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2017
08.03

Do your best, and let it be(人事を尽くして天命を待つ)



なにげに鼻歌でメロディーを口ずさんでいたとき、「あれ、これビートルズの「レット・イット・ビー」だよなぁ…」と気づき、どんな意味なのか調べてみました。

「あるがままに」という意味であることを今まで知りませんでした。恥ずかしい限りです。

その和訳の例文に下記のフレーズがありました。

Do your best, and let it be.

これは、日本のことわざにある「人事を尽くして天命を待つ」 のニュアンスに近いそうです。

本日は、「人事を尽くして天命を待つ」で検索して読んだ記事の一部を転載してご紹介します。

各記事のタイトル画像に本サイトのURLを貼っていますので、本サイトの別の記事も覗いてみてください。

あなたにとってお役に立つ記事と出会うかもしれません♪




▲Yahoo!知恵袋

「人事を尽くして天命を待つ」の「天命」とはなんでしょうか?

どうも解釈が二通りあるらしいのです。

1.人事を尽くして天命を待つ、を因果応報という意味で解釈する場合。天命とは、努力にふさわしい良い結果のこと。

2.人事を尽くしても、天命は天命なのだから良い結果もあるし悪い結果もある。天命とは、人間の力の及ぶ範囲外からやってくるものなので、良かろうが悪かろうが人間はそれを受け入れるしかない。

みなさんはどちらですか。また、自分が思っていた解釈とはちがう解釈があることを知っていましたか。



「天命」の私の解釈としては、あなたが示された2の解釈です。

「予め定まった天による天の決断」という意味で捉えていました。

人事を尽くし切った結果として、上述の「予め」が消えるのかどうか、しかしそういうことに期待も何も抱かず、ただただ人事を尽くすことが人間の使命であるとの自覚に至った者としての、凄みがこの言葉にはありますね。

そういう思いでこそ生きるべきと思います。



人事を尽くし続ければいいのでは。

天命を待つという言葉は、人々に隙間を与え受け入れやすくするための言葉に感じます。

天命とは、当人以外の人々、また事柄での現象ではと思います。

そして当の本人は、熱中し続けているか、亡くなっているのではないでしょうか?

人事を尽くし続ける人は天命を待ちません。

尽くす前の人が天命を望んでしまうため、この言葉が広がったのではないかと思います。



もし2の意味が、「人事を尽くしても・人事を尽くさなくても、天命なんだから結局は同じじゃん!」という意味なら、私は、多少2に近いですが、1.2.のどちらでもありません。

たとえば大学受験で、人事を尽くさずに落ちた場合では、不勉強のせいで落ちたのか?それとも最初から受からなかったのか?

手抜きのせいで、自分の人生がよくわからなくなります。

しかし人事を尽くして落ちた場合は、その人はたぶんその大学以外に行くべきところがあるという天命なのだと考えるかもしれません。それがこの格言なのだと思います。

「人事を尽くした結果の悪い結果とは、実はその人にとって良いことであり、本当にやるべきことを教えてくれている」と考えることが天命なのかと思います。

良い結果ならそのまま受け取ればいい。もし2がそういう意味なら、私は2ですね。

解釈というのは、その人の持っている人生哲学が反映しているものですから、人によって違って当然だと思っていますし、またどれが正しいというよりは、「この人はこういう風に考えてるんだ」と教えてくれるものですね。



私も、2だと思いますわ。運勢って誰でも波があると思っています。

天命を受けた後の対処の仕方で自身の成長、アイデンティテーを見つけるのが人生かなぁと最近は考えるようにして「受け入れるしかない」と解釈せずに「何かを学んだ」と前向きに対処をやっと出来るようになりました。


▲子供でも分かることわざ格言辞典と慣用句の意味

「人事を尽くして天命を待つ」にはこんな深い意味があります

人事を尽くして天命を待つ

これは、好き嫌いが別れそうですが、私はよいことわざだと思います。ちょっと聞いただけでは、何を言いたいのか分かりにくいですが、よく考えると奥が深いスルメみたいな言葉です。

直接の意味はこれだけですが…

「人事を尽くして天命を待つ」とはできることはすべてやり、そのあとの結果は運命にまかせる、ということです。

分かりにくいですか。

ようするに、やるだけやったら、あとは運にまかせる、という意味です。

だからなんだって?

そうなんです、このことわざのは急がば回れや猿も木から落ちるのように、「分かりやすく何かを教えてくれている」というものではありません。

天命とは、天に与えられた命令、神さまが「おまえはこうなるのだ」と決めたこと、というような意味です。

したがって、これだけでは、どうするべきなのか分かりにくいばかりか

「どうせいくら頑張っても神さまにダメと言われたらそれまで、あーがんばるのやめやめ」みたいな、たいへんよくない意味にとられかねません。

もちろんそんなことないですよ。そんなことわざなわけないじゃないですか。

ではどういう意味なのか?もう少し考えてみることにします。

人事をつくせば、こんな変化が!

私が「人事を尽くして天命を待つ」ということわざが好きな理由のひとつは、

「やるだけのことをやり尽くせば、結果がどうなろうとも悔いが残らないものだ」

このことわざは、それをあらわしているように感じるからです。



以前見た、ドキュメンタリー番組でこんな話がありました。

ふたりの男が、雪山登山をしますが、そのうちのひとりが、ガケから落ちて動けなくなってしまいます。

そこで、もうひとりの男が助けに行くのですが、そのままふたりとも道に迷ってしまいます。

雪山で右も左も分からず、どうにもならない状況なのですが、「こんなところで死にたくない」「絶対に帰る!」と、

骨折して動けない仲間を背負いながら一生懸命に山を降りようとします。

しかし、深い雪にはまりこんだり、穴に落ちたりして、なかなか進めません。

次第に体力がなくなっていき、そのうち歩くこともできなくなりますが、それでも斜面を転がり落ちながら少しでも下にいこうとします。

そして最後には、広い場所に転がりついて完全に動けなくなります。

「もう、やれるだけのことはやった」

あとは雪に囲まれたまま、あお向けになって空を眺めているしかありません。

ここまで担いできた仲間となすすべもなく時間がたつのを待つのみ、しかしそこに、空から捜索にきていたヘリコプターに発見されて助かります。

人事を尽くして天命を待つとはこういうことではないかと思います。

この男たちは最初、「こんなところで死ぬのはイヤだ」みたいな感じで、必死になっていましたが、最終的には、「やれるだけのことはやった」という心境に変化しています。

最終的にヘリコプターが来てくれるかどうかは、自分たちではどうしようもできないことですが、少しでも発見されやすい場所に移動するのは自分たちでできることです。

そして、力のかぎり動いたからこそ、「できるだけのことをやったのだから、これで助からなかったらしょうがない」という覚悟ができたのだと思います。

うまくいく、いかないは最終的には運しだい、つまり天命という部分もありますが、結果はなんであれ、悔いを残さないという点でも、やれるだけのことはやる、つまり、人事を尽くすというのは大事な意味があるんじゃないかと思います。

不安から解き放たれるために

もうひとつ、人事を尽くして天命を待つ、これを実行する意味として、しっかりと出来ることをやれば、それが自信になって、あわてないというのがあると思います。

どんなことでも、やっていることが中途半端だと「出来るかな? 大丈夫かな?」と、オロオロしがちです。

しかし、たいていの場合、不安にかられた行動というのはロクなことがありません。

それ以上やっても無意味なのに、あせって無茶な練習をしてケガをしたとか、心配しすぎて眠れなくなって試験の当日寝不足で失敗したとか、恋愛でも、そのままでうまくいくのに不安だから相手の浮気をかんぐりすぎて嫌われたとか。

不安が原因で失敗した例は、いくらでもあげられそうです。

なんでそんなに失敗の例が、スラスラと出てくるのかは聞かないでくださいね。

失敗は成功のもと、ということにしておいてくださいね。

まあとにかく、そういった失敗をしないため、「しっかりと勉強したのだから、大丈夫」「これだけきっちり練習してうまくいかなかったら、もうしょうがない」というところまで、やれることをやるのは自信をつける意味でも大事だと思います。

それでも大丈夫かな? というときに「人事を尽くして天命を待つ」ということわざを思い出すといいでしょう。

こんな解釈はおかしいのでは?

このことわざが嫌いという人は、「人事を尽くして天命を待つ」の天命を待つ、という部分がいかにも運まかせで、やる気がないように感じるからじゃないかと思います。

たしかに、かならず成功してみせる!という意味ではありませんからね。

しかし、そもそもがんばれば、かならず成功するようなことにこのことわざを使うべきではないと思います。

もちろんこのことわざの意味はあくまでやれるだけのことをやって運命をまつというものなので、それをどう解釈するかは自由かもしれません。

が、合格が確実な受験や、必ず勝てる試合などは「天命を待つ」なんてこと言ってないで油断せずに気合いいれとけよという話です。

しかし、何をどうやっても大丈夫かどうか分からないというケースが人生にはあるもの。

雪山で遭難したなどという極端なケースでなくても、自分にとってレベルの高い受験、あきらかに相手が強い場合の試合、大勢の前でやる舞台演技など、いくらがんばっても成功できるかどうか分からない、それでもやらねばならん、という局面があります。

こういうのはかっこいいですね。まあ恋愛なんかも、多くの場合そうですね。

でも、見た目にはかっこよくても、いざやるとなったら不安でひざがガクガクしたりするものです。

そんなときは、ともかくやれるだけのことはやっておく。

そうすれば、あとの結果は覚悟を決めて受け入れられる、

それが、「人事を尽くして天命を待つ」ということの本当の意味ではないかと思います。

まとめ

ということで、「人事を尽くして天命を待つ」とは、やるだけのことはやって、あとは運命にまかせるという意味です。

考えてみると、ああだこうだと心配したりオロオロするときって、たいてい大したことをやっていなかったです。

そういうときは、できることを、できる限りやってみるというのが大事なんでしょうね。

そうすれば、不思議と腹がすわってきてあんまり動じなくなります。

まあ、過ぎたるは猶及ばざるが如し(すぎたるはなおおよばざるがごとし)といいますし、

むやみやたらと頑張ればいいというものでもないですが、それでも、そういったことを含めて

「これでベストをつくした」と自分がとことん納得できるまでやっていくと、「天は自ら助くる者を助く」と言うように、なんとかなるもの、

また万が一、思うようにいかなくても自分が「これ以上はもうできん」というところまでやりぬいた記憶は未来の自分に、大きな自信を与えてくれることでしょう。


『「幸せ」とは、感謝の気持ちに満ち、心が平穏で充実感にあふれ、自分をも愛することができる心の状態をいいます』 R・カールソン



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2017
08.01

「包容力」を養おう!



