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音声で聴く有難いお話



自分がして欲しいことを人にしてあげる

人間関係を円滑にするためにできる一番簡単で、
だけど、一番効果があること、
自分から与えようとすることで薄れてゆくもの、他。

※このページはオーディオ版になります。お聞きになるには、
下図のプレイボタンをクリックしてください。




今の気持ちが次にやってくる気持ちを引き寄せる



何かを信じてみることが自分の力になる




自分の体に感謝しよう



自分の体に感謝しよう!



今日は、自分の健康を
無言で支えてきた体の各部に感謝しよう!

皮膚よ、私を守ってくれてありがとう。

足よ、私を支えてくれてありがとう。

膝よ、私を粘り強くしてくれてありがとう。

足首よ、私を行動的にしてくれありがとう。

おしり、私にバランスを作ってくれてありがとう。

大腸には、気持ちのいい排泄に感謝します。

生殖器には、生きている喜びを感謝したい。

胃袋には、食べ物を消化してくれて感謝します。

ハートには、愛と生命を感謝します。

血液よ、エネルギーをくれてありがとう。

脊椎よ、命を支えてくれてありがとう。

腕よ、長いりーチにありがとう。

手よ、さわる喜びを教えてくれてありがとう。

筋肉よ、動いてくれてありがとう。

肺よ、呼吸を続けててくれてありがとう。

首よ、滑らかに動いてくれてありがとう。

喉よ、人と話す力をありがとう。

口よ、味わう喜びをありがとう。

鼻よ、香りをかぐ喜びをありがとう。

耳よ、音を聞く喜びをありがとう。

目よ、世界を見ることができて感謝しています。

そして、頭よ、考える素晴らしさに感謝します。



それらが、あなたにほめてあげてほしい各器官です。

もし、ほかにもっと感謝したい部分があれば、そこにも感謝しよう。

体のある部分が、病気や疲労のために
正常に機能していないならば、
以前の素晴らしい働きに感謝しよう。

すると、その部分が回復していくのです。

夜、寝る前に行うといい。

朝起きた時には、気分がリラックスしていて
体中がエネルギーに満ちてくる。

週一回、少なくとも月に一回は、
この感謝の時間を持とう。

血液の循環といい、呼吸の動きといい
一瞬の休みもなく元気に働き続けてくれているのだから。

自分の体に「本当にありがとう」と感謝しよう!






斉藤一人さんのためになる話です



良い話だったので、途中までですが
自分で「文字おこし」をしました。

さらっと読んで、気になることがあったら
上図の動画をお聞き下さいませ。




誰でも悩み事があるでしょう。

プラスとマイナスは宇宙で同時に発生している

「今自分は問題を抱えているんだ」
といっても、実は解決策も一緒に出ている。

マイナスのギモンが出たときには
プラスの答えも出ている。

ではその解決策はどこを探せば見つかるかといえば、
自分が一番向きたくないところにある。

答えのないギモンは発生しない
ギモンと答えはいつも同時に発生する

だから、お釈迦様は、
「悩み即菩提」であるといった。

悩むということは即、答えがあるのだ。
なぜ、すぐに見つからないのかといえば、
一番向きたくない、見たくないところに答えはある。

自分がそっちを見たくないだけなのだ
だから、答えが見つからないのだ。

そっちを見ちゃえば、本当に答えはそこにある。

--------------

幸せになるためには諦めなきゃいけない。
「諦める」とは「明らかに眺める」ということ。

みな、諦め方が悪いから不幸なんだ。

たとえば、高価なブランド物のバックがある。

ブランド物というだけで10倍もするなんて
「バカらしいから買うのはヤメナサイ」と言われて

諦められる人は、「諦める人生」なのです。
諦められない人は、「諦めきれない人生だ」と諦めちゃうんです。

「どうしても私はバックが欲しい」のならば、
今生はそんな人生なんだと諦めて、
とっとと、働きに出て買っちゃえばよいのです。

「それな欲は捨てましょう!」
なんて真に受けるからおかしくなるのです。

自分は欲を捨てられない人間なんだと
諦めればよいんです。

諦めきれない人生なんだと
思っちゃえばいいんです!

諦めるというのは、
本当の自分が分かればよいんです。

本当の自分をわかって
赦してあげればよいのです。

本当に欲しいのに、そのバックの方を
諦めようとするから苦しくなるのです。

私はこんな人間なんだと諦めよう。
こんな人間なんだから仕方ないの。

だから、こんな人間として頑張れば良いの!
「どうして私はこんな…」なんて自分を責めてはいけない!
こんな人間だと諦めて、そこから観念して頑張るの。

自分で撒いたタネは自分で刈り取れば良いの!
ただガムシャラに頑張ればよいの!

それが修行なの!

どうせやるんだったら、
ゲームか遊びなんだと思って
余計なことは考えないで
せっせとやればよいの!

まず、そんな未熟な自分を赦してやることなの。
自分を赦せないから、他人を赦せなくなる

赦すということが出来たときに
人は幸せになるんだよ。

自分はこの世に遊びに来たんだ。
悩みがあるということは、
答えもあるんだ

「答えを見つけ出すんだ!」と
強く決心して答えを見つけ出せば良いの!

その答えを見つけたときが
楽しいゲームなの。

答えが見つからないときって
実は見たくないだけなの!

