2018
04.20

得点主義が幸福感を高める

Category: 気付き


ふたつ良いことがあったあとに、
ひとつ嫌なことがあると、

その嫌なことで気分が悪くなり、
「ああ、今日もイヤな一日だったなぁ…」と
ため息をついたりしていませんか?

私はその名人でした。

でもそれは、減点主義の損な生き方です。

「今日は良い一日だった」とか
「今日もイヤな一日だった」とか

だれが判定しているのでしょうか?

それは、誰でもない自分自身です。

だから私は、得点主義に切り替えることしました。

「思い通りにいかないことが多い中で
今日はこんな良いことがあったばい!」と

一日を振り返るときに、
「良いこと探し」をすることを心がけるのです。

「あの雨のなかで風邪をひかずによかったなぁ」

「挨拶を返してくれたあの人、笑顔が良かったなぁ」

「さっきの背伸び、気持ちよかったなぁ」

「良いこと探し」は何でもよいのです。

気分が悪かったことではなく、
気分が良かったことにフォーカスする
それが大切です。

それが幸せ感を高めるのです。

同じ一日を気分よく終わらせるかどうかは、
減点主義ではなく、得点主義です。

一日の良いこと探しを習慣にしましょう!

得点主義になると、感謝の気持ちが高まります。

感謝の気持ちを持つと心にゆとりが生まれます。

逆に、減点主義で不満ばかりが募ると
イライラして血管が細くなり、

血圧が上がり、呼吸が速くなることで
脳に酸素がいかなくなり、
何かしらの病気を引き起こしやすくもなります。

幸せはなるものではなく、
気づくもの、感じるものです。

その具体的な方法が、自分の一日を
「あれも良かった」「これもラッキーだった」と
得点主義で採点してゆくことです。


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2018
04.06

あるもの探し



「無いものねだり」の反対は
なんだと思いますか?

