2015
11.01

家族の絆



まずは自分自身を
真に愛すべきです。

自分を愛していなければ、
ほかの人を愛することは
できないでしょう。




本物の友情の土台になるのは、
信頼と愛情だけです。

互いに気遣い、敬意を払うとき、
信頼と愛情は生まれます。




愛の実践とは、
ひと言で言うなら、

「人を傷つけてはならない」
ということです。



人間はみんな、
誰かにたすけてもらわなくては、
生きられません。

ですから、

人間にとって愛は、
生きるためになくてはならない
条件なのです。



典型的な人の一生を見てみれば、
いかに私たちが他者の愛情に
支えられて生きているかが
わかるでしょう。




これらの心に沁み渡る名言は、
ダライ・ラマ法王14世によるものです。

私のソウルメイトであるローズコーンさんの
最近のブログから学びました。

▲http://plaza.rakuten.co.jp/hamabira/

その名言集のおかげで
私の今月のブログテーマが決まりました。

自己愛、夫婦愛まで含めた
「家族の絆」が今月のブログテーマです。

自己愛に「絆」って変じゃない?
変じゃありません。

魂と自我との絆です。
魂の学びは、自我を殺しては
成し得ません。

自我との連携があってこそ
魂の学びは果たせます。



晩秋。日毎に寒気加わる時節となりました。
もう11月入りしました。

今月のブログのテーマは
「家族の絆」です。

相手のことを思いやれる優しい気持ち
相手の未熟さを赦せる許容力
相手のことを否定しない謙虚さ

それは、神様からの授かり物です。
あなたが幸せになるための授かり物です。

これを上手に使って幸せに生きなさいという
神様からの授かり物です。

惜しまずに使いこなさなければ
神様が悲しみます。

神様は、私たちの魂の親です。
親を悲しませるような
そんな親不幸はしてはイケマセン。


▲http://kokorodo.net/category

本日のブログは、
「家族の絆」シリーズ第一弾として、

「kokoro堂」と言うサイトから、
家族愛に関するイイ話を転載させて頂きます。

家族って、本当に良いものです!



私の父は無口で頑固で本当にこわくて、
親戚中が一目置いている人でした。

家に行ってもいつもお酒を飲んでいて、
その横で母がせわしなく動いていた記憶があります。

私が結婚する事になり、
ドキドキしながら主人を連れて行くと、
ずっと黙ったままやっと口を開くと

「ビールは何を飲むんや?」

でした。

その日はなんとか無事に終わり、
式の当日終始酒をつぎにまわってた。

その後、子供が生まれ
少し育児ノイローゼ気味になった私を見て、
なぜか毎日孫の世話をしに来るようになった。

当然子供の面倒など見たことないので、
する事がめちゃくちゃで
イライラしていた私は
嫌味ばかり言ってしまった。

2ヵ月後、私の父は
あまり調子がよくないと言っていた矢先
他界した。

なんでもっと
優しくしてあげなかったんだろう?

紙オムツの仕方を聞かれて、
「それぐらいわかるでしょ。」
ってなんで冷たく言っちゃったんだろう?

あの日、自分でどうにかしようと
思って変な形になったオムツが残されてた・・・。

その後、
毎日つけていた日記が見つかり、式の当日

「あのバカ娘がとうとう嫁に行った。
最後の挨拶では涙が出た。幸せになれ。」

って書いてた。

おまけに家には主人があの日答えた
「アサヒビール」が押入れいっぱい
詰められていた。



小1の秋に、母親が男を作って家を出ていき、
俺は親父の飯で育てられた。

当時は、親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、
また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって、

俺は飯のたびに癇癪をおこして大泣きしたり、
喚いたり、ひどい時には焦げた卵焼きを
親父に投げつけたりなんて事もあった。

翌年、小2の春にあった遠足の弁当も
やっぱり親父の手作り。

俺は嫌でたまらず、
一口も食べずにちょっとずつわけてもらったおかずと、
持っていたお菓子のみで腹を満たした。

弁当の中身は道に捨ててしまった。

家に帰って、空の弁当箱を親父に渡すと、
親父は俺が全部食べたんだと思い、

涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、
「全部食ったか、えらいな!ありがとなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。

