--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2015
08.19

喜び上手は喜ばせ上手!



私は現在、6名の外国の若者たちと
職場で仕事をしています。

外国人とはいえ、6名もいれば
いろんなタイプの人間がいます。

その中でも、私の注目株はジニー君。
ジニー君は、人柄の良いベトナム人。
彼はとても「喜び上手」なのです。

何か新しいことをちょっと教えただけで、
アリガトゴザマセネエ!」と
ヘンな日本語でお辞儀をします。
(どうやら「有難うございますねぇ!」と言いたいらしい…)

飲み込みが早く、すぐにモノにします。
そして、いつまでも感謝を忘れません。

えこひいきは謹んでいますが、
ジニー君には教え甲斐があります。

私はジニー君を見ていて
気づかされたことがあります。

「喜び上手」は「喜ばせ上手」なのです

してあげた相手を良い気分にします。
もっとしてあげたくさせます。

してもらったことをいつまでも忘れずに
好意的な態度を崩しません。

いつもニコニコしてます。



私たちは、これから歳をとります。
身体能力が衰え、いつか人様のお世話が
必要になります。

私たちのお世話をしてくれる
家族や施設のスタッフさんに、
やってあげて良かったな」と思われる
喜び上手になりましょう。

それは自分のためだけではなく、
相手のためにもなります。

長い間、お世話になるかも知れません。
嫌われるよりは好かれましょう。

そのためには、
もっと「喜び上手」になっておきましょう。



■しっかりした人ほど陥りやすい錯覚

私達は、「人に迷惑をかけてはいけない!」と
厳しく言われながら育ってきました。

"自分のことは自分できちんとやる!"
そのルールの中でずっと生きてきました。

けれども、これから更に歳を重ねてゆくと、
身体能力が衰えてきて、不本意ながらも
だれかのお世話になる場面が増えてきます。

そんな時、しっかり者と言われた人ほど
ああ、人に迷惑をかけているな…」と
つい、自分を責めてしまいます。

それは、自分の長年のルールに反するからです。



けれども、「老い」は避けては通れないこと。
老いるということは、その人の落度ではありません。
誰もが遭遇する自然の成り行きです。

だから、状況や環境が変わったのなら
自分のルールを変えなくてはなりません。

自分の老いをしっかりと受け止め、
だれかの助けを借りて生きることを前提に、
古いルールを見直し、新しいルールを
取り入れてゆく必要があるのです。



たとえば、あなたがいつか、
自分で下の世話が出来なくなった時、

あなたの大便を処理してくれる相手に
済まないねぇ、申し訳ないねぇ…」と
繰り返すのは適切ではありません。

それは実は、相手に気を使っているようで、
情けない自分を嘆いているだけなのです。
それは、感謝とは言いません。

悪臭を放つあなたのお尻を嫌な顔もせず、
キレイにお手入れしてくれる相手への
慰労の言葉になっていません。

「済まないねぇ…」は、お詫びの言葉です。
ありがとう!おかげで気持ち良くなったよ!
これが感謝の言葉です。

自分のことをキチンと自分でこなして来た人ほど、
人様からお世話になる体験が不足しています。

だから、相手への慰労の言葉が
すぐに浮かばないのです。

■受け取ることが与えること。

人には「承認の欲求」というものがあります。
人から認められたい
人の役に立ちたい
それが「承認の欲求」です。



あなたのお世話をしてくれる相手に素直に
おかげさまで」と口や態度で伝えることは、
受け取っているようで、実は与えてもいるのです。

「あなたのおかげだよ!
おかげで気持ちいいよ!
いつも助かっているよ!

