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2016
02.05

嫌いな人に感謝する・後編



本日は、昨日のブログテーマ
「嫌いな人に感謝する」の後篇です。

嫌いな人に感謝する

なんのためにそうするのかと言うと、
自分がラクに生きるためです。

嫌いな人や苦手な人、
イライラする人、ムカつく人…。

そんな人は自分の周りに山ほどいます。

けれども、接する他人のために
貴重な自分の時間を不快に過ごすなんて
バカげていると思いませんか?

私の本音を書きます。
嫌いな相手のことはどうでも良いのです。

自分が自分の人生を機嫌よく
過ごすことの方が優先なのです。大切なのです。

イラっと来る人、カチンと来る人。
そんな嫌な相手に振り回されているあなたに
ひとつ知っておいて欲しいことがあります。

この世に、

「イラっと来る人」なんて、
名前の人はいないのです。

「カチンと来る人」なんて
名前の人はいないのです。

例えば、私があなたが通う
趣味サークルのメンバーの一人とします。

私はたまにあなたの神経を
逆なでするようなことを言うとします。

まさに、あなたにとって私は
「嫌いな人」そのものです。

けれども、私の名前は「ナガサキ・ブタロー」であり、
「あなたが嫌いな人」という名前ではありません。

そうです。

「あなたが嫌いな人」という名前の人なんて
この世に存在しないのです。

それは、あなたの心の中に投影された
その人のイメージ=レッテルにすぎないのです。



「あなたが嫌いな人」とは、
目の前に立っているその人のことではなくて、

あなたの心の中に「嫌いな奴」という
フィルターを通して投影された
架空の人物像にすぎないのです。

だから、相手を見るフィルター自体を
取り替えることで、相手を感謝できる対象に
すり変えることだってできる訳です。

もともと、「嫌いな奴」なんて名前の人は、
この世に存在していなかった訳ですから。

さらにつけ加えれば、
「一言多い」人がいます。

それであなたはカチンときます。

それにしたって、その相手は
自分のその「一言」が余分な一言だとは
まったく気がついていない場合も多いのです。

だから、相手に振り回されるということは
一人相撲と同じなのです。

相手はあなたを振り回しているつもりはなく、
あなたが勝手に振り回されているのです。

そんな見方で嫌いな奴との関わりを
振り返って見て下さい。

その不快さの80%は、自作自演の
一人芝居であることに気づくはずです。

あなたにとって「嫌いな奴」なんて
実は存在しないです。

あなたがその人のことを
「どうでも良い!」と低評価するだけで
あなたはグッと気が楽になれます。

嫌いな人は、あなたの心の中に投影された
単なる幻影であることに気づいて頂ければ、
本日のブログはハナマルと思います。

そんなつもりでお読みください。
では、始めマッスル ♪


▲http://plaza.rakuten.co.jp

人間関係は、人生の学びの中でも、
特に重要なテーマです。

なぜなら、人は自分自身を客観的に見ることは、
なかなか難しいし、ある部分では不可能だからです。

しかし、他人との関係の中で、
自分では気づけなかった自分の一面、
個性、学ぶべき部分を知ることができるのです。

スピリチュアルな観点では、
他人は自分の鏡であるとよく言われます。

例えば、相手の許せない部分、
どうにも気に障って仕方ない部分は、
実は自分にもある弱点であるということが
実に多いのです。

例えば、言いたいことが言えずに
いつもガマンしている人は、

同じようにはっきりものを言えない人を見ると、
イライラして仕方ないということがあります。

あるいは、自分がやりたくて仕方がないのに、
ガマンしていることやものを、

自由に楽しんでいる人に対して、
強烈な反発や嫉妬を覚えることもあります。

言いたいことをガマンしている人が、
自由にものを言いたい放題にしている人を
どうしても許せないという場合は
これに当たります。

重要なポイントは人間関係で、
相手に強い感情を抱いた場合は、
そこに学びがあるということです。

これに気づけるかどうかで、
人生の学びのスピードは決定的に違います。

人間関係が鏡であると知らない人は、
常に何かを相手のせいにして、
自分を改める機会に活用できません。

例えるなら、

鏡に映った自分の姿が気に食わないから、
鏡がゆがんでいると文句をつけるようなものです。

そして、一生の中で出会う鏡すべてに
文句を言い続けていくのかもしれません。

一方、他人との関係を鏡として活用できる人は、
鏡を見るたびに自分の姿を見直し、
どんどん美しくスタイリッシュになっていきます。

醜い自分の姿を認めるのは、
とても勇気がいることですが、

素直に欠点を認め、直す勇気を持っている人は、
それに見合ったご褒美を得られるのです。


▲http://mamanomama777.blog.jp

目の前の人や今の現実を
創り出しているのは全部自分です。

別の言い方をすれば、

本当の自分を知りたければ、
現実をみればわかるということです。

嫌な人や嫌な現実を見て、
「それは自分が創ってますよー」なんて言われたら、
そりゃ誰だって初めはムッとすると思いますが・・・

どうあがいてもこれが事実なんです。

目の前の人や現実というのは、
あなたが心の中で思っていることが、
投影されていてるにすぎないのです。

それが、縁の深い近しい存在
=親子・夫婦ともなれば、

相手には、自分の影の部分が
色濃く反映されますし、

一見して、嫌な現象が
起きるのも当然なんです。

そうでもしないと、自分が、
隠して奥底に追いやってしまった
「影の部分」に気がつけないから。

影の部分というのは、
欲求が満たされないまま放置された自分であり、

「未解決のまま放置している
自分の課題」ともいえます。

なので、

嫌いだから関わらないでおこうとしても、
相手や環境を変えたところで、
また同じ現象がおきるのです。

しかもそれは、
あなたが勝手にダメだと思いこんでいるだけ。

それに気がつこうとしないから、
いつまでもあなたが成長できないのだと、

あなた自身の魅力や才能・可能性を
狭めているんですよと、
わざわざ教えてくれているのです。

人は、自分の奥に隠したものをいつしか忘れ、
「これが自分」という人格を完成させたつもりでいます。

相手に映るのは、遥か遠く奥底に追いやった「自分」です。
気づいてほしくて、サインをだしているのに

ずっと無視されたままにされている自分。

例えば、自分はハキハキと発言し、
テキパキとこなす人を全面に出しているのであれば、

のんびりした人や、優柔不断な人、無口な人を引き寄せては、
そういう人を見てイライラするように現実はなっています。

それはなぜか?

