2015
12.27

「ごきげん力」を高めよう!



毎日をご機嫌に過ごすことは、
身体の免疫力を高め、加齢による老化予防にもなると
どこかのサイト記事で読みました。

けれども、気がついたら何かに思い悩み、
不機嫌な状態になっている自分がいます。

「ご機嫌」について、
すこしは勉強しているつもりでも、
まだまだ未熟、学びが足りないなあと
反省させられる毎日です。

そんな訳で本日も、
「自分の機嫌」についての関連記事を集めました。

テーマは「ごきげん力」です。

不機嫌にならない方法ではなくて、
不機嫌になりがちな自分の気持ちを、
機嫌良く切り替えるためのコツを
見い出したいと思います。

では、始めます。


▲ https://happylifestyle.com/2754

「なんだかぱっとしない」
「このままでいいのだろうか」
「なんだか生きていてもつまらない」

そんなもどかしい気持ちに
なったことはありませんか。
心が曇っているような状態です。

雨が降りそうでふらない。
しかし、曇っていて天気は悪い。
こうした状態を「曇った心」といいます。

やる気が出なくて、生きがいが感じられない
そのような状態をいいます。

しかし、考えてみましょう。
現実の天気と同じです。

どんなに曇った空でも、
その雲の上には必ず輝く太陽が存在します。

雲があるから天気が悪いように思えますが、
実際は太陽が変わった訳でも
なくなったわけでもありません。

ただ雲があるために日光が遮られ、
もやもやした悪いお天気になっているのです。

雲を突き抜けた先には必ず晴天があり、
さんさんと輝く太陽があります。

あなたの心も同じです。

もやもやもどかしい気持ちでも、
あなたの心が変わった訳でも
なくなった訳でもありません。

ただ何か正体の分からない
もやもやしたものによって、
光が遮られているだけです。

ちょうどいい機会です。

たった今、
あなたの気持ちはどのような感じでしょうか。

すがすがしいでしょうか。
それともなんだかぱっとしない状態でしょうか。

眠い、だるい、心配、不安、ご機嫌、嬉しい。
どのような状態になっているかを感じてください。

どのような状態であろうと、
現実の天気と同じように、
太陽である心の光は変わっていません。

時と場合によって
心の状態に変化があろうと、

もともと光っている心が、何かによって
遮られているだけにすぎないのです。

幸せな人生を生きるためには
ただ今あるもやもやした心の中の雲を
取り除くだけでいいのです。

大雨、大嵐のような悪い天気でも、
その雲の上には必ず太陽があり、
太陽は1つも変わっていないのです。

雲が多かったり厚かったりしているから、
天気が悪くなり、おかしくなっているのです。

あなたはもともと明るい性格です。

もともと明るい心が、
後からある雲によって光が遮られているだけです。

その雲を取り除くだけであなたは、
もとの明るい状態に戻れるのです。

心の雲を取り除けば、誰でも
必ず明るい性格であり、
充実した毎日に出合えるのです。


▲ https://happylifestyle.com

もともとある輝く心を
曇らせている一番の原因は「妄想」です。

人間は、過去や未来を
わざわざ「妄想」を働かせることで悩むのです。

「ああ。今日から学校だ。つらいな」
「好きだけど、告白したら断られそうだな」

「今日も嫌いなあの人と顔を合わせないといけない」
「将来はどうしようかな」

「あのころは楽しかったな」
「あのときは、こうすればよかったな」
「もう一度、あのころに戻りたいな」

これらは、すべて妄想です。

これからの未来や過ぎ去った過去を、
わざわざ妄想を働かせ、
すでに現実であるかのように考えます。

過ぎ去った過去をどんなに考えたところで、
戻ってくるわけではありません。

「過去を振り返る」といいます。
「記憶」として頭の中に残ってはいますが、
頭の中だけの世界です。

実際は、今しかありません。
今この瞬間だけが、本当の現実です。

それ以外のことは、
過去も未来も妄想です。

過去に向かって
「もっとこうすればよかった」
「あのときは、もっと楽しかった」と後悔する。

過去を振り返っているのではありません。

二度と戻ってくることのない過去を、
妄想をたくさん膨らませて、
振り返っているのです。

実際の現実はどうなのかというと、
過去が戻ってくることはありません。

時間という流れに逆らうことはできず、
現実は「今」しかありません。
自分がいけないのです。

勝手に妄想を膨らませ、
