2017
09.02

良い記事を読んでも実践しないと宝の持ち腐れになる



自分が過去のブログで転載した記事を読み返して、「なるほどなぁ」と感心することがよくあります。

それは何故かと言うと、紹介したあとは忘れてしまって身についていないからです。

だから、初めて読んだ話のように「なるほどなぁ」と思うのです。

せっかく良い教えを読んでも、実践を通して自分の血肉にしなければ読んだ意味がありません。

同様に、知り合いとの雑談の中で、その人の苦労した経験からのある教訓を聞いたとします。

それを「なるほどねぇ…」と感心しただけで忘れてしまってはとてももったいないことです。

そうした意味で、本日のブログでは昨年2/8に更新した記事を改めて更新して、当面の課題として掲げたいと思います。

人生勉強

私がこんなブログを毎日更新している理由は、モノの見方の選択肢を広げたいからです。

以前の私は、自分の人生を、とても深刻に考えて生きていました。

自分自身に自信が持てないとても気の弱い人間だったからです。

けれども、考えてみれば、一度しかない自分の人生です。

深刻ぶって生きたところで死んじゃえば、それまでの人生で終わります。

同じ事態を、深刻に受け止めるか、面白がって楽しむのか、それは選択肢の問題です。

同じ一度しかない人生なら、そして、どうせえらい目にあう人生なら、面白がって楽しんだ方がトクじゃん!とある時から、ふっと考えるようになりました。

それは、小林正観さんと言う方の話を奈良県の生駒市の研修センターで直接お聴きした時からなのです。

それは、人生に行き詰まりを感じて、私が40歳の時に受講した「真氣光」という生き方教室が主催するセミナーでした。

その時の講師のお一人が、今は亡き小林正観さんでした。

正観さんのお話は、とても合理的で「人生のさまよい人」であった私にはとても納得のゆく教えの数々でした。

それ以来、私は「生き方の勉強をしよう」と思い定めてコツコツといろんな情報を読んできました。

勉強嫌いの私が、苦しさ紛れに生き方の勉強をし始めたのです。

その備忘録がこのブログと言う訳です。

※「備忘録(びぼうろく)」とは、忘れた時にそなえて、要点を書きとめておく手帳やメモ書きのことです。


本日のブログでは、「面白がる勉強中」と題して心に響いたサイト記事を集めて構成しています。

なんとなくでも、こんなブログを続けているおっさんの心情をご理解頂けたら有難い限りです。


▲https://happylifestyle.com

人生の勉強をして変わるのは、知識や知恵の量だけではありません。

姿勢です。

姿勢がどう変わるのかというと「謙虚」になります。

相手の話を受け入れるようになり、謝れるようになり、物腰がよくなります。

それは、「自分はまだまだ勉強不足だ」という気持ちが根底にあるからです。

なぜか勉強した結果、自分の知識に自信がなくなります。

今まで知らなかったことを知るようになり、幅の広さや奥の深さを知ります。

勉強をきちんとできていれば、必ず視野が広くなり、自分は本当に勉強不足だと痛感します。

だから謙虚になってしまいます。

いかに自分が無知であったかが分かり、恥ずかしくなります。

「足りない部分を知る」ということです。

ゆえに、勉強をして本当に変わるのは、「知識の量」や「知恵の量」ではなく姿勢です。

「自分は本当に狭い世界にしか生きていない」

「限られたことしか分かっていない。世間知らずだ」

そういう気持ちが「疑い」から「確信」に変わります。

勉強をすればするほど、自分の知っている知識はほんのごくわずかであるということが痛感できます。

「世の中は分からないことだらけだ」

「もっと人の話を聞こう」という姿勢になります。

本当に勉強ができている人は、夫婦関係でも親子関係でも、親戚づきあいでも職場の人間関係でも喧嘩がなくなります。

物腰が柔らかくなり、謝ることができるようになり、謙虚になります。

がらりと姿勢が変わり、まったく別人になります。そういう人が、最も頭がいい。

「頭がいい」とは、そういう「事実」ではなく「姿勢」のことです。

「勉強をしようとする姿勢」です。勉強をした結果、「謙虚になった姿勢」です。

知識や知恵の量は、宇宙全体の膨大な量から見れば、実に大したことはありません。

人が生きている間に触れる知識の量は、宇宙全体の量からすれば、少なすぎることなのです。



Comment:0  Trackback:0
2017
08.26

我欲を捨てるとうまくいく



本日のブログは、書籍『我欲を捨てるとうまくいく』(植西 聰 著、毎日コミュニケーションズ 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


▲ブクペ

もう求めるのはやめよう!我欲を捨てるとうまくいく6つの考え方

望まないで生きる

・「その通りになろう」と考えないことがうまくいくための第一歩
・「あれもこれも……」はやめる
・頂上を目指すと、不幸が始まる
・必要最低限のモノがあればそれでいい
・無理をすると不幸が始まる

期待しないで生きる

・成果は二の次・三の次でいい
・「もっと、もっと」という感覚を捨てる
・三割できれば、上出来と考える
・あの人みたいになれることを期待しない

ゆったりと生きる

・我欲があると、心にゆとりがなくなる
・「あの人が○○をしたから、自分も○○をしよう」と考えない
・「みんなが○○しているから、自分も○○をしよう」と考えない
・欲得で人づきあいをしない
・損得勘定で人を判断しない
・運が悪いときは「運を貯金している」と考える

競わないで生きる

・必要以上に自分をアピールしない
・見栄を張らない
・相手よりも優位に立とうと考えない
・へりくだれば、へりくだるほど、得をする
・人はありのままのあなたに好感と親しみを寄せてくれる
・競うよりも逃げたほうがいい場合だってある

利他愛で生きる

・愛と善意は投げかければ返ってくる
・「してもらいたい」よりも「してあげられる」ことを考える
・相手のために時間や労力やお金を費やそう
・暇なときは、他人を幸せにすることを考えよう

