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2016
01.23

究極の気づき「悟り」



私は数日前のブログで
「幸せの修行中」であると書きました。

日々の暮らしの中で自分に起こる
大小さまざまな出来事に対して

できるだけ感情に振り回されないで
気分良く過ごしてゆくための修行なのですが、

そのためには、「ものの見方」を
どのように修正してゆくかが重要になります。

そういう意味で、「視野を広げる」というテーマで
いろんなサイト情報を読み漁っていたのですが、

「なんか違うんじゃないかなぁ…」という違和感が
だんだん大きくなってきました。

視野を広げたところで、
不快な感情が不快でなくなる訳ではありません。

怒りや焦り、孤独感やジェラシーは感じたくないけど、
愛や楽しさ、喜びだけは十分に満喫したい…

でもそれは、よく考えてみれば、
都合の良すぎる話だったのです。

同じ心の中に湧く感情の中で
心地よい感情だけは十二分に感じながら
不快な感情は感じないようにするなんて
できるはずがなかったのです。


人間とは、感じる生き物であり、
感じるからこそ、人生を奥深く感じることも
できるのだと思います。

悲しみや苦しみを感じるからこそ、
愛も喜びも、ひとしおに感じれるのです。

だから、根本的にものの見方を改善するためには、
不快な出来事に対して、それは本当に「不快」なのか、
自分の感じ方・捉え方自体が間違っているのではないか

疑ってみることも必要なのではないかと思うのです。

例えば、今年の元旦に
母親(88歳)の家に家族で行った時に、

「アンタ(私)は、もっと奥さんに優しくしなさい」
母にお小言を言われてしまいました。

「俺はまもなく61歳になるいい大人なのに、
まだ説教するつもりなのかよ!」
と捉えれば
不快な感情が湧きあがります。

けれども、88歳の高齢になっても
「こんな俺を今でも大事な息子と思って、
良かれと思って躾けてくれるのだなぁ…」
と捉えれば
涙が出る程、有難い「快」の感情が湧き上がります。

この話は、「不快」と感じたことが
実は「快」な出来事だったという事例ですが、

どう考えても「快」な出来事ではなくても、
「本当に自分が不快になる問題なのだろうか?」という
視点は必要だと思うのです。



例えば、ゴミを出す日に
いつも出しているゴミ捨て場の柵からはみ出している
誰かのゴミ袋をあなたが積み直している時に

後から来た誰かが、ごみ袋をポーンと
柵の中に投げ入れたとします。

「人が整理しているのに、
投げ捨てるとはなにごとじゃぁ!
と思えば
超アタマに来て、ジロリとにらんでやりたくなります。

けれども、みんなで使うゴミ捨て場だから
きれいに整えておこうというあなたの行動は
確かに尊い行いではありますが、

「ああ、ゴミ捨てメンドクセー!」
ポーンと投げ捨てる人の行いも、
それは、そいつの勝手なのです。

善行を行っているあなたが、果たしてそれを
「不快だなぁ…」と感じなければ
ならないのかって話です。

「ああ、そんなことも気がつけないなんて
本当に可哀そうな人間だなぁ…」

憐れむこともできる訳です。

みんなの大切なゴミ捨て場に
乱雑にゴミ袋を投げ捨てるそいつのマナーの悪さは、
はっきり言って、そいつの問題なのです。

マナーがなっていない奴って確かにいます。
けれども、それはそいつの問題なのであって、
あなたが気に病むべき問題ではないのです。

気に病んでも仕方のない問題なのです。
あなたが神経を使うだけ損する問題なのです。


ご近所さんとスーパーで出会った時、
にこやかに挨拶をしたあなたに
お辞儀も返さないで立ち去ったおばちゃんは、

急激にもよおした便通に
それどころではなかったかもしれません。

急にウンコがしたくなってテンパって
挨拶を返す余裕さえなくした人にまで
あなたが不快になる必要があるのでしょうか?

