2015
12.08

人のためは自分のため



与えよ、
さらば与えられん。


昨日のブログでは、自分の心の中に発火した
マイナス感情のたね火を増幅させて
不快な思いをするかどうかは、自分の選択次第!
という記事を掲載しました。

その延長の中で本日は、
「善行」について考えたいと思います。

最近、ネット検索の中で
よく目にする「自利利他」という言葉があります。

「人のためは自分のため」というニュアンスであり、
そんな心がけが最も心安らかでいられる生き方だと
解説されていました。

けれども、私は自分のことはさておいて
相手が喜ぶことを優先してやる善行が
果たして自分の喜びに直結するものかどうか、
未熟さゆえに、今ひとつピンときません。

全ては、物事の自分の選択次第で
不幸になったり、幸せになったりするのなら、
相手が喜ぶためにやる善行を
どんな理由で選択すればよいのか?

そのあたりの理由を今一度
しっかり理解しておきたいと思いました。

そういうことで、本日のブログは、
「人のためは自分のため」というテーマで
参考になるサイト記事を検索して集めてみました。

ご紹介するいくつかのサイト記事は
少しずつ見方に違いがありますが、
複合的に読むことで、
自分の考えに幅を持たせることができます。

これから転載する記事の中で
あなたの善行を後押しする数行があれば、
嬉しい限りです。

では、始めます。


▲ http://www.counselingservice.jp

「自分の人生を生きる」

よく聞く言葉だけど、
何となく分かるような分からないような…

「それってどういうこと?」

というところから、

自分以外の誰かや
何かに振り回されることなく、

自分で自分の人生を創っていく
実践編までをお届けします。

恋愛や仕事、その他対人関係や夢の成就など、
思い通りにいかないことってありますよね。

それらのものを含めて
「人生ってうまくいかないなぁ…」と思う時に、
それを問題と感じます。

そんな時、自分の人生を
主体的に生きていない状態であることが
少なくありません。

逆に、自分のために自分の人生を
主体的に生きている状態の時には、

「人生がうまくいっている」と思い、
深刻な問題がやってくることは少なく、

問題がやってきても、
自分でその問題をクリアしていくことが
できるようになります。

「自分の人生を生きているかどうか?」
それをチェックして、改めて
「自分のために自分の人生を生きる」
ということを選んで決めることで、

自分の人生を生きることが
できるようになります。

では、「自分の人生を生きる」って
どういうことなのでしょうか?

自分の人生を生きるって
どういうことなの?


自分の人生を生きるというのは
どういう状態かというと、

「何かをする時、何をするかを自分で選んで、
決めて実行する」という状態です。

逆に、自分の人生を生きていない時というのは
どういう状態かというと、

「自分以外の誰かや何かに振り回されていて、
自分ではどうしようもない、
つまり、選択権や決定権がない」という状態です。

例えば、恋愛において
相手に振り回されている時、

いわゆる「都合のいい女」や
「アッシー君」の状態の時です。

彼や彼女のためにと、
相手に気に入られるために
我慢や犠牲をいっぱいしていて、

その上、相手が振り向いてくれるかくれないか?で
自分のHappyが決まってしまう状態というのを
最高にHappy!と感じる人は多くはないでしょう。

その恋愛の主導権は相手にあって、
自分ではどうしようもできない状態、

そして、
そのためにしているたくさんの我慢や犠牲、
どこかで、「捨てられるんじゃないか?」という
怖れを感じていたり、

尽くしても尽くしても
大切に扱ってもらえてないように感じて、
むなしさや悲しみを感じたりします。

それを自分では
どうしようもできないなんて辛いですよね。

その他、子供や家族、仕事や会社、お金や運、
自分の生い立ちや社会や時代など、

有形無形のさまざまなものに振り回されて、
自分に選択権や決定権が無い状態に
なることが少なくありません。

誰かや何かのために生きること、
それ自体は悪いことでも間違ったことでもありません。

むしろ素晴らしいことなのですが、
その時に、自分の意志や気持ちを押し殺してしまい、
自分を消して全てを誰かや何かに捧げる状態こそが、
問題
となってくるのです。

どうして振り回されるの?

