2015
11.04

死んだ後を知らずして「終活」と言うなかれ







今日は、死んだ後の向こう側の世界について
ブログ記事を書こうと思います。

「死んだらどうなるか」が分かっていれば、
いたずらに死ぬ恐怖に怯えずに済みます。

また、死んだあとの世界への理解を深めることで
残されたこの人生の一日一日を安心して生きることができます。



例えば、あなたが今、
ある一冊の面白い小説を読んでいるとします。

ハラハラ・ドキドキ・ワクワクの連続で
心ときめいたその物語も終盤にさしかかり、
あと数ページで終わろうとしているとします。

なんだか、とても寂しい気分になります。

しかしあなたには、他に読みたくて仕方ない
いろんな小説が1万冊以上もあると思い出せたら、
その残り数ページの寂しさは薄らぎます。

「死」とは、怖いものではありません。
生きるステージが変わるだけのことです。

死んだあとも終わらないと知ることで
残された一日一日を安心して暮らせます。



縁あって家族となった者同士。

お互いに肩肘張って不仲になった関係も
自分の方から歩み寄って、絆を結び直そう
そんな気になれるかも知れません。

11月3日の文化の日

休日だった昨日、10時間以上も費やして
いろんなサイト記事から優良な情報を厳選しました。

「人は死んだらどうなるのか?」

それは終わりではないことを、あなたに知って欲しくて
今日の長いブログ記事を構成・編集しました。

かなり長いですが、
死ぬ前に知っておいて欲しいことばかりです。

是非、読んでおいて下さい。



私は生来、気が弱いところがあり、
そのもろさを克服したいと思って、
20数年前から、精神世界のいろんな本を
たくさん読んで学んできました。

「神様」
「魂」
「霊界」
「生まれ変わり」

そんなのウソだという人がいます。
それはそれで良いのです。

だれも死んだことがないから
ウソか本当か証明することはできません。

だけど何故、
あんなに正直で真面目で優しい人が貧乏で、
あんなに傲慢でイヤな野郎が金持ちで
威張って豊かに暮らしていられるのか?

どうして自分は、
あの時あんなイヤな目にあったのか?

どうして自分は、
最近良いことばかり起こるのか?

どうして自分は、
絶体絶命の大ピンチの時は必ず、
不思議と手助けしてくれる人が現れるのか?

それらの答えが、「神様」や「あの世」の存在や
この世が「魂の学び」の道場であることを
受け入れることによってなんとなく、
合点できる気がするのです。

とは言っても確かに、

あの世の世界についての情報には、
恐怖をあおるだけの下劣な記事もたくさんあり、

自分たちの宗教への勧誘目的の
都合の良い記事も多いのも事実です。

このツボや絵や数珠を買えば
「悪い霊から身を守れる」
「金運が絶対にあがる」
「パワーが高まる」
「病気にならない」

別にそれらを買う人を否定する気はありません。

しかし私は、
「心の問題は、自分自身で解決するしかない」と
考えていますから、そんなモノには興味がありません。

知ること・学ぶことで、
十分に幸せの感度を高めてゆけると信じています。

ただ一言、個人的な見解を言わせて頂ければ、
「今のあなたは十分に幸せなのですよ!」と
それを教えてくれない宗教には、強い不信感があります。

宗教の自由

別に否定する気はありません。
私が今日のブログでお伝えしたいことは、
魂の学びの世界の話です。

私は、このブログで魂の世界の話を書く時、
自分の中で違和感があることは
絶対に書くつもりはありません。

けれども、これから転載する
「死んだ後の世界」に関する記事には違和感を感じません。

20数年間、いろんな精神世界の本を
ずっと読んできた私でも、なるほどと思いました。

だから、自分のブログに転載しようと思いました。
今月のブログテーマである「家族の絆」について
考えてゆく上で、知っておいた方が良いと思うからです。

読む人によっては、「全くのデタラメだ!」と
思うかも知れないけれども、
個人的は、納得のゆく内容だつたので、
紹介することにします。

出来るだけ距離を置いて、
面白いフィクションとして読んで下さい。

真に受けないで下さい。

しかし、そんなこともあるのかもと思えば、
今の環境や状況に合点がいくことも、
個人的には少なくありません。
では、早速、転載します


▲http://spiritualhealing-volunteer.jp

終活に必要なのは
「死んだ後の世界」についての知識


死ぬのが怖い!

