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2016
03.24

愛され下手の人に



私は、豊臣秀吉の
「人たらし」の生きざまに感化されて、

接する人の気持ちを察することを
以前より心がけるようになりました。

そんなことを意識しながら
周りの人間関係を観察していると、

「今そんなことを言わなくても良いのに…」
「そんな振る舞いは損するだけなのに…」なんて

人から好かれることが下手くそな人の
独りよがりの立ち振る舞いが
とても気になるようになりました。

本日は、そんな「愛され下手」な方への応援歌として
最近、私が好んで読んでいる「たかた まさひろ」さんの
名言をご紹介したいと思います。


▲http://www.h5.dion.ne.jp

たかたまさひろ
自己紹介にかえて

私は他人が怖くて
仕方がありませんでした。

臆病を悟られないように
精一杯の虚勢を張って、

他人のご機嫌を慎重にうかがいながら、
傷つけられないように細心の注意を払い、

最小限の人付き合いをして
生きてきました。

自分を変えたいと思っても、
何からどう始めればよいのかわかりません。

二十代なかばのころ、救いを求めて
図書館に通いつめました。

心理学、宗教、哲学、古典文学……
子供のころは読書が大嫌いだったのに、

うって変わって渇いた砂漠で水を求めるように、
あらゆる書物を読みあさりました。

ある本で見つけた言葉に、
脳天を割られるような衝撃を受けました。

「恥ずかしがり屋とは、
もっとも利己的な人のことをいう」

「彼は、自分のことしか頭にない」

それまで私は、
自分を心の清らかな人間だと思っていました。

こんなにも純粋な人間を
傷つけようとする非道な人たちから、
いかに自分を守るか。

その闘いが一生の課題だと思っていました。

よろいのように固められた心の垢(あか)を
すべてそぎ落とし、そして、生まれ変わりたい。

心の底からそう思いました。

私がむさぼり読んだ多くの書物の中には、
大変参考になるものもあったし、
まったく共感できないものもありました。

しかし、
私がそれらから得たもっとも大きな糧は、
書かれていた内容そのものよりも、

「世の中には、いろいろな考え方の人がいるんだ」という、
ごく当たり前の真理を知ったことでした。

自分は自分の信念に従って生きればいい。

そう悟った瞬間、はじめて自分に
自信がもてるような気がして、目の前の霧が晴れ、
世界がきらきらと光り輝いて見えたのを覚えています。

夢を持て、希望を持て。
くじけず、がんばろう。明るく生きよう……。

人は簡単に、「前向きな」言葉を口にします。

かつての私は、そういう言葉を聞かされるたび、
「それができるくらいなら、苦労はしない」という
せりふをぐっとのみこんで、唇をかんだものでした。

「こういう言い方をされていたら、
素直に受け入れられただろう」という
思いのたけを文章にして、

インターネットで公開したところ、
予想をはるかに超える大きな反響がありました。

一年あまりの間ネット上で連載したものをまとめ、
この度、出版させていただく運びとなりました。

私は、心理学者でも精神科医でも教育者でもなく、
ただの「自分に自信がもてず
悩んでいた人間」にすぎません。

しかし、だからこそ、かつての私と同じように
苦しんでいる方々の気持ちが、
理屈ではなく実感としてわかります。

今の私は、不幸だったころと
境遇や環境はまったく変わっていないのに、
あふれるほどの幸せに満たされています。

心の持ち方ひとつで、
人生は変えられるのだということを、
この本で強く訴えたいのです。

ひとりでも多くの方が
悩みや苦しみから解放され、
生きることの喜びを見出されるよう祈ります。

そして、心からの幸せを感じたなら、
今度は、ほかの誰かを幸せにしてあげてください。

世界のすみずみにまで、
しあわせの輪が広がりますように。

たかたまさひろ著
「3分間で気持ちの整理をする
リラックスブック」序文より



▲http://www.h5.dion.ne.jp

自分はいつも
損な役回りばかり演じている。

誰も自分の気持ちなんか分かってくれない。

他人から傷つけられたせいで、
私は不幸なのだ……。

「なぜ他人は、もっと私を尊重してくれないのか」
という不満を抱えている人も多いことでしょう。

