--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2015
12.03

足るを知る者は富む



シンプル イズ ベスト

暮らしは「シンプルライフ」が一番と言われても、
それは、貧乏人の開き直りに過ぎないという
違和感が私には強くありました。

お金はたくさんあった方が嬉しいに決まっているし、
毎日ご馳走も食べたい。

有名ブランドの服を着て、
妻と贅沢な旅行を毎月しまくりたい。

もちろん住む家は豪邸が良い。
それこそが豊かさと言うものだ!

そんな尺度から見たら、
「シンプルライフ」なんて笑止千万❗

だけど、本当に「笑止」だろうか?
そんな思いも首をもたげます。

1着3,000円のユニクロのセーターより
1着3万円の高級ブランドのセーターの方が
10倍保温性が高いのか?

仮に保温性は同じだとすれば、
差額27,000円は、どんな価値を持っているのか?

1枚68,000円もする
良質な安眠性を謳う高反発マットレスなら
その日イヤなことがあってイラついている人さえも
心安らかな爆睡に導いてくれるのだろうか?

今日も楽しい一日だったと喜ぶ貧乏人は
センベイ布団だから、寝付きが悪いのだろうか?

人がうらやむ資産家になり
人がうらやむ豪邸に住み、
高級ブランド品を身にまとい、
毎日ご馳走を食べながら
誰にも気をつわかずに暮らす

それは本当に、究極の幸せだろうか?
いや、それを疑うことは貧乏人の
単なる「ひがみ」ではないのか?

では、それが「ひがみ」とするならば
金持ちでさえあればみな、幸せになれるのか?
モノの所有の豊さが心の豊さに直結するのか?

精神世界の本を昔から読んできた私は
今でも十分には消化はできないけれど
「うぐっ…」と反論できない話を
読んだことがあります。

それは人生を全うしたある魂の
あの世での懺悔の話です。

----------------

自分の今生での学びのシナリオは
会社の社長となって、雇った従業員たちと
働く喜びや助け合う喜びを
共に味わうことだったのに、

傲慢な性格を増長させて、
ワンマン経営を続け、
経費を浪費して愛人に貢ぎ
家庭を崩壊させてしまった。

自分は今生では、誰ひとり、
いや自分さえ、幸せにできなかった。

だから、今度生まれ変わる時は、
しがない貧乏人として生まれ
人を温かく支えながら、
つつましく生きてゆく人生を
体験しなおしたい。

どうか、神様。もう一度、
私にその学びのチャンスを下さい!

------------------------


本当に私たちは、そうやって
生まれてきているとのだとしたら、

もっと現状を受け入れて
その中で幸せに生きてゆく道を
模索してゆくべきではないのかと
思ったりもするのです。

モノの豊かさが絶対的な心の豊さを
保証してくれないのは何故でしょうか?

それは、金持ちとか立場とかは
この人生の条件設定にすぎないからです。

身の丈の幸せ

それは貧乏人の開き直りではなくて、
自分が授かったこの人生の条件設定の中で

どれだけ心豊かに生きることができるかに
チャレンジするために生まれてきたのだと
気づくことではないのか?

私はそう思えてなりません。

現状肯定

もし現状の暮らしの中で
不満に感じることがあるとすれば、

それは生前の自分が
今生の自分に託したハンディ=負荷であると
考えることにしましょう。

「どうか、この負荷に惑わされないで
人と仲良く心豊かに生きてくれよ」


自分が自分に託した祈りであると
考えることにしましょう。

生前に自分が設定した負荷なら
まあ仕方ないかと
受けて立とうじゃないかと
そんな気にもなれます。

最近、そんなことを思います。
あなたはどう思いますか?

