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ナガサキブタロー

Author:ナガサキブタロー
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なんとなく幸せ♪

   


今回のテーマはなんとなく幸せです。

「マイナスの反対はプラス」ですが、その間に「0(ゼロ)」があります。

プラスではないけれど、決してマイナスではない状態です。

「幸せ」とは何かについて考える時、「不幸ではない状態」がすでに「幸せな状態」ではないかと思うようになりました。

「ぼちぼち」「そこそこ」な状態こそが、幸せの真髄ではないのかと思うのです。



例えば、今もらっている年金が2倍になっても、次の支給月からは、その金額をもらえることが「当たり前」になってゆきます。

「すごく幸せ」な状態は、そう長くは続いてはくれません。

だから、突発的な「超ラッキーな幸せ」よりも、

「なんとなく幸せ」という幸福感が、平均的に続くことが、実は「一番有難い」のではないかと思うのです。



幸せとは、幸せ「感」のことです。

「有難いなぁ…」

「うれしいなぁ…」

「恵まれているなぁ…」

「楽しいなぁ…」

「美味しいなぁ…」

「きれいだなぁ…」

「気持ちイイなぁ…」


ごく普通の暮らしの中にある、そんな「小さな幸せ」に対する感度を高めてゆくことこそが、人生を豊かにするコツなのだと思います。

見方を変えれば、ワガママでイヤになるダンナさんだって、自分で食事やトイレや入浴をやってくれるだけで、とても有難い存在なのです。

ダンナさんの自宅介護で、自分の楽しみの時間をガマンしている奥さんがどれだけいることか!

そのことに気づくだけでも、「いつも元気で有難うねぇ」とダンナさんに感謝したくなるハズです。

もちろん逆も然りです。

幸せのタネは、「そんなの当たり前だ!」と軽視していることの中に、埋もれているのかも知れません。

本日も、過去の記事の中から、関連する箇所を書き出して読み返してみようと思います。



「今日も平凡な一日だったなぁ…」

時々ため息をつきながら、そんなことを考えていませんか?

大きな変化も刺激もなく、無駄な一日のように感じますが、それは大きな間違いです。

「平凡な一日」と思いがちですが、実は「奇跡の一日」だったのです。


自分や家族が交通事故に遭わずに済みました。

仕事で大失敗せずに済みました。

突然の下痢に襲われずに済みました。

置き引きやスリに遭わずに済みました。

鳩に糞を落とされずに済みました。

人と喧嘩をせずに済みました。

大切な家族や友人を失わずに済みました。

家が火事にならずに済みました。

まだまだたくさんあります。

「平凡な一日」とは、「あらゆる災いをすべて避けることができた一日」と言い換えることができるのです。

本当にそうです。

だから、奇跡の一日です。

災いがなかった幸せを、素直に喜ぶことです。

だから、今日は幸せなのです。

※引用先:Happy Life Style『平凡な1日にある幸せに気づく』



「小さな幸せ」は、誰のまわりにもたくさんあります。

でも、道路の片隅にひっそりと咲く花のように目立ちません。

・そういう「小さな幸せ」に気づけるかどうか?

・その幸福感に価値があると思えるかどうか?

それが肝心です。



同じことでも、人によって、感じられる幸福感の強さは違います。

幸せを感じる能力が高い人のほうが、それだけ強い幸福感を得ることができます。

ふだん当たり前に思っていること。

たとえば、まわりの人の存在や健康や自由などに、しみじみと幸せを感じられることもあります。

精神的にきつい時ほど、「小さな幸せ」を感じる時間を大切にしたほうがいいのです。

幸福感は、心の栄養になるからです。



「小さな幸せ」を大切にできるようになれば、日々いくつもの幸せを感じられるようになり、それだけで相当に幸せに暮らせるようになれるでしょう。

できれば、「中ぐらいの幸せ」と言わず、「大きな幸せ」を感じたいと思うのが人間です。

でも実際は、幸せな出来事自体には「大・中・小」のサイズの違いなんてありません。

その出来事に対して、自分が「ちょっと喜ぶ」か「普通に喜ぶ」か「すごく喜ぶ」かという「喜び方」に違いがあるだけです。

日々幸せに暮らしたいと思うのならば、「小さな幸せ」をどれだけ「喜べるか」の感度を磨くのが大切だと思います。

※引用先:幸せのホームページ



同世代の中には、ヘルパーさんの手伝いがなければ、食事が出来ない人がいるというのに、自分は好きなものがいつでも食える。

すでに寝たきりになっている人がいるというのに、自分はまだ自在に歩ける。

紙オムツのお世話になっている人がいるというのに、自分はウォッシュレットのトイレで毎回快適に排便が出来ている。


お互いにこの歳になれば、どれだけカネを持っているかなんて、「絶対的な幸せの尺度」とは言えません。

今の年金だけじゃ、満足な暮らしができないとグチっている方、そのあたり、いかがでしょうか?





