2016
02.23

自分でまいた種



昨夜、職場のことで納得いかないことあり、
自宅に帰ってからも沸々としていました。

そんな状況の中で軽口をたたいた息子に
怒りが爆発してしまい、

彼をメタメタに傷つける一言を
言ってしまいました。

がっくりとしょげて
自分の部屋に戻る彼の背中を見て
「ああ…」と自分が情けなくなりました。

61歳にもなるのに、
なんて未熟な親だろう…

「ああ…」です。
「やっちまったぜ!」です。

さっき、彼の部屋に謝りに行きましたが
返事がありませんでした。

「ああ…」です。
「やっちまったぜ!」です。

本日のブログは、そんな私の
今の心境にぴったりなフレーズがテーマです。

「自分でまいた種」

きしくも、昨日のブログテーマだった
「自分から逃げない」の続編となりました。

「バカなおっさんだなぁ…」
呆れながらお読み下さいませ。

トホホ…。


▲https://happylifestyle.com

昔から元気を出すためには
「楽観主義が大切だ」と言います。

たしかに楽観主義は大切です。

前向きにプラスに考えることで
元気も出やすくなるでしょう。

しかし、間違った楽観主義を
貫いている人がいます。

現実の悪い出来事を無視して、
反省も改善もしない人です。

人間であれば
誰でも失敗をしますし、落ち込みます。

そういうときに、悪い出来事について
考えないように目を背けています。

考えるのが面倒なこともあるのでしょう。
一見すれば楽観的に思えます。

しかし、実は、これを
「間違った楽観主義」といいます。

反省も改善もしないのでは、
また同じ失敗を繰り返すことでしょう。

同じことがいつ起こっても
おかしくない状態であるため、
怯える日々になります。

反省も改善もしないことで、
背後霊のようにいつまでも
不安が付きまといます。

なかなか元気が出にくいです。

楽観主義のふりをして「大丈夫」と思っても、
反省と改善がなければ同じことを繰り返し、
成長も進歩もありません。

あなたはいかがでしょうか。
間違った楽観主義になっていませんか。

本当の楽観主義とは、
失敗を反省し、改善することです。

起こった出来事のありのままを受け止め、
自分の行いを省みます。

どこが悪かったのかを分析して、
二度と起こらないように改善することです。

きちんとした改善ができれば、
同じような失敗を繰り返すことがなくなります。

だから、悪い出来事から解放されて、
元気が出やすくなります。

きちんと目を向けて、考えます。

きちんと考えることで、
ストレスをなくし、心を軽くさせること。

これが真の楽観主義なのです。


▲http://www11.plala.or.jp/yamamotokenta

キュウリの種をまけば、
キュウリになります。

スイカの種をまけば、
スイカになります。

人生も何の種をまくかで、
どういう人生の実になるかが決まります。

ただし、同じ種をまいたつもりでも
実になる結果はそれぞれ変わってきます。

それは、

どんな土の質(宿命・環境)であるかということと
土にあった種(目標)を 選んでいるかという方向性と、
その種をどのように育てていくかという

本人の行動 (努力・継続力)の3つの結果によって、
実の質が変わってくるからです。

これをスピリチュアル的にいうと、
現在の自分は前世からの想いと
行動してきたことの総決算になっている
という表現になるでしょうか・・・

いくら人類が平等であるといっても、
生まれたときから環境・素質・能力・寿命など、
歴然とした差があるのが現実です。

この差は、宿命の差であり、
前世での自分の行い(徳積みとカルマ)によって、

現世の自分の宿命の質や
レベルが決まってくるといわれる由縁なのです。

現在の状況を他人と比較すると、
境遇や運勢の違いに疑問を感じられる方も
おられるでしょうが、

前世からの積み重ねの結果が
今の状態だとすると、

現在の宿命・運命も
自分でまいた種の結果だということを
納得せざるを得なくなります。

たとえば、前世で暴力をふるうと、
今世で暴力をふるわれる立場を
学ばされることに なるといわれています。

