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2017
07.26

『尊厳死』わが人生の幕引きについて考える

Category: 老後の設計


親の期待叶わず、私が一浪して三流大学を卒業して社会に出たのは23歳の春でした。

その最初の職場で、私に手取り足取り仕事を教えてくれた部門長のTさんは当時40歳でした。

そのTさんが「いよいよヤバいらしいよ」と当時の同僚から連絡が入り、びっくりしてお見舞いに行きました。

病室で目にした恩師Tさんの変わり果てたお姿。

90歳以上でもお元気にお過ごしの方もおられるというのに、今年79歳になるTさんは、ベット上でチューブだらけでした。

奥様にご様子をお聞きしたところ、もうこんな昏睡状態がひと月ちかくも続いているとのこと。

Tさんの若き日の姿が思い出され、すごくやり切れない思いがこみ上げました。

「人はこんな状態になっても生き延びなければならないものなのか?」

「延命治療ってなんだろう?」

「これで生きていると言えるのだろうか?」

いくつものギモンが頭をよぎりました。

2015年における日本の平均寿命は「男性が80.75歳」「女性が86.99歳」

ごく単純に考えれば、今年62歳の私はあと19年以内には死ぬ確率が高いといえます。

とはいえ、自分の死に際の姿が、あんなチューブだらけの姿ではやり切れないです。

お世話になったTさんには、一日も長く生きて頂きたいと願いつつも、自分の人生の最期については、「あんな姿は、妻や子供達には見せたくない」というのが率直な思いです。

最近「尊厳死」っていう言葉をよく目にします。

本日のブログでは、特にシニア世代の方に「将来やってくる自分の死に際」について考えて頂くきっかけになれば良いと思い、「尊厳死」をテーマとしました。

欲張っていろんな記事を集めて転載しています。

いっきに読み終わるのは大変だと思いますので、気が向いた時に、ボチボチ読み進めてください。

各記事のタイトル画像に本サイトのURLを貼っていますので、興味のある方は是非、クリックして本サイトにある関連記事もお読み下さい。


▲ヨミドクター

【現状と課題】“延命至上主義”が高齢者の最期を苦しめる


私たちは、高齢者は過剰な医療や延命措置を受けることなく、穏やかに人生を終えてほしいと願っています。

そう考えるようになったきっかけは、2007年にスウェーデンで認知症の専門病院や施設を見学し、案内してくれたアニカ・タークマン老年科医師から、「スウェーデンでも20年前は、高齢者が終末期に食べなくなると、点滴や経管栄養を行っていました。

でも、今では、食べるだけ飲めるだけで安らかに看取みとります」と言われたことです。

私たちは終末期の高齢者に点滴や経管栄養を行うのは当たり前と思っていたので、日本の医療との違いに驚きました。

点滴や経管栄養などで延命しないので、日本のように何年も寝たきりの高齢者はいません。

無理に食べさせないので、口内の細菌や食べ物が肺に誤って入って起きる「誤嚥ごえん性肺炎」もありません。

私(顕二)は肺の病気を専門としていますが、日本に多い「誤嚥性肺炎」がスウェーデンではほとんどないと聞き、驚きました。

翌年から、欧米豪6か国の高齢者終末期医療の現場を見て回りました。

その結果、日本で行われている終末期の高齢者に対する医療は、世界の非常識であることに気がつきました。

12年には、「高齢者の終末期医療を考える会」を札幌で立ち上げ、医療・介護・福祉関係者向けの講演会と市民公開講座を、それぞれ年1回開催し、どうしたら高齢者は穏やかに人生を終えることができるかを模索しています。

15年には、ヨミドクターでのブログ連載「今こそ考えよう!高齢者の終末期医療」をもとに、『欧米に寝たきり老人はいない!-自分で決める人生最後の医療-』(中央公論新社)を出版しました。

満足して人生を終えるためにはどうしたらよいかを、家族と一緒に考えてほしいからです。

ここで、私たちが経験した我が国の高齢者終末期医療の現状を紹介します。私(礼子)が以前勤務していた病院で目にしたことです。

「病院」という場の中では、胃に穴を開けて体外から栄養剤を直接胃に注入する「胃ろう」という技術が簡単に使えます。

99歳の女性が老衰の果てに食べなくなりました。寝たきりで話すこともできません。超高齢であるにもかかわらず、主治医は家族に胃ろうが必要であると説明し「胃ろう」を造りました。

案の定、栄養剤は吸収されずに下痢となって出てきました。

さらに免疫力が落ちているため、「胃ろう」の傷口は化膿しました。結局、胃ろうを造ってから数週間後に亡くなりました。

2人目は103歳の男性です。

この方の長女が、父親の経管栄養を中止する方法はないかと、私たちに相談の手紙をくれました。

「父親が食事中に肉を喉に詰まらせ、救急病院に運ばれました。一命は取り留めましたが、意識は回復しませんでした。

医師と私たち家族は延命しないことに決めました。しかし、次に送られた病院では、家族に断りなく経管栄養が開始されていました。

私たちは『103歳まで力をふりしぼってしっかり生きた父を、もう楽にしてあげたい』と医師に経管栄養の中止を申し出ました。しかし、経管栄養は続いています。」
とありました。