俺は本当の事なんて勿論言えなかった。

でも、その後の家庭訪問の時に、
担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていた事を
親父に言ってしまった。

親父は相当なショックを受けてて、
でも先生が帰った後も俺に対して、
怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。

さすがに罪悪感を覚えた俺は、
気まずさもあってその夜、
早々と布団にもぐりこんだ。

でも、なかなか眠れず、
やっぱり親父に謝ろうと思い
親父の所に戻ろうとした。

流しの所の電気がついていたので、
皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、

親父が読みすぎたせいか、
ボロボロになった料理の本と
遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。

で、俺はその時ようやく自分が
とんでもない事をしたんだって事を自覚した。

でも初めて見る、泣いてる親父の姿にびびってしまい、
謝ろうにもなかなか踏み出せない。

結局俺はまた布団に戻って、
そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。

翌朝、弁当の事や今までの事を謝った
俺の頭を親父は、またぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残す事は無くなった。

親父は去年死んだ。

病院で息を引き取る間際、
悲しいのと寂しいのとで、
頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら、

「色々ありがとな、飯もありがとな、
卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとか
すげえ美味かった」

とか何とか言った俺に対し、
親父はもう声も出せない状態だったものの、
微かに笑いつつ頷いてくれた。

弁当のこととか色々、
思い出すたび切なくて
申し訳なくて泣きたくなる。



三年前死んだ祖父は、
ガンが末期になっても一切治療を拒み、
医者や看護婦が顔を歪める ほどの苦痛に
耐えながら死んだ。

体中ガンが転移し、
せめて痛みを和らげる治療(非延命)をと、

息子(父)や娘たち (伯母)が懇願しても
絶対に首を縦に振らなかった。

葬式の後、

親しかったご近所の将棋仲間が
家族に宛てた祖父の手紙を渡してくれた。
祖父が生前用意していたものだそうだ。

手紙の中には、
自分が家族を悲しませ、苦しませるのを承知で
苦しみながら死んだ理由が書かれていた。

20年近く前、孫の一人が生存率20%を下回る難病で
闘病していたとき、祖父は神様に誓った のだそうだ。

自分は今後、どんな病気や怪我になろうとも、
絶対に医者にもかからないし薬も飲まない。
だから孫を助けてくれと願を掛けたのだそうだ。

幸いその孫は無事手術も成功し、
成長して成人もした。

孫の成長を見届けることができたのだから、
もう思い残すことはない。

あとは神様との約束を果たすだけだ。
だから家族は悲しまないで欲しい。
自分は満足して一生を終えるのだから。

そう綴られていた。

孫は当時一歳にもならない赤ん坊で、
病気だったことも覚えていない。

祖父は自分の決意を貫いて一生を終えた。
その孫である兄は葬儀でわんわん泣いていた。
もちろん、兄弟もみな泣いた。

うまく書けないのが悔しいなあ。
本当に祖父はすごい人だったんだよ。



6歳の娘が、クリスマスの数日前から
欲しいものを手紙に書いて
窓際に置いておいたから、

「何が欲しいのかなぁ」と夫と早速、
キティちゃんの便箋を破らないようにして
手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。

「サンタさんへ。
おとうさんのガンがなおるくすりをください!
おねがいします」

夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、
私だんだん悲しくなって
少しメソメソしてしちゃったよw

昨日の夜、娘が眠ったあと夫は、
娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と
「ガンがなおるおくすり」と
普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。

朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、
それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って
嬉しい叫びを上げてた。

早速、朝食を食べる夫の元にドタバタと行って

「ねえ! サンタさんから
お父さんのガンが治る薬貰ったの!
早く飲んでみて!」

っていって、夫に薬を飲ませた。

夫が「お!体の調子がだんだんと
良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、

「ああ!良かった~。これでお父さんとまた、
山にハイキングに行ったり、動物園に行ったり、
運動会に参加したりできるね~」

……っていうと

夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、
それから声を押し殺すようにして
「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。