私は、昨年96歳で亡くなった田舎の祖母と、
よく手紙のやり取りをしていました。

手紙を書くようになったのは、
寝たきりになった祖母と
電話で話をしているときに、

「死ぬのが怖い」という言葉を聞き、
矢も楯もたまらなくなったからです。

当時、祖母は心筋梗塞を患っていましたので、
痛みや辛さで混乱してそう言ったのかもしれませんが、

朝夕、神仏に手を合わせていた
祖母の言葉とはとても思えませんでした。

元来、健康で働き者の祖母も、90歳を過ぎると
少しずつ弱り始め、足の骨折や心筋梗塞による
心臓の手術で入退院を繰り返すようになっていました。

次第に寝たきりになり、
言葉も不自由になっていきましたが、

最後まで身の回りの整理(今流行の「終活」)を
家族に指示するほど、頭はしっかりしていました。

私が祖母と手紙や電話で交流していたのは、
最晩年の2年間です。

コツコツと「終活」を進める一方で、
「死の恐怖」を拭い去れない
祖母の矛盾した心境を思うと、
何かせずにはいられなかったのです。

死期が近づいたら「死に支度」をするのは、
古くから行われてきたことですが、

それと「死んだ後の世界」についての知識を得て、
安心してその時を迎えることは全く別なのだと、
祖母との交流を通して深く実感しました。

ここ数年、「終活」という言葉をよく聞くようになり、
新聞やテレビでも特集を組んだりしています。

あとに残された家族が困らないように
しておきたいという気持ちから、
遺言の作成や遺産の分与・葬儀の形式・墓のこと等々、
積極的に考える方が増えているようです。

しかし、世間一般でいう
「終活」は万全であったとしても、

「死んだ後の世界」のことを
何も知らなかったなら、

死を迎える準備ができたとは
言えないのではないでしょうか。

私は、祖母が「死ぬのが怖い」と言った時、
とても哀れに思いました。

身辺整理をするぐらいですから、
当然、自分の死期が近いことは
自覚していたはずですが、

肝心の「死」についての正しい知識は
持っていませんでした。

こんなに哀れなことはありません。

と言っても、
知識を無理やり押し付けることはできません。

手紙でも電話でも、死は怖くないこと、
死ねば肉体の病気はなくなってしまうことなどを
伝えたつもりですが、

祖母の心境に変化があったかどうかは、
とうとう分かりませんでした。

歯がゆさはありましたが、祈るしかありませんでした。
何度も繰り返し伝えていたので、きっと今頃は、
老化と病気で不自由だった肉体を脱ぎ捨て、

「なぜ、あんなに死ぬのを怖がっていたんだろう。
死後の世界は本当に素晴らしい!」と、
驚き喜んでいるものと思います。

地上人生を歩んでいる間に、
死や死後の世界のことをじっくりと
学ぶことができるのは、本当に大きな恵みです。

私は、スピリチュアリズムを通して
「人間は死後、肉体を脱ぎ捨てて
霊となって霊界で生き続けること」
「その霊界は、とても素晴らしい世界であること」を知り、
死に対する考え方が180度変わりました。

人間は必ず「死」に直面します。

だからこそ「死とは何か?いずれ自分が赴くことになる
死後の世界とはどのような所なのか?」

――こうしたことについて、
ぜひ知っておいてほしいと思っています。

それが本当の「終活」だと考えるからです。

私たちは、「死後の世界は本当に素晴らしい世界である」
ということに気づいていただきたいと願いながら、
ヒーリングの奉仕に携わっています。

霊界の素晴らしさを伝えることも、
私たちヒーラーの使命であると思っています。


▲ http://ameblo.jp/pikmin18


「死後の世界」は絶対に存在する!

かなり長い対談記事なので、
お時間のあるときにじっくりお読みください♪


病院で遭遇する霊現象

江原:はじめまして。
 ずっとお会いしたいと思っていました。


矢作:私もです。

江原:私はスピリチュアリストとして25年以上、
 「肉体とは別に魂(たましい)が存在し、
 現世が終われば魂はあの世に還る」といった
 霊的真理をお伝えしてきました。


 一方、矢作さんは医師の立場で、
 「魂」や「あの世」の存在も明言されている。
 勇気ある行動だと思います。


矢作:よくそう言っていただくのですが、
 私としては特別なことをしている意識はないんです。


 子供の頃からごく当たり前に感じていることを、
 正直にお伝えしているだけで。


江原:でも、「医師のくせにオカルトを信じるのか」と
 批判されることもあるでしょう?


矢作:その意味で、私は江原さんに感謝しているんです。
 江原さんがテレビなどで根気強く説いてくださったおかげで、

 
 一定数の日本人には霊的な存在を受け入れる「土台」ができた。
 私はその流れの後ろにくっついているだけです。


江原:とはいえ東大教授、東大病院救急部・
 集中治療部部長として発言なさるのは、
 さぞ大変なことだろうと推察します。


矢作:私は逆に、東大教授、救急医療に携わっている医師だからこそ、
 伝えなければならないと感じるんです。


 なぜなら、「今日生きていることが奇跡だ」という
 感動の念を持つ日本人が、どんどん少なくなってきている。


江原:そうですね。昔の日本人は、
 どこかで常に死を意識して生きていた。


矢作:「死を抱いて生きる」のが自然な感覚だったはずです。
 だからこそ、今生きていることに感謝できる。
 それなのに、なぜ今の日本人は、死を直視できなくなったのか。


江原:それはやはり、「現世がすべて。死んだらそれで終わり」と
 考えているからではないでしょうか。


矢作:私もそう思います。

江原:実は、私の著作をよく読んでくださる方には、
 医療従事者が大変多いんです。特に看護師さんですね。


 彼ら彼女らは、「死=終わり」ではないことを
 感性と経験から知っている。


矢作:そうなんです。看護師には、
 そういう面で医師より感性が鋭い人が多い。


江原:当然ですね。病院は人が亡くなる場所でも
 ありますから未浄化霊も見えるでしょう。


 ただ、矢作さんのように、霊的な存在に理解がある
 医師ばかりではないので、「生命に対するとらえ方が違う」ことも、
 看護師さんのストレスの原因になっているようです。


矢作:私は霊が視えたりといった特別な能力が
 あるわけではないのですが、エネルギー体としての
 魂の存在は感じとることができます。


 江原さんのおっしゃるところの「オーラ」でしょうか。

江原:肉体と魂は別の存在で、肉体が死を迎えたら
 魂は「あの世」へ還る--このような基本的なことですら、
 いまだに信じない方がいることに、
 私の伝える力の不足を感じます。


