私は毎日、いろんな方とかかわりながら生きています。
きっと、あなたもそうだと思います。

かかわる人の中には、
こちらの機嫌を損ねる人もいます。

だけど、斉藤一人さんの動画をみながら、
座禅を組むより、冷たい滝に打たれるより、

日常の暮らしの中で、
「毎日を楽しく明るく、人に親切に」を
実践してゆくのが一番の魂の修行になるという
教えに私は共感しました。

最近の私は、その日、朝に家を出るとき、
「南無妙法蓮華経」と三回唱えます。

それは、

アメノミナカヌシ様、私の内神様、導師様!」
「今日も一日、我を折り、機嫌よく修行します!」

そんな決意表明のつもりなのです。



本日のブログでは、この「南無妙法蓮華経」の教えについて
日蓮宗のホームページから、抜粋して書かせていただきます。


▶http://www.nichiren.or.jp



法華経は、数ある仏教経典の中でも
お釈迦様の教えの集大成と言われる経典で、
第一章から第二十八章で構成されています。

前半部分の中心となるお経「方便品第二」には、
みんな一人ひとりが仏になれる、

そして、どのような人でも
「仏の心」(仏性)が備わっていると説かれています。

人だけではありません。動物も植物も大地も、
全ての生きとし生けるものに「仏の心」はあるのです。

"自分"の心の中を考えてみても、
そのなかにはさまざまな側面が存在していることに気がつきます。

お釈迦さまは、私たちの心のなかに
10の世界が備わっていると説かれました(十界互具)。

それは

「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間
・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏」の世界。

これらのそれぞれが、お互いに関わり合い、
私たちの一つの思いを成り立たせているのです。

たとえば、あなたが電車のなかで席に座っていたとします。

そこに身体の悪いお年寄りがいたら、
「席を譲ってあげよう」と思うでしょう。

それが仏の心です。

でも一方で、

「今日は疲れているから、見て見ぬふりをしよう」と
思うときもありますよね。

それは悪い心が表れているのです。

もちろん、人の心はいつも一定ではありません。

だからこそ、
その仏の心を少しずつ大きくしていくのが、
仏教に生きるということ。

善いことをする、悪いと思ったことはしない。
とてもシンプルですが、仏になるとは、そういうことです。

そんな全ての仏さまに感謝し、手を合わせるのが、
日蓮聖人が説いたお題目=「南無妙法蓮華経」の世界です。

南無」とは、一心に仏を信じることで、

「妙法蓮華経」の五字には、
お釈迦さまが多くの人を教え導いた智慧と慈悲の功徳が、
全て備わっているといわれています。

全てに備わる「仏の心」を信じ、
この「南無妙法蓮華経」のお題目を
口に出して唱えることで、

自分のなかにある「仏の心」をも
呼び現していこうとしているのです。




私たちの住むこの世界は、
楽しいこともたくさんありますが、

辛いこと、苦しいこと、
嫌なこともたくさんありますよね。

お釈迦さまの本当の願いは、
そんな私たちひとり一人の苦しみを救うことにあります。

ですから、

生き迷う私たちのためにお釈迦さまは
「私はいつもここにいて、教えを説いていますよ」と
説いてくれています。

これを"久遠のお釈迦さま"といいます。

法華経の中で最も大切だとされているのが
「如来寿量品第十六」のお経です。

なぜなら、前述の

「過去・現在・未来を超えて、
永遠の存在であるお釈迦さまは、

私たちをいつも近くで見守り、助けてくださる
ということが書かれているからなのです。

そんなお釈迦さまの"いのち"を
私たちは受け継いでいます。

"いのち"とは、

単に肉体的な生命としての意味ではなく、

お釈迦さまの慈悲の心であり、
安穏な世の中を願う想いであり、
みんながイキイキ生きるという意志でもあります。

全ての生きとし生けるものの"いのち"と、
お釈迦さまの"いのち"はつながっています。

だから、私たちの心のなかにも、
"仏"がいらっしゃる―


とはいえ、

「いつも見守っている」と言われても、
宇宙の神秘的な話のようで、
にわかには信じがたいですよね。

これは、科学的な「理解」の世界ではなく、
宗教的な「信」の世界のお話になります。

苦しみに満ちた世の中にあっても、
一心に仏を恋慕し仏さまを信じれば、
必ず救いの手をさしのべてくださる。


それが、
お釈迦さまの無限の救済する力であり、
神秘的な力です。


ですから法華経の信仰は、
頭で理解するのではなく、
心の信心が大切になります。

まず第一に、

信じる心を持って仏の道を進む努力をすることが
「法華経に生きる」ということ。


その大切さが、このお経で説かれているのです。

※ちなみに、私は日蓮宗ではありませんが、
法華経について、実に有難いことが書いてありましたので
転載させて頂きました。


合掌!




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せっかく良い教えを読んだり
気づいたりしても、

それを行動習慣にまで落とし込まないと
読んだ意味がないし、勿体ないと思います。

自分をより良く変える
チャンスを逃した気になります。

ではどうすれば、その気づきを
新しいマイルールとして
習慣化することができるのでしょうか?

そのヒントになるサイト情報を
本日は集めてみました。

では、始めます。


▲ http://www.lifehacker.jp

良い習慣が続かなかった!
そう言う人は少なくありません。

健康的な食生活をがんばって
数カ月続けたのに、結局、
元の食生活に戻ってしまったり、

せっかく始めた運動を
やめてしまったり。

一度その習慣から離れてしまうと
やる気もなくなり、

そのことについては
考えたくもないと思うように
なってしまいます。

では、そのような場合は
一体どうすれば良いのでしょう?