自然に生きる

・ピンチや逆境に遭遇したら「なるようにしかならない」と考える
・ピンチや逆境や困難を人生のリセットのチャンスと考える
・今が最低なら、後は浮上するのみ
・一生懸命やるけど、先のことは考えない



Comment:0  Trackback:0
2017
08.14

お坊さんにお経を読んでもらう意味

Category: 雑記つれづれ


先日、私の叔父さんが95歳で亡くなりました。

お通夜の時に、お坊さんが20分~30分お経をあげていましたが、生前、家に仏壇がなくお経をあげたことがない人の旅立ちにお経をあげても、本人に理解できるのだろうかと言う不謹慎なギモンがよぎりました。

本日はお盆ということで、「お坊さんにお経を読んでもらう意味」について検索しました。

たくさんの記事を掲載していますので、普段はあまりなじみのない(お坊さんが読む)お経に関して、なるほど!と合点する箇所があれば幸いです。

記事のタイトル画像に本サイトのURLを貼っていますので、興味のある方は本サイトもご覧下さい。

「へえっ!」という記事がたくさん掲載されていますので、面白いですよ♪


▲福岡の霊能者・佳蔵院

お経が霊に与える影響

人が亡くなったあと、お迎えがない、また「死」が理解できない魂を包むものは、深い暗闇です。

意識(魂)がいくら叫んでも、誰も応答してくれません。

なにがどうなったのか分からないまま、暗闇の中をさ迷い続けます。

そんなとき、ある振動に気付く時があります。それまで、暗闇以外に何もなかった中で、ある振動に気付くときがあります。

恐らく亡くなったあと、お迎えがなかったり、また死を悟ることができなかった意識(魂)が初めて気付くものは、お経の振動や悲しみのような感情(振動)だと思います。

悲しみのような感情(振動)とは、亡くなった方へ向けられた、家族や友人等の悲しい気持ちのことです。

振動と書いていますけど、音が空気中を伝わるときの振動と同じように考え下さいね。前回のブログでも書いていますけど、この世と霊的世界は表裏一体の関係であって、例えば、空気中を伝わる声の振動と表裏一体にあたる振動が霊的世界でも流れると思って下さい。

暗闇の中で、お経や悲しい感情のような振動に意識(魂)が気付いたとき、「死」を理解し始めることでしょう。

もしかして、自分は死んでしまったのではないかと思うようになってきます。

お経や悲しい感情のような振動が意識(魂)の中を流れ続けるなか、「死」を悟り、また死を受け入れたとき、お迎えや神仏の光等が現れ、導かれていきます。

このようなことを考えると、お葬式等で上げられるお経に意味が生じてきます。

お経に書かれている内容を理解できなくても、「お経」がきっかけとして、「死」を理解できるようになっとです(¯―¯٥)

実はお経だけでなく、他宗教の儀式でも同じことが言えます。

例えば、神道の神葬祭やキリスト教の葬儀において行われる祭詞や賛美歌等の声の振動が、表裏一体の振動として霊的世界でも流れます。

葬儀に集まった方の深い悲しみ・・・
 
例えば、「泣く」「偲(しの)ぶ」等の声の振動も、表裏一体としてその振動が霊的世界でも流れます。

大勢の方の悲しみが、また家族の深い悲しみが霊的世界を流れる一つの振動(信号)として、流れます。

魂(意識)には耳はありませんから、普段私達が耳で音を聞くのと同じといわけではありません。

しかし、意識=魂=記憶=情報には、生前に聞いた記憶が残っているとです。

生前に聞いた覚えのあるお経や賛美歌等が魂の中にあるとです。

「亡くなった方に向け」て、この世で発せられたお経や悲しみの振動が霊的世界においても、似たような振動(信号)として流れ、その振動に生前の記憶(魂の記憶)が同調したとき、「お経」や「哀悼(あいとう)」を認識できるとです。

お経に書かれていることが分からなくても、お経が意味するものを悟るとですたい。つまり、自分の「死」を理解できるとです。

お経に書かれている内容が生きている人へのアドバイスであったとしても、お経は葬式等で上げられているので、お経から「死」を理解できるとです。

自分が死んだから、お経が上げられているということ、また悲しまれていることが分かるんですね。

(中略)

お坊さんによるお経が特別というわけではなく、私達がお経を上げる目的や感情等が大切になってきます。

お坊さんにお経を読んでもらうことに意味はあるのか?


▲Yahoo!Japan 知恵袋

仏教でお坊さんにお経を読んでもらう事に意味はあるのでしょうか?

葬式や法事(三回忌・七回忌・13回忌など)で、お坊さんに多額のお金を払ってお経を読んでもらう事に疑問を感じています。

おそらく、「お坊さんのお経がありがたいから」というのが理由でしょうが、本当にお坊さんのお経はありがたいものなのでしょうか?

現在の日本の僧侶は、世襲で、世俗的な生活をし、私たち世俗の人間と全く変わりません。

タイなどの厳格な仏教国の僧侶のお経なら、ありがたく感じるのでしょうが。

私の知っているお寺の住職は、三回忌・七回忌など30分の法要でお経を読んでもらう費用が、暗黙的に5万円以上らしく、3万円のお包みだと、露骨に玄関に受け取りにも来ません。

私は、多くの日本人が儀式的に、また世間体から法事を行って多額のお金を払っている事に疑問を感じます。

仏教徒なら、自分たちでお経を読んで供養すれば、それで良いのではないですか?