あなた自身にも、のんびりした所・
優柔不断な所・無口な所があるということ。

意地をはらずに、
そうやってもいいんだよ!ということを

本当の自分が、気がついてほしいからです。
でも、あなたはなぜかそれを嫌って隠しているのです。

嫌って隠したのは、
人ぞれぞれに理由はあるのですが、

そうなってはいけないと
自分なりに判断しているからです。

でも、本当の自分からすれば、

「お願い見つけて!」
「私をここから出して!」
「嫌わないで!否定しないで!」

「おっとりしてて、
のんびりしたあなたも可愛いんだ」

「それが魅力なんだよ」って言ってます。

人というのは、自分と同じような価値観や
同じような性格の人達、

甘い現実の中、何事も起きない現実の中だけでは、
本当に大事なことに気がつくことができないのです。

本当の意味での成長ができないのです。

相手が嫌な態度にみえるのも、
嫌な現実が起きるのも、
全部、自分の心の中の投影です。

相手はわざわざ演じてくれているだけ。
見て、知り、自分にあったと気づくのです。

自分を認めてあげてください。
そうすれば、自分の中でバランスが整いだし

現実は、楽しいものへと変わっていきます。

嫌な現実を終わりにしたいなら、
ちゃんと見ていきましょう


▲http://blogs.itmedia.co.jp

人を嫌いになってしまうと、
その人のことを考えたくもない、

その人の言っていることが
すべて悪いことに思えてしまう、

口もききたくない。
一緒に仕事なんてとても無理。

また、こちらがそれほどでもないのに、
いつの間にか知らないうちに、
相手がこちらを嫌っているということもあります。

これもはっきりした理由が
分からないだけに辛いものです。
 
このように、

一度「嫌いスイッチ」が入ってしまうと、
その方に対して思考が停止してしまう

ということがあります。私はそうでした。

そして、こちらが嫌いだと
大抵相手もこちらを嫌っていることが
多いように思えます。
 
「気にしないようにしよう。」
「透明人間にしてしまおう。」

などと考えるのですが、

やはりどうしても気になり、
考えれば考えるほど
さらに嫌いになってしまう。

同業者で職場が一緒の場合は
特に辛いですね。

もしどうしようもなければ、

究極の選択として、
自分がその場を去るという方法も考えられます。

しかし、不思議なことなのですが、
変わった場所でも同じような人がまた現れる。

なぜか似たようなタイプで、
同じような苦しみが訪れる。

人生の宿題
 
私は、これは「人生の宿題」
なのではないかと思っています。

宿題をすませない限り、
また同じような宿題がやってくる。
 
それではどのようにして
宿題を解決したらよいのか。
 
まず、どうして嫌いになったのか?
嫌われたのか?を考えてみなくてはなりません。
 
ベートーヴェンは、
交響曲第3番「英雄」を作曲したときに、

「ナポレオンに捧げる」と
スコアの最初に書き記しました。

しかし、市民の味方だと思っていたナポレオンが
即位したと知ったベートーヴェンは激怒し、
「ナポレオンに捧げる」の文字を消してしまいます。

その跡は今でも見ることができるのですが、

あまりに激しく消したため、
楽譜の表面が荒々しく削られ破れているほど。

大好きだったナポレオンが、
その瞬間大嫌いになってしまったのです。
 
そう、相手に対しての期待値が裏切られたときに、
人は嫌いになってしまうものなのですね。

「愛憎」という言葉がありますが、
まさに、愛と憎しみは紙一重。
期待していて、好きであればあるほど、
嫌いになったときの憎しみも深いのです。
 
そして、

人間関係で本当に辛いのは「無関心」です。
嫌いだということは、その人に関心があるということ。
 
実は、「嫌い」ということは、
その方と今まで以上に上手くいくチャンスなのです。
 
その考えをふまえて、

私は人との関係が上手く行かなくなったときに、
3つの考えをして対処してきました。

その方法を用いることで、
今はそういう方とも良好に仕事をしています。

1)自己嫌悪
 
冷静に相手を見て考えてみると、
嫌いな方は自分と似たところがあるものです。

その方に自分が普段我慢して
抑えている悪い面が見えてしまったりする。

嫌いなのは、自己嫌悪なのです。
「これは自分のエゴが鏡に写っているんだ」と考えます。

2)目を合わせて言葉をかける

 
人は「目線で殺す」ことができます。
なぜか嫌いだと、その人と目線を合わせたくない
という気持ちが働きます。

それでは、ますます関係は悪化してしまう。

最初は形だけでも、
まずは挨拶することから始める。

たとえば「元気ですか」と短く声をかける。
無視されるかもしれませんが、

それでも続けていくと、
自分の心の中の硬いものが
少し溶けていくように感じます。

3)感謝する
 
嫌いな人に感謝する。
本気でそう思ってなくてもいい。
とにかく感謝してみる。

直接言うのが辛ければ、
その方のいないところでもいい。

「○○さん、有り難うございます」と
口に出して言ってみる。

嫌いなのは自己嫌悪。

その方は、自分の足りない面を
教えてくださっているのです。

最初は「有り難うございます」と言うだけで
気分が悪くなりへたり込んでいましたが、

何回か言っているうちに、
これもまたモヤモヤした心が
少し晴れてくるような気がしてくるのです。
 
そしてなぜか、

その後その方とお会いしたときに、
険悪にならないのです。

これは不思議な事実です。
 
