毎日を面白がる実践中



こんな内容のブログを
定期的に更新し続ける暮らしが、
もう300日間近くも続いています。

こんな熱病にも似た求道ブログを
どうしてちょくちょく更新し続けているのか?と
自分に問いかけてみたところ、

「自分がラクになるための勉強」

という答えがくっきりと
意識の中に跳ね返ってきました。

「勉強だって?」

学生時代に、あれほど勉強嫌いだった自分が
自分がトクをする勉強なら、こんなにも熱心に
続けることができるのかと、半分呆れています。

まったく私って奴は、我ながら
ビビるぐらいにゲンキンな奴みたいです (´∀`*;)ゞ

人生勉強

私がこんなブログを
毎日更新している理由は、
モノの見方の選択肢を広げたいからです。

以前の私は、自分の人生を、
とても深刻に考えて生きていました。

自分自身に自信が持てない
とても気の弱い人間だったからです。

けれども、考えてみれば
一度しかない自分の人生です。

深刻ぶって生きたところで
死んじゃえば、それまでの人生で終わります。

同じ事態を、深刻に受け止めるか
面白がって楽しむのか
それは選択肢の問題です。

同じ一度しかない人生なら、
そして、どうせえらい目にあうのなら、
それを面白がって楽しんだ方がトクじゃん!

ある時から、ふっと考えるようになりました。

それは、小林正観さんと言う方の話を
奈良県生駒市にある研修センターで
直接お聴きした時からなのです。

それは、人生に行き詰まりを感じて、
私が40歳の時に受講した「真氣光」という
生き方教室が主催するセミナーでした。

その時の講師のお一人が、
今は亡き小林正観さんでした。

正観さんのお話は、とても合理的で
「人生のさまよい人」であった私には
とても納得のゆく教えの数々でした。

それ以来、私は
「生き方の勉強をしよう」と思い定めて
コツコツといろんな情報を読んできました。

勉強嫌いの私が、苦しさ紛れに
生き方の勉強をし始めたのです。

その備忘録がこのブログと言う訳です。

※「備忘録(びぼうろく)」とは、
忘れた時にそなえて、要点を書きとめておく
手帳やメモ書きのことです。


本日のブログでは、「面白がる実践中」と題して
心に響いたサイト記事を集めて構成しています。

なんとなくでも、
こんなブログを続けているおっさんの
心情をご理解頂けたら有難い限りです。


▲http://blog.goo.ne.jp/mg2sanmai

「すべきことがたくさんある」という
女性の発言に対して、

「少し哲学的になりますが」と正観さん。
すべきことが30あろうが40あろうが

今、すべき仕事というのものは
今の目の前の事だけなんですよ。

自分の体はひとつしかない。

30も40もあるように見えるけれども、
実は、今目の前にある仕事というのは、

「常にひとつだけです」

同じように
私の目の前に居る人は常に一人だと。

私は講演会で話をしながら

視線が、あっち・こっち・そっちと
瞬間瞬間に動きますが、

私の目の前の人というのは
その瞬間ごとに
視線がいったその人なんです。

実は目の前でなすべきことはひとつだけ。
そのひとつの後ろには、ふたつめがあるだけ。

紙が100枚重なって束ねられているとして
目の前で見えるのは一枚目の紙だけです。

100枚あると思うとつらくなりますが
私が出来るのは、この一枚だけですよね

例えば 主婦の人でやることたくさん。
掃除・炊事・洗濯・洗濯取り込みなど

別に一週間洗濯しなくても良いですよね。
掃除も2週間放っておいてもいいですよね。

そう考えると、

やるべきことがすごく忙しく 
ぎっしり詰まっているように感じても、

自分が勝手に、用事を熊手で
かき集めてきているに過ぎないと気づけます。

だから目の前にあることは
実は一つ一つが実態なのです。

更に質問者への答えをば。

世のため人のために
喜ばれる存在になること!

どうすれば良いか?
それを具体的に言うと

どんなことがあっても
つらい・悲しい・つまらないを口にしない。

そして、不平不満・悪口文句を口にしない。
非難中傷を口にしないという事だけです。

私が「実践的に生きる」という意味は
たったそれだけなのです。

本当に、それだけでいんですか? 
本当に、それだけでいいんです!

私は、そういう生き方をしています。
もうひとつ お願いがあるとすれば
 
愚痴泣き言・怒りの言葉など出てこないで
愛の言葉があるともっといいなと思います。

そのように生きているだけで 
周りの人はみんな笑顔になる。

それで100%です。これが
「実践」のすべてです。

実践とは、どんなことがあっても
どんな状況でも、どんな人がいても
どんなでき事が来ても、

腹を立てない。怒らない。
いからない。怒鳴らない。
イライラしない。声を荒げない

という事をやり続けるんです。

不平不満・愚痴泣き言・悪口文句を口にしない

その現象の中から、常に

「嬉しい」
「楽しい」
「幸せ」


という言葉を引っ張り出して
言えるような日常を組み立てる事。

決して難しいことではありません。
そういう言葉しか出てこない人がそばにいると、

周りの人はすごく温かく
居心地がいいという状態になります。

それが「実践」ということ。
だるまストーブになることです。

あったかく光を投げかける。
そうすると人が寄ってくる。
それを「実践」といいます。

今回もありがとうございました。
すべての魂が、幸せでありますように。


▲https://happylifestyle.com

人生の勉強をして変わるのは、
知識や知恵の量だけではありません。

姿勢です。

姿勢がどう変わるのかというと
「謙虚」になります。

相手の話を受け入れるようになり、
謝れるようになり、物腰がよくなります。

それは、「自分はまだまだ勉強不足だ」
という気持ちが根底にあるからです。

なぜか勉強した結果、
自分の知識に自信がなくなります。

今まで知らなかったことを知るようになり、
幅の広さや奥の深さを知ります。

勉強をきちんとできていれば、
必ず視野が広くなり、自分は本当に
勉強不足だと痛感します。

だから謙虚になってしまいます。

いかに自分が無知であったかが分かり、
恥ずかしくなります。

「足りない部分を知る」ということです。
ゆえに、勉強をして本当に変わるのは
「知識の量」や「知恵の量」ではなく姿勢です。

「自分は本当に狭い世界にしか生きていない」
「限られたことしか分かっていない。世間知らずだ」

そういう気持ちが「疑い」から「確信」に変わります。

勉強をすればするほど、
自分の知っている知識はほんのごくわずかである
ということが痛感できます。

「世の中は分からないことだらけだ」
「もっと人の話を聞こう」という姿勢になります。

本当に勉強ができている人は、
夫婦関係でも親子関係でも
親戚づきあいでも職場の人間関係でも
喧嘩がなくなります。

物腰が柔らかくなり、
謝ることができるようになり、
謙虚になります。


がらりと姿勢が変わり、
まったく別人になります。

そういう人が、最も頭がいい。

「頭がいい」とは、
そういう「事実」ではなく「姿勢」のことです。
「勉強をしようとする姿勢」です。
 
勉強をした結果
「謙虚になった姿勢」です。

知識や知恵の量は、
宇宙全体の膨大な量から見れば、
実に大したことはありません。

人が生きている間に触れる知識の量は、
宇宙全体の量からすれば、
少なすぎることなのです。


▲http://ameblo.jp

人生をいちいち面白くする

最近、私は「面白がる力」を鍛えています。
なので、日々いろいろと面白いです。

そんな今日の記事は、
人生をいちいち面白くしたい人
に向けて書こうと思います。

まずこの、

「面白がる力」とは、一体何なのか?