このままだと、日本人の仏教離れが進んで、いずれお寺は無くなってしまうと思います。




世襲制だけの問題でなく、仏教自体に関心はないのに法要など儀式などの際だけ寺院を利用しようという一般的な民衆の考え方の問題も大きいでしょう。

葬式仏教化というのは、寺院側だけが悪いのではなく、法事や葬儀での収入でしか寺院経営が成り立たない状況に陥らせた檀家の責任でもあるのです。

タイの仏教を例にあげておられますが、現地の民衆と日本の民衆とでは寺院や仏教に対する基本的意識がまるで違います。

本来、寺院は僧団(仏教徒の仲間)が集まり、仏法を学ぶ、教えを聞くための道場です。

道場を敬い、道場を守るために、また自分の修行のために、件の国の民衆には喜捨・布施の精神が基本的にあります。

多くの日本人には教えそのものを学ぶ意識は薄く、自分たちの寺院を守るという意識は皆無に等しいでしょう。当然、喜捨・布施の精神などありません。

布施と言えば法要のお礼、或いはお経代、喜捨といってもそれによって何らかの功徳を得ようとする邪心を持ってすることも少なくないでしょう。

願望成就や災厄除去、先祖崇拝や魔除けなど本来仏教と関係のない民間信仰や欲望の拠り所として仏教を見て、利用している場合がほとんどです。

少しでも本気で仏教を学べば、今の日本仏教の在り方、仏教徒(「家の宗教が〇〇宗」、程度の)の在り方の中に本来の仏教がないことは明らかです。

お経はいくら読もうが、僧侶が読もうがあなたが読もうが意味が変わる筈もなく、また読んだだけでは何の功徳もありません。

お経は、生きている者が生きているうちに背負うあらゆる苦悩を生きているうちに解決するためにお釈迦様が説かれた教えを、様々な表現でまとめ上げたものです。

よって、先祖供養だの願望成就だのといった現世利益や来世利益とは全く関係ありません。教えは実践して初めて意味があるのです。

お経だけ読めば何かの利益があるだろうというのは、意味を理解しなくてもただ教科書の文字面さえ追って読んでおけば、或いは誰かに読んでもらえば成績があがるだろうと考えるのと同じです。愚かと言わざるを得ません。

教え自体に興味がないなら、檀家などやめて仏教徒もどきなどやめてしまえば良いのです。

法要や葬儀という寺院の行う仏教ビジネスを利用するのであれば、そう割り切って利用すれば良いでしょう。

同じ儀式ビジネスを利用しながら、結婚式では高額でも文句を言わない人が、葬儀・法要では不平を並べる人が多いのは困ったものですよね。



お寺の財産はお坊さんのものじゃなくて、檀家全体のものです。お布施がなきゃ、寺院の維持管理ができません。

もともと、多くの神社仏閣は、寄進された田畑が経営基盤でした。

しかし、戦後のGHQによる農地解放令で、そのほとんどを失くしてしまいました。

一律に農地解放を進めたGHQの政策、無茶だったんですよ。

で、寺域すら失くしてしまった寺院が頼れるのは檀家制度だけになってしまった・・・。

檀家30軒余りの寺院、食っていけるわけがない。住職のなり手すらなく、荒廃、寺宝散逸・・・。

天皇家や摂関家の勅願寺、檀家すらないよ。

格式が高いから、寺宝類を大量に所有、で、観光寺院化するしかなくなっちゃった。

国や自治体の文化財保護行政は貧困で、義務負担分すら支払われず、文化財が売りに出されて海外流出の危機にある、で、新興宗教に頼んで買い取ってもらい、国指定の文化財にしてるんです。

国立博物館は特殊法人化され、独立採算制だから、かつてのように文化財を購入することもままならん。

義務負担分を出すのが嫌だからと、都道府県じゃ文化財指定をやめたところまであるのよね。

で、無指定の文化財がいきなり国の重要文化財に指定されたりしてる、寺院が全額負担して、修理したら指定を受けてる状態なんですよ。

つまり、檀家制度を止めちまったら、あっという間に寺院会計が破綻して、寺域は荒廃し、寺宝類は散逸して海外に流出してしまう・・・。

実際に、滋賀県にある鎌倉時代の十二天画像、これ、もの凄く珍しいんだけど、ボロボロになってて、どんどんと剥離が進んでるのを見たことがある。

修理代、最低でも一本300万、状態が悪きゃ7~800万はかかってしまう、そいつが12本セットで残ってるのね。

日本でおそらく3番目くらいに古いもので、国宝クラスなのよ。だけど、国どころか県も市も文化財に指定しようとせん。

檀家50件余り、それでどうやって5000万近い修理費が負担できます?

良心的なお坊さん、いっぱいおられるよ。で、寺院経営に頭を痛めていらっしゃる。

檀家であるってことは、その寺院を維持管理する義務があるんです。

GHQが寺院財産の田畑を取り上げちまった以上、檀家が何とかする以外に残された道はないんです。

法事のお布施を払うのが惜しいのであれば、檀家を離脱して無宗教になればよい。それだけのことですわ。

お経を唱えていただく意味はあるのか・・・。

仏教徒である以上は、仏教の勉強をせにゃいかん、そこで仏弟子であるお坊さんが、お経を読み聞かせるわけです。

生きてるうちにやればいいことを、死んでから立派な戒名くれだの仏弟子にしろだの浄土に連れて行けだのというから、お金がかかる、何の意味があるのよってことになる。

生きてるうちに戒名をいただいて仏弟子となり、仏教学の勉強をすればよい、ただし、そっちの方がずっとお金も時間もかかるよ。

ですから、輪廻なんか信じてない、死んだら終わりであとは知らん、戒名も法要も要らないと仰るのなら、あえて檀家である必要などないですよ。



世襲制以上に、一般の方々の関心の無さが一番の問題でしょうね。

お坊さんが幾ら一生懸命にお経をあげても決して人は救われません。

シナ(現在の中国)ではお経そのものに力があり、お経を読むとで人は救われると考えられていました。

ですから、良いご利益が連ねられているお経が喜ばれた訳です。

代表的なものが天台智顗(ちぎ)の五時八教ですが、日本の仏教はその考えをそのまま輸入して現在に至ります。

日本の仏教が葬儀のときに教をあげるのはそういった背景があります。

でも、明治になり日本の僧侶がイギリス(明治時代のインドはイギリスの植民地)に留学できるようになると、法華経を初めとして全ての大乗仏教は仏陀が入滅して500年以上してから創られた創作物だい言う事が解ってきました。

