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2016
08.01

いろんな見方があって面白い

Category: 雑記つれづれ


小さな会社を起業して、
社長といってもスタッフは三名ですから、
自社製品の良さを売り込みに奔走する毎日です。

毎日、いろんな会社の担当者と話をします。
実にいろんなタイプの方がいます。

同じ話題でも、
そんな見方をする人がいるのかと
ビックリさせられることがあります。

本日のブログでは、私が聴き入って感動した動画に
意外な感想コメントがあったので、
そうした参考事例として掲載します。

結論としては、自分がなるほどと思ったことでも、
そうではない人もいて、決して絶対ではない!
ということになるかと思います。


▲https://www.youtube.com/watch?v=Z19EUIU8gzc

動画の文字原稿(概要)

人と人、心と心が通い合っている時というのは、
私たちはこの上もない幸せを感じるものです。

そのために私は「感謝の心」とそして常に
自己を省みるこの「反省の心」、

そして相手を思いやる「敬意の心」、
この三つがとても大切だと思います。

何故、私がこういう考え方に到ったかというと、
昔、大峯千日回峰行という
修行を通じて得た世界観だと思います。

千日行とは1日48kmの山道を1000日間歩き続け、
その行が終わると今度は9日間に及び
飲まない、食べない、寝ない、横にならないという
修行を続けます。

私は幼い頃この修行をある日テレビで知りました。

とても純粋な気持ちでこの修業に
「挑戦したい」と思いました。

なぜ 10代の子供がこのような修行に
挑戦したいと思ったのかはわかりませんが、
小さい頃からみんなが仲良くするためには
どうしたらいいのだろう。

そして、どうして人と人とは争うのだろう。

それを解決するには、一体どうしたら良いのだろう
ということにとても興味を持っていたからかもしれません。

私が挑んだこの千日回峰行をお話しする前に、
少しだけ日本人が持つ宗教観について
お話ししたいと思います。

この日本という国には昔から日本人が信じてきた
「神道」という民族の宗教がありました。

そこに538年大陸から「仏教」が伝わって、
この二つは共に排他性と独善性が少ないため
日本において結びつきました。

大自然に対しての共存や感謝の気持ちを大切にする
「神道」と人間がよりよく生きていく為の生き方を
提示してくれる「仏教」が

この日本という国において
深く融合しやがて「和」の精神を
大切にするようになりました。

そして、

大自然に「生かされている」という
世界でも珍しい考え方をするようになったのです。

たとえば、 2011年3月11日この東北という
地域に大きな地震と津波が襲いました。

私達は大きな苦しみと多くの困難を抱えました。

深い悲しみの中でも人々は互いに助け合い、
そして食料を分け合い「和」の精神を大切にして
精一杯生きておりました。

その姿が世界中に発信され
「日本人は素晴らしい」と多くの賞賛を得たと
聞いております。

震災からしばらくするとある海外のメディアが
「この日本という国の人たちは

大自然に生かされているという考え方を持っていて、
いつまでも自然を恨んではいないこれには驚きです」と
コメントしたことがとても印象的でした。

そういう信仰観のあるこの日本ならではの修行である、

まさに大自然と向き合う大峰千日回峰行に挑戦するため、
私は奈良の吉野山・金峯山寺に向かいました。

この行に入ると一日48kmの山道を
16時間かけて毎日歩き続けなければなりません。

そして5月の3日から9月の3日までの4ヶ月間を
行の期間と定めその期間は雨が降ろうが
嵐が来ようがどんなに体調が悪かろうが

途中で辞めることができません。

もし万が一、途中でやめなければならないと
自分で判断したならば、

短刀でもって腹を切って
その場で行を終えるという厳しい掟があります。

なぜそこまで厳しいかというと、
たった1日でも48kmは大変なこと。

これを千回も続けるということは
死ぬくらいの覚悟がなければ、

この行には入ってはいけませんという
強い戒めのための掟であり、