説明しますね。


「面白がる力」とは、
目の前の出来事に対して、
「いちいち面白がれる力」

のことです。笑


まるで、M-1を優勝した時の、
チュートリアル徳井のように、

どうでもいいような事にも、
いちいちリアクションして、
面白がってしまえる力です。



そんな感じで最近は、

ご飯を食べたら、

オーバーリアクション気味に、

「うまっっ!!!」

と言ってみたりしてます。笑


そしたら、
いつもよりご飯が美味しく味わえたりします。笑


私は、
最高に美味しいご飯を食べる方法
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
には、2通りあると思っています。

一つは、
「高級レストランに行って、
高級料理を食べる」という方法。

もう一つは、
「美味しさを最大限に感じれる自分になる」
という方法です。

この「面白がる」というのは、後者の方法です。

こうやって、

「うまっっ!!!」と
最高にリアクションすることにより、
楽しくなってくるので、

素材の味以上に、
美味しさを味わうことができる

のです。

要は、

「自分が反応した分だけ、
受け取れるものがある」


ということです。


同じく、

人生を面白くする方法
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
にも、2通りあると思っています。


それは、自分の

「外側」をコントロールする方法と、
「内側」をコントロールする方法です。

ご飯の例で言うなら、
最高に美味しいご飯を食べる為に、

お金を稼いだり、高級店に行ったりして、
いつも美味しい料理を食べれるようにするのが、

自分の「外側」をコントロールする方法で、


「美味しさを味わえるような自分」に
常に自分自身をチューニングするのが、

自分の「内側」をコントロールする方法です。


どちらも大事ですが、

私は、「内側」をコントロールする方法を
まず磨くことをオススメしています。

なぜなら、自分の「外側」のものは、
自分ではコントロールできないものが多いからです。


分かりやすいところで言うと、天気なんて、
自分の力ではどうすることもできませんよね。


例えば、多くの人が
憂うつな気分になるとされる、雨。

見方次第で、その雨が降ってるのを見て、

気を滅入らせることも出来るし、

逆に、

雨を面白がって、楽しむ
ことだって出来るわけです。


つまり、

「目の前に起きている
出来事そのもの」


よりも、

「自分がそれにどう反応するか」

の方が、

" 自分の心を決めている "

ということです。


要するに、「面白がる力」とは、

人生の主導権を、
目の前の出来事に奪われずに、


人生を、

『自ら主体的に面白くする力』

なのです。そして、

こうやってアホになって
「面白がる力」を鍛えていくと、

どうなるかというと、、


起こる出来事に対して、
肯定的に反応できるように
なっていきます。

つまり、
「肯定的なものの見方」が身に付くのです。

こうなると、

「自分」に対しても、肯定的な見方ができる
ようになってきますし、

「人」に対しても、肯定的な見方ができる
ようになってきます。

そして、
「人生」に対しても、肯定的に見方ができる
ようになってきます。


何も、ポジティブ一辺倒が
良いというわけではありませんが、

起こる出来事に対して、
基本的にポジティブに反応できると、

たとえネガティブな出来事が起こったとしても、
前向きに向き合っていくことが出来るのです。


なので私は、

「今この瞬間」の素材の旨味を
最大限に味わうためにも、

「面白がる力」を磨き中なのです。

それに、いちいち反応が良いと、
自分も人も、いちいち楽しくなってきますからね。


自分の人生、

面白いことが起こるのを
受け身で待つよりも、

自ら主体的に面白くしていく。

もっとアホになって、
人生を、そして自分を面白がっていこうと思います。笑


▲https://happylifestyle.com

若返りの薬はありますか?

肉体的に若返る不老不死の薬は知りませんが、
精神的に若返る薬であれば、知っています。
ここだけの話です。
 
「わくわく」です。
 
わくわくする経験は、
必ずあなたの心を若返らせます。

若返りの薬は、病院にいかなくても、
日常にたくさん存在しています。

恋愛をする
話したこともない人に話しかける
新しい習い事を始める
好きな本を読む
海外旅行をする

わくわくする経験は、日常にたくさんあります。
ただ私たちは、恥ずかしがったり、
怖がったりして、手にしていないだけです。

すべては、自分しだいです。

「怖くてできない」という人は、それまでです。
だんだん精神的に衰えていきます。

わくわくする経験を自分から求めていく人は、
いつまでも老いることはありません。

肉体的に衰えることはあっても、
精神的に衰えないのです。

年を取っても初体験をしようとする人を、
私たちは「お年寄り」とは呼べません。

「まだまだお若い」と感じます。

そういう人は、
事実、精神的に若いのです。

新しい刺激が脳を活性化させ、
若返らせる薬になるのです。


▲http://business.nikkeibp.co.jp

「楽しむ」ことの
何がいけないのか?