必要もない心配や不安を感じすぎ、
悩みすぎています。

自分で自分を、
トラブルに追い込んでいるのです。


▲ http://okanejuku.blog92.fc2.com



本著のテーマは、楽しく・自信をもって、
自由に・幸福に生きることのできない
理由を探るものです。

共感できる箇所が多々ありました。
それらの一部を要約して、
紹介させていただきます。

------------

依存性は支配性でもある。
依存する故に、自分を保護し、
世話し、慰め、賞賛し、

赤ん坊のようにわがままで
「無責任でいられる天国」を作ることを要求する

------------

この人生で「何をしたいかわからない人」は、
相手に気に入られることが人生の目標になってしまう

-----------

相手のことを決めつける人というのは、
逆に相手から心理的に直接影響を受ける

-----------

自分にとって重要になってしまった人が、
自分と同じように考え、
自分と同じように感じないと耐えられない。

「相手を放っておけない人」というのは、
心理的に成長することに失敗してしまった人

-----------

どちらかを「選ぶ」ということは、
どちらかを「諦める」ということ。

その諦めるということができないから迷う

-----------

従順すぎる人は、
それは「あなたの義務だ」と言われると、

拷問のようなことでも、
それを自分の義務だと感じて引き受けてしまう

-----------

人がやってくれて当たり前、
人が世話してくれて当たり前という
甘えの心理に支配されている人は、
本当にいつでも「不満な顔」をしている。

たいてい、不満を言うだけで、
まず行動はしない

-----------

自分の世界ができてくると、依存性がなくなり、
人に対する要求が少なくなる。

つまり、「こう思ってもらいたい」
「こうしてもらいたい」という要求が
少なくなるということ。

人が強くなるということは、
自分の世界ができるということ

-----------

「他人から必要とされること」を
必要としている人は、「甘えている人」である

-----------

欲求不満耐忍度の低い人は、ほんの少しでも、
自分の思うようにいかないことがあると、
すぐにイライラして怒り出す。

それは依存性と不安の問題。
「不安な人」ほど欲求不満耐忍度は低い

-----------

「たち」のいい人とは、
人の好意を当たり前のことと考えない人

-----------

誰からも、
優しい善意の気持ちを理解されずに、

周囲の強力性性格の人から利用され、
傷つく無力性性格の人は、
「闘志が欠如」している

-----------

この世の中には、「肉体的弱者」も、
「経済的弱者」も、「心理的弱者」もいる。

経済的弱者を蔑視することが許されないように、
心理的弱者を蔑視することも許されないこと

-----------

劣等感の原因の一つは、
「視野の狭さ」である

-----------

お金に守られるか、名誉に守られるか、
親に守られるか。

絶えず何かに守られていなければ、
生きていく自信がないとき、
心の底ではいつも恐れている

-----------

「自己否定」・「他者肯定の人」は、
自分を頼りに生きていけない。

「自分を頼りに生きていけない人」は、
いつも不安で、いつも何かを恐れている

-----------

自分が不幸なのは、明けても暮れても、
「自分のことばかり」考えているからである

-----------

自己中心的な人は、劣等感の強い人である。
「現実の自分」を受け入れられない

-----------

自分は例外だと思っている人は、
はたから見ると、大変「ごう慢な人」である

-----------

支配欲が異常に強い人は、
自分の挫折を認めることができない。

挫折している自分を肯定するために、
「世の中そのものを否定」する

-----------

「ずるさ」と「弱さ」の人が出会えば、
弱い人(自己否定・他者肯定の人)は
泣かされっぱなしである。

ずるい人(他者否定の人)の
やりたい放題が行われる

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もともと「不機嫌な人」は、
孤独に耐えられなくて、近い人にからんでいく

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本書で印象的だったのは、
「弱い人はずるい人に利用されている」