正直言って、
簡単な答えはありません。

私はたくさんの習慣を
身につけようとして失敗し、
やり直してきました。

今は、一度やめた習慣を再度始めるのは、
習慣を身につけるプロセスの
一部だと考えています。

人間は、習慣を身につけながら
常に自分自身について学んでいます。

習慣を身に付ける上で
本当に大切なことは、

自分を向上させることでも、
律することでもなく、
自分を知ることです。

自分の心、罪悪感、
フラストレーション、
そのような感情への対処法を学びます。

簡単な答えではありませんが、
習慣を身につけるときに
私がやっていることを
いくつか紹介しましょう。

ステップ1)

立ち止まって
自分と向き合う


新しい習慣を身につけられず、
元の生活に戻ってしまったことを
認めたくないというのが、
大きな問題の1つです。

そのことについて、
つい考えないようにしてしまいます。

ですから、最初の一歩は、
少しだけ今の自分の状態を
見つめてみることです。

がんばっていたけれど、
結局失敗してしまいました。

理由はいろいろありますが、
誰でも失敗することはあります。

失敗するのは自分だけではないと
覚えておきましょう。

直面している出来事が大きすぎて、
立ち向かうのに困難であることは
よくあります。

このように、
自分の内面と向き合うと、失敗など
大したことではないとわかります。

ステップ2)
自分の感情を
受け入れる


脱線するのは簡単です。
失敗した気持ちになり、

やる気がうせ、
自分にいら立ち、失望したり、

悲しくなったり、疲れたり、
頭に来たり、複数の感情が一度に
押し寄せてくるでしょう。

そのように感じるのは
悪いことではありません。

人間は、このような負の感情について、
考えないようにすることがよくありますが、

1分でもいいので、それを感じてみましょう。
自分の内面を観察し、経験の一部として
その感情を受け入れましょう。

ステップ3)
自分をいたわる

このような複雑な気持ちを経験して、
それを受け入れたら、
自分をいたわりましょう。

友だちが傷ついていたら
どうするかを想像してみてください。

友だちを慰めたり、抱きしめたり、
話を聞いたり、いたわってあげるはずです。

自分にも、愛情と思いやりをもって
接してあげましょう。

自分の悩みを聞き、幸せになることを願い、
抱きしめて、愛情を注ぎましょう。

このように感じていれば大丈夫です。
悩みが消えるように願うのも良いですね。

ステップ4)
目的を思い出す

そもそも、どうして
良い習慣を始めようと思ったのですか? 

自分を成長させたいから、
健康になりたいから、

絵を描く、音楽を演奏するなどで
クリエイティブな表現が
できるようになりたいから、

誰かの助けになりたいから、

いろいろありますが、
当初の目的を思い出すのは、
良い習慣を取り戻すのに
大事なことです。

脱線したのは、目的を忘れたり、
ほかに優先順位の高い大事なものが
できたりしたからです。

今でも、

その習慣を身につけることは、
時間を費やす価値のある、
大切なことですか? 

そうであれば、
目的を頭に刻み込んで、
もう一度始めましょう。

ステップ5)
小さなことから始める

目的を思い出したところで、
次は何をすればいいのでしょうか? 

その習慣をもっとシンプルに
できるようにしましょう。

たとえば、食生活全体を一気に、
徹底的に変えるのではなく、

まずは、人参やリンゴを
食べるようなところから始めます。

一週間の運動計画を立てるのではなく、
5分でもいいから散歩をする、もしくは
一回でもいいから腕立て伏せをします。

どんなに小さくてもいいので
一歩踏み出すことで、

その目的を達成するのだという
「覚悟」を自分で再確認できます。

そうすれば、次の小さな
一歩のことも意識できます。

ステップ6)
過去にとらわれず、
行動を起こす


すべての失敗や挫折、問題は、
自分の頭の中だけに存在します。

過ぎたことをくよくよ考えるのではなく、
次の一歩について考えるようにしましょう。

それを体験したときのことを考え、
その瞬間だけを意識するようにしたら、
小さな行動を起こすのは難しくありません。

起こってしまったことは忘れ、
目的意識をもちつつ、
今できることをやりましょう。

ステップ7)

好奇心をもって学ぶ

「自分を律することができない」とか
「自分はこれがうまくできない」など、

習慣のように考えてしまったり、
自分をこういう人間だと
思い込んだりしていることは
よくあります。

自分に対する先入観は捨てて、
先がどうなるかわからなくても、
心を開いて行動してみましょう。

そうやって、
新しい行動を起こすことから、
新しい自分をつくることができます。

まだ、新しい習慣を身につける
学習プロセスの途中ですが、

自分のことを、今までより
知ることができたと思います。

好奇心をもって、心を開き、
知らないことがあれば
学んでいきましょう。

そこでどんなことが起こるのか、
その目で確かめてください。

-------------------

上記のステップを実践したら、
すぐに新しい習慣が身につくとは思いません。

しかし、心がけておくだけでも
とても良い効果があります。

習慣を完璧にこなせないのと同じように、
私も、ここで紹介したステップを
完璧にできるわけではありません。

しかし、自分のことを知る
プロセスというのは、失敗したり、
もう一度やってみたり、

そこから何かがわかったりの
繰り返しです。

試行錯誤することこそが、
真のプロセスだと思います。


▲ http://mag.executive.itmedia.co.jp

以前ある人の言葉にカッとして、
こう言ってしまったことがあります。

「うっせえ。ふざけんな!バカ!」

…気がついたのは言葉にしてしまった後、
一瞬で後悔の念が沸き起こります。

「あ~、なぜあんなことを
言ってしまったのだろう…」

毎日、さまざまな出来事が起こります。
楽しいこともありますが、
夫婦や家族、周りとの人間関係、

何気ないミスによる凹み、怒りや不安、
悲しみといった嫌な感情の動きもあります。

ネガティブな感情が沸き起こるのは、
あまり気持ちのいいものではありません。

ネガティブな出来事に出会ったとき、
「もっと前向きな思考ができたらいいなあ」

「ネガティブな感情をもっと
うまく※マネジメントできたらいいなあ」と
思ったことがあなたにもあるでしょう。
※マネジメント(制御・コントロール)