日本では、戦後から高度経済成長期にかけて、
特に仕事の場やスポーツの場で、

根性論や「会社のため」という
価値観が幅を利かせていました。

ところがバブル期が始まる1980年代頃から、
一転して「楽しむ」という考え方が
もてはやされるようになりました。

この「楽しむ」という考え方は、
あるニュース番組でキャスターが、

オリンピックに行く選手たちに
「楽しんできてください」と言ったのが
発端だったとも言われています。

確かに「楽しむ」というのは、
その当時には新しい発想でした。

それまでオリンピックに参加する選手は、
「お国のために」「国民のため」に

死に物狂いで頑張らなければならないという
戦中的な価値観を持たされてきたわけです。

金メダルを期待された選手が、
もしもメダルを取れなければ、

「恥を知れ」「頭を丸めろ」などと
言われたことすらありました。

それが、「楽しんできてください」
という言い方に転換されたわけです。

当初は、この考え方はとても新しかったのです。

しかし、どんなことでも
「楽しむ」という言い方をするうちに、

今ではかえって「楽しむ」に
縛られるようになってきました。

発想の転換は、転換したその時には
誰かを楽にするものですが、

やがて手垢がつき、
曲解され、劣化するものです。

「楽しむ」ももはや、スポーツ選手、芸能人だけでなく、
ビジネスパーソンも普通に使うようになり、

職場でも、「この仕事を楽しみます!」
「このプロジェクトを楽しめればいいと思います」
といったセリフが、連発されるようになりました。

「楽しむ」の何がいけないのか?
と思う人も多いでしょう。

しかし、「楽しむ」ことを目標にするのも、
行き過ぎて、「楽しまねばならない」に
縛られるようになると疲れてしまいます。

楽しくないことまで楽しもうとするのは、
やはり無理があります。

そこでお勧めしたいのは、
「楽しむ」のではなく「面白がる」です。


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どんな夫婦も、結婚してから、
必ず思うことがあります。

「離婚したほうがいいのか」
という迷いです。

最高だと思って
結婚したはずのカップルが夫婦になり、

一緒に暮らし始めると、
後から変わることがあります。

態度が変わったり、言葉遣いが変化したり、
新しい癖や習慣ができたりなどです。

夫婦前は仲良かったのに、
夫婦になってしばらく経つと、
なぜか対立や衝突が増えてしまいます。

なぜでしょうか。

成長をすれば、人は必ず変わるからです。

昨日のあなたと今日のあなたは、
わずかに違うはずです。

去年と今年とで比較すれば、
差はもっと大きくなるでしょう。

それは相手も同じです。

「こんな人より、
もっといい人が世の中にいるに違いない」

そういうことを考え始めていると、
キリがありません。

理想だと思って結婚した当初は、
たしかに趣味も考え方も一緒であった。

そのときは、たしかにそうだったのでしょう。

しかし、結婚後、成長するにつれて
次第に違いが生まれてきます。

これは、誰と結婚しても同じです。
成長によって、あなたも変わるし、
伴侶も変わります。

すれ違いはあって当然。

時間が経ち、経験を積めば、
わずかな違いは増えていきます。

昔とは変わったから、
腹を立てるばかりでは仕方ありません。

結婚後に大切なのは、そうしたお互いの
成長による違いを楽しむことです。

「変わったことしているね。面白いね」
「なんだか変だよ。珍しいね」
「おかしいよ。でもいいかもしれない」

そういう受け入れる心があれば、
逆に夫婦の仲はよくなります。

夫婦とは一緒に
受け入れる器を広げていくことです。

成長して、違いが生まれ、
それを楽しむ姿勢があれば、

寛大になって受け入れることが
できるようになります。

それが円満な夫婦生活になるのです。


▲http://plaza.rakuten.co.jp

日々、退屈している人は、
まわりを退屈させてしまうもの。

だから、
自分が退屈しないようにすることが、
人間関係では鍵になってくる。

退屈しないためのポイントは、
違いを楽しめる、面白がれるかどうか。

自分と人との間には、
山ほどの違いがある。

そもそも、

顔や体型が違うわけだから、
考え方や感じ方は、もっと違うのが当たり前だ。

にもかかわらず、

目に見えない部分に関しては、
なかなか違いが認められない。

俺と顔が違うから許せない!
という人はいないのに、

考え方が違うと言っては
喧嘩になっているわけで、
そんなのはおかしな話だ。

違いに対してイライラするのではなく、
違いを楽しめるようにする。

こんな考え方もあるのだと、
面白がってみる。

違いにイライラする人は、
イライラしたくないという力が働くから、
人のつながりにふたをしがち。

孤立してしまう。

孤立している人間というのは、
自分も退屈するし、はたらから見ると
すごく退屈な人間。

違いを面白がっている人は、
すごくオープンで、自分も退屈しないし、
まわりを退屈させることもない。

人間関係がとてもスムーズに運んでいく。

夫のやることに対して、「理解できない!」と、
あきれたり、怒ったりするのではなく、

「こんなこと考えているんだ」と、
面白がってみる。

テレビで「ダーウィンが来た!」を
見て楽しむ感覚。

そんなふうに人を見れば、
毎日、退屈しないし、相手を退屈させない。
とてもいい人間関係が築けるはずだ。

うちの家内は、
今日も、せかせかと出かける準備。

立ったまま朝ごはんを食べ、
台所と居間を小走りに行ったり来たり。

あれで、何分、節約できるのだろうか。

あんまり意味ないと思うけど、
一生懸命だから、何も言わないようにしよう。

そして、両手に
荷物をいっぱいぶる下げて出ていく。

妖怪セカセカボンと名付けよう。
そんな感じかな。



人生楽勝

これ、なんて読むか分かりますか? 私には、
人生しんだ者」と読めます。

人生の目的は「成功する」ことではありません。
楽しむ」ことです。

「人生山あり谷あり」と言いますが、
「谷」すらも人生の彩り。
それも、楽しむためのものです。

「うまくいかないこと、辛いこと」
それすらも、見方を変えて楽しんでしまいましょう。

私達は、この人生を楽しむために生まれてきたのですから。



私は、以前のブログでこう書きました。

今生の人生のシナリオは、
生前の自分が描いた"魂磨き"のシナリオです
。」

その前提に立つならな、
今生の人生を楽しく満喫していること。
それこそが「成功」なのです。

物欲に執着して、
「人をだまし押しのけても金持ちになる。」
「金持ちにならなければ、自分は幸せではない。」
そう思い込んでること自体が、「不成功」なのです。

もっと、今の人生を楽しみましょう!

魂的には、「人生を楽しむこと」
それが「成功」なのです。

今いる環境の中で、どれだけ楽しく過ごせるか?

それが、あなたに出題された「今生での最難関のテスト」です。



アフリカのある部族は、人生は楽しむためにあると言い切ります。
あの世で退屈したから、この世に遊びに来たのだと言います。
だから思いっきり人生を楽しんで幸せに死んでいくのです。

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人生楽勝!
人生は楽しんだ者勝ち!

この新たなフレーム(解釈法)で、毎日をとらえ直してみませんか。



対戦ゲームみたいに、悩みや苦しみを「ボスキャラ」に置き換えれば
攻略する過程を楽しめるゲームに変わります。


以下は、「人生 楽しむ」というキーワードで出会ったサイトからの引用文です。

^^^^^^^^^^^^^^^^
楽しむ
http://www.copywriter-copy.com/d/5.html
^^^^^^^^^^^^^^^^



楽しく疲れよう!


子供の幸せは、楽しく遊んで、ぐっすりと寝ることです。
大人の幸せは、楽しく働いて、ぐっすりと寝ることです。
子供も大人も、楽しく疲れるほど、幸せなことはありません。

人生を2倍生きるコツ

人生を2倍生きるコツは、2倍苦しんで2倍楽しむことです。
人生=時間ではありません。人生=経験なのです。

予想外を楽しもう!