どうして誰かや何かに
振り回されてしまうのかというと、

「自分にはその状態を変える力がない」
「自分には自分の人生を自分のために
使うだけの価値がない」といった
無価値感に行き着きます。

無価値感がある分だけ、
自分で自分を大切に扱ってあげることが
できなくなってしまう
ので、自分を押し殺して、

その上で誰かや何かのために
自分を捧げてしまうのです。

この無価値感のルーツは、
私達の子供時代にあります。

私達が小さな子供だった頃、
自分一人だけの力で生きていくことは
できませんでした。

お父さんやお母さんなどの大人の人達に
面倒を見てもらわなければ何もできませんでしたし、

欲しいおもちゃがあっても、
お父さんやお母さんに「買って」と言って
「いいよ」と買ってもらえるまでは、
手に入れることができませんでした。

お父さんやお母さんが「ダメ」と言えば、
自分ではもうどうしようもありません。

そのように、

自分以外の誰かや何かに依存をしなければ
生きていけなかった時代には、

自分以外の誰かや何かに
選択権や決定権がありました。

その時に自分ができることといえば、
欲しいおもちゃを買ってもらうために、
いい子にしてお手伝いをしたり(=犠牲、補償行為)、

「おもちゃなんか欲しくない」と
自分に言い聞かせたり(=我慢)
することしかできませんでした。

また、

「買ってもらえないのは
自分のことが好きじゃないからだ」と思い込んで、

「自分は愛されていない」と感じたり(=無価値感)、
「そんな自分が欲しいと思ってはいけない」と
思ったりします。

そして別の機会に
「いい子にしていたからおもちゃを買ってあげるよ」と
言って買ってもらったりすると、

「いい子にしてたから買ってもらえたんだ」
「いい子にしてなかったら買ってもらえないんだ」と、

自分の無価値感や、
犠牲や補償行為のパターンが強化されたりもします。

こうした依存の状態、無価値感がある状態の時、
大人になって自分でできることが増えた私達が、

本来自分が持っていてもいい選択権と決定権を
誰かや何かに譲り渡さざるを得なくなってしまい、

誰かや何かに振り回されてしまい、
それに不満を持つようになります。

彼や彼女のためにと、一生懸命尽くしても、
振り向いてもらえるかどうかは相手次第となると、
楽しくはありませんし、

自分を振り回している相手に
不満を持ってしまいます。


家族のためにと、一生懸命働いても、
自分を押し殺した状態であれば、長続きはせず、
どんどん苦しくなってきます。

「おまえらのために
こんなに一生懸命働いているのに!(怒)」と
その苦しみを爆発させてしまうと、

「そんなに苦しい思いをしてまで
働いて欲しいなんて頼んでないわよ!(怒)」と、
怒りと罪悪感の連鎖が生まれてしまいます。

そうして、
「何のためにこんなことをやっているんだろう?」
「何のために生きているんだろう?」
「つまらない、意味のない人生だ」などと
思うようになります。

それは、自分の人生を
自分ために使っていないから
そのように思ってしまうのです。

それでは、どうしたら、
自分以外の誰かや何かに振り回されることなく、

自分のために自分の人生を
生きられるようになるのでしょうか?

どうしたら、自分の人生を
生きられるようになるの?

自分以外の誰かや何かに
振り回されている時には、
依存の状態と、無価値感があります。

無価値感を癒していくことで、
自分の持っている価値や力を
受け取ることができ、

そんな自分を大切に
扱うことができるようになります。

そうすると、

自分の気持ちや考えも大事にしながら、
大切にしたい誰かや何かを無理なく
大切にすることができるようになります。

この「自分の気持ちや考えを大事にする」こと、
そしてそれに基づいて自分で選んで決める
という部分こそが、自分の人生を生きる秘訣であり、
それが「自立する」ということであると言えるでしょう。

選択するというのは、
選択肢が2つ以上ないと選択することができません。

「そうするしかしようがない」というのは
選択ではありません。


2つ以上の選択肢を見つけた上で、
今までと同じものを選んで決めるというのは、

結果や状況は変わらなくても、
感じ方は大きく変わってきます。

「している」「させられている」
違いというとわかりやすいでしょうか?

散らかった自分の部屋を、
自分で「掃除しよう」と思って掃除する時は、
「掃除しようと思ってやっている自分は偉い!」と、
いい気分で掃除できたりしますが、

親に「汚いから掃除しなさい!」と言われて
掃除する時は、嫌な気分ですよね。

「そろそろ掃除しようかな~」などと
思っていたりすると、なおさら
嫌な気分になりますよね。

このように、
今までと同じ状況に身を置き、
今までと同じことをしていたとしても、

それが自分の選択と決意の結果である
ということを認識しながらやった時、


「自分で自分の人生を創っていっている」
「自分のために自分の人生を生きている」
というふうに感じることができます。

大切なのは
自分で選んで自分で決めること」です。

自分で選んで自分で決めている限り、
「振り回されている」というふうには感じません。

これは、もし今、たくさんの無価値感を
持っていたとしても、それでもできることです。

どんな小さなことでも構いません。

「自分で選んで自分で決める」
これにチャレンジし始める時が、
あなたが自分の人生を生き始める時です。

1つ1つは小さなことかもしれませんが、
積み重ねるとバカにはできませんよ。
そうやって、人生は創られていくのですから!