本日のブログは、そんな自分の考えを
整理するために記事を集めました。
テーマは「足るを知る者は富む」です。

あなたがより心安らかに生きて行くために
ピピッとくる数行があったら、嬉しい限りです。

では、始めます。


▲ http://www012.upp.so-net.ne.jp

7年ほど前、人生の不幸を幸福へと
転換する決心をしたとき、
私はそのための方法をいくつか思い描いていた。

借金を返済し、ダイエットし、
もっと良い仕事につき、家をすっきりと片づけ、
体調を整え、生産性を高め、本を書くのだ。

私はそれらを全て実現したただけでなく、
他にもたくさんのことを実現した。

素晴らしいことだった。
人生は変わり、今ではとても幸福だ。

しかし、私が幸福になったのは、
それらを実現したからではない。



私が気づいたのは、
幸福のために必要なものは、
既に全部持っていたにも関わらず、

それは不安、人生に対する不満、
自分の身体や自分自身に対する
嫌悪感の下に埋もれていたということだ。

すでに持っていたのに、
隠されていたのだ!


心の表面を覆いつくす
自我や我欲が目くらましとなって


幸せになるための潤沢な資源に
気づかないで生きていたのだ。


人を思いやる優しさも
不安に立ち向かう勇気も
苦境を乗り越える知恵や気力も
将来を切り拓く希望も
自分をいとおしむ愛も

すべて洩れなく
私の心の奥底に
備わっていたのだ。


勿論、あなただってそうだ。

あなたが持っていないものなど
なにもない。

あなたにも幸せの資源が潤沢に
備わっている。

但し、その存在を疑い、
前向きに活用しようとしなければ
持っていないのと同じということだ。


幸福とは、既に持っているものを
見つけ出すことなのだ。

あなたは今、幸福になるために
必要なものを全て持っている。

自分自身も人生も、
変える必要など何もない。

必要なのは、既にそこにあるものに
目を向けることだけだ。

自分自身について私が気づいたこと、
私がどのように幸福を手にしたのかを紹介しよう。

人生を変える

幸福になることを決意したとき、
私は人生を変えたいと思っていた。

私の中には、目指す理想の人生の姿があった。
それが実現できれば幸福になれると思っていた。

全ては幻想にすぎない。みんな同じだ。

誰もが理想的なパートナー、理想的な子ども、
理想的な仕事、家、車、コンピューター、服、
旅行、家具、テレビ、そしてもちろん
身体について夢想する。

夢に描いた理想どおりのものさえ
手に入れれば幸福になれるはずだ。

そうだろう?

いや、そうではない。
まず、幻想が現実になることはない。

そこに近づいていると思うかもしれないが、
思い描く通りの現実が訪れることは絶対にない。

例をあげよう。

私がこのことを学んだのは、
贅を尽くした豪邸を建てても、
そのこと自体が自動的に満足感を
与えてはくれなかったということからだった。
それはまた別個に学ぶ必要があったのだ。

とはいえ、不要なものをなくす取り組みは
数多くのことを教えてくれた。

たとえば
自分がモノにこだわる理由(怖れ)が理解できたし、
その怖れには根拠がないこともわかった。

そうしたニセモノの安心感がなくても
自分が充分にやっていけること、

そして数多くの不要物なしでも
生きていける程度の力を
既に持っていることにも気づくことができた。

私は人生のシンプル化をお勧めするが、
それはあなたが思い描く夢の人生のためではなく、
自分自身について知ることができるためだ。

ダイエットに成功したとき、
それでも自分の身体についての不満は残ったままだった。

それは依然として完璧ではなかった。
正直に認めよう。男性誌のカバーモデルが
振りまく幻想を基準にするなら、
完璧が手に入ることは永久にない。

幻想が現実になることは絶対にないのだ。

しかしダイエットは、
より健康的な食事とエクササイズを
楽しむことができるということを教えてくれた。

それは思ったほど恐ろしいものではないし、
ストレスや怖れや孤独や退屈などに対する
[支え]として食べ物は必要ないということもわかった。

私の抱える他のあらゆる幻想についても同じだった。
幻想を求めて奮闘しても決してうまくいかないこと、
そこに到達することは決してないこと、

たとえ近づけたとしても
幸福には結びつかないこと。

しかし同時に、
これまで抱えていた荷物はもう必要ないこと、

幸福のために必要なものは
すでに持っているということ。

幸福のために必要なもの

結局、何があなたを幸福にするのだろう?
幸福になるためには何が必要なのだろう? 