簡単だろうと思っていたことが、
始めてみたら意外に難しかった。
よくあることです。

難しいだろうと思っていたことが、
始めてみたら意外に簡単だった。
よくあることです。

予想外なことがあるから、世の中面白いのです。



人間関係でも、趣味や仕事の場面でも、
予想外に手強かったら、余裕をカマして
その状況に対して、こう言ってやりましょう。

ほー、若いの。おぬし、少しは出来るな!」

人生のベテランが、ひるんではイケマセン!
あくまで余裕コイて、迎え撃つ余裕をカマすのです。

かかってきんしゃい!

時間はたっぷりあるのです。
アドレナリン全開で、攻略する過程をじっくり堪能しましょう。

楽しむのが一番ラク

手抜きをして仕事をすれば、肉体的にラクはできます。
その仕事は、手抜きをするぐらい楽しくないということです。

仕事を楽しんでいる人は、手抜きをしません。
手抜きをしたら楽しみが減るからです。

究極の手抜きは、仕事を楽しむことです。
楽しんで仕事をするほど、ラクなことはないのです。


工夫次第で楽しくなる

同じ仕事も、道具と場所を変えるだけで楽しくなります。

文房具をお洒落にしてみる。
音楽を流してみる。
壁に絵や写真を飾ってみる。

工夫次第で仕事は楽しくなっていきます。

上手くなると楽しくなる

デジカメやガーデニングなども、
上手く出来ないうちは楽しくありません。

コツがわかって、上手く出来るようになると、
どんどん楽しくなります。

趣味に限った話ではありません。
どんなことでも同じです。

楽しくなるまで続けるのも、
続けるコツなのです。

ユーモアを楽しもう!



頭の固い人は、ユーモアがありません。
人は、ユーモアのある人に惹かれます。

新しい情報を入れない、
考えの合わない人を避ける、
新しい事に挑まないなどをしていると、
視野が狭くなり、ユーモアでなくなります。

勉強するほど頭は柔軟になり、
ユーモアも自然と生まれてくるのです。

最近あった面白い話をしよう!

「最近、面白いことあった?」
と訊かれて即答できますか?

日常に刺激のない人は、この質問に即答できません。
些細なことでいいのです。

「映画が面白かった」でも
「子供がこんな面白い行動をした」でもいいのです。

些細な出来事を面白いと感じられなくなったとき、
世の中は面白くなくなるのです。

"面倒くさい“を楽しもう!



この世に「面倒くさいこと」などありません。
あなたが「面倒くさそうー!」と
決めてつけているだけなのです。

私は片づけが苦手で、面倒臭いと思う方ですが、
片づけを生きがいにしているキレイ好きの方もいます。

「メンドクサイ」というのは
「メンドクサソー」というイメージなのです。

やろうと決めたことは、そんなイメージを脇に置いて
とにかく取り組んでみることです。

たとえば、朝のウォーキングもそうですが、
「今日は休もうかな…。なんかメンドクサイ!」と思っても、

玄関のドアを開け、いったん外に出て歩き出せば
「うわぁー、気持ちの良い朝だなぁ!」と
喜びを感じた経験もあるはず。

先延ばしにしないで、とにかく行動するすること。
やり始めたら、面倒臭さは薄れてゆきます。

まして、まわりの誰もが「面倒臭い」と思っていることにこそ
あなたがやる価値があります。

そこは、あなたの独擅場です。

上手くやれなかったとしても、誰も責めたりしません。
責めたら、自分がやらなきゃならないからです。

そんな場面があったら、ラッキーと喜んで取り組みましょう。

「不快な気分にならないゲーム」を楽しもう

この世の中には、自分の感情任せでモノをいう人間もいます。
そんな「バカヤロー」とかかわりを持たねばならないひと時は、



こいつは、傍若無人キャラをウリにしたお笑い芸人だ」と思って
そいつの芸風を観客として満喫させてもらいましょう。



やたらとこちらの落ち度ばかりをあげつらう上司や趣味仲間にも
よっ!"ツッコミ名人"!今日もキレてるねぇ!」と、
観客として向かいあえば、結構ウケます。

あとで思い返せば、爆笑できるほどの滑稽さが
あなたを2度も楽しませてくれるはずです。

人生の目的は、「成功する」ことではなく「楽しむ」こと。



悩み、不安、絶望…、

あなたを包む闇がどれだけ深くても、
マッチ一本の炎にはかなわない。


感謝」というマッチを擦って、
希望」という火を灯せば、道が見えてくる!


そのことさえ知っていれば、
どんな現象にも負けはしない。

それはあなたが、病の床にあっても同じこと。
家族の介護に自分を責めるより、感謝の笑顔を向けよう!

そのことさえ忘れなければ、あなたの人生は、

いつまでも楽勝です!



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老いてこそ「置かれた場所で咲きなさい」





「置かれた場所で咲きなさい」


数年前にこの本に出会ってから、
私の生き方は変わりました。

今、自分が置かれている現状に
いつも不満タラタラだった私が、

これは、神様が私に

「ここはお前の未熟さを思い知り、
クリアするのに一番の良い修行の場だよ」と

わざわざ与えてくれている環境なのだと
思うようにしたのです。

自己チューな自分
他人への感謝が足りない自分
恵まれていることを当たり前と思う自分

そんな未熟さを改善するのに
ちょっとだけキツめの環境を用意してくれたのだと
考えるようにしたのです。

そう考えると、自分を更に成長させるために
神様が吟味してわざわざ用意してくれた環境ならば
「よし!いっちょ頑張ってみるか!」と
気合が入るようになりました。

なぜなら、どんなに頑張っても
クリアできないほど厳しい条件の中に
神様が自分を置くわけがないと信用しているからです。

そんなに頑張らなくても考え方を変えるだけで
ふっと気持ちが軽くなることだって少なくありません。


だって、私もあなたも「分け御霊(みたま)」という
神様の子供なのですから。

そう信じることができる人なら、
「置かれた場所で咲きなさい」という教えほど
強い心の支えになるものはないと思います。



最近、若い時の上司だった部長が76歳ながら
軽いボケが始まり、特別養護老人ホームに入りました。

「こんな牢獄みたいな場所はいやだ。家に帰せ!」
夜な夜な騒いで介護スタッフを困らせていると
訪ねた折に奥様がこぼしておられました。

その介護をしてくれる家族の苦労への感謝も忘れ
わがまま放題、わめき散らすなど見苦しいにも
程があります。

というより、哀れです。

そんな先輩の姿をみながら、
「置かれた場所で咲きなさい」という教えを
老いるほど、肝に銘じて生きなければならんなぁ
しみじみ思った次第です。

誰だって「老い」は避けて通れません。

介護ベッドの住人になればなったで

「そこでどれだけ楽しく明るく生きられるか?」
それがその人生ステージでの修行だと
覚悟を決めることが大事です。

「老い」なんか、受けて立ってやる!と。
「どこからでも、かかってきなさい!」と。

俺は、他の奴のように嘆いたりしない!と。


俺は、この「老い」の人生ステージでさえも、
楽しんで生き抜いてみせる!と。




「修行」と言うと、苦しいイメージが浮かぶから
「ゲーム」なんだと、考えれば良いと思います。


ファミコンゲームのように、
何回でもやり直しができるゲームなんだと
気楽に考えて挑戦すれば良いと思うのです。


一回でクリアしようとするから緊張する。
そうではなくて、やられたらまたやり直す。


やり直しOKのゲームなら、
自分でも、いつかクリアできるかもしれない!