「有り難う」という感謝の気持ちを持つことで、
もしかしたら自分自身が癒されて、

その方にお会いしたときに、
言葉では伝わらないような
何か違った空気になっていたのかもしれません。

感謝はすべてを癒すのだと思います。

結局は、自分がどう感じるか。
自分次第ということなのでしょう。
  
すぐに結果がでるわけでもありませんし、
簡単なことではありません。

しかし、以前よりさらに良い関係が
築けるチャンスであることは
間違いないと信じています。


▲http://satoyasuyuki.com/okane

私たちはよく、
「あの人は嫌いだ」と言うことがあります。

しかし、実際には
「嫌いだ」という自己暗示をかけているだけで、
単に波長が合わない人がいるだけです。

もし波長が合わない人に出会ったら、
「この人が何かを教えてくれるのだ」と思えばいい。

相手からの厳しい言葉や非難は、
自分へのメッセージです。

世の中に不必要なものは何ひとつありません。
何か理由があるから、人に出会うのです。

「嫌いだ」と思う人を
自分自身の課題にすることが大切です。

不快になるかもしれませんが、自分を高め、
相手を包み込める人になるように努めてください。

自分を変えずに、無理やり
その人を好きになる努力をしてもムダです。

その人を好きになっても、
別の嫌いな人が出現するからです。

しかし、嫌いな人を包み込めるようになれば、
その人と似た人も包み込むことができます。

そのとき、あなたは嫌いな人より
高いところに行くことができます。

世界には何十億もの人間がいます。
いくら自分を高めても、嫌いな人は出てきますが、
必ず少なくなるでしょう。

「嫌いだ」と思う人が現れたときには、
まず、その人は「何かメッセージをくれる人」だと
感謝してみましょう。

嫌いな人にこそ、感謝するのです。

私は「出会う人すべてを愛する」のではなく、
「愛している」のです。

最初から、もう愛してる。

私が宝石のセールスをしているとき、
はじめてのお客さまの家に飛び込み営業する前、
玄関に入る前にこう考えるようにしました。

「この家の人はいいお客さまだなあ」
「早く会いたいなあ」
「大好き、大好き」

玄関の前を何回も何回も
行ったり来たりしているうちに庭が見えると、

「いい庭だなあ。しっかり手入れしてるから、
きっとちゃんとした人に違いない」
「絶対にいい人だ」と思いました。

もし一度訪問したところなら、
「おいしいお茶をいれてくれたなあ」
「お菓子まで出してくれたなあ」と思い出しながら、
「いい人だ」「会いたい、会いたい」と考えました。

不思議なことに、そんなふうに考えているうちに、
本当にそんな気になってきます。

そして、玄関を開けてもらったら
「こんにちは。ニコッ」とやるのです。

お客さまは私のことなんか知りません。
訪問したことのある家でも
忘れられているのが普通です。

でも、そんなことは関係なく「ニコッ」とやると、
「あらあ、久しぶり」と応えてもらえることがよくありました。

はじめて会う人でもその人は
「あらあ」と言うのです。

自分でも不思議なのですが。

誰か知り合いと勘違いしているかもしれませんが、
そんなことは関係ありません。

こちらが「ニコッ」としていると、
警戒しないで話を聞いてくれるのです。

いい雰囲気だから
「間に合ってるから帰って!」とは言いません。

ここまでくればもう、うまくいったも同然です。


▲http://www.cocoro-slim.com

さて、いよいよ「感謝道」も上級編に入ります。
結論から言います。たった一言です。

嫌いなものにも感謝しましょう! 

つまり、すべてに感謝しましょうということです。
「そんなことできるか!」という声が
聞こえてきそうですね。

確かに人は好きなものには感謝できます。
しかし、嫌いなものにも「ありがとう」が
言えないと感謝道にはなりません。

あらかじめお断りしておきます。

私自身、上級編については
すべてができているわけではありません。

頭だけでしかわかっていないものもあります。

しかし、それを実践しようという気持ちだけは
強くもっています。それをご理解いただいた上で
読んでください。

もし不快に感じたのなら、
まだあなたのこころや意識が感謝道に根づいておらず、
シンプルになっていません。

あらゆるものに感謝できるということは、
こころがシンプルになるということです。

その場合は、一時中断していただいてもかまいません。
無理して嫌々やるものではないからです。

「こういう考え方もあるんだな」ぐらいで
とどめておいてください。

いつか自然な気持ちで
受け入れることができる日も来るでしょう。

それでは、嫌いなものに感謝する
ということについてお話ししていきます。

1)苦手な人、
憎んでいる人に感謝する。


何となく虫が好かない人、相性が悪い人、
コミニュケーションが取りずらい人など。
こういう苦手な人たちに感謝します。

あなたを恨んでいる人。
あるいはあなたが恨んでいる人。

たとえば、

自分の悪口を言う人、
自分をイジメる人、
自分を傷つける人、
自分をだます人など。

こんな人たちにも感謝します。

自分だけではなく
最愛の人に危害を加えてきた人にもです。

ケンカ相手、
失恋した相手、
離婚した相手なども含まれますよ。

商売敵や恋のライバルなど、
敵対する人たちにもです。

このように、到底感謝なんて
できそうにない人たちも対象となります。

さすがに、犯罪者にまで
感謝しろとは言いませんが…(笑)