こういうとき

「プラス思考をしましょう」
「ポジティブに考えましょう」という
提言をネットや雑誌でよく見かけますが、

「そんなことは分かっている!」
「それが簡単にできないから
困っているんじゃないか!」という
意見が大半かと思います。

以前の私もそうでした。

でもね、実は私
ちょっとしたトレーニングで
だいぶ感情のマネジメントが
できるようになってきました。

そして、思考習慣も……。

今日は、思考を前向きに変え、
感情をマネジメントする
効果抜群の方法をお知らせしましょう。

感情はマネジメントが
できるのか?


「感情をマネジメントする」という言葉から
イメージするのは、

「いかに感情を出さないようにするか」
ではないでしょうか。

ネガティブな感情を抱くのは
あまり気持ちがいいものではありませんから、

「出ないようにしたい」と考えるのは
不思議なことではありません。

けれども、それはどうやら
叶わないようです。

心理学者のダニエル・ゴールマンは、
著書「EQこころの知能指数」の中で、
次のように言っています。

>脳の構造からいって、
>情報が生起するタイミングや内容を
>コントロールするのはほとんど不可能だ!

これは、私たちも体験的に分かります。

怒りや不安、悲しみなどの感情は、
意識でどうにかできる代物ではありませんから。

これに対し著者は、「ただし、情報の持続時間は
コントロールできる」として、
怒りを鎮める方法を2つ紹介しています。

>怒りの発端となった理由を
もう一度問い直してみる

>さらなる怒りを喚起する
>要因のない環境に身を移して、
>急増したアドレナリンの
>ほとぼりがさめるまで待つ

これも、私たちは日常的にやっています。
確かに、これで怒りや不安、悲しみは
多少楽にはなります。

けれども、これでもなかなか
感情が静まらないことを、
私たちは体験的に知っています。

「ありがたいな~」を
語尾につける


著書「心に響く話し方」の宮北結僖さんという
素敵な女性がいます。

宮北さんは俳優の経験があり、
それを生かしてビジネスマンが抱えがちな
プレゼンテーションの悩みなどに対し、

「どうしたら人に伝わるように話せるのか」を
セミナーや企業研修でレクチャーされています。

宮北さんによれば、
相手に話が伝わるポイントは
「どのように伝えるか」という
マニュアル的なテクニックにあるのではなく、

「心がラクになれば話すことがラクになる」ように、
メンタル面を解決することで
自分らしく話せるようになることにあるそうです。

つまり、
日常の考え方や感情の持ち方が
そのままプレゼンテーションにも
影響するらしいのです。

そこで先日、
「どんな風にしたら、日常でも前向きに
考えることができるようになるんですか?」

「何か、いいワークがあるのですか?」と
問いかけてみたところ、

とても良い方法があると
教えてくださいました。

その方法とは、発する言葉の語尾に
「ありがたいな~」という言葉を
付けることです。

宮北さんのお話を聞いて、
私はこう思いました。

今日ご紹介するのは、第3の方法です。

>出た!
>あの「感謝しなさい」とか
>「ありがとうと思いなさい」ってやつだ。

>言葉にも魂があって、
>それを「言霊」と言ったりします。

>使う言葉が自分に
>全部降りかかってくるってやつだ。

>そりゃあ、感謝することや
>ありがとうと思うことは大事だけど、

>怒り100%の時に
>「感謝」だの「ありがとう」だのとは
>実際には思えないんだよな~

そんな気持ちを察したのか、
宮北さんは優しくこう続けたのです。

「嫌」のままでいい

『ありがたいな~』を語尾につけるときは、
ムカついていたらムカついたままでいいんです。

>え?感謝しなくていいの?
>ありがとうと思わなくていいの?