「有る物感謝じゃない?」と
答える人が多いと思いますが、

答えは「有る物さがし」だそうです。

自分にはない物を欲しがったり、
実現できないことを無理に望んでも
それは仕方のこと。

そんなことよりも、

自分にあるものを探して実現し、
実際に役立てた方が現実的です。

健康であること
家族が元気である
夢中になれる世界があること

すでに持っているものは当たり前すぎて
そのありがたさに気づきにくいものですね。

でも実際には、どれ一つとっても
「当たり前」ではありません。

そのことは、きっとそれを
失ったときに分かるのでしょう。

「今あるものに感謝しよう」というと、
「現状に満足せよ=向上心を捨てろ」ということかと
勘違いする方がいるかもしれません。

しかし、それらは全く別物です。

現状に不平不満を言うことと、
向上心を持つこととは決定的に違います。

「有る物さがし」とは、言い換えると、
「コントロールできるものにフォーカスしよう」ということです。

自分が置かれている環境や
関わりのある他人といった外部要因は
簡単にコントロールできません。

「隣の芝は青く見える」という格言どおり。

人の持っているものや能力などを見て
「うらやましい」と思い、
それが自分にないことを嘆くのも人間の本能。

でもそう思っているのは相手も同じ。

だから比べても仕方がない、
人は人、自分は自分と割り切って生きられたら
素晴らしいに違いありません。

結局は幸せの形も価値も私たちの心のあり方次第。

だから、ないものねだりをするのではなく、
あるもの探しをすることで、

いくらでも幸せを感じ、
心豊かに生きることが
できるのではないでしょうか。

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2018
04.06

不安な感情には「こうする」と選択して折り合いをつける

Category: 幸せの思考法


今年63歳になる初老の私ですが、
よい歳をして、いまだに
悩みや不安に翻弄されながら生きております。

人間関係や将来のお金の問題だけではなく、
最近は健康問題も悩みや不安のタネになり始めています。

「こうありたい」という願望や欲と
現状とのギャップが原因なのかも。



お釈迦さまは、「有無同然」という教えの中で
このように説かれています。

「こうありたい」という欲には限度がないため、
富や名声、健康状態でさえも、

ある状態の人も無い状態の人も共に
不安・不満があることに変わりはなく同じである


と言われています。

『貧欲』は私たちの欲の心のことです。

「欲」は「あれがほしい、これがほしい」とか
「認められたい、楽がしたい」という心です。

「貧」という字は「むさぼる」と読みますが、
「限りがない」という意味があります。

私たちの欲は「これで満たされた」ということがなく
限りがないのでしょうね。

本日は、こうした不安な感情に襲われたときの
対処法について、書いてみます。

結論から言えば、不満な現状ときっちり向き合って、

①「この程度ですんで良かったね」と現状肯定すること

②「ちょっと頑張れば改善できること」を考えて実践すること

この2つだろうと思います。

若い頃には、現状に甘んじることを嫌い、
「もっともっと」と頑張ろうとしていたものですが、

歳をとるにつれ、
「心穏やかにありたい」という思いが強まり、
「まあ、このあたりで良しとしよう!」という風に、
自分と折り合いをつけることにしました。

一番いけないのは、不安に襲われた時に
ただなにも手を打たずに不安がることです。

不安なことは、改善の手を打たずに
そのまま放置しておくと恐怖になります。


自分に起きたことは、自分で向き合い
なんらかの解決をしなければなりません。

結果的に最良の方法ではなくても、
その時の自分が「こうしよう!」と
意思決定することが大切。

自分で決めたことですから、
どんな結果になっても、
他人のせいにせずにできます。

その時の判断基準は、
「その改善を今の自分が継続してできること」
であることが重要です。

不安な感情が沸くのは、心の中ですから、
避けたり逃げたりしている間は、
どこまでも追いかけてきます。

不安な感情を払う唯一の方法は、
向き合って対処するしかありません。

「この問題はこうしよう!」と選択するのです。

「選択する」ということは、
それ以外を「捨てる」ことでもあります。

あれこれ欲張るから、
選択できなくなります。

その時の自分にとって
最も優先順位の高いことを選択し、

それ以外のことは「捨てる」決心をすれば、
選択することは、そんなに難しくはありませんよ。

どうするかの選択が難しければ、
不安なその問題を細分化して解決法を考えると、
「何とかなるかも」と思えて来るもんです。


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2018
02.06

気にしすぎないで生きるための処方箋



感情のままに生きている人がいます。

気分が悪いと周りにあたり散らし、気分が良いと笑えない冗談や皮肉を連発する。

そんな人といると、本当に疲れてしまいます。

でも、嫌がっているばかりでは、問題は解決しません。

では、このような対人関係の問題をどうすれば良いのでしょうか?



「柳に風」みたいに、どうすれば上手く受け流すことができるのでしょうか?

そのヒントは、「無神経」「鈍感」「自己チュー」と揶揄される人たちの生き方の中にありそうです。

上述のように、人を疲れさせる人がいる一方で、誰といても飄々(ひょうひょう)と気にもせず、マイペースで生きている人たちもいます。

人とのかかわりに翻弄されない彼らの特徴の中に、対人関係に過剰に気疲れしてしまう人に有効な方法があるのではないでしょうか?

本日のブログテーマは、「対人関係を気にせずに生きている人の特徴」についてです。

人とのかかわりの中で、似たような状況の中で悩まれている方の参考になれば幸いです。

下記に転載したサイトには、他にも読んで役立つ記事がたくさん掲載されていました。

下図のタイトル画像に本サイトのURLを貼っていますので、ぜひ、そちらへもアクセスしてみてくださいね。



皆様の周りには「物事を気にしない人」はいらっしゃいますか?

「物事を気にしない」というのはメリットと同時にデメリットもあります。

そんな「物事を気にしない人」になるにはどうすればいいかご紹介していきます。

ぜひ読んでみてください。


物事を気にしない人の心理・特徴とは?

物事を気にしない人は「マイペースである」

物事を気にしない人は、マイペースな人であることが多いです。

自分の都合やタイミングが行動の基準であり、周りに合わせるということを嫌います。

周りがどんな状況であろうと、自分のやるべきことを優先し、淡々と行動します。

しかしこれは、自己中心的であるとも言えます。

あまりに周囲を見ずに行動するため、反感を買ってしまうことも多いでしょう。

しかし、マイペースな人は、そうした周囲の反応も気にしないのです。

周囲に左右されずに動けるということは、常に自分の行動に自信をもっているということなのでしょう。

物事を気にしない人は「他人に興味を示さない」

気にしない性格の人は、あまり他人に興味をもっていません。

そのため、他人が何を言ってきても、それほど深刻なダメージを受けずに済みます。

自分が興味のないことは、すぐ忘れてしまいますよ。

それと同じことで、他人に興味がないと、その人が言ったこともすぐに忘れてしまうのです。

また、あまりに興味がなさすぎて、悪口や陰口に気づかないという場合もあります。

先述したように、周囲から反感を買っても気にしないのは、こうした理由からです。

周囲の人の反応に興味がないのです。

これは、人の話に共感したり、心情を汲むといったことも少ないということです。

そのため、物事を気にしない人は、冷たい性格であるという印象を与えることもあります。

※ブタロー

なるほどねぇ!