そう考えると、
他人との運命を比較して嘆くのではなく、


現在の境遇は必然であると受け入れて、
その中で精一杯智恵を絞って、
生き抜く覚悟をすることが大切です
ね。

今現在の人生は、ある意味、
前世からの借金をこの世でどれだけ返済し、
貯金できるかという「人生ゲーム」なのです


「天は事実をもって示す」は、
因果の法則を教えています。

楽しい現実は過去の成果であり、
厳しい現実は過去の想いと
行動の改善を教えています。

病気になるのにも理由があります。

日々大酒を飲み続けると、
胃と肝臓が悲鳴をあげ、

このままでは「いかんぞう!」のサインとして、
病気となって本人に生活習慣の改善を
気づかせるのです。

病気や不幸やトラブルの多くは、
天地自然の道理から外れた行為をした
結果として起こります。

裕福であっても、道理に外れた行為で
お金を儲けている人の場合は、
必ず清算の時期がやってきます。

もし、生きている間には清算が来なくても、
孫子の代に放蕩息子があらわれて、

その不正な手段で得た財産を
すっかり清算してくれます。

また、トラブルが起こるのは、
降って湧いたようにみえて、

実はその人の中に
トラブルを引き寄せてしまう原因が
あるものです。

トラブルは避けたくなるものですが、
本人に「その思考・行動を改めよ!」 という
おかげ様からの熱いメッセージでもあるのです。

ほとんどの問題は、
自分の中にある原因(偏りや執着)に気がつけば、

心が開放されていき、 行動も自ずと
調和の方向になっていくものなのです。


それなのに自分で招いているトラブルの原因を
他人や周りのせいにしていると、

その傷口は益々広がり、
自分でさらに墓穴を掘ってしまうことにもなります。

見方を変えると
自分の不幸の原因が自分の内にあるのなら、

自分の想いと行動を変えれば、
あっさり解決することになるので
ラッキーともいえるのです。


そんな中、ありがたいのは神仏であり、
神社に参拝することで
「おかげ」をいただくことがあります。

問題が起きているのは、
本人に問題があるからなのですが、

それでも神仏は
ピンチの状況を慈悲で助けてくださるのです。

ただし、本人に問題がある場合は
二度目からはあえて助けないのです。

問題があるごとに神仏が解決していたら、
拝めば何とかなると依存するので、

本人への大切な気づきや成長に
つながらないからです。


似たトラブルが何度も起こったり、
不運が続いたりするときは、

神仏に助けを求めるのではなく、
現実を直視し、原因を探り、

深刻な事態にならないように早めに手を打ち、
自己変革していくと その後の流れが
好転していきます。

その上で

「自分の問題は自分で解決する!」と腹をくくると、
神仏(おかげ様)は応援したくなる
ようで、

本人の気合と行動に対して守護と後押ししてくださり、
トラブルがいつのまにか、禍転じて福と なっていくのです。

そこで、私の提唱する運命改善の方法をまとめると・・・

1)まず自分の宿命・運命を嘆かず、
ありがたく受け入れること。


2)トラブルや不運を熱いメッセージと受けとめ、
思考・行動を切り替えること。

3)自分の人生(選択)には、
すべて自分が責任をもつこと。


では、読者の皆さまの
益々のご開運をお祈り申し上げます。

おかげさまで、ありがとうございます・・・


▲http://ameblo.jp/soul-therapy-kawasaki

自分が今まで生きてきたことに加えて、
生まれる前に生きてきた人生(過去世)が
私たちにはあります。

過去世も含めて、自分の行動や
生き方の責任を取るということが、
私たちに課せられているようです。

聖書ではそのことを
「人は自分の蒔いたものを刈り取ることになる」と
書かれています。

自分の人生を良くしていくには、
良い種を蒔いていきたいですね。

ところが、なかなか現実の世界では
良い種を蒔けないことがあります。

たとえば、職場である人の悪口を
みんなが言っているとしたら・・・。

ある人がみんなから嫌われていて、
その人がいない時、みんなその人の
悪口を言い始めます。

そんな時、あなたはどうしますか?