「儲かってまっか?」

「ボチボチでんなぁ」

大阪ではごく当たり前のフレーズです。

どんなイメージですか?

「ボチボチとか言いながら、本当は儲かってんのとちゃうん?」が多いのではないでしょうか?

「ボチボチでんなぁ」と言う時の表情は、ほとんど微笑んでいるイメージです。

だから、商売は「エエ感じ」なんでしょうね。

逆に、儲かってないときは、「ボチボチ」とは言わず、「あきまへん!さっぱりワヤや!」なんてシブイ顔して言います。

さて、この「ボチボチ」って、実は、とんでもなく「深い意味」があることを最近知りました。



「儲かってまっか?」

「おかげさんでボチボチでんなぁ」

そう「おかげさんで」が本来はセットということです。

この「おかげさん」っていうのは、「御蔭様」つまり「見えない何か」。

「見えない何か」って?

そう「神様」なんです!

つまり、神様は目に見えないけれど、自分を守り力を貸してくださっている。

その「おかげさま」の力によって、ボチボチ商売をさせてもらっているという大阪商人の感謝を込めた挨拶言葉ということです。

「商売をさせてもらって、曲がりなりにもゴハン食べさせてもらってます。」

「有難いことです」という意味が、「ボチボチでんなぁ」には含まれていたのです。

大阪商人は「ガメツイ」なんてイメージがあるかもしれませんが、本当の商人(あきんど)のポリシーに学ぶものがあります。

だから「茶化す」んじゃなく、謙虚に学び、「いつも感謝の気持ちを忘れない」ためにも「おかげさんで、ボチボチでんなぁ」と、感謝の気持ちで元気よく挨拶したいものですね!

ええ勉強でした!


▲京都工芸

「おかげさま」と言う詩です。

「作者不明」とされることが多いみたいですが、この詩の作者は「上所重助」さんです。

「おかげさま」

夏が来ると「冬がいい」と言う

冬が来ると「夏がいい」と言う

太ると「痩せたい」と言い

痩せると「太りたい」と言う

忙しいと「暇になりたい」と言い

暇になると「忙しい方がいい」と言う

自分に都合のいい人は「善い人だ」と言い

自分に都合が悪くなると「悪い人だ」と言う

借りた傘も 雨が上がれば邪魔になる

金を持てば 古びた女房が邪魔になる

所帯を持てば 親さえも邪魔になる

衣食住は昔に比べりゃ天国だが

上を見て不平不満の明け暮れ

隣を見て愚痴ばかり

どうして自分を見つめないのか

静かに考えてみるがよい

一体自分とは何なのか

親のおかげ

先生のおかげ

世間様のおかげの固まりが自分ではないか

つまらぬ自我妄執を捨てて

得手勝手を慎んだら

世の中はきっと明るくなるだろう

「俺が」「俺が」を捨てて

「ああ、おかげさまで!」と暮らしたい




▲ホリスティック・メンタルヘルス研究所

様々なスピリチュアル関係の本では、「感謝すること」を勧めています。

では、感謝することで、どんな良いことがあるのでしょうか?

感謝は、自分にとっての最強の「精神安定剤」になるのです。

感謝しようとすると、その物事や人の長所を探すので、

そのプロセスで、自分が現状で既にいかに恵まれているかに意識を向けることになります。

すると、感謝する前は、どうしようもなく不運で絶望的に思えていた現状の中にも、

「不幸中の幸い」というか、他よりも良い点を見つけることができ、

その結果、気持ちが落ち着いたり、希望の入り口を見いだせたりします。

気持ちが落ち着くと思考力、判断力も向上するので、

焦っていたときには、見えなかった視点や可能な対処法を思いつけることもしばしばあります。

このように、「感謝すること」は、とても実用的なメリットのあることなのです。

常に、「何事も当たり前と思わず、感謝する」を意識するとそれがやがて習慣化し、

生活の中でストレスな出来事が起きても、それによる不安、落ち込み、イライラ、焦燥感といったものが生じにくくなります。

考え方一つで、あなたは自分を幸せで強い人にできるのです。

※引用先:▲ホリスティック・メンタルヘルス研究所



神様はこの人生を、私たちが幸せになるために与えて下さったのに、

どうして私たちは、不幸な方・つらい方・不愉快な方に意識を向けてしまうのでしょうか?

モノごとをどうとらえるか?

その選択はその人の自由なのに、どうして自分が損する選択ばかりをしてしまうのでしょうか?