本当に「有難い!」と実感しているのなら、
そんな言葉が自然にポンポンと
口をついて出てくるものです。

それは、下心とは無縁の感情です。

卑屈になる必要は全くありません。

してもらった分だけ、
気持ちをお返しすれば良いのです。

とってつけた「ありがとう」より、
素直に喜んでいるあなたの姿が
相手の「承認の欲求」をどれだけ満たすか…。

気持ちをお返しするということは、
心から喜ぶということです。

してあげたことに対してちゃんと喜んでもらえたら
もっとしてあげたくなります。
それが人情というものです。

してあげて良かったと相手も嬉しくなります。



施しを受けながらも施しを行うことが出来ます。
仏教の教えの中に「無財の七施」という「」があります。

その中には、たとえ身体が不自由になっても
いつまでもできる布施行があります。

「和顔施(わがんせ)」
人には優しく、微笑みで接すること。

「慈眼施(じげんせ)」
人を慈しみ、深い思いやりでみること。

「愛語施(あいごせ)」
真心を込め、良い言葉で語りかけること。

「房舎施(ほうしゃせ)」
人の心にゆとりと喜びを与えること。

これらの中からひとつだけでも、
自分にできることを心掛けるだけで、
卑屈にならずに、きっと心豊かに老いてゆけるはず。

してもらうことを当たり前と思わない限り、
あなたは相手を喜ばせることができます。

「喜び上手は喜ばせ上手
」なのです。



赤ちゃんを思い出して下さい。
赤ちゃんは、何にも人の役に立てません。
人にお世話してもらうだけです。

けれども、その愛くるしさ自体が
人に安らぎと頑張りのエネルギーを与えます。

老いてはますます壮なるべし!

こんな生き方は、そんじょそこらの
若造には出来ない芸当です。

人のお世話になりながら
相手に良いエネルギーをお返しすることはできるのです。

それが、老齢期の魂の課題です。



どれだけ相手に感謝させて頂くことができるか
それを生きる愉しみとするのです。

「何もできない自分はみじめだ」と
自分の殻に閉じこもり、

お世話してくれる相手の想いに応えようとしない
そんな「尽くし甲斐のない」爺さんや婆さんに
なり果てては、それこそ相手が迷惑します。

あなたのお世話をする人は
あなたが手がかかるお年寄りであることは
百も承知なのです。



相手が自分のために何かをしてくれたら、
それを素直にキチンと受け取る。

そして、その分「おかげさまで」という気持ちを
きちんとお返しする。

それで50/50、フィフティフィフティです。
あなたは老いても、誰にも迷惑をかけないのです。

そのことを、身をもって体験するステージが
まもなく訪れます。

人一倍がんばり屋のあなたには、
自分のルールを少し変えないと、
難しい学びになるかもしれません。

老いて人様のお世話になることは、
相手に迷惑をかけることではありません。

人様の親切や好意の中で
有難く生かさせて頂く修行なのです。



赤ちゃんのように、お世話をしてくれる相手を
喜ばせる存在になるための修行です。

感謝のお返しさえ忘れなければ、
いつまでも心穏やかに生きてゆけます。

そのことを、身をもって習得するステージが
まもなく訪れます。

心の準備はできていますか?

スポンサーサイト

トラックバックURL
http://dejimablog.blog39.fc2.com/tb.php/234-6673e15f
トラックバック
コメント
おはようございます。まるで私に語り掛けていただいているように感じました。
その時になってからは、もうぼけててできないでしょうから。今のうちからその心持をしっかり、この、脳に植え付けて、日ごろの生活の中でもそれを意識して実行して、少々ぼけてもそれがやれるようにしたいと思います。

房舎施・・これは初めて聞きました。人にゆとりを与えることなんですね。文字通り読めば、人の存在、人がその言葉を聞くと自分の家にいる如く喜びと、ゆとりが生まれるように感謝することなのでしょうね。仕事を、そしてやってあげてよかったと思わせるように感謝することですね。

老齢期の魂の課題、まことにありがとうございます。私も夫が長く入院しているとき、お世話くださる看護婦さんや、助手さんにそういう言葉を心掛けたような気がしますが、それはまだ私が元気でゆとりがあったればこそ。自分自身が
痛くて苦しくて、死の恐怖の中で、それが言えたとき本物でしょうね。頑張ります。
ローズコーンdot 2015.08.20 06:03 | 編集
管理者にだけ表示を許可する
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。