固定観念があるの。
「こうじゃなきゃいけない」と
思い込んでいるだけなの

でも実はそれがウソなの。
そうすると、困った状態が出てくるの。

だから、苦し紛れにイヤイヤ
そっちを向いたときに答えを見つけて
人は幸せになるの

固定観念が間違っていないの。
だけど、時代で変わってゆくの。

お父さんやお母さんが言ってたことは
昔の観念なの。だから今は違うの。

「離婚しちゃいけない」というのも
固定観念なの。

いやなダンナと別れたほうが
幸せになれる場合もあるの。

大した問題ではないの。

自分はこんな人間なんだ。
でも、それでいいんだと言ってあげるの。
自分を赦すことから始まるの。

自分も正しいの
だけど、相手も正しいの。
だから、押し付けてはいけないの。

自分がこれだ!と自信満々だったら
みんなが反対しても問題ないの。
黙ってやり抜けばよいの。

-------------

他力本願

自分は何もしないで
相手にやってもらうことを
他力本願って思っている人がいる。

それは間違いで、
他力本願っていうのは仏教の言葉で

死んだときに、天国にいけるように
人に親切にして徳を積む生き方を
してゆこうというのが自力本願という。

どんな人でも死んだときに
「南無阿弥陀仏」と唱えたら
成仏できるというのが他力本願だという
これは仏教の話なの。

自分の以外の神様の力が
自分に携わったときに凄いことが起こるよ。
っていうことなの。

最初は自力で何とかしようと頑張るのだけど
なかなかうまく行かない。

そのうちにふっとひらめくものがある
それが他力なの。

特に、人のためにやっていると
他力という力が備わってくるんだよ。

俺たちは自分の力だけでは生きていられないんだよ。
部屋の明かりだって電力会社の人のおかげだし、
靴下だって誰かが作ってくれたんだよ。

だから、俺たちも人のためになることを
やらなければ行けないんだよ。

一生懸命に人のためになることを
考え続けているときに、ポンと神様の支援がくる
真剣に考えるとポンと出るの。

それが他力本願なの。

ひらめきが足りない人は
感謝が足りないの!

他力が寄ってくる人とは
他力を知っている人なの
感謝をしている人なの

他力が寄ってくるためには
自力がまず必要なの。
他が助けたくなるような人なの。

----------------

人生で生きる上で大切なのは
賢く生きるということなんです。

たとえば、儲かっている店の社長は
いつも他所の店を見て回っているんです。

もっと自分の店を良くしようと願うからです。

でも、儲かっていない店の社長は
「時間が無い」を口グセにして
いつもヒマな店の中にばかりいる。

そんな店に限って、店内は汚いんだ。
店は汚い、アイデアはないで
そこが流行るわけがないんです。

賢くないんです。

-------

お金持ちになりたいからといって
イヤな仕事を何時間もやっても
長続きしないんだよね。

賢い人は、お金持ちになりたがるのじゃなく
仕事を好きになるんだよね。

仕事がどうしても好きになれないなら
俺は金持ちにならなくてもよい
普通でよいと思えばよいだけなんだよ。

それも賢い生き方なんだよ。

学校の勉強が嫌いで成績が悪くて
学歴が悪い人がバカなんじゃないの

それで俺は頭が悪いと思い込むのが
賢くない人なの。

社会人になったら、
分からないことは頭を下げて
知っている人に教えてもらえばよいの。

それを出来る人が賢い人なの。

夫の介護について



現在ご主人の介護を頑張っている方に
ほんの一行でも参考になることを願って
この記事を転載いたします。

BY ナガサキ・ブタロー





自己紹介

横浜市泉区に住んでおります森山晏子でございます。

夫は皆様よくご存知の森山志郎で、
何時も皆様にお世話になっております。

昭和60年9月11日以来
私は介護者の立場になりました。

もう20年間にもなります。

昨年、福島大学にて話しました
「中途障害者となった夫を介護して思った事」が、
滝野様のお目に留まり、これを中心にしてお話をして欲しい、
とのご依頼を受けました。

現在は、介護者の会にも携っておりますので、
高齢者介護についても、共通する事も
お話させていただきたいと思っています。

余り模範的なお話では無いのですが
お聞きいただければ嬉しゅうございます。

リハビリについては、焦らせてはならない。


リハビリは、早期に始めた方が
効果があると言われます。

夫が脳梗塞だと分った時、
私は友人や親戚の医師に電話で聞きました。

まだ筋肉がある間に
リハビリの運動を始めた方が良いと言うので、

私も症状が安定して起立訓練が始まると、
一生懸命励まし、手伝い、一緒になってしました。

しかし、良くなりたいと一心に思っている本人に
追い打ちをかける様な励ましをしたからでしょうか、

肝臓障害でリハビリは一時中止、
そして1ヶ月経って再開の許可が出た時には、
見るも無残な姿でした。

障害が有る手足を動かすことは、
健康な時の運動とは違い、疲労度も大きいようです。

でも、使わなければ筋肉が失われてしまい
動かなくなってしまう、廃用性症候群と
今日言われる症状です。

マヒの無い方、高齢者でも、程度は違っても
筋肉は使わなければ失われてしまいます。

運動は上手に続けていく事が大事なのだと知りました。
現在では、このような事は余り聞きません。
随分診断も、対応も、進歩したと思います。

優しいだけでは支えられない

リハビリ運動が再開された時、私も疲れきっていましたし、
医師の注意もなくて不安でしたので、経験のある付き添いさんに
リハビリの時間は付き添ってもらいました。

これは、いろいろとありましたが、
とてもよい結果を齎したと思います。

リハビリは甘やかしてはならないと言われます。

この付き添いさんは私では出来なかった訓練も、
運動のきっかけ作りも、ドライにこなし、
随分厳しいと思いました。

しかし、筋肉を労わりながら無理なく動かし、
ひどい炎症も起こらないように注意して訓練していました。

杖をついて歩けるようになった時は
本当に嬉しくて、只々感謝しました。

リハビリは甘やかしてはいけない
と言う事は本当だと思いました。

中途障害者になった夫を介護して感じた事
しかし家族が冷たく突き放したり、無関心になることは
本人の意欲を失わせる場合も有るのではないでしょうか。

ゆっくりだったら出来ることを、
してあげてしまう事は、

嬉しい事かも知れないけれど、
人によっては自尊心を傷つける事にもなるようです。

意欲は大事にしたいので、じっと待っているとか、
見ていて本人の意図が可能になる方向の手を出して成功させ、
共にそれを喜んであげる方が良い結果を生むように感じます。