自分が大切に思っている人から、誤解を受けたり、失望されたりするのは確かにキツかけど、どうでもええ人から悪口やイヤミを言われても、「それはアンタがバカだから分かっとらんだけやろ?」「相変わらずウザか奴やねぇ、この嫌われモンが!」「はい。はい。」と軽く受け流すことも出来る訳ですよねぇ。


物事を気にしない人は「執着心がない」

物事を気にしないということは、物事に執着しないことでもあります。

例えば、とても欲しいものがあって、それを手に入れることができなかったとします。

普通は悔しくてたまらないでしょう。ショックを長く引きずるかもしれません。

しかし気にしない人は、手に入らなかった時は、きっぱりと忘れるのです。

どうにもならないことには、いつまでもこだわりません。

これは人間関係も同じで、気が合う友人と離れることになったとしても、実はそれほど気にしていません。

他人にも執着しないのです。

これは、物事をありのままに受け入れ、それに合わせて柔軟に切り替えられるということなのです。

※ブタロー

自分なりに頑張ったのに、望みが叶わなかったときのガッカリ感、特に自分の落ち度で失敗したとき。

「はぁー、やらかしたばい!」と自分をいくら責めても事態は改善できませんね。

そんな時は確かに、これからどうするかに意識を切り替えるのが一番かも。


物事を気にしない人は「自分に自信がある」

気にしない人は、他人に興味がないだけでなく、自分に自信をもっています。

常に自分の行動に自信をもてるのは、自分自身を信じる強い心があるからです。

だからこそ、他人の悪口や陰口も気になりません。


また、気にしない人は、その自信ゆえに常に余裕があります。

そのため、悪口や陰口を、ひとつの意見として冷静に受け止める広い心をもっています。

たとえ悪意をもって投げかけられたものでも、それを貴重な意見と捉えることができるのです。

つまり、物事を気にしない人にとっては、悪口や陰口などは存在しないとも言えるでしょう。

このように、気にしないということは、自分を信じて前向きに生きるということでもあるのです。

物事を気にしない人は「失敗も気にならない」

物事を気にしない人は、失敗も気にすることはありません。

例え失敗しても、それを次につなげる糧として捉えているのです。


これは、悪口を意見として受け入れることとも共通しています。

マイナスの要素をプラスに変えるポジティブな思考をもっています。


このため、失敗しても、自分のことを愚かだとか、情けないと思ったりはしません。

自分を哀れむということがないのです。

また、失敗を他人のせいにするようなこともありません。


失敗は、あくまで成功するための通過点として考え、決して不必要な悲観はしないのです。

失敗に対するこうした考え方から、物事を気にしない人は、「失敗は成功の基」という言葉を正しく理解している人と言えるでしょう。

※ブタロー

失敗した時って、そこになんらかの原因があったからですよね。

うまくやる方法をよく分かっていなかったからだとか、面倒臭くてテキトーにやっちゃったからだとか…。

だから、漠然と失敗した自分全部を責めるのではなく、「なんで上手く出来んかったとやろ?」と、その原因を分析することに意識を向ければ、次回はうまくクリアできる教訓や攻略法が見出せるかもです。

その原因が失敗を招いただけな訳で、決して自分が無能だったからではないことを忘れるべからず!ざんす。

物事を気にしない人は「どうにもならないことは考えない」

物事を気にしない人ほど、自分の手に負えないようなことは深く考えません。

例えば、天候は自分ではどうやっても変えることはできないものです。

気にしない人というのは、大雨で楽しみにしていた予定が台無しになったとしても、それをいつまでも悔やんでいることはありません。

それならそれで、室内での過ごし方を充実させることを考えます。

また、交通渋滞なども、同様に個人の力ではどうすることもできません。

そうした場合にも、気にしない人はイライラせず、その状況をありのまま受け止めているものです。

このように、気に病んでも決して変わらないことは、早々に諦めるのが気にしない人の特徴です。


無駄なことにはエネルギーを使わず、素早く切り替えができる人なのです。

※ブタロー

不可抗力。自分では手に負えないことに出くわしたとき。

私は自分にこう言い聞かせるようにしています。

「ラッキー!この程度で済んで良かったばい!」

物事を気にしない人は「ひとりの時間が苦にならない」

気にしない性格の人は、ひとりきりの時間がまったく苦にならない人が多いものです。

誰かと一緒にいないと気が済まないという人もいますが、物事を気にしない人は、ひとりの時間を嫌うどころか、むしろ大切にしています。

気にしない人というのは、他人に依存しすぎることがなく、あくまでも適度な距離感を保っています。

そうすると、他人のために割く時間は少なくなり、必然的に自分の自由な時間が増えていきます。

このため、自分の時間を有意義に使うことを心得ているわけです。


気にしない性格の人ほど、他人といる時の沈黙が気にならないという人が多いのはこのためです。

ひとりの時間に慣れているのです。

※ブタロー

結局、その日その日の出来事って、自分の世界の中で起こっている訳でしょ?