私も貰い泣きしそうになったけれど
なんとか泣かないように、
鍋の味噌汁をオタマで掬って
無理やり飲み込んで態勢を整えた。

夫は娘には
「薬の効き目で涙が出てるんだ」と
言い訳をしてた。

その後、娘が近所の子に家に
プリキュアの人形を持って遊びに行った後、

「来年はお前がサンタさんだな……。
しっかり頼むぞ」と夫が言ったので、

つい私の涙腺が緩んで、
ワアワア泣き続けた。




俺ん家は俺と母親、
それとおはあちゃんの三人で暮らしてる。

親父は離婚していない。
パチンコとかやって借金をつくる
駄目な親父だった。

母子家庭ってやっぱ
経済的に苦しくて、母さんは毎日働いてる。
おばあちゃんは汚い服ばっかり着てる。

俺は行きたい大学があるけど、
金がかかるからそこだけ受けて
駄目だったら就職しようと思ってた。

それで、俺大学落ちちゃったんだ。

「すぐに就職先を見つけなきゃいけないな」
って考えてたら、俺の部屋に
おばあちゃんがやってきた。

「〇〇、大学落ちちゃったんだってね」
と、おばあちゃん。

「うん、でもいいよ。俺、就職するからさ」
ってちょっぴり強がって俺は笑ってみせた。

そしたらおばあちゃん、
いつから使ってるか分かんないような
汚い手提げ袋から、札束を出してきたんだ。

「え…何このお金…」って
俺が絶句してたら、

「〇〇、行きたい大学があるんじゃろ?
だったら行きんさい。

お金のことなら心配せんでええ。
まずこれで予備校行きんさい。

年寄りは金持ちやで。

それに、ちょうどばあちゃんな、
何かに使おうて思ってたんじゃ」

と、そう言ってシワシワの手で
札束を俺に握らせた。

俺の部屋から出るとき
「頑張りんさい」って言って出てった。

それから俺、
母さんにおばあちゃんのこと聞いたら、

「おばあちゃんね、あんたが産まれてからずっと
年金コツコツ貯めてたみたいだよ。
私も知らんかった」って。

マジ泣いたよ。

なんで金あんのに汚い服ばっか着てる意味とか、
さっき俺の部屋で喋ったこととか思い出して、
本当に泣いた。

もう、本当に頑張るから。

今は肩を揉むことぐらいしかできんけど、
絶対に大学に合格するから。



京都市伏見区桂川河川敷で
2006年2月1日に無職片桐康晴被告が

認知症の母親を殺害して
無理心中を図ったとみられる事件の
初公判が19日に行われた。

事件内容は、
認知症の母親の介護で生活苦に陥り、
母と相談の上で殺害したというもの。

片桐被告は母を殺害した後、
自分も自殺を図ったが発見され
一命を取り留めたとの事。

片桐被告は両親と3人暮らしだったが、
95年に父が死亡。その頃から、
母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。

母は05年4月ごろから昼夜が逆転。
徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。

片桐被告は休職してデイケアを利用したが
介護負担は軽減せず、9月に退職。

生活保護は、
失業給付金などを理由に認められなかった。

介護と両立する仕事は見つからず、
12月に失業保険の給付がストップ。

カードローンの借り出しも限度額に達し、
デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」

片桐被告はこの日、
車椅子の母を連れて京都市内を観光し、
2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で

「もう生きられへん。此処で終わりやで。」
などと言うと、母は

「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。

片桐被告が 「すまんな」と謝ると、母は

「こっちに来い」と呼び、
片桐被告が母の額にくっつけると、母は

「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。

この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。
母の首を絞めて殺し、 自分も包丁で首を切って自殺を図った。

冒頭陳述の間、
片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。

肩を震わせ、 眼鏡を外して
右腕で涙をぬぐう場面もあった。

裁判では、検察官が片桐被告が献身的な介護の末に
失職等を経て追い詰められていく過程を供述。

殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」
という供述も紹介。

目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、
刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、
法廷は静まり返った。

