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ナガサキブタロー

Author:ナガサキブタロー
シニア初心者の
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あなたは一人じゃないから大丈夫!

   


私は、毎回ブログの記事を書く時は、

「ねぇ、こんな言い回しをした方が分かりやすくない?」

(ピピッと具体的なインスピレーションを脳内で受信)

私「そうかなぁ…。ああ、なるほどねぇ!」

「あっ、そこで改行しなくっちゃ!」

私「えっ?う~ん…。そうやねぇ!改行が良かねぇ。了解。」

「あんなことも書いたら、意図が伝わりやすいかも。」

「そこ、大事な箇所だから、黄色のマーカーで塗らなくちゃダメじゃん!」

「いやぁ、それは今回書かない方が良いと思うけど…。」

いつも守護霊さんとの間で、こんなやり取りをやっています。

むしろ、こんなやり取り自体が楽しいから、新たな記事を書き続けていられるのかも知れません。

と言っても、実際に声が聞こえて来る訳ではなくて、そんな気が「強く」するだけなのですが、私には解るのです。



だから今回のテーマは、「あなたは一人じゃないから大丈夫!」としました。

つらく苦しい出来事でも、守護霊さんが見守ってくれていると信じられたら、「大丈夫!なんとかやれる」気がしてくるから不思議です。

その心強さを、あなたにお伝えできたら嬉しいなぁと思って、今回の記事を書くことにしました。

個人的には、守護霊さんは「私の頼り甲斐のある指南役」みたいな感覚です。

私は絶大なる信頼を寄せています。

「守護霊さんがいつも傍にいてくれてるから大丈夫!」と小さくつぶやくだけで、どんな状況の中でも心が保てます。

今年63歳にもなるおっさんなのに、アホですね私は(笑)



トップ画像に「守護霊は、愛の伴走者」と言うサブタイトルを入れました。

なぜ私が、守護霊さんを「伴走者」に例えようと思ったのか?

まずは、下の画像をご覧下さい。

守護霊さんに対する私のイメージが、この一枚の画像に象徴されています。



「伴走者」ってご存知ですか?



「伴走者」とは、視覚障害をもつランナーの傍に寄り添って走るサポーターのことを言います。

伴走者の役割は、視覚障害をもつランナーが安心して走れるように安全を確保し、周りで何が起きているか状況を説明することです。

またランナーが走りやすいようにフォームや走路、ペースに気を配ります。



■この世での課題が見えない「魂」の知覚障害ランナーたち。

私たち人間の本質は「魂」です。

この世に生を受けた時に、本来の世界である霊界や前世での記憶を忘れる決まりになっているために、自分一人で生きていると思い込んでいます。

だから、生まれる前に「今度の人生では、こんな体験をしてこんなことを学んで来ます!」と神様方と交わした計画(人生のカリキュラム)から外れてしまいがちなのです。

ある人はごう慢になり、

ある人は本当の自分ではないキャラを演じ、

ある人はストレスで自律神経をやられ、

ある人は引きこもりになったりしてしまいます。

そういう意味では、苦悩を抱えながら人生を「迷走」している私たちは、魂の知覚障害者みたいなものなのです。

そんな迷える人生ランナーである私たちに、本来の走るべきコースを導き、叱咤激励しながら伴走してくれる存在が守護霊さんなのです。



守護霊さんの存在を受け入れるためには、

①死後の世界がある。

②人間は、何度も生まれ変わりながら、魂を成長させている。


この2つのことを受け入れることが不可欠となります。

私は死後の世界の存在を受け入れたからこそ、逆に生きる勇気を手に入れました。

死後の世界の存在について知ることは、生きる意味を見出すことに繋がります。

なぜかといえば、死後の世界=あの世が私たちの本来の家(ホーム)であり、この世には魂の修行に来ているだけだからです。

分かりやすく言い換えれば、私たちは「この世」という研修センターで、住み込みで学んでいる研修生みたいなものなのです。



以前の職場には、技術研修で海外の若者が沢山来ていました。

まさにそんなイメージです。

研修を受けている訳ですから、苦手なことも沢山体験します。

守護霊さんは、さしずめ指導官(コーチ)みたいなものでしょうか?