こころを込めなくてもいいのです。
こころの中で機械的に「ありがとう」と
言うだけで十分です。

慣れたら、声に出して「ありがとう」と
言ってみましょう。

間違っても、憎んだり恨んだりはしないことです。
相手の不幸を望んではいけません。

恨みや憎しみ、怒り、妬みなどの
感情を持ち続けると、強いストレスとなって
脳やカラダにダメージを与えます。

マイナスのエネルギーを生み出します。
そして、必ず自分に悪い結果として返ってきます。

復讐や報復からは、何も建設的なものや
プラスのものは生まれてきません。

いずれ、自分自身が
ひどい目にあうことになります。
「人を呪わば穴二つ」です。

この世であなたに起きることは、
すべて必然的なこと。

偶然に起きることなんて、
何ひとつありません。

自分の起こした行動(気持ちや言葉も含む)の結果が
自分に返ってくるのです。

良い行動なら良い結果が、
悪い行動なら悪い結果が返ってきます。

自分が意識的にやったことも、
無意識でやったことも、どちらもです。

それが宇宙の偉大なる自然法則のルールなのです。

「悪気はなかったんだ」という言い訳は、
このルールには通用しません。

「犯罪を犯さなければいいのだろう」
という理屈も通りません。

それは人間が決めた法律の範囲のことです。

たとえば犯罪とまではいかなくても、
ウソをつく、欲をかきすぎる、虫や動物を殺す、
自然を汚すことなども悪い行動に入ります。

人それぞれその罪の重さには違いがありますが、
この世に生きる者はすべて何らかの悪い行動を
取っているということになります。

これだけははっきりと断言できます。

人を憎み恨んでいるうちは、
絶対に平穏な生活を過ごすことはできません。

これは私が身をもって体験してますし、
そういう人たちを大勢知っています。

かつての私は、大勢の人間を憎んでいました。
小さい頃、私はイジメられっ子でした。

それは半端なイジメではありませんでした。
頭に大きな石をぶつけられたり、
高い所から突き落とされたり。

ひどい暴力で危うく命を落としそうに
なったこともありました。

屈辱的な仕打ちを受けたことなんて
数え切れません。

大人になってからも、
ひどい目にあうことはしばしば。

身内や友人から手痛い裏切りに
あったことがあります。

信頼していた会社の同僚に、
大金をだまし取られたこともあります。

転職した会社から不当なリストラで
解雇されたこともあります。

犯罪者に殴られ、危うく
殺されかけたこともあります。

命の恩人とも言える大切な身内を
医療ミスで亡くした経験もあります。

それ以外にも他人が聞いたら驚くような
ひどい体験をしています。

それこそ、恨みの対象になる人間は
腐るほどいたわけです。

人を憎み、世の中を呪っているうちは
良いことがありませんでした。

悪いことが次々と起こるばかりでした。

さて、現在の私はどうでしょう!

今はだれも恨んでいません。
憎しみの気持ちは少しもありません。

自分をイジメたり、
傷つけた相手に対してもです。

これは本当のことです。
強がっているわけではありません。

無理にそう思い込もうと
してるわけではありません。
不思議に恨みの念が湧いてこないのです。

逆にその人たちがいてくれたおかげで、
今の自分があると感謝しています。

たとえば私の金をだまし取った知人。
この詐欺師のおかげで、
私の金に対する見方が変わりました。

それまでの私は、
自分がコツコツと貯めていた小金を
維持し増やすことばかり考えていました。

金にこだわりすぎるあまり、
家族関係もギスギスしたものでした。

金銭トラブルで親兄弟の気持ちを
傷つけたこともあります。

その大切な金を失った時はショックでしたが、
その後に何か”つき物”が取れた気分になったのです。

そして気づきました。

「一瞬で無くなるこんな小金のために、
こころや生活がガチガチに縛られていたんだな~」と。

急にバカらしくなったんですね。

金欲が消えたわけではありませんが、
金に対する執着心がかなり薄れました。

この心境の変化は大きかったですね。

どんなに生きることが楽になったか。
私の金を盗んでくれてありがとう!

詐欺師になった元同僚には感謝です。

会社のリストラのおかげで、
新しい世界に遭遇することもできましたしね。

ここで告白しますと、
私がこの世で一番憎んだ相手は両親です。

その理由は両親の名誉のためにお話ししませんが、
殺意さえ抱いたことがあります。

ある時は私のこころ無い言葉が、
脳梗塞を患っていた父親にショックを与え、
死の直前まで追い込んだことがあります。

病院に運ばれた時は危篤状態。
医師から「ご家族の方、お別れを」の
声がかかりましたが、私は病室には
行かなかったぐらいです。

奇跡的に一命を取りとめたから
よかったようなものですが・・・。

今考えてみれば、
本当にひどい親不孝者でした。

今は全然恨んでいませんよ。
両親には本当に感謝しています。

私をひどい目にあわせた人たちや
両親。それに対する憎しみは消えました。

そう思えるようになったきっかけ? 
先ほども言いました通り、

人を恨んでいるうちは
悲惨なことばかり起こりました。

自分の体調もどんどん悪くなりました。
ギスギスしたこころからは、
殺伐とした環境しか生み出されませんでした。

ある日、知り合いの画家に
「親に感謝することは大切だ」というような話を
聞かされました。

私はその画家がすごく嫌いだったんですね。
性格が悪く偉そうだから(笑) 

