■腰の低い人は得をする。

大雑把な私の「どんぶり勘定」でも分かることがあります。
それは、「腰の低い人は得をする!」ってことです。

私の周りにも、「腰の低い人」が何人かいます。
彼らはいつもニコニコで、いつも低姿勢。
そして、とても親切な人たちです。

私は、彼らのことが大好き。
たまの出張の時は、家族と彼らにだけ
お土産を買ってきたりします。

彼らの謙虚さはとても自然でイヤミがなく、
一緒に過ごすひと時が、この上なく楽しいのです。



「腰の低い人」

彼らはとても得な生き方をしていますが、
それすらも意識せずに生きているようです。

腰の低い人の対極にいるのが、偉そうに威張っている人。

私は別に、人に威張っているつもりはありませんが、
彼らほど腰が低いかどうかは疑問です。

そこで今日から私も、
「腰の低い人」になるべく努力してみようと思います。

腰が低くないから、努力して腰を低くするのです。
謙虚ではないから、努力して謙虚になるのです。



そのためには、打算的と言われようが、
腰を低くして生きるメリットが私には必要です。

ご褒美がなければ、
頑張れないのが私の情けないところです。

だから、ネット検索して
「腰を低くして生きる」メリットを調べました。

その結果報告を今日のブログで書きます。

腰の低くない私が
「腰を低くして生きよう!」と決心したぐらいですから、
そのご褒美の凄さをあなたにも知って欲しいからです。

結論から先に書きます。
腰を低くして生きると、確かに得をします!
これは間違いありません。

■腰が低い人がなぜ「得」なのか?

腰の低い人は得をします。
その理由はとても簡単です。

偉そうにする人、威張り散らす人には、
何ひとつ良いことが起こらないからです。

自分の意見ばかりを主張し、
相手の意見を全く聞き入れず、
威張り散らすだけの人は、絶対に損をします。

基本的に、人は誰でもプライドを持っており、
他人から威張られると不愉快になります。

「こん畜生!」と思います。
不愉快な人に親切にしようとは誰も思いません。

その逆に、腰の低い人には親しみを覚えます。
愛想良くされたら、こちらの気分が良くなります。

気分の良い人には、つい親切にしたくなります。
困った時に助けてあげたくなります。

「偉そうにする人」

あなたの周りに、偉そうに振舞う人はいませんか?
「おい、これをやれ」
「そんなことも知らないのか」
「何度言わせるんだ」

偉そうな人は、自分が一番と横柄な態度をとります。
プライドが高く、自分が悪くても謝ろうとしません。
だから、余計に周りから嫌われます。

偉そうに振舞う人に協力する人はいません。
偉そうに威張る人は損をするだけなのです。

デキる人ほど腰が低いものです。
自分が悪い時には、「どうもスミマセン」と
謝ることができますから、いざこざを最小限に
食い止めることができます。

分からないことがあっても、
「私は不慣れですから教えて下さい」と
腰を低くして尋ねることができますから、
誰もが気持ちよく教えてくれます。

腰が低い人には、話しかけやすい。
ケンカになりにくく、仲良くなりやすい。
腰が低いと、いいことがたくさんあります。

腰の低い人とは、常に謙虚な人です。

年齢とか、性別などは関係なく、
相手と同じ、いや相手より
ひとつ下の目線で向かい合える人です。

自分の存在に敬意をもって接してくれる人に
敵意を抱く人など一人もいません。

本物の腰が低い人はそれが自然に出来るのです。
誰にでも分け隔てなく接することが出来るのです。

その行動は、心の優しさにも通じることです。

どんな相手にも、謙虚に腰を低くして向きあえる人は
実は、「心が一番強い人」ではないかとも思います。



■腰を低い人は、腰が強い人


「このうどんの麺は腰が強い」などといいます。

腰が強い」とは、
粘り気があり、弾力性があって折れにくい強さ」のことです。

腰が低いとは、腰が強いということでもあります。

単にペコペコ、相手の言いなりになる
卑屈な生き方ではありません。

自分の芯をしっかりと守りながら
相手の出方に柔軟に対処してゆく生き方です。

自分の意見をきっちり伝えるべき時も、
「あなたは間違っています」
「私が正解を教えてあげます!」という反撃の形ではなく、

相手の存在感を損なうことなく、
「その考えは良いと思いますが」と前置きして、
「こんな見方もあると思いますがどうですか」と
じんわりと切り返すことが出来る人です。

相手を不愉快にさせても良いことはありません。
相手を言い負かしたら、あなたの損なのです。

相手の言い分が絶対ではないように、
あなたの言い分も絶対ではないかもしれません。
お互いに納得できる着地点を模索しましょう。

腰を低くする生き方とは、
「私が私が」という自我を低く抑える生き方です。

それは我慢するということではありません。
自分と相手との違いを否定しないということであり、
相手との違いを受け入れながら、自分の考えも
上手に成立させてゆく大人の処世術のことです。

最初はちょっと難しいかもしれませんが、
コツをつかめば、とても気楽な生き方ができるみたいです。

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コメント

No title

おはようございます。うん、あるある、いるいる、さて私はと思いながら読みました。
おっしゃる通りです。私もそういう人になりたいです。

それは我慢するということではありません。
自分と相手との違いを否定しないということであり、
相手との違いを受け入れながら、自分の考えも
上手に成立させてゆく大人の処世術のことです。
自我を低く抑える生き方、楽しみです。

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