しかし、苦手だからこそ、それをクリアし習得できた喜びもまたひとしおなのです。

そんな視点で、今の人生を眺め直して観ると、あらたな気づきが得られるかも知れませんね。

■霊感が強くて「幽霊が見える」と悩む知人。

以前、私が勤めていた会社に資材を搬入してくれる業者さんの中にAさんがいました。

Aさんとは気があって、そのうちに個人的に飲みに出るようになりました。

ある夜、カラオケで賑わうスナックの片隅で雑談をしていた時、Aさんがこんなことを言い出しました。



「あのね…。私、幽霊が見えるんですよ。」

「今もホラ、向こうのボックス席で寂しそうに座っていますよ。」

「できるだけ見ないようにしないと、楽しめないんですけどね…。」

テレビで霊能力者がそんなことを言う分には、ふ~んと聞き流すことができます。

しかし、ごく身近な仕事仲間からそれを言われるとキツいものがあります。

「やっぱり、死後の世界ってあるんだ!」と、私が確信した瞬間でした。


▲過去の記事:死んだ後を知らずして「終活」と言うなかれ

■このブログを始めた理由。

私は生来、気が弱いところがあり、そのもろさを克服したいと思って、

20数年前から、精神世界のいろんな書籍や関連サイトをたくさん読んで学んできました。

あの世の世界についての情報には、確かに、恐怖をあおるだけの下劣な記事もたくさんありました。



しかし、心の問題は、自分自身で解決するしかありませんから、自分の気弱さを後押ししてくれそうな情報を読み続けたのです。

心理学の情報もずいぶんと読み漁りました。

それらの中から、「なるほど」と合点できた情報だけをブログに書き溜めてゆこうと考えたのです。

自分がいつでも読み返せるようにするためです。

だから、このブログは、私の生きる気力を補充するための「セルフ給油所」みたいなものなのです。

私は、「知ること」「学ぶこと」で”強く生きる力”を養ってゆけると信じています。

■「死後の世界」の存在を受け入れると、合点できることが多い。

「神様」
「魂」
「霊界」
「生まれ変わり」

「そんなのウソだ!」という人がいます。

それはそれで良いのです。

だれも死んだことがないから、ウソか本当か証明することはできません。

だけど何故、

あんなに正直で真面目で優しい人が貧乏で、

あんなに傲慢でイヤな野郎が、金持ちで威張って豊かに暮らしていられるのか?

どうして自分は、あの時あんなイヤな目にあったのか?

どうして自分は、最近良いことばかり起こるのか?

どうして自分は、絶体絶命の大ピンチの時は必ず、不思議と手助けしてくれる人が現れるのか?

それらの答えが、「神様」や「あの世」の存在やこの世が「魂の学び」の道場であることを受け入れることによって、なんとなく合点できる気がするのです。

神様の存在を否定して、「人生に起こる出来事は、全て偶然にすぎない」とするのなら、「幸運」とか「奇跡」などを期待すること自体が「おかしい」という話になります。

もしそれが事実なら、私なんかは生きてゆく自信を失ってしまいます。

「死後の世界」の存在を受け入れ、「いろんな出来事は”魂の学び”として起こっているんだ」と解釈して初めて、それらを乗り越えようという気力も湧いてきます。



あなたの守護霊さんは、あなたが生まれる前から、実はあなたのそばにずっといました。

そして、あなたが生まれてから今日までの、山あり谷ありの一瞬一瞬に、あなたと共にいたのです。

そうです。

小学四年生の時、学校で毎日イジメられて、それを親に言えなくて、「もう死にたいなぁ…」と膝を抱えて泣いた、あの夜にも。

高校一年生の時、初めて彼女が出来て、ドキドキしながら初デートで手をつないだ、あの公園通りにも。

やっと就職が決まった日、子供には無関心だった筈の親父が、涙ぐみながら大声で万歳三唱をしてくれた、あの夜にも。

ごう慢の塊のような上司から標的とされ、そのストレスから「俺、会社辞めるかもしれない…」とこぼした時、奥さんが初めて子供を授かったお腹をさすりながら、「そう決めたのならそうしたら。私たちはついてゆくだけだから」と重ねた手の温もりに、「冗談だよ」と笑って闘志を取り戻した、あの夜にも。