包容力を養おう!

本日のブログテーマは「包容力」です。自分の言い分を押し通そうとする人が多い中で、周りから慕われ、一目置かれる人もいます。

「いつもあの人の周りには人が集まっている」
「みんなに頼られてて、尊敬されている」


そんな風に人望がある人があなたの周りにいることでしょう。

そんな人をみると、「いいなぁ。それにひきかえ自分は…」とちょっとため息が出たりします。だからと言って、自分を卑下する必要はありません。私には私なりの、あなたにはあなたなりの良さがあるはずです。

もし、あんな風になりたいなぁとあこがれる人がいたら、昨日のブログで取り上げた「セルフ・イメージ」の目標にしましょう。

それぞれ性分が違うわけですから、やり方をそのまま真似ようとしても無理があります。

肝心なことは、そんな人望の厚い人達が、普段から心がけていることを、自分も取り入れることです。

形ではなく考え方を取り入れるのが大事なのだと思います。

と言っても、自分で自分の「人望」を高めようとするのも言葉的に変なので、本日のブログテーマは「包容力」に置き換えて検索してみました。

「なるほど、これなら心がけ次第で少しは近づけるかもしれない」と思える記事がありましたので、転載してご紹介します。

この記事では、「包容力とはいったいどういうものなのか?」という基本的な問いかけから、包容力のある人がどのような特徴を持っているのかをご紹介します!

また、包容力がある人になるにはどうしたらいいのかという方法も解説しています。

包容力はすぐには身に付けられませんが、意識して生活していくことで少しずつ培われていくことでしょう。

「包容力のある」人にあこがれる人は、ぜひこの記事を参考になさってください。

タイトル画像に本サイトのURLを貼っていますので、興味のある方は本サイトの別の記事も覗いてみてください。


▲生活百科『包容力のある人の12の特徴』

包容力とは?

包容力と聞いてあなたはどのように説明をしますか?

漢字だけ見ると「包む」、容器などの「容」、そして「力」です。

この漢字が表すように、”包容力とは相手の過ちや欠点など悪いところも全てひっくるめて相手の色々なところを受け入れることが出来る”力のことをいいます。

相手の意見を聞いて、真っ向から批判するのでもないですし、自分の考えを押し付けるような人ではないということです。



包容とは、どういうものか

包容力の包容とは、その漢字の通り、何かを包み込む受け入れ口があるということなんです。

そのように相手の意見や気持ちを受け入れられる器があるからこそ、冷静に相手の意見を聞くことも出来ますし、行動を応援することもできるんですね。

「器の広い人」だとか「器の狭い人」なんて表現を使ったり、聞いたことがあるのではありませんか?まさにその「器」のことなんですね。

しかも、それだけでなく、相手の気持ちをそっと大切にしてくれるような、優しい器です。

包容力があるとはどういうことか

包容力があるということは、自分に意見と違っていても相手の意見を批判せずに、そのような意見や考えもあるのだなと柔軟に受け入れることができる人のことを言います。

その人にならなんだか何でも委ねてもいいと思えるような、安心できるような、そして頼もしいと思える人のことを言います。

なんとなくイメージが沸いたでしょうか?また、包容力があるというのは、意見や考えを受け入れてくれるといった精神面だけでなく、落ち込んでいるときなどにそっと抱きしめてくれる立派な胸元、安心して委ねられる身体という身体面でもありますよ。



包容力がある人の3つの特徴

では、包容力がある人はいったいどのような特徴を持っているのでしょうか。

もしかしたら、あなたはご自分のことを包容力のある人だと思っているかもしれませんが、あなたはその特徴にあてはまりますか?また、あなたの大切な人は包容力のある方でしょうか?チェックも兼ねて、見て行きましょう。

必要としてくれる

包容力がある人というのは、人を大切にします。

そして、その人それぞれの存在を必要としてくれるところがあります。

女性というのは、誰かに必要とされたいものです。

もちろん男性も誰かに必要とされたいものですよね。

誰かに必要とされていると分かった時にはとても安心できますし、そこに存在する意義を感じることが出来ます。

また、生きている喜びを味わうことも出来るかもしれませんね。

なぜそうなるかといいますと、私たち人間は誰かに認められることを重要視しがちだからです。

何か新しいことを始める時、誰かに批判する時、応援してくれる仲間がいるのといないとでは、その後の状況は大きく変わってしまいます。

あなたもそのような経験があるのではありませんか?まず、自分の存在を認めてくれる、そして必要としてくれる人は私たちに安心感を与えてくれるんです。

時間を割いてくれる

あなたの身の回りに居る包容力のある人は、いつもスケジュールを合わせてくれていませんか?包容力がある人というのは、特別な人だけに包容力があるというよりは、その人自身の性格ですから関わる全ての人から一緒に居て居心地がいいだとか、素敵な人だと思われていることが多いんです。

そのため、お誘いも多いでしょうし、お仕事もうまくいって忙しい日々を送っているはずなんです。

しかし、そんな時でも時間を割いてくれます。

「今忙しいから」なんて、相手が悲しむようなことを言いません。

もしもそのような状況だったとしても、包容力がある人は頭の回転が早い人でもあるので、ササッと用事を済ませてしまうんです。素晴らしいですよね。

話を聞いてくれる

多くの方が包容力のある人はどんな人かと聞かれて、「話をきちんと聞いてくれる人」と答えるのではないでしょうか。

特に女性は相手に意見を求めるというよりは、自分の意見を聞いて欲しいから誰かに話すことが多いですよね。

そして、その話に同調して欲しいから話します。

包容力がある男性というのは、適度な相槌を打ちながら女性の話をしっかりと聞いてくれているものです。

意見を求められれば、その話に対して意見を話します。

話し手からみると、とても話しやすい相手でもありますし、何も批判することなく話を聞いてくれるというのは、その話しに同調してくれていたり、その意見を認めてくれているとして受け取ることも多いので、自分自身を認めてくれたのだと安心できるのですね。

包容力があるないに関わらず、誰かが話しているのを真っ向から反対するような人は、誰もが苦手なはずですがね・・・。

存在を認め、必要としてくれる

包容力がある人というのは、誰かを必要としてくれますし、しかも話もちゃんと聞いてくれるものです。

それは全て相手の存在を認めているからできることなんですよね。

認めているからなんて書き方をすると上から目線のように感じられますがそうではありません。

あくまで平等なのです。

俺様タイプの人は”俺が必要としてやってるんだから◎◎しろ”などと言いますね。

それは平等ではありません。

しかし、包容力がある人というのは、さりげなく相手の存在を認めて、必要としてくれるのです。

そこにわざとらしさも見えませんし、意図的でないために好感を持つことが出来るんですよね。

許容してくれる

包容力がある人は、話してくれた意見や考えを批判したりしません。

また、なにかミスをしてしまった時などもすぐに怒るのではなく、その状況を許し、受け入れてくれます。

多くの人は何かに失敗したりすると、誰かに怒られるのではないか、仕事上のミスであればクビになるのではないかなんて深く考えてしまうものです。

しかし、包容力がある人というのは、何に対しても許容してくれるのです。

それってその人といれば、なんだか心強くなれる気持ちも出てきますよね。

ミスをしても肯定してくれる

許容してくれるでも出てきましたが、何か間違いを起こしても包容力がある人というのは、批判したり怒ったりするのではなく肯定してくれます。

受け入れてくれるんです。

ミスをするとその後にどのゆおになってしまうのか心配と焦りでいっぱいになってしまい、更に新たなミスに繋がることもありますよね。

でも包容力のある人だったら、「ミスは皆するものだよ!」「次から気をつけよう!」などと次につなげるのもとても上手なので、仕事だけでなくお付き合いしやすいともいえます。

考え方は違っても理解してくれる

私たちは皆それぞれ違う意見や考え方を持っていて当然ですね。

育ってきた環境も違いますし、好きな歌手や本だって違うのですから。

包容力のある人というのは、人は皆それぞれの意見を持っているし、意見が違っていることは当たり前のことだと分かっているので、どんなに意見が違ったとしても「そういう考え方があるんだね!勉強になるよ」なんて、理解してくれるものです。

そのように理解してくれるだけでも、相手にきちんと自分の意見を言うことが出来るようになりますし、互いに良い関係を築くことが出来るんです。

だって、自分の考えを毎回のように批判してくるような人には、時間がたてば自分の意見を話したくなくなるはずですよ。

多様な価値観を認めてくれる

包容力がある人というのは、十人十色であることを知っています。

十人十色というのは、十人いれば十人別々の考えやカラーがあるということですよね。

私たちは別々の人間なのですから、全ての価値観が会うと言う事はありません。

たくさんの多様性に満ちた価値観があるからこそ、今のこの世界が出来上がっているわけです。

このように様々な価値観があり、それを認めることが出来るというのは色々と学んだり、経験しなければできないことが多いです。

そう考えると包容力が豊かな人というのは、それまでの人生に色々なことを経験したからこそ、素晴らしい人格を形成したともいえそうですね。

必然性を知っている

世の中には偶然起こりうることもあれば、必然的に発生しうる物事もありますね。

包容力がある人というのは必然的に物事が起こることがわかっています。

ですから、何か物事を遂行する時、何かを始めるときなどは冷静に対処することができるんですよね。

頭の回転が速いだけでなく、どうしたらいいのか、どうやったらいいのかなんてササッと答えを出してしまうのです。

起こりうるトラブルについて予測ができている

あなたは何か行動を起こす時、どんなトラブルが起きるなんてことを考えていますか?包容力がある人というのは、どのようなトラブルが起こりうるのかについて予測できていることが多いんです。