そんな気楽な気持ちで、その敵キャラの攻略法
=老いた自分の楽しみ方をあれこれ試してみることを
ルンルン気分で満喫堪能しちゃえば良いだけのことです。


それなら、自分でもできる気になりますねぇ♪

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本日は、名著「置かれた場所で咲きなさい」を題材に
有難いことが書いてあるブログを厳選して
転載させていただきます。

人生が思い通りにいかないあなたへ
http://a2log.com/okaretabashode/



人生が思い通りにいかないあなたへ

今、自分の人生に満足していますか?

思い通りの毎日を送っていますか?

修道僧を志し、アメリカへ渡り、36才という若さで
ノートルダム清心女子大の学長になった渡辺和子さん。

周囲が羨ましがる栄光の道とは裏腹に、
彼女は才能溢れる輝かしい人生を
歩んできたわけではありませんでした。

誰も知り合いがいない土地で嫉妬や妬みに晒され、
思い通りにいかない毎日に彼女は心を痛めます。

「どうして自分はここにいるのだろう」
「何故、こんなにもうまくいかないのだろう」

そんな彼女に、ある宣教師が英語の詩を差し出したそうです。

置かれた場所で咲きなさい



あなたが今いる場所は、
あなたにとって牢獄ですか?

地獄ですか?

生きるということは決して
思い通りにいくことばかりではありません。

望んで手にしたはずなのに、

「こんなはずじゃなかった」
「どうして~してくれないの」と

環境を恨む日々もあるかもしれません。

そんなあなたに伝えたい言葉は
「置かれた場所で咲きなさい」だそうです。

しかし、

決して諦めろという意味ではないのです。

頑張ってもどうしても
成果が出ない時もありますよね。

自分は何の役にも立たないのかと嘆く日もありますし、
今まで進んできた道から外されてしまう時もあります。

自分を諦めないでください。

根をはれば、いつか花をさかせることができます。

今成果が出ない分、いつか大きな花を咲かせることもできます。

著者の渡辺さんは、

「どんな環境に置かれても、
生き方は自分で選ぶことができる」と語っています。

今を精いっぱい、感謝して生きましょう。

暇は本当は「日間」と書く。



あなたは今、何のために働いているのでしょうか?

生活のため?子供のため?自分自身のため?

働くことに夢中になって、一番大事なものを見失っていませんか?

わたしは子供のために働くと言いながら、

仕事を邪魔してくる子供を
うっとおしいと思ったことがあります。

本末転倒です。

あなたは仕事の奴隷になっていませんか?

明治時代に改訂された大言海という辞書によると、
「暇な時間」とは本来「日間な時間」と書くそうです。

つまり「ひま」とは、

退屈やサボるという意味ではなく
「日の当たる時間」という意味なのです。

渡辺さんが出会った実業家は、

「仕事に集中しすぎて自分を振り返る日が無かった。
定年したら自分の体はボロボロだった」と

後悔していると言います。

成果をあげることで
あなたが得たいものはなんでしょうか?

もう一度振り返ってみてください。

あなたが過ごしている毎日に、
日は当たっていますか?

人生で空いた穴から見えるものもある



突然の病気や怪我、心のトラブルなんかで
前に進めなくなることもあるかもしれません。

渡辺さんは50才を過ぎた頃、
うつ病で入院まですることになったそうです。

また彼女の教え子も、婚約中に病気になり
一生子を望めない体になってしまったそうです。

そんな時に、彼女たちを支えてくれた人たちがいました。

それは「つまずかなければ
決して気づくことの出来なかったこと」だったと言います。

人生に「穴」が空かなければ、

目の前にいる人の親切さ、誠実さを
知らずに生きていたかもしれない。

病気にならなければ、
人の痛みを知らずに生きていたかもしれない。

穴を避けて通るのではなく、そこから見えるものを
大切にして生きることは、素晴らしい人生でもあるのです。

年をとることは、決して悪いことではない




「もう若くないから」

「もう年だから」

「ジジイ、ババアだから」

自身に向けたそんな言葉を、
あなたも一度は使ったことがあると思います。

若いということだけで素晴らしいこと、
全ての可能性があるということだと思われがちですが、

年齢を重ねるということは
「あなた自身の財産を築き上げる」
ということでもあるのです。

財産とは、お金だけではありません。
家族や友人、そして自分自身の強さかもしれません。

人は必ず老います。あたなだけではありません。

今、若さで溢れている人も、
ヨボヨボの老人になり、寝たきりになるのです。

渡辺さんは、失うということは、
新しい何かを得ていることだと言います。

失ったことばかりに目を向けないで、
今を大切に生きましょう。

美しく老いるとは、大切なものを
見つけ出していくことかもしれません。

大事なのは量ではありません。質なのです。





ごめんなさい。

この名著は、1行1行全てが名言すぎて、
本当は全部載せたいくらいなんです。

心が疲れたとき、悔しい時、
心が痛む時、是非読んでみてください。

心に溜まった涙を流すことは、
あなたの重荷を減らしてくれる時間になると思います。

Bloom where God has planted you


▲http://www.eigo-akahige.com

Bloom where God has planted you.
(置かれた場所で咲きなさい)

上記の邦文はミリオン・セラーになった
渡辺和子さんの本の題名だ。以下はアマゾンの紹介文。

Bloom where God has planted you.

