2017
07.28

人付き合いに疲れた時におススメの本の紹介!

Category: 幸せの思考法


人付き合いに疲れた時におススメの本の紹介!

私は、人並みに愛想が良いつもりでいます。若いときに、周りの人を見て「愛想が良い人はトクをするなぁ」と感じたからです。

しかし、いまだに人と会ったあとは少し疲れます。テンションをムリに上げて、愛想を振りまきすぎるのかも知れません。

とは言っても、もういまさら、こんな人付き合いのやり方は変えられない気もします。そんな中で、こんな本を読みました。


「無愛想のススメ・人間関係が劇的に改善する唯一の方法」

なんとなく面白そうだったので買って読んだのですが、これがなかなか深いことが書いてありました。

本日のブログでは、この本を読んだ方々のブログ記事を集めてみました。人付き合いがちょっと苦手な方にもおススメの本です。

各記事のタイトル画像に本ブログのURLを貼っています。クリックして本ブログも覗いてみてください。

あなたのお役に立つたくさんの記事に出会うかも知れませんよ♪




▲TABI LABO

人間関係が今よりずっとラクになる「無愛想」のススメ

いつも誰にでもニコニコしていて「愛想の良い人」は、一見すごく人付き合いがうまそうに見えます。

でも、その笑顔のウラには「人に嫌われたくない」という恐怖や不安で満たされている場合が多いものです。

そういう人は「無愛想」を身につけることで、人生を一変させることができるかもしれません。

池田潤氏の著書『無愛想のススメ 人間関係が劇的に改善する唯一の方法』を参考に、その効果について見てみよう。

「無愛想になる」とは自分を愛するということ

「愛想の良い人」は基本的に「相手のこと」を考えている。

小さい頃から「他人のことを考えなさい」と言われてきたし、学校でも空気を読むことが大事とされたからだ。

しかし、「愛想の良い人」たちの多くが、こんな悩みを抱えている。

「自分に自信が持てない」
「やりたいことがわからない」
「恋愛がうまくいかない」
「仕事で思うような成果が出せない」


表面上ではこの社会をうまく生きているように見えるが、じつは「いい人」ほど悩んでいるのである。

「愛想の良い人」は本当に他人のことを考えているのだろうか?いや、そうではない。

彼らはただ「他人に嫌われないために愛想を良くしているだけ」なのだ。

いつも他人基準で行動をしているため、

・自分のやりたいことができない
・言いたいことが言えない
・我慢してしまう
・怒れない
・オープンになれない


といった悩みが出てくる。ここでいう「無愛想になる」とは、他人がどう思うかではなく、自分がどうしたいのかを大事にするということだ。

無愛想の「在り方」って?