ところが、なぜかその時は
素直に聞いてしまったのですね。

親切に中村天風さんの「運命を拓く」という本を
すすめてくれました。それを読んでいるうちに、

「どうせ同じことをしていても
状況は同じだな。その反対をやってみたらどうだ!」
と思ったんですね。

そうしたら、その瞬間に
親への恨みが消えてしまったのです。

あの感覚は何とも言えませんでした。
不思議な体験です。
本当に一瞬でしたからね。

それからは、いろいろなことが
自分の思い通りに行くようになりました。

なぜか両親の態度も変わりましたし、
その他の人間関係も良くなりました。

自分が変わると、こうも周りも変わるんだ。
嫌いだった画家さん、ありがとう!っていう感じでした。

私がこの講座で、人間のこころは
一瞬で変えられると力説する理由の一つ。
それはこの体験があったからなのです。

ここで強調しておきたいのは、
この世で最も恨んでいけない相手は、
あなたの両親ということです。

私たちは、目には見えない
偉大なるチカラに生かされています。

宇宙を司る大いなる自然の法則にです。

その世界が私たちに及ぼすパワーは
「無償の愛」とも言えるでしょう。

それは純粋なこころがあってこそ
感じられるものです。

この「無償の愛」を感じることこそ、
人が豊かにこころを成長させ
幸福に生きるカギとなります。

そして、その「無償の愛」に
最も近いものが両親の愛なのです。

赤ちゃんに注ぐ親の愛情は
見返りを期待していません。
それは「無償の愛」です。

人はこの愛情を感じた時に
安心感を得るのです。
そして健やかに成長していきます。

何らかの理由で
親の愛を感じられないという人。

その愛に近い宇宙の自然法則の恩恵も
受けにくくなるのです。

親に対するわだかまりや憎しみの念。
これが妨害となり、大いなる自然のパワーが
自分に入ってこなくなります。

それは生き生きとした輝かしい生命から
遠ざかっていくということです。

かつては徹底的に両親を恨んだ私。
その恨みを乗り越えた私から言わせていただきます。

あなたのご両親は、あなたの親というだけで
偉大なる感謝するべき存在なのです!

2)病気やケガに感謝する。

自分が病気であることやケガしたことに
感謝しましょうということです。

これもまた、誤解を招きやすい内容ですね。

私は療術家ですが、施術を受けに訪れる人に
必ずお話ししていることがあります。

それは「一生病気と無縁で、
健康に過ごす秘訣3か条」というものです。

それは、

①クスリからなるべく離れること。
②必要以上に心配したり、くよくよしないこと。
③病気を敵視しないこと。

秘訣はこれだけですと説明しています。

特に3つ目の「病気を敵視しないこと」。

「病気は悪いものだ」
「病気は敵だ」
「病気を早く治したい」と騒いでいるうちは、
回復はなかなか望めません。

治ったとしても、再発するか別の病気を招きます。

特殊なものを除いて、
人間は突然病気になることはありません。

病気は偶然なるものではありません。

大半の病気は、必然的なもので、
その人自身が招いているものです。

病気になると、大抵の人は
「なぜ、自分だけがこんなに
苦しまなければいけないんだ!」と言います。

病気の原因を外側に求めようとします。

しかし、病気の原因は
すべて自分自身の内側にあります。

まずはここに気づくことが、
真の健康を得る秘訣なのです。

病気は自分の分身みたいなもの。
健康である自分も自分。
病気である自分も自分なのです。

病気を敵視するということは
自分自身を責めるということなのです。

そして、病気は「学びの場」ですよと、
いつも私は言っています。

症状や痛みは、

「あなたの生活習慣に
何か問題があるかもしれない」

「あなたの人生で、軌道修正するべきものが
あるかもしれない」という警告です。

たとえば、仕事中に大きなケガをした場合、

「今まで働きすぎた。オーバーワークだ」
「大事に至らないうちに十分に休養を取れよ」という
メッセージかもしれません。

要は、自分自身に起きたことを
どう受け止めるかで運命が変わってくるということです。

最初に「一生病気と無縁で」と言いましたが、
正確には病気に絶対ならないということではありません。

病気を病気と感じなければ病人ではない、
病気から何かを学ぶことができるのなら
健康と同じであると言いたいのです。

反対に健康を健康と感じられなければ
病気であると言えます。

ただ苦しい、痛いと言うだけではなく、
病気から何かを学ぶ。

そこから何か大切なものを得る。

必要であれば、考え方、生き方、
生活などを変えていく。

それがわかるまでは、
病気はいつまでもつきまといます。

病気のことばかり気にしてる人は、
意識がそこに集中してしまい悪化します。

自分の病気についてよく調べている人がいます。
下手な医者よりも詳しいですね。

しかし、病気のことを知ろうとすればするほど、
病気は自分に気があるとカン違いし、
その人にほれ込んでしまいます。

病気も今の自分なんだと現実として受け入れ、
敵視せずに共存することを考え、
あまり意識せずに穏やかに暮らす。

そうすると、自然に
回復に向かっていく可能性が高いのです。

それはなぜでしょう? 
自然治癒力という偉大なチカラが働くからです。

人間も動物も、本来自分で
カラダを治癒させるチカラをもっています。

最終的に病気やケガを治すのは、
クスリでも様々な治療法でもありません。
自然治癒力の働きなのです。

たとえば、傷を負うとカサブタができて
皮膚が再生して治りますよね。

これは何のチカラでしょう?
人工的なチカラでしょうか?

いいえ、明らかに人智を超えた
自然のパワーです。

犬やネコなどの動物は、
傷の治りが人間より早いですよね。
ペロッとなめて終わりです。

人間と違い、動物はその傷に
意識を向けません。

人間のように、
「これ以上、傷が広がったらどうしよう?」とか
「傷にばい菌が入って化膿したらどうしよう?」などと
考えません。

人間はあれこれと心配し、
意識を傷に向けすぎるので治りが遅いのです。

たとえばこういう例はどうでしょう?

不注意で手を切ってしまった。
しかし、しばらく気づかず、痛みも感じてなかった。

手に切り傷があるとわかった途端に
ズキンズキンと痛み出した。
あなたもそんな経験はありませんか?

