日々生きていれば、大なり小なり
色んなことが起きますから、

うまく対処出来なかった場合、
それを気にしたり、
悔やんだりしてしまいます。

けれども、終わってしまったことを
いつまでも引きずっていては
前には進めません。

「気」が「病む」と
『病気』になります

本日のブログでは
「気に病まないための処方箋」について、
検索した記事の中からの
特選記事をご紹介します


▲ http://life.searchai.jp/994

気にしない性格というのは、
ある意味、得な性格と言えます。

大きな失敗をしたり、
重い責任のある仕事を任されても、

気にしない性格であれば
プレッシャーを感じないかもしれません。

どうすれば、気にしない性格に
なれるのでしょうか。

ネガティブな事を考えない

気にしない性格というのは、
ポジティブな性格とは違います。

ポジティブな人は、自分から色々と
挑戦をしたり、失敗を糧に
次を頑張るような性格の人です。

気にしない人は、
人に何を言われようが、
怒られようが、

気にせずに反省をしないような性格で、
悪く言えば無責任な性格とも言えます。

それでも、

ネガティブに自分を責めたり、
いつまでもくよくよと
失敗を気にするような性格よりは、
良い性格なのかもしれません。

気にしない性格になるには、
ネガティブな考えを捨てることです。

失敗をしたり、人から怒られたりしたら、
反省は必要ですが、あまりくよくよと
そのことばかりを考えてはいけません。

なるべく頭を切り替えて、
別の事を考えるようにしましょう。

頭から離れない場合は、
仕事や趣味など、別の作業に集中して
忘れるようにしましょう。

そうやってネガティブな考えを
振り切ることで、頭を切り替えて
次に進むことができるようになります。

また、ポジティブな性格と
気にしない性格は違うと申しましたが、

ポジティブな事を考えることも、
気にしない性格になるには有効です。

責任のある仕事を任された時などに、
「こうすれば大丈夫だろう」と思うのは、
ボジティブな考え方ではありますが、
ある意味気にしない性格でもあります。

自分の弱さを受け入れる

生きていれば誰しも失敗したり、
悩んだりするのは、当然あることです。

そういった時に、
無理にポジティブに考えようとするのは
難しいかもしれません。

頭を切り替えるのが難しい場合は、
とにかく自分の弱さを認め、
一度きちんと受け入れることです。

「自分は弱い人間だ」と思い、
失敗や悩みを受け入れることで、
気持ちも楽になるかもしれません。

人間であれば、誰でも一つや二つ、
あるいはもっと悩みがあるものですし、

何事にも失敗しない
完璧な人間など存在しません。

自分も弱い人間であることを認め、
受け入れることで、気持ちは楽になります。

その上で、頭を切り替えて、
次の行動を取るようにしましょう。

失敗をフォローするのか、謝罪するのか、
悩みであれば、解決策を探すのか、

人に相談するのかなど、
ポジティブに考えると良いと思います。

ポジティブに考えるのが難しいようであれば、
別の作業に集中するなどして
失敗や悩みを忘れるようにしましょう。

一度、自分の弱さを受け入れていれば、
頭も切り替えやすいと思います。

人を干渉しすぎない

日本人の性格として、
人の行動や言動を気にしすぎる
という傾向があります。

これは、日本の歴史や文化が
影響していると言えます。

昔から日本は、
自分より身分の高い人の
機嫌が悪くないかを伺ったり、

身近な人たちが
どんな悩みを抱えているかを
顔色で判断してきたりしました。

そのため、
口で言わなくても分かるというのが
当たり前になっていたりします。

欧米人などには、
体調不良や悩みなどは、

自分の口で言わなければ
他人にほとんど伝わりません。

しかし、日本人が相手の場合、
口に出さなくても、ちょっとした仕草や顔色で、
何を伝えたいかが分かる場合があるのです。

これは、日本人の
相手を思いやることができる文化というのが
大きく影響していると思われます。

ただ、この性格が逆に、
相手に重荷になったり、
ありがた迷惑になってしまう場合もあります。
人に干渉しすぎてしまうこともあるのです。

気にしない性格というのは、
こういった相手に重荷になるようなことを
しないということでもあります。

あまり自分のことを
気にしてほしくないという人には、
干渉しない方が良いでしょう。

自分は気にしていないつもりでも、