又「うつ状態」になってきたときは、
優しく接する事が必要だと私は思います。

痺れや痛み、麻痺の辛さは、
経験の無い者にとっては理解する事ができません。
只聞いて頷くしかないのです。

私は黙って側にいました。

これはとても辛く辛抱のいる事で、
「支える」には、強さも必要なのだと知りました。

本人の意欲についての対応のしかたは、
とても個人差があるので、身近に居る方の(ご家族)判断が
大事になるところでしよう。

突き放されて元気になった方、潰れてしまった方、色々です。

いずれにしても、意欲には、
本人の気付きが大事なのですが、
それを育てる感覚も大事にしたいと思います。

お年寄りを介護する時は、能力低下が問題なので、
やはり気長に対処するところは同じです。

毎日の生活はなるべく
平常時の様に、病人扱いしないこと。


退院して家に戻った時をけじめにすると
良いのではないかと思います。

何時までも病院生活の延長で、お寝巻きで一日過ごしたり、
ぶらぶらしたり、病人らしい生活はよくありません。

病院生活の延長ではなく、
平常の家庭生活に戻すつもりで、

朝の洗面、着替えを、時間がかかっても行い、
食事もなるべく一緒にして欲しいのです。

しかし、障害の程度も違いますし、
家族構成も異なる事ですから出来ない場合もあるでしょう、

初めから完全にしようと思はないで、
省けることは後回しにして、介護者が疲れないように
して欲しいと思います。

高齢者の場合も、その程度によって違いますが、
基本的には同じでしょう。

家族もその障害に馴れる事。

本人にとっても、又家族にとっても、
こんな障害は初めての経験である事が多いと思います。

私は、一生懸命になって、
どうにかして夫を元気にさせようとする余り、
人から恐ろしがられた経験があります。

「以前、ここに怖い顔したお婆さんがいた、
髪も真っ白で、そのお婆さんが、要らないと言ったら要らないよ」
と言ったそうです。

その様な経験からお話に行った時、
「介護は疲れるのでボランティアさんにお願いしてでも、
お休みを取るように」と話しましたら、聴衆が顔をしかめていました。

これは、本人と介護者のそれまでに築いてきた
家族関係に関わった問題でも有り、納得しました。

「碌に介護をせずに遊び歩いている」と言われたのです。

でも、介護をするということは、自分のいまの生活に、
プラスアルファーとして1つの仕事が加わることでもあるのです。

どこかで息抜きすることが大事なのです。

それが後日、

私が「介護を考える会アイリス泉」を作り、
責任者になった理由です。

障害者と家族の問題は、それぞれの家の
歴史に関わる問題も多く、本当に一口では言えない
複雑さが有ります。

二人三脚をと思って取り組まれる方は、
初めから理想を追うのではなく、

出来ることをして1日過ごすつもりで、
お互いに障害に慣れる事が大事です。

機能は少しずつ回復して来ますが、
とても時間が掛かります。

しかし不具合も慣れてくると
出来る範囲も広がってきますから、

時を稼ぐつもりで焦らない事です。
家族が焦ると本人は、もっと辛く感じます。

高齢者の問題では、
この部分でのトラブルがとても多いようです。

現在は介護保険が施行されて、
この点は少し良くなったと思いますが、

先に希望が持ちにくい点、
我慢できない限度、問題は大きいと思います。

自信を失わせない努力、安心できる場を作る

それまでに果たして来た役割は、
なるべく変えないことが良いようです。

お仕事が続けられる場合には、
残存能力に応じた無理のない勤務が
出来るような条件を整える必要があると思います。

家庭での生活が、主体になる場合は、
何か小さい事で良いのですが、

成功する可能性の高い事に挑戦して成功させること、
少しずつ目標を上げて成功させること等、

成功の連続は、本人の自信の回復に
つながるように思いました。

中途障害者になった夫を介護して感じた事私たちも、
写真集を作ったり、写真展をしたり、旅行に行き、

新幹線の中を一人でトイレまで歩くのに
座席を伝うことを覚えたり、
いろいろ「出来た!」と喜びました。

こんな小さな成功体験を大事にしました。

又、同じ障害を持たれた方のサークルに入る事は
とても効果があります。

これは夫が「ほのぼの会」という
保健所の機能訓練教室に入り、

その後「泉睦会」という自主グループで
いろいろとしましたが、とても大事な機会だったと思います。

家族の方も一度、一緒に行かれてみると
その状態が良く分ると思います。

その障害者仲間の中でどんな状態なのか、
障害のある方にはどう接したら良いのか、
介護をしている者にとっても得るものは大きいと思います。

色々な人がいらっしゃるので参考になります。

本人は勿論、家族もパワーを貰います。
退院した後には、是非この様なサークルに入ることを
お勧めしたいと思います。

社会から隔離されてしまうことは良くありません。
新しいお友達関係が広がることは、

勇気をいただけることになります。

又、障害者になられても、
今までの友人関係も大事にしてください。

家族が、恥ずかしいからと止めたりするのではなく、
むしろ積極的に社会との繋がりを持つようにする方が、
張り合いのある生活が出来る様です。

年齢にもよりますが、
若い方でしたら後の人生が長いのですから、

基本的なリハビリ運動を続けながら、
再発の予防に気をつけて、新しい人生設計を
なさる事をお勧めします。

月日と共に少しずつですが
自由度が増してきて出来ることが増えますから、
諦めないことです。

高齢者の場合では、一人で楽しむだけでなく、