置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。
咲けない時は、根を下へ下へと降ろしましょう。

「時間の使い方は、そのまま、
いのちの使い方なのですよ。

置かれたところで咲いていてください」

結婚しても、就職しても、子育てをしても、
「こんなはずじゃなかった」と思うことが、
次から次に出てきます。

そんな時にも、その状況の中で
「咲く」努力をしてほしいのです。

どうしても咲けない時もあります。

雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、
そんな時には無理に咲かなくてもいい。

その代わりに、
根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。

次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。

現実が変わらないなら、
悩みに対する心の持ちようを変えてみる。

いい出会いにするためには、
自分が苦労をして出会いを育てなければならない。

心にポッカリ開いた穴から
これまで見えなかったものが見えてくる。

希望には叶わないものもあるが、
大切なのは希望を持ち続けること。

信頼は98%。あとの2%は
相手が間違った時の許しのために取っておく。

「ていねいに生きる」とは、
自分に与えられた試練を感謝すること。』

合掌

法華経の教えがお守り

 私は毎日、いろんな方とかかわりながら生きています。
きっと、あなたもそうだと思います。

かかわる人の中には、
こちらの機嫌を損ねる人もいます。

だけど、斉藤一人さんの動画をみながら、
座禅を組むより、冷たい滝に打たれるより、

日常の暮らしの中で、
「毎日を楽しく明るく、人に親切に」を
実践してゆくのが一番の魂の修行になるという
教えに私は共感しました。

最近の私は、その日、朝に家を出るとき、
「南無妙法蓮華経」と三回唱えます。

それは、

アメノミナカヌシ様、私の内神様、導師様!」
「今日も一日、我を折り、機嫌よく修行します!」

そんな決意表明のつもりなのです。



本日のブログでは、この「南無妙法蓮華経」の教えについて
日蓮宗のホームページから、抜粋して書かせていただきます。


▶http://www.nichiren.or.jp



法華経は、数ある仏教経典の中でも
お釈迦様の教えの集大成と言われる経典で、
第一章から第二十八章で構成されています。

前半部分の中心となるお経「方便品第二」には、
みんな一人ひとりが仏になれる、

そして、どのような人でも
「仏の心」(仏性)が備わっていると説かれています。

人だけではありません。動物も植物も大地も、
全ての生きとし生けるものに「仏の心」はあるのです。

"自分"の心の中を考えてみても、
そのなかにはさまざまな側面が存在していることに気がつきます。

お釈迦さまは、私たちの心のなかに
10の世界が備わっていると説かれました(十界互具)。

それは

「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間
・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏」の世界。

これらのそれぞれが、お互いに関わり合い、
私たちの一つの思いを成り立たせているのです。

たとえば、あなたが電車のなかで席に座っていたとします。

そこに身体の悪いお年寄りがいたら、
「席を譲ってあげよう」と思うでしょう。

それが仏の心です。

でも一方で、

「今日は疲れているから、見て見ぬふりをしよう」と
思うときもありますよね。

それは悪い心が表れているのです。

もちろん、人の心はいつも一定ではありません。

だからこそ、
その仏の心を少しずつ大きくしていくのが、
仏教に生きるということ。

善いことをする、悪いと思ったことはしない。
とてもシンプルですが、仏になるとは、そういうことです。

そんな全ての仏さまに感謝し、手を合わせるのが、
日蓮聖人が説いたお題目=「南無妙法蓮華経」の世界です。

南無」とは、一心に仏を信じることで、

「妙法蓮華経」の五字には、
お釈迦さまが多くの人を教え導いた智慧と慈悲の功徳が、
全て備わっているといわれています。

全てに備わる「仏の心」を信じ、
この「南無妙法蓮華経」のお題目を
口に出して唱えることで、

自分のなかにある「仏の心」をも
呼び現していこうとしているのです。




私たちの住むこの世界は、
楽しいこともたくさんありますが、

辛いこと、苦しいこと、
嫌なこともたくさんありますよね。

お釈迦さまの本当の願いは、
そんな私たちひとり一人の苦しみを救うことにあります。

ですから、

生き迷う私たちのためにお釈迦さまは
「私はいつもここにいて、教えを説いていますよ」と
説いてくれています。

これを"久遠のお釈迦さま"といいます。

法華経の中で最も大切だとされているのが
「如来寿量品第十六」のお経です。

なぜなら、前述の

「過去・現在・未来を超えて、
永遠の存在であるお釈迦さまは、

私たちをいつも近くで見守り、助けてくださる
ということが書かれているからなのです。

そんなお釈迦さまの"いのち"を
私たちは受け継いでいます。

"いのち"とは、

単に肉体的な生命としての意味ではなく、

お釈迦さまの慈悲の心であり、
安穏な世の中を願う想いであり、
みんながイキイキ生きるという意志でもあります。

全ての生きとし生けるものの"いのち"と、
お釈迦さまの"いのち"はつながっています。

だから、私たちの心のなかにも、
"仏"がいらっしゃる―


とはいえ、

「いつも見守っている」と言われても、
宇宙の神秘的な話のようで、
にわかには信じがたいですよね。

これは、科学的な「理解」の世界ではなく、
宗教的な「信」の世界のお話になります。

苦しみに満ちた世の中にあっても、
一心に仏を恋慕し仏さまを信じれば、
必ず救いの手をさしのべてくださる。


それが、
お釈迦さまの無限の救済する力であり、
神秘的な力です。


ですから法華経の信仰は、
頭で理解するのではなく、
心の信心が大切になります。

まず第一に、

信じる心を持って仏の道を進む努力をすることが
「法華経に生きる」ということ。


その大切さが、このお経で説かれているのです。

※ちなみに、私は日蓮宗ではありませんが、
法華経について、実に有難いことが書いてありましたので
転載させて頂きました。


合掌!




今の人生ステージで生きる覚悟を決める



幸福を得たければ、責任を背負う覚悟が必要

https://happylifestyle.com/12633

人生の幸福は、道の選び方に左右されます。
決断であり、選択です。

他人に道を決めてもらうと、
責任も小さくて済みます。

万が一のことがあれば
「私が決めたわけではない。あなたのせいだ」と、
責任転嫁できます。

楽です。
 
ただし、幸福も半減します。

他人に決めてもらって進み始めると、
その道の半分は、他人のものです。

自分らしくない道になるため、幸福も小さくなります。

外見はうまくいっているように見えても、
本人の充実感が物足りないのです。

責任と幸福は、つながりがあります。

幸福を得たければ、責任を背負うのが一番です。
自分の道は、自分が決めるのです。

他人が決めた道と、
自分が決めた道とでは、
幸福感が違います。

自分が決めて行動すると、
100パーセント、自分の責任になります。

責任は大きいですが、
100パーセント、自分の道です。

自分らしい人生を歩んでいる実感が強くなるため、
幸福感も大きくなるのです。

責任を背負う覚悟があるから、
大きな幸福が得られるのです。

「覚悟する」とは「向き合う」ということ

覚悟を決めることは、その現実を受け入れ、
その現実と向き合って、

何をするのかを決め、
それに対して受けて立つ(逃げない)ということ。

「そんなこと出来ない…」

「出来ない」と言うよりも、

「まだ、そこまで考えていない」
「なんとなくで生きられるじゃん」
という気持ちが強いのかもしれません。

自分の現実と真剣に向き合うことから
「自分の生きたい人生を生きる覚悟を決める」
ことをしてみてはいかがでしょうか。

あなたの現実は、あなたが思うように
創ることができるのかもしれません。

生きづらい人生に悩むあなたへ
『覚悟の決め方』

http://brain-soul.com/corner47/kokochiyoi/pg385.html

あなたは今、
何かに踏み出せずにいますか?