3人目は86歳の女性です。この方は終末期のアルツハイマー病でした。

さらに、脳出血の後遺症で右側の麻痺まひと失語もありました。

食事は介助が必要で、毎回1時間以上かかりました。食べる量も3分の1に減りました。

唯一の身内である弟は、「もう十分がんばったので、これ以上は見るに忍びない。意思の疎通もできなくなったので、点滴や経管栄養は望まない」と言いました。

認知症病棟での治療が終わり、内科病棟に移ることになったので、私は担当医に「家族は自然な看取りを希望している」旨を申し送りしました。

しかし、その後様子を見に行くと、まず中心静脈栄養が行われ、次に鼻チューブによる経管栄養が行われました。

目には涙を浮かべていました。その後、肺炎を繰り返し、2年7か月後に亡くなりました。認知症病棟で、自分が最後まで診ればよかったと後悔しています。

そうすれば、数か月後に穏やかに亡くなったと思います。人工栄養を行った結果、3年近く延命されました。

どちらが良いのか、判断が分かれるかもしれません。しかし、この方の尊厳を考えると、人工栄養をしたことが良いとは思えません。

このように我が国では、老衰でも、意識がなくても、終末期の認知症でも、中心静脈栄養や経管栄養で延命されます。

それは、“延命至上主義”を是としている人が多いからです。

実際、家族の中には、「どんな状態でも生きているだけでいいので、できることは何でもやってください」と言う人がいます。

一方、医師も「医療とは患者の命を助けること」と教育されているので、1分1秒でも長く生かすことを考え、延命されている患者の尊厳やQOL(生命・生活の質)を考えることは、ほとんどありません。

そもそも、延命を望んでいるのは本人ではありません。

周囲の者が人の命を勝手に延ばす、これは倫理的に許されることではありません。

欧米豪では、延命は人の尊厳を損なうことから、ほとんど行われません。

日本独特の延命至上主義は、一体どこから来るのでしょうか。

「四」という数字を日常生活で避けることからも、日本には「死」を“忌み嫌う文化”があります。

それが延命至上主義につながっているかもしれません。

しかし、死を先送りしていては、人間らしい尊厳ある生涯は送れません。

“延命至上主義の是非”について考えるべきです。

皆さんはどう思いますか?


▲定年時代

「平穏死:安らかな看取りを」特養医師/石飛幸三さんが提唱

平穏死。世田谷区の特別養護老人ホーム(特養)の医師、石飛幸三さん(75)が著書「口から食べられなくなったらどうしますか?『平穏死』のすすめ」で掲げた人生の幕の引き方だ。

血管外科医として先端医療に携わってきたが5年余り前、活動の舞台を特養に移した。

そこで痛感したのは、延命至上主義が天寿を全うしようとする高齢者を苦しめている現実。

短期間で救急搬送を激減させるなどの実績を挙げた石飛さんは、「安らかな看取り(みとり)のお手伝いをするのも医療の役目」と話す。

「平穏に暮らし最期まで。話は単純だね。」石飛さんは「平穏死」を明快に定義する。

平穏死は、昨年2月に出版された著書のタイトルとして考え出された「新しい言葉」。

本人の意思が前提の尊厳死と違い、意思表示できない認知症の高齢者の看取りにも有効だ。

石飛さんは歯切れ良く続ける。「問題は、いずれは訪れる最期に向けて、家族や(医療・介護現場の)私たちが、どうすれば良いかです」

エリート外科医

広島県に生まれた石飛さんは慶應義塾大医学部卒業後、血管外科医として難手術に挑んできた。

1980年代には加藤初、新浦壽夫ら肩を痛めたプロ野球投手の手術を次々成功させ、新聞などで大きく報じられた。

勤めていた都内の大病院では副院長に。「エリート医師として、ちやほやされていた」と苦笑する。

しかし90年代半ば、病院理事の不正疑惑をめぐる調査委員長を務めていた石飛さんは、突然「定年」を理由に解雇を言い渡された。

解雇の不当性を訴えながらも、「屈辱に耐え、自分の生きざまを10年間とことん考えた」。

病院を去り05年12月、世田谷区社会福祉事業団が運営する特養「芦花ホーム」の常勤配置医になった。

「人生の終末における医師の役割を確認したい」という思いは以前からあったが、「あれ(解雇通告)がなかったら、自分は大病院でふんぞり返ったままの一生だったと思う」と。

9割は認知症

芦花ホームの入所者100人の平均年齢は87歳前後で、ほぼ9割は認知症。

着任当初、鼻に通した管や腹部に開けた穴から栄養を送られ、言葉を発することもない入所者を目の当たりにし、「人間、こうまでして生きなければならないのかと…、『理不尽』と言いたい思いさえした」と回想する。