今年62歳の私としては、あと20数年の限られた人生の一日一日な訳だから、一人きりでヒマならヒマなりに、自分が楽しめることを考えてやるようにしています。

同じように、病気で入院したらしたで、「今楽しめることは何だろうか?」と考えられる自分でいたいです。

あの可愛い看護師さん、また来ないかなぁ…とか(笑)

物事を気にしない人は「結果を急がない」

マイペースであることとも共通しますが、物事が気にならない人は、何かの結果を急ぐということがありません。

どんなことにも大きく構えて、自然体で結果を待つのです。

これは、自分に自信をもっていることもありますが、もし失敗しても、他の人よりはダメージが少ないことも大きいでしょう。

気にしない性格の人は、物事に執着しないため、切り替えが早いことが特徴です。

何かに失敗しても、必ずそれを糧にして、別の方法を考えます。


結果を待っている時点で、すでに次の一手を考えている場合もあるかもしれません。

結果を急ぐ人は、あまりに急ぎすぎて、安易な近道や楽な方法に流れてしまうこともあります。


しかし、結果を過度に気にすることがなければ、そのようなこともありません。

常に自然体であることが、気にしないことのコツなのです。

※ブタロー

なかなか思うような結果が出ない時は、私は自分にこう言い聞かせます。

「俺って特別な才能なんてない普通のおっさんやから、最短コースでは進めないのも当然かもね」

「今回の成果は55点だったな。次は60点を目指そう!そんうち目標に到達するスキルが身につくさ!」


実は、失敗から学べることも多く、そこから生涯使える財産を得られたりもします。

物事を気にしない人は「他人を羨まない」

物事を気にしないということは、他人を羨んだりすることもなくなります。

そもそも他人に興味がなく、自分を信じる強い心をもっているのですから、羨む必要がないのです。

嫉妬したり妬んだりすることも少ないでしょう。

このような理由から、他人の成功は手放しで祝福することがでるのも、気にしない人の利点です。

他人に興味がない一方で、祝福することを妨げるようなしがらみもないため、祝うべき時には何も迷うことがないのです。

※ブタロー

負け惜しみと取られても構わんから書くばい。

たとえば、人生トントン拍子でお金に不自由していない奴っているでしょう?

こちとらは、財布の中に小遣いがあと3,000円しかないと言うのに。

でも、どちらが1,000円を有効に使えるかって競争したら、俺の方が断然うまい自信があるもんね。

言いたいことは、他人が持っているお金や身なりや財産をとやかく気にするヒマがあったら、自分が今手にしているモンを上手に活用して楽しむことに知恵を使った方が良かばい!ってこと。


物事を気にしない人は「過去を振り返らない」

物事を気にしない人は、当然、過去も気にしません。

過去のことを悔やんでストレスを溜め込むというのはよくあることですが、気にしない人は、そもそも過去を振り返ることが少ないです。

これは、過去を振り返ったところで、変えることはできないという考えをしっかり持っているからです。

また、切り替えが早く、すぐ忘れられることも要因でしょう。

さらに、失敗を反省して次へのステップにしているため、いつまでも考える必要がないという理由もあります。

常に前を見据えていることで、余計なことを気にしない過ごし方ができるというわけです。

物事を気にしない人は「チャレンジ精神がある」

気にしない性格の人は、失敗を恐れないため、チャレンジ精神に溢れた人が多いです。

これは、自分に強い自信をもっていること、失敗しても必ず次へつなげられることが大きく影響しています。

そのため、多くの人が感じる不安を払拭することができ、大胆な行動をとることが可能となります。


また、何か大きなチャレンジするときには、周りからはその危険性や無謀さを注意されたり、ときには貶されたりすることもあります。

しかし、気にしない性格であるが故に、そうした障害も乗り越えて行けるのです。

気にしていないのですから、そもそも障害とは思っていないのかもしれません。

※ブタロー

これはどうかなぁ…。

ビビリ屋の私としては、これは絵に描いたモチっぽいかもなぁ…。


物事を気にしない人は「健康的な人が多い」

他人の目を気にしないということは、ストレスフリーな生活ができるということでもあります。

そのため、物事を気にしない人には、精神的に健康な人が多いです。


ストレスというのは、健康を考えるなら決して軽視できない要素です。

ストレスが溜まり過ぎると、うつ病などの深刻な病気なる可能性が高くなります。

それが悪化していけば、最終的には命に関わることになります。

物事を気にしない人は、他人の目や言動を気にしないだけでなく、過去を振り返ったり、失敗を悔やんだりすることも少なく、生活の中でストレスを感じる場面があまりないのです。

