2015
11.30

良いことはすでに起きていた



「なんかイイことがおきないかなぁ…」
退屈な時間にそんなことをぼんやり
考えたりすることはありませんか?

開運招福
祈願成就


では、あなたにとって
「イイこと」って何でしょうか?

自分にとって何が「イイこと」かを
具体的に理解しておかないと
それを願うことはできないし、
願いがかなっても、それに気づくことが出来ません。

そうした意味で、本日のブログは
「イイこと」についてネット検索をして
なるほどと感じた記事を転載してご紹介します。

あなたがより気楽に生きるために
ピピッと響く数行があれば、嬉しい限りです。


▲ http://ameblo.jp/hennry

全てが思い通り

本当の思い通りとは、
「あなたの創造したことしか起きていない」
ということです。

だから、目の前におきたことは、
全てあなたが認識したことです。
良いことばかりが、思い通りではないのです。

今まで人間は、
「思い通りにいかない」と言って悩んできました。

でもそれこそが
「思い通りにいかない」という思い通りだったのです。

この繰り返しだったのです。

だから、この一瞬に「幸せです」と言えたら、
そのプログラムが動き出すという事なのです。

遠慮しないでいいのです。
もっともっと幸せになれるのです。

あなたの創造した思い通りの生き方を
あなたに与えてください。

今が既に幸せです!
これが高次元の生き方


幸せとは、「相対」なのです。
「相対」と「反対」とは似た感じなのですが、
「似て非なるもの」です。

反対とは、切り離されているのです。

つまりそれは、幸せと不幸は、
全くの反対で別物だという捉え方です。

だから、人間は不幸が嫌で
幸せに成ろうとしたのです。

切り離して捉えていたので、
そう成ろうと頑張ったのです。

これを高次元(魂レベル)から見るとどう成るか。
幸せと不幸は、紙の表と裏の様に
くっ付いているのです。

だから、不幸だけでは存在出来ないのです。
幸せが在るから不幸と言えるのです。

二つは同時に在って、補い合ってるのです。
これが高次元(魂レベル)の感覚なのです。

「相対」とは、無くては成らないものだったのです。
片側が、その片側を押し出していたのです。

この感覚が解れば、
「あるがまま」の美しさを知れるのです。

それなのに、この世は幸と不幸が違うと思って、
マイナスからプラスのエネルギーを向け続けたのです。

今の自分を卑下して、未来に目標を持ったのです。
だから苦しかったのです。

この仕組みを知ったらいいのです。
今を低めたらダメなのです。

人間は、未来が在ると思って今を粗末にしたのです。
今はダメでも、将来は何とか成ると思ったのです。

ではどうするか。
今にOK出すしかないのです。

「今すでにそうで在る」
これが時空を超えた高次元の行き方なのです。

「私は既に幸せ」と落とし込むのです。
これしか無いのです。

これは、「へ理屈」ではないのです。
幸せという心の世界ではこれが真理なのです。


▲ http://ptn.blog.jp

幸も不幸もない‼️

一見不幸な事も、後になると
あれがあったから良かったんだ。
あの事があったから大事な事に気付けた。

そんな事が誰にでも
あるのではないでしょうか?
僕にもそんな事は多々あります。

目の前の事に一喜一憂して、
その本質に気がつけないって事。

逆に幸せであった事も、後になって
不幸に感じてしまう事もあります。

ということは、

不幸も幸せも判断なんて
しなくても良いということになります。
どの道、どっちにでも転ぶんですから…。

最終的に、
自分がどう受け止めるかによって、
どちらにでも転んで行くのが現実。

だったら「今幸せでええやん!」
この言葉は僕に大切な事を
教えてくれた人の言葉です。

本当にそうだと思ってます ♪


▲ http://ptn.blog.jp

もうすでに幸せ!
全ては前提でいい!