命を軽んじている考え方ではありません。

行に入ると毎日23時30分に起床します。

そして滝に入り装束を整え
おにぎり2つと500mlの水を持って
午前0時半、目指す山頂が24km先にある
1719mの大峯山山頂を目指します。

途中、急な斜面や断崖絶壁のような悪路もあり、
まさに一瞬一瞬が命がけです。

山頂到着が朝の8時30分、
そこでおにぎりと水を補給し

また来た道をたどって帰ってくると夕方の3時半、
そこから掃除、洗濯次の日の用意をして
また4時間半ほどの睡眠でこの4ヶ月を通します。

一日のほとんどがおにぎりと水で生活しますので、
一か月ほどで栄養失調でぼろぼろと爪が割れてきます。

三か月目になると40度以上を超える
気温の中歩きますので血尿が出てしまいます。

山では熊、猪、マムシが
いつ襲ってくるかわかりません。

そういった中を日々精一杯前を向いて
歯を食いしばって修行をいたします。

行の中で私は心に思ったことを
日記に書きつづっていました。
それを拝読してみたいと思います。

17日目 “行者なんて次の一歩が分からないんだ。
行くか行かないかじゃあない。
行くだけなんだ。理屈なんか通りやあしない。

もし行かなけりゃあ、短刀で腹を切るしかない。
そう 次の一歩が分からないんだ

行に入ると肉体的・精神的には
非常に日々極限状態に追い込まれます。

しかし、心の中はいつも潤っていました。

それは何故かというと、
自分がこの行を通して精一杯努力をして

何か世界の人たちのために
何かお役にたてるような人間になりたいと

いつも心の中で強く夢や希望に
満ち溢れていたからかもしれません。

しかし、1300年の中で、

まだ一人しか達成していないという
この修行は困難を極めました。

最低3回は生きるか死ぬかの
試練があると言われております。

まず1回目は大きながけ崩れに
巻き込まれそうになったこと、

2回目は熊に襲われかけたこと、

そして3回目は
488日目から10日で11kgも
痩せてしまうという体調不良でした。

489日

「腹いたい」
「たまらん」
「体中のふしぶしが痛くたまらん」

道端に倒れ、木に寄りかかり、
涙と汗と鼻水を垂れ流しでも

人前では毅然と
俺は人に希望を与えさせて頂く仕事、

人の同情を買うようでは
行者失格だと言い聞かせ
やっと蔵王堂に帰ってきた。

なんで48km歩けたんだろう、

さっき近所のおばちゃんが
「軽い足取りやねえ 元気そうやねえ」と

俺は「はい ありがとうございます」と答えたが
本当は違うんだよ。

俺の舞台裏は 誰も知る人はいないだろう、
いや知ってくれなくていい。

誰に見られることを意識しない
野に咲く一輪の花のごとく、

「御仏に対しただ清く正しくありたい」

何日も高熱が出て何も食べることができず、
そして、私は495日目とうとう山の中で
力尽き闇の中に倒れてしまいました。

その時の心境はというと
「辛い」とか「苦しい」とかという感覚は
全くありませんでした。

そして

何かにくるまれているような
そういう感覚でした。

そして朝を迎えたら
自分がここで死を迎えると
自分で感じておりました。

すると、幼い頃からの記憶が蘇り
いろんな人にお世話になった事を思い出し、

こんなところで倒れてはいけないと
強く前に進んだから今の自分がここにあります。

人間が生死を彷徨うような体験をすると
人生観が変わると言いますけれども、
その後書きつづった日誌を読んでみましょう。

563日“人間は皆平等であると思います。

この地球に生まれ、空気も、水も、
光も平等に与えられていることを
感謝しなければならないと思います。

夜空の星の数は人間が
一生かかっても数えきれないといいます。

それを考えたならば、もっと心豊かに
生きていかなければならないと思いました。

自分の胸に手をやれば心臓が動いています。

しかし、永遠に動いていることはないと思えば
人生という与えられし限られた時間を
大切に生きれるはずです。

自分を大切にするように

他人をも尊重するということも
忘れてはいけないと思います。

思いやりの心が私たちに幸せをもたらす道です。

朝起きる、歩く、食べる、寝る、
人間生活の原点にかえりたった
一人お山にいるとこんな事を考えてしまいます”

