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情けは人のためならず



本日は、昨日のブログテーマである
「惜しみなく与える」の続編です。

情けは人のためならず

とても有難い記事を見つけましたので
転載してご紹介いたします。


▲http://kikuutan.hatenablog.com

誰かのことを心配し、
幸せになって欲しいと
いろいろしてあげたのに、

その人から感謝もされない、
お礼もない…。

向こうは当然のように
受け流しているとなれば、
怒りの心で身を焦がすことになります。

「あ~あ、こんな思いするくらいなら
あいつに親切なんかするんじゃなかった…」と後悔し、

「人に構って、結局傷つくくらいだったら
最初からしない方がましだった!」と
考えてしまいがちです。

けれども、誤解すべきではないのは

お釈迦様は決して
「親切をしたから苦しむことになる」とは
言われていないということです。

そう考えるのは間違いです。

「私が」「誰々に」「何を」
この三つを忘れられないから
苦しむのですよと、説かれているのです。

「親切自体は素晴らしい善行ですから、
実践する人は幸せになれますよ」と
一貫して説かれています。

人に要求することばかりの人は
幸せにはなりません。

「~してくれ」
「~させてくれ」
「なんで~してくれないのか」と

上司や家族を責めることになり、
周りから人は離れていきます。

逆に周りの人が

どうしたら楽しく過ごせるだろうか。
安心してもらえるだろうかと、

常に周りのことを考えて行動できる人には
人も物も自ずと集まってくることでしょう。

まいた種は必ず生える

幸せのタネをまくのですから
幸せの花が咲くのです。

古人はこれを
「情けは人のためならず」と言いました。

「人に情けをかける、親切するのは
人のためではないんですよ。」

「親切する人の徳になり、
与える人本人が光を放つ人間に
なれるのですよ」と説かれています。

「あの人のためにやっているんだ」
「あの人のためにしてあげてるんだ」

「相手のため」
「夫のため」
「子供のため」と

「思い続けるものではありませんよ」
というのが「情けは人のためならず」。

「布施をすること、人に与えているのは、
自らの徳と信用の元を築いてるのですよ」


ということわざなのです。


▲http://kikuutan.hatenablog.com

先日、行きつけの中華の店のカウンターで
ラーメンを食べていた時のことです。

隣に座っていた土木工事服の
金髪のヤンキー兄ちゃんが、

ラーメンが目の前にきたのに、
食べ始めようとしないので、

あれと思ったら、どうやら
割り箸がなかったみたいです。

私が「どうぞ」と
箸立てを差し出したところ、

その金髪のヤンキー兄ちゃんが
「ありがとうございます」と言ったので、

若干の驚きと喜びを感じ、
その彼にすがすがしい印象を持ちました。

きっとペコリと頭を下げながら、「どうも…」という、
か細い返事を予想していた私は、
良い意味で虚をつかれました。

私ならきっと、
「すみません」と言ったでしょうに…

もっと努めて「ありがとう!」という言葉を
使っていきたいと思いました

有難う

さて、この「ありがとう」とは、
じつは仏教由来の言葉です。

「有難う」と書いて、
「有ることが難しい」という意味です。

人から親切を受けた時、
「ありがとう」と言います。

「親切」とは、親を切るように
つらい気持ちがするから
「親切」といわれるそうです。

本性を見れば、 自分のことしか
考えないのが人間なのに、

他人の幸せのために、
自分の時間やお金を使って、
心を砕いてくれた。

こんなことは
めったにできることではないので、

「有ることが難しい」
=「ありがたい」ことなのです。


「こんな私のような者に」との
思いもそこにはあります。

大事にされて然るべき徳のある人なら、
させてもらいたいという
気持ちにもなりやすいですが、

とてもそんな値のない自分を
大事にしてくれる、その人の気持ちは
かけがえのないものなので、

「有ることが難しい」
=「ありがとう」なのです。


私利私欲を乗り越えて、
私のために与えようとしてくれたことへの
深い感謝の言葉が「ありがとう」です。


▲http://www.funaiyukio.com

私の周りには、「与え好きな方」が
多くいらっしゃいます。

この文章を読んで下さっている皆様も、
きっと与え好きの方がほとんどだと思います。

どんなに周りから嫌われている人でも
人は誰しも、

「誰かの役に立ちたい」
「誰かに喜んでもらいたい」
「誰かに必要とされたい」

と思っていると思います。

誰かに「さすがだね!」
言われた時には、すごく嬉しくなります。

誰かに「ありがとう!」
言われた時には、心が温かくなります。

誰かに「あなたがいてくれてよかった!」
言われた時には、愛が溢れてきます。

人は、食べたことのない料理を
作れないのと同じように

経験したこと、体感したことしか
与えることができない生き物のようです。

与え好きの方は、きっと過去に
周りの方から「与えてもらってきた」からこそ、

今現在、周りの方に与えるということが
できるのかもしれません。

ただ、陥りやすいパターンとして、
「与えること」に固執しないことが大切です。

自分が疲れている時は、頑張らずに
愛されたり、優しくされたり、守られたり、
勇気づけられたり「してもらう」ことも重要です。

人は、「してもらうこと」で
心が満たされます。

そして

「してあげて喜んでもらうこと」が
「してもらう」より何倍も心を満たしてくれます。

「与え好きの方」でよくお見かけすることが
与えるのは得意だけど、受け取るのが苦手なことです。

与えることだけに固執してしまうと、誰かが
「○○しましょうか?」
「もしよかったらどうぞ」
と「与えたい」と思っていても、

申し訳ないと思って
断ってしまう方が多くいらっしゃいます。

それでは、エネルギーの循環が
滞ってしまいます。

与える方が与えっぱなしだったり、
受け取る方が受け取りっぱなしだと


どちらも疲れたり、
満たされなかったりします。


先ほどお伝えしたとおり、
人は誰しも魂で

「誰かの役に立ちたい」
「誰かに喜んでもらいたい」
「誰かに必要とされたい」

と思っています。

与え好きな方ほど、与えてもらうことを
申し訳ないと思いがちなので、

是非周りの方にも「与える」チャンスを
与えてあげていただけたらと思います。

「ありがとう!」
「助かります」
「あなたのおかげです」

そう言って、
「人の与える」を「受け取ること」も

自分が与えることと同じように
周りを幸せにする秘訣かもしれません


今日も皆様にとって、
キラキラした一日になりますように☆


▲http://aisa.sakura.ne.jp

よくない事があると、
「自分でまいた種だから・・・」
などと言うことがあります。

これは、間違いなく事実だと思います。

しかし、反対に、
よい事があった時も
「自分で種をまいた」のです。

どんな小さな行動や言動も
必ず自分のところに返ってくるのです。

なにをすれば、
なにが返ってくるかは分かりません。

しかし、分かっていることがあります。

それは、結果として返ってくることは、
普段、思っている思考(イメージ)によって
変化するということです。

つまり、よくない事ばかりイメージしていると
やはり、よくない事ばかりおこります。

逆に、よい事ばかりイメージしていると
必ず、よい事ばかりおこります。

そして、「まく種」も、
よい事のほうがよいのは言うまでもありません。

そこで【ありがとう】の出番です。

【ありがとう】には、頭の中のイメージを
よいものにしてくれる 力 があります。

そして、【ありがとう】は、
それ自体が、「よい種」なので、
【ありがとう】の種は、まかれたら最後
自分でも驚くほど大きく成長します。

そして、あなたを幸せにしてくれるのです。

さて、毎日30回の【ありがとう】
まだ始めていない方は、
是非、今からやってみてください。



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