人って何かトラブルに見舞われると、そのことについて覚悟が出来ていないと焦ってしまいます。

包容力がある人というのは、ひとつの物事を色々な角度から観ることが出来る人でもあるので、トラブルについて予測することもできるんですよね。

これって色々な経験や色々な勉強をこなすことで鍛えられるものなので、包容力がある人というのはそういう人なのだなということも分かるでしょう。

予想外の事態にも対応力でカバーできる

包容力のある人というのは、起こりうるトラブルについて予測することも出来ますし、また、そのトラブルに対してどのように対応したら良いのかについても考えることが出来ます。

包容力がある人というのは、そのような事態が起こることも想定していなくても冷静に考えることができるので、即座にカバーすることができるんですよね。

まさにこれも色々な経験をしてきたからこそ、できるものなのではないでしょうか

自分の短所を自分で補う仕組みづくりができている。セルフケア。

どんな人でも短所というものがあるものです。

短所もあれば必ず長所もあるものなのです。

しかし、多くの人は短所にばかり意識を向けがちですよね。

「自分はどうせ・・・」なんてあなたも考えたことがあるのではないでしょうか。

包容力がある人というのは、そのように自己嫌悪に陥ることがありません。

もしも短所があったとしても、それを自分自身で補えるのです。

自分で悪いなぁ、よくないなぁなんて思われる箇所に関しては、「それがあるから◎◎できるんだ」なんてポジティブに変換しているものです。

このように自分を大切にしているからこそ、他人に対しても包容力を発揮することが出来るのでしょうね。

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2017
07.31

相手に期待をしない

2016/03/19更新記事


本日のブログテーマは、
「相手に期待しない」です。

これは、相手を信頼しないという
意味ではありません。

相手のこれからに、
希望を持たないという意味でもありません。

相手に甘えすぎないという意味です。
相手に依存しすぎないという意味です。
相手に寄りかからないという意味です。

もっと具体的に言えば、

自分のことは自分で
やりましょうという意味です。

相手の行為をあてにしないで
自分のことは自分でやりましょう。

「それぐらいやってくれもいいじゃないか!」

甘えてはイケマセン。
自分のことは自分でしっかりやるのです。
人をあてにしてはイケマセン。

そんなことだから、
相手に失望するのです。

相手の好意を当然のことと
あてにしないで生きてゆく覚悟を決めれば、

相手の小さな好意にさえ、
「ああ、有難い!」と感謝できます。

本日のブログでは、昨日のブログである
「自灯明」的な生き方の実践版のつもりで、

相手に期待しない
=自分のことは自分でやるべし

という決意を込めて、「相手に期待しない」を
テーマに選びました。

関連記事を掲載します。
なにかの参考にされば、嬉しいです。


▲http://hitofuri.com

「なんでいつもそうなるんだ」
「失望した」
「信じていたのに」
「惜しかったね」

そんな言葉を発しているとき、
人は少なからず相手に対して
期待を持っていたはずです。

期待しているからこそ腹が立ち、
残念な気持ちになってしまうのです。

しかし、

相手に過剰に期待することをやめれば、
このような残念な気持ちになることはありません。

そこで、人生を楽に生きる
期待しない生き方についてご紹介していきましょう。

期待とは

相手に何かを期待するからこそ、
それが叶わないと怒ったり
残念な気持ちになったりします。

そもそも期待とは、
どのようなことを指すのでしょうか。

それは、相手に対する期待と、
自分に向けての期待に分けられます。

期待しないという選択

相手に期待をするということは、
具体的なイメージをしているということです。

そしてそれが実現しないことで
腹が立ち悲しくなるのです。

しかしそれは、
相手が関係しているからこそ、
招かれた結果です。

ある意味、
他力本願の結果とも言えるでしょう。

人に期待をしすぎて
それを求めている人ほど、

成果が得られなかったことに対する
失望は大きくなります。

しかし、人に期待をせず自分の力を信じて
頑張って得た成果なら、喜びも倍増ですし、

うまく行かなかったとしても
納得することができるでしょう。

人に期待するということは、
ある意味他力本願で、

人に期待しないということは、
自力で頑張らなければならないということなのです。

相手に対する期待においては、

「こんな風に育ってほしい」
「この仕事を成功させてほしい」など成果を求めます。

そして、

自分に向けての期待は、
相手にこうしてほしいと思う期待です。

「プレゼントがほしい」
「プロジェクトの一員に指名してほしい」など、
自分のメリットを叶えてくれるための期待です。

いずれにおいても期待が裏切られると、
残念な気持ちになるでしょう。

自分の尺度で考えない

人に期待をするということは、
自分の考えの尺度で相手を
判断しているということもあります。

例えば、

バレンタインにチョコレートを送れば、
必ずホワイトデーにはお返しが来るということを
当たり前のように期待していると、

お返しがないことに腹が立ち、
イライラしてしまいます。

また、欲しがっていたバッグを
買ってあげたのに、喜びのリアクションが低いと、
買ってあげたこと自体に損を感じてしまうでしょう。

つまり、

「こうなれば、こうなる」という
自分のルールがあるため、

それが達成されないことに違和感が生じ、
イライラへとつながってしまうのです。

お互いの価値観が違えば違うほど、
相手に期待し、裏切られる期待が増えていきます。

自分の尺度で
物事を当たり前のように考えてしまうと、

このような期待を裏切られる感覚に
悩まされることになるでしょう。

期待していないからうまくいく

人に期待をすることは、
相手にプレッシャーを与えることでもあります。

だからこそ、

相手に期待せずにうまくいったらいいな
くらいに捉えておくと良いでしょう。

期待しないことで、
相手はプレッシャーから解放されますし、
こちらも期待していないので
思わぬ結果に幸運を感じるようになります。

お互いにとってストレスのない関係になるため、
一石二鳥と言えるでしょう。

例えば、同棲中の恋人に、
夕飯を作ってもらえていたら
嬉しいという期待をしていると、

準備していないことを残念に思いますが、
自分が帰ったら作ろうと思っていたら、
準備していないことに腹は立ちません。

それに、

自分が帰ったら作ろうと考えていたのに、
すでに作ってくれていたという方が、
期待していなかった分、喜びは大きくなるでしょう。

当たり前を排除しよう

人に期待しないということは、
当たり前という価値観を取り外すことでもあります。

何かをしてもらうのが当たり前と考えていると、
何かをしてもらうことに期待をしてしまいがちです。

しかし、

何かしてもらうことがないと思っていれば、
何かしてもらうことに感謝する気持ちになれます。

つまり、人に期待をしていない方が、
喜びは大きくなっていくのです。

何事にも期待し、
当たり前のように感じていると、

このような喜びを感じることはできませんが、
当たり前という価値観を排除し、

期待しないことを選べば、
ちょっとしたことも大きな幸せに見えてくるのです。

気持ちに余裕が生まれる

期待しないということは、
相手の一挙手一投足にイライラすることが
なくなるということです。

相手に期待していると、
こうしたらいい、ああしたらいいという口を
挟みたくなりますが、

期待しているからこそ
関わりたくなってくるものです。

しかし、相手に期待していなければ、
イライラすることが無くなりますし、
気持ちに余裕も生まれてきます。

もしうまくいかない結果になったとしても、
それを受け止めることもできるでしょう。

期待しないことは、
平和な関係に繋がっていくのです。

関係性が深まった時が注意

何事においても期待しないように思っていても、
つい期待してしまう瞬間はあります。

それが、お互いの関係性が深まった時です。

信頼関係が生まれ、
お互いの存在を認め立った時に、
期待は生じるものです。

「この関係性があるから大丈夫」
という気持ちがあることこそ、期待に繋がります。

その結果、

ちょっとした価値観の違いから亀裂が生じ、
あっという間に関係性が崩れてしまうことに繋がります。

恋人においても、
「全部自分のことをわかってくれている」と思ったとたん、
相手に期待しプレッシャーになっていくのです。

このことからも、関係性が深まった時こそ、
相手を過剰に期待しないように注意しましょう。

いくら関係性が深まったとしても、
お互いに知らない部分、価値観の違う部分はあるものです。

自分自身に対しても
100%把握することはできないのですから、
相手に対しても同じことを求めないようにしましょう。

予測をしない自由

何かに期待をするということは、何かを予測し、
その結果を待つということでもあります。

しかしその結果を期待するからこそ、
視野は狭まり、発想も固まってしまいがちです。

だからこそ、

期待という概念を外して結果を期待しないことで、
発想をさらに自由にさせていきましょう。

どんな結果になっても
大丈夫という心の余裕があれば、
たとえ良くない結果になったとしても
臨機応変に対応することができます。

予測しない、期待しないということは、
自由な発想と選択肢を生む可能性を秘めているのです。

まとめ

このように、期待しない生き方についてご紹介しました。
さまざまな期待から解放されることで、

人はもっと自由に楽に生きることが可能です。

期待だらけの中で生きるよりも、
自分らしい生き方にチャレンジしてみては
いかがでしょうか。


▲http://matome.naver.jp

「あの人なんであんなことするの?」
「この人なんでわかってくれないの?」

こんな経験でイライラしたこと、
クヨクヨした経験はありませんか?