浮気がバレて、子供を連れて奥さんが家を出て行こうとした時、幼い我が子が「パパも一緒に行こう!」と差し出した、その小さな手に、「どうか、どうか、勘弁して下さい!もう二度と浮気なんかしませんからー!」と号泣しながら地面に額をこすりつけた、あの夜にも。

定年退職した日、肩を落として家に帰った時、家族みんなが玄関先で待っていて、「お父さん、長い間お疲れ様でした。有難う!」と花束と焼酎ボトルをくれた、あの夕暮れにも。

守護霊さんは、ずっとあなたのことを見守り、その痛みや喜びを自分のことのように共感しながら、

一緒にハラハラしたり、ときめいたり、悲しんだり、嬉しがったりしてくれていたのです。

あなたがそのことに、ただ気がつかないで今まで生きてきただけです。

そう、あなたはこれまで一人きりではなかったのです。

あなたがもう忘れている人生のどんな時にでも、守護霊さんはあなたのすぐそばに寄り添ってくれていたのです。

なぜなら守護霊さんは、あなたのピュアな魂が生まれる前の世界で計画してきた、

「この人生での学びのカリキュラム」に沿って、あなたが実際に体験しながら学んでゆくことを、

深い愛情をもって支援するサポーターとして神様から任命された方だからです。



ヨチヨチ歩きのわが子や孫が転びそうになったら、私たちは思わず、支えたり抱き上げてしまいます。

しかし、転んで痛い思いをすることで、その子はバランスを取りながら歩くことを覚えるものです。

守護霊さんが、私たちを支援するスタンスもまさに「それ」なのです。

この点をキチンと踏まえておかないと、「守護霊なんて、本当はいないじゃん!」と嘆きたくなるのです。

守護霊さんは、確かに私たちを、いつの時も暖かく見守ってくれる存在です。

でも、優しさや暖かさの次元が違うのです。

だから、人間の常識レベルからすれば、実はそこまで甘い存在ではありません。

たるんでいる時、引き締めるべき時には、喝(かつ)が入ることも覚えておきましょう。

それを「冷たい」と感じるのか、「有難い」と感じるのかは、あなたの解釈次第ですが…。

守護霊さんの愛のムチに関して、分かりやすい記事がありましたのでご紹介します。


▲http://tukioyobu.air-nifty.com/

私がよく読ませてもらっているサイトの一つです。

以下、転載記事です。

守護霊さんは、物理的な危険から守ってくれますし、

霊的に支障が出そうな場所や状況では、悪い波動から身を挺してあなたをガードしてくれています。

勿論、普段の日常生活の中でも見守ってくれています。

守護霊さんは、詐欺や大きな間違いが起こりそうな時も助けてくれます。

けれども、必要であれば、あなたのために愛のムチも与えてくれることもあるのです。

その方向に行ってしまうと最初は成功したように見えるけれども、

結果的には大失敗をしたり、怪我や大病になる時には、事前に傷が広がらないように「失敗」や「病気」をあなたにプレゼントしてくれるのです。

もし表面だけを見て、素晴らしい会社や結婚相手と見えても、その本質は守護霊さんだけが分かっているのです。

その時には、あなたはリストラされたり、結婚相手にふられたりします。

あえてその人に会わないように小さなトラブルや事故を経験するかも知れません。

それは全部、守護霊さんの愛あるギフトなのです。

あなたの願いが叶わない時も守護霊さんからのギフトもあります。

とても自信のある願いだったのに、何か不思議に妨害が入ったり、思いもかけない不運やトラブルで台無しになった場合など・・・・

何故かと言うと、

その願いがあなたの魂からの計画と違っていたり、変な方に脱線してしまう願いの時は叶いにくいのです。

いつも無理してて、体が壊れてしまうほど危険な状況なのに、自分で全く気付かない時にも、叶わないときがあります。

誰一人として守護霊さんがいない方はいません。

絶対にあなたを守り続けています。

あなたの守護霊さんは、少ししんどそうですが(冗談です。笑)

