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2017
11.15

この程度で済んで良かったなぁ!



「ノドが乾くから、飲んだ水が美味しく感じる」ように、不快の「不」が解消された特に「快感」を覚えます。

逆を言えば、「幸せ」を感じるためには、まず解消されるべき「不幸」が必要ともいえます。

逆を言えば、「ラッキー」を感じるためには、まず「アンラッキー」が必要ともいえます。

見方を変えれば、幸せも不幸も、ラッキーもアンラッキーも、自分に起こった単なる現象に、自分が勝手に良し悪しの判定をしているだけかも知れません。

とすれば、自分にこれから起こること自体は回避できない訳ですから、その判定や解釈の仕方を自分に都合良く見直すことで、日々の暮らしはより良く変えられるのではないかと思います。

*********

相手が奥さんや子供でも、あるいは仕事上の関係者でも、相手から文句を言われることは決して気持ちの良いものではありません。

けれども、「その言い方が頭に来た!」なんて感情的なことを脇において反省をしてみれば、「たしかに自分の方が配慮不足だったなぁ。これからはもっと注意しよう!」という前向きな教訓が得られます。

***********

私は最近、つくづくいろんな方々のお世話になったり、支えてもらったりしながら生きているんだなぁと思うことがあります。

それは勿論、妻や子供たち、さらには職場や周りの方々もそうなのですが、特に天からお守り頂いているなぁと感じるのです。

「幸せ」というのは、物理的に豊かな暮らしが出来ることやお金に不自由しないと言うことではなくて、「幸せ感」のことだと思います。

「ああ、嬉しいなぁ」
「ああ、美味しいなぁ」
「ああ、気持ちいいなぁ」
「ああ、楽しいなぁ」
「ああ、恵まれているなぁ」

そうした感覚に浸れるためには、お金は要りません。

「気づく」だけで良い訳です。

一見、アンラッキーと思える状況の中にあっても、ものの捉え方次第でそれをラッキーなことに変えることができます。

それを一言で言うと、「ああ、この程度で済んで良かったなぁ!」という感謝の気づきです。

つまづいて転んで骨折する人もいるのに、すりむいただけで済んだら、それは「ああ、この程度で済んで良かったなぁ!」という捉え方もあります。

仕事に遅刻して、上司からこっぴどく叱られても、減俸やクビにならなかったのだから、「ああ、この程度で済んで良かったなぁ!」という捉え方をできます。

起こってしまった現象はどうすることもできません。

そんな時に「なんて自分は不幸なのだろうか!」と嘆くよりも、「ああ、この程度で済んで良かったなぁ!」と捉え直した方が前に進める気がします。

お金持ちではなくても、健康ではなくても、誰でもいつでも気づき方次第で「幸せ感」に浸ることはできるのです。

不快な出来事は、そんな気づき方を磨く修行であると考えれば、「こんなこと、へっちゃらだい!」と言う気分も湧いてきます。

「ああ、この程度で済んで良かったなぁ!有難いなぁ!」

あなたにこうした捉え方を提案するのには、次のような信念があります。

わが子である「私」や「あなた」に対して、親である神様が意地悪をするハズがない。

もっと成長できるように、幸せのしつけ(修行)をしてくれているんだと。

ひさしぶりに更新する本日の転載記事は、現在の状況を「しんどいなぁ」と感じている方に読んで頂きたい内容です。

タイトル画像に転載する本サイトのURLを貼っておりますので、どうぞそちらの方もクリックしてご覧下さいませ。

あなたの気分をもっと明るくしてくれる記事に出会えること請け合いです♪



不幸の先払い

ちょっとでも何か思わしくないことが起こるたびに、「不吉だわ」とか「運勢のバイオリズムが不運モードに入ったのでは?」と考えると、いらない不安を抱えることになったり、ますますツキから離れる遠回りになったりします。

たとえば、道で転んでヒザを擦りむいたときに、「何か悪いことが起こる前触れ?」と考える人がいます。

「神様が怒っているのだろうか?」と考える人もいるようです。

私は逆にそういうとき「ああ、良かった!」と思います。

それはなぜかというと、あそこで転ばなかったら、その先の道で交通事故にあっていたかもしれないと思うからです。

転んで、「イテテテ」とヒザのケガ具合を確認していると、そこで数分かの時間が経ちます。その時間のズレのおかげで、交通事故にあわずに済んだかも知れないのです。

神仏が大きな「魔(突然襲ってくる大きな不幸の落とし穴)」から救ってくれたのだと思いますし、実際にそうであることが多いのです。

それとは別に、ここで不幸が一つあったから、しばらくは平穏無事に過ごせるなぁ~とも思います。

先日、自宅で小さな火傷をしました。

「こんな火傷やけど、一日で治るわ!この程度ですんで良かったぁ!」と思いました。

そして、この小さな火傷をしたことで、しばらくの間、不幸はないだろうと言う安心感に包まれました。

また、私はよくコピー用紙で指を切ったりもするのですが、そういう場合も、「もしも交通事故なんかでお腹が切れたらエラいことやん。こんなイテテ程度で済んで、ありがたい・ありがたい」と思います。