外的なモノを手に入れることで
幸福を目指すこともできる。

家、仕事、車、恋人、食べ物、
ドラッグ、ショッピングなど。

しかしこれらのモノは
あなたを幸福にはしてくれない。
少なくとも長い間は。

モノが持続的な幸福感を与えてくれなければ、
もっとたくさんのモノを手に入れようと
奮闘しなければならない。

つまりあなたの幸福は、
常に外的なモノや誰かの気まぐれの
影響下にあることになる。

そうではなく、
自分自身の中に幸福を見つけることもできる。

自分の内に素晴らしい何かがあり、
ありのまま受け入れさえすれば

幻想と比較しようとしなければ
それは美しいものだということに気づくことだ。

人生は幻想抜きでも、
常にそのままで素晴らしい。

そして、幸福が内にあるということは、
他人の気分や、幸福の源が外的な出来事のせいで
どうにかなったなどという理由で、
それを失うことはないということだ。

それは、幻想をひとつひとつ
削り落としていくということだ。

内面に目を向け、
そこに見つかるもので満足するということだ。

一晩でできることではないが、
素晴らしい何かは、あなたの内側に既にある。

実際にはあなたの周囲のいたるところにある
幻想など必要ないのだ。


▲ http://www.roushiweb.com/category

「自分にないもの」を
求め過ぎていませんか?

「無い物ねだり」という言葉、
よく使われますよね。

独身の人からみれば、
妻子がある生活が幸せそうに見えますが、

既婚者から見れば、
お金や時間がフリーな独身生活が羨ましい!

賃貸暮らしの人からみれば、
マイホームに憧れを抱きますが、

持家の人からしてみれば、
ローンや固定資産の悩みがない
賃貸住宅の自由さが懐かしい…。

思うように
希望の仕事に就けない人から見れば、

世界を股にかけてバリバリ仕事を
こなしている人が生き生きして見えますが、

仕事に忙殺される人は
「お金がなくても拘束されない自由」が羨ましい。

このように、人には、
自分が手にしているものを嘆き、
自分に無い物を渇望するという性質があります。

このような性質を指して老子は、
「自分の内側に目を向けず、
自分の外にばかり目を向けている」
と表現しています。

すなわち、
常に自分の外側ばかり見て
「自分にないもの」を求めていると、

次から次へと
欲しいものが出てきてしまう!

“足る”を知るということがなく、
「もっと」「まだ足りない」と、
際限なく欲してしまうのです。

足るを知ることがないということは、
満たされることがないということ。


常に不満が残るので、
心穏やかに生きることができなくなってしまいます。

足るを知って
心安らかに生きよ




「知足者富」
(足るを知る者は富む)

「満足することを知っている者は、
心豊かに生きることができるんだよ」
と、

老子は説いています。

足るを知る=満足することを知ることは、
実は非常に難しいこと!

次々に新商品が生み出され、
物があふれた現代社会では、

様々な物がある意味では
「使い捨て」の状態になっています。

そのような環境に生きていると、
どうしても、

「もっと機能が充実した新しいもの」
「バージョンアップしたもの」に
目が向いてしまいがち。

結果として、
「必要かどうか」を検討する余地なく
新しいものを手にする機会も増えています。

しかし、ちょっと立ち止まって、
「これを買うことで
本当に自分の人生は豊かになるだろうか?」
と、思いめぐらしてみてください。

例えば、最近は、携帯電話といえば
スマートフォンが定番になりつつありますよね。

かつて主流だった電話機は、
ガラクタケータイ=“ガラケー”などと呼ばれ、
機種も大幅に縮小されています。

しかし、本当に、
全ての人のスマホの機能が必要なのか?