宮北さんは「言葉と感情は連動している」
と言います。

女優さんが表現力をトレーニングする
ひとつの方法に、

そのシーンとはまったく関係のない
音楽を流しながら演じる方法があるそうです。

例えば殺人事件を扱うドラマで
思い浮かぶのは、火曜サスペンス劇場の
テーマソング「♪ジャ! ジャ! ジャーン!♪」
のような音楽です。

しかし、料理番組の冒頭に流れる
「♪チャンチャラララララチャンチャンチャン♪」
のような音楽を流しながら

殺人事件のせりふを言うと、
同じせりふなのに気持ちが軽くなる
というのです。

確かに、頭の中で想像しただけでも、
その意味が理解できます。

これは、音楽だけではなく
言葉も同様なのです。

そこで、私たちが日常に抱く怒りや不安、
悲しみが生じたときに、

そこに起こっている感情と違う言葉である
「ありがたいな~」を語尾に付けると、
気分が少し軽くなってくる感じがするのです。

混雑した電車の中で
足を踏まれたシーンをイメージしてみましょう。

普通なら
「くっそ~、足を踏みやがって、
痛ぇ~じゃないか!」となりますが、

最後に「ありがたいな~」を付けると、
「くっそ~、足を踏みやがって、
痛ぇ~じゃないか!ありがてぇな~」
となります。

そうすると、「怒り」と「ありがたいな~」の間には
感情と言葉のギャップがあるので、

「怒り」の部分にある言葉を
「ありがたいな~」に合うように、
前の言葉を修正するような動きが起きるのです。

例えば

「くっそ~、足を踏みやがったおかげで
眠気がさめたじゃないか!ありがてぇな~」
というように。

そうすると、
ちょっと気持ちが軽くなる感じがするのです。

これを一週間ぐらい続けてみたら、
「な~んだ、嫌なことは嫌だと思っていいんだ」
「おっ、少し前向きに考えられるようになってきたぞ」と
感じるようになります。不思議なことに。

宮北さんによると

「ありがたいな~」以外でも、
肯定的な言葉なら「うれしいな~」でも
「たのしいな~」でも、なんでもいいそうです。

物事の枠組みをはずす

心理学用語に「リフレーミング」という
思考技術があります。

これは「Re-Frame」からきている言葉で、
「枠組みをはずす」
「物事を他の角度から眺めてみる」
という意味があります。

雨の日に「嫌な天気だなぁ」と思う人もいれば、
「雨が降ってありがたいなあ」と思う人もいるように、

雨そのものには意味がなく、
それに「いい」「悪い」と
意味を付けているのは私たちです。

けれども、理屈は頭の中では理解できていても、
いざ雨が降ったら「嫌な天気だなあ」と思うものです。

そこを無理に
「ポジティブな視点で考えてみよう」と思っても、
なかなかできないものです。

この「ありがたいな~」は、
「語尾に『ありがたいな~』を付けるためには、
前の文脈をどう変えればいいのだろう?」と、

比較的容易にポジティブな意味を付け、
物事の枠組みをはずすことに役立ちます。

「あ~、嫌な天気だなぁ」
「でも、今年の夏は雨が降らなくて本当に暑かった」
「そう思うと雨もありがたいな~」というように。

これが口グセになると、
思考や感情を変える強力な味方になってくれます。

そういえば、思い出しました。

お笑い芸人のスギちゃんは
何かと語尾に「ワイルドだろ~」という
言葉を付けますが、

「ありがたいな~」と
似たような効果がありますね。

先ほどの

「くっそ~、足を踏みやがって、
痛ぇ~じゃないか!」のあとに

「ワイルドだろ~」とつけると
「くっそ~、足を踏みやがって、
痛ぇ~じゃないか!ワイルドだろ~」
になりますが、これだと
なんとなく文脈が合いません。

そこで、

「くっそ~、足を踏みやがって、
痛ぇ~じゃないか!」
「本当なら怒鳴ってやりたいところを、
グッとこらえてやったぜ~、ワイルドだろ~」
にすると、なんだか本当にワイルドになれた
感じに変わってきます。