口から食べた物を飲み込む機能が低下している認知症の入所者は、気管に食べ物が入ることによる誤嚥(ごえん)性肺炎を起こしやすい。

頻繁だったホームからの救急搬送。病院に運ばれた人は腹部の穴から胃に栄養を送る胃瘻(いろう)の処置を受け、ホームに戻されるケースが多かった。

胃瘻の後、確かに長生きする人もいる。

ただ、直接胃に入った栄養分が食道に逆流し、再度の誤嚥性肺炎を引き起こす症例もまた多い。

「口から食べられなくなったらどうしますか」。

著書のサブタイトルに取られた言葉は、石飛さんが入所者の家族に尋ねる言葉でもある。

胃ろうを全面否定はしないが、「自然の寿命を無理に延ばすことが、本人を苦しめることもあるとお話ししている」

現在、胃瘻を選ぶ入所者の家族はほとんどいない。

石飛さんは点滴などによる水分・栄養補給の問題点も挙げる。

「常識のようにいわれていた量は、やり過ぎだ。肺や心臓に負担を掛ける」。

着任後、介護士や看護師らホームのスタッフ、家族らと徹底的に話し合い、栄養・水分の量をきめ細かく調整している。激減した肺炎や窒息による救急搬送。

代わって増えたのは、老衰に伴うホームでの穏やかな看取りだった。

平穏死を普遍化

石飛さんは、ホームの職員から「私たちの取り組みを普遍化できないか」との提案を受け本を書いた。

ホームで起きていたこと、成果、課題…。ペンは医療・介護制度の矛盾、平穏死を妨げる“法の壁”も鋭く突く。

出版から1年以上たった今、「バッシングが無いことに、むしろ驚いている」と笑う。

10年余り前、平穏死に近い考えを公にした人は、激しい批判にさらされた。

「とりあえず延命治療をすれば、治療放棄と責められないという事なかれ主義は今なお根強い」と指摘するが、「新たな看取りの文化の芽生えも感じる」。

出版後、全国各地の特養や医師会だけでなく、医療・福祉とは直接関係ない市民団体からの講演依頼も相次ぐ。

看取りの「黒子」

石飛さんは「人生の幕の引き方を、日本人はもっと正面から考えるべき」と言葉に力を込める。

「死をタブー視せず語ることは、自身の生きざまを見つめ直すことにつながる」。

身も心も凍るような孤独感を経て、「私自身、順風満帆の人生では見えなかった“本当のこと”が見えてきた」と話す。

「地味な現場で身を粉にして働く人が看取りの現場を支えている。今は心からそう思える」

着任後、“人生の最終章”を見つめ続け、「幸せは名誉や富だけでは決まらないとあらためて思う」と話す。

「人の幸せは、精いっぱい生きて、心安らかに最期を迎えること」

自らを安らかな看取りのための“黒子”と位置付ける。


▲蓼食う虫の記

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」を読んだ感想



中村仁一という老人ホーム附属診療所所長の著した『大往生したけりゃ医療とかかわるな(「自然死」のすすめ)』という本が46万部を突破するベストセラーなのだそうな。

著者は,知る人ぞ知る,往年の“クイズ王”(TVの「アップダウンクイズ」「クイズグランプリ」の優勝者)でもあります。

刺激的なタイトルに惹かれて,ついつい買って読んでみました。以下,その率直な感想です。

著者の言わんとするところは,「裏表紙」の次の文章にコンパクトに表現されています。

『3人に1人はガンで死ぬといわれているが、医者の手にかからずに死ねる人はごくわずか。』

『中でもガンは治療をしなければ痛まないのに、医者や家族に治療を勧められ、拷問のような苦しみを味わった挙句にやっと息を引きとれる人が大半だ。』

『現役医師である著者の持論は「死ぬのはガンに限る」である。』

『実際に最後まで点滴注射も酸素吸入もいっさいしない数百例の「自然死」を見届けてきた。』

『なぜ、子孫を残す役目を終えたら「ガン死」がお勧めなのか?』

『自分の死に時を自分で決めることを提案した画期的な書。』


確かに,自ら述べておられるように,「大学病院の医者を頂点とする医者の世界の歴然とした序列」の中に敢えて身を置かず,最下層の老人ホームの医者であるからこそ,ここまで大胆に切り込むことができたのでしょう。

『ほとんどの医者は「自然死」を知りません。人間が自然に死んでいく姿を見たことがありません。

だから、死ぬのにも(自分たち)医療の手助けが必要だなどと言い出すのです。』
という真摯な叫びには説得力があります。

また何よりも,仏教(「苦」や「空」の思想)に造詣が深く,仏教と医療を繋ぐ先駆けとなり,「仏教と医療を結ぶ全国連絡協議会」を創生し発展させたという事実には,私利私欲とかけ離れた崇高な使命感が感じられ,好感が持てました。

私の読後感の結論を申しますと、「全体的には良心的で質の高い本」という印象です。

ただ、よくよく注意しなければいけないのは,この著者は「特別養護老人ホーム」の医師であるということ。そして,その世界から観察して得た知見が中心であるということ。

つまり私たち一般人が,その主張に納得がいき,その通りだと共感できるのは,概ね高齢者層(とりわけ老人ホームに入所するようなケース)に限られるのではなかろうかということです。

言い換えると,まだ社会や家庭で果たす役割が残っている働き盛りの青壮年の世代が,この本の内容を鵜呑みにしてこの通りに実行したらいったいどんなことになるか,大きな危惧を覚えざるを得ません。

「あの時選択を誤った」と振り返る悲惨な結果になりはしないか,そんな可能性(危険性)を孕んでいるように思えてなりません。

従って,今回は,(この著者の思い・叫びを尊いものとして大いに評価はしているものの),逆に,ここのところは“おかしい”,その通りに実践することは“ちょっと行き過ぎ”じゃないの?と感じた箇所をいくつか(16項目)採り上げてみたいと思います。

※なお,バランスをとる意味で別途「続き」にて,洞察力に富んだ「大いに共感」できる“警句”について採り上げる予定です。

①「死」という自然の営みは,本来,穏やかで安らかだったはずです。がんでさえも,何の手出しもしなければ全く痛まず,穏やかに死んでいきます。

【私】⇒自然に任せても,穏やかで安らかに死ぬことができない人は,少なからず存在します。

誰にも当てはまる話ではないと思います。


②結果がわかれば病状を好転させる術がない場合は検査をすべきではない。

【私】⇒病状が一方的に進むことが確実な場合でも,検査をして「今自分はどういう状態か」を知ることが,心の安定や今後の予定に必要な場合もないとはいえないでしょう。


③医学が本当に発達したというなら,治療法は一つあれば充分のはず。

【私】⇒ちょっと乱暴。いくつも治す良い方法があって,どれにするかは本人が選ぶのが適切というのが妥当なのでは?