「心理的弱者は、経済的弱者と同じく、
差別されてはいけない」という点です。

心理的弱者が、心理的強者にどう対処して
生きていくかの考えを持たないと、
利用されてしまうだけです。

その防衛策として、
本書は有効なのではないでしょうか。


▲http://www.asahi-net.or.jp

加藤 諦三さんの著書、『不機嫌になる心理』を
読んだ感想を書いてみたいと思います。

本当に嫌いなのは
自分自身という悲劇


自分が自分を憎んでいるということは、
人間にとって悲劇である。
それは孤独をもたらす。

自分を憎んでしまった人の人生は淋しい。

自分を憎んでしまった人は、抑圧と投影と
相手との同一視という心理過程を通して、
近い人を自分の分身にしてしまう。

そして自分が自分を嫌いなのだから、
自分に近い人達は皆嫌いな人になってしまう。

ドンファンなどというのは、
外からみると一見もてて幸せそうであるが、
心の中は不幸な人達なのであろう。

もちろん、多くの不幸な人達は、
この心理過程に気づいていない。

先ず、自分が自分を憎んでいる、
自分が自分に敵意を持っている
ということに気がついていない。

したがって、

当然その敵意を相手に向けている
ということに気がついていない。

相手に敵意を持ってしまうのは、
相手が自分の分身だからである
ということに気がついていない。


しかし、相手が自分の分身だ
ということがわかれば、

日頃自分が自分に対して
どのような態度をとっているかよくわかる。

先にも書いた通り、
ある近い人に対しては過度に批判的になる。

しかし、他の人に対しては
過度に寛大な見方をすることがある。

つまり、そのような人は、
日頃実際の自分に対して過度に批判的になる。

実際に自分をひどく責めているのである。
実際の自分を許していない。

自分の分身に対して
不快感を持つのは、

実際の自分に対して
不快感を持っているからである。

自分の分身にイライラしている姿は、
そのまま実際の自分に対して
イライラしている姿でもある。

自分が実際の自分を責めている姿が、
そのまま相手との関係に現れている
ということがわかると、ぞっとする。

そのくらい自分は実際の自分に対して
冷たいということである。


このような人ににとって大切なのは、
先ず無意識の心理過程を意識化することである。

自分はどれくらい
実際の自分を憎んでいるのか、

どのくらい自分に敵意を持っているのか、
どのくらい実際の自分を意地悪く
責めさいなんでいるのか、

それらを意識化することである。



「他人をほうっておける人」というのは
積極的な人であり、自律した人なのである。

自律性を獲得した人は、
他人が「このように思う」ことが
自分の生きていく条件にならない。

自分のことを
「このように思ってもらおう」として、
ある人につきまとったりしない。

そのような他人と無関係に生きることができる。


依存性の高い人は、ある人を好きになると、
その人がこのように思ってくれないと
耐えられない状態になる。

自分にとって重要になってしまった人が
自分と同じように感じないと
耐えられないのである。

他人をほうっておけない人というのは、
心理的に成長することに
失敗してしまったのである。

他人が自分のことを
いっているのではないのに、

自分のことをいっていると
思い込んでしまう人がいる。

自己関連妄想である。
被害妄想の人などもこれであろう。

したがって、
何も弁解する必要がないのに、
弁解する人が出てくる。

聞いてもいないのに、
一生懸命言い訳をする。

必要がないのに言い訳する人は、
また人に対して
押しつけがましい人でもある。

相手が何を求めているかが
理解できない人だからである。

昔から「猫に小判」という格言もある。

猫が何を求めているかが理解できないから、
このようなことをするのである。

「猫に小判」とは、
高価なものを与えても相手が気がつかない
という意味だろうが、

私は猫の方を批判するよりも、
相手が何を求めているかを理解しないで、
これをしてしまう人の方を
批判してもいいと思っている。