しかし、ここで冷静になって、
この言葉そのものがはらんでいる矛盾に
気づかなければなりません。

「なぜ他人は私を尊重してくれないのか」と
疑問に思っているということは、

自分も他人の気持ちや考えが
分かっていないということです。

そうです、
他人の心は分からなくて当然なのです。

自分は他人の心が分からないのに、
他人は自分を理解してくれるべきだという主張は、
道理にかないません。

他人の心の中が簡単に読み取れるのであれば、
人付き合いは楽しくも何ともないでしょう。

分かり合えないのが当然だから、
他人の気持ちをくみ取ろうと努めることに
意味があるのだし、自分を理解してくれる人への
喜びや感謝が生まれます。

本当は自分が相手を必要としているのに、
相手に優位に立たれたくはないという
相反する欲求が、自分を苦しめるのです。


意志の弱い人にかぎって、とかく、
「困難から逃げるのはよくないことだ」と考え、
自分自身を追い込んでしまいがちです。

人間関係において、つらいこと、
苦しいことに直面したとき、

「何とか自分の力で解決しなければいけない」と、
目の前の問題ばかりにとらわれ、
視野が狭くなっているのです。


何でも一緒くたにして「逃げることはよくない」と
堅苦しく考える必要はありません。

「ささいなことにこだわる」のは、
「大切なことから逃げる」のと
同じくらいに愚かなことです。

----------
「恋人に冷たく当たられる」という
不満を抱いているとき。
---------

もちろん、恋人同士として
付き合うのであれば、

互いを思いやる努力を
すべきだというのは、正論です。

しかし、誰と付き合うかということは、
他人から強制されたわけではなく、

自分で決めたのだということは、
忘れてはいけません。

「一度この人と付き合うと決めたのだから、
貫き通さなければならない」というのも、
一面ではもっともなことですが、

それ以前に、

「何のために付き合っているのか」を
よく考え直さなければなりません。

恋人に対して不満や疑念しか
感じられないということは、
自分も相手を愛していないということです。

そんな人にこだわるのはやめればよいのです。

-------------
「自分は親に愛されていない」と
悲嘆に暮れているとき。
--------------

親から愛されるということは、
人間にとって大きな喜びのひとつですが、
幸せの形はそれだけではありません。

「親は子を愛するべきである」というのは、
至極当然のことですが、

それがかなえられないときは、
「幸福な家庭」という幻想を捨て、
ほかの幸せを見つけたほうが賢明です。

親に愛されていないという
不満をもっている人は、また、

「子は親を敬うべきだ」という
道徳規範にとらわれ、

それができない自分に
罪悪感を抱いているのでしょう。

あるいは、

それを認めてしまえば、
あまりにも自分が惨めであるので、

あえて考えないように
しているのかもしれません。

何とかして
親に自分を愛するようにし向けさせ、

自分も親を尊敬できるようにならなければ、
不幸から逃れることはできないと
思い込んでいるのです。

不幸にこだわれば、ますます
その不幸に苦しめられることになります。

親に反感をもっている人も、
「家族は愛し合い、温かい家庭を築く
努力をしなければならない」という
こだわりを一時捨てて、

家庭以外に
自分なりの幸せを見つけてみましょう。

何かひとつでも
幸せを見つけることができれば、

結果的には、心に余裕が生まれて、
親への敬愛が生まれることでしょう。

一般的に言えば、

「逃げずに困難に立ち向かう」ことは
よいことです。

しかし、それ以上に重要なことは、
「自分にとって大切なことは何か」を
よく考え直すということです。

他人に対して怒りや不満を抱いたとき、
意地でも自分の主張を押し通すか、

相手に譲歩するか、ということ以外に、
「気にしない」という第三の解決方法があります。

逃げるのではありません。
無用なこだわりを捨てるのです。


▲http://www.h5.dion.ne.jp

好きな人ができても、
何を話せばよいのか判らない。

どう接すればよいのか判らないと
悩んでいる人はたくさんいます。

他人を愛するとは、具体的に
何をどうすることをいうのでしょうか。

