2016
01.30

シニア世代の人生ステージの学び



人生には、いろんなステージがあります。
分かりやすいところで言えば、
結婚や就職などでしょう。

環境が大きく変わり、
付き合う人間も変わります。

さて、私たちシニア世代の
ステージの学びとは、どんな学びでしょうか?

これは今、ふと浮かんだ疑問ですが、
とても興味深いテーマなので、

さっきまで用意していた
95%仕上がっていた原稿は明日に回して、

荒削りながらも、このテーマについて
今から関連記事を調べて揃えます。

記事の構成に起承転結がなく
全体として荒削りで、
読みづらいかもしれませんが、

私の衝動的な気まぐれに
お付き合い頂ければ有難いです。



私ブタローも、60歳を越え、
自分の人生を振り返ることがあります。

社会人になって40年あまり。
愛する妻と子供たちに、
不自由な思いはさせたくない、
その一心で頑張ってきました。

それが、自分の人生のモチベーションでした。

しかし、そうした男のプライドが、
現役引退したあとの私のシニア人生を
窮屈なものにするのではと感じ始めています。

自分が老いて自由に動けなくなった時に、
家族に世話をかけることが情けないと
考えてしまうのではないか?

介護の現場で働く妻から、
実際にそんな話をよく聞きます。

年をとって自由が効かなくなっても、
男の見栄とプライドばかり高く、

世話する者たちを困らせたり、
逆にそれが苦で自棄になったりと、

老いる苦しみに打ち克てない人が
なかなか多いみたいです。

シニアステージの学びとは、
我欲を減らして謙虚に生きてゆくこと。


スピリチュアル的な視点に立てば、
老いていくということの本来の意味合いは、

あの世への旅立ちに向けて
この世的な「執着」をひとつひとつ断っていき、
素直で謙虚な自分を取り戻してゆく過程です。

それが、あの世への移行をし易くするのです。

肉体的に老いていくことによって初めて、
若かりし頃の傲慢さやプライドみたなものが薄れていき、
同時に肉体への執着も薄れていくようにできているのです。

心の豊かさを優先させて生きること

ところが最近は、老いるごとに逆に
この世の名誉やお金や保身や財産など

あの世へは持って帰れない執着を
強めていく年配の方が多いように見受けられます。

あの世に持って帰れるのは、
魂に刻んだもの、心に染み込んだ学びだけなのにです。

逆立ちしたって、この世での財産や地位や名誉は、
あの世に持って帰れないのに、

そういうものにこだわって
周りを困らせるなんて「みっともない」ことです。

老後に向けて
何をしていかなくてはいけないかというと、

いかに心を豊かにしていくか
ということに尽きるのだと思います。

ボケないように日々読書などで勉学をし、
足腰が弱らないように肉体のケアをコツコツとしていき、

なるだけ、自分のことは自分でやって
自力で生きていけるようにすることも大事です。


▲http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp

常々不思議に思っている事なのですが、
どういう訳か巷では、年をとるつまり
年齢を重ねるという事に対して、

『あまり歓迎すべき事ではない 』 と
感じている人が多いように思うのですが、
いかがでしょうか?

『 年はとりたくない 』
『 毎年、誕生日が来るのが怖い 』

皆さんも一度は耳にされた事が
あるのではないでしょうか。

もしかしたら、そう言ってしまった人や、
現在もそう思っている人もいるかもしれませんね。
でもここで、ちょっと考え方を変えてみませんか?

年をとることを楽しもう! 

よく女性に多いのですが、
『 年をとったら綺麗じゃなくなっちゃう 』 と
仰る方がいらっしゃいます。

果たして本当にそうでしょうか?

確かに年を重ねる毎に、
肌がくすんだりシワが刻まれたりと、
一見 “ 不利 ” と感じられる事もあるでしょう。

ですがそれって、
『 綺麗ではない 』 という事なのでしょうか?

極端な例を挙げますと・・・。
四十歳になっても、五十歳になっても、

十代のような顔をしていたら、
ちょっと怖くないですか?

それなら、老化という自然現象に従いつつ、
その中で美しくいられた方が
よほど素敵だと思います。

それぞれの年代には、
それぞれの年代の楽しみ方ってありますね。

子供だから、もしくは大人だから出来る事。
それはその年代だから楽しめる事だったりします。

それと一緒で、美しさにも、
それぞれの年代に沿った“ 美 ” というものが
あるはずなのです。

この場合の美しさとは、
単に造作の事ではありません。

それまでに過ごしてきた時間が、
いかに充実したものであったか、
それが顔に出ていないといけないのです。

それは人間としての風格、品格が
備わっていないと出てきません。

格好良い大人を目指しませんか?

年齢を重ねるという事は、
それだけ経験や体験が増えるという事です。

だから本当は、若い人よりも
人生を楽しんでいないといけないのです。

自分にどんどんお金と時間をかけて、
若い人達に 『 ああいう大人になりたい!』 と
思わせなければいけないのです。

しかし残念ながら、
そうではない人って結構多いと思います。

よくある例として、

自分達は慎ましくして、
子供にばかりお金をかける親御さん。

子供の為 と思っていらっしゃるのかもしれませんが、
実はこれって逆効果なのです。

子供の服はピカピカ!
でも親はボロボロ。

これでは子供達に、
『 大人になったら、綺麗な格好も出来ないんだ 』 と
思われてしまいます。

子供の前で、みすぼらしい親や
大人を演じてはいけないのです。

『 大人って、つまらなそう・・・ 』
そんな風に思われてしまったら、
元も子もありません。

『 昔は親の言いつけは、ちっとも守らなかった。
でも、自分の言動が年々親に似てきた!』 という方、
いらっしゃいませんか?