スマホユーザーが、その機能を
余すところなく使いこなせているのか?
…と問われると、疑問が残るでしょう。

何事も、他人や世の中の
基準に流されるのではなく、
自分自身に合ったものを選ぶ。

自分にとっての“足る”を知ること。

非常にシンプルなことですが、
それが、できそうでいてできないこと。
本当の意味で幸せになるための
鍵なのかもしれません。

自分の内側に
目を向けてみよう


「足るを知る」というと、
欲張らずにほどほどのところで
現状に満足すれば良いのかと
解釈してしまう方も多いかもしれません。

しかし、老子の言う「足るを知る」というのは、
そのような「仕方なく満足する」という
消極的な意味ではありません。

「これで良い」のではなく、
「これが」良いと思える生き方。

今の自分自身に満足することこそが、
「足るを知る」ことなのです。

自分が持っているもの、
自分が身につけてきたもの、

自分がこれまで得てきたものを認め、
受け入れ、まずはそれに満足する。

もちろん、上を目指すことも大事なことですし、
“欲”もあるからこそ人は努力することができます。

「人に良く見られたい」
「人から好かれたい」
「尊敬されたい」

そういう気持ちがなければ、
頑張れないことだってあります。

しかし、そればかりでは
心が疲弊してしまいます。

どんなに頑張って何かを得ても、
それに満足することなく

「もっと、もっと」と次を望むのでは、
自分自身が報われません。


時には、自分の内側に目を向けて、
「自分はこんなに多くのものを
手に入れてきたんだな」と、

「現在の自分は、実は
すごく恵まれていたんだなぁ」
と、

自分の現状を肯定し、
認めてホメてあげることも大切。

それが、心安らかに生きるための
一つの知恵とも言えるでしょう。

身軽なほうが
「幸せ」の値打ちが高い


同じ100万円でも、
受け取る人の経済状況によって
その100万円の“価値”は違ってきますよね。

例えば、貯蓄が1億円以上あって、
毎月の収入も安定している人。

このような人にとっての100万円は、
「もらえるなら、まあそれなりに嬉しい」
というレベル。

どうしても欲しい、
喉から手が出るほど欲しい!という
金額ではないでしょう。

一方、蓄えどころか
毎月の収入さえも安定しない。

食べていくのが
精いっぱいという人にとっては、
100万円は夢のような大金!

「これでなんでも買える」という
気持ちになる人もいるかもしれません(笑)。

実際、月に100円の
お小遣いしかもらえない子供にしてみれば
「100万円」はかなりの大金ですからね。

このように、同じ物を得る場合でも、
元々持っているものが少ない人間のほうが
「得る喜び」は大きいですよね。

人生、身軽なほうが「幸せ」を実感しやすい、
「幸せ」と感じるまでの閾値が低い…

そう言ってしまうのは言い過ぎでしょうか (笑)