出来れば沢山の人に囲まれて過ごすと、
生き生きと過ごす事が出来ます。

今横浜市では、各地で「支えあい連絡会」を作り
高齢者が孤立しないように働きかけています。

能力の低下は、夫々ですが、なるべく、
役割は奪わないで上げられたら本人は幸せでしょう。

健康管理に協力して
再発させないよう心がける。


脳血管の障害を持った方は、
何か生活習慣上にも原因持った方が有るようです。

原因と思われる事には最大の注意をして
再発の予防を心がけます。

周りの人の心配りが、
本人の自粛を促す効果もあります。

煙草などを止めさせる方法として。

食事療法は、本人に責任を持って
もらわなければ困りますので、
一緒に覚え、協力します。

後は、本人にまかせ自己責任の範囲で
管理してもらいます。

高齢者の食事については、
楽しみの一つでもあり、

嚥下、消化、については、
よく心がけて置く必要がありますので、
学ぶ必要があります。

介護者が同じスピードで行動すると
疲れてしまうので、工夫が必要。


歩行訓練を始めたばかりの時など、
一緒に歩いて、歩調を合わせて歩いてあげるのが

一番優しい方法なのですが、
それを続けていると、とても疲れてきます。

目のとどく範囲まで先に歩いて待っているとか、
特に重い荷物を持って動く時などは、

自分のスピードで歩いて荷物を降ろして待つとか、
先に送ってしまうとか、何か良い方法を考えるようにして、
疲れてしまわないように工夫します。

介護をする方は、自分も一人で
居る自分の時間を持つ事も大切です。

これをするのに何か良い知恵は?と
積極的に考えてくよくよしないのです。
少々の事は許してもらいましょう。

一緒に居ても楽しいようになるには,
介護者が「ゆとり」を持てる様に行動して、

話しあい、時には喧嘩もあり笑いもありで、
逃げないで過ごしていると何時しか、

お互いの理解が生まれ、労わり、
信頼関系が出来て来るように思います。




▲上画像にリンクを貼っています。是非覗いてみてください。

Make up your mind to be happy.
Learn to find pleasure in simple things.


自ら幸せでいられるようにしなさい。
ありふれたことにも喜びを見つけるのです。

No one has everything, and evryone has some sorrow
mixed in with the glaness of life.


すべてのものを手に入れられる人はいないし
誰の人生においても喜びと悲しみが入り混じっているのです。

Don't worry about what's ahead.
Just go as for as you can go-from there you can see father.

この先何があるかなんて、心配することはありません。
出来る限り前に進みなさいーもっと遠くが見えるように。

斉藤一人さんの講演録「自分探しのたび」




はい、おはようございます。

今日はですね、『自分さがしの旅』という話をします。

『自分さがしの旅』って何ですか、っていうとね、ほんとの自分ってどんな人だろう、自分ってどんな人だろうとかなんだけど、一時、『自分さがしの旅』って流行ってね。

青森行ったとかね九州行ったとかさ、いろんなことあるんだけど、自分のルーツ探るというのがあるんだよな。
おじいちゃんが出たとことかさ、先祖が出たとことかさ、そういうのと俺が言っている『自分さがしの旅』とはまた別の話なんだよね。

俺が言ってる『自分さがしの旅』とは、あなたは本当にあなたですか、あなたはあなただと思ってるけど本当のあなたですか、ということを、ここんとこ問い続けてるんだけど、結局、あなたは本当にあなたですか、って言ったとき、あなただと思っているんだよね。

だけど、そのあなたって親に言われたことがずいぶんあるんだよね。
わかるかな?
周りの人に言われたとかさ。
たとえば、この成績じゃだめだよ、いい学校行かなきゃだめだよ、とかそれを100回も1000回も言われているうちに頭の中にはいっちゃうと、自分の考えのように気になっちゃうんだよな。


それから、心配性なんですけど、って言うけどその心配性ってさ、何て言うのかな否定的な言葉で育てられちゃうとそうなっちゃんだよな。たとえば、ゴキブリが嫌いな家って、『ギャーの法則』って言って、誰かがギャー、って言う人がいるんだよな。

そうすると、子どものときに大の大人がギャー、って言うと大変なことが起きたんだ、それが脳にインプットされちゃうと、ゴキブリを見るとギャー、って言うようになっちゃうんだよな。

ところが、言わないでポンとひっぱたいて殺しちゃう家だと、ただの虫が出ただけで、何のことはないんだよな。

だから、人間って、自分が否定的になっちゃったとき、自分が消極的になっちゃったとき、自分が悲しい性格になっちゃったとき、それって何だろう?ってことを、一回原点に帰って。

どこへ旅するんですか、って記憶のなかを旅をする。
自分の記憶を旅してみるんだよね。

たとえば自分が自信を失っちゃった、っていうときに、人の能力ってたいして変わらない。
脳細胞ってたいして変わらない。
ただ、ものすごく自信がなくて生きている人と、自信満々で生きている人がいるんだよな。

それって、どこでそうなっちゃったんだろ。
たとえば、成績が悪かったら、ろくな生活が送れないよ、って言いながら事実上、どこの学校へ行ってもさ。
学校で一番頭が良かった人が一番出世してますか、って言うと絶対ないぐらいないんだよな。
ということは、歴然たるウソなんだよな。