こんなイメージです。

感情は勝手に沸き起こってしまうものです。
しかし感情のマネジメントができれば、

感情に流されてずっと嫌な思いを
しているしかないことは少なくなります。

「ありがたいな~」という口グセは、
思った以上に効果があります。

あなたもやってみてください。


▲ https://happylifestyle.com/2156

私は今74歳ですが、
まさに今この瞬間である「今」と

それまでに培ってきた74年間という
「過去」があります。

私の脳の中には、
この過去の74年間が
無意識の間に蓄積されて、

最終的な決断をする裁判官に
なっているわけです。

私の場合、過去の何十年間を、
今すぐすべてを思い出すことはできません。

しかし、忘れているわけではないのです。
ただ「思い出せないだけ」です。

旧友と昔話をすれば
「そうそう。そういえばそんなこともあったな」と
昔を思い出すことができます。

今すぐ思い出せないのは
「思い出すきっかけ」がないからです。

友人と昔話に花を咲かせれば
「懐かしいね。そんなこともあったね」と
次から次へと昔のことを思い出すことができます。

それは友人との昔話が、
過去の記憶を思い出させる
「きっかけ」になっているからです。

人間には忘れるということはなく、
ただ「思い出せなくなる」だけのことなのです。

年を取って物覚えが悪くなる
という話はよく耳にします。

そういえば私の母も、
最近極端に物覚えが悪くなりました。

しかし、忘れているわけではなく、
ただ「思い出す力が弱くなった」だけのことです。

母に「あのとき、こう言ったでしょ」と
私が言うと「そうそう。思い出した」と言います。

「なんだ。忘れてるんじゃなくて
思い出せないだけなんだ」

決して母は忘れているのではなく、
単純に昔より思い出す力が弱くなっただけです。

こうした現象を世間一般では
「記憶力が悪くなる」と表現しています。

しかし、実は、記憶力が悪くなったのではなく、
思い出す力が弱くなっただけのことなのです。

潜在意識までもぐっていけば、
過去のほとんどの出来事が
ほぼすべて蓄積されていると言われています。

あなたも昔のことは、
すべては覚えていないと
思っているのではないですか。

しかし、友人と昔話をすれば、
昔のことをふと思い出すことができますよね。

それはあなたが忘れているわけでなく、
ただ今は思い出せないだけです。

「思い出すきっかけ」がないから、
今は思い出せないだけです。

しかし、実際は覚えています。

それは潜在意識の中にため込まれていて、
生活のいろいろな場面で、ふと顔を出します。

それが「なんとなく」という感覚であり、
直感なのです。

あなたが生活の中で
「なんとなくこっちのほうがいいな」
という感覚は、

今までの過去が見えない力で
教えてくれているわけです。

私でしたら過去の74年間が
無意識ではありますが、
見えない力で教えてくれます。

服を選ぶ行為1つにしても、
自分に合うと思う服は、
直感的にぴんときます。

今までどういう服が似合ってきたか、
楽しい気分でいられたかを
過去から検索して「なんとなく」
という感情で教えてくれるのです。

私は日ごろから「なんとなく」を
大切にして生きています。

大きな根拠があるわけではありませんが
「なんとなく」という気持ちが
発生するからにはそれなりの理由が
あるはずです。

そのときは、その理由は分かりません。
それもそのはずで、私は昔の記憶の
きっかけがないために、
今すぐは思い出すことができないからです。

しかし、潜在意識の中に
しっかり記憶が蓄積されているため

「なんとなく」という脳からの合図で
知ることができるのです。

「なんとなく」という気持ちには、
過去の経験と記憶が大きく関係しています。

「なんとなく」という言葉の響きは
とても曖昧ではありますが、
正確だったりするのです。

 

私の職場の後輩F君(56歳)は、
仕事面では頼りになるベテランですが、

気分の浮沈みが激しくて、
楽しい出来事に反応して
気分が明るくなるのなら良いのですが、

気分が落ち込むことの方が多く、
突然ショボンとしていたり
自己嫌悪の愚痴を言い出したりします。

「おいF君、ここ変じゃない?」と
仕事上の確認をしただけなのに、

ひどく落ち込んでしまったり、
プンプン怒りだす場合もたまにあります。
典型的な「プチうつ」の症状です。

こんど飲みに誘って
ゆっくり話を聞いてみたいと
思っています。

本日のブログテーマは
プチうつの話ではなく、
「お気楽に生きる」です。

「お気楽に生きる」とは
楽しいことをするという
狭い範囲ではなく

自分の「今」を愉しむための
考え方やコツについてです。

本日はその第1ページです。


▲ http://karapaia.livedoor.biz

「人生は複雑じゃない」
「私たちの方が複雑なのだ」

「人生はシンプルで、
シンプルなことが正しいことなんだ」

これはオスカー・ワイルドの言葉である。

若いときの方が、人生はもっと
簡単だと思えることはないだろうか?