④本来,医療は,本人の身体の反応する力を利用するものです。

【私】⇒医療は,本人の身体の反応する力と連携して,良い結果を得ようとするものと考えるべきでは?

自然治癒力が主で医療がその補助というのではなく,もう少し医療に力があると考えて進化しつつある現代医学を信じてもよいのでは?


⑤「自然死」は、いわゆる「餓死」ですが…

【私】⇒「餓死」とは,食物や水分を断った結果として命が終わること。言葉として適切ではない。

病気や加齢による体力低下で食物や水分を受け入れる力が減って行き,最終的には命が尽きることを言い表したいのだと思いますが…。

⑥体力がうんと少なくなった人を風呂に入れることに関して,私なんかですと,「冗談じゃねェ!」って思うんですけれども…。

【私】⇒どんなに体力が少なくなっても,風呂に入って「幸せ」と感じる人はいるのではないでしょうか?

⑦予防接種やリハビリに対する否定的な意見

【私】⇒ちょっと理解できません!

⑧突然死など起こるはずがないと思うのです。現実に起こるのは,(身体の異常の)サインをキャッチする能力を失ったせいか,あるいは無視,軽視した結果だと思うのです。

【私】⇒人の命が終わる原因は様々であり,病気であってもまるで事故に遭うように突然命が終わるということもないとはいえないでしょう。

⑨(臨終間際で)一見苦しそうに見えても,本人は苦痛を感じない状況になっていますから心配はいりません。

【私】⇒そういうケースがあるとしても,必ずしもそうでない時もあるはず。

それを見極めるのは非常に難しいと思いますが,本人がはっきりと「痛い」「苦しい」と意思表示したのなら,辛さを除去する治療をした方がよいのでは?


⑩がんで痛みが出るのは,放射線を浴びせたり,“猛毒”の抗がん剤で中途半端に痛めつけたりするせいではないか。

完全に根絶やしにできるならともかく,残党が存在する以上,身内を殺された恨みで復讐に出てもあたりまえと思っていました。

今はそれが,確信に変わっています。


【私】⇒検査によりがんが早期発見される例は数多くありますが,そんな場合にも痛みを伴うことがあるはず。

抗がん剤を打たなくても,痛みが発生することはごく普通にあると思います。


⑪それでも強烈な痛みに見舞われるようなら,よほど前世で悪いことをしたせいと思って諦めるか?

現世の“人生劇場”において与えられた役柄として受け取り,真面目に,真剣に,一生懸命のたうち回るしかないでしょう。

【私】⇒痛みが出た時に「これは何かの報いだ」と考えるのは,正しい見解だとは思いません。

少なくとも「仏教」はそんなことを教えていない。「緩和ケア」を尽くすべきだと思います。


⑫たとえ数カ月の延命効果はあったとしても,副作用が強烈でしょうから,ヨレヨレの状態になります。

【私】⇒いつかTVで「がん治療の最前線」を視聴したことがあります。

昔は効果がないと言われていた大腸がんの抗がん剤治療は、今では普通の生活をしながら外来でできる標準的な治療で,大幅に寿命を延ばせる時代になったとのことでした。


⑬現実問題として,がんに対する攻撃的治療をやりたい放題やった挙句,刀折れ矢尽きた果てに到達する場所が,ホスピスになっているのではないでしょうか。

【私】⇒私も,いろいろ見聞して「その治療はやり過ぎではないか」と思うことはよくあります。

でもそれは,ご本人や家族の希望で無理な治療を続けているというケースも多々あるのでは?という気もしています。

「攻撃的治療をやりたい放題」というのは言い過ぎでしょう。


⑭生きものは繁殖を終えれば死ぬ。

【私】⇒すべての生き物が繁殖を終えたらすぐ死ぬわけじゃありません。

むしろ,年老いても相応の役割分担ができるというのが人間の人間らしいところではないでしょうか。

⑮健康食品は,使用する以上,「鰯の頭も信心から」といわれるように中途半端や半信半疑はよくありません。徹底的に信じること,これを助言したいと思います。

【私】⇒私の身内に“徹底的”に愛用した者がいたという経験から言うと,そのためにかえって健康を損ねることになることもあるように思えてなりません。

⑯「健診」や「人間ドック」は,全く無駄で無意味かといえばそんなことはありません。なぜなら,健診業界を潤し,病院の経営安定や医者の生活保障の役には立っているわけですから,心の広い方はお続けいただきたいと思います。

【私】⇒本当は意味がないという見解のようですが、「人間ドック」でいろいろ「生活習慣病」の指摘を受けた私の経験では、頗る有意義でありました。

世の中にはそう思う人も大勢いるのではないでしょうか。





▲平穏死できない現実

今回から「平穏死」をテーマに書きます。

最近、特別養護老人ホームの常勤医を務める医師らが書いた「死」に関する本が相次いでベストセラーになりました。

一昨年は、石飛幸三氏の「平穏死のすすめ」であり、今年は中村仁一氏の「大往生したけりゃ医療と関わるなー『自然死』のすすめー」です。

これらの本が爆発的に売れるということは、「死」への関心が高まっていること。

平穏死、自然死したい!と言う国民の声に見えます。

しかし、現実はどうでしょうか?