だけど、ウソの問題じゃなくて、何回も言われるとそれが脳にはいっちゃうだよな。
わかるかな、だから、あなたが自信を失ったことで、あなたが今使っていることはありますか、って言ったとき、たとえば、駆け足が遅くて、いつも運動会でペケだった、って今、あんた駆け足してますか、っていってもしてないんだよな。

ここんとこ何年も駆け足してません、って10年も走っていない人がいっぱいいるだよな。
人生において人に追われることもなきゃ、追っかけることがないのが普通の人生なんだよな。

だけど、何かスポーツができないことで自信を失うってなっちゃうんだよな。
だから、英語ができなくて自信を失った人もいるんだけど、その後、英語しゃべりましたか、って言うとその後、英語に縁がない世界に生きてるんだよな。

人間っていうのはね、困らないようにできてるんだから、英語をしゃべる人は英語を好きになるようになってるんだよな。

脳とか、からだ、心は自分の未来を知っているから、方程式見たときにいらない、ってなっちゃうんだよな。
だから、全くこれに興味を示さないんだよな。

わかるかな?
興味示さないものに一生懸命努力してやると、努力は4倍から5倍要るんだよな。
で、結果は3分の1ぐらいしかでないんだよ。

そうすると、余計に努力しても努力しても覚えられなかったことに関して、自分に嫌悪感みたいなものを覚えるけど実はそうじゃないんだよな。
要らなかったこと、なんだよ。

だから、心の故郷へ旅して、中学校で自分は英語ができなかった、って英語ができないんじゃなくて自分は英語が要らないことを見抜いていた天才だった(笑)
)違うんだよな。
自分が運動ができなかった、じゃなくて自分という人間は、人を追っかけたり追いかけられたりするんじゃなくてもうちょっと落ち着いた人生を送る人間なんだ、ということを旅をして、ひっくり返していくオセロゲームみたいにな。
黒いものを白いものに変えるあの、俺たちって黒白黒白みたいなものになってる。
それを、黒が多いとたとえ話ですが否定的になっちゃたりするんだよな。

だから、何ていうかな親が期待する自分が期待に答えようとする間違っていい成績とっちゃうこともあるじゃん(笑)
人間っていうものは間違いがあるからね。
そうすると、親はそれが間違ってるとは思わないから期待かけるんだよな。

その期待に答えられないと、自分が何か親に申し訳ないような親の愛情を失うような気になっちゃったり、親が悪い成績だとがっかりする。
それに傷ついたりするんだよな。

だけど、その当時の頃に旅したとき、今から見るとわかるけど、親って未熟なんだよ。
そのときは、子どもだから親が完璧に見えたんだよ。
わかるかい?

だけど、俺たちも親になると分かるけど、全然完璧じゃないんだよ。
だから、子どものころに大人を見ると大人ってすごい完璧なものに見えたんだよ。

自分が大人になったら完璧どころか、ただ外見が変わっただけで若い頃と変わらないんだよな。
大人って落ち着いてるな、それって、ただ落ち着いているように見えてくたびれてるだけ(笑)
動きが鈍くなってるだけ(笑)
それだけなんだよな。

そうすると、その原点まで帰ったときに、未熟な親がよく子どもを育てたなとか、育児放棄をしないでよく育てたな、とかありがたくなってくるんだよな。
要するに、子どもだから親が完璧だ、と思ったんだよな。

で、親ってものすごく未熟なんだよな。
わかるかな?
魂って全然別なのに、悲惨な子どもっていうのはな、親が頭がいい人の子どもなんだよ。
ほんとなんだよ。

なぜかというと、自分たちが勉強ができたものだから、子どももできると思うんだよ。
夫婦で勉強ができたら、そこに生まれた子はエラいところに生まれちゃった世界になっちゃうんだよ。

スゴイ話があって、うちの子どもが小学校のときね、月曜から土曜まで塾に通っている子がいてね、日曜日はお父さんが勉強を教えてくれるんだって。
で、お父さん、学校の校長先生だって(笑)

その子、勉強できるの、って全然できないんだって(笑)
それ、聞いたときね、これ地獄だ、って(笑)

これがまたおもしろいもので、勉強ができる子って、前世自分が親だったときによその子、勉強ができない子を見てだらしないと思うか、親がだらしないと思うか何か思ったか、言ったりしたんだよ。

そうすると、自分のところに勉強嫌い、勉強のできない子どもが生まれるんだよ。
その結果、そういう子ができたときの親の気持ちがやっと分かってそこで魂が成長するようにできてるんだよな。

で、今から話す話はそっちの話じゃなくて、因果の話じゃなくて、今日、俺が話したいのは『自分さがしの旅』で。
だから、もし勉強ができない子がいて両親ができたとするじゃん。
そうすると、自分たちが勉強できると当然と思ってるくらい、未熟なんだよな。
だって、両親が全然できなくてもできる子はできるんだよ。
わかるかい?