専修大学で使われている歴史教科書にもそのように載っています。

また一方で、仏陀釈尊は経典を創りませんでしたが、仏陀の直弟子により創られたのが阿含経のみだということも解りました。

阿含経典は、ご利益は一切載っていません。

殆んどが修行法と修行に対する心構えに関する文献です。

例えば、自動車の教科書をいくら声高らかに音読しても、自動車の運転は上手くなりませんよね?。

仏陀の残された経典である阿含経をいくら読んでも、人は成仏しませんし死者が救われる事はありません。

現在のお坊さんはこの事を専修大学で確り学んで来ていますが、だからといって直ぐに千年以上の因習が切れるわけではありません。

結局の所、私たち自身がお坊さんに丸投げしている限り解決しない問題です。

失礼とは思いますが、貴方の親が亡くなったとしてお坊さんに、

「葬式は挙げません。」「経典を読まなくても結構です。」と言えますか?。

恐らく無理でしょう?。

親類や、周りの地域住民の感情がありますからね。

結局は、世間一般(自分自身を含めて)の無関心の常識がある限り、世襲制であっても無くても変わらないと思います。



葬式にしても法事にしても亡くなった人には無意味です。

建前は故人のためですが、それらは生き残った人のためになされるものです。

それが必要なことなのか、大事なことなのか、考えるべきことだと思います。

御経料が高いか安いかですが、これも5万円が相場のようになっているようなら3万円は安いと思われるは人情でしょう。

しかし、お布施というのは出せる者はできるだけ多く出し、受け取る方はその多寡を気にするようなことがあってはならないと思うのですが・・・。



お経は生きている私たちへのお釈迦様の説法です

お釈迦様は亡くなった方への説法はしておられません。


ですから亡くなった方に聞いて頂くお経は一つもありません

お布施は、その教えが孫子の代までずっと続くようにお寺を維持するためのものです

仏教は涅槃の話ですが、お寺を維持するのは娑婆の話しですからお金は必要です。

檀家(メンバーシップ)で維持しているわけです。

私たち自己流で仏教を伝えていくことは難しいものです。

自分が仏教徒でお寺の檀家になっていると思っていても既に間違った仏教感があります。

自分が仏教徒であり仏教を伝えていく、という思いがなければお布施の額を問題にするようになります。

そういう方達は普段僧侶とコミュニケーションがないと思います。

どんどん話をして納得できなければ一度お寺から離れればいいと思います。それでなんの支障もありません。



私も僧侶ですが、結論は貴方が記されてるように、自分たちでお経を読んで供養すれば良いと思います。この結論に関しては異論はありません。

では、質問に記されてる内容を個々に疑問を記します。

「日本の僧侶は世襲で、世俗的…タイの厳格な仏教国の僧侶…」

日本の僧侶は大昔から、理想とされる僧侶も、世俗以上に世俗的な僧侶がいてます。今も昔も同じです。

タイでも最近大きなニュースになっていましたが自家用飛行機等を有し、女性をはべらしてる僧侶がいてます。

人間ですから、日本もタイも同じです。少し違うのは、タイでは出家と還俗が簡単に繰り返される事です。

簡単に言えば、女遊びをしたければ還俗し、また出家する。それを繰り返し行う事ができます。

「私の知ってる住職…」先に記しましたように、そのような僧侶もいてるでしょう。

ただ、法事のお布施が5万なら別段多いとは思いませんし、3万でも少ないとは思いませんね。

私も、法事のお経は30分程度です。短いと感じる人もいてるし、ちょうど良い、それでも長いと感じる人、それぞれですね。

本当にその差が露骨に態度に表れる僧侶なら、よく言えば正直、悪く言えば気が小さいかな。

「儀式的に…」宗教・信仰は儀式に対してお金を出してる部分は大きいと思いますよ。

例えば、安産祈願、生まれてお宮参り、お祓い、七五三、交通安全、合格祈願、結婚式、葬式…等無数に近いほど、神官・僧侶・牧師等が、宗教儀式を行い、それに対してお金を使っているのではありませんか?

法事もその内の一つでしょう。どれもこれも、どうしても行わなくてはいけない宗教儀式ではありません。

宗教に限らず、儀式とはそんなものです。そして、それぞれに気持ちを表す意味があるのです。

それらが全て「もったいない」いらないと思うなら、やらなければ良いですし、自分たちで行っても良いでしょう。

ただ儀式は人間が行う文化でもあり、動物の中でほぼ人間が他動物との区別できる部分でしょう。

「いずれ寺はなくなる」かも知れませんが、私はそう思いませんね。

政府や法律はころころ変わってますが、日本のお寺は千年以上、仏教は2500年以上、形は変わっても続いています。

*もちろん消失したり、廃寺になってる寺も多くありますが、それは近年に限らず大昔からの事です。

文献にあっても場所さえわからない寺はいくらでもありますからね。

単純に、昔から無宗教、無信仰者はいてますし、現代のように物質が全て、生きる死生観から、死が欠落して生観ばかりの人が多いのも事実ですが、逆に宗教を重んじる人も多いですから、寺は無くならないとおもいます。


Comment:0  Trackback:0
2017
08.11

「守護霊」について

Category: 幸せの思考法


私は、守護霊の存在を身近に感じています。

具体的に何か気配を感じるとかというのではないけれど、以前から「そばにいつも、いてくれているんだ」と確信しているのです。

私は自分の守護霊のことを「導師さま」と読んでいます。

だから困った時に、あるいはグチを言いたいときに、守護霊に話しかけます。

「ねぇ、導師さま、聞いてくれる?」

「今日さ、腹立つことがあってさぁ…」

「あれは、あいつの方が悪いよねぇ…」「…そうか、やっぱ俺も大人げなかったかなぁ…」

具体的に声が聞こえる訳ではなく、ふっと返事が意識に浮かぶ感じです。

私の「導師さま」は、私が私でいるために、とても大切で身近な存在なのです。

(彼か彼女かは定かではありませんが、)私の「導師さま」は、どんなことがあっても私の味方なのです。

「お前、ちょっと精神分裂っぽくない?…やばくねぇ?」

そんなことは、要らぬお世話です。

私は、守護霊の存在の有無を議論するより、「いつもそばにいる」と信じた方が安心して生きられます。

だって、辛いときなんかは特に、自分ひとりきりで生きてるって思えば、心細いでしょう?