ちょっと声をかけただけで、

相手としては干渉されていると思い込んで、
プレッシャーとなってしまう場合もあります。

あなたが気にしない性格で、
干渉されてないとその人が思えば、
その人も安心して物事に集中できるかもしれません。

気にしない性格になるには、
自分はアメリカ人と思い込むのも有効かと思います。

アメリカ人は、他人や家族にもあまり干渉せず、
当人の自由にさせている人がほとんどです。

もちろん、
助けが必要であれば手を貸しますが、

基本的にはその人の自由にさせて、
干渉しすぎないというのが
良い距離感になると思います。

他人は他人だと思う

自分が失敗して、
人から怒られた時も、反省は必要ですが、
あまり気にしすぎないというのも良いことです。

原因は自分にあったとしても、
他人は他人と思い込むことで、
あまりくよくよせずに済むかもしれません。

人が怒っている時、
「この人は怒りたいから怒っているのだ」
と思うと、気が楽になります。

もちろん、反省して同じ過ちを
繰り返さないようにする努力は必要ですが、

失敗を引きずっていると
前に進めなくなりますので、
こういった考え方をするのも有効かと思います。

このように、気にしない性格というのは、
何かと得な性格であると思われます。

しかし、全く気にしない性格というのも、
無責任な人になってしまいますし、
無関心すぎてつまらない人と
捉えられてしまうかもしれません。

ですので、

気にしないのも
ほどほどにする必要があります。

もともと気にしない性格の人は、
そういう性格の人という認識なので良いですが、
これから気にしない性格を目指すという人は、
注意してください。


▲ http://ameblo.jp/hisa1153

いい加減

日本人は、まじめなので「適当」とか
「いい加減」と言われることに対して

不真面目、無責任、手抜きするという
マイナスなイメージがあるかもね。

でもですね、運がいい人ってのは
「いい加減に生きてる人」なのです。

これは、ほんまでっかに出演されている
脳科学者である中野信子さんの著著にも
書かれていて、科学的に実証ずみのこと。

たぶん、運のいい人も悪い人も
遭遇している出来事ってのは
そんなに変わらない場合が多いようです。

だけど、その出来事に対する捉え方、考え方が違い
そうすると、対処の方法も違ってくるってこと。

で、それもたった一度ならいいけれど
わたしたちのように長い年月を積み重ねれば
おのずと結果は変わってくるもんです。

まじめに生きてきた人には、なんとも
悲しい事実かも知れませんが、、、。

中野信子さんの言うところの「まじめ」とは
別の言い方をすると「社会規範に合わせる人」

みんながやっているから、常識だから
仲間はずれになりたくないから、という理由で
「特に考えることなく従順に周りに同調する」人。

本来、まじめとは褒め言葉だったはず。
しかし、最近のうつ病の増加を見ればわかること。

すべてのことを100%完璧にこなそうとすること
従順に従おうとすることは、危険です。

周りがやっているから、常識だからというのは
我慢とか、やらされてる感が満載なので
そりゃあストレスが溜まりますよ。

体も緊張しっぱなしですよ。
だから、肩の力を抜きましょうってこと。

周りに合わることは、時としていいことだけど
それはある意味、自分に対しては無責任なこと。

自分の意思を無視してるわけだから
当然、自分の心は悲鳴を上げてしまいます。

一方、運のいい人は「おもしろそう」で選択する。
運のいい人は自分の好みを大事にする。
自分なりのものさしを持ってる。

そして、自分で自分が好きな状態を
長く続けているんだそうです。

ある意味、自分の人生に責任を取っているの。
自分のものさしを使ってるからね。
だから「いい加減=無責任」ではないのです。

タモリさんも、「笑っていいとも!」が
32年間続いた秘訣としては、一回も見たことがない。
だから、一回も反省しなかったからだそうだし、笑。

で、いちいち反省会するTV番組とかは
それだけで疲れて、番組は続かないのだそうだ。

安倍首相も、第一次政権は「肩に力が入っていた」
と短命にに終わってしまったので

今回は趣味のゴルフやジム通いをして
「息抜き」することを心がけているそうです。

国の首相が、マイナス思考になると
日本全体に影響するから、気持ちを明する
努力をされているそうです。

あなたも運のいい人になるために
まじめも適当も「良い加減」で
調節してみてはいかがですか?