矢作:いえいえ、そんなことはない。
 信じられない人は、信じるための経験が
 できていないだけでしょう。


死者の声が聞こえる

江原:先生は私なども太刀打ちできないほど、
 たくさんの「お見送り」をされている。


 「この人の魂はそろそろ
 (あの世に)還るべきときが来ている」と
 分かるものですか。


矢作:西洋医学の見地で、血圧などの数値から、
 「死が近い」と判断することと、
 魂の「お迎え現象」に遭遇すること。


 医療現場ではその両方を体験します。

江原:「お迎え」を体験している患者さんは
 どのくらいの割合なのでしょうか。


矢作:集中治療室だとどうしても少なくなりますよね。
 なぜかというと、人為的に意識を落としてしまっているので。


 ただ、もう血圧が低下して、
 意識が本来ないだろうと思うような人が
 急に目を開けて、表情が出たりするのでわかります。


江原:その目線の先には、
 もう別の世界が視えているのでしょうね。


矢作:だいたいは真正面を向いて、
 ビックリしたような顔をされる方が多い。


 もちろん、お一人お一人、反応は違いますが。

江原:私は「緩和ケア」の先生方に会うことも多いのですが、
 皆さん異口同音におっしゃるのは、「お迎えバスが来る」。
 逝くときには、皆いっぺんに逝くと。


矢作:あるでしょうね。



江原:やはり救急でもそうですか。

矢作:いえ、救急はあまりないですね。
 集中治療室は千差万別の患者さんに対応していますから。

 そこは、患者さんたちの症状に
 一定の共通性がある緩和病棟とは違います。

江原:緩和ケアの現場では、本当に同じバスに乗るように、
 数日の期間でまとまって逝くそうです。


矢作:ちょっと当てはまるかどうかわかりませんが、
 「臨死体験」という言葉を一般化した
 アメリカの精神科医レイモンド・ムーディが、
 「臨死共有体験」ということを言っています。


江原:それはどういう現象ですか?

矢作:ある患者さんがお迎え現象に遭遇した際、
 近くにいる家族だけでなく、ずっと離れた家族も
 お迎えの映像を共有する事例があるのだそうです。


江原:それはあり得ることでしょうね。

矢作:ここからは推測になりますが、
 われわれの魂は、幾次元にもグラデーションのある
 エネルギー体ですので、お迎えの際に、
 魂が肉体から外れかけると、
 他の魂とエネルギーを共有するようなことが
 あるのではないか。


 それで緩和ケア病棟でも、
 すでに仲良くなっている患者さん同士の魂が共鳴して、
 「じゃぁ、そろそろ行こうか」と一緒に
 逝かれるのではないか。私はそんな風に考えています。


江原:医師である矢作さんに、
 そう言ってもらえると頼もしいですね。


 先ほども申しましたが、日本社会では、
 特に第一線で活躍している男性は、
 霊魂の存在を頑なに信じないケースが多い。


 でも、それも仕方がないことかもしれません。
 戦後日本では、あまりにも「物質優先」の
 教育がなされてきたので。


矢作:アメリカの実験心理学の父と呼ばれる
 ウィリアム・ジェームズは心霊現象について、
 それを信じたい人には信じるに足る材料を
 与えてくれるけれども、


 先験的に疑いを持つ人にまで
 信じさせる証拠はないと指摘しています。


 これまで、霊的現象や臨死体験を
 科学的に論じようとした人は、
 世界中にたくさんいました。


 壁になるのは、これらの現象が
 人為的に再現できないこと。


 第三者が繰り返し実験できないと、
 科学では認められない。


江原;疑う人には、わかるときが来れば
 わかるとしか言いようがないんですよね。

 たとえば、長年連れ添った奥様を亡くした後、
 誰も触っていないのに家の中の物が動いたり、
 音を立てたりする霊的現象に遭遇した男性がいました。


矢作:いわゆるポルターガイスト現象ですね。

江原:その方はご高齢の紳士でしたが、
 これまでの価値観が覆されるほどのショックを受け、
 私のところにいらっしゃいました。

 そこで、「あなたは、生前の奥様にもっと
 優しくしてあげればよかったと後悔してらっしゃいますね。

 奥様は『後悔する必要はない、私は幸せでした』と伝えたくて、
 あなたのもとに来ているのです」とお伝えしました。


矢作:優しい奥様です。旦那さんは信じることができましたか?