そのため、いつも溌剌として健康的なイメージがあります。

周囲を気にせず、自信をもって暮らすことは、健康の維持にも有効な生活スタイルと言えるのです。

※ブタロー

まさに、本ブログ記事は、このことがテーマだっちゅうの!

特に対人関係がらみのストレスは、原因そのものよりも、それを過剰に気に病んでしまう自分の感受性の強さに問題があるのではなかとねと言いたい訳ざんす。

おなじ出来事や現象に遭遇しても、受けるストレスの度合いは人さまざまであるならば、過度にダメージを受けやすい人は、ストレスの受け方、受け流し方を工夫して、それを磨くほどに気が楽になるのではなかとねぇ?と長崎弁で言いたかとですたい!


物事を気にしないで過ごすために意識すること

時間が解決してくれることを意識する

人から悪口を言われた時は、とても傷つきますし、腹も立ちます。

しかし、そうした感情は、時間の経過とともに徐々に薄まるはずです。

そのことを常に意識しておきましょう。それだけでも、気にしないということには効果があります。

嫌な気分をずっと引きずったままでは、他のことに手がつかなくなってしまうでしょう。

そうではなく、嫌な気持ちもそのうち忘れることを意識し、本当にやるべきことや大切なことの方に集中するのです。

気にしないためには、嫌なことを頭の中で何度も追体験するのは、極力避けなければなりません。


少しでも他のことを考える余裕ができれば、嫌なことを思い出す回数も減らすことができます。

※ブタロー

自分が人に悪口を言ったときのことを思い出してみよう!

イラっとして言った後は、ケロっと忘れていたりしたはず。

人に悪口を言う人は、その言葉で相手がどんな思いをするかという想像力が欠如している欠陥品だから、割と悪意なく不快さを口に出しているだけのことです。

近所の犬から吼えられて、いつまでも気に病む人がいないように、欠陥人間が発した言葉は、気に病むだけ損と知りましょう。

どうせ相手は、なんも考えずに感情に振り回されてモノを言っているだけだから。

あなたが悔しくて眠れないその夜に、言った相手はグウグウ寝ているのだから。

自分に非がなければという条件つきだけど、人の気持ちへの配慮ができない欠陥人間からの悪口は、犬に吼えられた程度に聞き流すに限ります。

大事なことは、自分がそうならないようにすること。

人様にモノを言うときは、一拍間を置いて、できるだけ柔らかい言い回しを心がけること。

その方が、人としてステキばい。

周りにやたらと毒を吐く相手とは、出来るだけ距離をおきつつ、こう思えばよかですよ。

「よか歳こいて、ああはなりたくないもんばい。ああなったら、人間おしまいばい!」と。


悪口を深刻に受け止めない

悪口を気にしない人は、悪口を冷静に意見として受け止める余裕をもっています。

また、悪口であることに気がつかない場合もあります。

いずれにしても、悪口をダイレクトに受け止めることはありません。

気にしない人のように意見として考えるのは難しくとも、そのまま受け止めないように意識することはできるでしょう。

悪口を受け止めて、反論したり、間違いを正そうとすることもおすすめしません。

正面からぶつからず、なるべく逸らしたり、いなしたりするイメージで対応しましょう。


日常的に悪口を言うような人からは、自然と人が離れていくものです。

悪い行いは、必ずその人へ帰っていくということを頭の片隅に置いておきましょう。

それなら、あまり真剣に考えることもなくなるでしょう。

※ブタロー

尊敬する「斉藤一人」さんが動画で言ってたことがある。

言葉には波動があるから、マイナス言葉をいつも発していると、その言葉をまた言いたくなる出来事を引き寄せてしまうって。

「あんたって最低!」って言うマイナス言葉を発したら、「あんたって最低!」って言いたく人や出来事をまた引き寄せるってことらしいです。

これって怖いことですよねぇ。

イラっとしても、相手が不快になる言葉なんかを浴びせないように注意しませう!

