2016
01.22

モノの見方を変えて人生を広げる



私は1/19(火)のブログ記事の中で、
「幸せの修行」に取り組んでいることを書きました。

>日々、大小いろんなことが起こりますが、
>それらの状況のなかで、
>どれだけ楽しい気分で過ごせるか?


>私はそれを「幸せの修行」と捉えて
>チャレンジすることにしました。

>それは無理やりのプラス思考ではありません。
>不快な気分に心を支配させないという修行です。


あなたにも是非、そんな「幸せの修行」に
取り組んでみて欲しいと思います。

あなたに起きることをどう捉えるのかで、
あなたの幸福度はいくらでも変わります。

モノの見方を変えると、気持ちが変わります。
気持ちが変わると、行動が変わります。

するとその行動は、
あなたの周りに起こることを変えるのです。


本日のブログでは、
モノの見方を変えるメリットについて

検索した記事の中から、共感したものを
読んで頂きたいと思います。


▲http://www.i-nex.info

曇ったメガネ

サングラスをかけると
暗い世界しか見えなくなるように、

偏ったモノの見方をすることを
「色眼鏡をかける」と表現します。

この言葉の通り、人は誰しも
自らの経験によって築いた「フィルター」を通して
モノ・コトを捉えています。

多くの人は、自分の見ている世界に
疑いを持ちません。

しかし、「フィルター」は不思議な程に
個々によって異なるのが現実です。

例えば、上司がいつもあなただけに
急な依頼をしてくるとしましょう。

①上司は私を軽く見ているから、
いつも厄介事ばかりを私に押し付けるんだ。


②上司は私を高く評価しているから、
困った時はいつも私に頼るんだ。


いかがですか?
あなたは①と②のどちらの認識をしますか?

上司との日頃の関係性もあるため、
一概に①と②のどちらとは言い切れないかもしれません。

しかし、現実は1つでも、
捉え方で良い出来事にも悪い出来事にも
変化することは、ご理解いただけたのではないでしょうか?