傷に意識が集中してしまう。
それは脳に余計なエネルギーを使わせるということです。

神経の使いすぎですね。
そうすると自然治癒力は弱くなってしまうのです。

自然治癒力が働くにもエネルギーが必要です。
この働きを大いに活用するには、
余計な神経を使ってエネルギーを消耗しないことです。

私の場合、多少の傷なら水洗いだけでクスリは塗りません。
傷のことも気にしないようにしています。

そのせいか、異常に傷の治りが早いです。
以前、カッターで指をパックリと切った時に、

一瞬で傷がふさがり
2日で皮膚が再生したことがあります。

私の妻は、「まるでトカゲみたいな再生力だね」
とよく笑っています。

今は病気でない人も気をつけましょう。
「自分は何か悪い病気ではないのか?」と

あまり神経質になると、
本当に病気になってしまうかもしれませんよ。

神経を消耗させてはいけません。
まさしく、「病は気から」なのです。

さて、病気を敵視せずに共存していく。
病気になったことも、何かを
学ばせていただいてるんだと感謝する。

この考え方は大切なのですが、
すべての病気の人に受け入られるとは思っていません。

自然に受け入られるなら
実行すればよいと思います。

病院の治療を邪魔するものではありません。
お医者さんにお世話になってる人は
考え方だけでも覚えておくといいでしょう。

私が施術をした人で、この考えを実行し
病気から完全に解放された例があります。

そういう事実があるということだけは
お伝えしておきます。

「それはあなた自身が病気でないから
そう言えるのだ」という声も聞こえてきそうですね。

そうですね。
私自身の話を少ししておきましょうか。

実は私のカラダですが、
いろいろと爆弾を抱えています。

私の右側の脳血管には
「先天性脳血管奇形腫」というものがあります。

血管が偏平状になっており、医者から
「無理な生活をすると、脳内出血を起こす可能性がある」と
宣告されています。

さらに右脳の嗅覚を司る部位には
正体不明のカゲがあると診断され、
3ヶ月に一度はMRI検査を受けるように言われています。

それだけではありません。

心臓の検査で不整脈が発見され、
手術でペースメーカーを付けるように
宣告されたことがあります。

さらに今話題になっている恐ろしいアスベスト(石綿)。
それがむき出しになってる職場に勤めていたことがあり、
かなりの量を吸い込んでしまっています。

いつ肺がやられてもおかしくはありません。
その影響なのか、首や背中がガチガチになっています。

時々ですが、咳や痰が出て
胸がチクチクすることもあります。

同業のプロのカイロプラクターや
整体師に診てもらった時に言われました。

「カラダがこんな状態なら、
普通は激痛がして耐えられないはずだ!」と
驚いていました。

元々鈍感なのか、痛みはそんなには感じません。
生活していて苦痛ということはありません。

そうです。

その後、一切検査も治療もせずに
放ったままなのです。

いずれも5年以上は放置しています。

普通、これだけのことを
医者から言われたらどうでしょうか? 

ちょっと気の弱い人なら、
その事実に怯えてまいってしまうのでは
ないでしょうか。

私もまったく恐怖心が無いと言えば
ウソになりますが、そのままでイイと思っています。

そのまま受け入れて、ジタバタせずに
爆弾と共存していこう。そう腹をくくっています。

自分で言っていることを実践してるわけですね。
変な話、施術家というものは
人のカラダは改善できても、自分自身は治せません。

下手な治療も受けたくないので、
自然のままにしています。

今のところ、目立った症状は出てきてません。
お気楽に過ごしています。

少なくとも、その後の定期健康診断で
心臓のペースメーカーは必要なくなっていました。

他のモノは検査してませんので、
どうなっているかはわかりません。

いずれは発症するのかもしれません。
その時はその時です。

私は自分のカラダに抱えている爆弾に
感謝しています。これが発覚する前は、
むちゃくちゃな生活をしていたんですね。

毎日大酒を飲んでいましたし、
夜中まで暴飲暴食を繰り返していました。

突然強度な耳鳴りに襲われ検査入院。
その時に医師から爆弾のことを聞かされたのです。

正直怖かったですよ。
最初から平気だったわけではありません。

私のライフスタイルを変えるには
十分すぎる宣告でした。人生観が一変しましたね。

生活習慣を改善するための
大きなきっかけになりました。

この爆弾も、今では良い意味で
ストッパーになっています。無茶をしなくなりました。

酒も付き合い程度で少し飲むだけ。
暴飲暴食はやめました。

食事も規則正しく取るようになりました。

夜中に食べるということも、ほとんどありません。
肉食もほぼやめて、野菜を多く食べるようになりました。

現在、療術の仕事以外に
雑誌掲載用のパズル作成も行なっています。

そのため、夜遅くなったり
生活が不規則になることもあります。

しかし、サラリーマンの頃に比べれば
ハードではありません。精神的にも楽です。

爆弾が発症しないこと、
元々夜型でタフな体質ということもあり、
夜更しは難なく乗りきれています。

とは言っても、学生の頃のように無理はききません。
今後は気をつけていこうと思っています。

爆弾がなかったら、自分のカラダを過信し
酷使して倒れていたかもしれません。
今は生きてなかったかも。

何度も言いますが、
この爆弾にすら感謝、感謝なのです。

この世でだれもが認める唯一の真実があります。
それは、人間は絶対にいつかは死ぬということです。

わかっていても、
それに目を背けている人もいるのではないでしょうか。

人間、明日はどうなるかわかりません。
病気で死ななくても、不慮の事故で死ぬかもしれません。

だから、今を大切に楽しく生きています。
自暴自棄になってるわけではありません。

悲劇の主人公を気取っているわけでもありません。
いつかは来る死を見つめながら今を生きる。

明日死んでも後悔しないように。
これが私の死生観です。

ごく自然にそういう気持ちになっています。

やることはいっぱいありますし、
毎日が楽しいですよ。
退屈してるヒマなんてありません。

死をどこかで意識してるからこそ(イイ意味で)、
今生きてるんだ!と実感できるのかもしれません。

別に悟りを開いたわけではありません。

いまだにつまらないことで
怒ったり悲しんでいますからね。

くだらないことで妻とはよくケンカしますし。
私、ゴキブリが苦手なんですね。
出現しただけで、ギャーギャー騒いでいます(笑)