▲ http://www.h5.dion.ne.jp

お金のことでいえば、
倹約家とケチとはまったく異なります。

倹約家とは、
お金のありがたみが判っており、

お金を大切に、
上手に使うことのできる人のことです。

それに対してケチな人は、
際限なくお金を求め、

どれだけ儲けても満足できず、
もっと儲けるにはどうすればよいか
ということばかり考えています。

ケチは、他人に与えるときも、
恩着せがましく見返りを要求します。

まわりの他人と助け合い、
支え合って生きるという意識はなく、
自分が得をすることしか頭にないのです。

「足るを知る者は富む」とは、
老子の言葉です。

豊かさとは、

「どれだけ多くのものをもっているか」ではなく、
「どれだけ多くのものを必要とせずにいられるか」
によって測られます。

欲に苦しめられている人は、
その欲を満たすためにどれだけ努力しても、
苦しみから逃れることはできません。

わがままな人は、何故いつまでも
わがままを言い続けるのかというと、

「わがままを言うことで
満足している」からではなく、


「どれだけわがままを言っても
満足できない」
からです。

つねに誰かの愛情を求め続ける人は、
なぜ愛情を求めずにはいられないかというと、

「どれだけ愛情を求めても、
心が満たされない」からです。

昭和のはじめごろまでは、
年ごろの男女がデートをしたり、
手をつないだりするということは一大事でした。
軽はずみな恋愛などできない時代でした。

自由な時代の現在は、
恋愛に障害が少ないために、皮肉にも、
かえって満足がえにくくなってしまいました。

現代では、たくさんの人と出会う機会が増え、
メールアドレスを交換すれば、
それだけで友人を確保したつもりに
なってしまいます。

しかし、そんな手軽な手段でえた友人は、
心もとないものです。

逆にまわりの人は皆
交遊を楽しんでいるように見え、

自分だけが取り残されているような気がして、
つねに欲求不満にさいなまれてしまうのです。

日本は、世界でも類を見ないほどの
急激な経済成長を果たしましたが、

世論調査では、日本人の半数以上が
「現在の所得に不満」だと答えています。

人間の欲望とは、そういうものなのです。
自由であるがゆえに、ほしいものが手に入っても
喜びが長続きせず、新たな欲望だけが
ふくらんでいくのです。

愛情がえられず苦しんでいる人は、
ひとつ大切な知識を身をもって学んでいます。

「愛情もお金と同じように、
どれだけ求めても満足できることはない」と
いうことです。

その知識を活かして、
愛情の「倹約家」を目指しましょう。

愛情を際限なく求めるのではなく、
ご飯の最後のひと粒までを味わって食べるように、

他人から受けたどんな小さな愛情も無駄にせず、
ありがたく受け取り、大切にするのです。

欲を捨てることを阻んでいるものは、見栄です。

友達が高級ブランドの服をもっているから、
自分はもっと上等な服がほしい。

友達に美人の彼女ができたから、
自分はもっと美人の彼女がほしい。

それ自体が目的というよりも、
他人に見せびらかして
優越感に浸ることが目的なのです。

実体のない幸せをいくら追い求めても、
しっかりと手につかむことはできません。


不満も怒りも恨みも、
元をただせば自分の欲望です。

無駄な欲望を捨てれば、
ストレスの半分以上は消え去ります。

欲を捨てるということは、
生きる気力や希望さえも
放棄してしまうという
ことではありません。


意義のある人生を送りたいと思うのも、
ひとつの欲です。

満たせば満たすほど大きくなり、
自分を苦しめる欲は捨てなければなりませんが、

自分に喜びをもたらす意欲は、
むしろ積極的に求めるべきなのです。


何が自分にとって必要な欲かということは、
人それぞれの考え方によって違いますが、

共通していえることは、

「他人の基準ではなく、
自分の基準に従って選んだものであり、
何ら恥じることなく胸を張って語れるもの」
ということです。

活き活きとした人生を送っている人とは、
自分に必要なものとそうでないものを
はっきり区別できる
人のことでしょう。



足るを知る者は富む

「今得ているものに感謝して生きる」
そう分かっていても、現実的には

身近にお金持ちの人たちの
金遣いの派手さを見るにつけ、
「ああ、うらやましいな…」と