ダメなところを探して
ダメなところを改善しようと
すればするほどダメになる^^;

何とも悲惨な話ですが、
その通りなんですね。

ダメを拒絶するとダメが出てくる。

別れたくないを拒絶すると分かれてしまう。
離れたくないと思えば思うほど離れてしまう。
ホント、皮肉な話です。

でもこれが人が現実を
作っていくシステムなんですね。

欲しい欲しいと思えば思うほど手に入らない。
これって経験ありませんか?

お金、
成功、
地位、
名誉、
幸せな家庭、

人は本当に欲しいものは
手に入らないんです。

現実を作るシステムが
そう作られているから。

現実は人の心の
強い思いによって作られます。

その思いは心のまま作られます。

欲しいのになぜ?
と疑問に思われるかもしれません。

つまり、
「●●●が欲しい」と強く思うと、
「●●●が欲しいと願っている状態」
実現されてしまうということです。

「お金が欲しいんです!」というと
現実は「お金が欲しい状態」が作られます。
ずっとお金が必要な現実が続くだけなのです。

なんともはやですね^^;

現実化されることってものすごくシンプル。
ではなんと言えばいいのか。

私は既に幸せだ。
私は既に満たされている。

もうすでに望むものはある!
という前提でいいんです。

全ては前提から始まります。
全ては前提でいいんです。

お金持ちになった前提。
成功した前提。
幸せである前提。
愛されている前提。

全てはそこからしか始まらないんです。
あなたの始まりを今すぐ変えていきましょう!


▲ http://ptn.blog.jp

本当は誰しもが愛の中にいるんだ‼️
見えない・感じない・聞こえない病


愛されたいって、
違う言葉で表現したら、
嫌われたくない。

寂しい想いなんてしたくない。
悲しい気持ちを感じたくない。
辛い思いをしたくない。

そんな言葉になるように思いません?
愛されたいって愛を求めてる時って、
「それ」を埋めたいからって時ありますよね。

けれども、

「それ」を埋める行為って、
自己的な満足感を求める行為だって思いませんか?

要は「足りないところを満たす」行為。

だから、結局自己満足にしかならないから、
相手には「愛」は伝わらない。

伝わらないどころか、
そこに「愛」は無いと思いません?

一方的に愛を求める
愛の略奪行為みたいな。

ちょうだい?ちょうだい?って。
私には無いからあなたが私に頂戴って。

愛される事で、
その心の隙間が埋まる気がしてる。

だから愛がもらえない、
もらってない、
感じられない、

感じてない時は、
すご〜く悲しくなったり、
寂しくなったり、
辛くなったり、
苦しくなったり、
嫌われてるって感じたりする。

いつも愛をもらっているかどうかを
確かめてる。

常に愛がそこにあるかを確認してる。

あなたの尺度で測った時に、
「無い」って感じたらそこには愛はないんだ。

そんな勝手だと思えるようなことが、
愛がないって心の中に前提である人は
常にそう感じてしまうんだ。

それは逆にきついですよね。
だっていつもいつも

「あるかないか」
の確認作業をしてないといけなくなるから。

愛されている人から心配されたら
それは心配と不安と取っちゃう。

愛しているから心配することもある。
愛しているから不安になることもある。

愛されてる不安。
愛されてる心配もあるんだ。

そして、
あなたが気がつかない愛が、
あなたの周りにはたくさんあるんだ。

目を凝らして見てごらん?
耳を澄まして聞いてごらん?
ちゃんと心を研ぎ澄まして感じてごらん?