人間って、そんなものなのかもしれません。

★ポイント
子供は、親の言う事は聞かない代わりに、
親のやっている事を真似します。


ですから普段から、私たち大人が
映画館に行ったり、美術館に通ったりしていれば、
自然と子供もそれに習います。

読書をするのも良いですね。

常に「今」を楽しんで生きる

それには何歳になったとしても、
“ 常に楽しみを見つける ” という姿勢が
大事なのだと思います。

欧米の人達などは、
大人の方が格好良い人が多いような気がします。

それは楽しい事を見つけるのが
上手なのではないでしょうか。

私達も、良いところはどんどん吸収して、
それを自分達の財産にしてしまいませんか?

人生をいつまでも楽しく過ごすには、
心の若さが一番です。

外見や年齢であれこれ悩む前に、
みずみずしい心を持ち続けられるよう努力しましょう。


▲http://www.jac.or.jp/info/iinkai

人の脳の老化がはっきり現れてくるのは
50歳頃からである。

私が多くの高齢者と接して判ったことは、
人は臓器や知能より先に感情の方が老化するということだ。

臓器は老化しても大きな病気をしない限り、
実用機能は80歳になっても十分保たれている。

また,脳が老化しても、痴呆にならない限り、
知能は高い水準に保たれている。

しかし、脳が老化すると、かなりの確率で感情が老化し、
無気力、抑うつ的になってしまう。

80歳代の52~54%は、軽度も含め痴呆に入ってくる。

80歳代でもかくしゃくとしている方々は、
会社を経営したり、グループで旅行を楽しんだり、
ほぼ全員が脳を現役で使い続けている。

痴呆の大半は、脳を使わない、
体も動かさないことからくる
立派な生活習慣病といってよい。

感情を活性化させるためには、
心の底から楽しいと思えることをすることが大切だ。

しかし、歳を取ってから
趣味や娯楽を楽しみたいと思っても、

その時点ではそれを探す気力がなく、
試しにやってみても、そのことを
それほど楽しめなくなっている可能性がある。

中高年、高齢期は強い連続性を持っている。
中高年の時に楽しいことは、
高齢になっても楽しい可能性は高い。

人生80年時代、かくしゃくとして生きるため、
楽しいこと、面白いことを堂々とやって

感情を若く保つよう脳を刺激することを
忘れずにいたいものである。


▲http://www.bukkoji.or.jp

最近、もの忘れがひどくなりましてねぇ。
先日もメガネを探していて、ふと気がつくと
自分の顔に掛けていました。


隣の部屋に物を取りに行ったのに、
何を取りに来たのか忘れることが増えました。

人の顔は分かるのに名前が出てきません…。
ほんと、年は取りたくないですよねぇ…。


ある程度の年齢を重ねれば、
誰しも経験することではないでしょうか。

「老いる」ということは、
若い頃には出来たことが出来なくなる。
動作が鈍くなる、記憶力が低下するということですが、

マイナス的な要素だけではありません。

若い頃には、その浅い経験から
気づかなかったことに気づく、
他人の痛みが分かるということがあります。

「いつの間に、こんなにしわが増えたんだろう…」
毎朝見ている鏡に向かい、ふとこんなセリフを呟く。

年は取りたくない、
いつまでも健康でいたい…という思いは、
万人の願いなのかも知れません。

元大谷大学教授の金子大榮師は常々
「老醜といわれるようになりたくない」
「老境といわるような晩年でありたい」
話されていたといいます。

老いたら「老い」を楽しみたい。

四季に秋がめぐりくるように、
「老い」は人生の深まりを見せる時でもありましょう。

「長生きしたご褒美に、
最近は物忘れがひどうなりました」


「おまけに世の中の雑音を聞かなくていいように
耳まで遠くならせてもらいました」


長年、聴聞を重ねられたおばあちゃんの言葉です。

現実は現実として変わりようがありませんが、
視点が変わると壁は扉に変わります

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コメント
おはようございます。
今日の記事も私のためだわーといつもより入り込んで読ませていただきました。
実際老いたくないと思います。顔はますます・・・
体は無理するとすぐに・・・
記憶はどんどん衰え
きちんとしまっても、どこにしまったか思い出せない。
それを探すときのみじめさといらいら。

まあそんなこんなと闘いながら日々暮らしていますが、
その反面、こうしたブログで学ばせていただき、
自分も何かを表現して、心ワクワクする、しょうがないものを書いたり・・・

でもそうすることが私自身の活性化につながり、
ソールメイトとのやり取りに胸がときめき
同性の方たちと美しいものを愛する心について同感しあう。

これでボケないという保証はないけれど、まあ先のことは
ケセラセラ。

今年の小さなメモ日記の最初のページに書いています。

年を重ねるごとに柔軟にみずみずしくなる。
そのためには心の受け皿の深さ広さが大切。
自在に奔放に思いめぐらすこと。

人の思惑を気にせず学ぶ
存命の喜び日々に楽しまざらんや


ローズコーンdot 2016.01.30 08:07 | 編集
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