2016
03.13

ブッダの教えから 『自由な心』



人間関係であれ、自分の計画性であれ、
上手く対処できないと、ついつい、

「ああ、なんて自分はダメなんだろう」と
自分を責めたり、落ち込んだりしていました。

それは今にして思えば、
「この程度の自分」と共に生きてゆく
『覚悟』が足りなかったのです。

60点ハナマル主義

上手く出来ないことがあっても
その日を振り返り、6割上手く出来たら、

「上等じゃん!」
「御の字じゃん!」


自分を肯定しながら生きて行こう
決心したのが昨年の秋です。

昨年の5月末からほぼ毎日、
人様のブログ記事を参考にしながら
ブログ更新を続けているうちに、

「自分は自分、人は人」
不出来な自分に開き直って
生きてゆこうという気になりました。

そうした自分の考えを
後押ししてくれるような記事に
出会いしましたので、

本日のブログでは、その記事を
そのまんま無断転載ながら
ご紹介させて頂きます。

特に、シニア世代の方には
ゆっくりと2~3回は
読み返して頂きたいほど
有難いことが書いてあります。

いずれわが身に訪れる「死」から
これからの「生」を考えてみる
きっかけになると思います。

私はこの記事を読んだ時、
「そんな考え方があるのか!」と、
とても衝撃を受けました。

どうぞ、最後までお読みください。
小さなことでクヨクヨしている自分が
いかに恵まれているのが分かります。

私はあと5回以上は、折に触れて
読みなおそうと思っています。


▲http://77713696.at.webry.info

人は怒り中毒

怒ると、体の中に火が生まれます。
そして、自分を燃やしはじめます。
それは毒を飲むことと同じなのです。

幸福な人生に対する猛毒は、
「怒る」ことです。



嫌な人に怒る、
ものごとがうまくいかないと怒る、
仲間に怒る、
さらには雨にも風にも怒る。

人は怒り中毒です。

喜んで怒っているようにも見えます。

幸福に過ごしたいなら、
怒りは猛毒であることを理解しましょう。

怒りの心で食事するのは愚か

「私は菜食主義で肉は絶対に食べない」などと
固執いていると、そのことが強いストレスになります。

また、肉や魚を食べる人に対して、
軽蔑する心が出てしまいます。

それは、

「自分が正しくて相手が悪い」という
「怒りの心」なのです。

最良の食品を摂取しても、
それを毒にしてしまいます。

それは、愚かなことです。

その瞬間で気づいたら

何事も「それをする瞬間」
というものがあります。

悪いことをするにしても、
怒るときにしても、

「その瞬間」があるのです。

大切なことは、
「その瞬間で気づく」ことです。

瞬間の感情というものは、
気づいた瞬間に完了してしまうのです。

瞬間で気づいたら、
その瞬間で問題は完了します。

後で悪い結果にはなりません。

はやいもの勝ち

怒りの感情が入り込んだときに、
その瞬間に気づかないと、

ウイルスのよに瞬時に増幅してしまうのです。
爆発するまで増幅してゆくのです。

「はやいもの勝ち」という法則は、
自分の感情に打ち勝つときに使うのです。

怒り・憎しみ・嫉妬などの感情は、
生まれた瞬間に気づくと増幅しないで
そこで消滅します。

波立たない心

自由な心とは、どんなことがあっても
波立たない・揺らぐことのない心です。

揺らがない人は、何か反論されても、
感情的になることはないのです。