決めなければならない。

やろうと思っているけど、
どうしてもいつも迷ってしまう。

なかなか覚悟が決まらない。

そんなお悩みをお持ちですか?

いったいなぜ、
そうなってしまうのでしょう?

それは、
最初に決めなければならない、

『ある覚悟』

が決まっていないからなのです。

だから、
他のことについても
覚悟が決まらないのです。

その「ある覚悟」とは、
いったい何でしょうか?

それは、

「目標を達成する覚悟」

です。

この覚悟が決まらないと、
どんな覚悟も決められない。
何も始められません。

そして、

生きづらい人生という迷路から
うまく抜け出すことが出来ないのです。

だって、
どこに向かって歩けばいいのかすら、
分からないのですから。

何も決められないし、
何も始められない。

この、
『目標を達成する覚悟』が
決まっていない方には、

一つの大きな特徴があります。

それは、

「とんでもなく真面目だ」

ということ。

そして、そのことにご自身が
気づいていないのです。

「いえいえ、私は、
 そんなに真面目ではありません!」

と、あなたは
おっしゃるかもしれません。

でも、

あなたが、
真面目な人ではないのなら、

覚悟なんて決めずに、
どんどんものごとを
進めていってしまうはずです。

こんなブログなんか
読んでいるはずがありません。

覚悟できる自分になるために、
人生の目標を決めるワークを行います。

言い換えれば、それは、
覚悟できる自分になるための
『覚悟』を決めるわけです。


でもここで、
二通りのタイプに分かれます。

一方の人は、
とりあえずの「目標」を決める。

そして、もう一人のひとは、
目標を決めることを
「先延ばし」にしてしまう。

とにかく真面目に考えすぎて、
決められずに、

「だんだんと考えてゆきます」
「徐々に考えてゆきます」

とおっしゃって
先延ばしになさる訳です。


でもこれは、
仕方のないことですよね。

なぜなら、真面目な方ほど
いきないしっかりとした

「正解」

を出そうとしてしまうからです。

でも、「目標」を決めることを
先延ばしにするのは、

覚悟できる自分になる「覚悟」を
先延ばしにしてしまっているということ。

覚悟できる自分になる第一歩を
先延ばしにしてしまっているということです。

これでは、残念ながら、
そのほかの覚悟は何も決められません。

いつまでも「生きづらい人生」という
迷路から抜け出すことが出来ないのです。

では、どうしたらよいのでしょうか?

それは、

「とりあえず、今、決める」

のです。

まずは「目標」を、
とりあえずで良いので、
今、決めることです。

何をすれば良いのかという
手がかりが見えてきます。

進むべき道が見えてきます。

つまり、基準が見えてくる。

すると、

他の覚悟も
決められるようになってくるのです。

つまり、

いきなり「正解」を
出そうとするのではなく、

とりあえず答を出してから
あとで答え合わせをしていくということ。

それは、

「だんだんと考えてゆきます」
「徐々に考えてゆきます」

ということとは、まったく違います。

まずは、
「目標」をいったん決めて動く。

そして、
「目標」を修正する。

そうしたら、また、
「目標」をいったん決めて動く。

そして、
「目標」を修正する・

この繰り返しで、初めて
覚悟が決められる自分になってゆく。

そして、

「生きづらい人生」という迷路を
抜け出すことができる。

これが『覚悟の決め方』です。

誰でも、
いきなり完璧な「目標」を
設定することなんて
できるはずがありません。

最初は誰でも
「とりあえず」決めているのです。

そして
答え合わせをしていきながら
一段ずつ階段を登ってゆくのです。

とても大切なことなので
繰り返します。

間違っていても良いから、
目標をとりあえず、今、決める。

そして答え合わせをしてゆく。

それによって、
覚悟できる自分に成長してゆく。

心地よい人生が拓けてくるのです。

■人生をガラリと変える方法は、
覚悟を決めること

http://kntym.com/archives/3037.html

「覚悟を決める方法」

そんなキーワードで検索しているようでは、
一生覚悟を決めることはできないだろう。

なぜなら、覚悟っていうのは、

「誰かが決めてくれるモノ」なんかではなく、
「自分で決めるモノ」に他ならないからだ。

いい?

今のつまらない人生を
ガラリと変える方法があるとすれば、
「覚悟を決めること」が超重要なんだ。

だからこの記事を見て、さっさと覚悟を決めてほしい。

天才のバカなのだ

まず覚悟が決められない人っていうのは、
「失敗を恐れすぎている」っていうのがある。

失敗して、金がなくなったらどうしよう。
失敗して、誰かに何か言われたらどうしよう。
失敗して、今持っているものを失ったらどうしよう。

とかね。

でも、安心してほしい。

目標に向かって前に進んでいる限り、失敗なんてない。


こう言うとあなたは、
「いやいや、エジソンかよ」ってツッコミたくなるかもしれない。

でもね、
覚悟を決めた人間ってある意味バカなんだ。

バカだから強いし、
バカだから前に進んでいけるんだよ。

だから、エジソンだってある意味バカなわけ。


天才バカボンだってそうだろ?

彼は、天才のバカなのだ。


だいたいにして、
「リスク0で成功する」なんてあり得ると思ってんの?

あり得ないから。


たとえばギャンブル。

ギャンブルだったら、
金を掛けないと勝負すらできないわけ。


わかる?


勝負すらできないってことは、
勝つことすらできないし、負けることすらできない。

「ただの傍観者」にしかなりえないんだ。


これって人生も一緒。


「覚悟を決める」のはある意味リスクかもしれない。

でも、リスクを背負わないかぎり、
成功することもなければ、失敗することもできない。

他人が頑張っているのを、ただただ眺めている傍観者。


もちろん、
あなたが死ぬまで傍観者で居たいなら何も文句は無い。


でも、違うでしょ。

傍観者に飽き飽きしたから、
この記事を読んでるんでしょ。


親戚の集まりなんてどうでもいい

そしてここで朗報がある。

こんな事を言うと怒るかもしれないけど、
今、あなたが持っているものっていうのはしょうもない。


たとえば学歴。

学歴が生きるのは就活と親戚の集まりくらい。


俺は起業してるわけだけど、
起業家の集まりではハッキリ言ってどうでもいい。

むしろ、学歴がない人の方が、
リーダーシップがあったり、創造力があったりするもの。


あとは容姿とか?