「どうすれば相手が喜んでくれるのかが判らない」
という人は、自分が何を望んでいるのかが
判っていないのです。

「愛は要求するものではない」と言いますが、
人が付き合うということは、
互いに何かを要求し合うことであるのは事実です。

他人に要求すること自体が悪いのではありません。

相手のことを考えず、感謝の気持ちもなく、
自分の利益のためだけに一方的に
要求するのがいけないのです。

他人に何かを要求するのは、
それが自分にとってうれしいことだからでしょう。

本当の喜びとは、
自分さえよければいいというものではなく、

自分の喜びが相手の喜びになり、
また相手の幸せが自分の幸せとなるようなことです。

互いのためになることであれば、
おおいに要求し合ってもいいのです。

恋人がどれだけ自分のために
犠牲を払ってくれるか、

どれだけ高価なプレゼントをくれるか
などという打算的なことでしか
愛情を測れない人がいます。

そんな低レベルな欲求が満たされたとしても、
それは人間にとって本当の幸せではなく、

一時的な優越感にすぎないので、
いつまでたっても心は満たされません。

もしあなたが、自分の思い通りにならない他人に
不満ばかり抱いているならば、その原因は、
あなたの要求するものが間違っているからです。

他人に低レベルな要求しかできない人は、
しょせん低レベルな人間にしか
相手にしてもらえないのです。

逆に、

「私はいつも他人からあれこれ
要求される一方で、損ばかりしている」という
不満をもっている人もいるかもしれません。

他人から命令されることを不愉快に感じるのは、
自分が「言われたことしかやろうとしないから」です。

自分からすすんで動こうとせず、
他人に言われたことだけをイヤイヤやっているから、

自分の行動のすべてが
他人に操られているように感じてしまうのです。

他人から何かを要求されたなら、
自分の意志で要求されたレベル以上のことを
やってみようと考えればよいのです。

「言われたからやる」のと、
「自分からすすんでやる」のとでは大きく違います。

自分からすすんでやったことが
他人に喜んでもらえれば、
それが自信にもつながります。

ここで間違ってはいけないことは、
決して卑屈に他人のご機嫌をとったり、

何でも他人の言いなりになったりするのが
よいというわけではないということです。

わがままな人からの
不当な要求にさえも屈してしまうのは、
自分の意志をもっていない証拠です。

「自分からすすんで
他人のためになることをする」ということは、

「相手の喜びであると同時に、
自分にとっても喜びである」ことが前提です。

「私はこれだけのことをやってあげましたよ」などと
恩に着せることなく、さりげなく行うのが理想的です。

判ってくれる人は、
ちゃんと判ってくれます。

判ってくれなくても、
それが自分の喜びであれば充分なのです。

他人のために何かをしてあげることが、
自分の喜びでもあると感じられるならば、

「してやったから感謝しろ」ではなく、
「させてくれてありがとう」と
思えるようになるはずです。

もしあなたのまわりに、喜ばせてあげたいと
思えるような人がひとりもいないのだとすれば、

そんな貧しい人間関係しか
結んでこなかったことを反省すべきでしょう。

「他人をどう愛せばよいのかが判らない」という人は、
「自分がどうされればうれしいのか」を
見直してみてください。

それが単なる利己心ではなく、
互いにとっての幸せであるならば、

そして

相手への感謝の気持ちを忘れないならば、
堂々と要求していいのです。

自分にとっての本当の喜びを知れば、
自然に「他人に何をしてあげればよいか」も
判るようになるはずです。


▲http://www.earth-words.net

誤解を恐れずに言えば、

私たちが日頃抱いている、
悩みというもののほとんどは、
「どうでもいいこと」なのです。

こだわるから苦しいのです。

「世の中も他人も、
自分の思い通りになるべきである」

と考えているから、
思い通りにならないことに
腹が立つのです。

悩みが解決されるのは、
外部の障害が取り除かれた時ではなく、

自分がその障害への
こだわりを捨てた時です。

+++++++++++++++

自信が持てるか持てないかは、
「できること」と「できないこと」の、

どちらに意識を傾けるかによって、
決まります。