▲ http://www.jiririta.com/contents:kihonrinen

与えられた命を
精一杯生かす


「自利とは利他をいふ」
比叡山を開いた最澄伝教大師の
言葉と言われています。

「自利とは利他をいう」とは、
利他を実践すれば、いつかは巡り巡って
自分の利益になるというような考え方ではなく、

「利他の実践がそのまま自分の幸せなのだ」
という考え方です。

ところで、私たち人間にとって、
本当の幸せとはなんでしょう。

お金や名誉や物が、私たちを本当に
幸せにしてくれるのでしょうか。

山本有三の「路傍の石」に、
こんな一節があります。

--------

たった一人しかない自分を、
たった一度しかない一生を、
本当に生かさなかったら、
人間生まれてきたかいがないじゃないか。

--------


自分に与えられた命を精一杯生かす。
このことこそが
本当の幸せなのではないでしょうか。

次の話を読んで、自利利他のニュアンスを
つかんで頂きたいと思います。

知恵遅れの子がいました。
その子は三人兄弟の末っ子だったそうです。

ある時、ケーキが2個ありました。

その知恵遅れの子のお母さんは、
この子はケーキが大好きだからと、

ケーキの一つをその子に、
もう一つのケーキを半分にして、
お兄ちゃんとお姉ちゃんに分けてやったそうです。

上の子二人は早速ケーキを食べ始めました。

でも、その知恵遅れの子は
いつまでたっても食べ始めない。

お母さんはハッと気がつきました。

そして、
知恵遅れの子にあげたケーキを半分に分けて、

「この半分は、ママの分ね。
みんなで一緒に食べましょう。」と言ったそうです。

その知恵遅れの子は、
ニコッとして食べ始めたそうです。

その子は、自分だけ
大きいケーキを食べることができなかったのです。

どこが、「知恵遅れ」なんでしょう。
私たちよりずっと「知恵」があると思われませんか。

善行の道とは、与えられた自己資源をもって行う、
自利利他業の実践であると考えます。


▲ http://www.ikkyuji.jp


仏教に「自利利他円満」
そんな言葉があります。

自利とは自分の利益(りやく)のこと
利他とは他人の利益のことをいいます。

自分にとって善いことが
他人にとっても善いことに
つながるという意味です。

通常、私たちはこの二つを
相反するもの共存できないものと考えています。

建前では世間のためにというものの、
やはり自分がかわいい。

自利自利となってしまうこと
が私たちには多いのかもしれません。

しかし想像力を働かせて考えていくと
自利自利というのは
本当に自分の利になるのでしょうか。

自分のことばかり考えている人を
世間はどう思うでしょうか。

結局は邪魔をされて
自分の利と離れるということには
ならないでしょうか。

それでは利他利他はどうでしょうか。
実はこれも考えものです。

人のためだけに奉仕する。
自らを偽り続けていくことは
本当につらいことです。

いつかは体を壊してしまいます。

これは本当に他人のためでしょうか。
私が他人なら悲しくてもうやめてくれと言うでしょう。

自利と利他がつながってはじめて円満なのです。


▲ https://happylifestyle.com/3805

「自分さえよければいい」

利己的な人は、
自分のことしか考えていないため、

他人との調和が取れず、
生活が傾きます。

自分さえ良ければいいと思っていると、
よりよい道を歩んでいるようでも、
他人からの協力が得られないため
孤立してしまいます。

自分のためにだけに生きる生き方は、
必ずどこかでつまずきます。

「人のために生きます!」

献身的なボランティア活動をしている人は、
人のためとはいいますが、往々にして
自分の生活は傾いている場合が多い。

人のためばかりに尽くしてしまうと、
自分の生活がおろそかになります。

人のためにだけに生きる生き方も、
必ずどこかでつまずきます。

「人のために生きる人生」と
「自分のために生きる人生」

私たちは、どちらの人生を
歩めばいいのでしょうか。

どちらのほうが、いいと思いますか。
少し欲張ってみましょう。

「自分のため」と「人のため」の
両立ができる生き方は、理想の人生です。

自分のためにしていることが、
人のためになればいいのです。
片方だけではいけません。

両方が同時に実現するような生き方が、
ベストな生き方です。

自分の生活が豊かになり、
他人の手助けもすることができます。

自分のためにも、
人のためにもなる生き方
それが本当の素晴らしい人生なのです。

テレビで活躍する名俳優は、
自分が楽しみ、人を楽しませている人がいます。

そういう人こそが、
大きな舞台で活躍することができる人です。

日本を代表する
演歌歌手である北島三郎さんは、

小さいころからずっと演歌を
歌い続けている歌手のプロです。