感情的になるのは、
すでに「負けている」といことなのです。

『ブッダの教え:一日一話』
※A・スマナサーラ長老



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人生というのは、結局
いくらがんばっても水の泡です。

いくら一生懸命がんばっても、
最後はすべて虚しいのです。

何もあとには残りません。

必死になって、自分の命も
惜しくないと思って子どもを育てても、
子どもが大きくなったらどうなるでしょうか。

親など必要なくなってしまいます。

歳をとって病気になったら
子どもは助けにならないし、

旦那さんも助けにならないし、
奥さんも助けにならないし、

薬も効かないし、ただ虚しいだけです。

現世が駄目なら死後も駄目

「人というのは、結局すごく
虚しいものであり、苦しいものである」

「我々の努力は結局無駄な努力だ」
ということを確認してください。

それは暗い確認ですね。
暗い確認が、本当のことなのです。

それを紙に書いて貼っておきましょう。

できればいろいろな部屋、
寝室や台所やトイレなど、
あちらこちらに貼っておいてください。

それは皆さんのストレスと
病気を治すためにとてもいい方法です。

ですから、ためしに
その暗い文章をいろいろなところに
貼ってみてください。

一週間以内に何か良い結果が
得られるはずです。

結局人生は虚しくて苦しいのだから、
だからどうだというのでしょうか。

自暴自棄になって
したい放題のことをするのですか?

失望して厭世的になて、
ヤケ酒でも飲みますか?

そのようなことをしても元の木阿弥で、
さらにストレスをためるだけではないですか?

だから私は力を抜いて、
気楽に生きてみてくださいと言いたいのです。

やっているのは、所詮アホなことだと
気が付くと楽になるのです。

必死になって、歯を食いしばり、
鬼の形想で勉強したり、

仕事をしたり、子育てをしたり、
泣きながら悩んでいても意味がありません。

結局は最後はバカになるのです。

どれだけ勉強をしても、
歳をとったらただのアホなのです。

それまでの苦労はすべて無駄になるのです。

男性は、若い頃は活力にあふれ、
体力も充実していますが、

歳をとると、
奥さんに手を引かれて歩くようになります。

女性は、体も小さく力もありませんが、
80歳を過ぎても男性よりは元気です。


男は力強くなければならないと育てられ、
一生懸命頑張って体を鍛えたり
仕事に励んだりしても、

最後に訪れるのは、

おばあさんに手をひかれるおじいさんの姿です。

女性の方もお化粧をして、子育てをして、
姑さんにつかえていろいろな苦労をして、

どんなに頑張ったところで、結局最後はみな、
おじいさんとおばあさんになるのです。

ですから、楽にしてくださいと言いたいのです。
ストレスをためるまで頑張る必要はありません。
人生というのはゲームのようなものです。

遊んでいるときは楽しいけれど、

最後にくるのはゲームオーバー、終わりです。

死んでから天国や極楽に行って
幸せになるという考え方がありますが、

あれは間違っています。

現世の人生を苦しく生きていると、
死ぬときも苦しいだけで
極楽には行けません。


今が駄目な人が、どのようにして
死んでから良くなれるのでしょうか?


これは冗談や皮肉ではありません。
どのようにして死んでから
良くなれるのでしょうか?