スリピチュアル系の書籍や情報サイトなどで、「自分に起こる出来事には意味がある」とされるのは、上記のような守護霊さんの計らいのことを言っているのですね♪



自分の前世を知りたがる人が多いようですが、実は知らない方が良いのです。

前世の自分が誰からも慕われる善人で、裕福でハッピーな人生を送った人物だとは限らないからです。

考えてもみて下さい!

仮に、自分の前世の人生が100年前だったとします。





その頃は、今ほど平等ではない封建的な社会だったでしょうから、身分や貧富の差も歴然としていたことでしょう。

例えば、前世の自分が、100年前の農家の娘として生まれ、貧しさゆえに遊女として身売りされた揚げ句、若くして梅毒で悲惨な末期を迎えていたとしたらどうでしょうか?

そんな前世の記憶を引きずりながら、今の人生を心穏やかに生きられるでしょうか?

例えば逆に、前世の自分が、100年前の裕福な庄屋の跡取り息子として生まれたのに、放蕩三昧のせいで身上を潰し、最後は町のならず者にドスで刺されて死んでいたらどうでしょうか?

あるいは、可愛い初孫がヨチヨチ歩きしながら、「ワシは前世で大工の棟梁じゃった」なんて言い出したら、愛情をちゃんと注げるでしょうか?

「あの三軒先の家の赤ん坊は、ワシの前世の嫁でのぉ…」なんて言い出した日にゃ、ビックリして白目剥いて卒倒するかも知れません(笑)。

そうなのです。

面白がって、前世の記憶なんて知ろうとしない方が良いのです。

輪廻転生の際に、前世の記憶を消すのは、神様の計らいなのです。

しかし、そのせいで、今の私たちはスピリチュアルな世界への理解がしづらくなっているのです。

つらくて苦しい時に、そっと傍に寄り添ってくれている守護霊さんの温もりが感じられなくなっているのです。



スピリチュアルなサイトを覗くと、「この人生に生まれる前の霊界で、どんな人生を歩み、どんな試練を通して魂の学びをするか、大筋を決めてから産まれて来ている!」と言った記述が大抵書かれてあります。

その点は、私も実感しています。



だって、「思考は実現する」とか「引き寄せの法則」などの本を読んで、いくらその通りに実践しても、実現しないものは実現しないからです。

たとえば、あなたがカラオケが得意だとして、「よし、プロの歌手になろう!」とマジで努力しても、そんな人生シナリオで産まれて来ていなければ、いくら努力しても、レコーディングのチャンスすら手に入らないのです。

その意味で、プロ野球選手や役者やミュージシャンやモデルや画家などを目指して頑張っても、日の目を見ずに挫折した人が山ほどいます。

そんな自分の人生シナリオにない夢は叶わないようになっているのです。

夢破れた時、その努力や犠牲にしてきたものが多いほど、人は嘆き悲しみます。

「もう、私の人生はこれで終わった…」と失望のどん底に落ち込む人もいるでしょう。



けれども、輝く未来へと向かう道は一本きりではありません。

泣くだけ泣いて顔を上げた時、未来を指し示す「道しるべ」に気がつくように、守護霊さんが仕向けてくれているのです。

■人生のシナリオ(大筋)があの世で決められる過程

魂があの世で、次の人生の課題をどのように立てて条件設定をするのか?