今まで聞こえてこなかった声が聞こえる。
今まで見えなかったものが見えてくる。
今まで感じなかった気持ちが感じる。

あなたがどれほど愛されてきたか。
あなたがどれほど大事にされてきたか。
あなたがどれほど認められてきたか。
あなたがどれほど素晴らしい存在か。

だから当たり前って思ってること。
どうせそうじゃない!って思ってること。

きっとそうだと
決めてしまったことに対して
もう一度見直してみて。

あなたは愛されてる‼️
あなたほど周りから愛されてる人はいない。

本当にそれに気がつくから (^_−)−☆


▲http://ptn.blog.jp

受け入れる姿勢を持つ事は
本当に大切だと思います。

受け入れる姿勢があれば、
色んなものを受け取れる事が
できるんだという事を改めて感じます。

周りの人たちは、
色んなメッセージをいつもくれています。

それは、
一見嫌な体験であったり言葉だったり。

また、とても大切な言葉や思いやりだったり。

そして、
自分の心の声にも。

そこに気がつくようになれば、
多くの学びが受け取れる。

そして、
その分成長できる。

それが自分自身の幸せだと思います。

成長せずに富を得ても、
子供がお金を得たのと同じ。
そんな人はお金の本当の使い方はできない。

とても素晴らしい結婚をしても、
相手の気持ちを受け取ることができなければ、

相手の本当の素晴らしさはわからない。

不幸なことが起きても、
ただ、不幸な出来事で終わってしまう。

不幸な出来事が、
本当に大切な気持ちや、
在り方に気づかせてくれることもある。

そんな事に気がつけるようになれたらと
思いますよね (^ ^)