▲ http://shinkokyubiyori.com

「こうでなければならない」
「こうしなくてはいけない」

そうやって私たちは
自ら生きることを
難しいものにしてしまう。

他人にも自分自身にも
正しさを求めてしまう。

もっと適当に生きていい。
自由に望むように生きていい。

生き方にルールも正解もありません。
自らを制限して、わざわざ窮屈な生き方を
選ぶ必要はないのです。

生きることを難しくしない

私たちはつい生きることを
難しく考えてしまいがちです。
人生に目的や理由をを求めてしまいます。

自分から複雑にしなくていい。
世の中はあなたが考えているよりも
ずっとシンプルなもの。

正解を決めつけたり、
自分の中の正しさを押し付けなくていい。

だからといって、

流されるままに日々を
なんとなく生きるのではありません。

自分と他人を比較して争わなくていい。
自分に必要のないもののために
頑張らなくていい。

我慢して苦しむくらいなら
頑張ることをやめてしまえばいいのです。

それは何も求めずに、
努力を否定するものではありません。

必要以上を求めるでもなく、
生きるうえで丁度いいバランスがある。

そうやって足るを知り
心豊かに暮らしていく。

自分自身にとって適当に
生きることが大切なのです。

頑張らなくていい

今の自分を否定して
違う誰かになろうとしなくていい。

意地や虚栄心のために
苦しい思いを続けなくていい。

無理して頑張らなくても
なんとかなるものです。

欠点ばかりのダメな自分でも
まあいいか。
情けない自分だってまあいいか。

一度ありのままを
受け入れてみましょう。

生きづらさや息苦しさを感じているのは
どこかで無理をしているから。

もう少し力を抜いてみましょう。
もっと適当に生きてみましょう。
人生いい加減なぐらいで丁度いい。

「いいかげん」は「良い加減」

自分の理想と違っても
焦りや不安を感じたりしなくていい。

思い通りにはならないけれど、
なるようになるのが人生です。

人より上に立つ必要も
多くを手に入れる必要もありません。

自分に足りない「何か」を得ることが
幸せに生きることではないのですから。

適当に生きる

抱え込むから身動きがとれなくなる。
詰め込み過ぎるから
余裕がなくなってしまうのです。

ゆとりがないなら作ればいい。

生き方は自分で決められる。
絶対に「こう」でなければ
いけないものなんてほとんどない。

ひとつの価値観しか認められなくなれば
生きることが煩わしくなる。

そこから外れることを恐れて
自分の中の正しさを他人にも共用してしまう。

自分と違う考えがあってもいい。

生き方はひとつではないし
正解なんてものもありません。

私たちはたったひとつの
正しい生き方を目指すのではありません。

他の誰かと比べるのではなければ、
どこかにある常識や当たり前に縛られるのでもない。

望むように生きていい。

「誰か」ではなく「自分」にとっての
最適に向かうのです。

あなたにとって
「適当な生き方」を生きましょう。


▲ http://rmpaz.com

真面目に生きていると
ついつい悩んでしまいがちになる。

真面目が悪いわけではない。
ただ考え方を変えるという意味でも、

適当に生きる期間があっても
いいんじゃないのかなと思います。

抱え込みすぎて、
すべてを丸投げしたくなる前に。

人生は思っている以上に長く、
いろいろな出来事を経験します。
そしてなるようにしかならない。

どれほど頑張っても
うまくいかないときはあるし、
気張り過ぎたって仕方がないときもあります。

もっと気楽に、適当に
生きてもいいんじゃないだろうか。

リラックスして生きられたら
今より楽しくなるかもしれない。

そんなことをふと思ったので書いておきます。

「気楽に生きる方法」と言っても、
「適当に生きる」のと「投げやり生きる」のは
同じではありません。

今のところ、人は必ず死にますよね。
常に死を意識して、時間を無駄にしないように
ずっと集中しているかというとそうではありません。

ある程度考えても仕方ないことはあるんです。
それを考え込んでしまうなら、もっと適当に
生きるようにした方がいいかもしれません。

苦労や悩みばかりに目を向けていても
生きるのに疲れてしまいます。

もっと力を抜いてみませんか?

みんなと
同じじゃなくてもいい


人それぞれ良いところもあれば
悪いところもあります。

得意不得意や考え方、
価値観の違いがあるのは当たり前なんです。
もちろん容姿・外見もです。

みんな違うのが当たり前なのに、
みんなと同じじゃないと不安という人がいます。

自分の意見が言えない、
流されてしまう、合わせてしまう。

不本意であるなら
そうしなくていいんですよ。

みんながAを選んでいるのに
自分だけBを選ぶのは
勇気がいるかもしれません。

でもそれは
仕方ないじゃないですか。

同じじゃないんですから、
人と違う感性を大事にしましょう。

失敗を歓迎しよう

失敗してもいいし
笑われてもいいじゃないか。

大抵の失敗はなんとかなります。
そしてちょっとした
失敗なんていちいち覚えてないでしょ。

失敗を恐れると何事に対しても
逃げ腰になってしまい、
人生が楽しくなくなります。
そして失敗するなら早い方が良い。

それに失敗し続けたとしても、
いつか必ず成功できるときがくるはずです。
失敗なんて成功の過程でしかない。

「やるだけやるけど、
失敗したらそのときはそのとき」

気楽に、適当に生きるとは
こんな感じだと思うんです。

自分に正直に

あなたは自分の本心を
わかっていますか?