世の中っていろいろなケースがあるのに、勝手にそうだと思いこむというのがあるんだよ。
要は、親って未熟なんだよ。
自分たちが勉強できれば子供もできると思っちゃう。

なかには、自分たち親子にはこんな頭のいい子はできるわけない、って。
でも、その子がノーベル賞をもらっちゃったり、何があるかいろいろわからないんだよな。

で、広く見れば世の中のことって、いろいろわかるんだけど、ただ自分が親から言われて傷ついたりこういうこと言われたとか、そういうところへ行ったときに大人の目で見たときに精神的な治療法で、今の大人が傷ついたときそのときの子どもになってお母さんやお父さんに自分が言いたいことを言ってごらん、って言うと泣きながら言う、っていう会みたいなものがあるんだよ。
で、俺はそれ、無駄だよ、って言ってるの。

何を言いたいのかというと、その時に戻って親を見てごらん。
ただの未熟者なんだよ。
あんな未熟な親がよく育児放棄もしないで、ともかく生んでくれてありがたい。
それから、俺たちって小さい頃は育ててもらうしかないんだよ。

育ててくれてありがたい、ね。
だから戻って感謝したくなるまで、親のことをそこの子どものときになって見るとありがたい、って気になるんだよな。

あの、学校の先生がよくね斎藤君はろくなもんにならない、って言うんだよ。
お前、易者か、って(笑)
俺の未来がわかるか(笑)

な、問題は俺は、成績は悪いんだよ。
成績が悪い人間を自信持って出さなければダメなんだよ。

成績がいい人間なら成績がいいから大丈夫だよ、とか。
成績の悪い人間をつかまえて成績が悪いからダメなんだよ。

じゃ、成績が悪くて自信までなくしたらどうやってその人間は生きていくんですか、って。
ね、だから、斎藤君も質悪いけど、先生 も質が悪いんだよな(笑)

ただ、俺は平気で冗談で言えるからいいだけど、傷ついちゃう人がいるんだよ。

簡単に言うと成績が悪い人間に、斎藤は成績は悪いけどさみんなを明るくしてるよねとか、人がいっぱい集まってくるからさ。
社会に出たら偉くなるよ、とかさ、相手が喜ぶことを言わなきゃならないんだよ。
で、それを言えない先生だったんだよ。
簡単に言うと、未熟なんだよ、非常に。

そうするとこの人は未熟だったのによくこれで先生、務まったな、とか(笑)
わかるかい?
いろんな自分が傷ついたところへ行って、オセロ見たいにひっくり返してくるんだよ。
クルックルッとね。

そうするとそれが現在まで至ると、簡単に言うと過去は変えられるんだよ。
だけど、未来は変えられないんだよ。

それを、知らない人は、過去は変えられないけど未来はどうにでもなる、っつうんだよ。
ならないんだよ。

なぜかというと、不幸ぐせのついているやつは、今日も明日も不幸グセがあるんだよ。
それを、過去に戻ってひっくり返すんだよ。

で、俺たちは過去はどうにでもなるって思い出しか残ってないんだよ。
思い出って、そこ行ってその思い出を変えちゃえばいいんだよ。
わかるかい?

俺たち、歴史上の人物じゃないんだから、そんなに詳しく歴史にのってるわけじゃないから、自分で変えてくればいいんだよ。

たとえ話なんだけど、俺、あの~同級生に会うたびに俺も生徒会長で大変だったよ、ってずっ~と言ってたの。
そしたら、何十年も言ってたら、この前友だちに会ったとき、お前生徒会長だったよな、って言うんだよ。
だから、分かんないんだよな。

だからさ、過去にいろんな小学校の頃にさ、こんな失敗したとか、おねしょもらしたとか、いろんなものあると思うんだよ。
だけど、事実上、誰も覚えてないんだよな。

自分のなかに覚えてるんだよな、って。
わかるかい?
だけど、いじめられてた記憶もあるだろうけど、いじめなかったんだよな。
だって、その子より弱い子がいたかもしれない。
だけど、その子をいじめなかったんだよな。
だから、優しい子なんだよ。
だから、今があるんだよな、一個一個ひっくり返すんだよな。

みっちゃん先生が1500人くらいの会場で乾杯やったとき、あがっちゃってたから、コップ持たないでやっちゃったんだよ。
そのときのことを思うと顔から火が出るほど恥ずかしいって言うんだけど、みっちゃんそれやめな。
どうせ言うなら『腹よじれるほどおかしい』って言いな、そのときのことを想像すると、それって楽しい思い出になるんだよ。

わかるかな。
だから、そこへ行って、クルックルッと『自分さがしの旅』へ行ったとき、マイナスになってしまったのは何だろう?いくつもないんだよ。

で、その経験をクルックルッとひっくり返すと、これから先は今起きてることでもどうにでもなるんだよ。
OK?

それで自分のいやなことですら、いいことに変えられるとどうなるかと言うと、自分のいいところを発見できるようになる。
わかるかな、たとえば、この前スタイルがよくてモデルさんになりたい、って子がモデルになるには3センチぐらい足らない。

バラエティに行くには明るさが足らない、っていろんなことを言うんだけどそれって、あんたが人の基準に合わしたときそうなんだよね、わかるかい?
自分て、神がつくったかけがいのないスゴイものなんだよ。

だから、ここに来てるムクちゃんっていうのがズングリムックリしてるじゃん。
でも、あの子介護向きなんだよ。
形が(笑)
下から年寄り支えたりそういう目で見ると最高なんだよ。

ユリの花はダリアに憧れないんだよ。
わかるかい?
桜の花はね、蓮の花に憧れたりしないんだよ。
みんな一生懸命に咲くんだよな。

どこかで、勝手な人間だけがこういうのが基準で。
わかるかい?
背が高くてこういうのが良くて、って、モデルさんになるときに要る話だよね。
介護向きじゃないよね(笑)

人間ってそれにピッタリ向いてるんで、だからタンポポはタンポポとして咲けばいいんだよな。
それが、自分にできるようになったとき、自分って介護向きで最高の仕事だな、って自分はものすごく暗いから葬儀屋向きだな、とか(笑)
まあ、そんなのあるかもしれないけど。

自分て最高だな、って思ったときに最高がわかるようになってくると今度、人に対てもその人が気がつかないことでも、あんたこうだよ、って言ってあげたり最高だよ、って言えるようになる。
わかるかい?

自分のいいところを発見できないような人が人のいいところなんか発見できないんだよ。
わかるかい?