できることをやり尽くして、
それでも物足りなければ、
できないことに挑戦すればよいのです。

「できることをやり尽くす」ことさえ、
並大抵のことではないでしょう。

++++++++++

矛盾するように
聞こえるかもしれませんが、

よい人間関係を築きたければ、
まず、ひとりの時間を楽しめるように
ならなければなりません。


単に「孤独感を紛らわせるために
付き合っている」だけの人間関係など、
何の意味もありません。

孤独を楽しむことができれば、
「付き合う必要のない人に気を遣う」
というストレスから解放され、

自分にとって有意義な人との
付き合いに専念できます。

+++++++

他人は、自分の気持ちを
理解してくれなくて当たり前。

人生は、思い通りに進まなくて、
当たり前。

だからこそ、
人の優しさが心に染みるのであり、

親しくしてくれる人には、
心から感謝しなくてはならないのです。

++++++++

自分にとってどうでもいい人、
嫌いな人に批判されたからといって、
気にすることはありません。

嫌いな人にどう思われようが、
どうでもいいことではありませんか。

言いたいことを
言わせておけばよいのです。

+++++++++

恋人や友人がなかなかできないと
悩んでいる人は、

何とかして他人と親しくなろうと、
必死になってしまいます。

しかし、誤解を怖れずに言えば、

人付き合いにおいて、
「必死になる」のはよくありません。

必死で他人と親しくなろうとする人は、
えてして「相手に自分を認めさせること」
ばかり考えてしまいます。

自分のことで頭がいっぱいになり、
冷静さを失い、人間関係でもっとも重要な
「相手を思いやる気持ち」を忘れてしまうのです。

そういう利己的な態度こそが嫌われ、
結局「自分はこんな努力しているのに、

どうしてそれを理解してくれないのか」
と相手を責めることになってしまいます。

「親しくなれればうれしいけど、
そうならなくても別によい」と

気軽に考えたほうが、
結果的にはうまくいくものなのです。

++++++

自分を愛せない人は、

「今の自分は嫌いだ」
「何とかして変わりたい」と、

現在の自分を
否定してしまっています。

しかし、否定から進歩は生まれません。

逆説的に聞こえるかもしれませんが、
「今のままでもいい」と受け入れてはじめて、
成長することができるのです。

人間は、一生かけても完璧にはなれません。

程度の差はあっても、
死ぬまで発展途上なのですから、
同じことです。

発展途上の現在を
否定することはありません。

今の自分を土台として、
これから少しずつ積み上げて
いけばいいのです。

+++++

人付き合いに勝ち負けはありません。

「損をすること」に怯えて、
神経をすり減らすよりも、

「損得など気にしない」ことのほうが、
はるかに心豊かに生きることができ、

自分にとっては絶対に「得」なのです。

++++++

他人を「気が利かない」と非難する人は、
自分よりも気が利く人から

「お前は気が利かない」と非難されても、
文句を言ってはいけません。

他人を知識が浅いとバカにする人は、
自分よりも教養のある人からバカにされても、
仕方がありません。

そう考えると、私たちは、
うかつに他人を非難してはいけない、

非難する資格などない、
ということに気づきます。

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コメント
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dot 2016.03.25 00:34 | 編集
> 他人をどう愛せばいいのか。
> 気ごころが合う人はいいですが、考え方がまるっきり違う人を、やはり無理しても愛さなければいけなのでしょうね。
>
> そういう無用なこだわりをそもそも持たず、無条件に
> 相手を許し愛の心を持って接していくことがやはり人間だから求められるのでしょうね。いま世界で起きている、テロ事件を起こす人々との解決もそこにあるのかなあ。
>
> 一番難しい問題のように感じました。でも一番基本かもしれないと思いつつ。
ナガサキ・ブタローdot 2016.03.25 00:37 | 編集
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