「同じことを同じように繰り返して
情熱を持って毎日を過ごしていると悟る可能性がある」と

今から2500年前釈尊が言われました。

ここに行の意味があります。

日々、汗し涙しそして歯を食いしばり歩いていると
「人間として大切なものは何か」ということに
自分が気がつき始めます。

その極限の世界で感じたことが
「感謝の心」であり「反省の心」であり

相手を思いやる「敬意の心」。

しかし、こういうことは、
とても日常当たり前のことであって
小さい頃家庭で教わるようなことです。

けれども、自分自身が
本当に生きるか死ぬかの瀬戸際になったときに

「こういうことが大事だったんだ」ということが
心の奥底で実感できるようになるのであります。

大切なのはあらゆる存在との調和だと思います。
我々一人一人は かけがえのない存在であります。

誰でも自分が可愛くて自分が大切です。

だからこそ自分を大切にするように
人を尊重するという事を第一に考えなければなりません。

心から相手を思いやるその思いやりの心や言葉や行動が、
人と人とをつなぎ合わせその功徳が回り回って

自分の心を潤し、そして我々が光ある人生へと
導かれていくことでしょう。

争い対立からは心の喜びは生まれません。

今、与えられたこの環境を真摯に受け入れて
向き合ってみることも大切です。

向き合うことによって初めて何かが生まれます。
そして絆が深まります。

もちろん向き合うことによって
様々な問題を抱えてしまったり
困難を抱えてしまうかもしれません。

しかし、互いに尊重し合い敬意を払い
話し合うことによって、
そこで新しい方向性が見えてくる場合もあります。

私たちこの東北人も大きな困難と向き合い
そして絆を深めてきたからこそ
今ここまで復興してまいりました。

日本人はよくあいまいだと言われますけれども
決してそんなことはありません。

多岐にわたる選択肢の中から
人と人とをつなげて、
そして良き方向へと考えられる民族です。

この「和」の精神を日本の東北から
発信していかなければならないと私は思います。

世界中の人と人そして国と国、
宗教や文化が互いに敬意の心をもって

お互いを尊重しそしてすばらしい世界が
この世の中に実現することを心から深く願います。

世界の平和や我々一人一人の人生に
「幸あれ!」とみんなで祈りましょう。

そして、今日も世界のどこかで
食料が無く大変な思いをしている人たち、

こういう人たちのために
何かできる範囲内で私たちが
行動をおこなさなければならない時期だと思います。

心を広く持ってみましょう。

この大自然は 微妙でかつ素晴らしい
バランスでもって包み込まれております。

人間がどのような技術を持ってしても
作られない素晴らしい世界に包まれています。

ここにいることだけでも感謝だと思います。

そして、
人と人、心と心が通い合った時、

私たちはこの上もない
幸せを感じるものだと思います。

そのために、私たちはこの地球に
生まれてきたんだと思います。

皆さんの人生に幸あれと心から願います。
ありがとうございました。

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これはこれで凄まじい人間の
努力の結果だと思いました。

しかし、残念なことに
私にはそれ以上に感銘を受けることが
できませんでした。

インドのヨガ行者にも
極限的な難行苦行の果てに、

肉体も脳もボロボロになり
心身障害者になっただけの人を
多く知っていますが、

この方は今回の行を通し、今後、
どのような悟りを世の灯火、

人の光としていただけるかだけに
大きな関心があります。



悟りですか?

千日回峰行ですか?

自慢話ですねぇ。

貴方の苦行より 
日々命掛けで戦っている人は多いのです。

生活を賭けないで、
回峰行三昧 好いですねぇ

うらやましい!

生活を賭け、屈辱に耐え、
ひもじい思いをしている人に比べたら、

気楽なものだ。

千日回峰行なんて自慢話で楽しいでしょう、

もし 貴方が
人を思いやる気持ちが有るのなら
自慢話は止める事だ。



1300年で一人
・・・だからどうしたんですか?

確かに中々できないことを
やり遂げたことには敬意を表しますが、

それによってこの方は
何を悟られたのでしょうか?

ありきたりの道徳的なことだけですか?

苦労話が大半ですね。
自慢話の類にしか聞こえません。

この修行をやり切ることが
目的だったとしか思えませんね。

修行の厳しさに自慢話より
悟った内容が肝心だと思いますがね。

その部分に対する確信と熱意は
ほとんど感じられません。

大変無駄なことに
時間と労力を費やされたみたいですね。

釈迦も難行苦行は否定しています。

あなたのお話で目の前の病苦・
経済苦・人間関係に悩む人を救えますか??

それがすべてです。

自慢話は聞いていても何の役にも立ちません。

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