もちろん、私たちは
人の悪口をいっちゃいけないよねって
思っています。

でも、実際は

「つい、みんなと悪口を言ってしまった」
「だって、その人が悪いんだもん」

「みんなその人のこと嫌っているんだよ」
「私だってムカつくから言ってもいいよね」

こんな気持ちかも知れません。

「悪口を言う」という種を蒔けば、
その実をどこかで収穫をすることになります。

このまま悪口を言う人で居続けますか?
悪口を言うのを「やめる」という選択も
できますよね。

自分が言いたい悪口は何か、
ここを冷静に見つめてみましょう。

想いがあるなら溶かしていきましょう。

「自分は聞き役に徹していて、
悪口を言わないようにしている
もう悪口を聞くのはたくさんだ」


きっぱりとそう言うことも出来る訳です。

そんな悪口を言う人ばかりが
周りにいるというのも、
すべては自分が原因です。

今、嫌なことを経験しているのは、
過去世も含めてすべて

自分が蒔いた種の収穫を
行っていると考えてみましょう。

私たちの日常の行動を
良い種を蒔くことに徹していけたら
いいなと思います。


▲http://kizuki.rainbow-school.info

自分で蒔いた種は、
自分で刈り取るしかない!


これは、霊界が示す法則の
最も基本的なものの一つです。

何人も、それを肩代わりすることはできないのです。

普通この言葉は、自分の身に起こる
「禍い(わざわい)」に関して用いられますが、

よく読めば、意味は
それだけではないことが解るはずです。

先ずは、

「種を蒔かない限り、収穫はない」ということです。
禍福は糾(あざな)える縄の如しで、

自分にとって良いことも悪いことも、
みな種を蒔いた結果、後から付いてくるですから、

悪い結果になることが怖くて、
もし種を蒔かなかったとしたら、
収穫は何も得られないということになります。

当たり前のことですが、良い結果を得るには、
良い種を選んで蒔く必要があるのです。

種を蒔かない限り、何事も為し得ないのです。

家に引っ込んで、ただ縮こまっているだけでは、
収穫に与かることはできません。

つまり、とにかく「行動せよ」ということです。

次に、

「自分自身でしか、刈り取りはできない」
ということです。

ただ生きて行くということだけなら、
他者からの恵みに頼ることもできます。

パンを貰うことができます。

しかし、霊性の向上だけは、
自分自身でしか獲得できないのです。

自分が気づき、
自分でジャンプするしかないのです。

さて、もっと深い意味を考えてみましょう。
禍福とはいったい何か?ということです。

良い種を蒔けば良い収穫が得られ、
悪い種を蒔けば悪い収穫しか得らない。


これは、実際の農業を考えてみれば、
容易に想像できるでしょう。

しかし、禍福というものは、
人によって受け止め方が違うのです。

たとえば、莫大な財産を相続したために、
兄弟骨肉の争いに巻き込まれてしまう。

あるいは、

強盗事件を起こして
とうとう刑務所に収監されてしまったが、

「ああ、いい経験をした」と、
それまでの生き方を反省し、
ガラッと人が変わってしまう。

その場合、いったいどちらが禍福なのか。

そこに、
「自分自身でしか、刈り取りはできない」
ということの深い意味があるのです。


一度刑務所に入れられて、
ガラッと人が変わる人もいれば、

出てきた途端性懲りもなく
また同じ犯罪を繰り返す人もいる。

前者は、良い種を刈り取り、
後者は悪い種を刈り続けているのです。

良い種とは「調和」を目指すことです。
悪い種とは「不調和」に突き進んでしまうことです。

善行善果
悪行悪果

もし自分の身の上に
良くないことが生じている時には、

必ずその原因には、
なんらかの「不調和」があります。

病気、苦悩、喪失、
そのような形で「不調和」が知らされます。

これは「罰」ではありません。
天の法則に何一つ「罰」はありません。

良い悪いは、個我の判断に過ぎず、
たとえどんなことでも、

自己の霊性の向上に向けられて、
物事は生じているのです。

あとは、そこから、収穫を掴むだけ。

何を刈り取るかは、あなた次第。
あなたにしかできないのです。


▲http://shinkokyubiyori.com

ごう慢な心

私たちは、他人からよく思われたい、
もっと認められたいと、
周囲からの評価を気にしてしまいます。

事実を受け入れられないから、
言い訳をして誤魔化そうとします。

認めたくないから、理由を探して
自分を正当化しようとします。

自分は正しい、
周りは何もわかってくれないと

「誰か」や「何か」のせいにして、
自分自身を肯定する理由をつくり出すのです。

言い訳をして他人も、