私のようにカラダに多少の不安があっても、
その日を生き生きと過ごすのも一生。

健康であっても、
ウダウダ不平不満ばかり言って
ギスギス生きるのも一生。

取るに足りないことや
だれも予測できない未来に対して、

心配したり不安や恐怖に
怯えながら生きるのも一生。

生きる気力を失ってしまい、
死んだような人生を歩むのも一生。

富や権力だけを追いかけ、
大切なものをどんどん失っていくのも一生。

同じ一生なら、
あなたはどのような一生を過ごしたいですか?

3)その他のあらゆる
悪いモノに感謝する


ともかく、悪いモノでもすべてに
感謝しましょうということです。

悪い生き物、悪い物質、悪い場所、
悪い境遇、悪い状況、悪い出来事、
悪い運命、すべてにですね。

害虫にも感謝。
貧乏であることにも感謝。

着ているボロい服にも感謝。
住んでいるボロい家にも感謝。

才能の無いことにも感謝。
平凡でいられることにも感謝。

思い通りにいかないことにも感謝。
給料の安い会社にも感謝。

満員電車にも感謝。
交通渋滞にも感謝。

迷惑駐車にも感謝。
工事の騒音にも感謝。

私の実践例をご紹介します。

家の横に道路があるんですね。
元々なかった所にあとからつくられたのです。

広い道路なので車の数が多く音がうるさい。
昼間はテレビの音が聞きずらい。

だけど、こう考えるようにしています。

中にはトラックやバス、営業車も走っています。
「あ~、一日中かけずり回って働いてくれてるんだな」と。

こうすると腹も立ちませんね。
以前、線路沿いに住んでいたこともあります。

当然、電車が来るとうるさいですよね。
でも、朝早くから夜遅くまで走ってるんですよね。

「運転士さん、大変だな」

そう考えると音も気にならなくなりましたね。
いろいろな人が動いてくれるおかげで、
世の中が支えられているんだな。

そう思うと、自然に感謝の念が湧いてきますね。

世界の各地で起きてる戦争や、
世の中で起きる悲惨な事件、事故などには腹が立ちます。

一時的にはカッとなりますが、
このように考えています。

「被害者や当事者の人は気の毒だ。
こういう事件、事故に巻き込まれた人のことを考えると、
自分はなんて平穏で幸せな生活を送っているのだろう。
私は非常にラッキーである。

この事件、事故が、
そういうことを教えてくれているんだ」と
感謝するようにしています。

もし事件、事故で亡くなった人がいた場合、
その人たちの分まで生きよう。

事件、事故を何らかの教訓にするんだ。
それが故人の供養になるだろうという考えで・・・。

今では、ネガティブなニュースには
いちいち反応しなくなりました。

怒るというよりは、あきれてしまうという感じですね。

このように、あなたもできるところから
感謝道を実践してみてください。

最初にも言いましたが、
私も達観してすべてに感謝できてるわけではありません。

上級編も30%ぐらいの達成率ですかね。
100%は無理かもしれませんが、
80%ぐらいは目指してみよう。そう考えています。


▲http://d.hatena.ne.jp

斎藤一人さんから教わったことを書きます。
これはすごい役に立つと思います。

僕も色々考えたり実践したりする中で、
これはなるほどな~と思いました。

それが、因果と感謝のしくみです。

人に嫌なことが起こるのは、
その嫌な思いを味わうためです。


やられた人の気持ちを分かるためですね。

だけど、中にはなかなか消えない
しつこい因果もあるんです(笑)