自分のためにもね。


相手の心理を想像してみる

悪口や陰口を言う人は、劣等感などから他人を攻撃している場合があります。

他人を執拗に傷つけることで、自分の惨めさを抑えようとしています。

悪口を気にしないようにするには、そのような、相手の心の弱さに目を向けてみるのも、ひとつの方法です。

悪口を言ってくる相手が、そうすることでしか心のバランスを保てない人間だと思えば、その人が憐れに思えてくるでしょう。

そのように考えることができれば、悪口や陰口のダメージを減らすことができるはずです。

※ブタロー

これは真実かもね。劣等感から相手に噛みついた覚えが、俺にもあるもん。

なんで私にばかり嫌な事ばかりいうの?って場合は、そいつがあなたの何かに嫉妬している場合も少なくなか!

もちろん、そうかと言ってじっと耐えるべし!なんて言っている訳じゃなかとよ。

「人がガマンしているのを良いことに、こいつ、どえりゃあ調子こいてるばい!」とガマンの緒が切れたときは、がツンと凹むようなきつい一言を食らわせて、悪口を言われる立場を思い知らせてやれば良か!

ガマンしてでも地獄なら、言いたい時には思いきり、結果構わず、ぶちかましてやれば良か!

どうせ、自分の発言や行動には、天から結果責任を取らされるのだから。


すべての人から好かれることはないと理解する

人間にはいろいろな人がいます。考え方も実にさまざまです。

そのことを思えば、すべての人から同じ評価を得ることなど不可能なことが分かります。


自分のことを好意的に見てくれる人もいれば、悪く思う人もいて当然なのです。

他人からの攻撃を気にしないようにするには、そのことをしっかり理解しておきましょう。


たとえ悪口を言われても、それはあくまで相手の主観に基づく発言です。

正しいことの定義は、人それぞれなのです。必要以上に気にすることはありません。

それよりも、自分が評価されたことの方を考えましょう。

人は非難されたことの方を強く覚えていたりするものですが、そうではなく、プラスの面を意識することで、気にしない過ごし方ができるようになります。

※ブタロー

これは大事なことを書いとるばい。もう一回、読み返して欲しかです。

「八方美人」的な立ち振る舞いをする人っているでしょう?

誰からも嫌われたくなくて好かれたくて、どんな相手にも自分を合わせようとするんだけど、底の浅さを見透かされて、誰からも信頼されていないという可愛そうな人を。

そんな人は、他人からの評価が気になって仕方ないのです。

でも、「人の考え方・受け止め方は十人十色だから、誰からでも同じように良い評価を得られるのは不可能」と本文にもあるように、誰からも好かれようと自分を捨ててまで頑張っても、それはムリなのです。

対人関係に過剰に気疲れしてしまう人は、八方美人ほどではなくとも、「人から悪く思われたくない」と言う思いが強すぎるのかも知れません。

だから、悪口を言ったり、自分にキツく当たる人の視線まで気になってしまうかも知れません。

「少しはそういう面もあるかも…」と思い当たる方は、「自分なりに配慮して、それでも私を嫌いな人がいるのは仕方ない」と開き直ってみることも必要かもしれませんね。

最近の私は、かなり開き直りすぎだけど(笑)


物事を気にしすぎないようにしましょう!

物事を気にせず行動するということは、メリットも多い反面、反感を買うことも多いものです。

しかし、至るところにストレスが溢れ返っている現代では、あまり気にし過ぎるのも危険なことです。

時には、周りを顧みずに行動することも必要になってくるでしょう。

そんなときは、物事を気にせず過ごす方法を思い出してみてください。

それを参考にして、苦しい状況に突破口を見出すことができたなら、その先には、きっと有意義な生活が待っていることでしょう。



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2017
11.15

この程度で済んで良かったなぁ!



「ノドが乾くから、飲んだ水が美味しく感じる」ように、不快の「不」が解消された特に「快感」を覚えます。

逆を言えば、「幸せ」を感じるためには、まず解消されるべき「不幸」が必要ともいえます。

逆を言えば、「ラッキー」を感じるためには、まず「アンラッキー」が必要ともいえます。

見方を変えれば、幸せも不幸も、ラッキーもアンラッキーも、自分に起こった単なる現象に、自分が勝手に良し悪しの判定をしているだけかも知れません。

とすれば、自分にこれから起こること自体は回避できない訳ですから、その判定や解釈の仕方を自分に都合良く見直すことで、日々の暮らしはより良く変えられるのではないかと思います。