自分自身も欺こうとします。

できない自分を認めることが怖いから、
起きていることから目を逸らすのです。

こんなはずじゃないと、
自分の弱さを認めたくないから、
受け入れられないのです。

「ダメな自分」はいない

失敗はダメなことではありません。
できないことは悪いことではないのです。

失敗を認められず、
できない自分を受け入れられなければ、
それ以上の成長はありません。

「弱い自分」も「できない自分」も認めて、
ありのままを受け入れることです。

自分を偽り、目を逸らしていては、
いつまでも自分のことを
肯定することはできないのです。

たとえ思い描いた自分はいなくても、
ありのままの「今」を認めましょう。

「ダメな自分」なんて、どこにもいません。

それは、心の中でつくり出した
想像でしかありません。

強くあろうとしなくてもいい。
正しくあろうとなんてしなくてもいいのです。

他人の評価を気にするあまり、
自分を騙していても苦しい思いをするだけです。

自分の中にある「プライドという執着」は
捨ててしまいましょう。

偽らず、欺かず、ありのままの自分を
みつめてみましょう。


▲https://happylifestyle.com

恋人を失った。

財布をなくした。

家が焼けてしまった。

車が壊れた。

大きなものを失って、
落ち込んでいますか。

ちょっと待ってください。

そもそも
落ち込むべきポイントがズレています。

落ち込むにはまだ早すぎる。

本当に落ち込むのは
「命」を失ったときです。

そのときこそ本当に
やり直しが不可能になるので、
落ち込んで当然です。

しかし、大きなものを失ったとしても、
命まで失っているわけではありません。

命があるかぎり、何度でも
やり直しができますから、
落ち込むことではありません。

むしろまだ命がありますから、
感謝しなければなりません。

生きているだけで御の字です。

大きなものを失ったとしても、
命さえまだ残っていれば、
何度でもやり直しができるはずです。

命があるかぎり、あなたの努力しだいで
何度でも再挑戦ができます。

まだまだこれから。

落ち込むのは、命を失ってからのこと。
それまで落ち込む必要はないのです。


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完璧主義になると、
落ち込みやすく、元気が出にくくなります。

完璧にできるようにするためには、
大きなストレスがかかりますし、
精神的にもよくありません。

失敗を感じやすくなるため、
落ち込みやすく、元気が出にくくなります。

人間は、完璧になることはできません。

完璧に近づくことはできますが、
完全なる完璧にはなれません。

たとえば、食器洗いです。

割らないように気をつけていても、
何十枚、何百枚も洗っていると、

たまに手を滑らせて
割ってしまうことがあります。

もちろん反省や洗い方を改善するなどして、
できるかぎり割らないように
完璧に近づけることはできるでしょう。

しかし、それでも
完全にゼロにする完璧は難しい。

どんなに熟練した達人も、
やはり間違いがあります。

猿も木から落ちることがありますし、
弘法も筆を誤ることがあります。

人は、最初から完璧にできませんから、
目指すことに無理があります。

もちろん、努力や改善を重ねることで、
できるかぎり完璧に近づけることは
できるでしょう。

また、そういう心がけは大切です。
素晴らしいことです。

しかし

「そもそも人間が完璧ではない」という
重要なことを忘れていませんか。

完璧ではない人間がすることですから、
完璧に物事をこなせるほうが
不思議なくらいです。

やはり、ある瞬間に間違いはあります。
そういうものだと思うことです。

完璧主義はやめて、
80点主義くらいでいい。

ふっと気持ちが楽になるはずです。

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コメント
高校時代の恩師が「人生死なない限り、やり直しはいくらでもできる」という言葉を言ってもらったことがあります。
それは人生の流れの中で何回も私を救ってくれました。
しばらく忘れていましたが。今またそれを思い出しました。

もう時間は少ししかないかもしれないけど、とにかく健康で生きていれば、いくらでも失敗を補えるし、やりたいことも少しでもできるし、
とにかく欲を出さないで、しかしやりたいことはやって楽しく過ごしたいものです。
もうここまでくると60点でもいいですね。
ローズコーンdot 2016.02.23 09:02 | 編集
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