いつも自分のことを見守り、より良い方向に導いてくれる存在がいると信じた方が、私は安心できるのです。

本日のテーマは、そんな「守護霊」についてです。

記事のタイトル画像に本サイトのURLを貼っています。興味のある方は覗いてみてください。

あなたのお役に立つたくさんの記事と出会うかもしれません♪


▲セレンディピティ

守護霊さまからのメッセージを受け取るために必要なこと

守護霊とは、字のごとく「守護」……私たちを守ってくれる存在です。

とはいえ、霊能者でないかぎり、日頃の生活の中で霊が視えるわけでもないため、何を守護してくれているのかわかりにくい側面があります。

しかし、守護霊さまは、私たち一人一人に必要なメッセージを発信してくださっています。

それでは、どうすれば守護霊さまのメッセージを受け取ることができるのか、お伝えてしていきます。

守護霊さまの役割

まずはじめに、そもそも守護霊さまとは、一体何でしょうか?

たくさんの説がありますが、守護霊さまの役割は、ずばり「人生の道案内」です。

守護霊さまの「道案内」は霊的指導ですので、お金をくれたり、食べ物をくれたり、といった直接指導ではありません。

道に迷わないように、そっとみています。

道はたくさん枝分かれしており、最終的には目的を達成する方向へ行くのですが、大回りするか近道をいくのかは、その人の選択によります。

道によっては、肉体を失ってしまうような事故、事件に巻き込まれる可能性もあるので、その時は大きく道をはずれることがないように、守護霊さまはメッセージを発したり、現象を起こしたりしてくださいます。

なぜ、私たちを守護してくれるの?

では、守護霊さまは、なぜ、私たちをそっとみてくれるのでしょうか? 守護してくれるのでしょうか?

その理由は、私たちは生まれる前から

・今回は3次元の地球に行き、人間として誕生する
・地球に行ったら○○のお役目を果たしてこよう

など目的を明確にし、目標を立てて生まれてきているからです。

肉体を持っていない存在(ここでは、「スピリット」と表現します)は、スピリットとしてたくさんの学習を積み重ねるのですが、途中、学習に限界がやってきます。

スピリットの学習とは、主に肉体を持っている人に憑いて、その人と同じ体験をすることです。

(これが「前世の体験」といわれるものになりますが、前世については別の機会でお伝えすることにします。)

スピリットとして学習をしながら、「人として肉体をもち誕生することで、お役目を果たす」順番待ちをしているのです。

肉体を持つと、脳があり、神経伝達があるので「思考」「感覚」「感情」を学ぶことができます。

スピリットは、それが学習をものすごいスピードで加速させることを知っています。

思考は、脳を使って、いろいろ考えたり、人の言葉を聴いたり、情報を得たりすることで学びます。

感覚は、5感(視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚)を通じて学びます。痛い、しびれ、疲労、だるい等、肉体で感じる感覚すべてです。

感情は、苦しい、悲しい、怒り、楽しい、嬉しいなどを学びます。

人として地球でたくさんの経験をし、学習をすることで、目的や目標を達成することになるのです。

その大きな人生マップの「道案内」が、守護霊さまの役割となります。

守護霊さまからのメッセージを日常生活から受け取る方法

では、守護霊さまからのメッセージを日常生活で受け取れるようになるには、どうすれば良いのでしょうか?

まずは5感を鍛え、第6感を信じることが必要です。

実は、守護霊さまのメッセージは、日常生活の中に「そっと」気づいてもらえたらいいのにな、という程度で発信されていることがあります。

ですので、私たちは、これを見逃さないようにしなければいけません。

しかし、私たちは人間として生まれ、さまざまな学習をし、目的を果たすための能力は十分に備わっているのですが、残念ながら、十分に活用できていません。

ただ、「5感」を鍛えることは、それほど難しいことではありません。

まずは、それぞれの感覚機能を、もっと意識して使ってみることから始めてみれば良いのです。

たとえば、行き帰りの道で目にする景色は、今のあなたの場合は、なんとなく目に映っているだけですよね?

ここで、つきあたりの家の様子に意識を向けてみましょう。

家の壁の色、屋根の色、素材、窓の数等、意識しながら歩いてみるのです。

意識して見る、それだけで今までと違ったたくさんの情報が得られることに気づくことでしょう。

これが、視覚を鍛えらことにつながるのです。

嗅覚も同様です。

季節が違えば咲く花の香りが違います。草の香りも違います。

雨が降ったあとの土の香りや、風が運んでくる自然の香りなどを、もっともっと意識すれば、嗅覚が鍛えられます。

自分の感覚というセンサーを敏感にしておくことが重要で、それができていれば、守護霊さまからのメッセージが受け取りやすくなるのです。

また、第6感を信じるというのは、、「直感やひらめきを大事にする」と言い換えるとわかりやすいかもしれません。

私たちは、5感以外に「直感、ひらめき」という、説明はできないけれど、誰しもが持っている感覚があります。

この直感、ひらめきを大切にすることが、守護霊さまのメッセージを受け取りやすく、見逃しにくくなる秘訣でもあるのです。

日常生活のシンクロに注意を向ける

5感が鍛えられ、6感を信じて生活していくと「シンクロ」が起こりやすくなります。

そして、日常生活の中で、守護霊さまからの隠されたメッセージに気づきやすくなっていきます。

たとえば

・たまたま入った書店なのに、すごく気になる本がある

・お茶を飲むために入った店で、なぜか少し離れた人たちの会話が耳に飛び込んでくる

・流れている音楽がとても心地よく、懐かしく感じる

文字、音、会話など、自分では全く意識していないのに、なぜか情報として飛び込んでくるのです。

あなたにも、このような経験はありませんか?