*********

相手が奥さんや子供でも、あるいは仕事上の関係者でも、相手から文句を言われることは決して気持ちの良いものではありません。

けれども、「その言い方が頭に来た!」なんて感情的なことを脇において反省をしてみれば、「たしかに自分の方が配慮不足だったなぁ。これからはもっと注意しよう!」という前向きな教訓が得られます。

***********

私は最近、つくづくいろんな方々のお世話になったり、支えてもらったりしながら生きているんだなぁと思うことがあります。

それは勿論、妻や子供たち、さらには職場や周りの方々もそうなのですが、特に天からお守り頂いているなぁと感じるのです。

「幸せ」というのは、物理的に豊かな暮らしが出来ることやお金に不自由しないと言うことではなくて、「幸せ感」のことだと思います。

「ああ、嬉しいなぁ」
「ああ、美味しいなぁ」
「ああ、気持ちいいなぁ」
「ああ、楽しいなぁ」
「ああ、恵まれているなぁ」

そうした感覚に浸れるためには、お金は要りません。

「気づく」だけで良い訳です。

一見、アンラッキーと思える状況の中にあっても、ものの捉え方次第でそれをラッキーなことに変えることができます。

それを一言で言うと、「ああ、この程度で済んで良かったなぁ!」という感謝の気づきです。

つまづいて転んで骨折する人もいるのに、すりむいただけで済んだら、それは「ああ、この程度で済んで良かったなぁ!」という捉え方もあります。

仕事に遅刻して、上司からこっぴどく叱られても、減俸やクビにならなかったのだから、「ああ、この程度で済んで良かったなぁ!」という捉え方をできます。

起こってしまった現象はどうすることもできません。

そんな時に「なんて自分は不幸なのだろうか!」と嘆くよりも、「ああ、この程度で済んで良かったなぁ!」と捉え直した方が前に進める気がします。

お金持ちではなくても、健康ではなくても、誰でもいつでも気づき方次第で「幸せ感」に浸ることはできるのです。

不快な出来事は、そんな気づき方を磨く修行であると考えれば、「こんなこと、へっちゃらだい!」と言う気分も湧いてきます。

「ああ、この程度で済んで良かったなぁ!有難いなぁ!」

あなたにこうした捉え方を提案するのには、次のような信念があります。

わが子である「私」や「あなた」に対して、親である神様が意地悪をするハズがない。

もっと成長できるように、幸せのしつけ(修行)をしてくれているんだと。

ひさしぶりに更新する本日の転載記事は、現在の状況を「しんどいなぁ」と感じている方に読んで頂きたい内容です。

タイトル画像に転載する本サイトのURLを貼っておりますので、どうぞそちらの方もクリックしてご覧下さいませ。

あなたの気分をもっと明るくしてくれる記事に出会えること請け合いです♪



不幸の先払い

ちょっとでも何か思わしくないことが起こるたびに、「不吉だわ」とか「運勢のバイオリズムが不運モードに入ったのでは?」と考えると、いらない不安を抱えることになったり、ますますツキから離れる遠回りになったりします。

たとえば、道で転んでヒザを擦りむいたときに、「何か悪いことが起こる前触れ?」と考える人がいます。

「神様が怒っているのだろうか?」と考える人もいるようです。

私は逆にそういうとき「ああ、良かった!」と思います。

それはなぜかというと、あそこで転ばなかったら、その先の道で交通事故にあっていたかもしれないと思うからです。

転んで、「イテテテ」とヒザのケガ具合を確認していると、そこで数分かの時間が経ちます。その時間のズレのおかげで、交通事故にあわずに済んだかも知れないのです。

神仏が大きな「魔(突然襲ってくる大きな不幸の落とし穴)」から救ってくれたのだと思いますし、実際にそうであることが多いのです。

それとは別に、ここで不幸が一つあったから、しばらくは平穏無事に過ごせるなぁ~とも思います。

先日、自宅で小さな火傷をしました。

「こんな火傷やけど、一日で治るわ!この程度ですんで良かったぁ!」と思いました。

そして、この小さな火傷をしたことで、しばらくの間、不幸はないだろうと言う安心感に包まれました。

また、私はよくコピー用紙で指を切ったりもするのですが、そういう場合も、「もしも交通事故なんかでお腹が切れたらエラいことやん。こんなイテテ程度で済んで、ありがたい・ありがたい」と思います。