もちろん、実際に無愛想な表情をするという意味でもあるが、大切なのは無愛想で「在る」ことだ。それは、

・自分の好きなように生きる
・自分基準で生きる
・嫌なものには嫌と言う
・他人からの承認に執着しない
・自分を愛し他人を愛する

ということだ。

無愛想であるという「やり方」と「在り方」両方を身につけることで人生は間違いなく変わる。

人に嫌われないためにはどうすれば良いか。それはいくら愛想を良くしたり、嫌われないために努力をしても無駄なのだ。

なぜか?それは、根本的な自己認識が変わっていないからだ。

「自分は普通にしていたら嫌われる」という自己認識を持っていること自体が、うまくいかない最大の原因なのだ。

世の中の情報の多くは、人のコンプレックスを刺激するものだ。

そしてそのコンプレックスは外の何かで埋まるものではなく、無愛想という「やり方」と「在り方」を身につけ、自己認識を変えることで埋まるものなのだ。

一ヶ月「お人好し」引退宣言

メンタルジムに参加しているある男性が、試しに一ヶ月間ほど「お人好しを演じる」のを辞めてみたところ、周りの自分への扱いに劇的な変化があった。

職場で尊重されるようになり、忙しいときには相手のほうから進んで声をかけてきて、仕事を手伝ってくれるようになったのだ。

これまで周りに気を使い、必死に愛想笑いをして周りのために自分を下げて努力しても、まったく報われることはなかったというのに。

そういった努力をすべて捨て、無理な愛想笑いをやめ、お人好しをやめ、自分を大切にし、周りに気に入ってもらおうとせず、気に入られなくても構わないと思うこと。

周りに大切に扱ってもらいたいなら、まずは自分が自分を大切に扱うことが大事なのだ。

人から軽く扱われるのは、自分が自分を軽く扱っているからだ。

無愛想になることで手に入るもの

無愛想になってみると、面白いことが起こる。試しに、次に挙げることをやってみてほしい。

・軽く扱われたときは、不機嫌になる。
・返信する気がしないメッセージは遠慮なく既読スルーする。
・相手の話が面白くないときは笑わない。
・相手のご機嫌をとるようなことは言わない。
・相手の期待に応えない。
・行きたくないところには行かない。
・「相手に悪いから」という理由でやっていたことをやめる。
・じつは言いたかったことを言う。
・遠慮なく、やりたかったことをやる。
・他人から否定されても、それでもやる。
・媚びない、ペコペコしない、下手に出ない。


これらは「やり方」だが、大事なのはこれらが「内面に変化を起こすアプローチ」であると知っておくことだ。

これをやっているうちに次第に

「自分は自分を大切にできる人間だ」
「普通にしていていいんだ」
「自分の思ったことをやっていいんだ」


という内面感覚が生まれるようになる。

現実に変化を起こすためには、自分の内面の自己認識を変えなくてはいけない。内面の変化を起こすために現実的な行動を変化させていくのだ。




▲木村成実OfficialWEBSITE

「無愛想」と「愛想」って究極は同じってことに気付かされた件

いつもお世話になっている池田潤さんの新刊『無愛想のススメ』を読み終えた。

派手なピンクのカバーが素敵で、ブックカバーもつけずにあちこちで堂々とこの本を出していたら、大抵の人が目をこちらに奪われているっぽい。

今日も、だんなさんとブックカフェに行き、この本を二人して開いていたら、店員さんに

「その本何ですか??すっごく素敵な本ですね!」

って声をかけられ、図らずもこの本を店員さんにリコメンドすることになった。笑

「無愛想のススメ」ってどんな本?