その場所に偶然に行ったこと、そこで目にしたもの、耳で聴いたもの、感じたことが、守護霊さまからのメッセージかもしれないのです。

ハプニングとして起こる

いきなり現象として起きる時は、緊急メッセージなのかもしれません。

たとえば、空港までの道が大渋滞し、乗る予定だった飛行機に乗り遅れてしまったなどは、「そこにその時間に行かせたくない」緊急メッセージが含まれています。

・その飛行機が墜落してしまった -> 命を守ってくれた

・その飛行機に乗れず、商談を逃してしまった -> もう一方の商談先とより好条件で契約締結できた

などです。これらも、守護霊さまからのメッセージと捉えて良いでしょう。

往々にして、人間は起きたことに対してショックを受けますが、前向きにとらえた方が良いということなのでしょう。

私たちは、社会生活を送っているため、約束の時間や予定していることをきっちりやり遂げように、毎日プログラムされています。

しかし、それが人生という名の大きなマップを広げて眺めた時には、時間通り、思い通りに進むことが良い結果となるのか、悪い結果となるのかはわからないのです。

もし、日常生活で、渋滞や電車の事故による遅延などに巻き込まれた時は、ぜひ、「起きていることはマイナスではない」と考えるようにしてください。

・そこに行けなくする -> 行ったら危ない目にあう

・会うべき人に会えなくする -> わざと逃がす、その人とは会う必要がない

・会うべき人に会いやすくする -> 逃したことで別のチャンスが生まれる


このようなことに気づいて欲しい、という守護霊さまからのメッセージの場合があるのです。

夢からのメッセージを書き留めておく

寝ている間、意識は別世界へ行っています。

寝ている時間は、肉体を休め、脳を休め、今日一日に得た情報を再構築している時間ではありますが、その間も、意識は活動をしています。

そのとき、普段、顔をださない潜在意識の領域とも言えますが、守護霊さまが、夢の中でメッセージを発信してくださることがあります。

しかし、肉体が覚醒していないため、夢を覚えておくことは難しいかもしれません。

ですので、目が覚める間際にみた夢で「これ、もしかしたらメッセージ? 」と感じたことがあれば、起きてすぐに、書き留める習慣をつけると良いでしょう。

起き上がらなくても書き留められるように、枕元にノートとペンを置いておくなど、工夫をしてみてください。

また、「誰かわからないけれど、夢の中で、あなたに何か言っていたような気がする」といった、わかりやすいパターンは少ないかもしれません。

ですから、気になったことなら、小さなことでも、些細なことでも構わないので、書き留めていくようにしてみてください。

そのときは、意味がまったくわからないかもしれませんが、そもそも、そのときに、意味をわかろうとする必要はありません。

小さな事柄でも、いくつか書き留めておき、合わせていくことで、つじつまがあってきたり、日常生活をしていく中で「あ、そういえば」と結びついてくるものもあるからです。

夢の中からの守護霊さまのメッセージの発信を受け止めていきましょう。

聴くこと、祈り、そして感謝する

私たちは、生まれてくる前から、守護霊さまと共にいることをお伝えしてきました。

この地球で、目的を果たすための計画があり、目的、目標があり、それを達成するために、守護霊さまはずっと見守ってくれています。

そして、必要なときには、ちゃんとメッセージを発信してくださります。

もし、悩んだりしたときには、

『○○に対するメッセージを聴かせて下さい』

とお願いしてみるのも良いかもしれません。

お願いした方が、シンクロも起こりやすくなります。

そして、守護霊さまはいると信じ、シンクロで助けられた時には感謝することが大切です。

どんなにへこむことがあっても、現象には意味があるのです。


Comment:0  Trackback:0
2017
08.10

心配する最悪の事態はほとんど起こらない



友人と二人で小さな会社をやっていますが、月末締めの翌月末払いと言う風に全部が信用取引で成り立っていることから、たとえば、先方から「今月の支払いをひと月待ってくれないか」と要請があったもんにゃさあ大変!

豆粒ほどの小さな小さな会社ですから、「イヤです」と断る勇気もなく、泣く泣く承諾してしまいます。

そこから資金繰りの苦労が始まります。そんな夜は、「資金ショートしたらどうしよう!」と眠れなくなります。

でも、そんなことがこの2年間に数回ありましたが、なんとか今でも会社は潰れていません。

思いつく限りの最善の手立てを尽くしているので、倒産の可能性は低いのですが、いつも吐き気がするほどハラハラしてしまいます。

本日のテーマは、「心配する最悪の事態はほとんど起こらない」です。

体調が悪くて「これから自分はどうなるのだろう?」と案じている方、人間関係がらみで「これからもやっていけるのかな?」と憂鬱な方など、とかく悪い方にばかり考えてしまう心配性の方に読んで頂きたい記事を転載します。

各記事のタイトル画像に本サイトのURLを貼っていますので、興味のある方は覗いてみて下さい。


▲徳本昌大の書評ブログ!毎日90秒でワクワクな人生をつくる。

最悪の不幸はほとんど起こらない!

結局のところ、最悪の不幸は決して起こらない。

たいていの場合、不幸を予期するから悲惨な目にあうのだ。


(バルザック)


未来を心配することは時間の無駄だと思います。

以前の私は起こらないこと=悲観的な未来を想像して、自分の行動に対して、自らブレーキを踏んでいたのです。

これでは物事がうまくいくわけがありません。自分の可能性を自分で閉ざしていたのですから!