私は、願いを叶えてくれる南米のエケコ人形を持っているのですが、以前これを家族が不注意で玄関の靴箱から落とし、首が折れたことがあります。

その数日後には、自分の不注意で掃除機を扇風機に引っ掛けて倒してしまい、扇風機の首(?)をポッキリ折ってしまいました。

買い換えなければならないので予定外の出費です。

普通はここで「不幸すぎる!」と思う場面ですが、でもこの時も、「ああ、これでしばらく不運は来ないな!」と思いました。

これは言い換えるならば、不幸の先払いをしたということになります。

こういうことが起きるたびに、私は「大きな不幸や事故を、小さな不幸で終わらせてもらえて有難い!」と思います。

しかし、大きな部類の不幸がバンバン重なり、もう、自分は不幸・不運なのだと認めざるを得ないくらいマイナスの出来事オンパレードとなれば、それは、日常的に細かい不幸の先払いをしているのではなくて、人生において、まとめて不幸の先払いをしている可能性があります。

解りやすく言うと、人生の前半は苦難続き。

自分の人生にはこの先、何ひとつ希望が持てない…という状況だったとしても、それはやはり不幸の先払いをしているだけで、後半になると、それまでのことがウソのように、明るく幸せな日々が待っているというケースなのです。



世の中には、

執着しなくてはいけないものと

しなくていいものがあります。



例えば、カップルが別れ話をしたときに

最後、お互い言い合って別れてしまいますが、

この時に、あまり相手に執着しないほうがいいです。



なぜかというと、

こっちが正しい、あっちが正しいと言った所で、

私からすると、仲が悪くなったのであれば

別れればいいだけの話だからです。



では、ここで執着しなきゃいけないことが

あるとしたら何かというと、

相手が幸せになること、相手を幸せにしたいこと

に執着すればいいんです。



その人が、幸せになることに執着していて

それでも別れたとしても、

結果的に、別れれば相手は幸せになります。



相手が幸せになってほしいと想っていたら

相手にエネルギーが届くんですよね。



そして、仕事も一生懸命、

執着することは必要です。



もちろん、一生懸命仕事に執着するのはいいですが

執着してはいけないこともあります。



ここで考えたいのは、

仕事は、人様の役に立てば

儲かるようになっていますよね。



ところが、それが儲からないとしたら、

今までの古いやり方に執着をしているということです。



常に新しいやり方を出していかないと

時代についていけず、儲からないのです。



では、なぜ人は、どうでもいいことに執着するのか?

ということですが、

私の考えは、自分に執着しているからです。



この世の中は、面白いことに

自分に執着しすぎると

間違いが起きるようになってるんです。




一つ言えることは、

あなたは自分のことに執着しなくても

天に守られているということです。



なぜかというと、

あなたは意識していなくても、

努力していなくても呼吸してますよね。



お腹空いたら

ご飯食べてます。



暑いと服を脱ぎますし、

寒いと服を着ます。



あなたは、努力していなくても

ほっておいても、なるようになっているんです。



なので、それ以外のことは、

あなたが周りの人を愛することに執着することです。

あなたの愛を分けてあげることです。




あなたのできることをすればいいんです。

あなたの余ってる力や愛は、

人様のお役に立ちます。




こういう話をすると、

「お金にならないことはしたくない」

という人いますが

こういう考えをしてるから

お金を持ってないのです。



「私はもう歳だから」

「私は何も与えるものがない」

とか言うんじゃなくて、

周りに何かできることはあるかなと

意識すればいいんです。



人間は成長する生き物なので、

今がどうこう関係ないです。



少しは周りの人のことを考えてみると

普段見ている景色が変わりますよ。



自分ばかりベクトルを向けるのではなく、

周りにもベクトルを向けて

自分のできることをしていきましょうね。




***以下、動画音声の文字おこし(出だし部分のみ)****

天の声を聞くっていう話です。

決して難しい話でもなんでもないんですけど、人間には3通りの人間がいるんだよっていうことを分かってもらいたいんです。

1つはですね、自分だけのことを考えてる。

自分だけの事を考えてる。

要するに自分からしか物を見れない人って居ますよね?

で、そういう人って意外と好かれないんですけど。

もう1つ、相手の立場になってモノを考える人がいるの。

そうすると、こっちの都合はこうだけど相手はこうだよね?って。

仕事でもそう。自分の都合ばっかし言ってるんじゃなくて、お客さんの気持ちも考える人っているじゃない?

その他に、もう1つ。

天に神様がいるとして、ですよ。別に信じなくてもいいんですよ?

だけど、もし天に神様がいて、自分を成長させてくれようとしてるんだ

そうしたとき、起こったことすべてを有り難いと思えるような捉え方が必ず出来る。

だから、こんなことが起きちゃった。

その時、神様がこういう問題を起こしてくれたとしたら、自分はそれに対してなんて答えたらいいんだろう?って。

※続きは、動画の音声をお聞き下さい。





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