容姿が生きるのは就活と合コンくらい。


その人が成功するかどうかは気持ち次第、
覚悟を決めてるかどうか次第なわけ。

覚悟を決めてる人間の方が顔にだってハリがあるもんだ。


だいたい、覚悟を決めてない人間が、
覚悟を決めてる人間に勝てるわけないんだよ。

同じ土俵にすら立ててないんだもん。


もしかしたらこんなこと言ってると、
「うわぁ暑苦しい。
 やっぱり覚悟を決めるのは大変そうだ」
って思うかもしれない。

そんなあなたは・・・


バグってしまえ

「覚悟を決めるのはやっぱり大変そう」

そんなあなたへの特効薬は、
“環境を変える事”に他ならない。


どういう環境かっていうと、
「覚悟を決めた人たちがいる環境」だ。


外見を大きく変えた・・・とか
いきなり引っ越した・・・とか
自分でビジネスしてる・・・とかね。

覚悟が決まらない同士で毎日の愚痴をこぼしてるより、
もうすでに動いている人との時間を増やしてみよう。


まぁ、もしかしたら最初は
居心地の悪さを感じるかもしれない。

でも、その人たちといると、
感覚がどんどんバグってくから安心してくれ。
(もちろん良い意味でだ)


「覚悟を決める」っていうと大変そうに見えるけど、
実は一度決めてしまえば大したことがないんだ。

それを体感するために、
既に覚悟を決めた人と時間を共にしよう。


一度、覚悟を決めてしまえば
あとは加速度的に人生は前に進んでいくもの。
(参照:完璧主義をやめると行動力が加速度に上がる)

特に、
現状に満足していない人や辛さを感じている人。

あなたは、さっさと動き出した方がいい。

最後に

いかがだっただろうか?


俺が言いたいのは、
「迷っている暇があったら動いてみろ」ってことなんだ。


そこで、
「お金が勿体ない」とか
「失敗したらどうしよう」とか言ってるようじゃ
残念ながら何も変わらないだろう。

っていうか、そんな人は変わる気ないでしょ。


だからこそ本当に変わる気があるけど、
自分で覚悟を決めるのが難しい人は
「環境の力」を借りてみよう。

そうすると感覚がおかしくなって、
「なんで、こんな小さいことで悩んでたんだろ」ってなるから。


そうなってから、人生は始まるんでよろしく。



心の世界に生きる



お金をたくさん持っているとか貧乏だとか、
これからの人生をそんな物質的な尺度で
生きてゆくのはつまらないと思います。

心の世界に生きる

その道のりを照らす「ともし火」が欲しいと願っていた折に、
本日ご紹介するメルマガに出会いました。

その一部をサンプル的に「無断」で転載致します。
無料メルマガですので、是非アドレスをご登録して
読まれてみて下さい。

とても有難いことが書いてあります。

仏教の教えがベースとなっていますが、
人間の人生のガイドですから、
クリスチャンの方でも参考になることは
多いと思います。

よろしければ、読まれてください。



生きている時、ガチッと一念で摂め取られ

何があっても捨てられない幸福、

崩れない幸せであることを先回お話ししました。

この「何があっても」の中には

「死ぬときも」というのも入ります。

以前講座に来られた学生で

「どうせ死んだら終わりじゃん」

と投げやりに私に食ってかかってきた大学生がいましたが

なかなかよく考えています。

「どうせ死んだら」の言葉を前に対抗しうる人生論、幸福論は

なかなか見当たらないからです。

どんなに上手く世の中を渡り、

人より多くの富や名声、家族などの幸せをつかんだとしても

どんな人も死を免れることはできません。

死ぬときには今まで人と争ってまで手に入れてきたすべてのものを置いて

一人ぼっちで死んでいかねばならないのです。

-------------------

いよいよ死んでいく時の実相を蓮如上人はこう説かれてます。

『まことに死せんときは、かねて頼みおきつる

 妻子も財宝も、我が身には一つも

 相添うことあるべからず。

 されば死出の山路の末、三途の大河をば、

 ただ一人こそ行きなんずれ。』

 (蓮如上人)

-----------------

温泉旅館に泊まりますと、

きれいな掛け軸やインテリア、

風光明媚な庭や清潔な布団などあって気持ちいいですが、

どんなに「これいいな」と思っても

その日一日だけしか自分が自由にはできないものです。

旅館を出るときに「気に入ったから」といって

部屋から持っていったら、

窃盗罪で逮捕されます。

その日一日だけの、しばらくの所有物です。


考えてみれば、私たちが手にしている財産も地位も名誉も

この世にいる間だけ、

しばらく自分のものになっているもの。

死んでいくときには

全部置いて

丸裸でこの世を去らなければなりません。

一人ぼっちでどこへ行くんでしょうか。


人と駆け抜け争い、手に入れて、

「おれのものだ」と誇っていても

しばらくの間、

夢幻のように消えていく

はかない一生の間だけのことです。

大金を手中にしたとっても

権勢をほしいままにしたといっても

歴史絵巻をクルクルと早送りボタンを押してみれば

温泉旅館の客の出入りさながらです。



朝、客が部屋を出ていけば、

昼過ぎにやってくる次の客が使う部屋となる

その客も翌朝には出て行って

また次の客の入ってくる準備が始まる

どんな権力者とて、一夜の温泉宿の

一介の客にすぎません。

死んでどこへ旅立つのかも知らず。。



それなのに私たちはなぜ生きているのでしょうか。

【必ず死ぬのになぜ生きる】

これこそシッダルタ太子(後のお釈迦さま)が

城を出られた動機であり、

親鸞聖人が出家された目的でもあります。



こればかりはどうしようもない、

考えないようにするしかない、

考えてしまうとむなしくて不安になるだけだから、

という人があります。

答えがないならそうするしかないのですが、

その不安の解決の道は2600年前、

ブッダによって明らかにされているのです。



その昔、なんとかシッダルタ太子(のちのブッダ)の出家を

やめさせたい一心から

「お前の望みは何でもかなえてやるから」

と提案する父・浄飯王への

シッダルタの三つの願いは

「老いない身にしてください。

 病で苦しまない身にしてください。

 死なない身にしてください」

というものでした。



その三つの願いを聞かれた浄飯王は

「無茶なことをいうものではない」

とあきれ返ったとあります。



こればかりはどうしようもない

どうせ死ぬんだから、考えたって仕方ない

と死をごまかし続ける人類は

死を克服したいと挑戦する者に

むちゃだ、とあきれるだけなのです。



「死」が怖いと敏感に感じ、

「死」こそ大問題ではないかと直感的に気づく、

純粋な少年や少女も

「そんなこと考えても仕方ない」

「それよりも将来のために勉強しなさい」

と大人の物わかりのいい意見にいつしか、

飲み込まれてしまいます。



その中、ただお一人敢然と死に立ち向かい、

ついに死を超えた幸福の厳存を万人に示したのが

ブッダ、お釈迦様その人です。



だから仏教で説かれている「本当の幸せ」とは

いつ死んでも人生に一点の後悔なし、

生きてきてよかった、と

死の巌頭に立ってなお大満足の境地です。

それが『摂取不捨の利益』です。

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