でも本当は、人生はいつだって
簡単なのだし、いつでも簡単になれるのに、

それがどこかで違ってしまうのは、
年をとるにつれ、自ら物事を
複雑にしてしまっているからだ。

若いころは、
世の中に希望をもって見ていた。

自分の欲しいものがはっきりしていて、
それほど偏見もなかった。

笑顔の人を好きになり、
しかめっ面の人は避け、

腹が減れば食べ、
喉が渇けば飲み、
疲れたら眠る。
いたって簡単だ。

私たちは年をとるにつれ、
次第に外界のネガティブな影響に
迷わされていき、

あるとき自分の本能にためらいを感じ、
疑問を持ち始める。

そして、新たな障害や苦しみが生じると、
すぐにつまずいて失敗してしまう。

こういうことが何度か起こると、
最終的には、失敗の問題を解決せずに、
すべてを避けようとする。

その結果、何かに依存し、
つらいことを感じないようにして

空虚な気持ちを埋めようとしたり、
わざと夜遅くまで残業して、

家庭内の問題を
未解決のまま放っておいたり、

悪意を抱いて心理戦を仕掛け、
他人や自分をだまして
出世しようとしたりする。

それがうまくいかないと、
身分不相応な暮らしをするようになり、

嘘に嘘を塗り重ね、
気分をハイにするためだけに
暴飲暴食して現実逃避する。

そうこうしているうちに、
ますます人生が辛くなり、

本当の自分や
自分にとって本当に必要なものと
離れていくことになる。

少しでも思い当たるふしがある人の為に、
海外サイトにて、

自分の人生を必要以上に
難しくしている例と、

物事をもっと簡単にするための
解決法が特集されていたので
見ていくことにしよう。



他人の答えを当てにする。

人生の大半、特に始まりで、
わたしたちはなにをするべきか、

どう考えるか、
よく見られるためにどうするか、

成功とはということを吹き込まれる。
そんなことは、これ以上
受け入れる必要はない。

自分で考え、
自分の声に耳を傾け、

型を破ること。

他人があなたに望むことに
従うのをやめ、

自分の直観に素直になれば、
探しているものは必ず見つかる。

自分の人生を
正直に生きることに
罪の意識を感じている


誰かを傷つけない限り、
自分のやり方で自分の人生を
生きればいい。

誰かのために生きようと、
他人の期待に応えようとしたり、
感心してもらおうとしたりすることもあるが、

ちょっとだけ立ち止まって考えて欲しい。
自分は本当にそれを
信じてやっているのだろうかと。

自分の本当の目的を思い出して欲しい。
自分のために生きて、行動して、
愛すれば、幸せになれる。

他人との関係は一瞬かもしれないが、
あなたは残りの人生を
最後まで自分と共に生きていくのだから。

毒をもつ人に
自分を牛耳らせてしまう


害を及ぼす人を自分の人生から
排除することをためらってはいけない。

親戚でも、恋愛の対象でも、
同僚でも、子供時代の友人でも、
知り合ったばかりの人でも関係ない。

あなたに苦しみを与え、
卑屈な思いを抱かせる人に
つけ入るすきを与えてはいけない。

思い当たるふしがあるなら、
そんな状況を変えるよう
努力をすること。

あなたの感情を考えずに、
境界線を無視して入り込んできて、
害を与えるような相手は

誰であろうと
排除しなくてはならない。

自分がドラマの
一部になっている


ドラマやゴシップ、誹謗中傷の世界から
抜け出すこと出来れば、どんなに人生が違うだろう。

今日という日を
相手の良い面を探す日にしよう。

あなたを支えてくれない人のことなど
無視していい。とても簡単なことだ。

負の要素やそれを生み出す人から
距離をおけば、思いがけないことが起こる。

ドラマにとらわれてはいけない。
自分の足で歩み続けるのだ。

ネガティブな意識を
他人の行動のせいにする


別の車に割り込みされた。
友人がメールを返信してこない。
ランチに誘われない。

誰にでも日々ムカつく理由は
いろいろある。

でもどうしてそんなに怒っているのか? 

ネガティブな意識を
他人のなんの気なしの行動のせいにして
いないだろうか? 

些細なことを、平手打ちされたように、
自分への侮辱ととっていないだろうか。

そんな風に考えてはいけない。
自分の不愉快な気分を
人のせいにしてはいけない。

今日という日を、
会った相手のいいところを
探す日にしようではないか。

あらゆる人と
張り合おうとする


すべての人と競争しようとしたら大変だ。

そうではなく、
かつての自分と張り合ってみよう。
もっと向上できる。簡単なことだ。

あまりに
受け身になりすぎる


ボランティアなど、他人のために
なにかをするのに熱中するのは、
ストレスや喪失感と折り合うひとつの方法だ。

そんなに大きなことをする必要はない。
自分の生活の中でできる範囲のことで十分だ。

世の中には、与える人と受ける人の
2種類のタイプがあるが、
実は与える人のほうが幸せなのだ。

受けるだけの人は、それが自分にとって
なんの意味があるのか疑問に思い始め、
却って惨めな気持ちになるものだ。

手抜きしてばかりで、
安易な道に進みすぎる


楽なことではなく、正しいことをしよう。
ほかの誰も知られなくても、
正しいことをしよう。

本当は自分でもわかっているはずだ。
どうすることが自分にとって
正しくて何が間違っているかを。

現在以外の時点を
気にしすぎる


昨日のことはもう変えられないが、
明日のことに心を砕いて、
今日を変えることはできる。

現在に腰を据えれば、
明日のあるべき姿勢がはっきりと
見えてくる。

昨日がそうであったように。

自分の過ちに
こだわりすぎる


犯した過ちを大目にみることは
時には大切なことだ。

失敗から学び、前へ進んで
いかなくてならないから。

今日の自分と結託して、
昨日の自分に縛られないようにしよう。

成功した幸せな人生とは結局、
まったく問題のない人生ではなく、

問題を乗り越えて
立ち上がることのできる人生なのだ。

人生で白か黒かを
決めつけすぎる


完璧な成功もない代わりに、
完全な失敗もない。

だから、物事に全部かゼロか、
成功か失敗かといった
両極端なレッテルを
貼るのはむだなことだ。

そこにあるのは、
無限の可能性と
チャンスでいっぱいの
不完全な瞬間の連続。

両極端の間のグレイゾーンを評価し、
成功や失敗にあまり固執しないことだ。

人生はいつも
ハッピーであるべきと
思いたがる

世間とは、苦しみや悲観や敗北を
必ず経験する難しい場所。

こうした経験は、確かにあなたの幸せを
大きく崩してしまう。

でも、希望を失うことはない。

中国の哲学、
陰と陽について考えてみよう。

これは互いに
つながっている相反する力のこと。

苦しんでいるとき、
みなぎる力を感じ、

打ちひしがれているとき、
跳ね返す力を感じ、

敗北したとき、
人生への新たな感謝を感じる。

人生には常に光と影があるもの。
このふたつは互いに依存し、
互いに結びついている。

どちらか一方だけを
完全に排除することはできないのだ。

最悪のケースの
シナリオばかり考える


必要もないのに、
起こりそうもないことを
あれこれ悩むことはある。

喉が痛いだけなのに、
命が危険だと思ったり、

運転免許証をなくしたら、
悪者に盗まれたと思い込んだりする。

しかし、悲観的な考えは、
さらに不愉快な感情を生むだけ。

幸せを求める心の葛藤ではあるが、
それはあなたを岸から遠ざけ、
水底に引きずり込む。

つまりは、世の中を
疑いと絶望のレンズを通して見るか、
希望と興奮のレンズを通して見るか
どちらを選ぶかはあなた次第
だ。

いずれにしても、いつかは
同じ目的地に到着する。

問題は眉をひそめて到着したいか、
笑顔で到着したいかの違いだ。

喪失感に苛まれる

幸せになるために、
懸命に取り組まなくてはいけないこともある。

人生のハードルをクリアするには、
前向きな心構えでいるだけでは
難しいこともある。

誰かを許さなくてはならないのか?
壊れた関係を忘れる必要はあるだろうか?

愛する人の死と折り合いを
つけなくてはいけないのだろうか?

