因縁果の道理『運命を生み出すのはすべて自分の行い』



2017.06.14

『縁』という言葉があります。
和語では「ゆかり」とも読み、
私達も様々な場面で使います。
「ご縁があった」
「縁結びの神社」
「縁日が開かれる」
「縁談がすすむ」
「縁故関係を洗え」
ところが、改めて、「縁」って、どんな意味?と聞かれると、きちんと説明できないものです。
じつはこの『縁』という言葉は、仏教から来た言葉であり、仏教を理解する上で極めて大事な意味を持ちます。
仏教では、「万物事象は、因と縁が結びついておきる」と説かれています。
この図をご覧ください。

『因』とは「原因の(因)」
『果』とは「結果の(果)」
「始まり」がなければ「終わり」がないように、「原因」がなければ「結果」はありえない。
「原因」があれば、必ず「結果」が生じる。格言で言えば、『自分でまいた種』とも言いますが、仏教ではこれを『因果の道理』、正確には「因縁果の道理」と言います。
「原因の『因』」に『縁』が加わると、『果』が生じるのです。
お米を例に考えてみましょう。

お米は「モミ種」から作られますから、お米の「因」はモミ種です。
しかし、いくらモミ種があっても、畳の上にまいていては何十年待っても、お米という「結果」は得られません。
土や温度、水や空気など、いろいろな条件がそろって初めて、お米が獲れます。
仏教では、これらのことを『縁』といいます。すべてのことは、「因」と「縁」が和合して、初めて「結果」が現れます。
これを「因縁果の道理」といい、「因果の道理」は『縁』を『因』に含んだ言い方をします。
『因』だけでは絶対『結果』は起きませんし、『縁』だけでも絶対『結果』は生じません。
『因』と『縁』が和合して『結果』が現われる
こうした関係を徹底的に、精密無比に説かれているのが仏教です。学ぶほどに、釈尊が精緻極めてこの道理を明らかにされていることに感嘆するばかりです。

すべては『因』『縁』和合して生じた『結果』
お釈迦さまは、 一切法は因縁生なりといわれ、すべての物事は、因だけでは結果は生じない。
因と縁とが結びついて初めて結果になるのだと教えていかれました。
因は同じでも、縁が違えば、結果は異なります。
たとえば、同じ品種のモミダネを使っていても、土壌の良し悪し、 田んぼの手入れの良し悪しといった環境の違いによって、 出来るお米の味は変わってきます。
縁が変われば結果も変わるのです。
ですから、お釈迦さまは、より良い縁を選びなさいと教えて行かれました。
なぜなら、私たちの心は弱く、ちょっとした縁でコロコロと変わるからです。
「 朱に交われば赤くなる」と言われるように、周りにいる人や環境などの縁に大きく影響を受けてしまうからです。
どんな人に交わるか、どんな環境に身を置くかで、これからの人生も変わってきますから、周りにいる人や環境という縁はとても大事です。
縁の大切さを教えた「孟母三遷の教え」
孟母三遷の教えということわざは、縁がいかに大切かをよく物語っています。
今から二千四百年前にいた中国の有名な思想家・孟子は、少年時代、墓場の近くに住んでいました。
学業はそっちのけで、葬式ごっこをして遊んでばかりだったので、母親は見るに見かねて商店街に引っ越しました。
すると、「今日はいくら損した得した」という商人の会話を聞いて育ちました。
孟子に家事を頼むと、「時給いくら?」と言ってきたり、損得勘定で動くようになってきました。
子供の頃から損得だけで動く人間になってはいけないと心配した母親は、ついに学校の側に引っ越しました。
すると、周りには勉強熱心な友達も多く、学校の先生も近くに住んでいたので、孟子は一生懸命に勉強するようになったという話です。
孟子という人は、今日でも教科書に出てくるような人ですから、 元々とても優秀な人だったと思いますが、もし学校のそばに引越さなければ、 歴史に名を残す思想家にはなっていなかったと思います。
私たちはどんな人に出会うかで人生がガラリと変わります。
自分に自信がなくても、自分を理解して励ましてくれる人に出会えば、 人生は好転します。
逆に、才能や能力に恵まれていても、努力を軽視する環境にいれば、 せっかくの才能を生かせないまま、一生を送ってしまいます。
あなたの能力や才能を生かし、よい結果を手に入れるためには、 今いる環境が自分にとってよいかどうかを考えてみましょう。
どんな環境であっても、まいたタネに応じた結果があらわれる
どんな素晴らしい先生に出会っても、自分が勉強しなければ、自分の成績はあがりません。
どんな素晴らしい人を上司にもっても、自分が努力しなければ力はつきません。
逆に環境に恵まれなくても、自分が努力したことは全部自分に返ってきます。
いい縁を選ぶことは大事ですが、もっと大事なことは、どんな環境でも、より良いタネまきをすることです。
環境は選べるものもありますが、選べないものもあります。
今、ここで、自分がどんなタネまきをするかは、自分で選ぶことができます。
スポンサーサイト