実に勿体ないことです。

これからはお互いに、自分の機嫌が良くなるような解釈を選択してゆくクセをつけて行きませんか?



■期待値とは「心の中のハードル」

人づきあいにおいても、自分や相手に対する期待が高いと、その期待が叶えられない時に凹んでしまいます。

期待値が高すぎるから、つらくなるのです。

100パーセントの結果が当然だと考えていると、たとえ90パーセントの結果であっても、マイナス10パーセントのために満足できません。

私たちは、家庭の躾けでも、学校の教育でも、職場の評価でも、「減点主義」的な指導をずっと受けてきました。

だから、自分が主役のシニア人生でも、知らずの内に「減点主義」で自分や相手、物事を見てしまうクセがあるのです

自分や相手の「良いところ」はなかなか発見できず、悪いところは、拡大して見えてしまう傾向・クセが私たちにはあります。



お互いに良い歳なのですから、もう細かいことはどうでも良いのです。

人生や他人に対して期待感を高く持たずに生きていると、人生が上手くいかなかったり、他人から悪い態度をとられても、「まあ、そんなものだ!」と腹が立たなくなります。

人生や他人に対して期待感を高く持たずに生きていると、人生がちょっと上手くいったり、他人から少し親切をされたくらいでも、「嬉しいなぁ♪」とウキウキします。

高いハードルに挑んで転んで諦めるより、低いハードルを楽々超えて、次に進んだ方がいいじゃないですか。

「確実にできること」をハードルとして、日々小さな「自分へのOK」をくり返して行く方が、自己肯定感が高まりやすいのです。



人生をつまらなくしているのは、「つまらない」と感じている自分自身です。

誰かが、何かを変えてくれるのではありません。

「きっかけ」になる何かを、待っているだけでは変わりません。

自ら動かなければ変わりません。

つまらないなら、自分が楽しくなればいい。

自分の人生を決められるのは自分だけです。

幸せは、与えられるものではなく、自ら見出すものです。

人生をどう生きるのか、そこにある「意味」も「価値」も、自分自身で選び取るものです。



いずれ年老いて、自分で下の世話が出来なくなる日がやってきます。

その時に、「済まないねぇ、申し訳ないねぇ…」と繰り返すのは適切ではありません。

それは実は、相手に気を使っているようで、「情けない自分を嘆いているだけ」です。

それは、「感謝」とは言いません。

悪臭を放つあなたのお尻を嫌な顔もせず、キレイにお手入れしてくれる相手への慰労の言葉になっていません。

「済まないねぇ…」は、お詫びの言葉です。

「あなたのおかげだよ!」

「おかげで気持ちいいよ!」

「いつも助かっているよ!」

これが感謝の言葉です。



本当に「有難い!」と実感しているのなら、してもらった分だけ気持ちをお返しすれば良いのです。

気持ちをお返しするということは、「心から喜ぶ」ということです。

してあげたことに対してちゃんと喜んでもらえたら、してあげて良かったと相手も嬉しくなります。

人のお世話になりながら、相手に良いエネルギーをお返しすることはできるのです。

「どれだけ相手に感謝させて頂くことができるか?」

それを「生きる愉しみ」とするのです。

もっと言えば、そこを「自己重要感の拠りどころ」とするのです。

相手が自分のために何かをしてくれたら、それを素直にキチンと受け取る。

そして、その分「おかげさまで」という気持ちをきちんとお返しする。

それで50/50、フィフティフィフティです。

あなたは老いても、誰にも迷惑をかけないのです。

いつか介護ベッドの住人になっても、

そのことを忘れなければ、

卑屈にならずに、自分のごきげんを保っていられるはずです。



あなたは、子供を立派に育てました。

今その子は、社会の中で一人の大人として、彼(彼女)なりに精一杯頑張って生きています。

そんな我が子の頼もしい姿を見て、「もう、親としての責務は終わった!」とあなたが思っているのなら、それはとんでもない間違いです。

あなたの子供は、たしかに立派な大人になったけれども、あなたはまだ「老人になったらこう生きなさい」という老後のお手本を子供に見せてはいません。

子供は、親の背を見て育ちます。

あなたには、自分の背中、つまり生きざまを通して、我が子に素敵な老齢期のあるべき立ちふるまいを見せて「躾ける」責務が残っています。

あなたの子供の躾けは、まだ終わってはいません。

これから最後の仕上げに入って下さい。

「歳をとるって素敵だな!」

「老後の暮らしは楽しそうだな!」

そういう良い手本を見せて学ばせて下さい。

親の責務を放棄してはなりません。

「老後の楽しみ方」と「穏やかな死に方」を、身をもって子供に見せて学ばせるのです。

それが、親としてのあなたの最後の仕事です



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