裁判の中で片桐被告は、
「私の手は母を殺(あや)めるための手だったのか」
と言葉を残した。

東尾裁判官は片桐被告に対し、
「尊い命を奪ったと言う結果は
取り返しのつかない重大だが

経緯や被害者の心情を思うと、
社会で生活し 自力で更生するなかで
冥福を祈らせる事が相当。
被告人を懲役2年6ヵ月に処する…」

そして続いてこう言った

「…この裁判確定の日から3年間
その刑の執行を猶予する」

殺人(承諾殺人)で
異例の執行猶予つきの判決を言い渡たされた。

そして被害者(お母さん)の心情に対し

「被害者は被告人に感謝こそすれ、
決して恨みなど抱いておらず

今後は幸せな人生を歩んでいける事を
望んでいるであろうと推察される」

判決の後、裁判長から

「絶対に自分で自分をあやめる事のないように
お母さんのためにも、幸せに生きてほしい」

と言われ、片桐被告は深々と頭を下げ
「ありがとうございました」と言った。

片桐被告に言い渡した後に
東尾裁判官はこう言葉を残した

「本件で裁かれるのは被告人だけではなく、
介護保険や生活保護行政の在り方も問われている。

こうして事件に発展した以上は、
どう対応すべきだったかを
行政の関係者は考え直す余地がある」


 ↑↑↑ 他にもいろいろ、イイ話がたくさん読めます。
http://kokorodo.net/

スポンサーサイト

トラックバックURL
http://dejimablog.blog39.fc2.com/tb.php/313-72447119
トラックバック
コメント
こんにちわ。
今朝はベランダの植木鉢の整頓掃除をして、今になってブログを読ませてもらっています。
すすり泣くほどの内容で、・・・・・・・・・・・

なんとコメントを書いていいのかわかりません。
まずは私のかわいいゴロちゃんの写真を使ってくださってありがとうございます。
ゴロちゃんとの出会いは、島の主人の転勤先の住宅でしばらく飼った野良のこんな猫でした。とても仲よくしてすっかりわが家の子になったころ、交通事故ではねられて死んでしまいました。その時のかなしさと言ったら・・・・・
今日から、このぬいぐるみの猫ちゃんは、心ちゃんと呼ぼうと思います。それはなぜかというと

今日のお話はみんな「こころ」のありようで人の作る家族は
暖かくも、冷たくもなり、争いも起こり、そして理解し合い
許し合いもできる。
何百億、それ以上の人間がいて,男女が巡り合い家族を作っていくのは
それだけでも奇跡であり、そこに子供が生まれ育っていき
またその子供たちがそれぞれの家族を作る。

でも家族故に争いは他人同士よりひどい場合も私も見てきています。「自我と魂の連携」この言葉はええ?とおもいました。自我ゆえに母親に乱暴したり、暴言を吐いたりするのかと思っていましたが、、自我が悪いのではなく,真の魂との連携がないからそういうことになるのだと判断していいのでしょうか。

もともと自我というのは人間が成長していく段階で芽生えてきてその人の個性などを作っていくのですよね。だから一方的に自我は悪者だと思っちゃいけないのですよね。

家族の絆に戻って、家族一人一人が節度を持って、相手を思いやって、自分だけの損得を考えず、家族が一つのシャボン玉になるように、虹色に輝くシャボン玉になるようにできたらいいですね。シャボン玉はどこか一点でも破けたらはじけますからね。

家族もそんなに長い時間ではありませんね。宇宙の長い時から見るときっとシャボン玉のようではないかと思い喩えてみました。
そんな刹那をせっかく生まれた家族ができることなら親を見送るまで、そしてその後も子供の新しい家族が優しい空間に浮かんでいたいものだと思いました。

ついつい、ブタローさんのブログに来ると、長々とお話したくなります。何もよくわからない年寄りのたわごとを述べています。お許しください。
ローズコーンdot 2015.11.01 14:24 | 編集
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top