自分が喜びにあふれて歌っている演歌が、
同時に聞く人たちの感動へとつながっています。

自分が喜び、
他人が同時に喜ぶという素晴らしい生き方です。

おいしい話に聞こえますが、
人生はそのくらいおいしい生き方をしていいのです。

「自分のためだけ」
「人のためだけ」というのは、
控えめな生き方です。

それほど控えめでなくても、
堂々と両方を実現する生き方をすればいいのです。

あなたが喜びと感じることを、
ただ一生懸命に楽しむだけでいい。

それはいずれ、人のためにもなります。


▲ http://www.h5.dion.ne.jp

親は、子供を精一杯育ててきたのに、
思春期になって突然反抗され、
訳が判らず戸惑います。

我が子のためを思って、
高い月謝を払って塾に行かせ、

習いごともさせ、
必要なものは充分に買い与えてきたのに。

私たちが「人のため」と
思ってやっていることは、

実は、自分の欲求を満たすために
やっていることが多いものです。

結局は、相手の気を引きたいからであり、
自分が必要とされたいからなのです。

だから、その要請に
相手が応えてくれなければ、
怒りや不満を感じるのです。

好きな恋人と少しでも長く
一緒にいたいと思うのは当然ですし、

親が我が子をかわいがり、
心配するのも当然です。

しかし私たちは、
愛情という美しい言葉を盾にとって、

知らず知らずのうちに、
他人を自分の自由になるものとして
扱ってしまうことがあります。

他人を自分のものにしたいという我執が、
私たちを苦しめるのです。

とは言うものの、

見返りをいっさい求めず、
純粋に「人のため」に何かを
行うということは、ほとんど不可能なことです。

「人のため、人のため」と考えすぎれば、
それもまた、一方的な押しつけとなってしまいます。

できないからといって、
何もしないのもよくありません。

本当は自分のためでも、
その行いが実際に他人の役に立っているなら、
やらないよりはやったほうがよいでしょう。

では、どうすればよいのかというと、
「人のため」などとごまかさず、

はっきり「自分のため」と
自覚しながら行動するしか
ないのではないでしょうか。

自分のためにやっていることなのだから、
思い通りにならないからといって
他人を責めるのはお門違いだ。

ということさえ認識していれば、
それでよいのです。

他人のために何かをしてあげたなら、
その報いは相手に求めるのではなく、
天にまかせるのがよいでしょう。

せっかく他人のために何かをしてあげたのに、
まったく感謝されないこともありますが、

逆に、自分の気づかぬうちに
他人の善意を無にしたり、
他人を傷つけたりしていることもあるものです。

よい行いをすることによって、
悪い行いが相殺されたと
考えるくらいがちょうどよいのです。

他人から認められたい、
他人から愛されたいという欲望を
完全に捨て去ることはできないかもしれません。

欲望を捨て去ることはできなくても、
その欲望にとらわれている自分の弱さを
はっきりと認め、

他人に対して申し訳ないという
謙虚な気持ちをもって接することはできます。

他人に申し訳ないという気持ちで
接するというのは、けっして
卑屈に自分を責めるということではありません。

「他人のためにしてやっている」という
ごう慢な態度ではなく、

「させてもらっている」という
感謝の気持ちをもつということです。

何かをしてもらったことに感謝し、
何かをさせてもらったことに感謝する。

すべては自分の喜びのためなのだと思えば、
他人への押しつけや不満は消えていきます。

「欲望にとらわれている人」と、
「欲望にとらわれていることを自覚している人」は、
同じではありません。

自分が自分の心の主となり、
欲望に振り回されないよう、
しっかり制御することが肝心です。

スポンサーサイト

トラックバックURL
http://dejimablog.blog39.fc2.com/tb.php/355-d5590887
トラックバック
コメント
40歳ごろから65ぐらいまでは、社会的なかなり自利利他をやってきましたが、今は家族親族だけで、何も人の役に立つことをしていません。その点で何か心苦しい思いもありますが、環境が変化したし、いまは家族を支えつつ、残りの時間を自分の勉強だけに使っている状態ですので引け目を感じることは多々あります。

そして振り回されない人生最後の時間を大事にするために
姉のわがままに付き合うのも今のところ放棄しています。
だから、最後の言葉

”あなたが喜びと感じることを
ただ一生懸命たのしむだけでいい。”

に救われました。ブログと勉強を楽しみます。
ありがとうございました。
ローズコーンdot 2015.12.08 06:39 | 編集
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top