思ってしまうのは私の未熟さです。

そんな時は、
冒頭に書いたようなこと、つまり、

今の境遇の中で
いかにより豊かに日々を生きるか
楽しく生きるかを体験学習するために
この世に生まれてきたことを
忘れている時です。

だから、ここでいかに
私やあなたが守られているかを
思い出すために、それを解説する記事を
読み返してみることにします。
↓↓↓


▲ http://tukioyobu.air-nifty.com

これは家族や友人や周りの協力者ではなく、
スピリチュアルの観点からのお話です。

どんな方でも、疑い深い方でも、
悪い事をしてしまっても、
嘘をついても、仮に人を騙しても
必ずあなたは守られています。

守護霊様やガイド達は
必ずあなたの周りにいるんです。

一人や二人では在りません。
沢山の数です

・・・・あの内閣発足後の
記念写真の時の段々みたいな感覚です。

自分は今、ツイてないし駄目だし…
交通事故や病気にもなってしまったし…

諦めては駄目なのです。

それでも守護霊様はあなたを
守り続けているのです!

あなたは、
沢山の存在から守られています!
それを実感することで更に強力になるのです。

私の例をお話ししましょう。
子供の時には、フェリーに乗る時も
船と海の間に落ちましたし、
岸壁から海の底には2~3度落ちました。

昔のトイレ、夜の古井戸(20歳の時)にも
落ちましたが、かすり傷でした。

いつも、
「守られている。本当にありがとう!」の
感謝の気持ちが大切なんです。

運転免許を取ってからは正面衝突の危険が、
今迄、3回ありましたが、全部奇跡的に助かりました。

4車線で運転中に急ブレーキをかけたところ
スピーンもしたし、その時も何事もなかったのでした。

また、出張に行く場合も
電車に吸い込まれそうになりましたが助かりました。

マウンテンバイクで飛び出た大木に
頭だけが当たった時も大丈夫だったし、

自転車で車に当たった時も軽症だったし、
バイクでトラックに当たった時は、

手が1ヶ月あげられなかっただけだし、
全部助かりました。まだまだ一杯あるのですが
いつも守って頂いています。

守護霊様は、写真にも時々、
光となって写りますが、
掲載出来ないのが残念です。

特に守護霊様は、
このような物理的な危険も守ってくれますし、
霊的な時や私生活でも守ってくれます。

一つ守られたら偶然だと思わないで、
ただ単純に「ありがとう。守護霊様!」と
習慣付ける事が大切です。

守護霊様は、詐欺や大きな間違いが
起こりそうな時も助けてくれます。

そしてあなたのために、
愛のムチも与えてくれることもあるのです。

その方向に行ってしまうと
最初は成功したように見えるが、

結果的には大失敗をしたり、
怪我や大病になる時には、

事前に傷が広がらないように
「失敗」や「病気」を
あなたにプレゼントしてくれるのです。

もし表面だけを見て、
素晴らしい会社や結婚相手と見えても、
その本質は守護霊様だけが分かっているのです。

その時には、あなたはリストラされたり
結婚相手にふられたりします。

あえてその人に会わないように
小さなトラブルや事故を経験するかも知れません。
それは全部、守護霊様の愛あるギフトなのです。

あなたの願いが叶わない時も
守護霊様からのギフトもあります。

とても自信のある願いだったのに、
何か不思議に妨害が入ったり、
思いもかけない不運やトラブルで
むっちゃくちゃになった場合など・・・・

何故かと言うと、
その願いがあなたの魂からの計画と違っていたり、
変な方に脱線してしまう願いの時は叶いにくいのです。

いつも無理してて、
体が壊れてしまうほど危険な状況なのに、
自分で全く気付かない時にも、
叶わないときがあります。

誰一人として守護霊様がいない方はいません。
絶対にあなたを守り続けています。

少しあなたの守護霊様は
しんどそうですが(冗談です。笑)

それを今すぐに認める事、
そして今のあなたの状況を
まずは認めてください。

今、少しだけ苦しいのは
ギフトかも知れませんよ?

今後の人生をあきらめない事。
そして守護霊様にいつも
感謝の気持をお送りしましょう!

必ず必ず、
必ず守護霊様やガイド達が、
あなたをずっと守り続けていますから。


▲ https://happylifestyle.com/1322

必要のないモノまで
欲しがる必要はない!