自分の暗いところや変なことばっかり言っている人で人を誉める、って無理なんだよ。
だって、素晴らしいことを発見する能力がないんだよね。
わかるかい?

それが、人間でもできるようになると誉められる。
新小岩っていいよね、とか新小岩にいると新小岩を誉められるんだよ。
地元の人も喜ぶし土地の神様も喜ぶんだよ。
わかるかい?

よく東京に来ると、わたし東京ってダメなんです。
人混みが多くて、空気悪くて、って言うんだよ。
そういうこと言っちゃいけないんだよ。
そこに住んでる人がいるんだから。
わかるかい?

東京じゅう、敵にまわすなんて(笑)
それよりも東京っていいですね。
手上げればタクシー止まるし、それから世界中の料理食えるし、24時間やってるんだよ。
こういうところって最高ですよ、って言えるような人ってさ。
鹿児島に住んでいようが、宮崎に住んでいようがそこを誉められるんだよ。
わかるかい?

東京をけなしている人って、地元を誉めているかというとそうじゃない。
何にもないんですよ、ここは(笑)
発想は同じなんだよね。
歌と同じで、一曲下手な人はみな同じなんだよな(笑)

それと同じで、東京誉められない人が千葉誉められないのと同じなんだよな。
で、東京のいいところも探せられる。
新小岩のいいところも探せられる。
って、なってきたときこの不況でも何かいいことがあると探せられるんだよ。
わかるかい?

だから、『自分さがしの旅』ってオセロゲームみたく、ひっくり返してこれれば、自分のよさも探せられる、人のよさも探せられる、新小岩のよさも探せられる。

俺みたいなものがニューヨークへ行けば、ニューヨークっていいね~つって、ニューヨークのよさも探せられる。
な?だからみんなが不況になって嫌になっちゃう、って。
不況は不況でいいことは必ずあるんだ。
コインだって裏と表が必ずあるんだよ。
裏だけのコインとか表だけのコインってないんだよ。
必ずいいことがあるんだよ。

だから、いいところを必ず探せるには、あなたが探せないのは、あなたがあなただと思ってる偽物のあなたではダメなんだよ。
本当はそういう人じゃないんだよ。

なぜかと言うと、俺たちは、神様の分け御霊をもらってるんだけど、本来、神が人間をつくったときには肯定的につくってあるんだよ。
本来、否定的じゃないんだよ。
否定的じゃなくて肯定的だから人類は永遠に発展してるんだよ。
わかるかな?

じゃなけりゃ、発展っつうのないんだよ。
だから、今魂の時代って、話がそれちゃうかもしれないけど、いろんな道具を使うのは猿でも石ぐらいは使っちゃうけど鑿作ったり、鉋作ったり、いろんなものを作れるの人間だけなんだよ。

だけど、鉄砲もつくったけど軍隊もつくったんだよな。
これも人間しかいなんだよ。
だから、人間って愛に目覚めないと、とんでもないことはじめるんだよ。

ね、それって何ですか、つと、みんながいいところいいところを探すようになれば、人間ってそんなバカなことしないんだよ。
わかるかな?心の問題でもなんでも、言っちゃ悪いけどね、ヒトラーでもなんでもどっこかに歪みがあるんだよ。

あなたが歪んだのは、あなたの性格だと思っているけどちょっとあなたの故郷、俺たちってよくいきなり前世療法とかやるんだけど、前世まで行かなくてもいいからあの、今から俺たちって記憶に残ってるものがあるんだよ。
その記憶だけを辿った旅でじゅうぶん変えられるんだよ。

俺たちに影響しているのは今世いろんなことが起きてるから。
なぜかと言うと、こういう親の下で生まれる、のはだいたい前世で何をやってきたか、ってわかるんだよ。
だけど、前世療法やったってなぜ、水が怖いのでしょう、って船が沈んだことがある、ってたいがいあるよな。
何代も生きてるなかでは船だって沈むよ。
そこまでさかのぼるよりも、たいがいは親のこと、学校の先生のこと、運動会でペケだったこと、そんなことがあなたを消極的にさせてるんだよな。

ね、それから近所の人が言ってることだいたい、成功してない親とかって『類友の法則』ってそういう人しかいなんだよ。
そうすると、それが世界だ、というような気になっちゃう。
でも、みんながそういうことを考えてないよ、って言いたいの。

だから、俺たちってのは『自分さがしの旅』にでる。
自分が納得するまで何年かかってもいいから、あのときあれでよかったんだ。
あのときのことを考えれば笑っちゃうよね、とか。

あの、寺田さんっていうのが酒蔵やってるんだけど、小学校の先生になりたくて大学に行ったんだけど、なんか、先生になる練習で小学校の生徒の前で真っ赤になってしゃべれないんだって。
それが自分にとって負の遺産じゃないけど、大学まで行って小学校の先生になりたかったんだけど、小学生の前で赤面しちゃって一言も声が出なかったことがすごく心の負担だったらしいんだよな。

で、寺田さんね、そのこと、どういうふうにしゃべれなくなったどうやって克服したかそれ話そうよ、そしたら、しゃべれない人っていっぱいいるから。
あの、欠点って、欠点のままにしておくから欠点なんだよね。
ひとたび乗り越えちゃうと宝になっちゃうんだ。

最初から話がうまかった人よりも自分はあがちゃってこういう状態だったけどどうやって克服したっていうプロセスを話すとそれっていい話なんだよな。
それで、あとねおねしょが止まなかった、らしいんだよね。
で、おねしょが止まんなくて修学旅行が行けなかった。