それをイメージしやすい記事がありますのでご紹介しますね😃

このブログで以前に書いた記事の一部を転記します。

これは、「チャネラー」と呼ばれる霊界通信が出来る海外の霊媒師さんが著書で記した一節です。



自分の今生での学びのシナリオは、

会社の社長となって、雇った従業員たちと「働く喜び」や「助け合う喜び」を共に味わうことだったのに、

傲慢な性格を増長させて、ワンマン経営を続け、経費を浪費して愛人に貢ぎ、家庭を崩壊させてしまった。

自分は今生では、誰ひとり、いや自分さえ、幸せにできなかった。

だから、今度生まれ変わる時は、しがない貧乏人として生まれ、

人を温かく支えながら、つつましく生きてゆく人生を体験しなおしたい。

どうか、神様。

もう一度、私にその学びのチャンスを下さい!



本当に自分がそうやって、魂の課題をクリアするためにこの世に生まれてきているとのだとしたら、思うようには上手く行かない人生も、なんだか許容できる気がします。

もっと現状を受け入れて、その中で幸せに生きてゆく道を模索してゆくべきではないのかと思ったりもするのです。

モノの豊かさが絶対的な心の豊さを保証してくれないのは何故でしょうか?

おそらくそれは、魂の喜びではないからでしょう。

魂の喜びとは、人生の課題をクリアして成長することだけのようです。

だから、本当に幸せになるためには、スピリチュアルな知識も少しは必要なのです。

では、私たちの人生の課題とは何でしょうか?

それは、個人個人で違うでしょう。

誰もそんなことは教えてくれませんから、自分で気づいてゆくしかありません。

ヒントは、自分が授かったこの人生の条件設定そのものの中にあり、その中でどれだけ心豊かに生きることができるかにチャレンジすることではないのか?

私はそう思えてなりません。

現状肯定

もし現状の暮らしの中で不満に感じることがあるとすれば、それは生前の自分が今生の自分に託したハンディ=負荷であるかも知れません。

「どうか、この負荷に惑わされないで人と仲良く心豊かに生きてくれよ!」と言う「自分が自分に託したメッセージ」なのかも知れません。

生前に自分が設定した負荷なら、「まあ仕方ないか」「受けて立とうじゃないか」とそんな気にもなれます。

最近、そんな風に考えています。



守護霊さんが喜ぶ生き方

それは、日々の暮らしの中で、あなたが精進してエゴを減らしてゆく生き方です。

エゴとは、執着や欲望のことで、「自我」と言い換えてもいいものです。

私たちは、この世にこのエゴをまとって生まれてきました。

エゴとは、あなたの光輝く魂の一部にこびりついた「陰り」です。

魂磨きとは、その「陰り」を削ぎ落して、本来の魂の光を取り戻すことです。

守護霊さんは、日々の暮らしの中で、あなたがエゴを減らしてゆく生き方を実践してくれることを強く望んでいます。

それがあなたが、今生に生まれた唯一の目的だからです。

けれども、これはなかなかに大変な精進です。

■「エゴ」ってなに?