今は、物があふれる時代です。
手に入らないものはないくらい、
お金さえあれば、なんでも
手に入る時代になりました。

多くの物に囲まれていると
「欲しい」という気持ちにも
振り回されがちです。

欲を手に入れるには、
時間がかかります。
お金も体力もかかります。

「あれも欲しい、これも欲しい」と思うほど、
いらいらしたり焦ったりしてしまいがちです。

時には、犠牲が伴うこともあるでしょう。
たしかにモノは、生きていくために必要ですが、

なんでも欲しがれば
良い訳ではありません。


幸せになるのは、
それほど大変なことではありません。

欲しがらなければいいのです。
欲しがらない習慣は、幸せになる習慣です。

欲しがらないという願いは
「必要ない」と思った瞬間、
願いを叶えることができるからです。

努力も時間もお金も不要です。
今すぐ、希望が完全に叶えられます。

あなたが欲しがっているのは、
本当に必要な物でしょうか。

本当は手に入れなくても
いいのではありませんか。

「欲しがらない」という
選択肢がある
ことにも、気づいてください。

欲を1つ諦めれば、
心が1つ豊かになります。

欲しがらないのは、
欲しがることより素晴らしいのです。


▲ http://4awasejsn.seesaa.net/article

小林正観さんの本を読みました。
正観さんは、2011年10月に亡くなられています。

したがってこの本は、
これまでの著作を再編集したものとなっています。

40年の研究で正観さんが伝えたかった
「ベスト・メッセージ集」」と帯に書かれていますが、

71のメッセージが、みごとに
それぞれ4ページに収まっています。

どれもこれも素晴らしいメッセージで、
何度も読み返したいと思いました。

ではさっそく、一部を引用して
内容を紹介しましょう。

素晴らしい言葉があまりに多いので、
引用するのはごく一部です。



「ありがとう」だけでも
神様を味方につけることができ、
支援・応援をいただけるのですが、

それに加えて、「掃除」と「笑い」
(現象に対する肯定)が加わることで、
神様が強い味方になってくれるようです。」(p.12)

-----------------

掃除も、自分の身体を使ってすることが「実践」。
笑うことも、心の中で思っただけではなくて、
顔に出して表現することが「実践」。

感謝も、「ありがとう」と声に出して
言うことが「実践」です。」(p.13)

-------------


この「はじめに」に、
この本の結論が要約されています。

神様を味方につけるには、
感謝、笑顔、掃除を実践することなのです。

私も常々「実践が重要だ」と言っています。

なので、
鏡を見たら「笑顔のワーク」、
歩きながら「感謝のワーク」、そして
素手でトイレ掃除を実践していますよ。

--------------------

生きることも、老いることも、
病むことも、死ぬことも、
自分の思いどおりになるわけではありません。

愛する人と別れることも、
嫌いな人と顔を合わせることも、

寒い・暑いという感覚も、
自分の意思ではコントロールできません。

なにごとも
「思いどおりにならない」ことがわかって、

「思いどおりにならなくていい」
「思いを持たなければいい」と気づいた瞬間から、
人生はラクになります。」(p.14)

------------


本文にも出てきますが、
これがお釈迦様の悟りでもあります。
苦集滅道(くしゅうめつどう)という
四諦(したい)です。

「神との対話」でも、
結果に執着するなと言っています。

必要性を好みに変えるのだと。
そうすることで、自由になるのです。

--------------

人間の生きる目的は、
頑張ることでも、努力することでも、
何かを成し遂げることでもなく、

「喜ばれる存在になる」
=「頼まれごとをする」ことです。

自分の「使命」がわかったら、
あとはそれをやって、
疲労困憊して死ねばよいだけです。(p.17)