人生はたくさんの喪失であふれている。

でもある意味、真の幸せは
喪失なしではありえない。

失うものがあるからこそ、
良かった頃に感謝することができ、
成長できる。

光を見つけようとあがいているなら、
あなたはひとりではない。

理解してくれる人を見つけて、
話しかけてみよう。

支えを求めて手を伸ばしてみよう。
喪失感に苛まれてはいけない。

真実に
向き合うのを避ける


いくら無視しようとしても、
真実は変わらない。

真実を避けていては、
平和は訪れない。

非情な真実を癒すために、
あえて真実を感じとること。

恐怖や弱さを真ん中にもってきて、
スポットライト当てて
しっかり目に焼きつける。

克服するにはこの方法しかない。

真実に向き合う痛みは、
長い目で見れば必ず価値があることだから。

決断を先延ばしにする

悪い決断は、
なにも決断しないよりまし。

優柔不断な態度は、
悪い決断から良い決断が
生まれることを学ぶのが遅れるだけ。

最後はたいてい、
決心するのを先延ばしにして、

チャンスをつかみ損ねたことを
後悔することになる。

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最後に

自分でわざわざ人生を
難しくしてしまってはいないだろうか? 

物事を簡単にするために、
さて今日はなにをしただろうか?


▲ http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp

誰しも多かれ少なかれ、
傷付いたり悲しくなったり、
悩んだり考え込んだり、

そんな苦境を味わった事は
あるでしょう。

けれど、災難ばかりを経験して、
良い事はひとつも起きない人などいません。

おそらく、災難つまりつらく苦しい事は、
今生きている全ての人間に、
同じ割合で与えられているのだと思います。

それでは、何故
苦しみを乗り越えて進んでいける人、
苦しみに囚われて身動きが取れなくなる人、
といった「違い」が生じるのでしょうか。

それは、その「災難」をどう捉えるか、
その「重み」なのだと思います。

「私は毎日がつらくて苦しくて仕方がない」

そう思っている限りは、
「幸運」に気付けずに通り過ぎ、
「幸福」にも気づく事が出来ません。

夕日の美しさ、
道端に咲く可愛い花、
夜風の気持ち良さ、
食事を「美味しい」と思って食べる事、
大切な存在が居る事・・・etc.