結論から言うと、現代において平穏死するのは簡単ではありません。むしろ困難。

自分自身で求めて勝ち取らないと、平穏死は難しいのが現実です。



では、なぜ平穏死できないのか?

その理由について考えてみましょう。

医療の発展とは、すなわち「人を長く生かせること」です。

医療が発展した結果、日本人の寿命は世界一になりました。

長寿化は当たり前に感じられるかも知れませんが、世界にはまだ平均寿命が40代、50代の国も存在します。

少し前まで「人生50年」と言われたのが、現在は80年。

その結果、少子化とも相まって様々な社会問題が起きています。

医療の発展を最も効率的に享受できる場が「病院」です。

そこでは様々な専門職が集合しています。

その責任者である意思という職種を見ても、内科・外科・耳鼻科・眼科という20以上に細分化しています。

内科の中でも、消化器科・循環器科・呼吸器科・内分泌科・神経内科など、いくつもの細かな「科」に分かれています。

さらに消化器科の中でも消化管(胃・大腸)、肝臓、すい臓などに細分化しています。

西洋医学の発展とは、細分化の歴史でもありました。

臓器別・縦割りで細かく分けることで、研究・分析が効率的に行えます。

その研究の目的とは、「長く生かせる方法」を模索することです。

そんな医療システムの中で、たとえば90歳になって徐々に食事が食べられなくなったとしましょう。

内臓に特に大きな問題が見つからなければ老衰でしょう。



しかし、「病院」という場の中では、胃に穴を開けて体外から栄養剤を直接胃に注入する「胃ろう」という技術が簡単に使えます。

患者さんは「胃ろう」により、いったん元気になります。

食べられるようになり、笑顔も戻り、医療の発展による利益を享受できます。

しかし、それでもまたいつか、必ず食べる量が減る時期が来ます。

その時には、また「胃ろう」のお世話になります。

そして、ついに身動きも話も出来ない状態(いわゆる植物状態)になった時に、それを見守るご家族はふと思うことがあります。

「これは果たして本人が望んでいるのだろうか?幸せだろうか?」と。

生きていること、それだけで喜ばれる家族もいれば、生きている質(いわゆる性の尊厳)にギモンを抱く家族もおられます。

しかし、いったん始まった「胃ろう」は、わが国ではもう誰も止めることが出来ません。

「平穏に死にたい」と願っても気がついたら、植物状態になっても「延命装置によってただ生かされていた!」というケースが増えています。

今回はまず、簡単には平穏死できない時代に生きているということを、現実として知って頂けたらと思います。


▲「医療否定本」に殺されないための48の真実

生前の遺言「リビングウィル」

ただいきている時間を延ばすだけの延命治療は受けたくない…。

命の質、いわば「尊厳死」を守るには、「リビングウィル」を表明しておくことをお勧めします。

死んだ後の願い事を書くのが遺言であれば、生きている間の願い事を書くのがリビングウィル。

いわば、生前の遺言。いのちの遺言です。

たとえ生きてはいても、認知症になって自分の意思表示がきちんとできなくなったり、急に倒れて意識が戻らなくなったりすることもあります。

そうなっても、ちゃんと自分の希望の尊厳を守れるように、事前にリビングウィルを残しておくことが大切なのです。

但し、ただ書いておくだけでは不十分です。

書面に残し、判子を押し、第三者に託して保管しておくことが。

一番手っ取り早いのは、「日本尊厳死協会」に入会することです。

協会は、会員さんが署名されたリビングウィルの原本を厳重に保管管理し、医療機関から照会があればキチンと回答します。

しかし、とても残念なことなのですが、それでも不十分な場合も現実にはあります。

日本尊厳死協会では、亡くなった方のご遺族に、リビングウィルが活かされたかどうか、毎年アンケート調査を行っています。

2012年度には「活かされなかった」という人が18人もいました。

「医者との見解が違った」「無視された」「病院の都合で延命処置をされた」などがその理由でした。

遺言は、法律で保障されているため、「内容に従わなければいけない」という法律上の効力がありますが、リビングウィルにはそれがありません。

もしも家族が「最高の医療を受けさせたいから、人工呼吸器もつけて欲しい」と主張すれば、覆されるのです。

こうした事態を解消しようと言う動きが進んでいます。

リビングウィルに遺言と同様の法的効力をもたそうというのが、8年ほど前から超党派の議員連盟によって議論されている「リビングウィル法制化(尊厳死法制化)」です。

牛歩のような議論が進まない理由の一つは、言葉の誤解かも知れません。

すなわち、「尊厳死」とは、日本では「平穏死」・「自然死」と同じ意味です。

一方、海外では、尊厳死とは「医者が介助する死」を指します。これって日本では「安楽死」ですよね。

言葉の定義の間違いが原因となって、尊厳死が誤解されています。

そのため、「尊厳死」と「安楽死」を医者もよく混同しています。

(中略)

「尊厳死」つまり「平穏死」とは、亡くなる瞬間のことではなく、死ぬまでの時間、死んでからの時間も含めた一連のプロセスを指します。

「平穏生」の先に「平穏死」があります。

そのためには、患者さんだけではなく、ご家族も死の準備をしておくことが大切です。

最近、私は「どうして病院や施設で尊厳死(平穏死)ができないのか?」という最大の理由は、「待てないからだ」と思い至りました。

病院の医療は、基本的に待てません。

もちろん、一分、一秒を争う緊急医療では待ってはいけません。

でも、終末期には「待つこと」こそが大切ではないでしょうか?