江原:ええ。ポルターガイスト現象を体験しているだけに、
 霊魂の存在をすんなり理解してくださり、
 奥様の死に対して抱いていた後悔も解消されました。


病から何を学ぶか

矢作:私も似たような体験があります。
 母は晩年、独居を望み、自室マンションの風呂場で
 亡くなっているのが発見されました。


江原:ご著書にも書かれていましたね。
 矢作さんは、もっと強く同居を勧めればよかったと
 申し訳なく思ってらした。


矢作:霊媒の力がある友人を通して、
 私は母の霊魂と会話をしました。

 独居は自分が望んだことで、何の不自由もなかったこと。
 そして、私が気になっていた、なぜ死ぬ前に
 結婚指輪を外していたかという理由も話してくれました。

 結婚指輪のことは、私以外誰も知らないことです。
 一般常識では信じられないでしょうが、
 私は自分が死んだ母と会話をしているという
 確信を持つにいたりました。


江原:ただ、ここで大切なことは、
 霊的な現象というものは、霊的な真理を伝えるための
 デモンストレーションに過ぎないということです。


矢作:その通りですね。

江原:世の中の人は霊的現象を「オカルト」と称して面白がる。
 でも本質はそこではなくて、その現象から
 どのような学びを受け取るかが大切なんです。

矢作:それが「スピリチュアリズム」という思想の真髄だと、
 私は大人になってから知りました。

 たとえば「足るを知る」という学びが、
 その最たるものだと思います。

 死んだら終わりと思うから、
 現世での欲望がとめどなく大きくなってしまう。


江原:行き着く先は不老不死願望です。

矢作:現世は学びの場であり、死んだら魂はあの世へ還る
 という真理を知れば、死に対する受けとめ方が変わるし、

 それ以前に、病に対する考え方が劇的に変わるはずです。


江原:なぜ自分はこの病を得たのか。
 そこから何を学べばいいのか。

 そう考えることで、
 「自分はなんて運が悪いんだ」と嘆くより、
 よほど意味のある闘病生活を送ることができます。

 人を成長させるのは、経験と感動しかないんです。


矢作:いま私たちが言っていることは、
 特別なことでもなんでもない。

 実は、ひと昔前の日本人なら、
 誰でもわかっていたことだと思うんです。

 「お天道様が見ている」とか、
 「おかげさまの気持ちを持つ」とか。

 いまの日本人が、たまたま忘れてしまっただけで。


江原:日本には「狐憑き(きつねつき)」という
 言葉があるように、人間が動物霊などに
 憑依されることがあることも、経験的に知っていました。

 矢作さんも憑依について著書で書かれています。


矢作:自分の中に他者が入り込む体験をされた
 女性の例ですね。私は直接、彼女から話を聞きました。

 それまでは、周りにこうした現象を
 理解する人がいなかったため、初めて私に
 話すことができてよかったとおっしゃっていました。


江原:本来誰にでも霊的感性はあるのに、
 現代人は霊的なものに感応する力を
 自分から封じているように思います。

 おカネやモノ、肩書、学歴といった
 物質的な価値ばかりが暄伝され、
 祈ることを忘れてしまった。

 私はそのことが、自然界にも
 ものすごく影響しているのではないかと
 懸念しているんです。


矢作:天変地異ですね。
 間違いなく、影響があるでしょう。


江原:私は以前、霊界から受けたメッセージを
 著書に記しました。

 それは、「汚水は広がり満ち、
 どこが陸だか川だかわからなくなる」
 という言葉でした。


矢作:ここ数年の自然災害を予言されていた。

不安の大きい時代に

江原:もちろん、災害に遭われた方々に
 罪があるわけではないし、
 恐怖を煽りたいわけでもありません。


 私が伝えたいのは、
 「国民皆で少しでも気付こう」ということです。


 いまの世の中はすべてが氾濫している。
 モノが氾濫し、心も氾濫し、収拾が
 つかなくなっているんじゃないか。
 そこをどうやって我に返るか。

矢作:仮に一万歩譲って、
 人間の心と天変地異に因果関係がなかったとしても、
 起きたあとに気付かなければならない。


 いまの世で本当に良いのか。良くないとすれば、
 どう変えていけばいいのか。


 一人一人がそこに気付けば、
 だいぶ違うと思うんです。


江原:日本人が霊的な民族であることは、
 初詣を見ればわかります。


 あれだけ多くの人が正月になると一斉に初詣をする。
 これはよき伝統です。でも最近は、
 単なるイベントになってしまっている。


矢作:本来、神に感謝する場であって、
 願い事をする場ではないですからね。


江原:だから初詣で「おカネが儲かりますように」
 なんて願うのはやめて、


 八百万(やおよろず)の神に感謝し、
 日本の、世界の平和を祈る。


 国民全員がそれをやれば、
 必ず何かが変わります。


矢作:江原さんの新刊を読ませていただきました。
 率直な感想を申し上げてもいいですか?