実はこれ、すべてあなたが
"他人に期待している"せいなんです。

人間関係におけるトラブルや
精神的ストレスの原因の多くが

「相手に対して期待する」という
心理から生まれています。

人に何かを期待して
報いられないことほど
消耗することはありません。

期待が叶わないのは当たり前

他人に期待することで
多くの苦しみが生まれます。

なぜなら、

「他人に期待する」ということは、
叶わないかもしれないことがほとんどだからです。

つまり、期待の中に、
すでに失敗するロジックが内包されているのです。

人の過去や都合はみな違う

生まれた場所、育ってきた環境も違うのだから、
すべての人に同じように当てはまることなどありません。

人間誰しも、悲しい過去や辛いことがあります。
誰だって人から好意や愛情が欲しいし、
受け入れられたいし、癒されたいのです。

他人が自分と違う行動をしたり、
依頼したことに思い通りに応えてくれないのには、
それなりに理由や相手の都合もあるのです。

他人を変えるのは、
ハッキリいって「無理!」

人が長い人生で培ってきたものを
変えようとするのはとても大変です。

他人を変えようとすることから
ストレスは生まれます。

本人に命の危険がない限り、
他人の行動や性格を変えることは
絶対にできないので、期待するだけ無駄です。

「まあ、他人はこんなものだ。」

人生や他人に対して期待をもたずに生きていると、
人生が上手くいかなかったり、

他人から悪い態度をとられても、
「まあ、そんなものだ。」と腹が立たなくなります。

お金持ちの人は、
相手がロクでもない人間であることを
早めに知ることができてよかったと考え、
交友関係を絶つだけにする。

思考を変える実例を紹介

例えば、すぐに約束事を忘れる人が
いたとしましょう。

そのときに、

「あなたはなぜ約束を守れないんだ?」と
腹を立てるのではなく、

「この人は約束を忘れることが多い人なんだな」と
事前に納得しておくのです。

図書館で資料をまとめていたら、
ブツブツ独り言を言いながら
勉強している人がいました。

気が散るので、こう考えてみました。

「この人は宇宙人なので、
私の常識は全く通用しない」

コンビニの店員さんであれば、
無愛想でも軽く流せるのではありませんか?

それは私たちが、
コンビニに期待していないからです。

しかし、横浜中華街の一等地にある
高級レストランだったらいかがですか?

期待するから、心から
嫌な思いが込み上げて来るのです。

例えば、夜遅く帰ったときに奥さんが
温かいゴハンを用意して
風呂も沸かした上に玄関先で待ってくれている……と

期待して玄関を開けたら
冷や飯と冷めた風呂しかない上に先に寝てた

という状況だとガッカリ(期待あり、減点法)です。

でも、何かしら食い物があるし、
風呂もとりあえず入れると考えれば(期待せず。加点法)、
問題ありません。

自分にも期待しない。
→他人にも期待しない。


私は、自分の人生に
過度に期待をもたずに生きています。

ですので私は、他人に対して
過度に期待をもたずに生きています。

だからでしょうか。

以前に比べれば・・ですが、
他人との人間関係での悩みが
少なくなっているようです。

不幸な人とは、

「他人は自分を理解してくれて当然、
してくれない人には怒りを感じる」と
考えている人です。

だからといって悲観する必要はありません。
"過度"に期待しないだけです。

「きっと良くなる♪」と信じつつ、
でも、過度/過剰な期待はしないし、

「駄目なら諦める!」という覚悟ももっておく
そういったスタンスも大事なのかもしれません。

ただ、感謝の気持ちは忘れずに♪

もちろん、生きるということは
他人の恩恵は大きく受けるわけです。

それは感謝して受けるがいいのです。
しかし、期待してはいけない。

期待はしないけど、
相手が自分に対して良い事をしてくれたり、

良い感情を返してくれたら
素直に感謝すればよいのです。

他人に期待をしないというのは、
他人のことなど知らないよという
態度ではないのです。


▲http://the5seconds.com

他人に期待しすぎたばかりに、
裏切られた気分になった・・・
なんて経験をしたことはないでしょうか。

相手からしてみれば
勝手に期待するほうが悪い…
と思うこともあるでしょう。

このような事態を防ぐには、
最初から期待しないのが一番です。

そこで今回は、相手を期待しない方法を
ご紹介しますので、ぜひ今後の参考に
してみてください。

自立心を養う

他人を期待するということは、
ある意味他人に依存しているということでも
あると思います。

人はお互い助け合って、
寄り添って成り立っていくものですが、
依存してはその関係は崩れてしまいます。

お互いがちょうどよい信頼関係でいけば、
上手くいくのではないでしょうか。

まずは自己確立をして、
自立心を養うことが大事です。

他人におんぶにだっこでは、
人間関係は上手くいきません。

自分と対話をする時間を設け、
自分で自分のことをコントロールできる人間に
なりたいものです。

他人をあてにしない

たとえば大事な用事に誰かがいないと
できないような場合があった場合、
どうしてもその人をあてにしてしまいます。

しかし、初めから
その他人がいないかもしれないことも、
頭に入れておいて、物事を組み立てていけば、
どんな状況でも対応することができます。

当然自分のことは自分で行うのが基本ですが、
それが何かの理由でできない場合、

最初からその他人に頼ってしまっては
物事は上手くいかないものです。

あくまでもお手伝いをしていただくという
スタンスで行ったほうが上手くいくことでしょう。

他人はそれぞれ自分の役割がある中で、
時間を割いて自分のことをやってもらうわけです。

自分ができないからと言って、
他人にやってもらうのが当たり前という考えは
捨てた方がいいかもしれませんね。

結論は自分で出して行動する

もし問題や悩みがあったとして、
誰かに相談したとします。

しかし、最終結論は
必ず自分で出すようにしましょう。

あの時、○○さんがこう言ったから、
自分はこうしたというようなことは
止めたほうがいいですね。

他人の意見はあくまでも、
その人の主観からきています。

自分と同じ人間は、
この世には一人もいないのです。

ですから、考え方も行動も
それぞれ違っていて当たり前なのです。

たとえ、他人と同じことをやったとしても、
出てくる結果は違ったものになります。

あくまでも自分主観で結論を出して行動し、
たとえ上手くいかなくても
誰かのせいにすることはやめましょう。

自分の依存度に気付く

他人に期待する、ということは、
他人に依存している部分があるということです。

それは、大なり小なり自身が影響を受ける事項を、
他人任せにしているということです。

他人は自分で
コントロール出来るものではありません。

自分でコントロールできないものに、
感情を揺さぶられる原因を委ねている状態。

それが相手に期待しているということなのです。
これは実は辛い状態です。

自分のコントロール外に、
自分の喜怒哀楽の原因があるのですから。

特に期待通りいかなかった時の怒りや悲しみ、
そして結果を待つ不安といった感情は、
本当は少ない方が良いはずです。

まずは自分の力ではどうしようも出来ないはずの
他人への期待を、今どれくらい抱えているのかを
洗い出してみましょう。

不要な依存、期待が多い程、
自分を追い込むことになります。

期待の裏にあるものを知る

期待を手放そうとしても、
すんなりとは割り切れない事があります。

そういった場合は、
期待してしまう相手に対して、
自分が望んでいることを突き詰めてみましょう。

期待の裏には、自分の中での
相手への認識がはっきりと現れています。

例えば相手への上下意識、
自身の希望の投影、
無意識にある自分の欲の反映などです。

相手を上から見ているならば、
「期待に応えて当然」と思いがちです。

しかし、あくまで他人です。

期待を裏切られることも十分あり得るのに、
裏切られた時傷つくリスクを
わざわざ背負っていることになります。

相手に自身の希望を投影している場合、
例えば子供に良かれと思って期待していることが、

子供ではなく自身の希望であれば
その期待によって両者が傷つきます。

無意識の自身の欲を
他人への期待にすり替えている場合、

無意識に逃げようとしている
あなたの何かに向き合うまで、

他人に期待しては
裏切られる事を繰り返すでしょう。

相手への期待は
至極当然のように思いがちです。

しかし、改めて相手への期待の
裏側にあるものをよく見つめると、
新しいドアが開けてきます。

自分の為の時間を
増やしてあげる


相手に期待するということは、
他人の為に自分の時間、

そして精神的なエネルギーを
注いでいるということです。

しかしその結果は
必ずしも納得が行くものではないわけです。

相手への期待で疲れてしまった人は、
自分の為だけの時間やエネルギーを
増やす心がけが大切です。

始めは癖が治り辛いかもしれません。

しかし、このまま期待に疲れ続けるより、
その時間とエネルギーを少しでも
自身の為だけに集中してみてください。

相手に向き合うのに疲れたら、
自分に向き合うのです。

不安な自分を見つけたら、母親のように、
何が不安なのかを優しく聞いて見てください。

そういった時間を作ることで、
期待の裏側に気付き、
手放すことが可能になります。

そして手放す事が
如何に楽かを知ることになるのです。

期待しない方法を見つける

いかがでしょうか。
他人に期待しない生き方というのは
簡単なようでとても難しいものです。

しかし、

単純に期待しなければいいのかと
言われればそういうわけでもないのが
また複雑です。

人はどうして人とのつながりで
生活が成り立っているので、

少なからず期待してしまう自分が
いるはずでしょう。

なので、
すべてを期待しない方法よりも、

ケースバイケースで
期待しない方法を見つけると、
気持ちに余裕が生まれてきます。

その方法は、環境やその人の性格で
大きく異なるので、

今回ご紹介したことを参考に
あなたなりの方法を見つけてみてください。



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2017
07.29

自灯明 (じとうみょう)

2016/3/18更新記事


「心のよりどころ」をテーマとして禅宗の名言集を読んでいたところ、「自灯明(じとうみょう)」という言葉に出会いました。

『自灯明』

自ら灯した明かりを頼りに自分の人生を歩いてゆく。その潔さにとても惹かれます。

この言葉を見ていると、「自分の人生なんだから、やっぱ、そうあるべきだよなぁ…」とすごく納得できる気がします。

『自灯明』

・人との関わりに嫌気がさした時、
・思うようにモノゴトが進まない時、
・自分に自信がなくなった時、
・自分のこれからが不安になった時、
・自分の老いの進行を痛切に感じた時、


そんな自分の心が弱った時に、この明かりさえあれば、再び前向きに進んでいけそうな気がします。

そしていつの日か、自分が足腰が立たないよわっちい爺さんになり果てた時にでも、一人、介護施設のベットの上で穏やかな最期を迎えられそうな気がします。

『自灯明』

この教え、忘れまじ!