待つこととは、寄り添うこと。

医療も家族も介護職も、しっかり待ち、そして待ちながらどう過ごすかを考えます。

待つということの大切さを、最近改めて考え直しています。


▲一般財団法人・日本尊厳死協会

「リビングウィル」とは?

回復の見込みがなく、すぐにでも命の灯が消え去ろうとしているときでも、現代の医療は、あなたを生かし続けることが可能です。

人工呼吸器をつけて体内に酸素を送り込み、胃に穴をあける「胃ろう」を装着して栄養を摂取させます。

ひとたびこれらの延命措置を始めたら、はずすことは容易ではありません。生命維持装置をはずせば死に至ることが明らかですから、医師がはずしたがらないのです。

「あらゆる手段を使って生きたい」と思っている多くの方々の意思も、尊重されるべきことです。

一方、チューブや機械につながれて、なお辛い闘病を強いられ、「回復の見込みがないのなら、安らかにその時を迎えたい」と思っている方々も多数いらっしゃいます。

「平穏死」「自然死」を望む方々が、自分の意思を元気なうちに記しておく。

それがリビングウイル(LW)です。



人の最期はさまざまです。医師から見放されても生き続けることを選択する人もいますし、病気が治らないのであれば、徒に命を長引かせるだけの延命治療を断りたい人もいます。

私たち日本尊厳死協会は、病気が治らないことが明らかな「不治」で、なおかつ最期が近付いている場合に、延命治療を断りたいと願っている人たちのために活動しています。



人工呼吸器や栄養を送るための胃ろうなどを断る「リビング・ウイル=終末期医療における事前指示書」を発行し、登録管理を行っています。1976年に活動を始め、現在の会員数は12万人を数えます。

日本の社会では長く、この延命治療を開始したり、中止したりすることに抵抗がありました。

人工呼吸器を着けなければ死が訪れることが明らかな場合、患者本人の希望がどうあれ人工呼吸器を装着してきました。

それは、命を助けることが医師の使命でもあり、途中で止めることで医師が罪に問われる可能性があったからです。

時代は変わり、自分の終末期の医療を自分で決める権利が認められるようになってきました。

助かる見込みがないのに何本ものチューブにつながれ、「生かされている」ことに耐え難い苦痛を訴える患者が、最期を安らかに過ごすためのQOL(生活の質)、あるいはQOD(安らかな最後)を選ぶ権利を尊重しようという流れが定着してきたのです。

それでもまだ一部には、患者の願いが聞き入れられないケースもあります。

ホームページを訪れてくれた方々が、それぞれに意義を見出していただけたらと願い、今後もみなさんの意見も取り入れつつ充実させていきたいと思っています。


▲エンディングノート

臨終の時、耳は聞こえている

病床でまさに最期の時を迎えようとしている患者さん。ベッドの周りで見守る家族。

「お父さん。いままでありがとう」

「あなたのこと、一生忘れないから」

「わたしを置いて逝かないで」

最期に思いのたけを、臨終の患者さんに伝える、そんなシーンをよくドラマなどで見ることありますよね。

あるいは戦争映画や刑事ドラマなどでも、「うーっガクッ」とうなだれた俳優をゆりうごかしながら「死なないでくれーっ!」て絶叫するシーンとか。

声をかけてるほうは感情的にはなりながらも、「本当は何をいっても聞こえていないんだろうな」なんて心のどこかで思っていたりするかもしれませんけど。

目の前で亡くなる人がいい人ばかりとは限りません。

「てめえ、死ぬ前に金返せ!」なーんて捨て台詞のひとつもかけたくなることだってあるかもしれません。

さて、ここでギモン。

そもそも、本当に亡くなる直前のひとには聞こえていないんでしょうか。

もし、しっかり聞こえているとしたら、まさに本人にとって最期に聞かされる言葉は、ものすごーく大切な、それこそ一生、いや永遠に耳に残ることになるわけで。

「金返せ!」なんて最期に聞かされたら…死んでも死にきれません。

じっさいのところはどうなんでしょうか?

「聞こえてるの?」「聞こえてないの?」

まあ、死んだことがあるひとはこの世にはいないし、天国にいるひとに「ぶっちゃけ、聞こえてました?」なんてインタビューするわけにもいきません。

そうした中、週刊ポストが興味深い記事を掲載しました。

以下、抜粋です。

「死を告げられても人の声は聞こえている!」は本当か?