江原:ええ、ぜひ。

矢作:私は、これは江原さんの遺言では
 あるまいかと思いました。


 呪いや災いに満ちたこの時代を
 どう生き抜くか。

 
 念とお祓いと護符で身を守る術が
 具体的に書かれていて、
 ここまで開陳されるのかと驚きました。


江原:こういった「呪いに直接的に対処する方法」
 を書くことは、スピリチュアリズムの観点では、
 ちょっと邪道かもしれません。


 けれども、いまはあまりに不安が大きい時代だから、
 思い切って不安除去のための本を書きました。


 目の前の不安を取り除いた上で、
 スピリチュアリズムの本質も学んでいただくことが、
 私の真の願いです。


矢作:この25年間、江原さんが
 批判の矢面にさらされながらも、
 スピリチュアリストとして活動されてきた
 総決算と言えますね。


江原:矢作さんも、徐々に有名になられてきて、
 批判されることが増えるかもしれませんよ。


矢作:どうでしょうか。基本的に、無理解による
 批判に影響を受けることはないと思っています。


 それに、もし批判を浴びるのなら、
 そこにも私にとっての学びがあると信じます。


江原:これからも、矢作さんが医師のお立場で、
 霊的真理を説き続けられることを願っています。


以上、週刊現代より。 



臨死体験者が語る「死んだあと」
http://japanese.china.org.cn

「臨死体験者」とは、
医学的に死亡が確認された後に生き返った人のこと。

アメリカの著名な心理学者レイモンド・M博士は、
150人を超える臨死体験者への取材検証から、
「人間の死」の真相に迫る。

これら臨死体験者の話には、
無視できない類似性が見られるという。
その類似性を14に大別し、現れる順番に列記する。

1)自分の死の宣告を聞く

彼らは、医者やその場にいる人から
はっきりと自分が死んだという言葉を聞いている。
生理的な衰えが極限に至ったことを感じ取れる。

2)経験したことがないほどの快適さ

「臨死体験」のはじめは、平和と安寧に包まれる。
喜びを感じる。先に痛みを感じることもあるが、

その痛みは一瞬で消え、自分が真っ暗な中に
浮かんでいるような感覚があり、
経験したことがないほどの快適な感覚に包まれる。

3)奇妙な声を聞く

「臨死」あるいは「死亡」すると、
奇妙な声が突然聞こえてくる。

ある若い女性は音楽のような音を聞いた。
なんともいえない美しい調べだったという。

4)真っ暗な空間に入る

彼らは突然真っ暗な空間に引きいれらる。
感覚が戻ってきたような感じがあり、
空気の円柱のようなもので、
境界のような感じがある。

こちらが現世で、あちらは別世界というような。

5)自分で自分の抜け殻を見る

自分が自分の体から抜け出し、別のところから
自分の抜け殻を観察しているのに気づく。

あるおぼれた男性は自分の体から抜け出し、
まるで羽のように空中に浮いていたという。

6)自分の話は誰も聞こえない

彼らがどんなに自分の困った状況を訴えようとしても、
誰にもその声は聞こえない。

ある女性は、話そうとしても誰にも
聞こえなかったといっている。

7)自分の身体に出入りする

体から抜け出した状態で時間の感覚は失われている。
ある人はその間、彼は自分の身体に出たり、
入ったりを繰り返したという。

8)感覚は研ぎ澄まされる

視覚、聴覚は今までになく敏感になる。
ある男性は経験したことがないほどはっきり見え、
視力が考えられないほどよくなったという。

9)孤独。誰とも交流できない

この後、強烈な孤立感、孤独感に襲われる。
ある男性は、どんなにがんばっても誰とも交流できず、
「ものすごく孤独だった。」といっている。

10)周りに他の「人」が寄り添う

この時になって、周りに他の「人」がいることに気づく。
この「人」は彼らがしっかりと死者の国に
行くのを助けてくれるのか、
彼らに生命がまだ終わっていないことを
知らせに来たのか、戻ることを考えられる時間だ。

11)最後の時、光が見える

「臨死体験」の最後の瞬間には、光が現れる。
この光は、ある種の「人間性」を
非常に明確に持っている。

12)人生を振り返る 今までの全てを

この時、彼らは一生をパノラマのように振り返る。
経験者はこの時間のことを短い言葉で
「ワンシーンの後、ワンシーンが続く」と表現している。

時系列で移動していき、場面ごとに
そのときの感覚や感情ももう一度味わうことになる。

13)「境界線」で隔絶される

この時、経験者がいう「境界線」「へり」というものが、
彼らを隔絶する。その形状はいろいろ表現されている。

水、けむり、門、荒野の中の垣根、一本の線。

14)命が戻る

幸運にも生き返る。「臨死体験」は程度の差こそあれ、
生きて戻ってきた人たちだ。

その瞬間、多くの人がふっと体の中に
入ったと言っている。

人は死ぬ瞬間、その人生の再評価を受ける。
この評価は大金を持っているとか、
地位が高いとかは全く関係ない。

あなたが一生に誰かと分け合った
愛や思いやりがどれだけあったかに
よって決定される。




▲ http://heal-theworld.jugem.jp



心から理解し合える魂の家族

この世で一生を送る間に、
出会う人は 果たして何人か?