------------------


あらゆる執着を捨てた時、
頼まれごとが増えてくると言います。

それをすべて引き受けて、
言われるがままにやる。

それが「喜ばれる存在になる」と
いうことなのですね。
そしてそれが、自分の使命なのだと。

-----------

喜ばれる存在になる人たちは、
普通に生活できることが、
どれほど幸せかを知っています。

普通に歩けること、
普通に食べられること、
普通に話ができること……、

すべてに感謝をして、
「ありがとうございます」と
手を合わせることができるのです。(p.20)

--------------

幸せは、頑張った結果として
手に入るものではありません。

必要なものは、すでに、
すべていただいていることに気がつき、
そのことに「ありがとう」と感謝できれば、

神様が味方をし、夢も希望も持たなくても、
幸せを感じることができるのです。(p.23)

-----------


正観さんには、知的障害を持った
娘さんがおられます。

その娘さんから、
人生の目的は争って勝利することではなく、
「喜ばれる存在になること」だと教わったと言います。

そういう人は、すべてを受け入れて、
感謝して、幸せに生きることができるのだと。

本文には、娘さんを授かった時の
苦悩についても触れています。

すぐに受け入れられたわけでは
なかったそうです。

でも、あるきっかけで
受け入れられるようになってから、
正観さんの考え方が変わったのだとか。

すべては自分のためになるのですね。

この「はじめに」の最後には、
次のように人生の目的をまとめてあります。

-----------

私はこのように、40年ほど、
宇宙のしくみ、構造などに興味を持ち、

研究を続けてきましたが、
その結果、わかったことがあります。

幸せというものは、
今、足りないものを探して、
手に入れることではなくて、

自分がすでにいただいているものに感謝し、
自分が恵まれていることに気がつき、

嬉しい、楽しい、幸せと
生きていることなのです。

そして、
そのために実践することは、想いを持たず、
よき仲間からの「頼まれごと」を
ただやって、どんな問題が起こっても、
すべてに「ありがとう」と感謝する
(受け入れる)こと。

「そ・わ・かの法則(掃除・笑い・感謝)」を
生活の中で実践することであり、

「ありがとう」を口に出して言い、逆に、
「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」を
言わないこと。

すると、神様が味方をしてくれて、
すべての問題も出来事も、幸せに感じて

「よき仲間に囲まれる」ことになり、
「喜ばれる存在」になる。

これこそが、「人生の目的」であり、
「幸せの本質」なのです。(p.26 - 27)

-------------


この「はじめに」に書かれていることを
読んだだけでも、この本の素晴らしさが
わかると思います。

本文を読むと、正観さんが
自分の守護霊さんから聞いたという話も
書かれています。

自分は唯物論者だと言われる正観さんですが、
霊的な体験もあるようですね。

論理的に考えるということと、
そうした独自の体験に基づいて、
正観さんの考え方が作られていった。

この本は、その集大成と言えるでしょう。
私はこれを1回読んでみましたが、

ほぼすべてのメッセージの中に線が引かれ、
ページが折られ、みなさんに紹介したいと思う
文がたくさんできました。

しかし、「はじめに」から引用しただけでも
相当な量になるので、引用はこれで終わりにします。

絶対オススメの一冊ですから、
ぜひ読んでみてくださいね。

私も、また読み返してみたいと思います。
1日に1メッセージずつ読み返す。
そんな読み方もいいかなと感じました。






スポンサーサイト

トラックバックURL
http://dejimablog.blog39.fc2.com/tb.php/350-5cce55ae
トラックバック
コメント
経メモしたものは、

身の丈の幸せ、
現状肯定
足を知って、心安らかに生きる
喜ばれる存在になる

です。どれもこれもみな私にないものばかりですが
でも全部欲張らず少しづつ進みたいと思います。

今日は部屋の片づけ、台所の片づけをしてすっかりコメントが遅くなりました。申し訳ありません。
ローズコーンdot 2015.12.03 21:32 | 編集
管理者にだけ表示を許可する
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。