「人より経済的に豊かになりたい」

「人より成功したい」

「人に認められたい」

「エゴ」とは、「エゴイズム」の略語であり、

日常語としては、「自分勝手、わがまま、利己的」というような意味で使われています。

簡単にいえば、エゴ=自我のことです。

他人の利益は考えず、自分の利益を中心に考える思考。

「自己中心的」と似たようなもので、利己的な衝動の「原因」になるものです。

「エゴ」は、悪者扱いされてますが、実は、自分を守るための「心の防衛システム」でもあります。

・私のプライドを守るため

・私の居場所を守るため

・私の価値観を守るため

・私の時間を守るため

・私の立場を守るため

・私のお金を守るため

・私のイメージを守るため

・私の存在を守るため

この「私の○○」が失われそうになったとき、私たちは「恐れ」を感じてしまいます。

「自分の○○」を守るために、他人の悪口を言ったり、キレたり…

私たちは、これを守ることに必死になって毎日を生きています。

自己中心的な人というのは、人一倍「私の○○」に対して敏感な人。

それが過剰防衛になってしまうと、他人に壁をつくったり、自分を見失ってしまいます。

■エゴを手放す生き方

どこかのサイト記事に、エゴの支配から自分を解放するための七つの心得えが書かれていたので、それをご紹介します。

<エゴの支配から自分を解放する七つの心得え>

1)「屈辱された」と思うのはやめましょう。

2)「勝たねばならない」という思いは捨てましょう。

3)「正しくなければならない」という思いから解放されましょう。

4)「人より上でなかればならない」という思いから解放されましょう。

5)「もっと欲しい」という思いから解放されましょう。

6)「過去の業績」で自分を判断しないこと。

7)世間の評判から解放されましょう。

この7つの心得えは、私達がいつも機嫌よく過ごすための心得えでもあります。

「エゴ」は、持って生まれたものです。

「エゴ」を否定しては、苦しむばかりです。

心理学関連の本やサイトなどを見ると、「エゴをいかに手放すかが幸せのカギ」なんてさらりと書いてありますが、

「エゴ」は、人間のDNAの中に書き込まれた「本能」だから、生きている限り、手放すことは簡単ではないのです。

むしろ、「エゴ」とどう付き合ってゆくかが重要なのです。

「エゴ」を自我=欲と解釈すれば、好奇心や向上心の原動力としてこれからのシニア人生にとっては必要なものでもあります。

「エゴ」の奴隷になっては苦痛な人生になります。

「エゴ」の支配者にならねばなりません。

要は、自分を苦しめる「悪性のエゴ」に転化させないことです。

手なずけてゆくことです。



守護霊さんは、普段私たちが⽣活をしている時にも、ちゃんとメッセージを届けてくれています。

これを受け取れるようになるには、どうすれば良いのでしょうか?

私たちには、「直感」「ひらめき」という感覚があります。

この直感、ひらめきを大切にすることが、守護霊さんからのご支援メッセージを受け取りやすく、見逃しにくくなる秘訣でもあるのです。

大事なことは、まず守護霊さんが守ってくれていることを受け入れることです。

いつも守られていることに感謝すること。

その気持ちさえあれば、「直感」や「ひらめき」を通して、ご支援のメッセージを受け取れます。

本気で試してください。誰でも絶対に出来ます!

私は、何か悩み事がある時は、言葉に出して、その解決方法を守護霊さんに尋ねます。

すると、遅くても2~3日のうちには、「直感」や「ひらめき」を通して回答が届きます。

いつでも知恵を貸してくれるのですから、あなたも守護霊さんをもっと頼りにしてはどうですか?

■最後に

長い文章をお読み下さり、有難うございました。

最後に、私たちシニア世代にとって、これから意識すべき魂の課題について書き添えます。

2015年の8月に更新した記事ですが、自分でも何度も読み返しておきたい記事です。



「喜び上手」は「喜ばせ上手」です。

心から喜ぶと、してあげた相手を良い気分にします。

もっとしてあげたくさせます。

「喜び上手」な人は、してもらったことをいつまでも忘れずに、好意的な態度を崩しません。

いつもニコニコしてます。



私たちは、これから歳をとります。

身体能力が衰え、いつか人様のお世話が必要になります。

私たちのお世話をしてくれる家族や施設のスタッフさんに、「やってあげて良かったな」と思われる喜び上手になりましょう。

それは自分のためだけではなく、相手のためにもなります。

長い間、お世話になるかも知れません。

嫌われるよりは好かれましょう。

そのためには、もっと「喜び上手」になっておきましょう。

■しっかりした人ほど陥りやすい錯覚

私達は、「人に迷惑をかけてはいけない!」と厳しく言われながら育ってきました。

"自分のことは自分できちんとやる!"