自分の感情を抑えつけているとしたら
大変生きづらい毎日だと思います。

自分の気持ちに正直になりましょう。
人に迷惑がかかる場合以外は
自分を無理に抑えつけなくていいんですよ。

後悔すると思ったら
後悔しないようにしましょうね。

執着しすぎない

人や物、出来事に執着しすぎるのは
すごく良くありません。

別れた恋人を忘れられずに
ストーカーになる。

物に執着しすぎたせいで
友人との関係が悪くなった。

過去に体験した失敗がトラウマになる。

どれも執着しすぎた結果です。

執着すると一方的な見方や
偏った考え方しかできなくなります。

傍から見ればすぐにわかりますが、
自分では気付きにくい上に
指摘されても受け入れにくい。

執着しすぎる傾向にあると
余計な後悔ばかりを感じてしまいます。
自分からストレスを溜めているようなものです。

苦しいときでも「ま、いっか」と
考えるだけでも楽になりますよ。

期待しすぎない

人に期待しすぎないのも大切です。
期待するなというわけではありません。

親友がお金を貸してほしいと
頼んで来たらどうしますか?

金額にもよるかもしれませんが、
基本的に誰かにお金を貸すなら
捨てるつもりで貸さないと面倒臭いことになります。

「親友だから絶対返してくれるはずだ」
なんていうのは期待しすぎです。

人とは自分が許容できる範囲で
関わり合うようにしていくと、
かなり気楽に生活できます。

諦めも大事

自分を追い込んでしまうと
人生に疲れてしまい楽しくありません。
人生って楽しむものでしょ。

なにかを頑張るにしたって、
楽しいから頑張れるんです。

頑張った先に
楽しさがあるから頑張れるんです。

楽しくもないことを頑張って、
その先に何もなくて、

自分を苦しめているとしたら
諦めた方がいいのかもしれません。

諦めるとは挫折しろというわけではなく、
別の道を探すだけなんですよ。

流れに任せる

流れに逆らって生きていると
めちゃくちゃしんどいですよね。

これは人間関係にも言えます。

人の意見に反発ばかりするのと、
なんでも肯定するのでは
後者の方が断然楽です。

やらなければいけない事柄があるとして、
嫌々やるとモチベーションも上がらず
効率が悪いですよね。

どうせやるなら自分を乗せましょう。

流れに逆らわずに、流れに乗ると
気持ちはすごく楽です。

そして意外かもしれませんが
満足感や充足感、幸福感を得られるんですよ。

人にやらされているのではなく、
自分からやっているからという単純な理由です。

誰かと比較しない

人と自分は同じじゃないと言いましたが、
そう考えると誰かと比べる意味がなくなります。
自分は自分でいいじゃないか。

わざわざ比較して劣等感を抱いたり、
優越感に浸ったりしたところで
メリットなんてないんです。

比較しないようにするのは
最初は難しいかもしれません。

人と比べてしてしまったら
「自分には関係がない」と思うようにしましょう。

比較してしまうと劣等感や
優越感以外にも嫉妬といった感情があります。

嫉妬はなくても生きていけますし、
ない方が人生気楽に過ごせます。

嫉妬するのが嫌なら自分を変えたり、
自分の強みを見直すのもありかもしれませんね。

他人を褒める

人生に悩んでしまいがちな人は
他人を褒めるのが苦手です。

人の人生より自分の人生が
気になっているから仕方ありません。

これは意識しないといつまで経っても
改善しない場合もあります。

心の底から誰かを褒める、
誰かを応援するようになると
人生は違った楽しみ方ができるようになるんです。

自分はなにもしていないのに、
人の幸せな話を聞いて幸福感を得られるんですから。
応援している人が上手くいけば嬉しいですよね。

否定ではなく肯定

自分も他人も否定していると
気苦労の多い人生になります。
気楽とは正反対の生き方ですね。

自分を否定しがちな人は
誰かと比較して自己肯定感を
下げている場合がほとんどです。

他人を否定しがちな人は
自分の意見に固執している節があります。

どちらにしても良くはないので
なるべく肯定するようにしましょう。

まとめ

大事なのは自分に正直に生きて
「自分自分」にならないように気を付けてみる。

適当に生きる・気楽に生きる方法とは
自分の解放だとぼくは思っています。

自分に対して適当になるというんでしょうか。

意識を自分に向けるのをやめると
いろいろな気付きが得られます。