さてさて、この本で主に言われていることは、

「愛想笑いをやめて、無愛想になることで自分を大切にする」ということ。

「愛想がいい」というのは、今、あまりいい意味で捉えられていないように思う。「愛想笑い」なんて典型的。

「愛想」という言葉は他人の機嫌を取るための言葉や振る舞いという言葉として、世間に認識されているように思う。

私も、32年間の人生において、愛想笑いをして生きてきた時間がかなり長かった。

小学2年生を皮切りに、学生時代長くイジメに苦しんだことが大きい原因だと思う。

親・友達・先生に「どうやったら好かれるか」ということを、常に考えていた。

その癖は、年齢を重ねて、大人になっても、私の中に根付いていた。

だから、本の中での著者の体験に心を重ねて泣きそうになったり、共感したりすることがかなり多くて、読み進めるのが大変だったくらい。

「そうだよね〜〜」って思う箇所はたくさんあったけれど、特にお気に入りなのはこの部分。


魅力的であるということは、無愛想に己を活かし続けるということ。

他人がどうこうではなく自分に与えられたものを活かそうとする姿勢それ自体が人を惹きつけるのだ。

他人に愛想を振りまいて卑屈になるのではなく、無愛想になって自分を活かし続けよう。



新しい何かを生み出せる人というのは、人々のニーズを満たそうとする人ではない。

人々の心に新しいニーズを生み出す人だ。

最初は欲しいと思っていなかったけれど、その人の発信する情報や世界観、生き様に触れているうちに、欲しいと思うようになっている。

物もサービスも溢れた今の時代、そういう人が活躍する時代になるのではないかと思う。


他人に目を向けたところで、自分はいつまで経っても魅力的にはなれない。

他人を満たすことで時代を作るのではなく、自分の生き方を貫くことで時代を作る。

私も、そういう生き方をしたいと願っているから、改めてハッとさせられた。

究極、「無愛想」と「愛想」は一緒である

そうは言っても、自分のことを少し振り返ってみると、昔より随分無愛想になれている部分もあるなぁとも感じてる。

私のことを批判してくるだけで何も解決しようとしない人たちがいる集まりの中で愛想を振りまいてい続けていたけれど、そこを辞めた。

自分の生き方、価値観にそぐわないと思って、会社も辞めた。

いい子でいよう、長女の責任を果たそうと愛想良くしていた両親や妹との同居も解消した。

もちろん、正直に言うと、これまでいた環境を「脱する」というのは、私にとって怖かった。

それでも、一旦、周りに対して「どう思われてもいいや」って無愛想になれたからこそ、私は今の自分を手に入れることができた。

そんな自分のプロセスを振り返ってみると、「無愛想」と「愛想」は、究極的には一緒だなぁっていうことに気づいた。

「愛想」って、冒頭にも書いたけれど、「他人の機嫌を取る」っていう意味で使われがち。

けれど、「愛想」という言葉を調べてみると、「人に対する好意・信頼感」という意味もある。

要は、周りに無愛想になり、自分の気持ちを大切にすることは、自分に愛想良くしてあげること。

さらに言うと、自分に愛想良くしたら、一旦自分自身にも無愛想になってみること。

なぜなら、ずっと「他人の機嫌を取ってきた自分」というのは、無意識の領域で他人からの影響を受けたままの状態だから。

この本に書いてある、


過去や未来の扉には、無愛想でいよう。

大事なのは、今だ。


今この瞬間できることは何か?に意識を向けて、できること、やりたいことをする。それだけでいい。



自分に「そこ重要?」と突っ込もう。


というフレーズは、まさに「自分自身」に無愛想になることを書いているんじゃないかなと思う。

他人に無愛想になったつもりでも、「自分自身をストップさせる要素」が自分自身の中にあるということに、気づく過程だから。

私自身、周りに無愛想になり、自分がいる環境を抜け出す時に、そんな自分が「逃げている」ように思えて仕方なかった。

けれど、それって私自身が長年培ってきた私自身の中にある不安や恐怖だったりする。

そんな自分の不安や恐怖そのものにも「無愛想」でいる。

この「愛想笑い」→「無愛想」→「愛想」→「無愛想」…っていうプロセスをそのものが、自分を良くしていく秘訣なんだと、私は思う。

「無愛想のススメ」、奥深し!

この本が書いていることは、

「愛想笑いをやめて、無愛想でいよう」

というアプローチではあるけれど、真実はそんなに単純じゃないと私は思ってる。

他人の機嫌を取る「愛想」をやめて、一旦他人に対して「無愛想」になってみる。

そうすることで、自分を信頼し、愛してあげるという「愛想」を大切にしてあげる。

その過程で、時には自分の内側で自分を妨げる要素に「無愛想」になってみる。

その結果、自分が良くなっていき、自分が本当に大切に思える人に好意を持ち、信頼する「真の愛想」の循環が生まれる。

だから、「愛想と無愛想」、「自分と他人」は違うようだけど、最終的には全部繋がっている。

めっちゃ奥深い♡

愛想笑いをする人って、本当は人が大好きで、人と繋がりたいって思ってるからこそ、愛想笑いするんだと思う。

その場その場で他人の機嫌を取ることは、手っ取り早い手段だよね。

けれど、それでは人間関係を良くしていくことはできない。対処療法だから。

だからこそ、一見遠回りに見える「無愛想」というアプローチこそ、巡り巡って最終的には人間関係が良くなる。

それだけ深く自分自身を見つめる過程を踏んでいるわけだから、原因治療ができてるんだよね。

潤くんも、ブログなどでこの本について

『大事なのは、「ずっと無愛想でいる」っていうことじゃない。

「無愛想でいられる自分」という選択肢を持てるかどうか、ということ。』

って書いてあるけれど、本当にその通りだと思う。

私自身、まだまだ外側に対して無愛想になりきれてない部分もあったりする。

そんな時は無愛想になってみる。

1人でいて、なんかうまくいかないマインドになっているなぁと思う時もある。

そんな時は自分のネガティブな部分にも無愛想になってみる。

これくらいの使い方でいい。

間違った「無愛想」にならないで!

だから、この本を読んで勘違いしないでほしい。決して、「冷たく、無愛想な表情」であることを勧めているわけではない。

余計な愛想笑いはやめて、「真の愛想」からの笑顔に変えていくために。そのために「無愛想」の循環を起こそう、ということ。

私は、この本をそういうメッセージで受け取った。

今の世の中、きっと、無意識に愛想笑いをしている人は多いと思う。

私の銀行員時代なんて、振り返ってみたら愛想笑いの人ばっかりだったし。

だから、この本に救われる人は本当にたくさんいると信じてる。

まだ読んでない人は、ぜひ読んでみてね。




▲星野幸三オフィシャルブログ.