「塞翁が馬」

また、次のような話があります。

『ある村の老人は周りからも
評判が立つほどの駿馬を飼っていた。



ある日突然、蜂に刺された拍子に、
その馬が村を飛び出してしまった。

一向に帰らない馬の様子に、
村人は老人に同情した。

しばらくすると、その馬が別の白い馬、
それも飛び切りの駿馬を連れ帰った。

村人は口々に何と幸運だと囃し立てた。

しかし、その後老人の大切な一人息子が
その白馬から落ちて、大きな怪我をした。

村人はまた老人に同情した。

やがて、隣国との戦争が始まったが、
息子は怪我のため徴兵されず、命拾いした』

これは「塞翁が馬」という故事です。

言葉の意味とは少し離れますが、
あるモノ・コトは、その条件、状況により

「良いこと」にも「悪いこと」にも
なりうる可能性を含んでいることの例え話として、
よく引き合いに出されます。

「良い」とも「悪い」とも、
どちらか一方に決めつけてしまえば、

偏った一方から、将来の可能性を狭めて
モノ・コトを捉えることになるのです。

我々はいつも自分なりの
「フィルター」というメガネを通して
世界を捉えているといえます。

また、その眼鏡は自分なりのクセを持ち、
知らず知らずのうちに曇ってしまうため、

中立的な立場からモノごとを見ることを
困難にしてしまいます。

パターンを変えるパターン

我々は自分の「フィルター」を通して現実を捉え、
判断・行動しています。

更に、同じような情報を同じように処理し、
同じように行動することを繰り返すことで、
一種の条件反射(パターン)を築きます。

深く考えることなく、それを疑うことなく、
決まりきった情報に決まりきった行動で
反応するのです。


これは、ある環境下において、
プラスに作用するならば、良い習慣であり、
定石に沿った価値あるパターンといえるでしょう。

しかし、そのパターンが、
良い結果をもたらさない状態ならば、

その「フィルター」は、ただの固定観念や
偏見でしかないのかもしれません。

ある環境下、ある場面で成功した“正”のパターンが、
いつまでも“正“である保証はありません。

しかし、多くの人は、固定観念・偏見と化した
自らの「フィルター」を自覚できずにいます。

環境は知らぬ間に変化しています。

特に、変化のスピードが速い昨今は、
尚のこと注意が必要です。

成果を出し続けるためには、
常に成果に繋がる行動を取らなければなりません。

その行動は、好ましい判断から導かれるわけですから、
起きているモノ・コトを如何に見るか?捉えるか?が
成果の源泉であると考えられます。

だからこそ我々は、
積極的に気づく機会を設けることで、

頑なになりがちな「フィルター」や「パターン」を崩し、
より洗練させる術を身に付けてゆかねばなりません。

その機会が、研修受講なのか、読書なのか、
誰かとの会話なのか、方法は人により様々でしょう。

しかし、持っている「パターン」を
より好ましいものに変える
「気づきと改善のパターン」を持つことは、
成長のスピードを高める上で非常に重要です。

「フィルター」が凝り固まっていませんか?
「気づきと改善のパターン」構築に
意識的にお取り組み下さい。



人の心の流れは

「出来事」→「思考」(考え方、捉え方)
→「感情」→「行動」→「相手の反応」
→「結果」という順序で流れて

現実に影響を与えるもの。

つまり「結果」を変えたいなら、
この流れのどこかを変えればいい。


そして、起きた出来事をどう捉え、
どう考えるかという「思考」が変わると、

「感情」に変化が起き、
「行動」に違いがあらわれ、

「相手の反応」が変わり、
「結果」(現実)が変わっていく。

そう主張するのは、
『ものの見方検定』の著者ひすいこたろう

以下は、著書『ものの見方検定』の感想記事です。
 ↓↓↓

▲http://jyurin-hack.com/

「自分は運がいい」と決める

秋元康さんは言います。
「エジソンは『成功とは99%の汗と1%の才能である』
と言ったようですが、僕の場合は、
98%の運と1%の才能と1%の努力じゃないか
と思うんですよ」

自分より努力している人は世の中にいっぱいいる。
自分より才能がある人も世の中にいっぱいいる。

だからこそ、大切なのは「運」じゃないかと
秋元さんと言うのです。

じゃあどうすれば運が良くなるのか?

それは…

「自分は運があると思えばいいだけなんです」

犬のウンコを踏んでも感動できたのは
「自分は運がいい」と秋元さんは決めているからです。

小さな幸せに気づき、
自分の心を満たす


「タンポポのように背の低い花は
上を向いて咲いてくれるがね」


「人間と背丈が同じひまわりは
こっちを向いて咲いてくれるがね」


「高いところに咲いとる桜は
下を向いて咲いてくれるがね」


花はいつも人間に向かって咲いとるでよ」
「これ以上のありがとうは他にあるがなぁ」


「天は自分を愛してくれている」
「まずはこれに気づくことだよね」

和平さんはそう言って
「わはははは」と笑ったそうです。

和平さんは、小さな幸せに
たくさん気づくことで、
いつも自分の心を満たしていたのです。

自分が満たされているから、
自然に分け与えようと思う気持ちが
出てくるのです。

人生は映画。
悩むからこそ主人公


ディズニー映画のクリエイターたちは、
最初に主人公をどこまで不幸にできるかを
考えるんだそうです。

困難と向き合ってどう成長していくかが、
面白さのポイントだからです。

サスペンス映画の巨匠、
アルフレッド・ヒッチコックも
こんな名言を残しています。

「映画とは、退屈な部分が
カットされた人生である」


つまり、人生は映画なんです。
映画では一番悩む役柄が
「主人公」といわれます。



あなたの人生は
いままでツイてましたか?