みんなに迷惑をかけながら
ストレスばかり溜めて生きている人は、

死ぬ瞬間になっても
ストレスだらけで死んでしまいます。

その場合は、残念ながら
明るいことろに行くことはちょっと難しい。

今から明るさを見つけて生きていなければ、
リラックスしてのんびり生きていなければ、

死んでから明るいところに
行くことは出来ないのです。

「人生は死ぬまでのゲームであって、
いつ死んでもいいんだ」と考えて、
明るくのんびりと生きていてください。

まさか「老病死に勝つ方法」があったとは
A・スマナサーラ長老著書より


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「死」を念頭に

日本でもそうですが、世の中では、
「死」という単語はあまり
耳にしたくないのですね。

なんで「死」という言葉を
ごまかすのでしょうか。

他の単語では機能しません。

「天国に召されました」とか、
「往生しました」とか、
そういう単語ではダメです。

単純シンプルな単語で「死」。

そこをちゃんと念頭に入れておきましょう。
それで幸福の扉が開きます。

仏教の明るさは「死」から

仏教には「死髄念」という瞑想まであるのです。

念じて、忘れないように、
大事なポイントとして使うのです。

だから、仏教徒というのはすごく明るいのです。

なんでそんなに明るいかというと、
やっぱり「死」というものは
避けるものだと思っていないのです。

「死」を念頭に置いているからなのです。

「必ず死ぬ」という事実

「死」を念頭に置いておくのは、
ひとつにはそれが事実だからです。

なのに

「忘れましょう」
「見ないようにしましょう」とは、
何を言うのでしょうか。
決して忘れてはいけないのです。

必ず死にます!
いつ死ぬかわからない。

いたるところで、いろんな形で死んでいく。
動物たちが死んでいく。

みんなほんのわずかな時間しか
この地球上にいないのです。

私たちが世界を見回しても、
どれほどの人や動物たちがこれまでに
死んでしまったのですかね。

これからも死んでいくでしょう。
これが当たり前の、生命の姿、世界の姿なのです。

それで「自分も必ず死ぬんだ」とわかったら、
人生が変わるのです。


必ず死ぬんだから、人生論が変わります。

アホな人は、死なないように
どうすればいいかと考えます。

これはもう、極限にバカなのです。
もう助けようもないのです。

放っておけるところまで、
「自分が死ぬのだ」ということを
観察しなければならないのです。

人生は「待ち時間」

誰でも死ぬのだということを念頭に置いて、
頭の良い人が次に考えるのは、
死を避けることではないのです。

別なことなのです。
「では、死ぬまで何をやればいい?」
ということなのです。

「どうせ死ぬまででしょう」
「ではどうすればいいか」と。

そこに大事なポイントがあるのです。
どう生きるのかという。

たとえば私がある人に、

「ちょっと待っていてください」
「私は用事があって一時間したら
帰ります」と言ったとします。

その人は一時間
待たなくっちゃいけないですね。
その人は次に何を考えるでしょう。

「一時間待つんだから、
じゃあ、その一時間何をすればいいのか」
ということでしょ。

そのまま、ボケーっと
待っているわけじゃないでしょ。

「待ちなさい」と言われたから、
そのまんま固まってただ待っているんですか?

そんなことはしませんね。
「この一時間で私は何をすればかしら」と。

そこらに喫茶店に入ってお茶でも飲むとか、
コンビニでもあれば立ち読みするとか、
いろいろ何かをするでしょう。

もしその一時間で、ものすごく
良いことができるならばどうしますか?

それだったらすごいでしょ。
私たちはこの「待ち時間」にいるのです。

生きる時間というのは
あまり面白いものではないのです。
ただの待ち時間なのです。

死が来るまでの待ち時間で、
最高の善いことをしちゃえばいいのです。

そうすればすごく楽しいのです。
それがすごく楽しいのです。

私たちが生きる時間というのは
「待ち時間」なのです。

その待ち時間で、
いかに善いことをするのか、
いかに楽しいことをするのか、
いかに充実して生きるのか、

ということ、それがポイントです。

「待ち時間」という表現が
ピンと来なければ、

「この世での持ち時間」
「この世での授かった時間」


と置き換えて考えてみて下さい。


「死」ということは
自分の管轄ではないのです。

生まれることもそうでしょう。

勝手に生まれてきたのだから。
勝手に現れてきたのです。

自分が計画を立てて、
計画通りに生まれたわけではないでしょう。

突然現れてきたんだから、
またいきなり死にますよ。

人生はポイントカード

その待ち時間を
いかに有効に使うのかということは、

仏教がものすごく力強く
語っているところなのです。

わかりやすく言うならば、
高得点を出しちゃえばいいのです。
ポイントをどれだけとるかと。

ポイントカードがあるでしょ。

あのポイントカードでも、
ポイントが貯まったら嬉しいでしょ。

たくさんポイントが貯まっていて、
ただで買い物ができたりしますからね。

あれは楽しいんですよ。

私たちは人生そのものを
ポイントカードにして、

たくさんポイントを
作らなくちゃいけないのですね。

誓教寺報「つきなみ」
第163号2010年10・11月
(編集:藤本竜子様)より抜粋いたしました。


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コメント
私も仏教の教えは、40代ごろから少し本を読みました。
でもそれを自分のものにはできません。私より6歳下の親友は、福岡まで仏教の勉強に行き、お坊さんの資格まで取ろうとしています。
だから仏教の教えを聞くと心が落ち着くし、もっと知りたいとも思います。今はそれらを読んでいませんので、ここで取り上げていただいて、心新たに、今朝は読ませていただきました。ありがとうございました。
何回も読んで毎日の生活や起こる事柄に仏教的思いを持って臨むことができるようになりたいと思います。
ローズコーンdot 2016.03.13 06:58 | 編集
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