【無愛想のススメ】愛想が良い人は恐れている。

「良い人どまり」の人が必要なのは「無愛想」になること。

「無愛想のススメ」という本を読んで感じたのは、「良い人」だけでモテない人は、相手に合わせようとしすぎているんじゃないかということ。

相手の顔色をみて、愛想よくしている。だから、「良い人」で終わってしまう。。。
  
そんな人ほど「無愛想力」を身につけたら、「自分軸」で生きられる。そう、思います。
 
見開きのところに書かれていた一言が突き刺さりました。

「愛想が良い人は、恐れている。」ということで、「無愛想のススメ 池田潤著」を読んだのでシェアです。

まず、僕自身は一般的には「愛想が良い」という風に分類されると思います。

というのも、第一印象で次のことをよく言われるからです。

「さわやか」
「なんでもできそう」
「頭よさそう」

ただ、中には「腹黒そう」という人もいます。笑

初対面で、「あなた腹黒いよね」と。笑

(僕のことがそう見えるってことは、そう言ってくる人もきっと腹黒いんだと思って「うんうん」と流しています。笑)

で、僕は自分の「さわやかさ」を自覚してますし、「腹黒い」部分があるのも知っています。

ただ、数年前と今とで大きく違うのは、その全てを受け入れて、表に出しているということ。

で、その上でどう思われてもいいと思っています。全部が僕自身なんですよね。

他人から見たら、「さわやか」に見える人もいるし、「腹黒い」風に見える人もいます。

そうやって、「他人軸」で判断してしまう人のことをこの本では「愛想の良い人」と言っているような気がします。

(僕の言葉で話しているので多少ニュアンスは違うかもしれません。)

じゃぁ、「無愛想な人」といのはどういう人か?

一言で言うと、「自分軸」で生きている人です。

見開きにも書いてありますが、「愛想の良い人は恐れている。」この一言が本書を言い表しているなぁと感じました。

無愛想の人は、基準が自分自身にあるから恐れが少ないんですよね。

自分軸で物事を判断し、行動に移せるから、他人を気にしないで(無愛想をつらぬいて)いられる。

この本は「無愛想」というキーワードをもとに、いかに「自分軸」で生きるかを説いた本だと感じました。

著者がいじめられたたった一つの理由

そして、この本で印象に残っている部分が、著者がいじめられていた過去があったとのこと。

そして、そのいじめられていた理由が「なるほど・・・」と、感じたのでシェアしますね。

これは「いじめられる」人だけではなく、

・よくからわかれる人
・よく怒られる人
・よくバカにされる人


にも共通することなんじゃないかと思います。

著者はいじめられている最中は、「愛想よく」していたらしいんです。いつも強気で笑顔だった著者。

なのでいじめっこは、いじめられる著者の気持ちがわからなかった・・。だから、著者はいじめられていたと。

そして、ある時いじめっこの前で、著者がいじめられた時の気持ちを嗚咽しながら話したそうです。

強くいることをやめ、愛想よくいることをやめ、笑顔でいることをやめたんです。

その時の気持ちを素直にいじめっこに言ったそうです。


いじめていた子は、それまでの私の気持ちなどわからなかったのだろう。

なぜなら、私はいつも笑顔だったからだ。しかし、本当は傷ついていた。

彼らは心の底から悲しみを表現している姿を見て、自分たちがやってきたことの重みに初めて気づいたのだと思う。

そのときから、いじめられることは一切なくなった。(本文より、引用)


この文が非常に印象的でした。「愛想よく」いることで、相手に気持ちが伝わらない。そのため、いじめられていた・・・と。

いかに、自分の気持ちに素直にいることが大切か、著者自身の体験を持って話してくれているようでした。

自分自身、「愛想よく」してしまってはいないか。

この本を読みながら、自分自身の生活で相手に合わせすぎている部分がないか考えるようになりました。

「それは本当に心の底から自分が望むことなのか?」ということを、常に自問して次の行動に移すように心がけていく。そう決意させる本です。

「無愛想」をすることで、本来自分がやりたかったこと、自分が好きで力を発揮できることがより鮮明になる。そう感じました。

他にも印象に残っている部分はありますが、詳しくは本を買って読んでくださいね。^^


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