本書にも書いてありますが、
経営の神様と言われる松下幸之助さんは
面接のときに必ずこう質問したそうです。

そして、どんなに優秀だったとしても
「ツイてません」と答えた人は採用しなかったそうです。

「ツイてる!」と無条件に言える人は、
どんなことにも感謝の気持ちが持てている人。

自分の力だけを過信せずに、
周囲からの助けがあって、恵まれて、
生きているということをわかっている人なんですね。

根拠も何もなくたって
「ツイてる!」「運がいい!」って思うことはできます。

そして、そう決めてしまったら
「何がツイてるのか?」「なぜ運がいいのか?」を
後付けで考えることができるようになります。

「ツイてる!」「運がいい!」

この言葉は、ものごとの捉え方を
好転させるためのキーワードなんですね。

ドラマはどん底の後にやってくる

本書で取り上げられている方々の話もそうですし、
伝記に登場する偉人の方々もそうですが、

順風満帆で何の問題もなく大成した方は、
おそらく一人もいません。

死ぬほどの苦しみ・悩み・
悲しみを超えたその先に、

世紀の大発明や感動の名曲を
生み出したりしているわけです。

それはまさに
映画のような話なんですよね。

逆に何もかもうまくいっている状態では、
スゴイものは生み出されないはずです。

そう考えると、まさに逆境は
成功の種なんですよね。

「最悪」だからこそ
「最高」を生み出すことができる。

自分の人生をどんな映画にしていくか。
これも自分自身の「見方」次第です。

悲劇は、まわりを
笑わせる「ネタ」にする


とても興味深い話だったのが、
放送作家の鈴木おさむさんの話です。

ご両親が2億円の借金を抱えて、
1日200件もの取り立ての電話が
かかってくるという危機的な状況。

もうこれはどうにもならないと、
ディレクターさんに事情を打ち明けると、
こんな一言を言われたそうです。

「来週とりあえず会議に来て、
その話、面白くしゃべってみろよ」

で、仕方がないのでとにかくこのつらい話を
面白くしゃべってみたところ、大ウケに。

そこで気づいたそうです。

自分にとっては辛い状況でも、
他人から見ると面白い話にもなる。

まさにチャップリンの
「人生は近くで見ると悲劇」
「遠くから見ると喜劇」なんですよね。

もちろん主観的に自分の感情を
味わうことも大切ですが、

客観的に第三者的な目線で
自分の立ち位置を見てみることも大事なことです。

ぼく自身も過去に自分が引きこもっていた話を
講演ですることがありますが、

できるだけ楽しく・明るく・笑えるように
話をするようにしています。

そうすることで、自分自身が
その体験を受け入れやすくなりますし、

人からも「こいつ面白いやつだな〜!」って
思ってもらえているように感じます。

悲劇ほどオイシイ「ネタ」はないんですね。

人生を面白くするのは「考え方」!