ごく親しい人というのは
あなたと趣味があったり 心が通じあったり

またとても尊敬したりなど 短い期間ではなく
それこそ 一生のお付き合いが出来る人たちのこと。

そういう人たちとあなたは
実はあの世でも とても深い繋がりがある。

あの世というのは、
魂のレベルによって いくつもの階級に分かれている。

そして
その階級層で暮らしている人々は
同じ波動を持つ人間同士
それぞれが 一緒にいる。

まるで

人口40人ほどの小さな村が
(もっと大きな人が暮らす町の様なケースもある)
いくつも点在している様なもの。

それぞれの村では
そこの住人と同じ波動を持つ魂でなければ暮らせない。

たとえあなたが 『ここがいい』と
ほかの村で暮らし始めたとしても

自分の趣味や考え方に合わず
とても 居心地が悪くて
すぐに飛び出してしまうことになる。

そこは、魂の故郷。

同じ波動を持つ人々だけが
暮らす穏やかで温かな小さな村。

この世に生まれる前
そして 、そのずっと前から
あなたはこの村で暮らしていた。

そして、その村で暮らす人々、
それがあなたの本当の家族
『ソウルグループ』。

ソウルグループは、
大きな愛に溢れ、いつも村人同士がいたわり
愛し合い暮らしてる。

本当に心地よい場所だが、
彼らもそうそう呑気に暮らしていられない。

霊界で暮らしていても
常に魂のレベルアップを考えなければならない。

つまり、その村の誰かが
この世へ行って厳しい修行をしてこないといけない。

それは、村人たちにとっては
とても辛く 悲しいこと。

本当は行かせたくないけれど、
魂の修行をしなければ、
自分たちの村がより上の階級へ移ってゆけない。

だから、みんな
『なんとか無事に帰ってきて』
『がんばって』と送り出す。

もちろん、
この世に行った魂へのアドバイスは怠らず、
キャストとしても人生のどこかで登場する。

あなたが、この世で肉体の死を迎えた後、
幽界を経て帰りつくのは、このソウルグループ。
あの世の家族の待つ場所。

『夫(彼)とは気が合うし趣味が同じだから
 やっぱり あの世の家族だったのね』

残念ながらそうとも言えない。

実は、あの世の家族は、
あなたがこの世に生まれてくる時に
一緒にキャストを決めていのだが、

同じソウルグループは同じ波動のため
一緒にいても争い事など起きない。

むしろ、考え方が同じなので
同じグループの人を疑ったり
だましたり、悲しませたりするような
マイナスの波動を発することはない。

だから、この世に
あなたの家族として やってきても、

夫婦や親子などの人間関係で
あなたが悩んだり、学んだりすることは出来ない。

この世は魂の修行。
同じ考え方や 同じ趣味の仲良しグループだけでは
魂の鍛錬は出来ず 成長することもない。

あなたは、自分の魂より
レベルの低い人・高い人・意見の合わない人など、
色んな人と出会い、交流することで
あなたの魂が洗練されて行く。

家族関係というのは、
人間関係の中で、最も問題の多い関係。

結婚前は、あんなに愛し合った夫婦でも
愛が覚めた途端に、一挙手一投足が気になり
不平不満が増してくる。

母親なら、自分が生んだ子供への
愛情は他の愛情よりも勝り、

その反面、距離が近いために、
憎しみも生まれやすい。

家族関係ほど難しいものはない。
だから、魂の勉強(修行)には 最適。

そのため、家族のキャスティングには
一番時間を掛ける。

同じソウルグループから選ばれることもあるが
9割5分が他のグループからのキャスト。

こうやってソウルグループでは、
自分たちの魂の学びに欠かせないこの世での
人間関係にワンエッセンス加えてゆく。

グループ同士がお互いに
協力し合い キャストを派遣し合っている。

波動が違うグループなだけに、あなたが

『親子だけど 何故うまくいかない…』
『姉妹なんだけど性格が全く違う…』

そう感じるのは 当然の事。

いろんな人と出会うことが、この世での
修行だが 長い時間軸で考えると、

実は、この世の人間関係は
案外同じキャストで回っている。

この世の家族以外の重要キャストは
ほとんどが、あなたのソウルグループの霊達。

あなたの親友になったり
人生の教えを授けてくれた
忘れられない先生だったり。

時には、あなたを助け、あなたを励まし、
そして、一緒に泣いたり、笑ったりしてくれる。

あなたは、彼らのおかげで、
有意義な時を過ごしたり、
つらい出来事も越えて行けるのだ。

この世で、あなたのソウルグループを
感じていられる手掛かりがいくつかある。

最初は、趣味やセンスが合い
とっても話が合って楽しくできたけれど

付き合ううちになんだか
根本的な考え方が違うと感じる場合は
あなたのソウルグループの仲間ではない。

そういう人とは次第に
疎遠になったり、トラブルを起こして
離れて行く運命にある。

『気が合う』とは 良くいったもので
『波動が合う』という魂の共鳴を意味する言葉。

同じように、『気色悪い』は文字通り、
気の色が悪いこと。

マイナスの波動を出す低レベルの魂は
どんよりした色をしているもの。

暗い輝きを失った魂の集まり。
どんな魂も必然的に『類は友を呼ぶ』。

ただ、どんなに気色悪い魂のグループだって
魂の鍛錬をしようとこの世に生まれてきているので

当然、世の中には
いろんな人がいるということになる。

あなたのちょっとした波動の弱まりが
気色悪い魂を吸い寄せることもあるから注意が必要。




▲ http://getnews.jp/archives


末期患者と接するなかで、彼らが口にする
後悔の言葉をまとめた『死ぬ時に後悔する5つのこと』

ある看護師が書いたこの本に掲載されたリストが、
webメディア「Collective Evolution」で紹介されていました。

人が死を前にして本気で後悔することとは?
そこには、生きる上でのヒントが隠されています。

1)期待に応えるよりも、
 自分らしく生きればよかった


これは、最もよく聞く後悔の言葉。
人は、人生が終わりに近づいていることを悟った時、
もっと自分らしく生きていたかったと考えるようです。

叶わずに過ぎ去っていった幾つもの夢があれど、