本人が頑張っていないんじゃないですよ。
でも何故か前に進まない。

そういうときは原点に返るんです。

世の中のしくみは色々あるけど、因果の解消、
つまり嫌なことが終わるには「感謝」しかないんですね。

宗教でも哲学でも思想でも、
最後に行き着くのは「感謝」だけなんです。

何に感謝するかというと、
その因果に感謝するんです。

嫌なことをする人に感謝するんです。

嫌なことをしたり傷つけられた人に感謝できたとき、
因果が消える仕組みになっています。


まず、これが原則なんです。

それで、嫌な相手や傷つけられた相手に
感謝なんかできないんですよ。

程度にもよりますけど、
本当に深く深く傷つけられる人だっているんです。

そういう人は感謝なんか絶対無理なんです。

そうしたら、嫌なことがあったとき、
その相手に感謝するんじゃないんです。

自分にそういうことをしなかった人に感謝する。

いじめられないのが
当たり前だと思っていたら大間違い。

怒鳴られないのが
当たり前だと思っていたら大間違い。


いじめなかったり怒鳴らない人が
いてくれたことに気づくんです。

ああ、自分をいじめなかったり
怒鳴らない人もいてくれるんだ。

すると、自分の周りに
感謝するようになります。

これってすごいことなんだなと。
まずここから入る。

当たり前だと思っていたことが
当たり前じゃなかったことに気づくんです。


それで、あれにも感謝できる
これにも感謝できるってなったときに、
だんだんと心が満ちてきます。

それがぐる~っとまわったとき、
このことに気付かせてくれた
その嫌な相手に感謝ができるようになる。

すると因果がきれいに消えて
魂のステージが上がるんです。

もちろんすぐにできなくて全然いいんですよ。

時間がかかることもあります。
10年、20年ということもあります。

もっと言えば、
一生許せないような事件も確かにあります。

それでもね、周りに少しずつ感謝して、
当たり前のことに感謝できる自分へ
導いてくれた人や出来事にすら
感謝するようになったとき、
全ての課題はクリアなんです。

無理せずに、嫌な人は無視して、
今の周りから感謝してみましょう。


▲http://karapaia.livedoor.biz

感謝は偉大さにつながる。

それは文字通り、あなたが持っているものを
十分以上に、仕事を喜びに、混沌を秩序に、
不確かさを明瞭さに変えてしまい、

ごちゃごちゃしていた日々に
平和をもたらしてくれる。

あなたがいかに恵まれているのか知るには、
ただそれを数えてみればいい。

人生ですでに与えれている幸運に
気づくことが鍵だ。

その対象が何であれ、
感謝をすればさらに大きく輝いてくれる。

こうした話をすると「あぁ、分かってるよ」と
いった反応が返ってくるが、
実際にはほとんどの人が分かっていない。

私たちはとても忘れっぽいのだ。

忙しい日々に追われて、
感謝の法則をつい無視してしまう。

そして、その素晴らしい効果は
失われてしまうのだ。

だから、ここで思い出してみよう。

法則1)

今持っているものに感謝すると
幸運が引き寄せられる


・持っているものに感謝していると、
感謝できるものが増えてゆく。

・持っていないものにばかり意識を向けると、
いつになっても満足できない。

法則2)
幸せでいることは
感謝にはつながらないが、
感謝は幸せにつながる


・ある瞬間を感謝しつつ、同時にそれに
不満を抱くことは不可能に近い。

・今現在幸せであることは、
それ以上を望まないということではない。

それは今持っているものに感謝し、
まだ起きていないことに忍耐強くあるということだ。

法則3)
感謝は真の許しを育む。
それは「この経験があってよかった」と
心から言えるということ


・これまでの人生を悔やんだり、
責めたりしても意味がない。

・感謝は昨日に意味を与え、
今日に平和をもたらし、
明日の前向きなビジョンを作り出す。

法則4)
いかなるときも
今持っている以上のものが
必要になることはない


・昔から至高の祈りとは
感謝をすることと言われてきた。

何かが欲しいと祈る代わりに、
今持っているものに感謝をしよう。

・人生を否定したくなる
理由ばかりが浮かぶときは、
1つでも肯定できる理由を考えてみよう。

いつだって感謝できることは存在する。

法則5)
感謝は包括的なもの

・よき日は幸せを、不運な日は知恵を授ける。
どちらも必要だ。

・あらゆるものがあなたの成長に役立つのだから、
何もかもに感謝してしまおう。

これは人間関係に特に言えることだ。
人生で何でもない人に出会うことはない。
袖降りあうのも多生の縁だ。

彼らにチャンスを与えれば、
誰もがあなたに大切なことを教えてくれる。

法則6)
現在感謝すべきことがらは
永遠ではない


・今持っているものに感謝しよう。
なぜなら、次の瞬間何が起きるかなんて
誰にも分からないからだ。

「今持っている」ものが、
「持っていた」ものに変わることだってある。

・人生は毎日変化する。それに伴って、
あなたに与えられているものも次第に変化する。

法則7)
感謝する心は、ものごとを
当然などとは思わない


・権利と特権を区別するものは感謝だ。

・今あなたが当然だと思っている状況
あるいは人物は、明日あなたが望んでも
手に入らないものかもしれない。

法則8)
感謝を表すのなら、最高の感謝とは
それを声に出すだけでなく、それによって
日々を生きることであることを
忘れてはいけない


・大切なのは、何を言うかではない。
どう生きるかだ。

・喋るだけで終わるな。示せ。
約束するだけで終わるな。証明せよ。

法則9)
感謝は返すことも含む(恩送り)

・慌ただしい日々の中で、自分が与えた以上のものを
与えられているとは気づきもしない。

そうしたものへの感謝なくして、
人生が豊かになることはない。

・他人から差し伸べられた援助の大切さに比べ、
自分が成し遂げたことの大切さを
過大評価することは容易い。

法則10)
あなたが失った人々や状況への
最高の贈り物は、嘆きではなく感謝だ


・何かが永遠に続かなかったからといって、
それが想像できる限りの最高の贈り物では
なかったことにはならない。

・交わった道や巡り合ったチャンスに感謝しよう。
それは、あなたに素敵な経験をさせてくれた。

法則11)
心から感謝するには、
心から今を生きること


・人生で与えられていることを数えて、
今この瞬間の呼吸とともにスタートしよう。

・忘れがちだが、最大の奇跡とは
水の上を歩くことではない。
それは緑の地球の上を歩くことだ。

今この瞬間に生きて、
その価値を生き生きと味わおう。

法則12)
コントロールを手放せば、
感謝は倍増する


・人生の些細な部分までコントロールしようと
躍起になっているのなら、
木を見て森を見ていないのかもしれない。

・手放すこと、少し力を抜くこと、
人生の流れに身を任せてみることを学んでみよう。

新しいことに挑戦すること、恐れないこと、
そして何よりも全力を尽くして、
それに満足することを学ぼう。

不要な予想を捨て去れば、
思いがけない体験が待っている。

そして、人生における最高の喜びとは、
しばしば想像もしなかった驚きや
チャンスのことだ。

++++++

人生をいつもより多めに感謝して、
いつもより多めに謙虚に生きましょう!

そして、自分の幸運を数えてみれば、
その数はますます増えてゆきますよ \(^o^)/
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