そのルールの中でずっと生きてきました。

けれども、これから更に歳を重ねてゆくと、身体能力が衰えてきて、不本意ながらもだれかのお世話になる場面が増えてきます。

そんな時、しっかり者と言われた人ほど、「ああ、人に迷惑をかけているな…」とつい、自分を責めてしまいます。

それは、自分の長年のルールに反するからです。

けれども、「老い」は避けては通れないこと。

老いるということは、その人の落ち度ではありません。


誰もが遭遇する自然の成り行きです。

だから、状況や環境が変わったのなら、自分のルールを変えなくてはなりません。

自分の老いをしっかりと受け止め、だれかの助けを借りて生きることを前提に、古いルールを見直し、新しいルールを取り入れてゆく必要があるのです。



たとえば、あなたがいつか、自分で下の世話が出来なくなった時、

あなたの大便を処理してくれる相手に「済まないねぇ、申し訳ないねぇ…」と繰り返すのは適切ではありません。

それは実は、相手に気を使っているようで、情けない自分を嘆いているだけなのです。

それは、感謝とは言いません。

悪臭を放つあなたのお尻を嫌な顔もせず、キレイにお手入れしてくれる相手への慰労の言葉になっていません。

「済まないねぇ…」は、お詫びの言葉です。

「ありがとう!おかげで気持ち良くなったよ!」

これが感謝の言葉です。

自分のことをキチンと自分でこなして来た人ほど、人様からお世話になる体験が不足しています。

だから、相手への慰労の言葉がすぐに浮かばないのです。



■受け取ることが与えること。

人には「承認の欲求」というものがあります。

「人から認められたい」

「人の役に立ちたい」


それが「承認の欲求」です。

あなたのお世話をしてくれる相手に素直に、「おかげさまで」と口や態度で伝えることは、受け取っているようで、実は与えてもいるのです。

「あなたのおかげだよ!」

「おかげで気持ちいいよ!」

「いつも助かっているよ!」


本当に「有難い!」と実感しているのなら、そんな言葉が自然にポンポンと口をついて出てくるものです。

それは、下心とは無縁の感情です。

卑屈になる必要は全くありません。

してもらった分だけ、気持ちをお返しすれば良いのです。



とってつけた「ありがとう」より、素直に喜んでいるあなたの姿が相手の「承認の欲求」をどれだけ満たすか…。

気持ちをお返しするということは、心から喜ぶということです。

してあげたことに対してちゃんと喜んでもらえたら、もっとしてあげたくなります。

それが人情というものです。

してあげて良かったと相手も嬉しくなります。



赤ちゃんを思い出して下さい。

赤ちゃんは、何にも人の役に立てません。

人にお世話してもらうだけです。

けれども、その愛くるしさ自体が人に安らぎと頑張りのエネルギーを与えます。

老いてはますます壮なるべし!

こんな生き方は、そんじょそこらの若造には出来ない芸当です。

人のお世話になりながら、相手に良いエネルギーをお返しすることはできるのです。



喜び上手

それが、老齢期の魂の課題です。

「どれだけ相手に感謝させて頂くことができるか?」

それを生きる愉しみとするのです。


「何もできない自分はみじめだ」と自分の殻に閉じこもり、

お世話してくれる相手の想いに応えようとしない、

そんな「尽くし甲斐のない」爺さんや婆さんになり果てては、それこそ相手が迷惑します。

あなたのお世話をする人は、あなたが手がかかるお年寄りであることは百も承知なのです。

相手が自分のために何かをしてくれたら、それを素直にキチンと受け取る。

そして、その分「おかげさまで」という気持ちをきちんとお返しする。


それで50/50、フィフティフィフティです。

あなたは老いても、誰にも迷惑をかけないのです。

そのことを、身をもって体験するステージがまもなく訪れます。

人一倍がんばり屋のあなたには、自分のルールを少し変えないと、難しい学びになるかもしれません。

老いて人様のお世話になることは、相手に迷惑をかけることではありません。

人様の親切や好意の中で、有難く生かさせて頂く修行なのです。



赤ちゃんのように、お世話をしてくれる相手を喜ばせる存在になるための修行です。

感謝のお返しさえ忘れなければ、いつまでも心穏やかに生きてゆけます。

そのことを、身をもって習得するステージがまもなく訪れます。

心の準備はできていますか?



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