極端な事例でしたが、私たちは、
自分の問題ではないことにまで
不快になりすぎるのではないかと思うのです。

そんなことを考えているうちに
あるキーワードが浮かんできました。

悟り

本日のブログでは、これまで
扱ったことのないテーマである「悟り」について
関連記事をご紹介したいと思います。

『悟り』とは、深い気づきのことです。

自分がより幸せ感を高めるために
「快」も「不快」も実は必要な感情なのだと
深く気づくことから

視野も広がれば、ものの見方も
一新できるのではないかと思います。


▲http://www.ryushotemple.sakura.ne.jp

あなたは蓮(ハス)の花の咲いている風景を
ごらんになったことがありますか。

蓮の花は、夏の朝早く花を開きます。
真っ白な花、薄紅色の花、それはそれは見事です。

蓮の花はなぜあれほど美しいのでしょう。
そしてなぜ尊ばれ、仏さまと深く
結びついているのでしょうか。

それは汚い泥のなかで成長し、
それでいてその泥に染まることなく、
清浄な花を咲かせるからにほかなりません。

お釈迦さまは、蓮の花を教材にして
次のように教えられています。

>都大路(みやこおおじ)にすてられし
>塵芥(ちりあくた)の堆(つみ)の中にも
>げに香りたく
>こころたのしき
>白蓮(びゃくれん)は生ぜん (『法句経』)


大都会に住む人々が捨てた
山のような汚いゴミのなかから、

何とも香りのよい、
心を清らかに安らかにさせる
白い蓮の花が咲く。

何とすばらしいことか!