良い言葉に出会えました。これが本日のブログテーマです。

各記事のタイトル画像に本サイトのURLを貼っています。興味のある方は是非、本サイトの他の記事もお読み下さい。

きっとあなたにとってお役に立つ記事とたくさん出会えると思いますよ♪


▲http://ins8.net/diary/event

『自灯明』

自分の光を「よりどころ」とするということです。

どこかの光を奪ってきたり、誰かの光を持ってきて、自分を照らそうとするのではなく、自分自身の光を遣う・・・。

これは、自立するとか、他者の力を借りないとか、そういう話ではありません。

自分とつながっていない間は、他とつながることもない。

そして、そもそも自分とつながっていない瞬間などはじめからない。

どこかから持ってくる必要もない、おこそうとする必要もない、

自灯の明

人は、自灯明に氣づいたとき、

世界と自分との間、
他者と自分との間、
自分の肉体と意識の間、
時間を感じている自分、


すべての内に、自分自身を発見し、自分の在り方を選択しはじめるのかもしれません。


▲http://www.jyofukuji.com

「自灯明・法灯明」は、釈尊が入滅される前に、弟子に示された最後の教えだといわれています。

「他者に頼らず、自己を拠りどころとし、法を拠りどころとして生きなさい」ということです。

釈尊の死が間近であったときに、「師が亡くなったら何に頼ればよいのか」と嘆く弟子のアーナンダに対して諭された言葉です。

弟子のアーナンダにとって、常に寄り添い仕えた釈尊は、教えの導きの師であり心から頼りとする偉大なる師でした。

その師が亡くなってしまったならば、「そのあと自分は誰から教えを受け、どうやって生きていったらよいのか」と、彼は途方に暮れてしまった訳です。

そんなアーナンダの問いに答えて、「私や他者に頼ってはならない。自己とダルマ(理法)を拠りどころとせよ」と釈尊は説かれました。

ここで「法灯明」ではなく「自灯明」が先に来ているのは、お釈尊自らが説いた法ばかりを頼らないで、まず「自分自身を拠り所にしなさい」ということ。

「法」を頼りにすることは、外部の決まりごとに従えということですが、

ただ、法に従うことにのみ忠実になってしまって、法の奴隷になってしまうことの無いように「己こそ己のよるべ」ということです。

「仏陀感興のことば」には

この世では自己こそ自分の主である。

他人がどうして〈自分の〉主であろうか。

賢者は自分の身を調えて自分の主となる。

賢者は自分の身を調えて自分の目的を達成する。

賢者は自分の身を調えて自分の徳目を達成する。

賢者は自分の身を調えて自分の名声を得る。

賢者は自分の身を調えて自分の名誉を得る。

賢者は自分の身を調えて自分のいろいろの幸せを得る。

賢者は自分の身を調えて自分の永く天の世界にあって楽しむ。

賢者は自分の身を調えて自分の明らかな智慧を獲得する

賢者は自分の身を調えて自分の親族の中にあって輝く。

賢者は自分の身を調えて自分の悩みのうちにあって悩まない。

賢者は自分の身を調えて自分のいかなる束縛も断ち切る。

賢者は自分の身を調えて自分のすべての悪い領域 を捨てる。

賢者は自分の身を調えて自分のすべての苦しみからのがれる。


「自己以外の何ものにも頼ってはならない」ということの真意は、「自己の内奥に潜む仏性を認識し、そしてその自我本性である仏性と、ダルマ(真理・理法)という自己の内なる仏性と同質の‘絶対真理’のみを頼りとせよ」ということなのです。


▲http://yamayoshi.hatenablog.com



小池龍之介さんの著書
「ありのままの自分に気づく」を読みました。

この本は、他者からの「承認」 に一喜一憂せず、善でも悪でもなければ何者でもない「ただの自分」、“ありのまま”の自分を受容しようという内容です。

本書の内容を鑑みると、他の「自己肯定」の記事とはちょっと方向性の違う内容になっているかもしれませんが、感想と合わせてまとめていこうと思います。

自己承認は成り立たない

本書は4章構成になっています。

その第1章「承認について」の序盤で、住職である著者は、「自己承認は成り立たない」と断言しています。それはなぜか。

+++++++

老子や荘子の老荘思想の中には、自分が立派になったことを口で言うとか、自分がエコな生活をしていて、自然な生活をしているということを口に出して言いたがる時点で、それはもう自然ではないという思想があります。

++++++++

自分で自分について、「自分はこれだけいいことをしている」とか、「これだけ優れている」などと口にしたところで、それには信憑性があるのだろうかということです。

借金をする際、自分が自分の保証人になることができるのだろうか、それは明らかにできないですよね。

+++++++

「自分が自分を承認する」ということは説得力を持たず、それは成り立たず、自分が自分を支えることはできない。

まさにそれゆえに、他者の支えが必要になってしまうということが言えるのだと思います。

++++++++++++


いくら自分を承認しようとしても、「それは自分でそう思い込んでいるだけじゃないの?」と言われてしまえば、説得力を持たなくなってしまう。

それが自然だ、本来の自分だ、と言っても、言い聞かせているようで、逆に不自然に映ってしまう。

自らを承認することは難しく、ゆえに他者からの承認を必要とするが、それでも絶対的な承認をもたらすことはできないと、著者は書いています。

人が誰かを褒めるときや、好意を持つとき、その対象となるのは、その人の一部分でしかない。

イケメンだとか、髪がきれいだとかいった外的要因はもちろん、

気立てがいい、一緒にいると楽しいといった、性格的な面もそうだ。

しかし、それらは不変のものではない。

この世は無常であり、容姿は年を経て変化するし、いついかなるときも「良い人」なんてのは存在しない。

場面場面で見れば、良いこともするし、悪いこともする。

無条件の愛などなく、何らかの条件なしには、人は人を承認できない。

そのため、ある人のある要素、パーツを好きになったとしても、それはその人そのものを承認することとイコールではない。

「承認」は不確かなものであり、それに依拠しすぎることによって、孤独感や渇愛が増していくこととなる。

……なんだか、夢も希望もないように感じますね。

孤独と渇愛

じゃあどうすりゃいいんじゃい!と考えたとき、「ただ無条件に受け止めなさい」と説明しているのが次の章です。

何々を満たしたから受け止めるのではなく、ただ、受け止めるだけ

イライラしているときは、「そっかー、イライラしてるんだねー」と気づいてあげる。

やる気がでないときは、カラ元気を出さずに、「やる気が出ないんだー、ふーん」と認めてあげる。

そのような無条件の承認は、自分にしかできないものだ。

他者からの承認を得ようとすれば、「◯◯だから」という条件が必要になってくるし、その条件も移ろいやすい。

自分で自分を、「うん、そうだね!」とだけ承認してあげることで、「精神的自給率」を上げることを著者は薦めています。

また、「渇愛について」の章では、人は自分という色メガネを通してしか世界を見ることができず、ゆえに人間はみんな自己中だ!と説明しています。

自分を褒めてくれる人は好き、批判してくる人は嫌い、それ以外の関わりのない何十億の人間はどうでもいい。

++++++++++++

対象をありのままに受けとらずに、「良い」「悪い」「どうでもいい」という主観的な歪みを加えるので、世界があるがままには見えない。

+++++++++++

「私にとって」というメガネを取ってしまうと、好ましい存在だけでなく、嫌な存在も実在しない。

「好ましい」とか「嫌」というのは、ありのままの世界には存在しない、脳内でつくられる妄想なのです。

+++++++


そんな「私にとって」しか見えない感情で生きている僕らは、日頃、「良い」や「悪い」の感情と同居しながら生活しているが、

たとえ良いことがあって満足したとしても、すぐにまた「不満足」の状態に戻ってしまう。だから苦しいと書いています。

「私には理想のパートナーが欠けている」と考え、それを見つけたとしても、いつの間にかそれが当たり前になり、他の人を求めてしまう。

「仕事で成功したい」と考え、一生懸命働き、周囲から賞賛されたとしても、

その刺激に慣れてしまい、他の刺激を求めるようになってしまう。

ありのままを受容し諦める

いやいやいや、そんなこと言われたら、もうどうしようもないじゃないっすか!と叫びたくなりますが、本当にどうしようもないらしいです。

++++++++++

圧倒的な客観(ありのまま)に、目を見開いていくという方向性。

良い意味で諦めてゆくことにより、「こうしなきゃ」「ああしなきゃ」という無益な思考から、自由になる。

++++++++


常に中立的な立ち位置に自分を据えて、「良い」も「悪い」も、「こうなりたい」も「ああするべき」も、ぜーんぶ、その感情があることに気づき、受け止め、見届けるだけ。

+++++++++

感情とは、すこぶる無常なものであり、どのみち変化してゆくもの。

「この感情も、やがては変化する。一時的なもの、無常なもの」という思いで、執着せず、ただ変化を眺めてみる。

+++++++++++


つまり、究極の自己肯定とは、今、そこにある自分を肯定も否定もせず、ただ“ありのまま”に受け入れること。

「自己『肯定』を『肯定』しない」と言うと、矛盾しているようにも見えます。

けれど、「肯定」の裏には「否定」があると考えれば、それらの判断基準から解き放たれ、単に「そこに在るもの」としてだけ自分を認めることは、「肯定」と言えるものだと思う。

ただ、この“ありのまま”という視点も含めた本書の内容について、辛い時、苦しい時の「考え方」の処方箋としては賛成できるけれど、それを常に実践しようという気にはなれませんでした。

何に対しても中立的。

好きも嫌いも、ただ「そういうもの」として受け止めるだけ。周囲にも自分にも期待せず、ただただ、自然の一部として生きていくのみ。

それは、仏道に入り、苦楽から解き放たれて悟りを得ることを前提とすれば、正しい道なんでしょう。

けれど、俗世の社会で生きる僕らにとっては、そんな生活に「生」を感じるようには思えない。

……俗に染まりきった僕だから、こう考えてしまうのかな?

