2012
06.06

絵本『貧乏神へのごちそう』


 


 むかし、むかし


とても働き者の夫婦が住んでいました。


けれども、働いても働いても
暮らしはいっこうに楽になりませんでした。


もう、貧乏なんてこりごりだ。
どうしてこんなに貧乏なんだろう。


酒も飲みたいし、お前に着物も買ってやりたい。
たまには町にも行きたい。



そんなこと言っても仕方がないわ。
とにかく働きましょう。






夫婦は村一番の働き者でした。


でも、すごく貧乏です。


朝から晩まで畑で働いて、
家ではワラくつやカゴを編んでいました。


ある大晦日のことです。
神棚の前で妻が言いました。


神様、今年はわずかですがお金がたまり、
おモチを作ることができました!



その時です。
屋根裏で泣き声がしました。





そこで泣いているのは誰だ?


屋根裏から顔を出したのは貧乏神でした。


そうか!


お前がいるから俺たちは貧乏なんだ。
でも、どうして泣いているんだ?


今年は、お前たちが一生懸命働いたから、
私はもうこの家にはいられない。



まもなく、福の神がやってくることになっている。


それじゃ、追い返して
ここにいればいいじゃないですか。



でも腹が減って、力がでない。


このモチと魚をお腹いっぱい食べて、
元気をお出しなさいな!



うわ、こんなにおいしい物は初めてです。
もっと食べていいですか?



食べて、食べて、貧乏神は元気が体にみなぎり、
福の神を追い出す勇気も出てきました。
相撲取りのようにしこを踏みました。


さて、福の神がゆっくりと
家の前までやってきました。


「おお、この家だ。」
そして入り口をたたきました。


 


「われこそ、福の神じゃ。この家に福を与えにやってきた。
貧乏神はさっさと立ち去りたまえ。」


いやじゃ!

この家からは一歩も離れないぞ。
この家のあるじも福の神は追い返せと言ってくれたんだ!



貧乏神さん、福の神なんかに負けないで。がんばって!


「一体どうなっているんだ。貧乏神の味方をするとは?」


貧乏神は、福の神に飛びかかると
外に投げ出しました。


「こんな家には二度と来てやらないぞ。」


福の神は、怒ってどこかへ行ってしまいました。
その時、「打ちでの小槌」を忘れていったのです。


 


おや?
これは「打ちでの小槌」じゃ!


これがなければ、福の神はもう福の神ではない。
これがあれば、私はもう貧乏神ではない。


われこそ福の神じゃ!



と貧乏神、いや福の神は言いました。


これは、「打ちでの小槌」というものです。
望みをかなえてくれます。


何か欲しいものはありませんか?



二人は顔を見合わせました。
欲しいものは米俵ときれいな着物と少しのお金です。


われは、今日より福の神!


と言って望みをかなえてやると
屋根裏に戻っていきました。


二人はその後も一生懸命働いて
末永く幸せに過ごしました。





☆心の貧しさが貧乏になる


    


貧乏だと嘆いている人は、心が貧しくなっています。


自分は貧乏だと日頃から思っている人は、
外見や会話にも貧乏という波動が出てしまいます。


何でもかんでもお金に繋ぐ話をしていたら要注意!

そういうときは、心が貧しくなっていて、
貧乏の波動が出てしまっているからです。


貧乏な人というのは、心の貧しさが原因になっています。

 
心の貧しさとは、ちょっとしたことで他人を羨んだり、
嫉妬したりすることです。


心が貧しいと、貧乏の波動を発し、
自分に似た心が貧しく実際に貧乏な人しか寄ってこなくなります。


お金持ちになりたいと思ったら、心を貧しくしないことが先決です。


【スウェーデンのことわざ】

貧乏人とは、多くを持たざる者ではない。
多くを欲する者のことをいう。










    


今年の夏のボーナスは出せません!


本日の朝礼で、社長が泣きそうな顔で
深々と頭を下げました。


   


小さな会社だから仕方ないか…


がっくり来ているので
こんなブログになりました。

ま、負けないぞ、貧しさなんかに!


   

一緒に頑張ろうね、マイベイビー!


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