気付いていないだけで、
たくさんの人に優しくされたり、
助けてもらっているかもしれませんね。

そして劣等感、義務感、嫉妬、
憎悪、欲望などどれも自分が絡んでいます。

「どうせ私なんて…」
「ぼくができるわけがない」

「なんでおれなんだ」
「私はどうしてもこうじゃないと嫌なんだ」

「ぼくは失敗したくないし、
人にはよく見られたいよ」

結局は自分自身に執着しないように
生きることができれば、
意外と幸せになれるんです。

自分に固執しすぎるのが
一番苦労する生き方だとぼくは思います。

人生で失敗をしたって
意外となんとかなるもの。

どうしようもない失敗なんて
そうできるものではありません。

失敗すらさせてもらえず、
なにもできないなんてのは嫌ですよね。

失敗したっていい。
気楽に生きましょう。


▲ http://www.h5.dion.ne.jp

他人に傷つけられても、
はっきりと自我に目覚め、

意志をもって生きている人は、
まだ幸福だといえます。

もっとも不幸な人生とは、
他人のご機嫌をうかがい、
気を遣うばかりで、

自分が何をしたいのかが判らない
虚しさの中で生きることです。

恋人からひどい暴力を受けたり、
浮気を繰り返されたりと、

明らかに悪意をもっておとしめられているのに、
「きっと本当は優しい人なのだ」と相手を美化して、
けな気に耐えている人がいます。

相手の悪意さえも
受け止めるだけの寛容さがあればよいのですが、
それほどの意志も覚悟もなく、

「いったい、いつになったら
私の気持ちを判ってくれるのか」と
相手にからみ続け、結局裏切られては、

人間不信と自己嫌悪にさいなまれる
という繰り返しなのです。

他人の欠点に目をつぶるということは、
相手の人間性を尊重する気持ちがあって
はじめて成立することであって、

「本当は文句を言いたいが、
嫌われるのが怖いから我慢する」というのでは、
被害者意識と無力感に悩まされるだけです。

単に自分が傷つけられているという
現実を認めたくないために、

怒りを抑圧してしまう人は、
悪意に満ちた人の恰好の標的となり、
ますます傷つけられることになります。

怒りは不快な感情ですが、
「他人を憎むことは許されない」と
怒りを抑圧することは、かえって
精神の健康に害をおよぼす結果となります。

怒りをはっきりと自覚するほうが、
むしろ精神にはよいことなのです。
自覚しなければ、解決もできません。

怒りを抑圧してしまうという心の働きは、
たいてい、幼いころの親との関係によって
つくり出されます。

未熟な親からの非難と憎悪を感じても、
子供は、「私の親は本当は優しく、
私を愛してくれているに違いない」と
信じて疑いません。

幼い子供にとって、親は保護者であり、
目標であり、命そのものです。

偉大な存在である親を責めることは、
多大な罪悪感をともなうものです。

子供は親を通して
自分の価値をはかりますから、

親の人間性を否定するということは、
自分自身を否定することにほかなりません。

親を冷たい人間だと認めてしまえば、
そんな親に依存し、愛情を求めて
生きていかなければならない
自分があまりにも惨めです。

無力な子供は、現実から目をそらす以外に
なすすべがないのです。

恋人を内心では非難しながらも、
感情にふたをして、
ごまかしながら生きている人も、

同じように、恋人に自分を
投影してしまっているのでしょう。

自分で自分を認められず、
他人にどう思われるかが
自分の価値のすべてだと
思い込んでいるので、

いい加減な人の上っ面の優しさを信じ、
それに依存してしまいます。

そして、自分が本当は愛されていない
ということに気づいた後も、

なかなか現実を受け入れることができず、
ずるずると解決を先延ばしにしてしまうのです。

子供はひとりでは生きていけない
弱い存在ですから、自分をごまかすのも
やむをえませんでした。

しかし、大人になっても
それを引きずってはいけません。

人間に飼われている象は、
足につながれた鎖を引きちぎって
逃げようと思えば逃げられるのに、
そうしようとはしません。

小さいころから
鎖につながれて育てられたので、
成長してからも、鎖は切れないものと
思い込んでしまっているのです。

子供のころにひどい心の傷を受けた人も、
それはそれとして、

やはり大人になれば、鎖を断ち切り、
自分で人生を切りひらいて
いかなければなりません。