ひとつの視点として、方法論としてならば、非常に為になるものだとは感じました。

結局のところ、

自分は自分の視点でしか物事を見ることはできず、「客観的に見ると」なんて言葉は本来使えないもの。

けれど、そこで「自分」を遠くへぶっ飛ばすことを試み、できるだけ「中立」的な視点を考えようとするモノの見方、他者とのコミュニケーションに疲れた時の受け流し方、諦め方としては、多くの人にとって有意義な思考法だと思います。

このように考えられる人が、いったいどれだけいるんだろうと考えて、軽く絶望した。

無理だべ。

そんな僕らが「自己肯定感」を得ようとするのなら、本書はひとつの視点をもたらす手助けとなるはずです。

自分を知り、認め、肯定するには、「念(きづき)」を得る必要がある。

そのための方法論も、軽妙ながら優しい語り口で論じられております。

新書としては結構なボリュームのある作品(303ページ)ですが、

仏教の経典や哲学書からの引用も多く、良いテンポで読むことができ、気づきの多い内容でした。


▲http://www.saumondesushi.co

何事も自分事として捉えることが、
人生を味わう第一歩であること。


世の中には不安を煽るような記事などがたくさんあり、

「不安が現実化しないように」一生懸命になって成功しよう・健康でいようなどとたくさんの人が意気込みます。

ですが、それはあくまでも「他人の軸」でしかありません。

「老後これくらいの貯蓄が無いとダメ」
「血圧がこれ以上高いとヤバイ」

これはあくまでも客観的から見たものですね。

もちろん貯蓄がゼロだとか、血圧が180くらいですという過剰なのは抜きにしても、こういった「他人の評価基準」を自分の人生の基準にしてしまうことに、問題は潜んでいるかと思うのです。

例えば人間関係でも、「他人の評価基準」を人生の軸にしてしまうと、

"その人が嬉しいと思ってるかどうか"で自分の人生が決まってしまいます。

友達が喜んだ、だから私も嬉しい。

上司がイラついている。
だから私もイラついている。

他人から見られている自分がどうかで、自分の評価が決まります。

ただ、その他人というのも十人十色です。これ、すっごく、疲れます。

仕事を始めた頃の私は、間違いなくこれでした。

あの人が喜ぶことはこういうことだから、こういう感じに話をもっていこう。

あの人はこういうことをすると嬉しいって言ってくれるなあ。

仕事が重なった日の夜はドッと疲れが。

ある時、(良い意味で)他人に合わせるのは面倒くさーーーい!って振り切れた時から、とても楽になりました。

合わせなくても良いんだ。私には私の生き方や価値観がある。

今までのベクトルとは、逆のベクトルになりましたが、それが良かったようで、良い意味でありのままになれた気がします。

自分に正直になると、自分の価値観が分かります。

私は、何を好み、何を嫌うか。

私は、身体を動かす、という事でも、長く走る事は嫌いです。

泳ぐ事も嫌いです。でも、それが私です。

私は、何に興味を持ち、何に全く興味を示さないか。

私は、人の身体の不思議に興味があります。お菓子作りには全く興味がありません。

そして、何が私となるのか。

自分の軸が決まる事で、相手や周りの物事に動じなくなります。だからこそ、自分自身に正直になる。

自分自身を楽しませ、成長させることが生きる醍醐味であること

私は、今までの人生では、他人からの評価で生きてきました。

他の人にホメられたり、すごいねって言われるのが嬉しくてそれが目的になっていました。

だから、他の人に負けるのが本当に嫌でした。

そしてホメられなくなると、その行動自体にも意味を感じず、それをすることを辞めていきます。

嫌だったというより、怖かった。という表現の方がマッチすると思います。

どういう自分がどうなるかというと、"負けないフィールド"で勝負をして来たんです。

学校のテストも、余裕余裕言いながら、家で結構やってましたしね(笑)

でもこれって、本当に、いつかガタが来るんです。

ガタが来た途端に自暴自棄になり、何もかもが崩れて行くのを感じます。

私は間違いなくそうでしたし、年を重ねれば重ねる程その経験が多くなってきました。

勝負という世界には、上がこれでもかという程いるからです。

そしてそういう時こそ、「組織のせい」をはじめとする、自分以外の環境へと責任転嫁をするわけです。

この時が人生で一番落ち込んでいたと思いますが、その時が無ければ今は決してなかったので、事実は事実として受け容れています。もう今となっては動かせない過去ですから。

で、先述の、面倒くさーーーい!って振り切れた時から、本当に自分の魂が喜ぶことをやろう!って決めたんです。

だから、少しでも自分の中に違和感や自我を感じた場合には、すぐ自分に問います。

本当にそれで良いの?って

全てにおいて半信半疑になったという表現になるのかも知れません。

その問いがあると無いとでは、積み重ねが違ってくるかなと今は感じています。

その問いのお陰で確信を得られたり、逆に方向修正出来たりするわけなので。

昨日の自分より成長する為には、必要な質問だと思います。

自分主体になると、その時から毎日がガラッと変わりますし、何よりも「他人と比べてどうか?」ではなく、「昨日の自分と比べてどうか?」っていう視点に全てが切り替わります。

楽しいですよ、これ。

あ、昨日はこれ出来なかったけど今日出来た!

あ、昨日はこんな感覚無かったけど、分かった!

とか。

すると、一瞬一瞬が学びということに気付くんですね。

そこから感じられることは自分の人生を生きてるという実感であり、楽しい、嬉しい、幸せ…そんな感情だと思います。

外のモノ、つまり、他人、新興宗教、お金、物、故郷などに依存することなく、自分に依存(帰属)する。

人は、帰る場所があると安心します。だから、自分自身に帰る。

目をつぶれば、夢も現実も変わらなく、まぶたの中に存在しています。

それは、誰がなんといおうと、あなたが思い描く、そしてあなたにしか思い描けないひとつの物語。

今まで紡いで来た、変えられないものは、喜んで受け容れる。

生まれた国・土地・先祖・両親・性別・身長・体重・過去全ての事

これから紡いで行く、白紙のものは、自分主体でこれから創って行く努力を。

それを〈身体から〉という一つのきっかけがあっても良いのかな。

そう考えた夜でした。


▲https://happylifestyle.com

幸せになるためには「ありのままの自分」でいることが前提条件です。

本来の自分はそれで十分完璧で、変える必要などありません。

しかし、残念なことに、多くの人が憧れの人になろうと無理をしています。

自分の好きなアイドルに憧れて、自分も同じようになろうと努力をします。

着ている服を真似たり、話し方を真似たりして、自分の憧れに近づこうとします。

私も中学のころ、音楽に没頭していたこともあり、憧れていたミュージシャンの身なりを真似していた時期がありました。

おそらく、話し方やしぐさまで真似しようとしていたはずです。

そんなことをしているうちに、私は本当の自分が分からなくなってしまった経験があります。

同じような経験がある人だと分かってくれると思うのですが、自分が自分以外の人になろうとしても、違和感があるのです。

本当の自分が1とします。自分が求める憧れの人を2とします。

自分が憧れの人に近づこうとしているとき、1から1.2へ近づき、1.2から1.4へと近づきます。

しかし、どうも完璧な2には、なれません。

生まれも育ちも違うため、どんなに努力しても自分の理想の2にはなれないのです。

そのため、中途半端な1.5くらいのところで、止まってしまうのです。「1.5」というのが、中途半端です。

自分でもないし、憧れの人でもない。中途半端な、わけの分からない自分になってしまうのです。

私は、自分が追い求める憧れに近づこうとしても結局無理であるということが分かりました。

結果として残ったのが、中途半端な性格の自分だったのです。もう自分がなんだか分からなくなりました。

自分ではない人に、自分がなろうとしてしまうと、自分が分からなくなってしまうのです。

自分を憧れの人とすり変えようとすることは、本来不可能なことなのです。

しかし、あなたは唯一完璧な存在になれる人がいます。

「あなた」です。あなただけは、完璧です。あなたになろうとして誰かが真似しても、あなたになることはできません。

それでいてあなたは、あなたになることができ、あなたを完璧に演じることができています。

あなたはすでに、「あなた」という完璧を手に入れているのです。

ここに早く気づきましょう。

あなたが、恋い焦がれて好きになるべき人は、誰でもない自分なのです。

唯一、あなたは、あなたにだけは完璧になることができています。

何も自分を変える必要などありません。「ありのままの自分」を好きになればいいのです。

憧れる人になろうとして努力するエネルギーがあるなら、自分を好きになることにエネルギーを使うことです。

自分を好きになれば、あなたは自分を完璧に演じることができますから、まったくの無駄がありません。

すべてが自分らしくて、完璧な個性を出すことができています。

今、私は自分が好きです。

自分という好きな人になることができていますから、自分を無理やり変えることもありません。

このままでいいのです。いつも素直な自分で生きることができています。

私は、人から「素直だね」と言われることがありますが、

自分が自分らしくしているだけですから、素直になることも当然です。

あなたが「一番好きな人は、誰ですか」と聞かれたら「自分です」と答えられるようになればいいのです。

一番は、必ず自分でいることです。2番、3番は恋人や家族でいいのです。

「自己愛の強い人」とも言えますが、自分で自分が好きでなければ、誰を好きになるのですか。

自分が好きでなければ、自分という存在が崩れます。

自分を好きになれない人は、他人も好きになれません。

自分のことが嫌いだと言っている人は、決まって不幸そうな顔になっています。

しかし

「自分のことが好き」だと言っている人は、決まって幸せそうな顔になっています。

あなたの周りにいる人に当てはめてみましょう。テレビの中の人物でもかまいません。

自分のことを嫌いだと言っている人は不幸そうですが、自分のことを好きだと言っている人はとても幸せそうにしているはずです。

好きな人が、自分であるかどうかが大切なのです。

好きな人が自分であれば、完璧な人になりきれるので、困ることはまったくありません。

自分が「ありのままの自分」でいることこそ、一番幸せなことなのです。

自分以外の人になろうとするのはやめることです。「ありのままの自分」を好きになりましょう。

「ありのままの自分」が、一番幸せなあなたなのです。

自分以外の人になるのは、やめましょう!