きれいな水の中からきれいな花が咲くのであれば、
それは当たり前のことであるけれど、

汚れに満ち悪臭に満ちたゴミのなかにあって、
むしろそれらを養分として育ち、

気高い花を咲かせる蓮の花の尊さを、
お釈迦さまはたたえておられるのです。



私たち人間も悪に染まらず、悪い誘惑に負けず、
どれほど不遇で恵まれぬ環境にあっても、

強く清らかに堂々と生き抜かねばならないと
教えておいでなのです。

朝もやのなか、次々に花開く蓮池の風景は
極楽浄土を見ているかのようです。


▲https://happylifestyle.com

悟りを開くためには、2つの視点が必要です。
「死の瞬間から見る視点」と
「宇宙全体から見る視点」です。
 
悟りとは、知識ではありません。
そもそも知識は、人間による偏見です。

知識の詰め込みでは、
人生を悟ることができません。

人生を悟るために必要なのは、
知識ではなく、気づきです。

人間は、不完全な生き物です。
不完全な生き物から見ても、
不完全しか見えません。

人間から見る視点では、
なかなか世の中の真実に気づけないのです。

では、どうするか。

究極の視点に立てばいいのです。
究極の視点に立つと、究極が見えます。

その究極こそ「死の瞬間から見る視点」と
「宇宙全体から見る視点」です。

人生の真実は、この2つの視点から考えると気づきます。
片方だけでは、不完全です。両方が、必要です。

その2つの視点に立ったとき、
ふと、見える光景があります。

ただ、気づくのです。

ビルの屋上に立つと、遠くまで見渡せ
「町の風景はこうだったのか」と、
全体が見える瞬間と同じです。

ありのままの真実が見え
「そういうことだったのか」と気づけます。
次から次へと、世の中の真理が見えてきます。

今からその説明をしますので読んでください。
それに気づけば、今から正しい人生を歩めます。


▲https://happylifestyle.com

人生で本当に大切なことはなんでしょうか。
死の瞬間から見る視点があると、分かります。

多くの人が、現在から未来に向けて
現実を見ますが、理想ではありません。
理想は、未来から現在に向けた見方です。

人生の究極は、
究極の視点から見ないと分かりません。

では、人生の究極とは、
一体いつでしょうか。

死の瞬間です。

あなたの人生の最終地点は『死』です。
死の瞬間から、今を振り返ります。

あなたは今、100歳と仮定し、
あと3時間後に死ぬとしましょう。

死の寸前に過去を振り返り、
人生で何が本当に大切なのかを考えてみましょう。

死ぬと、持ち物は、あの世へ持っていけません。
お金も家も土地も、手放さなければいけません。
地位も名誉も肩書も、手放さなければいけません。

「なんだ。生きているときに、
命懸けで追い求めていたものはほとんど、
あの世へは持っていけないではないか!」
と気づきます。

このことに気づいた瞬間に、
あなたの欲は自然と小さくなります。

追い求めても、仕方ないからです。

では、人生で本当に
大切なことはなんでしょうか。

愛なのです。

人生で本当に大切なのは、
物質的豊かさではなく、精神的豊かさです。

愛は、人生で最も大切なことです。
人と人とを結びつけ、心からの
深い喜びと満足が得られます。

愛を大切にするから、
友人関係、恋人関係、家族関係が良好になります。

愛情を注がれて育った子供は、
愛にあふれる大人へ育つでしょう。

そうして生まれた子供にまた愛が注がれ、
愛情にあふれる子が育ちます。

あなたが友人に愛を持って接すると、
友人にも愛が育まれます。

愛を知った友人は、別の友人と接するときも、
愛を持って接するでしょう。

愛は、人から人へ、
世代や地域を越えて、連鎖します。

精神的に豊かになれ、
人生が本当に豊かになります。

育んだ愛は、自分が死んでからも、
後世に受け継がれます。
ですから、一番大切なのです。

死の瞬間から見る視点があると、
何が大切なことと、そうでないことが、
見分けられるようになります。

まだ人生の途中で
そこに気づけたあなたは幸運です。

人生に残り時間がありますから、
今なら、やり直しができます。

これからあなたは、
正しい道を歩むことができるのです。



※下記の各項目にはリンクを貼っています。
※読みたい項目をクリックして掲載記事を読んだら
※最左上の「←(元に戻るボタン)」で
※「もくじ」の当ページにお戻り下さい。


1)この数千年間、科学技術の向上はしても、
心の向上は止まったままになっている。


2)悟りを開くために必要な2つの視点。

3)「死の瞬間から見る視点」で真実に気づく。

4)「宇宙全体から見る視点」で真実に気づく。

5)この世には「偉大なる何か」が存在する。

6)人生における最大の幸運は、生まれてきたこと。

7)あなたの体の中には、
ご先祖様から受け継いだ宝が眠っている。


8)性別そのものがすでに宝物である。

9)あなたの持ち物への執着が、
ケンカやイライラを増やしている。


10)価値は、自分が決めるもの。

11)人生で手に入る物すべて、
最後には手放さなければいけない。


12)すべては、宇宙の所有物。

13)ない物を探すのは、
不幸になる悪い癖。


14)「幸せになりたい」と考えてはいけない。

15)恵まれていないからこそ、
恵まれていることがある。


16)群れの中で生きているかぎり、
傷つくのは避けられない。

17)どんな人にも、いいところが1つはある。

18)世の中に楽しくないことは、1つもない。
楽しみ方が分からないだけ。


19)仕事とは、自分を表現する道具。

20)ワガママには限界があるが、
楽しみには限界がない。


21)手書きの手紙を書かない人に、
手書きの手紙は届かない。

22)あのときの経験があるから、
今のあなたがいる。


23)明るく振る舞うだけで社会貢献。


24)「死にたくない」より「生きたい」と思う。

25)身体能力に限界はあっても、
行動には限界がない。


26)本当のことを言えば、
人生は厳しいのではなく、優しい。


27)人が亡くなったときは
「さようなら」ではなく「行ってらっしゃい」。


28)長期で見れば、すべての人は平等であり、
調和が保たれている。

29)生きているうちに、
死後の世界について考えすぎない。


30)これまでの人生は準備だった。
これから人生の本番が始まる。

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コメント
よくお坊さんの悟られた時のことを読むと、掃除をしていて孟宗竹にカーンと何かがあったときに悟りを得たとか、師の教えでハッと悟ったとか聞きますけど、わたくしにはとてもとても。そして、一度悟ったからと言ってそれで終わりではなく何度の何度もその悟りを体験するとか・・よく記憶に残っていませんがそんなことを読んだ記憶があります。
お示しのページも読んできました。今身の回りにある、何一つもってはいけないし、すべてが必要でなくなるのでしょうから、もうそろそろ、そんな思いでゴミになるようなものを集めたりしないようにしなければと思うこの頃です。


時間のことも読んできました。
時間が足りないというのは、管理が悪いから。
朝から勉強がすんで今日は何の用事で外に出るか、今夜の献立で何が必要かなどメモをします。そしてもちろん時間はもうとうに決めて、目の前に時間割を張り付けているのですが
それ以上のことをする時間がないのはもっとやり方を工夫するとか考えなければなんでしょうね。それと欲をそんなださない事も大事かもしれませんね。一番自分がやりたいことを優先して、時間を忘れる時間を作ること。

すみませんぐちゃぐちゃと書いてしまいました。
いづれにしても、こんなことを考えるられる幸せな今を
感謝しています。ありがとうございました。

今思い出しました。
ずっと以前に義姉を看病しての帰りのバスの中で暗い夜のバスの窓に映る自分の顔を姿を見てそれも空であるとハッと気づき、その時固く凝り固まっていたからだがすっと軽くなった体験があります。
それは言葉で表せない体験だった心だったのですが。
今夜はそれを思い出させていただきました。
ありがとうございました。
ローズコーンdot 2016.01.23 18:01 | 編集
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