バルザックが言うように、不幸や悲惨な未来を予期するから、それを引き寄せてしまうのかもしれません。

未来が怖いのは、自分の準備が足りないことが原因です。

自分に自信が持てないから、結果、未来を暗く考えてしまうのです。




失敗を恐れて、いまの能力でこなせる仕事をつづけても進歩がありません。能力以上の仕事に挑戦してこそ成長があるのです。

難しい仕事にチャレンジすれば、一度や二度の失敗はあって当然です。
(枡野俊明)


禅では「前後際断(ぜんごさいだん)」といって、過去は過去、現在は現在、未来は未来と区別し、それぞれが連続したものではないと考えます。

過去のことは、今さら取り繕うことができません。

もう終わったことだと断ち切り、今なすべきことに集中するのです。

ミスを犯しても引きずってはいけません。

目の前の仕事に必死に取り組むことが大切です。



枡野俊明氏が教えてくれた前後際断という言葉を思い出すと、今という貴重な時間に集中できるようになります。

過去の失敗にとらわれず、そこから何かを学ぶことで、私たちは成長できるのです。

失敗しても引きずらずに、別の方法を考えることで、異なる未来を引き寄せられます。

最悪なのは悩むだけで、何も行動を起こさないことだと思います。

以前の私はこのパターンで、いつもお酒で自分の気持ちをごまかしていました。

お酒をやめて以来、失敗を恐れずに行動する仲間と出会い、彼らと時間を共にすることで、今に集中することの素晴らしさに気づけました。

また、失敗しても大丈夫だと思えるようになり、行動が怖くなくなったのです。


いつまでも続く不幸というものはない。じっと我慢するか、勇気をだして追い払うかのいずれかである。(ロマン・ローラン)


失敗で落ち込んだとしても、それが永遠に続くわけではありません。

勇気を出して、次のステップに進めばよいのです。

悩むより動くことで、物事はうまくいき始めます。

私はこのルールを枡野俊明氏の言葉から学べました。




▲楽しい言霊の世界・斉藤一人さんの教え

人生に困ったことは起こらない!神さまからの試験に合格する方法

日々の生活の中で生じる様々な困ったことは全て神さまからのプレゼントなんだ。

だから、あなたには何度でも困ったことが起きるのです。

一見困ったことに見える事象は、ホントは困ったことじゃないことが多いでしょ。

例えば、急いでいるのに目の前の電車に乗り遅れたおかげで、事故に巻き込まれなくて済んだり、忘れ物をしたおかげで、家の戸締まりが防げたりなど、世の中に起こる困ったことの大半があなたを守るために起こっているのです。

ただ、神さまはその困ったことをあなたがどのようにクリアしていくかを見て、次のステップに進めるのかどうかを判断しているのです。

しかも、神様は優しいから、あなたが解けない問題は絶対に出さないんだ。

そこで今回は、困ったことが起きたときにいったいどのような考え方で、そのトラブルを乗り越えていけばいいのかをお伝えしますね。

自分にとっての「困ったこと」とは何か?

生きていれば必ず「困ったこと」が起こるものです。

忙しいときに限って、困ったことはやってきて、スムーズな事の進行を妨げます。

そして、どうしたらいいかわからず、イライラが募って、爆発する・・・そんなことを繰り返していませんか?

さて、では客観的に見て「困ったこと」とはどんなことでしょうか?

人によって困ったことは違いますよね。

Aさんにとっては困ったことでも、Bさんにとっては何でもないことの場合もあります。

自分にとって、困ったこととは何か?ということを知っておくと、対処法が見つかってきます。

神さまは、人生に必ず試練を与えるといいます。

よく、偉人の話を聞くと、数々の試練を乗り越えていたということがありませんか?

試練=困ったことを乗り越えてこそ、素晴らしい人生が待っているのかもしれません。

困ったことが起きたら、自分の人生でステップアップする前触れだと考えてみましょう。

そこで、踏ん張って乗り越えようとプラスに持っていくか、ダメだと思ってマイナスになってしまうかによってあなたの人生は変わってきます。

自分の人生をより良いものにし、魂レベルを上げるために、困ったことが起きたときにきちんと対処し、ステップアップできるようにしていきましょう。

あなたが、イライラするほど困ったことというのはどんなことでしょうか?

仕事が終わって帰ろうと思っているときに、ちょうど上司に新しい仕事を頼まれることでしょうか。

それとも、何度も教えたことがちゃんとできない部下に困っているのでしょうか。

どんなときに困ったことが起こるか、困ったと感じるかは傾向があります。

あなたがどんなときに困ったことが起こるかきちんと書き出しておくことが大切です。

困ったことが起こったとき、あなたはどうしますか?

困ったことが起こったとき、あなたはどんな風に対処していますか?

イライラして、爆発して、「あーもうなんで私にばっかりこんな困ったことが起こるの!」と騒ぐかもしれません。

泣いてしまうかもしれません。

困ったことが重なるとストレスになって体調を壊したり、気持ちが落ち込んだままでなかなか立ち直れなかったり・・・私も経験があるのでわかります。

しかし、困ったことというのは神さまからの試練なので、クリアしなければ次のステージにはいかれません。

ちょうどテレビゲームと一緒ですね。

一面をクリアしなければ二面に行けないのと同じで、困ったことに冷静に向き合い対処し、その試練をクリアすることで、人生の次のステージに進むことができるということなんです。

だから、困ったことが起こったときには、怒り狂って周りに当たり散らかしたり、落ち込んで泣いてしまったり、やけ酒飲んでしまったり・・・そんなことをしてしまったら、あなたは今のあなたのままでなんの成長もできません。

しかし、困ったことが起こったときは自分の魂レベルを上げるチャンスだと考えて、大きな心で受け止めることが必要です。

困ったことが人を成長させるという考え方

私自身の話をしますと、困ったことが起こったときの考え方を変えてから、仕事でうまく行って出世したり、最高に理想的な彼氏ができてもうすぐ結婚予定だったり、仕事でもプライベートでも順風満帆に事が運ぶようになってきました。

困ったことを上手に受け止めて、乗り越え、そして自分のステップアップにつなげることで、成長できることを知りました。

では、困ったことが起こったときにはどうしたらいいのでしょうか?