これらは、多くの人が「当たり前」と認識し、
その有難みに気付けずに、

忙しい心を胸に、
日々を生きているのかもしれません。

ところが、もしこれら「当たり前」の物事が、
全く無くなるとしたら、どうでしょう。

明日からは日が昇る事も、
沈む事も永遠に無くなり、

大切な存在が
目の前から消え失せるとしたら、

私達は暗闇の中で、
独り日々を生きていかなくてはなりません。
それこそが「不幸」なのだと思います。

そして、その時になって初めて、
「恵まれていた自分」に気付かされる
のではないでしょうか。

少しでも、
「後ろ向きな生き方を止めて前向きに生きたい」
「今の自分を良い方向へと変えたい」

あなたがそう思うならば、以下に述べていく
「心を軽くする」
「楽な気持ちで生きる」ための方法を、
ぜひ実践してみて欲しいと思います。

短所から長所を見出す

「長所」と「短所」は、
いつの時も背中合わせです。

つまり、「自分には短所しかない」と
思い込んでいる人は、
物事の裏面しか見ていないという事です。

裏を返すと、
「長所」を発見することが
出来るのかもしれないのに、

裏返しすら諦めているのです。
それこそ「宝の持ち腐れ」と言えるでしょう。

例えば、

「何年レッスンを受けても、バレエが上達しない」
「周りにもからかわれる。つらい。もう止めたい」
「私なんか、きっと何をやってもダメなんだ」

そう自信を失くし、
自分を責めている人がいるとします。

けれど、それは裏を返せば
「辛抱強く、忍耐力と継続力がある」という
長所があるという事です。

また、「短気な自分が嫌い」と
嘆く人がいるとします。

けれども、それも裏を返せば
「決断するのが早い」という
立派な長所になります。

何故この人達は、
この素晴らしい長所に
気付けないのでしょうか。

それは、この人は「成果を出す事」に固執し、
周りと自分を比べては自信を失くし、

プレッシャーから
「焦り」が生み出されている
からなのかもしれません。

この様な時には、
一度心を落ち着かせ、

自分のしている事を
別の視点から眺めてみると良いでしょう。

自分を客観視する事は難しい事ですが、
自分の行いの結果を客観視する事は、
さほど難しくはありません。

それは、自分自身
=自分の心と身体ではないからです。

自分は鏡に映して見ることしか出来ません。
哲学的に言うと、それが真の姿かどうかは
分からないのです。

鏡に映る自分と、
自分以外の人の目に映る自分が
同じかは誰にも分からないからです。

けれど、行った結果は
目で見れなくても、実態として
理解する事は出来るでしょう。

長所を伸ばす

「短所を治したい」
「苦手な事を克服したい」
という言葉をよく耳にしますが、

それを成し遂げるには、
想像以上の多大な努力が必要とされます。

人間の得意・不得意、性格・人格は、
児童期の頃にほぼ出来上がります。

それを変える=短所を治す・苦手分野を克服する
という事は、今までの自分から変身する
という事であり、はっきり言って一苦労です。

けれども、

持って生まれたものを
もっと「いいもの」に変えるのは簡単です。

なぜなら、それは既に身に付けているものを、
ほんの少し磨いてあげればいいだけだからです。

特に、「特技」なのであれば事は早いです。
元々得意なのですから、磨く事に取り組むのに、
おそらくはほぼ苦痛を要しませんし、
成果も早く表れ易いと思います。

ダイヤモンドは、原石のままでは輝きません。
しっかりと磨き上げることで、
素晴らしく光り輝くのです。

また、ダイヤモンドを「石ころ」と
思い込んで磨かなければ、本当に「石ころ」同然です。

それと同じで、

自分自身を否定し、過小評価をし続けていると、
せっかくの「原石」を磨く事も出来ない、

もしくは、
その存在にすら気付く事が出来ません。

人間は皆、必ず
「原石」を持って産まれてきます。

「私なんかこんなにブスだし・・
きっと、恋愛も結婚も出来ないんだろうな」

「俺なんか、勉強もスポーツも
大して出来ないから、ダメ人間なんだ」

そう思い込む事は、
ダイヤモンドを「石ころ」と
思い込んでいる事と同じ事です。

誰しも短所を持っています。
自分の短所ばかり眺め、自分で自分を
否定し続けていると、

おそらくほとんどの人が
自分自身をまるで「石ころ」のように思い、
落ち込むことでしょう。

『暗示効果』

つまり、
「自己暗示」=自分で思い込んでいる事が、
事実とは関係なく真実であると
思い込む事が働くからです。

「お前なんかいらない」と
言われ続けて育った子供が、

自分が存在する事に
罪悪感を抱いてしまう事も
暗示効果による結果です。

マイナスに考える事が癖になっていると、
特にその様な状況に陥りやすく、

「私なんか」という言葉ばかりが心の中を制覇し、
「私だって」と立ち上がる事が出来ずに、
どんどん落ち込んでいきます。

その様な考え方を変えるのは
容易い事ではないでしょう。

けれど、はっきりしているのは、
他人には変えられないという事です。

あなた自身が、自分の力で
意識しなければ変わりません。

あなたの心は
あなたにしか分かりません。

その心を持つ事が出来るのも、
あなた自身に他なりません。

嫌な所が見えてきたからと、
すぐに落胆するのは止めましょう。

短所を見つけたのなら、悩まずに、
今度は自分の長所を探してみるのも、

マイナス思考のスパイラルに
ハマるのを防ぐのに効果的です。

もし、短所が10個見つかったのなら、
長所を20個、30個、40個・・・
思い付く限りあげてみましょう。

さらに、自分の長所を紙に書き出し、
自信が無くなる度にその紙を読んでみると、

意外な程に、
「なんだ、こんなにイイトコあるじゃん」
「大丈夫!何とかなるよ!」と

楽観的に物事を眺める事が
出来るようになって行くのです。

先の事を考えるのを
止める!


「明日は明日の風が吹く」という言葉の通り、
明日何が起きるのかなど、考えた所で
分かるはずがありません。

明日は、「今日」の段階では
まだ訪れていないからです。

また、それは明後日、
来週、来月、来年に関しても同様です。
このような話を、本で読んだ事があります。

100%起こり得る事は別ですが、
「もし、ああなったら・・・」
「もし、こんな事になってしまったら・・・」と、

起こるかも分からない事まで
心配していたら、脳も神経も疲れ果てます。

その様な場合、考えるのを止めるのがベストなのですが、
日々この様な悩みばかりを考えている人は、
もはや「被害妄想の達人」なのです。

実際、過労死で亡くなる人は、
仕事そのものよりも、

仕事に対する不安などの
精神的な疲労が原因で
死に至る割合が多いそうです。

これでは、
「見えない敵に怯えている」のと同じ事です。

どうすれば不安や恐怖心に駆られずに
日々を生きれるのか、私自身が実践し、
効果があった事を述べようと思います。

まず、「不安に思う事」を
紙に書き出してみるのです。

そして、それを眺めてみます。
その時、貴方はどう思うでしょうか。

「何だ、こんなことか」と思えたなら、
あなたは心が健康である証拠です。

けれども、もし

「やっぱり不安だな。怖いなぁ」と思ったなら、
自分自身と、こう約束してみて下さい。

「今日は考えずに過ごして寝て、
明日もう1度見てみよう」

もし、次の日になっても
不安で仕方ないのでしたら、
来週、再来週・・・と延ばしていきます。

すると、いつの間にか忘れていたり、
不安だった事が現実に起きたとしても、

「あの時から不安に思う必要はなかったな」
などと思うのです。

心配事は
一晩寝かせる


最初のこの意識は、
難しい事かも知れませんが、
非常に大切な意識です。

なぜなら、
人は何かを心配に思っている時には、
周囲の恵み、チャンス、幸福までをも
見過ごしてしまうからです。

失望感のどん底に落ちたときには、
人は人生を諦めたくなったりもします。

それでも、
踏ん張って生き抜いた後になれば、
大きな失敗や挫折が笑い話に
変わったりもするものです。

「何事も早まってはいけない」
「先の事を心配した所で、答えなどない」
これらの意識は薬よりもよく効きます。

1秒先ですら、何が起きるかは
「今」の段階では、誰にも分かりません。

要するに、先の事を心配する、
つまりマイナスな面を想像した所で、

現在を生きているあなたが、
未来の貴方を助けることは不可能であり、

未来があなたの想像通りなる事など
有り得ないのです。

最近では、占いが流行しているらしいですが、
未来が分かってしまったとしたら、

あなたの手の中から、
『希望』という2文字は消え失せます。

誰しも、「今」より後には
何が起きるか分からないからこそ
『希望』があるのです。

あなたの生きる道は、
貴方自身が切り開くもの。

他人に出来るはずも無く、
予測が付いてしまうのなら、
「生きる意味」などありません。

ただ、一つだけジンクスがあります。
実際やるかどうかは自分次第ですが、

どんな状況であれ、
「きっと、最高の笑顔を手にしてやる!」
と胸に誓う事です。

願い続ければ、きっと得られるでしょう。
そう信じ、日々を生きる事が出来たなら、
マイナスな考えばかりを考える時間は減るだろうし、

最高とまではいかなくても、
自然と笑える日が訪れると思います。

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