>おもしろき こともなき世を
>おもしろく すみなすことは心なりけり


本書のプロローグでも紹介されている
高杉晋作の辞世の句。

まさに生きるとは
「ものの見方」なんだなと思わされます。

単純に、ぼくらの心が
「おもしろい」という見方をしているか、
それとも「おもしろくない」という見方をしているか。


それがぼくら一人ひとりにとっての
世界のあり方を決めているわけですね。

せっかく生まれてきたんですから、
生きる時間を「おもしろく」していけた方がいいなぁ…と。

そしてそんな考え方のヒントを
知ることができたらいいなぁ…と。

まさにそのニーズを満たしてくれるステキな本でした。
どの話も、「そうか!その見方があったか!」
目からウロコ。

元気がないとき、
行き詰まったとき、
楽しさを感じられないとき、
オススメできる最高の一冊です。

-------------

人生を退屈にするか、面白くするか。
決めるのは「考え方」です。

たとえ、大ピンチにおいこまれたとしても、
たとえ、犬のウンチをふんだとしても、

たとえ、絶望の底に陥ったとしても、
たとえ、妻が悪妻でも、夫がどうしようもない男でも、

ものの見方次第で、それを面白がれて、
その結果として、行動を変えて、
状況を変えることだってできるのです。

>本書プロローグより



▲http://blog.goo.ne.jp

「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」と言います。

意味するところは違いますが、
人間は、犬から軽蔑されているようです。

どうも、哺乳類全般に、
夫婦喧嘩はなさそうでして、
唯一の例外が人間のようです。

じゃあ、人間だけが
なぜ夫婦喧嘩するのか。

これについて、「結婚学入門」という本に
興味深い説明が書かれていましたので、
それを紹介しましょう。

夫婦喧嘩する人は、
「これは自分の妻だ」「これは自分の夫だ」と、
とんでもない誤解をされておられます。

「自分の家族であるから何を言ってもいい」と
思っておられる。

でも、家族でもない隣のおじさんが、
毎月給料を運んでくれていると思ったら、
決して文句を言ったりしないでしょう


また、どこのどなたか分からないおばさんが、
いつの間にか家に入って来て
夕食を用意してくれるなんてことは有り得ないこと
です。

もし、こんなことがあったとしたら、
ただただ手を合わせて感謝するしかありません。

他人だったらそうするのに、
なぜ夫婦はそうしないのでしょうか。


それは「家族」という名の甘えなのです。

原点に立ち戻って、夫も妻も
「この人は元々他人なんだ」ということを、
しっかり再認識しましょうよ。

夫は妻に「どこのどなたか存じませんが、
毎日夕食を用意してくださって有り難うございます。」
と、

妻は夫に「どこのどなたか存じませんが、
毎月大金をお届けくださって有り難うございます。」
と、
たまには言ってみませんか。

「結婚したら一人前の大人だ」と言われますが、
「一人前の大人」とは、何でしょう。

怒りが生ずると、他人に対しては
踏み止まる能力があるのですが、
多くの親子は踏み止まらない。

「踏み止まれない」のではなく、
「踏み止まらない」のです。

これを一言で言うと「幼児性」です。

実は、「幼児性の克服」のために
「結婚」というものがあるのです。

元々が他人である夫や妻に対して
怒りのストレスを発散させること、

つまり、夫婦喧嘩これをしないのが
一人前の大人です。



『仁』という漢字があります。
その意味は「博愛、いつくしみ、思いやり」です。

究極の愛情の形態であると同時に、
実は一番簡単な愛の形と言えましょう。

『人』が『ふたり』一緒になって居る。
これが、『仁』という漢字の語源です。


『仁』とは、何もしなくていい。
ただ、その人のそばに居てあげること。
それが究極の愛なのではないでしょうか。

距離的にというより精神的に。
夫婦が生涯連れ添うには、
夫婦二人の間の行ないにおいて、
互いに相手を尊敬できる何かが求められます。

相手の中に尊敬できるところを
見い出すというよりも、

自分の中に相手から尊敬されるものを
作り出すというふうに考えた方がより良いでしょう。

これが実践できれば、
最高のオシドリ夫婦になります。

※小林正観さんの著書より抜粋


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コメント
自分は運がいいと決める。今日はこの結論ですね。

いつもここで読み終わったとき、私の人生はどうかなあとしばらく考えます。私はどんな人間かなあとか考えます。

  そして、ああこんなこともあったし、あんなうれしいこともあったし、よき人に巡り合ったしとつぎつぎに運がいいと思えることが浮かんできました。

西日が斜めに差し込んでエヤープランツを照らしています。
この静けさ、この平安の中で何も不足なことはないと思います。

花はいつも人間に向かって咲いていると
天は自分を愛してくれていると・・・

今日もいい言葉を読ませていただきました。
ありがとうございます。

明日からまた寒くなるのでしょうか。それもまた
喜びとするように思いを変えていけばいいのですよね。
温かいストーブもあるし、机に向かう楽しみもあります。
食べるものだって・・・。

神様ありがとうございますと素直に言える思いです。
ローズコーンdot 2016.01.22 15:46 | 編集
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