と目的を履き違えていたと気づいたからです。

我欲を枯らし執着を解き放つ」という行為は手段です。
目的は、あくまで「これからを気楽に機嫌よく過ごす」ことです。

特定の手段にこだわる必要などなくて、

極端な話、どんな事態が私に起ころうとも、
私が指をパチンと鳴らしたならば、
すぐに「気楽に機嫌よくいられる」のだったら、
それで万事解決!なのです。

だって、魂の学びとしては、
それが、これからのシニア人生のテストの答えなのですから。

それが、「角をとって丸くなる」ということでもあります。

------------------------------------
【ネット辞典】
■ 気楽
・気兼ねや心配や苦労がなく、のんびりとしていられること。
・物事にこだわらないで、のんきなさま。
------------------------------

■心は波立つのが当たり前

機嫌が悪い時の心理状態というのは、
ソワソワ、イライラ、ドキドキ、ムカムカ、オドオド…。
穏やかだった心が波立った時に機嫌が悪くなります。



海面の上を風がふくと、小さな波ができます。
心の平穏を海面に例えたら、
機嫌・不機嫌の現象が分かりやすいです。

波が立たない「凪(なぎ)」状態の海面を
心の平穏と考えると、常に不機嫌な状態になります。

だって、波の立たない海など、めったにないからです。

不安・悩み・怒り・心配・恐れと言った風は
いつでも心に吹きます。

心という海には、波が立つことが当たり前なのです。

生きていれば、
不安・悩み・怒り・心配・恐れなどはつきものです。

だから、少々高い波が立っても、
平気でいられるコツを学ぶことが
「心の平穏=ご機嫌」を保つために大切なのです。



このようなことを意識しないまま、これからの人生を過ごしてゆくと、
感情の奴隷となって、いつも不平不満ばかりまき散らす
「嫌われジイさん(バアさん)」になってしまいます。

私は今からこのことを強く意識して、
誰からも愛され大事にされる
いつもニコニコご機嫌ジイさん」を目指します。



不幸な状況の時にも、平気で過ごせる。
幸せな状況の時には、大いに幸せを感じられる。

ふつうの時には、けっこう幸せに暮らせる。
悩みや問題があっても、それなりに幸せに暮らせる。

人生の中には、不幸な時も幸せな時もあり、
悩みや問題を抱えてしまうことはあります。

いかなる場合にも、
できる限り幸せに生きることができるようになれたら、
理想(悟り?)なのかもしれません。

死ぬ間際に、「幸せな人生だった!」と思えたら本望です。
そう思える人生だとしたら、その最中にもたくさん幸せを
感じて生きられたほうがいいのではないでしょうか。



『今がいちばん若い時』

若いうちにやったほうがいいこと、
若いうちだからできること、
始めるのなら早いほうがいいこと、
若いうちに経験しておいたほうがいいこと。

今日という日を基点に、これからの人生を通して考えれば、
今がいちばん若い時」ということになります。
今がいちばんパワーがある時ということになります。

これからの人生の中で、“若いうち”にやりたいことを考えて、
今できることがあれば、やってみるというのも
いいのではないでしょうか。



『至言』

人間は何時死んでもいいと思うのが悟りかと思っておった。
ところがそれは間違いやった。
平気で生きておることが悟りやったと。

平気で生きておることは難しい。

死ぬときが来たら死んだらいいんやし、
平気で生きておれるときは、
平気で生きておったらいいのや。

自然は、立派やね。

わたしは日記をつけておるけれども、
何月何日に花が咲いた。
何月何日に虫が鳴いた。
ほとんど違わない。

真理を黙って実行するということが大自然だ。

誰に褒められるということも思わんし、
これだけのことをしたら、
これだけの報酬がもらえるということもない。

時が来たならば、ちゃんと花が咲き、
そして黙って、褒められても褒められんでも、
すべてのことをして黙って去っていく。

そういうのが実行であり、教えであり、真理だ。


           ※永平寺七十八世 「宮崎奕保」禅師



■「気楽」とは、深刻に受け止めないこと。


気楽」とは、肩肘の「余分な力」が抜けた
心地よい様を表しています。

では、気楽ではないとは、
どのような様なのでしょうか?

それは「気を重くすること」です。

つまり、物事を悪い方に悪い方に
深刻に思い込むこと
です。

なにが起きても「平気で生きる」ためには、
その事態を深刻に受け止めることなく、
さらっと淡々と受け流すこと
です。

「受け」て「止める(溜める)」のではなく、
「受け」て「流す」のです。


必要以上に不快な解釈を増幅させてはイケマセン。



「なんてことだ!」
「ああ、最悪!」
「超ムカつくなぁ!」
「もう、だめだ!」


生きていれば、いろんなことが起こりますが、
いちいち自分が不快になる意味付けを加える必要はないのです。
淡々と受け流して、最善の対処を考えて処理してゆくだけのこと。