これらの言葉は何でもないようであるが、
人間に自我の確立の大切さを言い表している。

自我の境界のできていない人は、
このような過ちをいつも犯している。

そして、相手が自分の望むように
反応しないからといって怒る。

あるいは相手が自分の期待した通りに
動かないといって、裏切られたと騒ぐ。

自我領域が不鮮明な人である

このように自我領域ができていない人は、
いつも人といさかいを起こし、
いつも傷つき、いつも怒っていることになる。

それでいながら、人を必要としている。

いつも怒っていながら、
人とかかかわりなく生きることができない。

むしろ、人といざこざを
あまり起こさない人の方が、
人とかかわりなく生きられる。

自我領域ができていない人は、
いつも人に腹を立てながら、
いつも人にからんでいく。

人にまとわりついていなければ
生きられないくせに、
人とうまく協力ができない。

相手と自分は違うと理解したうえで、
相手のことをしてあげられる人が

思いやりのある人であり、
やさしい人である。


自我領域ができていない人は、
逆にいつもしつこく、いつも怒っている。



相手が何を望んでいるかを
理解するためには、
心理的成長が必要である。

相手が何を望んでいるかを理解することは、
きわめて難しいことであるという理解が
ないことが多い。

相手が何を望んでいるかを理解することは、
人間のなし得る最も困難な仕事の一つである。

多くの人は自分に近い人でさえ、
何を望んでいるかを誤解する。

それがさまざまな人間関係の
いさかいの元の一つでもある。

「自分がこんなに相手のことをしてあげているのに・・・、
相手のことをこんなに真剣に考えてあげているのに・・・」
という不満を持つ人は多い。

たいてい相手が望んでいないこと、
むしろ嫌なことを必死でやっている。

それでいながら、「自分がこんなに
相手のことをしてあげているのに、
あの人の態度はなんだ」と相手に不満になる。



多くの傷ついている人は、先ず初めに
「自分で自分を責める」という過ちを犯してしまった。

その間違い故に、
大人になってさまざまな人間関係が
うまくいかないで、悩み苦しんでいる。

自分にやさしくなれない者は、
他人にやさしくなれない。


傷ついている人は、
自分にも怒り、他人にも怒っている。

自責は恥ずかしさの心理の特徴であり、
また鬱病者の心理の特徴でもある。

私にいわせれば、
自責こそ不幸の心理的特徴なのである。

もし人が幸せになりたいと本気で願うなら、
自責の心理を反省しなければならない。

自責という心理的習慣を
なくす努力は、まさに幸せへの努力なのである。

喫煙の習慣を絶つのが困難なように、
自責の習慣を絶つのもまた困難である。

自責は依存心の結果であるからこそ、
そう簡単に絶てない。

しかし
これを続けるかぎり幸せにはなれることはない。

自責の人は、どうしても自己不適格感にも悩まされる。
自分は今のままではいけないと、どうしても感じてしまう。

頭で考えれば今のままで悪いといことはなくても、
何となく、このままではいけないと感じてしまう。

そして、その結果、何かに駆り立てられる。


完全主義などもそうである。

他人が自分の弱点を攻撃していないのに、
過剰に弱点を意識する。

自分が自分の弱点を攻撃しているのである。

他人と比較して劣等感に悩まされるのも、
自責が原因の一つであろう。

他人と自分を比較して、自分を責めることはない。
自分は自分なのであるから。


それを頭でわかっていても、
気持ちのうえで劣等感をどうすることもできない。



不機嫌な人が、一方で一人になりたいと思いながら、
他方で相手にからみつきたいのは不安だからである。

「ある意味で、不機嫌の引き鉄となる他人は
自分自身の分身なのであって、

それゆえしばしば見られるように、
誰かにたいする不機嫌は
容易に自己嫌悪にも変わるのである。

いわば不機嫌とは、一方で強く孤独に憧れながら、
しかも他人との結合を求める矛盾した
衝動の共存なのである」

(山崎正和『不機嫌の時代』・新潮社・63~64頁)