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2017
07.25

『60代からの夫婦関係』 別れないのなら、相手を大事にしなさい!



『60代からの夫婦関係』 について

「定年後は、好きなことしてのんびりと暮らすんだ!」と、わが友の多くは言いました。

今年62歳になる私は、「死ぬまで現役でいたい」との思いが強くて、生涯の友と二人で小さな会社を興して現在も働いていますが、組織人として苦労した方ほど、定年後の勝手気ままな人生に憧れるようです。

人それぞれ。どんな人生を選択しようが、まさにその人の自由です。

「I wish you all the best(あなたの人生に幸あれ!)」と願うばかりです。

しかし、私やあなたがこの世に生まれてきた真の目的が「人間関係を通した魂磨き」であるならば、定年退職しようが命尽きるまで、その魂磨きの試練は続くことになります。

では、定年退職した後で、その魂磨きの試練がどこで行われるのかといえば、今、その方がいる人間関係の中で行われるはずなのです。

その結果、「人間関係を通した魂磨き」の道場は、「職場の人間関係」から「家庭内の人間関係」に移行するのは当然だといえます。

「熟年離婚」という言葉を聞くにつれ、奥さんに依存した生き方は改めねばと思う私です。

本日のブログは、老後の夫婦のあり方についてです。

「いまさら別れるなんていやだ」と思うなら、もっと相手を大事にしましょう!という提言です。

いやいや、そんな生意気なことではなくて、ひとりのダメ亭主が集めた参考記事してお読み下さい。

ほんのちょっとでも、なんかの参考になれば幸いです。

本日、転載してご紹介する記事のタイトル画像には、本サイトのURLを貼っています。

できれば、クリックして本サイトの別の記事もお読み下さい。

あなたのお役に記事たちと沢山出会えることと思います♪


▲天空プロダクション

どうしてもうまくいかない夫婦

どうしても、家族との折り合いが悪い・・・

夫婦がうまくいかない。喧嘩ばかりしてしまう。すれ違い。

大切な人のはずなのに、大恋愛して結ばれたはずなのに、結婚したとたんに泥試合を繰り返す。

人生においての悪役がこの家族にあらわれる場合も大いにありますよね。

愚痴といえば家族のこと・・・悪口が集中して起きる場合もあります。

悪口や愚痴でもなく・・・本当に、被害にあっているような相談が必要なケースも…。

夫のこと、妻のこと、義父母・・・実の親のこと。

どうしても離れられない関係が家族。

ここになぜか、人生での学びは集中して起きてきます。

他人には優しくできても、自分の家族や配偶者には優しくできない、または冷たくされてしまう。

こんなことって・・・ないですか?

家族

一番安心できる場所のはずなのに、ここに不安がある人って結構多いのではないでしょうか?

人生においての学びや課題、カルマや因果関係の法則と言うこともあります。

「学びは家庭に集中して表れます。」

学びの中心は「愛」

愛をテーマにして、愛とはどんなものなのか、真実の愛とはなんなのか、体験を通して愛をレッスンしていくのが家族です。

人生においての学びや課題(カルマ)とは・・・本当の自分に出会う愛のツールです。

相手を通して自分自身に出会い、相手と切磋琢磨して葛藤しながら魂を浄め、心を浄化し、本当の自分に気づいていくのです。

血の繋がった親子は別れることは難しいですが、夫婦の場合は手放すこともできます。

しかし、この夫婦というものは実にバランスがとれていて、今の自分にちょうどよい人、人生においての学びをバランスよく再現してくれる人と出会います。

よい場合も悪い場合も・・・

出会いって本当に、うまくできているので、よい出会いを求めるのであれば自分の心の成長を心掛けることなのではないかと思います。

では・・・

夫婦はいったいどんなことで夫婦になっているのでしょうか?

「人生の課題(カルマ)で結ばれている夫婦」

ツインソウルやソウルメイトというとても縁のあるの夫婦だったら常に・・・

愛のキャッチボールが行われ、愛が常に充満した家庭となるでしょう。

そしてふたりは・・・Love・Loveな状態。

生まれる前から赤い糸で、結ばれている存在、それがツインソウル・ソウルメイトの夫婦です。

これに出会えたら・・・ホント幸せな人生なのでしょう。

しかし、そうではなくて、人生での課題や学び(カルマ)の赤い糸で結ばれてしまっている夫婦ならば、どんなことになって、何をすればいいのでしょうか?

救いの道はあるのでしょうか?

他人なら、嫌になったらすぐに別れることができますが、家族というのは嫌になったからといって、「はいさよーならー」というわけにもいかず、なかなか、関係をきったり離れることはできません。

いくら夫婦はもともと他人とはいえ、離婚するにも大変な労力です。

それだけに縁が強く、人生の課題での学びが深い相手です。

夫婦になるというのは「自分の中のもう一つの面をみつめ、それを自分の中で育てていくという機会」に恵まれるということです。

今、女性であるということは、女の人としての幸せや人間関係を学んでいます。男の人になる場合は仕事に執着がある場合が多いようです。

男性エネルギーと女性エネルギーは、お互いに補うもの。

どちらかがかけていてもバランスはとりづらいんですよね。

自分自身で補う場合と相手を通してより深めていく場合があります。

その、女性の部分と男性の部分を補い養うためにふさわしい相手と廻りあいます。

結婚とは、「自分の中の男性性に目覚め(男性だったら女性性)に目覚め、それを自分で愛し、育み受け入れ、自分を完成させるために、その人生にぴったりの相手と結びつく」ことです。

だからお互い異性の気持ちをを理解し、共感し、受け入れ、許しあい、信じあい、学び、愛しあっていくのでしょう。

許すためには、許せない出来事として現実化し、信じるためには、信じられない出来事が現実化してきます。

どうして、こんなに傷つかなければならないの・・・?というような痛みを伴い人生においての課題は解放を求めるのです。

自分の足らない部分・・・

不足している部分、またはよごれている部分・・・これがカルマ。

浄化し、解放するために結びついた縁の夫婦。

傷つけあいながらも、育んでいかなければならないのですね。

ソウルメイトが、この人生においての課題の解消のためにパートナーを買って出てくれる場合もあるし、あまり縁のない人がたまたま行きずりで夫婦になる場合もあります。

前世があるとしたら・・・ソウルメイトの場合は前世で十分に相手の人を思いやれなかった・・・というのがあるのでしょう。

せっかく、そんな理由で一緒になったのだから、どんなに仲が悪くなったとしても、「思いやれなかった」ということを理解し、受け入れ、相手のために結果を求めず、精一杯の愛を与えてあげる事で、そのうちだんだんうまくいくようになっていきます。

好転していくのです。

「一般常識、努力、誠意、ゆるし、理解して配慮すること、相手を受容すること・・・そして、愛すること」これらで本当に関係が好転していくのです。

愛を求めるのではなく与えてあげないとね。

こんなはずじゃなかった

そして、もうひとつ

「結婚してから、こんなはずじゃなかった」というのは、本当は相手を理解していなかったからです。

それは相手ばかりではなく、自分自身も理解していなかったところからそんな状況に追い込まれます。

自分を隠し、偽り、相手によく見せて、相手に気に入られるような応じ方をしていたため、それにふさわしい相手を引き寄せ、また、自分もその素因のある人に引き寄せられました。

それから、恋人の時はとてもうまくいっていたのに、夫婦になってからうまくいかなかった人は、もともと家庭にあった問題に目をつぶり、それを自分の中で解決しないままにして他に安らぎやよろこびを求め、一時しのぎをしていなかったでしょうか?

どんなにうまくその問題から逃れていたとしても、結婚して家族になると、ふたたび、自分の家庭にあった課題がそこで現実化してきてしまいます。

再び同じ課題に苦しめられるのです。

それは、身内以上に難しい問題となって降り掛かってきます。

身内の方が簡単に解決できたのかもしれません・・・

夫婦は、元は他人なので身内にない新しい魅力に惹かれたところから始まっても、夫婦となると身内以上にあわなくなります。

期待したぶん、失望や落胆も大きく感じます。そして、身内のように許しあうことが困難です。

血のつながりがある人のような繋がりがないので、敵のように憎んだりしてしまうのです。

愛も急激にさめていき、そこが元々の身内と違うところでしょう。

それでもまだ離婚して別れればいいのですが、別れられない場合は、もしかしたら果たすべき課題が、学ぶべき課題があることを表しています。

しかし・・・人間には、自由意志があります。

必ずしもこの人生においての課題や学びに囚われて動けなくなる必要はありません。

「自分達は、別れられない存在なのだ。宿命的な前世のカルマの虜にあるものどうしなのだ・・・」とかなんとかいって、何の根拠もないことに、妙に納得し、諦めることはないと思います。

たんなる勇気がなかったり、課題にたいして取り込むことが傲慢であったりプライドが許さなかったり、前世のカルマで自分自身を説明つけようと、納得してしまっていたりします。

本当は別れられるのに、「カルマによってこうなっているのだから・・・必然だ」なんて思い込まないことです。

別れないのなら、相手を大事にしなさい!