修学旅行に行くとおねしょしちゃうから、もし、したら大変だから、と言って行けなかったんだけど、逆に言うと行かないから、あそこんちって金もあるのに行かないからどうせおねしょでもするんでしょ、っていう噂がたっちゃって、自分は寝しょん便大統領って言ったとき、寺田さんね、それみんなの前で言おうよ。

何でかというと、隠しているとすごく重いものになるからね、ってそしたらねあの、みんなが集まったとき伊能忠敬だったっけ、日本地図かいたの。

伊能忠敬は日本地図かいたけど、私は毎日世界地図かいてました(笑)
ってみんなを笑わせたとき、もう、この人からは心の傷は消えたな、なまじ、会社の社長になったり本まで出している人がねそれってすごく欠点になるけど、どこかでそれを自分が笑い飛ばせたり、自分はそういうことがあったからどこかでおねしょをする人の気持ちがわかったり、人のことを傷つけなくなったりだから、自分が優しくなれたのは欠点があったからなんだ、って言ったとき、それって宝に変わるんだよな。

だから、どこでもいいからそこへ旅してさ。
一つずつ自分はあのとき、こういうことがあったから同じような人を見てもバカにしない、話せなくて、顔が真っ赤になった人を見たとき、自分もそういうことがあってその人の気持ちが分かる。
だからあのことで自分は優しくなれた。

もし、最初からうまく話せる人だったら、話がつっかえてる人を見てだらしないな、とか思っちゃうかもわかんないじゃん。
だから、人間ってさ、みんないろんなものを持ってさ。
行くんだよな。

人間って、何か悪いんだよ。
頭が悪い。
性格悪いとかな、歯並び悪いとか痔が悪いとか(笑)
なんか悪いんだよ。

その何か悪いのをさ。
心が乗り越えて宝に変えてさ。
一個一個あのオセロのようにひとつずつ白いものに変えていけたらさ。

俺は、人が相談に来てもどうやったら変えられるか、って思うんだよな。
その人の持ってるものそれ宝だよ。
そのまま、心の中にしまって置くと暗くてつらいものだけど、それを公開してそれのおかげで俺はこうなれたんだよ。
このおかげで思いやりのある人間になれたんだよ。

俺も小さい時から病気だけど病人のこともわかるしさ。
そのことでまるかんっていうのができたし。
だから、嫌なことが神がくれたらレモンくれたらレモネードに変えるだけの知恵をず~っと持たないといけない。神は宝をくれないんだよ。

宝に変えるべきものをくれるんだよ。
でも、それは常に困難にそっくりなんだよ。
梅のようなすっぱくて食えないようなものを、日本人は塩漬けにして梅干しにして保存食にして無くてはならないものに変えたんだよ。

だから、俺たちって神がくれたものを見るからに宝よりも一工夫して宝になるものが多いんだよな。
オセロの黒をくれたらひっくり返す努力だけはしなければならないんだよ。
そしたら、白をもらえるからな。
それはいいんだよ。
黒が影響するんだよ。

あのな、いいことっていっぱい要るんだよ。
からだにいいもの。
朝鮮人参でも何でもからだが治るまで相当量が要るんだよ。
ところが、悪いものって毒薬でも耳かき一杯あると俺たち全員死ぬんだよ。
あのくらい、効くものはないんだよ。

だから、人に毒のある言葉とか傷つける言葉ってちょっとでもすごく効くよ。
誉め言葉なんて、たいして効かないし覚えてないかもしれないけど、人に言う悪口とかいじめとかその人のどれくらい心に傷つけるか、俺たちは人を傷つけるんじゃなくて荷物を降ろしてあげたり黒、と思っているものを白、に変えてあげたりする努力をすると人を傷つける奴って嫌だよな。

お前、簡単に人を傷つけるけど、俺たちそれを治すのにどれだけかかるのか、お前の一言を治すのに俺たちは何年もかかるか、わかんないんだよな。

あのな、破壊ってすごいように思うんだよな。
でも、どんなに破壊しても建設のほうが上なんだよな。

建設は手間暇かかるようだけど、関東大震災だろうが全部東京ダメになったんだよ。
それから、爆撃でダメになったんだよ。
破壊は速いようだけど必ず人は何年かけても復興するんだよ。

今、全部ビルが建ち、東北の方でも建物が建ってるんだよ。
だから、俺たちの努力はムダなように思うけどムダじゃないんだよ。
ひとつひとつひっくり返す努力というのは、悪いものをひっくり返す努力っていうのはな。
人を脅かすのは速いけど無意味だよな。
建設的じゃないんだよ。

俺たちがやらなけりゃならないことは、みんなが故郷に帰るときにお手伝いして、お前、こういうことでつかえてるんだったらこうふうにひっくり返したらどうだ、こう思ったらどうだ、ということをひとりで旅するのも楽しいけどさ。

たとえば、相棒みたいのがいるとかさ、これが本になって出たときこの本が相棒になってこの本、一冊持ちながら、心の旅路に出てみるとかな。

そうしたとき俺は、運動会ペケだったな、とかお母さんに試験が悪かったときがっかりされたな、とかそんなことだよな。
何か言うたびに俺んちは、金がないからダメなんだ、この成績ではダメだ、とか先生にこう言われた、ああ言われた、とかそれをひとつずつさ。

そんなことないよって。
ひとりさんなんかもっと成績が悪かった(笑)
ね?それだって明るかったじゃないか。

全部変えていこうよ。
おねしょしても世界地図描いてたんだ、って笑い飛ばそうよ。
自分で言おうよ。

これが『自分さがしの旅』だと思ってるの。
この『自分さがしの旅』って楽しいし、意義があるし、この旅は人にも教えられる最高の旅になると思います。

以上です。
プロフィール

ナガサキブタロー

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