死を迎えるその時、人の「最後の記憶」は何になるのだろうか──当然だが、その答えは死ななければ知ることができない。

だが、多角的に検証してみると、今際の際まで人の感覚として残っているのは「聴覚」なのだという。

ちなみに「聴覚 死」というキーワードでインターネット検索してみると、

「聴覚は最後まで残る感覚」

「死後数分は聴覚が生きていて、聞こえていると聞いたのですが本当でしょうか」

「死んだ直後も人間は人の話し声が聞こえる」などの記述にヒットする。

実は、そうした説を裏付けるような科学的な研究結果もある。

2014年10月、英国・サウサンプトン大学の研究チームが学術誌『Resuscitation(蘇生)』電子版に以下のような内容の論文を発表した。

同チームは英国、オーストリア、米国などで、心停止から蘇生した患者330人のうち、101人に対して聞き取り調査を実施した。

すると39%の患者が、心臓が再始動する前にも意識を自覚していたとの結果が出たのだ。

さらに患者の1人は、研究者らが3分間隔で鳴らしたブザー音を「2回聞いた」とも証言した。

その調査結果からは、人は心停止の後も周囲の音を認識していることが推測できる。

『臨終の七不思議』(三五館)の著者で、医学博士の志賀貢氏もこう話す。

「2007年に米ニュース雑誌『TIME』に掲載された複数の米病院からの調査報告によれば、病気や事故で心停止が起こり、緊急治療によって蘇生した人の4~18%が『誰かが耳元で名前を呼んでいる声が聞こえた』と証言しています」

なぜこのようなことが起こるのか。それを解き明かす研究データがある。

今年3月、カナダ・ウェスタンオンタリオ大学の研究者が科学専門誌に発表した研究によれば、生命維持装置を取り除かれた4人の末期患者の心拍と脳波を測定したところ、そのうち1人は心臓と血流が停止した後も10分間にわたって脳波が観測された。

緩和ケアに携わる東海大学健康科学部の渡辺俊之・教授が解説する。

「心臓が止まり、脳に血流が行かなくなった後も脳が活動を維持している場合があることを示す興味深い研究結果といえます」

というわけで、どうやら死ぬ瞬間まで耳は聞こえているらしいです。

「いや、聞こえてない!「だって、死んだばあさんに何度も声かけたけどビクともせずにそのまま死んでしまったし…。」

そうおっしゃる方もいるかもしれませんが、しかし、前述したように、死んでしまったひとに聞こえてたかどうか、確かめるわけにはいきません。

聞こえてないかもしれませんが、いずれにせよ「聞こえてる可能性がある」と思っているほうが無難でしょう。

これからは、臨終の場面に立ち会うことがあったら、積極的に声をかけましょう。

それこそ最期のチャンスなので、いままで言えなかったこと、どうしても聞いてほしかったことを、恥ずかしがらずに伝えてみましょう。

おそらく、亡くなられたあと、伝えておいてよかったと、心のそこから思えるときがくるはずです。


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2011
11.24

老後の資金設計は自己責任の時代に

Category: 老後の設計

★老後に必要なお金はいくら?

60歳で定年退職した後のセカンドライフで、
ゆとりある生活を送っていくためには、
毎月いくら必要なのでしょうか?

雑誌の「老後の資金特集」なんかをめくって見ると、
こんなことが書いてありました。

①シニア夫婦の生活費の平均:月26万円
(総務庁「平成15年度家計調査」より)

②ゆとりある老後の生活費の目安:月37万円
(生活保険文化センター「平成13年度生活保証に関する調査」より)

月37万円というのはかなり厳しい数字ですね。
でも、ご安心を!別のページには、こんなデータも載っていました。

人事院が国民の標準的な水準を求めるために算定した「標準生活費」は、
二人暮しの世帯で16万6,270円だそうです。

その内訳は、下表のようになります。

rougo-1.gif 

★60歳からのセカンドライフは、頑張ってきた「ごほうび」の人生でありたい! 


                rougo-11.gif 


このように、「生活出来ればよい」というレベルなら、
20万円以下でもなんとかなりそうです。

しかし、人生80年として、
60歳から20年以上も続く自分たちのセカンドライフが、

このようにギリギリのつましい生活になるのかと思うとなんだかむなしくもあり、
今のうちから準備して、できるだけゆとりのある状態で60歳を迎えたいものです。 
 
・半年に1回は、短い旅行に行きたい
・月に数回は、夫婦で外食したい
・孫たちにおこづかいをやるお金には不自由したくない
・趣味のお金も欲しい

理想をあげればキリがありませんが、

上表のように、生活費を166.270円前後でやりくりすれば、
月30万円あれば、ゆとりのあるセカンドライフが過ごせそうです。

ゆとりある老後を過ごすためには、夫婦二人で月30万円は必要と覚えておきましょう! 



★公的年金はどれくらいもらえるか調べてみよう!

老後は毎月30万円前後あれば一安心ということでした。
では、そのうち、年金制度でどれくらいまかなえるのでしょうか?