ほとんどの人は、そのうちの半分にも全力を尽くせずに
時間を費やしてしまう。

そして、それが自分の決断次第だった
ということに気づくようです。

健康は人を盲目にします。
それがもう長く続かないとわかるその時まで、
自由を見えづらくしてしまうのです。

2)あんなにがむしゃらに
 働かなくてもよかった


これは、男性のほとんどが語っていたこと。
彼らの多くは、自分の子どもたちの幼い頃や、
パートナーとの関係を懐かしみます。

もちろん女性も同じようなことを語りますが、
その多くは男性でした。

昔は、男性が家計を支えるのが当たり前だった
時代だったせいもあるでしょう。

とくに高齢の男性たちは、馬車馬のように働き続けて
人生の時間を無駄にしたことに深く後悔していました。

3)言いたいことを我慢せず、
 はっきりと口に出せばよかった


多くの人が周囲との人間関係を円満に保つために、
言いたいことを我慢しています。

その結果、どうでもいいような関係を続け、
本音のやりとりがないまま時間が刻々と過ぎていく…。

いろんな思いに腹を立てて、溜め込んで、
泣いて、怒って、その結果として
病気になってしまう人がどんなに多かったことか。

4)もっと友達と
 連絡をとればよかった


付き合いの長い友達の大切さに、
死ぬ直前まで気づかない人はたくさんいます。

関係を続けることよりも、自分の生活で手一杯になって、
年々大切な友達と疎遠になってしまうこともあるでしょう。

なぜもっと、友達関係に時間と努力を費やさなかったのか、
みんな死の間際になってはじめて後悔するのです。

5)もっと自分の幸せを
 追求すればよかった


これも驚くほどよく聞く意見。
死ぬ寸前まで、幸福が選択肢であることに
気づけないのです。

古いパターンや習慣にとらわれて、
慣れ親しんだ快適さや身体的な条件の前に情熱を忘れてしまう。

あるいは、変化に臆病になって、
他人の真似やいつも通りの自分のままで生きてしまう。

そして、いつの間にか自然に笑って
生きることができなくなっている…。

笑ってしまうような無邪気な人生を取り戻したいと、
最期になって心から後悔するのです。




▲http://www.h5.dion.ne.jp

幸せになりたがらない人たち

人にはそれぞれ、
恵まれている点とそうでない点があります。

あらゆる点において恵まれている人はいませんし、
すべてが不幸な人もいません。

一見恵まれているように見える人でも、
その人なりの苦労や悩みがあるのです。

しかし、自分を好きになれない人、
自分を卑下してしまう人は、

「私は何もかもが最悪」で、
「この世で私だけが不幸」だと思い込んでいます。

そういう人は、幸せが目の前に転がっていても
見えていません。いえ、見ようとしないのです。

「健康な身体があり、住む家があり家族がいる。
 与えられたものに感謝すべきではないですか」と言われると、

「そんな当たり前のことに感謝などできない」と反論します。

「世の中には、もっと
 恵まれない立場の人もいるのですよ」と言われれば、

「自分より恵まれている人もたくさんいるではないか。
 不公平だ」と言い返します。

「他人の役に立つことをすればどうですか」と言われれば、
「自分のことで精一杯で、他人のことを考える余裕はない」。

まるで、自ら幸せになることをかたくなに
拒否しているかのようなのです。

自分を不幸だと嘆いている人は、
なぜわざと幸せから目を背けようとするのでしょうか。

その理由は、

「自分にも恵まれている点がある」ということを認めてしまえば、
自分の人生がつまらないと思っていることに対して
言い訳ができなくなってしまうからです。

「私は容姿がみにくいから、愛されないのだ」

そう言っておけば、自分が愛されないことについて、
「自分の努力ではどうしようもないのだ。
 自分が悪いのではない」と言い訳ができます。

「容姿が美しくなくても、
皆から愛されている人はたくさんいますよ」と言われれば、

今度は、
「そういう人は、優しい親に愛されて育ったからだ。
 私は親に愛してもらえなかったから、自分に自信がもてないのだ」と、

新しい「不幸の理由」を主張します。

「親に見捨てられても、
 立派に生きている人はたくさんいますよ」と言われれば、

「そういう人は、たまたま才能に恵まれていたからだ。
 私には何の取り柄もないのだから、仕方がない」と、
さらに言い訳をつくろいます。

私は不細工で、しかも貧しくて何の取り柄もなく、
そのうえ誰からも愛されずに育ち、
なおかつ幸運の女神にも見放され……。

いきおい、自分だけが世界中の不幸を
一人で背負い込んでいるかのように、
言い訳に言い訳を重ねてしまうのです。

「自分は何も悪くない」ということを証明するために、
徹底的に自分を卑下するという、
矛盾したことをやっているのです。


▲ https://happylifestyle.com

当たり前の中に幸せがあります。

幸せは、なるものではありません。
気づくものです。

幸せは、日常の至る所に点在しています。

当たり前のことをして、
当たり前のことに感謝するだけです。

たとえば、人と会ったとき挨拶をします。
楽しい会話を心がけ、たくさん笑います。
食事はよく噛んで、しっかり味わいます。
仕事はサボらず、一生懸命します。

これだけです。

当たり前のことをして、
当たり前に感謝すれば幸せを感じます。

人との触れ合いに喜びを感じ、
おいしい食事に満足感が得られて
仕事が充実します。

幸せには、理由がないのです。
しかし、不幸には理由があります。

人と会えば、粗探しをします。
食事のときは「まずい」というのが口癖です。

仕事ではサボってばかりであり、
口にするのは会社や上司への悪口ばかりです。

一言で言えば、当たり前ができていません。

当たり前をしていないから、
当たり前の幸せが感じられないのです。

当たり前に対して感謝を忘れる人は不幸になります。
幸せを目指すより不幸を避けることです。

不幸には、理由があります。
不幸になる理由を改め、
当たり前のことを大切にしましょう。