自分が傷ついたのは、
他人の未熟さのせいであって、
自分のせいではなかった。

まず、そうはっきり自分に
言い聞かせることから始めましょう。

だからといって、
いつまでも人のせいにし、
人を恨みながら生きていく
ということではありません。

自分の傷ついた心を受け止めるということは、
人を許すための第一歩なのです。

世の中にまったく欠点のない人はいません。

自分が迷い悩みながら
生きているのと同じように、
他人も皆、迷い悩みながら生きています。

自分を傷つけた人もまた、
大きな傷を抱えて生きてきた弱い人間です。

傷ついた人間は、意識的に、
また無意識のうちに、
他人を傷つけてしまうものです。

価値ある人間としての尊厳にかけて、
大いなる誇りをもって、

その悲しみの連鎖を
自分のところで止めなければなりません。

自分を傷つけた人を
すぐに許すことはできないでしょう。

「時間がたてば、いつかは
許せるときがくるだろうが、
今はまだ許せずにいる。

こんなにも傷ついたのだから、
それは仕方のないことだ」と
自分を慰めるだけでも、
心はずいぶん落ち着くはずです。

他人としっかり向き合うということは、
相手に対する自分の感情と
向き合うということでもあります。

嫌いな人を嫌いだとはっきり自覚してこそ、
愛すべき人をしっかり愛することができるのです。

しっかり人を愛することができれば、
やがて、嫌いな人のことを認める
心の余裕も生まれることでしょう。

怒ってもよいのです。
ただし、いつまでも根にもたないように
しなければなりません。

傷ついてもよいのです。
ただし、傷口を自分で広げないように
しなければなりません。

怒りをため込んでいる自分、
傷ついている自分を認め、
「自分のせいではなかった」と

はっきり認めたなら、
その殻を脱ぎ捨てて、
新しい人生をつくり上げていきましょう。





「いい加減」とは、
もともとは「良い加減」から来ていて、

ちょうど良い塩梅(あんばい)」という意味です。
けっして悪い意味ではありません。

「いい加減」とは本来、
加えること減らす割合が丁度いい具合である
ということです。

甘さと塩加減が、程良い甘塩(あんばい)であり、
調和がとれているということです。

もう、一生懸命に生きる必要はありません。
ただ、愉しめば良いのです。



かかわりのある周りの人のいい加減さも
少々のことは大目に見て、関係を愉しみましょう。

「良い加減の生き方」とは、小さなこだわり捨てて心を緩め、
同じストレスを受けても、サラリと受け流す事ができる生き方。

そんな「良い加減」を心掛けて
これからの人生を生き直してみませんか?



自分や他人との関係を、「加減乗除」で
良い加減」で愉しみましょう!


「良い塩梅」で
適度に「良い加減」に
生きましょう!


自分に完璧さより楽しさを求める
「良い加減」な生き方は、

心にも、体にも余裕があり、
緊張せず緩んでいるので

同じストレス受けても、
それを受け止め、
受け流す事ができます。

少し気を抜いて、
ゆっくりと俯瞰してみてみましょう。

緊張と弛緩のバランスをうまく加減して
調和がとれている、

つまり「いい加減」に生きることは
とても大切なことではないでしょうか。


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コメント

丁度良い塩梅。

おはようございます。今日もたくさんいろんな角度から記事をアップして読ませていただきましたね。ありがとうございます。
私は要点を書きつつ、読んでいくと不思議と、長さが気になりません。それよりあら、もうお終い?おもうほどです。


”どうせやるなら自分をのせましょう。”

のフレーズが今日は一番心に残りました。
もっとほかの言葉ももちろんその考え方もいい、いい、そうなろうと思いながら読みましたけど。
今やって居ることに、自分をのせて、おだてて、楽しみつつ暮らす…そんな年にしましょう。

一生懸命やる・・・なんて言葉がこれまでの人生で身についているところがあるので、少しづつ軽くしてやらなければいけませんね。すべてに足るを知って、豊かに暮らしたいと思います。
新年の生活基本がこれで見えてきました。ありがとうございました。

ゆっくりしたお正月でしたか。

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