つまり、私がいいたいのは、山崎氏がいう
「結合を求める衝動」が、衝動という
より不安の心理だということである。

不機嫌な者は、一方で
孤独になりたくはあるのだけれども、
見捨てられる不安を持っているのである。

そして、その不安から
相手とのつながりを確信したくて
相手にからみつくのである。

不機嫌な人は相手との関係に自信がない。
だから一人になりたいのだけれども
一人になることが不安なのである。

その人と離れると、
その人との関係がなくなるような
気がするからである。

相手との関係を確信したいのに確信できないから、
その人の側を離れられないのである。

不安のない人は
容易に相手の側から離れることができる。

例えば、山崎氏も
不機嫌な人は他人の不機嫌に敏感であるという。
私もそう考えているので、そう書いてきた。

ただ山崎氏は、何故そうなのかということについて
あまり触れてない。

つまり、不機嫌な人が相手の不機嫌に敏感なのは、
不安だからである。

相手と自分のつながりに
自信がないからこそ、相手の不機嫌に敏感なのである。

相手とのつながりを求めている。
その相手が不機嫌ではいよいよ関係が不安になる。
その関係が壊れてしまうのではないかと不安なのである。

だからこそ
いつも機嫌良くしていてもらいたいのである。

相手が機嫌良ければ安心していられる。
もっとはっきりいえば、相手の不機嫌がこたえるのである。

相手の機嫌がさして重要でなければ、
そんなに敏感にはならない。

山崎氏のいうように、
不機嫌はアンビヴァレントな感情である。

ただその根本の原因が
不安な心理であるということを私はいいたいのである。

完璧にできることなど何一つないのに・・・

心に迷いがあると緊張する。
心の迷いとは、心の中に葛藤があるといことである。

あれをしようか、やめようかという心の迷いは、
不安な緊張で人を疲れさす。

あることをを始めると前のことが気になり出す。
結局、何もしないで迷うだけで、
疲れて時間がいたずらに過ぎていく。

どちらにも決められないのは、
どちらをしても満足できないからである。
またどちらをしても完璧にやろうとするからである。

どちらをしても完璧になど
物事はできるものではない。

したがって、あることを始めると、
そのことが完璧にできないから
別のことをしなければと思うのである。

そのことの方なら
完璧にできるかも知れないと思うからである。
完璧な状態で完璧にやろうとすれば、
迷いは避けられない。

どうも今日は調子が悪いとしたら、
その調子の悪いことを受け入れることができて初めて、
調子が悪いながらもなんとかその仕事ができるのである。

毎日毎日、絶好調などということはない。
毎晩毎晩、熟睡などということもない。

毎時間毎時間、
有効に時間が過ぎていくなどということもない。

毎月毎月、神風が吹くような
好運なことがあるわけでもない。

いつも頭がさえ渡り、
体の方は不思議なくらい調子がいいというわけがない。



しかし、それにしても人は何故
このような理想像に固執するのであろうか。

それはやはり、神経症だからであろう。
あれもやろう、これもやろうと欲張った結果である。

自分の能力をオーバーするようなことを
しているから焦るのである。

そして、自分の能力を
オーバーするようなことをしてしまうのは、
実際の自分に満足していないからである。

実際の自分に怒りがあるからである。

最近、私はカータースコットという
心理学者の『自分いじめはやめなさい』
という本を翻訳した(ダイヤモンド社刊)。

著者が完全主義を否定的態度だと
主張していたのが印象に残っている。

理想像に固執しているようであるが、
実は欠けていることに固執しているのである。

迷う人は、自分の優柔不断を
他人のせいにして他人を怒るということがある。

転勤するか、それともその会社を辞めるかと悩む。
それは誰にとっても迷いであろう。

しかし、優柔不断な人とそうでない人との違いは、
決められないことを自分の不決断と考えるか、
奥さんのせいにするかの違いである。

どちらにも決められないときに、
相手の優柔不断のせいにする男がいる。

自分が転勤を受け入れるか、
会社を辞めるかを決められないでいる。

ところが、奥さんが転勤をいやがるから
転勤の決断ができないと、

自分の優柔不断を
奥さんのわがままだということで正当化する。
奥さんがわがままということは単なる口実にすぎない。

そして、決められないで
時が過ぎていくということに腹を立てる。

その怒りを相手に向ける。
相手側がわがままだからこのようになるというように、

自分の優柔不断を
相手のわがままにすりかえて相手に怒る。

しかし、相手を責めていても解決はしない。

どうするかを決めなければならないのは
相手ではなく、自分だからである。

相手に怒っていたら自然に
問題が解決するというものでもない。

物事は決めるべきときに決められないでいると、
次第に追いつめられていく。

そこで、さらに相手に腹を立てる。
相手を怒っているうちに、

いよいよ悪いのは自分ではない、
相手であると思い込み始める。

自分が責任をとろうとすれば決断はできる。
ウルフ(オーストリアの精神医学者)がいうまでもなく、