当たり前のことをして、
当たり前に感謝をするだけです。

***************

長い長い記事を最後まで読んで頂いて
有難うございました。少しでも気楽になって頂けたら
今日の記事を更新した甲斐があります。



「たくちゃん」さんのコメントに感動し、
ローズコーンさんの励ましに感激しました。

やはり、知ること・学ぶことで
幸せの感度を高めることはできるのだなと
実感させて頂きました。

「たくちゃん」さんのコメントの最後に
>ただいつも、ご主人のそばにいられることを
>感謝しながら…。

という一行がありました。

なぜ、「感謝」できるのか?
それは、いままで「当たり前」と思っていたことが
実は「当たり前ではなかった」と気づけたからでしょう。

私たちは、すでに得ていることは「当たり前」だと
なかなか感謝できません。

「気づく」とは、単になにかを読んで
「分かる」ことではありません。

深く深く「思い知る」こと、実感することです。
だから、体験の中で気づきが多く得られます。

大事なことは、「たくちゃん」さんのコメントを読み、
「なるほど」と思った読者の方が、今からご主人に
優しく接してゆこうと決意するかどうかです。

「なるほど」と思いながら、
それを行動に役立てなかったら、読んだ意味がありません。

私にとっては、ローズコーンさんや「たくちゃん」さんの
コメント文も大切なその日のブログ記事です。

だから、わざわざ本稿欄に掲載しています。
あなたにも「コメントを下さい!」と言っている訳ではありません。

私のブログはいつだって、読み流し・読み逃げOKです。
私が好きで勝手に更新しているだけですから、
別に不満にも思わないし、文句も言いません。

けれども、「なるほど」と思ったら、家族との関係改善に
役立てて頂きたいのです。

当たり前ではなかったと気づくことで、
「得がたい=有難い」ことだったと気付けます。

現在の状況を変えることは出来なくても
知ること・学ぶことで幸せになれます。

そんなことを、コメントから私こそ学びました。
有難うございました。お二人に感謝致します。





▲「たくちゃん」さんのブログ
「毎日を有意義に過ごそう」

http://plaza.rakuten.co.jp/takutyan9000/


▲ローズコーンさんのブログ
「老いてこそ勉強」
http://plaza.rakuten.co.jp/hamabira/

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コメント
いや~本当に長かった~。
でも一気に読ませていただきました。

まさに今、夫とのお別れの日がそう遠くないことを感じている私。
途中で夫と抱き合って子供のように泣きました。
大きな声でオンオン泣きました。


夫にはもう「死ぬ前の後悔」など話す力もなく声も出ません。
ただ次の世界があることに私はほっとしています。
そこには先に逝った家族たちが待っていると思いたいです。

それでも現実の今の私は夫とのお別れの日が1日でも長いことを願っています。
24時間ただただいつも側にいられることを感謝しながら・・。
dot 2015.11.04 06:27 | 編集
たくちゃんのコメントを読ませていただいたら、もうなにもコメント書けなくなりました。
10時間もかけたブログの力に圧倒されました。
今日は出かけないつもりなので、またもう一度読み直します。
ローズコーンdot 2015.11.04 06:53 | 編集
夫はウォーキングに行き、夕食の支度も済んでゆっくりと向かい合いました。そして矢印をひとつづつクリックしながら、ゆっくりと考えつつ読んで至ったら、あれ、もう済んだのって感じでした。

私は何も勉強してないし、こんなことも知りませんでしたが、昔からあの世はきっと楽しいところだと決めていました。それを今生きているものが知ったら、早く死にたがるので、そう思わせないようにしてあるのではないかとバカみたいに思ってきました。

3歳の時チブスで(終戦の年)私が危篤になり、もう駄目だから、せめて母親に合わせてあげようと、(母は盲腸から腹膜になり、そのころ医師もいなくて手術はしたけれど、回復が悪く弟1歳の子供を連れて実家に帰っていました。
そんな体で山道を歩き汽車に揺られてきた母は体が弱っていたのかもしれないけど、すぐに帰るなり、亡くなったのです。
私は何も覚えていないのですが、きっと母は私が代わりに死にますと神様にお願いしたのではないかと一人思っています。だからいつも朝からお経をあげるとき母の写真の顔を浮かべて感謝のありがとうを唱えています。弟には悪いことをしたと思います。私が死んでいれば弟は寂しい思いをしなくて済んだろうにと。

その後母代わりに育ててくれたのが祖母でした。だから祖母が亡くなった時の悲しさはたとえようがありませんでした。
だからブタローさんがおばあさんに手紙を書いた話を読んだときなんて優しいお人だと涙が出ましたよ。わたしはなんの励ましもできませんでしたが、薬は私がやるときだけ飲んでくれました。

むかし、我が家の床の間に川のそばに座っておられる観音様の絵の掛け軸がありましたが、あれはきっと母の姿だと年とってから思いました。きっと父が私たちが育つように、観音様の掛け軸をかけてくれたのではないかと。

きっとソウルグループの中で楽しく暮らしていると思います。若くして亡くなった母、とっても勉強が好きだった母、ノートが一冊残っています。私が勉強するのは母の分まで勉強しようと思うからです。母の着物はたくさん残って私の手元にあります。そこに母がいたという事実を知ります。

家族全部の悪口を言っている姉も、私の母が継母としてきたとき(姉の母も妊娠中毒症で亡くなった)とても優しくて自分の人生の中で一番いい時だったと今でも言ってくれるのが
何よりの救いです。

この世は魂の修行の場所、そのことを心にふかく刻んで残りの人生を過ごしたいと思います。
どうもありがとうございました。長々と書いてすみません。
ローズコーンdot 2015.11.04 17:28 | 編集
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