まず、ToDoリストのように「困ったことリスト」を書き出していきます。

自分を困らせているものの正体を書き出すことで把握します。

困ったな~と思っているだけでは、イライラするだけです。

思い出すだけで嫌な気持ちになったら、あなたのメンタルに悪影響を及ぼすだけなので、まずはその原因を把握することが必要になります。

困っていることを箇条書きにします。

・後輩がちゃんと仕事をしてくれない

・上司が仕事を押し付けて帰ってしまう

・男性との出会いがない

・ダイエットに失敗してばかり

・お金がなかなかたまらない

例えば、「後輩がちゃんと仕事をしてくれない」という項目をクリアするために、どうしたらいいかを考えます。

私は、後輩がきちんとわかるように仕事のマニュアルを作成し、その通りに仕事をするようにしてもらいました。

その後輩は、自分からなにかをするということは苦手だけれど、手順通りに仕事をすることは上手だったのでマニュアルを作ってあげることにしました。

それによって、マニュアル通りにきちんと仕事をしてくれ、私自身も怒ることが減りました。

マニュアル通りに仕事をしていくうちに、後輩自身も仕事のコツをつかむことができるようになり、どうやったら効率よく仕事ができるかということがわかるようになりました。

お金がなかなかたまらないという困ったことも、計画を立てることにしたので少しずつ貯まるようになってきました。

お金が貯まらないと嘆いているばかりでは、一向にお金が貯まっていくことはありません。

どうやったらお金を貯められるのかを考えて、それを実行する。

私は、ランチ代を削ってお弁当を持っていくようにして、今までランチで使っていた500円を貯金することにしました。

平日5日間500円、一週間2,500円。一ヶ月で1万円貯金することができます。

それくらいって思うかもしれませんが、年間12万円貯金できたらすごいことですよね。

最近では、その1万円を貯金するのが楽しくなってきました。

そこで節約することによって、全体的に無駄遣いをするのが減りました。

ランチ代だけを節約して、ほかのところで使っていたら意味がないですからね。

おかげで衝動買いも減り、違うところの出費も減らすことに成功したのです。

困ったことを書き出すことは、どういった対処をしたらいいかということを明確にできるのでオススメです。

困ったことを起こさせない暮らし方をする

困ったことが起こってから対処するというのは、事故が起こってからどうしたらいいか考えるとか、風邪をひいてから薬を飲むというのと同じです。

きちんとした対処をするということももちろん大切なのですが、困ったことを起こさせない暮らし方をするのも大切です。

事故が起こってから対処するのではなく、事故が起こらないような運転をするとか、風邪をひかないように暖かくしたり、マスクをしたりということと同じです。

困ったことを起こらないようにするのにはどうしたらいいのでしょうか?

それは、忙しい時期にきちんとやるべきことを整理することです。

人は、忙しいときに次々といろんなことがやってくるとパニックになります。

そして、困ったことを引き寄せてしまうのです。

仕事を何年もしていると、だんだんいつが忙しい時期かということがわかるようになってきますよね。

その時期になったら、自分がやるべきことを書き出しておきます。

前もって、やるべき仕事を書き出して、把握しておきます。

どんなことがやってきてもそれをこなせるキャパシティを持っておくことが大事なのです。

どんな「困ったこと」がやってきてもOKですよ。

そんな心の余裕があれば、やってきた「困ったこと」はただの「出来事」になるのです。

困ったことを、ただの出来事だと思えるように、日ごろから鍛えておくようにしましょう。

困ったことを解決する力をつければ自然と幸せに・・・

困ったことがやってきても、それを困ったことだと思わずに、むしろ自分をステップアップするためのプラスの出来事だととらえることができれば、あなたの人生は劇的に変わっていきます。

「なんで自分だけがこんなに忙しいんだろう」

「どうして、いつも私には困ったことばかり起きるんだろう」

そんな風に思っていては、いつまでたってもあなたはその場所から動くことはできません。

「今、この状況は神さまからの試練なんだ。私を上に上げるために神さまが起こしてくださっていることなんだ、ここを乗り越えて次のステージに行こう!」

そう思っていたら、あなたは近々次のステージに進むことができるでしょう。

そんな風に、困ったことを楽しい出来事と捕えていれば、あなたの人生も性格も変わることができます。

困ったことは起こらない。世界中が幸せになる方法

ではここで、斎藤一人さんのお話を聞いてみましょう。

ひとりさんはよく困ったことをいかにして楽しむかが重要だ、と仰っております。うーん、困ったことを楽しむなんて・・・どうしたらいいの?

この音声を聞けば、一発クリアですよ(^_-)-☆



今日のまとめ

人生に困ったことは起こらない!神さまからの試験に合格する方法

いかがでしたか。あなたの人生に起こるすべての困ったことは、あなたの人生にとってプラスになることだと考え方を変えるだけで、今とは違った景色が見えるでしょう。

昨日まで、困ったことだと思っていたことを、楽しいこと、自分のためになることだと思ってみてください。

そうしたら、今この瞬間からあなたの人生はきっと楽しくなりますよ。

・ 自分にとっての「困ったこと」とは何か?

・ 困ったことが起こったとき、あなたはどうしますか?

・ 困ったことが人を成長させるという考え方

・ 困ったことを起こさせない暮らし方をする

・ 困ったことを解決する力をつければ自然と幸せに・・・




Comment:0  Trackback:0
back-to-top