自分にとってイヤなこと、苦手なことほど、
逃げないで、一歩前進して向きあいましょう。


「なんてことだ!」
「ああ、最悪!」
「超ムカつくなぁ!」
「もう、だめだ!」

自分の「想い=気」の"周波数"を低下させてはイケマセン。
さらに悪い事態を引き寄せる可能性もあります。



私に起こる事態は、学びたがり屋の魂が、
私に体験させるために引き寄せている単なる「お試し」です。

いらっしゃいませ!」と
一歩前進して笑顔で向きあいましょう。

いちいち不快な意味付けを加えないで、
合気道の要領で淡々と受け流しましょう。

それで、大抵のことは上手く処理できます。

私の魂は、そのことを知って欲しくて、
私にその事態を体験させているのです。

「私は大抵のことは対処できる!」という
自己肯定感を高めましょう。

これが、いつも平気でいられるコツです。

いつも平気でいられれば、
「気楽に機嫌よく」生きることができます。



この合気道のように、自分に起こった出来事を
バッタバッタと小気味よく、
「気楽」に受け流してゆきましょう!


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2015
07.22

愛と感謝の実践者 その3)

Category: 気付き


老後の魂の課題とは?


「老後の魂の学びの課題ってなんだい?
と自分に問いかけてみました。

※最近、私は強く思うことで、
自分の魂に質問することにしています。

「角をとって丸くなること!」

なるほど、それが今日のブログのテーマなのか!
面白そうじゃん!
と、ネット検索を始めました。



Yahoo!知恵袋」というQ&Aサイトで
『歳をとると、角が取れて人間は丸くなるって本当ですか?』
と言う質問に対して、いろんな意見が掲載されています。

-----------------------------

こればかりは人それぞれだと思います。

協調性のある人は、
歳をとるともっと丸くなる人が多いように思いますが、

元々自我が強い人は更にそれが強調されて、
歳をとってわがままになるケースも少なくありません。

「私が私が」にプラスして、
自分が法律だと勘違いしているのではないかと思うほどです。。。

色々な事に口は出すわ、
「こうしなさい、ああしなさい」と何かあるたびに
聞いてもいないのに言って来ますし、

その通りにならないと、
「それでは駄目だ」と完全否定。
人の都合も何もあったものではありません。

自分の自慢話ばかりで、人の話は一切聞きませんし、
全て自分の良いように解釈します。


-----------------------------

「丸く、穏やかになる」・・・傍から見て、そう見えるだけ。
歳をとると、体力や気力が 50歳ころからゆるやかに落ちてきます。

若者に対しても 「まあ、君は君らしくやればよい」と静観できる。

ちょっと あきらめムードになってきて そのたたずまいが
「丸くおだやかになる」と見えるのだと思います。

基本的に、もって生まれた性格やクセ、性分は死ぬまで変わりません。

「あんなに知性的でステキだったあの人が」というほど、
わがままいっぱいの老人になることも多々ありますね。

「ああ、メッキがはがれたな」とせつなくなります。


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丸くはなりません。

70歳で覚醒剤打ったり、80歳で人刺したり、
女子高生のおしり触ったり、

ニュースで聞いたことないですか?
三つ子の魂、百まで。

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もともと気が強く短気でマイペースな母ではあるのですが、
最近、以前に増してさらに性格がキツくなってきました。

とにかく気が強くなり怖いもの知らずという感じで
何に対しても高飛車な態度で、
口が悪く、人の話しを聞かなくなってきました。




ゲゲッ!ろくなことが書いてありません。
角が取れて丸くなるどころか、角ビンビン!

たぶん俺も嫌われジイさんになるかも…
ちょっと、心配になってきました。

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【ネット辞典から】

『角がとれる』
・世慣れて性格が円満になる。人柄が丸くなる。



「角」を「我欲」と置き換えると、
これからのシニア人生の魂の課題は、
我欲を手放してゆくこと」だといえそうです。

手放す」とは、「ガマンする」ことではありません。
枯らしてゆく」ことです。

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【ネット辞典から】

我欲
・自分一人の利益・満足だけを求める気持ち。
・利己的で自己本位であるような欲のこと。

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■老後の学びは、我欲を枯らし執着を解き放してゆくこと

魂を成長させてゆくために、
老後に向けて何をしてゆくべきか?

それは、いかに「心豊かに機嫌良く」過ごしてゆくか、
その一点に尽きるのだと思います。

あの世への旅立ちに向けて
自分の中の世俗的な「執着」をひとつひとつ解き放ち、
素直で謙虚な自分を取り戻してゆく作業を進めましょう。
それが、あの世への移行をしやすくします。

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き=競わない
く=比べない
あ=争わない


これは、小林正観さんの作った言葉です。
競わない、比べない、争わない自分を決意することが必要です。

き・く・あ」を日々実践してゆきましょう。

誰とも戦わなければ「敵」知らず!
なるほど、「無敵」は「最強」です。

自分を満たす幸せの拠り所を、
「感謝」に置き換えてゆきましょう。


気づき”を単なる知識として終わらせるのではなく、
実践して人生を変えてゆきましょう。




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