人間の自由意志はそれに優ります。

人生においての課題や学びが解けると、はっきり結果が出ます。

結果は2つです。

「仲が悪かった夫婦がうまくいくようになる」

「離婚できるようになる」

結果は正反対ですが、それができた時、人生においての課題や学びが解消したしるしです。

「強い縁がある夫婦の場合には、別れずに人生においての課題や学びが解けて前より仲良くなり、わだかまりも消えて心から許しあい、心が通うようになります。

やがて互いに相手を愛おしく思うようになります。」

「一方、課題を果たすことだけが目的で結ばれた夫婦は課題が成就した結果別れられ、それぞれの人生を心おきなく歩めるようになるのです。

その後独身をつらぬく人もいれば、もっと本命である人に巡り会うことで、2度目の結婚はうまくいき、安定し、最後まで連れ添うという運命をたどる人もいます」

失敗からも学べるということですね。

誠意をもって相手を思いやること・・・

せっかく夫婦になったのだから、お互いの欠点もよく理解し、受け入れ、相手を悪く思わずに、成長して幸せになることを心がけましょう。

「どうぞ私達に最善の結果をお与えください」心から祈ることも、大切なことですよね。

そして、心から感謝し、相手の事をゆるし、信じていきましょう。

自分を愛しながらも、相手を愛し、まわりを幸せにしていきましょう。




▲Yahoo!知恵袋

『夫婦は合わせ鏡』って言葉は本当なんですか?

「夫婦は合わせ鏡」ということを聞いてから、夫にばかり不満をぶつけるのじゃなく、「自分も当たり前に思わず感謝の気持ちをもとう!」「夫に優しく思いやりをもって、行動しよう!」「できることは笑顔でやってあげよう!」と思ってまだ三日ほどなのですが(笑)

今までより夫が優しくなり、抱き締めてくれたり、寄り添ってくれるように感じ、おっ?これはいいかも?と、思ってたのですが、今朝は体調も悪かったことあり、思うように労ってくれない夫に怒りをぶつけてしまい。夫も以前と同じような態度に。。。

夫には感謝がわからないと言われたことあります。でもそんなこと言ったってあなたも毎日の家事、仕事、子育て、全部一人でやってるけど、ありがとうの言葉も家事を手伝おうともしたことないじゃん!って思ってます。

やはり、その思いが気持ちから消えません。

何故私ばかり我慢して労らなくてはダメなのか?と思ってしまいます。

私に上記のようなことは、むりなのでしょうか?

三日間でしたが、すこし幸せな気持ちがしたのですが。

なんか、支離滅裂でスミマセン。

<補足>

お互いに思いやりをもって、過ごす努力をすることが理想だと思います。まずは私になくなっちゃってる夫への感謝と思いやりをもつようにし、私からやっていけば、夫も変わってくれるのでしょうか?このまま続けて見れば良いのでしようか?

私のやり方は間違ってませんか?




「相手を好きだから」「大事に思うから」という理由が大前提で、相手に思いやりのある行動をとるのであればいいと思います。

がしかし、「私がこうしたら、きっと相手もこうしてくれるはず」という思いが大前提で行った場合、

「相手が思うように反応してくれなかった」

「こちらが10したのに、5しかかえってこなかった」

という気持ちになったり、「損をした」「私だけやってる!」という不満になってしまうと思います。

見返りを求めてしまうと不満が出ると思うので、まずは、「私が彼を好きだから」「大事だから」「相手がかえしてくれなくても大事にしよう」となが~い目でみてやってみてもいいかもしれませんね。

それでも一切彼がかわらなかったら、その時また思いやりやありがとうの言葉について二人で話し合ってみたらいかがでしょうか。



まさに合わせ鏡ですね。

>私のやり方は間違ってませんか?

考え方が間違ってます。

自分が感謝されたいから、相手に感謝するっておかしいでしょ。

無理して感謝するくらいなら、感謝しなくてもいいから夫に不満や怒りをぶつけるのをやめたほうが余程いい妻、可愛い妻です。

3日間幸せな気持ちがしたのでしょ?

ご主人だって同じ気持ちだったはずよ。

それをぶち壊したのは誰?あなた自身よ。

>私からやっていけば、夫も変わってくれるのでしょうか?

もちろんそうなんだけど・・

まずは、夫が変わるという事を考え方から外して自分を変えることだけを考えること。

まずはそこからです。

あなたの文面を見て、幼いというか・・

お子さんもいるようなので、もう少し大人になりましょうね。



夫婦は合わせ鏡

私もそういう意識って大事だと思います^^

あの実践してみて、3日ほどなんですよね。。。。

ここで諦めたら3日坊主ですよ。。。

もっと長い目で見てお互いを評価したらいいのではないでしょうか?

あなたの書いている今朝の出来事もまさに合わせ鏡ですよね。

体調が悪いから労ってもらいたい。

思うようではないから怒り。。。

それは相手が自分の思うように動いてくれることをあなたは期待していたんですよね。

きっと旦那さんも同じなのでしょう。

あなたが体調が悪いため旦那さんを思いやれず、要求が強くなることへ不満を持ったのでしょう。

なんで仕事に行く俺を思いやれない?

労ってくれないのか?

まさにお互いの自分を思いやれという気持ちの合わせ鏡。

そして、思うように相手がしないことへの怒りの合わせ鏡です。

この文章をよんで思ったのは、努力しているあなたにこんなことを言うのは失礼かもですがすみません。

自分が変われば相手も変わってくれるはず。

自分が相手に感謝すれば相手も感謝してくれるはず。

どうですか?

相手に対して本当の意味の感謝でしょうか?

自分が感謝されたいから感謝する

自分を大事にしてほしいから感謝を押し付けていませんか?

そういう心では相手もそういう意味での感謝しかくれないのです。

まさに合わせ鏡だから。

ちょっと相手が自分の意にそぐわないからと怒りをぶつけるのでは本当の意味での感謝ではないと思いませんか?

あなたが本当の意味で、旦那さんに感謝の気持ちをもって思いやりを持てたとき、そういうあなたの心がだんだんと相手に伝わるでしょう。

体調が悪くてうまくできないから、こうしてもらったらありがたいな。

仕事行く前なのにごめんね。あなたが居てくれて助かったよ。

あなたが要求ばかり主張せずに、謙虚な気持ちで相手に対して本当の意味で労ったら、きっと相手にも伝わります。

そっか、体調悪いのか。

これは俺がするからちょっと休んでな。

いつもありがとうな。

そんな言葉が返ってきたらうれしいですよね。

でも、もし返ってこなくても、旦那さんも成長過程です。

あなたが本当の意味で感謝の心をもてば、気持ちがだんだん伝わって時間がかかるかもだけど、成長していくでしょう。

「なーんだぜんぜんかわらないや」と思う気持ちも合わせ鏡なのです。

信じて待ってあげることができるか。

そういう気持ちを合わせ鏡にしたらどうでしょう?

よりよい関係が築けますように。



そうですね、合わせ鏡だと思います

なので自分のしたことが良くも悪くも跳ね返ってくることが多いと思います

しかし、全てにおいて合わせ鏡とも言い切れませんよ

どんなに一生懸命相手を思いやって尽くしても全くもってなしのつぶてという人もいますからね

合わせ鏡が通用する相手と通用しない相手がいることは間違いないと思います

通用する相手となら多少のズレがあっても意識を高く持てば夫婦としてうまくやっていけると思います

そうじゃない相手とはさっさと見切りをつけるほうが賢いのかもしれませんね



他の回答者さんで、『自分が感謝されたいから相手に感謝すると言う考え方が間違ってる』という方がいますが、私は別に、スタートがそこからでも良いのではないかと思います。

そもそもが今、夫婦お互いにお互いを思いやり、感謝したり労わったりっていう事が無くなってしまってる状態なんだし、それを打破するために何とかしようという行動の最初の動機が、『自分だって感謝されたいから、まずは旦那に対して感謝の言葉を言おう』とかでも全然アリだと思うんですよね。

だって、今までなかったのに、急に今日から『見返りを求めずにただ感謝し、愛する気持ち』なんて持てるわけがないし生まれるわけもないと思うもん。

最初は口だけでも良いんだと思う。

そこに気持ちがついてきてなくても、そこから始めるのは当たりだと思う。

あなたはたった3日でも幸せに過ごせた。

それは旦那さんも同じだと思う。

そういう幸せな時間を少しずつ伸ばしていくことで、だんだん気持ちも追いついてくるもんなんじゃないかなあ。

そういう私も実は、あなたと同じことを思った事があります。

結婚してからずっと、私は旦那を思いやれず、尊敬も出来ず、見下して軽蔑してるくらいの勢いでした。

私がそんなんだから、当然旦那も私の事なんて大事にしてくれませんよね。

家庭も省みることなく、結局不倫。

優しい不倫相手にのめり込み、離婚寸前でした。

ですが子供もいたし、結局旦那は戻ってくることに。

そこから、めちゃめちゃ努力しましたよ。

なぜ、こんな人に対して私が我慢して感謝したり労ったりしなきゃいけないんだ。

なんで不倫までされたのに、ありがとうとか言わなきゃいけないんだ!

って、そりゃもう腸が煮えくり返るような気持ちになる事もありました。

そもそもが見下していた旦那の、尊敬する部分なんてどうやって見つけたら良いのか分からないし、軽蔑していた旦那に対して感謝の気持ちなんて到底芽生えません。

それでも、ものすごい些細な事(例えば、毎日仕事に行く、というような当たり前の事)でも、「ちゃんと毎日仕事に行く旦那は偉い」とか、「子供達をお風呂に入れてくれる旦那はすごい」とか、そういう所から始め、気持ちがついてこなかったけど、もう私はこの役を演じているんだと思い込んで感謝や労いの言葉を言い続けました。

現在、旦那の不倫発覚から3年が過ぎました。

私も旦那も、随分変わりましたよ。

今では素直に旦那に感謝できるし、本当に尊敬できる部分もたくさん見つけました。

旦那も私や家族を大切にしてくれるし、私に対して思いやりを持って接してくれるようになりました。

3年経ってもまだまだだと思います。

それでも、最初の頃とは大違いです。

納得いかない部分も多いと思うけど、グッと我慢して続けてみてください。

あなたの気持ちが変化してこれば、旦那さんも変わってくれるんじゃないかな。


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