優柔不断は責任を逃れようとする人の特徴である。

転勤の決断をすれば、
転勤にともなうさまざまな困難は生じてくる。

その困難に正面から立ち向かっていく
「覚悟」がある限り、最後には決断ができる。

しかし、その転勤にともなう困難を
避けようとすれば、転勤の決断はできない。

自分の人生の責任は自分が背負う、
という覚悟があるかないかである。

転勤にともなう困難を避けようとすれば、
会社を辞めるということを考えざるを得ない。

そして、やっぱり会社を辞めようかと考える。

しかし会社を辞めれば辞めたで、
それにともなう困難がある。

退社にともなう困難がないなら
誰も迷いはしない。

退社すれば退社したで、
明日からの生活を誰でも考える。

< 以上、本文より抜粋 >


▲ http://blogs.yahoo.co.jp

自分に自信をもち、
毎日を明るく活き活きと過ごすための
おまじないをご紹介します。

一日に少なくとも一度は、
「誰も私を不機嫌にさせることはできない」
と胸の中で唱えるのです。

失望、劣等感、自己嫌悪……。

あらゆるマイナスの心理には、
不機嫌がともないます。

不機嫌がストレスを生み出します。
すぐに不機嫌になる癖を直せば、
ずいぶん心が楽になります。

もちろん、ことなかれ主義に
徹してもめごとを避け、

いつもへらへらと愛想笑いを
していればいいというのではありません。

人間らしい喜怒哀楽の
豊かな感情は必要です。

しかし、それらと
「不機嫌になる」ということは別の問題です。

不機嫌とは、他人によって
自分の感情を乱されたことへの悔しさです。

自分の感情をありのままに認められる人は、
怒っても、悲しんでも、落ち込んでも、
不機嫌にはならないのです。

すぐに不機嫌になる人は、
不機嫌という態度を示すことによって、

「もっと私を尊重し、私に気を遣ってほしい」
と他人に要求しています。

しかし、

「あの人の機嫌を損ねると面倒だから」
という理由で、

他人から腫れものに触るように扱われても、
それは本当に尊重されているのではなく、
むしろ子供扱いされ、バカにされているのです。

不機嫌という態度で
他人に何かを訴えようとしても、

敬遠されるか、
見下されるかのどちらかです。

不機嫌を見せつけることによって
他人から尊重されることはありません。

すぐに不機嫌になる人は、
「私は、自分に自信のない人間です」
と言っているようなものです。

自信も劣等感も、
自分の心がつくり上げるものです。

自信をもつためには、まず、
自分の感情を自分の意志で管理できるように
ならなければなりません。

他人に嫌なことをされたり
言われたりしたとき、

相手を攻撃して怒りを
ぶちまけなければ気がすまない
と考えている人は、

「バカにされたくない」
「負けたくない」
という思いが強すぎる人です。

黙って引き下がることを
「負け」だと思い込んでいるのです。

しかし、人間関係を「勝ち負け」でしか
考えられない人は、実は、
すでに勝負に負けているのです。

人が腹を立てるのは、たいてい、
バカにされたと思ったときです。

バカにされたときではなく、
バカにされたと自分が「思った」ときです。

すぐに腹を立てる人は、
それだけ劣等感の強い人です。

いつも
「他人からバカにされてはいないか」
と警戒している人は、そもそも、

「自分は、他人からバカにされるような人間だ」
と自ら認めてしまっています。

他人からバカにされる前に、
自分で自分をバカにしているのです。

自分に自信のある人は、
他人と較べての勝ち負けなどということは、
まったく気にかけてもいないのです。

自分には自分の価値があり、
他人には他人の価値がある。

この世に生を受け、
生きることの喜びを満喫している人
すべてが勝者です。

他人のせいで不機嫌になるのではありません。
自分の弱さをごまかそうとするずるさが、
不機嫌を生み出すのです。

自分の感情は自分のものです。
気分よく過ごすかどうかは、
自分が決めることです。

不機嫌になりかけたとき、
自らのプライドと尊厳にかけて、

「誰も私を不機嫌にさせることはできない」と
自分に言い聞かせてください。

他人が自分をどう扱おうが、
気にならなくなります。

必ずストレスは減少し、
自分に自信がもてるようになるはずです。


▲ http://motejyo.net

簡単に機嫌が
悪くなってませんか?


・仕事中に嫌なことがあって機嫌が悪くなる

・不機嫌な人が近くにいて機嫌が悪くなる

・車の運転中イライラして機嫌が悪くなる

・して欲しいことをしてくれなくて機嫌が悪くなる

・嫌な態度をとられて機嫌が悪くなる


他にも、機嫌が悪くなる理由なんて
いくらでもあると思います。

嫌なことがあれば「嫌な気持ち」になるし、
機嫌が悪くなるのはあたり前の事ですよね。

でも!

機嫌が悪くなって良かったり、
得したことってありますか?

おそらく無いと思います。

良いことが無いどころか、
さらに嫌な思いをしていますよね。

機嫌が悪くなって、イライラして
関係ない人に八つ当たりしたり、
周りの人に嫌な思いをさせてしまいますよね。

もう、簡単に不機嫌になるのを辞めませんか?