▲ http://clockworkapple.me

私は元トラックドライバーなので、
自分を車に、人生を道にたとえて
話をしてみるのも面白いかもしれません。

さて、僕らはママのお腹から生まれた瞬間から
オートマ車に乗って走りだします。

眼前にのびる道は人によってちがいます。
きれいに舗装されたゆるやかな下り坂を
快適に走りだす人もいれば、

いきなりボコボコのオフロード、
しかも急斜面を登らなければ
ならない人もいるでしょう。

お金持ちの家に生まれて
何不自由なく育っていく子がいれば、

貧乏だったりクソみたいな親に殴られたりで
辛苦ばかりの幼少期を
過ごす子がいるということです。

------------

僕らは道を選べないので、
人それぞれ眼前の道をひたすら走っていくわけです。

時に道から外れたり、穴に墜ちそうになったり、
遠回りをしたりしながら、アクセルをゆるめたり、

ぐいと床まで踏みこんだりしながら、
気がつくと大人になっています。

大人になると、いよいよ自分で
道を選べるようになるのですが、

何も考えずに周りの景色を眺めながら
のほほんと走ってきた人は、
選べる道があまりありません。

それでも、その少ない選択肢の中から
好みの道を選んで進んでいくわけですが、

何年も走っていると、
あるときふと気づくのです。

なんかしんどいぞ、と。

窓から顔を出して足元を見てみると、
ずいぶんと急な坂道を走っていることに気づきます。

気を許したら今にも転げ落ちて
しまいそうに急な坂道なので、
アクセルを床まで踏みこんでもスピードが上がりません。

大人になるまでは、わりとゆるやかで
快適な道を走ってきたので、
その坂道はかなりきついわけです。

それにもう車自体もところどころ
ボロが出ていて、エンジンの調子もよくありません。

けれどまわりを見渡してみると、
他の車はもっと緩やかな坂を登っています。

中にはほとんど下り坂に近い道を
快適に飛ばしている車もいるし、
坂道なのにぐいぐい進んでいく車もあります。

おや、おかしいぞ。

このままこんな坂を登っていては
いつまで経ってもちっとも進めないじゃないか。

それにあいつらは、
あんなに飛ばしてどこへ行こうというのだろうか。

---------------

ようやく目が覚めたので、
他の車のようにビューンと
快適に走るために勉強を始めます。

本を読んだりセミナーへ出かけたり
ネットで調べたりして、

車をチューンナップして、
もっと快適な道を選ぶ方法を学びます。

勉強しているうちに、
他の車がどこを目指しているのかも
おぼろげながらわかってきました。

彼らは「成功」というゴールを
目指しているようです。

それぞれゴールまでの道のりは違いますが、
お金持ちになって、みんなにちやほやされて、

自由な時間を持って人生を謳歌する、
というのがどうやら大筋のようです。

そんな素敵なゴールがあるというのなら、
自分も辿り着きたい。

そう考えてギヤをシフトアップします。

勉強してチューンナップしたので、
オートマ車からマニュアル車に変わっていたのです。

さて、一速、二速、三速……と
ゆっくりながらも順調にシフトアップして、

二年が経つ頃にはトップギアでそれなりに
快適に坂道を登ることができるようになっていました。

後方へ流れる外の景色はうつくしいし、
窓から吹きこむ風も気持ちがいいです。

新しい友だちがたくさん増えて、
こちらに手を振ってくれます。

--------------

ところがある日、ボン!と大きな音がして、
ボンネットから火が上がります。

同時にタイヤがパンクしました。
もうもうと煙が立ちのぼり、車は完全に停車。

どうにかとっさにサイドブレーキを引いたので
坂道を転げることはありませんでしたが、

エンジンもタイヤもボディもボロボロで、
もう走ることはできません。

トップスピードで快適に走っていると
思っていたのですが、実際は車の様々な箇所に
そうとう無理な負担がかかっていたようです。

これが昨年の七夕の朝、
僕の身に起こった事故です。

エンジンが焼きついて心がパンクして、
何もできなくなった僕は、
会社を辞めました。

毎日暗い部屋に閉じこもって
小説や映画などの虚構の世界に逃げこんだのです。

あれから半年が経って、
家族や友人の大きな支えのおかげで、

どうにかエンジンもタイヤもボディも
修復することができてきました。

まだ以前のようにトップスピードでは走れませんが、
ゆっくりじっくり、また一速からシフトアップしています。

と同時に、
ゴールと道もあらためて選び直すことができました。

僕にとってのしあわせのゴールは、
成功して大金持ちになって

有名になることではないのだと
気づくことができたのです。

愛する家族や大切な仲間と、
好きなことをたくさんして、

より多くの人の役に立って、
人をしあわせにすることで
対価を得て食べていく。

つつましく、健康で、
いつも笑っていられればそれでいい。

これ以上のしあわせがあるでしょうか。
そしてそのしあわせのいくつもを、
僕はすでに持っているではありませんか。

夫婦で「がんばりすぎ病」にかかって
心がパンクしてしまった僕らは、

お互いに「無理しないで」と
声を掛けあうようになりました。

なぜなら僕らは自分では、
自分が無理してがんばりすぎて
しまっているということに
気がつくことができないからです。

だから、あなたも無理しないで。

肩の力を抜いて、
ゆっくり辺りを見まわしてみてください。

あなたはもうすでに
いろんなものを持っているはずです。

あなたはすでに
しあわせなのに、なぜそんなにがんばるのですか。

他の誰でもないあなたの、
本当のしあわせはどんな形でしょうか。


▲ http://semilla.ti-da.net

起きる出来事は、
全て「中立」です。


自分が何かをどうにかすることはできません。
そして、誰かをどうにかすることもできません。

どんなに、自分のことを
分かってほしいと思ったって、
分かってもらうことはないでしょう。

起こる出来事に対して、
言われた言葉、とられた態度に対して、
すべて何の意味もない、ただの出来事、言葉、態度です。

そして、反応は自分自身。自分そのもの。

「今日だけは怒らず、心配せず、笑ってみよう。」
「あきらめるのは明日にしよう」

自分の魂と繋がっていると、
日々の全てが、「向こう持ち」であることが、
身体の感覚でそれが見えてくるような気がします。

なので、今まで感情に振り回されることが多い人は
すごく楽になるだろうと思うのです。

マイナス思考の強い人は、
立ち直る力がつきます。

自分の魂と繋がることは、特別なことではなく、
それは、元々、誰もがそうであった話なので、
不思議でもなんでもありません。



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