まずは、その金額を押さえて、不足分をどうするかを考えてゆきましょう。

【もらえる年金額を調べる方法】



1)ねんきん定期便

ねんきん定期便」は、社会保険庁から個人宛に送付される通知のことで、
年金加入記録や年金見込額等が記載されます。

rougo-4.gif 

標準報酬月額に誤りがある可能性のある人や
「ねんきん特別便」の未回答者など、

年金記録が正しくない恐れがある人については
『オレンジ色』の封筒となっていますので、

オレンジ色の封筒が届いた人は、
特に慎重に年金記録をチェックする必要があります。

※ねんきん定期便が『水色』の封筒で届いた場合、

訂正の可能性は低いのですが、
チェックしなくてよいというわけではありません。


2)ネット上で分かる「自分で出来る年金額簡易試算」


社会保険庁HP:自分で出来る年金額簡易試算


先日、主人が画面の言うとおりに数字を打ち込んでいくと、
65歳になったらもらえる年金が145万円/年と出ました。

これは年間にもらえる金額です。

そして、私は118万円/年でした。
二人合わせて263万円/年=1ヶ月21.9万円

でもこれは、ちゃんと記録が残っていたときの話です。
記録が残っていなければ、こちらが証明しなければもらえません。

65歳からもらえる金額が毎月約22万円とすれば、
介護保険・国民保険・税金と払って、
残ったお金で暮らしてゆくとなると、かなり厳しい数字です。

私のウチの場合、

ゆとりのある収入30万円-もらえる年金22万円=▲8万円ですから、
その不足分を今のうちから蓄えておかねばなりません。

具体的には、

①60歳~65歳までの収入空白期間
▲30万円×12カ月×5年間=1,800万円

②年金がもらえる65歳~80歳までの収入補てん
不足分▲8万円×12カ月×15年間=1,440万円

合計)①+②=1,800万円+1,440万円=3,240万円

う、ぐぐぐっ…恐ろしや!

なんと、あと7年あまりで3,240万円もお金を蓄えねばならないなんて!

rougo-5.gif

もう、もう、銀行強盗するしかない!と、眠れない夜をすごしたのでした。
あなたもすぐ試してみた方がいいですよ。
 
そんなに遠くはない自分の老後の話ですからね。



★支給される公的年金の水準は現役レベルの約6割!

退職後は、住宅ローンや子どもにかかる費用がなくなり、
将来のための貯蓄や生命保険料も不要になるので、

生活費は50歳での生活費(手取り収入)の
5割くらいで済むそうです(--〆)。

平均的なサラリーマン家庭(妻は専業主婦かパート)であれば、
公的年金は現役時代の平均の生活費の約6割をカバーできる仕組みだそうです。

これは退職後の生活費の8~9割にあたります。

とすれば、生活費の1~2割分を
退職から20年分くらい準備すればよいということになります。

うちの場合は、60歳からの「収入が空白の5年間」を加算すると、
3,420万円となりました。

さらに、予想される出費(自宅のリフォームなど)や
予備費(病気や介護、事故に備えるお金)への備えも必要。

一方、自営業者は、もらえる公的年金が少なく
(国民年金が満額もらえる夫婦で生活費の3~4割程度)、

遺族厚生年金も退職金もないので、
65歳までに年収の6~8倍の貯蓄が必要になりますです・・・( ̄  ̄;) 。

国民年金基金や小規模企業共済など、
自営業者の退職金・年金づくりを支援する制度を利用して、
サラリーマンの数倍の貯蓄をする必要があります。

rougo-6.gif

★年金を上乗せしてもらう方法 
 
本来、「老齢基礎年金」は65歳以降に支給されるもの。

けれども、希望すれば60~64歳時に
前倒しで(繰上げして)受け取り始めることも可能です。

ただし、受け取り期間が長くなるため、
毎年の年金額は減少してしまいます。

加えて、繰り上げると他にも不都合が生じます。

たとえば、繰上げを実施してから65歳になるまでに
一定の障害基礎年金の受給対象となったとしても、
これを受けることはできません。

また、その間に妻が夫と離別・死別したときの
寡婦年金の受給権を失ってしまうのです。

こうした点を踏まえれば、
できるだけ繰上げは選択しないのが賢明。

定年後も働く道を選んだ方が
明るい展望が開けるのは確かです。
 
★受け取り総額の損益分岐点は?

 繰上げ支給 1カ月あたり0.5%減額
 
繰上げ年数 減額率 いつまでならトクか
 1年       6.0%   →80.8歳
 2年      12.0%   →79.8歳
 3年      18.0%   →78.8歳
 4年       24.0%   →77.8歳
 5年       30.0%   →76.8歳


余裕がある人は繰下げ支給で年金額を増やす!

上述した繰上げに対して、
逆に「老齢基礎年金」支給開始年齢を65歳よりも延期するのが繰下げです。

受け取り期間が減るため、毎年の年金支給額はアップします。
「目先は特に資金面で困窮していない」という人には好都合な制度。

ちなみに、12~24カ月の繰下げでも8.4~16.8%、
60カ月以上の繰下げに至っては42%も支給額を加算してもらえます。

裕福な人ほどとことん繰り下げることができ、
より有利に年金を受給できるという構図が成り立つわけです。

もちろん、受給開始年齢を待たずしてこの世を去った場合、
自分自身は年金をもらえないというリスクはありますが、

遺族年金が給付されるので、
加算された遺族には感謝されるかもしれません。
 
★受け取り総額の損益分岐点は?


 繰下げ支給 1カ月あたり0.7%増額
 
繰下げ年数 増額率 何歳まで生きればトクか
 1年        8.4%  →76.6歳
 2年      16.8%  →77.6歳
 3年      25.2%  →78.6歳
 4年      33.6%  →79.6歳
 5年      42.0%  →80.6歳


本日はここまで。
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