あなたが損をするだけなので。

実は、自分の機嫌は
自分で選択している

先日、斎藤一人さんのお弟子さんの
柴村恵美子さんの「天が味方する引き寄せの法則」
という書籍を読みました。

その中で「なるほど、確かにその通りだ」と
思えることがあったのでご紹介させていただきます。

人間には、3つのタイプがあるそうです。

いつも「上機嫌」の人。

良いことがあれば上機嫌で、
嫌なことがあれば不機嫌になる
「中機嫌」の人。


いつも「不機嫌」の人。

なぜか、いつも「不機嫌」な人は、
おそらく「不満」なことがたくさんあったり、
人の悪い部分ばかり見ているからですよね。

そして、ほとんどの人は中機嫌だと思います。

嬉しいことがあれば機嫌が良くなるし、
嫌な思いをすれば不機嫌になります。

私は、この中機嫌があたり前のことだと
今まで思っていました。

けれども、よく考えてみると・・・
機嫌って自分で決めてませんか?

「嫌な思いをさせられたから
機嫌を悪くしよう」て実は、
自分で決めているんですよね。

嫌な思いをしたら
不機嫌になるのが当たり前って
思い込んでいるだけなのです。


不機嫌な人がいたら、
自分も不機嫌にならなければいけないって
思ってしまっているんです。

まあ、怒っている人に
ニコニコしながら近づいたら、
あなたまで怒られてしまうかもしれませんが、

相手と同じように
不機嫌になる必要はないですよね?

嫌なことがあったからって、
絶対に不機嫌にならなければいけない
ということもないですよね。

それなら、わざわざ
周りの人を嫌な気分にさせて、
自分も損をしてしまう不機嫌に
なる意味ってないですよね。

機嫌は自分で決められます。

イライラしたり、腹が立った時に
「今の自分の機嫌はどうだろう?」て
考えてみませんか?

きっと簡単に機嫌が悪くなったり
しなくなると思いますよ。

イヤなことを
イヤな嫌な気持ちで
していませんか?


嫌なことをするときって、
嫌な気持ちでやっていますよね?

「何で、私がこんなこと
しなければいけないのっ!」てイライラしながら。

嫌なことを嫌な気持ちでするのは
普通のことだと思います。

でも、

嫌なことを嫌な気持ちのまますれば、
もっと嫌な気持ちになりませんか?

どのみち、やらなければいけないことなら、
気持ちだけでも前向きにやりませんか?

嫌なことを楽しんですることは
難しいかもしれないけれど、

嫌なことでも「頑張ってやろう」とか
「精一杯努力しよう」て気持ちで
取り組むと案外、嫌じゃなくなって
きたりしますよ。

さいごに

機嫌っていうのは、
感情に左右されやすいです。

感情は、周りの人に
影響されることが多いです。

周りの人に合わせて
簡単に不機嫌になるのはヤメましょう。

損するだけなんで。

不機嫌になって、
イライラしてばかりいると嫌われます。

不機嫌になって愚痴や文句、
悪口ばかり言っていると嫌われます。

そして、不機嫌になっている
自分自身さえも嫌いになってしまいます。

簡単に不機嫌になるのをやめて、
機嫌を自分で決めてください。

どんな時も機嫌を自分で決めて、
人から愛される人になってください。

あなたならできるはずです。
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コメント
おはようございます。機嫌の選択、易しいようで難しいですね。今朝も勉強しながら、自分に言われた言葉が思いだされ
心は波立ちました。それはもう妄想なのだから忘れろ、思うな、と思いつつ、また英語の世界に入り込みました。

読んでいる文章の中で出てきた言葉さへ、その妄想を呼び起こします。何でこんなことが脳の中で沸き上がるのか不思議です。連想ゲームをしているのでしょうか。^-^;

まだまだ、修行が足りないとはこのことでしょうね。でも以前と違って長続きはしません。それはここのページでいろんなことを学んできているから、そのなかから手が伸びて私を引き上げてくれます。

上機嫌であることを目標にがんばります。わが心がそうなっていくものかどうかを、見ることを楽しみながら勉強したいと思います。やはり、不機嫌になる時は自分で思いだすから不機嫌になるのであって、私自身さへも私を不機嫌にはできないよというところまで行かなければですね。

今日も納得することがたくさんありました。

雲の上 太陽あふれる青空を 心に持ちて今日も過ごさむ
自分には自分の価値あり迷わずに進んでいこう今日の日を

どうもありがとうございました。
ローズコーンdot 2015.12.28 06:48 | 編集
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