私は、願いを叶えてくれる南米のエケコ人形を持っているのですが、以前これを家族が不注意で玄関の靴箱から落とし、首が折れたことがあります。

その数日後には、自分の不注意で掃除機を扇風機に引っ掛けて倒してしまい、扇風機の首(?)をポッキリ折ってしまいました。

買い換えなければならないので予定外の出費です。

普通はここで「不幸すぎる!」と思う場面ですが、でもこの時も、「ああ、これでしばらく不運は来ないな!」と思いました。

これは言い換えるならば、不幸の先払いをしたということになります。

こういうことが起きるたびに、私は「大きな不幸や事故を、小さな不幸で終わらせてもらえて有難い!」と思います。

しかし、大きな部類の不幸がバンバン重なり、もう、自分は不幸・不運なのだと認めざるを得ないくらいマイナスの出来事オンパレードとなれば、それは、日常的に細かい不幸の先払いをしているのではなくて、人生において、まとめて不幸の先払いをしている可能性があります。

解りやすく言うと、人生の前半は苦難続き。

自分の人生にはこの先、何ひとつ希望が持てない…という状況だったとしても、それはやはり不幸の先払いをしているだけで、後半になると、それまでのことがウソのように、明るく幸せな日々が待っているというケースなのです。



世の中には、

執着しなくてはいけないものと

しなくていいものがあります。



例えば、カップルが別れ話をしたときに

最後、お互い言い合って別れてしまいますが、

この時に、あまり相手に執着しないほうがいいです。



なぜかというと、

こっちが正しい、あっちが正しいと言った所で、

私からすると、仲が悪くなったのであれば

別れればいいだけの話だからです。



では、ここで執着しなきゃいけないことが

あるとしたら何かというと、

相手が幸せになること、相手を幸せにしたいこと

に執着すればいいんです。



その人が、幸せになることに執着していて

それでも別れたとしても、

結果的に、別れれば相手は幸せになります。



相手が幸せになってほしいと想っていたら

相手にエネルギーが届くんですよね。



そして、仕事も一生懸命、

執着することは必要です。



もちろん、一生懸命仕事に執着するのはいいですが

執着してはいけないこともあります。



ここで考えたいのは、

仕事は、人様の役に立てば

儲かるようになっていますよね。



ところが、それが儲からないとしたら、

今までの古いやり方に執着をしているということです。



常に新しいやり方を出していかないと

時代についていけず、儲からないのです。



では、なぜ人は、どうでもいいことに執着するのか?

ということですが、

私の考えは、自分に執着しているからです。



この世の中は、面白いことに

自分に執着しすぎると

間違いが起きるようになってるんです。




一つ言えることは、

あなたは自分のことに執着しなくても

天に守られているということです。



なぜかというと、

あなたは意識していなくても、

努力していなくても呼吸してますよね。



お腹空いたら

ご飯食べてます。



暑いと服を脱ぎますし、

寒いと服を着ます。



あなたは、努力していなくても

ほっておいても、なるようになっているんです。



なので、それ以外のことは、

あなたが周りの人を愛することに執着することです。

あなたの愛を分けてあげることです。




あなたのできることをすればいいんです。

あなたの余ってる力や愛は、

人様のお役に立ちます。




こういう話をすると、

「お金にならないことはしたくない」

という人いますが

こういう考えをしてるから

お金を持ってないのです。



「私はもう歳だから」

「私は何も与えるものがない」

とか言うんじゃなくて、

周りに何かできることはあるかなと

意識すればいいんです。



人間は成長する生き物なので、

今がどうこう関係ないです。



少しは周りの人のことを考えてみると

普段見ている景色が変わりますよ。



自分ばかりベクトルを向けるのではなく、

周りにもベクトルを向けて

自分のできることをしていきましょうね。




***以下、動画音声の文字おこし(出だし部分のみ)****

天の声を聞くっていう話です。

決して難しい話でもなんでもないんですけど、人間には3通りの人間がいるんだよっていうことを分かってもらいたいんです。

1つはですね、自分だけのことを考えてる。

自分だけの事を考えてる。

要するに自分からしか物を見れない人って居ますよね?

で、そういう人って意外と好かれないんですけど。

もう1つ、相手の立場になってモノを考える人がいるの。

そうすると、こっちの都合はこうだけど相手はこうだよね?って。

仕事でもそう。自分の都合ばっかし言ってるんじゃなくて、お客さんの気持ちも考える人っているじゃない?

その他に、もう1つ。

天に神様がいるとして、ですよ。別に信じなくてもいいんですよ?

だけど、もし天に神様がいて、自分を成長させてくれようとしてるんだ

そうしたとき、起こったことすべてを有り難いと思えるような捉え方が必ず出来る。

だから、こんなことが起きちゃった。

その時、神様がこういう問題を起こしてくれたとしたら、自分はそれに対してなんて答えたらいいんだろう?って。

※続きは、動画の音声をお聞き下さい。




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